この先生は書きたかった。
シャーレの先生。
連邦生徒会長の失踪とほぼ同時に現れた『大人』。
そして、『生徒』を導く存在にして彼女たちの『母』。
だが、誰も彼女の過去を詳しくは知らない。
キヴォトスに来るまでに何をしたのかを。
かつて遠く離れたアーテリスと呼ばれる場所で最期まで人を信じ愛を与えた存在であり、最強の神の一角であった人。
ある者にとっては希望を繋ぐ為に戦った導き手。
またある者たちにとっては世界を分割した怨敵。
だが、彼女の真意を知る者たちはどんな立場であれ認めるだろう。
彼女こそアーテリスの『大英雄』であると。
残された力全てを出し切り、『光の戦士』たちを見定めた彼女の魂はもはや残りすらしない筈だったが、何の因果か目覚めれば知らない土地の『先生』と言う役割を与えられていた。
ならばと、彼女はこの星で生きることを選択した。
まだ見ぬ多くの土地や人、そして想いを知るために。
そして、全てを託した『光の戦士』が救った世界を別の形であれ護るために。
00Ⅰ
「……お待ちしておりました、ヴェーネス先生。あなたとは一度こうして、顔を合わせてお話ししてみたかったのですよ」
何者にも染まらぬ白とこの悲劇の裏で暗躍した黒、対となるコントラスト。
白は愛しき『子』を護るため、黒はその『子』を利用するために。
「……あなたのことは知っています、連邦生徒会長が呼び出した不可解な存在。あのオーパーツ『シッテムの箱』の主であり、連邦捜査部『シャーレ』の先生。あなたを過小評価する者もいるようですが、私たちは違います」
「逆に私はあなたの事は恐らく通称しか知りません。それも一人の子から聞いただけですが……」
素性の知らぬ黒幕の招待を快く受け、男と向き合う彼女は言葉とは裏腹に敵意を持ち合わせていなかった。
それは彼女の実力がそうさせるのか、ただ話を聞こうと思ってきているのか。
男は両方であると己の中で答えをまとめた。
「まず、はっきりさせておきましょう。私たちは、あなたと敵対するつもりはありません。むしろ、協力したいと考えています。私たちの計画において、一番の障害になりうるのはあなただと考えているのです」
それはこれまでの彼女の行動からも見て取れた。
どんな時でも生徒たちを優しく、時に厳しく。されとて決して見捨てはしないという覚悟を持って接する姿勢で、カイザー理事の企みを突然彗星の如く現れた彼女がご破算にする過程で。
だからこそ、男にとって最大の障害はまず間違いなく彼女であると。
「私たちにとってアビドスなんて小さな学校は、全くもって大した問題ではありません。ですが先生、あなたの存在は決して些事とは言えない。敵対することは避けたいのですよ」
「それはどうでしょうか。少なくとも今のアビドス──彼女たちはあなたを前にしても怯むことはないと思いますが」
「クックック……ご謙遜を。あなたが彼女たちをそう変えたのではありませんか。彼女たちが困難に屈するときにあなたは必ず先頭に立ち、諦めさせなかった」
彼女の姿勢はアビドスの生徒や彼女たちに関わった多くの生徒に影響を与えた。
決して諦めない心、前へと進む力、そして敵として対峙した生徒ですら許し共に進もうとする姿勢。
すべて目の前の女が関わったからこそできたことなのだと。
「いいえ、彼女たちが自ら選択し進んだからこそできたのです。あなたはそれを私の影響と言いますが、そうではありませんよ黒服。……名前はホシノと同じ呼び方でよかったでしょうか?」
「失礼、こちらの自己紹介がまだでしたね。名前は黒服で構いません、この名前が気に入っていましてね。私たちはあなたと同じ、キヴォトスの外部の者……ですが、あなたとはまた違った領域の存在です。適切な名前がありましたので、今はそれを拝借して使っております。私たちのことは『ゲマトリア』、とお呼びください」
「こちらも自己紹介をしていませんでしたね、ご存知とは思いますが私はヴェーネス。『シャーレ』の先生で、アビドス対策委員会の顧問を務めています」
両者ともに丁寧な姿勢は崩さずにあくまで会話こそが大切なのだと言わんばかりの対応を行う。
もしもこれが別の『英雄』、例えば冥界に愛された彼だったならばまた違った対応だっただろう。
「私たちは、観察者であり、探求者であり、研究者です。あなたと同じ、『不可解な存在』だと考えていただいて問題ございません。一応お訊きしますが、ゲマトリアと協力するつもりはありませんか?」
「私も元々は学者でした。世界に満ち溢れる謎にそれらしき答えを出したりもしましたが……それは遠い昔のこと。もうすでに一度やめたことなのです。ですから、あなたたちと協力するつもりはありません」
ヴェーネスは黒服の勧誘に対して、『先生』としてではなくあえて彼女自身の中でかつて出した結論と同じく自らの想いだけを述べた。
それこそ『先生』としてお前たちと協力などできないと言うこともできたはずにも関わらず。
「……左様ですか」
黒服の顔からは表情と呼ばれるものを読み取る事はできないが、それでも心底残念な声だった。
学者であったという彼女なら自分たちの求めることもまた理解できるのではないかと。
「真理と秘義を手に入れられるこの提案を断ってまで、あなたはキヴォトスで何を追求するおつもりなのですか?」
だからこそ、黒服はヴェーネスがそういう答えを出すに至った理由を知りたかった。
世界の真理やそこに眠る秘義、それを解き明かすことは『ゲマトリア』の命題であり同時に学者であったヴェーネスならば興味を惹かれる筈なのだと。
「追求とは少し違うのかも知れませんが、見てみたいものなら幾らでもあります。けれど、それをするにしても大切な生徒を返してもらわないとできませんから……」
ヴェーネスもまたこのキヴォトスで見たいもの、知りたいことは数多く存在する。
しかし、それをする時に今の彼女には共にいる生徒たちがいるのだ。
だからこそ、一人とて欠けることなく共に見たいのだと。故にヴェーネスは本題を切り出した。
「ホシノを返して貰いましょう」
「クックックッ。あなたの行動に正当性がない事にお気づきですか、先生?今のあなたに一体何の権利があって、そんなことをされるのでしょうか?ホシノはもうアビドスの生徒ではありません。届け出を確認されていないのですか?」
「届け出なら見ました」
「……ほう?」
「そこに顧問である私のサインが必要で、あの子はその欄を空欄にしたまま行動に出たことも。だから、あの子はまだアビドスの生徒。あなたの言う権利に対してはこれが回答になるはずです」
ホシノはそれを忘れたのか、はたまたヴェーネスならば助けてくれるかもしれないという一縷の望みを残したのか。
当人のみにしかわからない選択ではあるが、少なくともヴェーネスはそこにサインをしていない。
「……なるほど。あなたが『先生』である以上、担当生徒の去就にはあなたのサインが必要……そういうことですか」
「それにもしサインがされていてあなたの解釈での権利がないとしても、私や対策委員会の子らが彼女を救わない理由にはなりません」
「なるほどなるほど……。中々に厄介な概念ですね」
黒服はこの時点でヴェーネスに対する印象が少し変わっていた。
彼が見たヴェーネスはどちらかと言えば行動で示し、紡がれる言葉もまた論理よりかは感情についての部分が多かったのだ。
しかし今は違う。
理路整然と黒服の抜けを指摘し、彼の土俵においても劣ることもなく自分の考えを述べていく。
理論家でもあり、感情についても話せ、行動も出来る……。
やはり、厄介な存在なのだと。
「あなたも、カイザーコーポレーションも、あの子たちを騙し、心を踏みにじり、その苦しみを利用した……その過程でホシノは、アビドスはどれだけ失ったことか」
「確かに仰る通りです。他人の不幸よりも、私たちは自分たちの利益を優先しました。それを否定はしません。私たちの行動は、善か悪かと問われればきっと悪でしょう」
言葉では黒服を非難しつつも、ヴェーネスは決して目の前の相手に怒りを示すでもなくただその事実だけを突き付ける。
「しかし、ルールの範疇です。そこは誤解はしないでいただきましょうか」
ルールの範疇であるかないか、それは黒服にとって重要な部分。
そこを誤解されるのは遺憾であると、少しだけ白い空洞を大きくして彼女に言う。
「アビドスに降りかかった災難は、私たちのせいではありません。アビドスを襲ったあの砂嵐は、大変珍しいとはいえ、一定の確率で起こり得る現象です。誰か明確な悪役がいるわけではない、天変地異とはそういうものでしょう」
黒服もまた事実のみをヴェーネスへとぶつけていく。
彼女が感情的でなくこちらの話を聞く気があるのならば、そうしないのは失礼だと言わんばかりに。
「私たちはあくまで、機会を利用しただけ。砂漠で水を求めて死にゆく者に、水を提供する……ただし、一生奴隷として働いても返済できない額で。ただそれだけのことです。さして珍しくもない、世の中にはありふれた話でしょう。何も私たちが特別心を痛め、全ての責任を取るべきことではありません。私たちが初めて作った事例でもなければ、私たちがそれをしなかったところで消えるものでもないのですから」
ヴェーネスもそれは嫌でもわかる。
彼女のいたアーテリスでもまた、そんな光景は嫌と言うほど見てきたのだ。
故に彼女の表情は少し悲し気な表情へと変わった。
何処も人と言うのは大きく変わりはしないと。
「持つ者が、持たざる者から搾取する。知識の多いものが、そうでない者から搾取する。大人なら誰もが知っている、厳然たる世の中の事実ではありませんか?」
それはキヴォトスではありふれた光景。
そして、アーテリスでもまた同様の光景がありヴェーネスもそれを見てきた。
決して、その言葉が嘘であるとは言えないのだ。
「そういうことですから……アビドスから手を引いていただけないでしょうか、先生。ホシノさえ諦めていただければ、あの学校については守ってさしあげましょう。カイザーPMCのことについても、私たちの力で解決いたします。あの子たちもどうにか、アビドス高等学校に通い続けることができるはずです。そしてこれは、あのホシノさんも望んでいることのはず。いかがですか?」
しかし、その事実をもってしても染まらぬ者もいる。
「ホシノは必ず返して貰います。そして、私がアビドスから手を引くこともありません」
黒服の投げた『大人』ならば知っている世の事実。
そんな言葉がヴェーネスを止める理由になどなるはずがない。
そんな人の本質の一部など『あの子』を待つ過程で何度だって見てきた。
だが、彼女はそれでもなお何度でも人を信じ直したのだ。
世界が変わっても、そこに何かを求めて旅をする者がいる。
別の歴史だったとしても、未来のために戦う者がいる。
アーテリスであろうと、キヴォトスであろうとそれは変わらない。
それこそが彼女の信じた『人』なのだ。
「……どうして?どうあっても、私たちと敵対するおつもりですか?」
「ホシノを救う過程で、あなたたちと敵対せざるを得ないのならば、私は再び武器を取りましょう。あなたたちの様な所謂キヴォトスの『大人』たちが彼女たちを利用し傷付けそれが『人』であるというのならば、私は『人』とはその様なものではないと彼女たちに示すまで」
自らではなく、彼女たちのために。
『人』が何なのかを知る者として、先に生きた者として、かつての星の意志として。
明確な覚悟を宿した青い瞳で黒服を見る。
その瞳には一切の躊躇いもない。
世界のため、子のためならば躊躇わずに彼女は武器を取るだろう。
かつてそうしたのだ。
二度目も躊躇うはずがない。
「あなたは……確かに、あなたには大人のカードもあるでしょう。もしかしたら私も知らない権能を有しているのかもしれません。しかし、そんな力をあの子たちに使うのですか?放っておいても良いではありませんか。元々、あなたの与り知るところではないのですから」
「与り知らないからこそ、知るために共に『旅』をするのです」
恐らくこの場に、アゼムや『光の戦士』が居たとしても似たような言葉を発するだろう。
アゼムの関係者にとって、『旅』とはそれだけ特別な意味を持つ。
「なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?」
ヴェーネスの答えは黒服を納得させられるものでは無かったのか。
否。
黒服では理解できないのだ。
何がそこまで彼女を突き動かすのか。
他人の苦労を知るために、共に旅をするなどと。
そんなもの、これまで見てきたどの存在にも言われたことはない。
「理解できません、なぜ?なぜ断るのですか?どうして?先生、それは一体何のためなのですか?『旅』などと。彼女たち、その全てを救うなど不可能です」
「私は『不可能』を信じていない」
「……不可能を信じていない?だから、あなたが彼女たちの為に戦い傷つくと?あなたは彼女たちの保護者でも家族でも、まして屈強な戦士でもありません。あなたは偶然アビドスに呼ばれ、偶然あの子たちと会っただけの他人です。一体どうして、そんなことをするのですか?不可能を信じないなど詭弁です」
不可能を信じない、そんな言葉は詭弁。
必ず存在するのだ、その手で全てを救うことなど出来はしない。ならば、最初から背負う必要もない親身になる必要もないではないかと。
それも偶々、偶然あっただけの他人の為に。
そう。
普通の――余人ならばそうなのだ。
だが、彼女は違う。かつてアゼムの座にあった者。
後任のアゼムも、その魂を持つ者も偶然あっただけの他人の為に動けるのだ。
まして、その師匠であるヴェーネスがしないはずがない。
そう。
黒服最大の誤算は、相手がかつてアゼムの座にあり、星の意志でもあったヴェーネスであること。
苦難も、痛みも、絶望すらも。
歩みを止める理由にはならない。
「世界の今を知り、解決すべき問題があれば、拾い集め解決する。『あの子』がそうであったように、私もまたその座にあった者としての想いがあります。そして何よりそこで出会う人そのものが、たまらなく好きだからです」
「……」
大人だから、責任だから。
そんな言葉であれば黒服とて言い返せただろう。
しかし、ヴェーネスから紡がれた言葉は全く想定外の言葉だった。
呆然とした黒服へヴェーネスは語りかける。
「眼前に広がる地平、吸い込まれるような空。静かだけれど力強い、自然の息遣い……。それらの合間に、人の営みが明かりを灯し、言の葉を響かせる。そんな光景に胸があたたかくなるからこそ、この瞬間に輝く世界を、未知が溢れるこのキヴォトスを見て、聞いて、感じて、もっともっと知りたい」
見ているものが違う。
黒服が求める真理や秘義、それすらも包括し世界を、人を知りそれを愛する。それ故にそこに生きる者たちを助ける。
目の前の存在は、人でありながらまるで神の如き視野と視座を持つのだ。
なんて……。
恐ろしい存在なのか。
「……大人だから、とは言わないのですか?」
「私にとって、大人も子供も等しく『人』です。もちろん、私は彼女たちを『子』として愛しています。けれど、あなたが大人として語った内容は大人で無くとも持ち合わせる『人』の本質、そのほんの一部にすぎません」
「ヴェーネス先生、あなたは一体……。何を見て、経験すればそのような考えに至るのですか?大人や責任と言えば幾らでも言い返せたのに、あなたは一言もそんな事を言わず私たちすら知り得ない真理に到達したかのような……神の如き考えを述べられてはこちらも反論のしようがありません。私たちの行動すら『人』の本質その一部であり、あなたはそれすら含めて『人』を愛すというのですから」
ホシノは黒服をなんとなくぞっとするやつと形容したが、今の黒服にとっては正しくその言葉こそヴェーネスを形容するに相応しい。
今の自分では理解できない。考えが違うから、価値を見出すものが違うから……そんな理由ではない。
余人には理解できない領域にある存在。
一体何をどうすればそんな考えの人になれるのか。
ただ好きだからという理由だけで他人を助け、自分たちの計画をご破算にされる。
青二才が熱い気持ちだけで述べているのではない。
経験できることすべてを経験し、多くを見て学んだ彼女が言うのだ。
それは説得力のある言葉である。
だからこそ、黒服にとって彼女は何よりも面白い。
「クククッ、クックックッ!なんとスケールの大きな方だ。他の人が同じことを言っても私にここまで興味を持たせることは出来ませんよ、ヴェーネス先生」
「あなたもまた探究者であると言うのならば、見るべきものはまだあるはずです」
「いいでしょう、あなたを諦めさせることを諦めます。私にもまだ知らないことが多い、それを自覚させたヴェーネス先生。あなたに勝ちを譲りましょう」
交渉が決裂しただけではない。
自らの負けを認めたにも関わらず黒服は上機嫌だった。
それほどまでに、ヴェーネスという存在は興味深く彼女から学ぶべきことは多いのだと思えたからだ。
「アビドス砂漠のPMC基地の中央にある、実験室にホシノはいます。『ミメシス』で観測した神秘の裏側、つまり恐怖。それを、生きている生徒に適用することができるか……そんな実験を始めるつもりです。そして、もしホシノが失敗したらあの狼の神が代わりに、と思っていたのですが……どうやら前提が崩れてしまった……いえ、あなたという『星』が居た時点ですべてが変わっていたのでしょう。故にあなたはホシノを救わなければならない」
もはや黒服の興味の対象は別にあった。
神秘や恐怖の探求、それは確かに興味がそそられはする。
しかし、目の前の『神』に比べれば天と地の差がある。
「ヴェーネス先生。ゲマトリアは、あなたのことをずっと見ていますよ」
「私もあなたと話せてよかったと思っています」
「クックックッ」
これが黒服とヴェーネスの出会いだった。
1とあるように続きます。
ヴェーネスとどうしても絡ませたい生徒がいるので。
彼女は良い先生になるでしょう。
みなさん、今年は本小説を応援していただきありがとうございます。
来年度もしっかり更新していきますのでよろしくお願いいたします。
良いお年を!
黄金のレガシーのネタバレネタは有り?
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有り
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ダメ!死刑!