フォックス・ハント   作:簑都薇

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「ベット。伊熊将監。五千」

 

 時代錯誤も甚だしいマスカレードマスクが目線の高さに無数に浮かんでいた。

 反対側の個室で今後の『作戦』を開陳しあう富豪たちを片目に櫃間篤郎はカクテルグラスを指で摘んだ。櫃間もまた紺のマスカレードマスクを着用している。

 

 櫃間は東京エリア第二区の地下極秘空間にいた。

 これは『スポロシスト』と呼ばれる秘密結社の会合だった。東京エリアを表で支配するのが天童家ならば、裏から利用するのがスポロシスト。はやい話が寄生虫である。東京エリアの動向を直接左右する力こそないもののエリア内で陰謀を企てるなら衝突は必至といった、暗躍者からすれば厄介な存在だった。

 ちなみに櫃間はまた別の秘密結社にも所属している。というより、そちらの作戦の一環で櫃間はこうしてスポロシストに潜入していたのだった。

 

 事実上の穴蔵だというのにそうとは全く感じさせない豪奢な作りはトップエリートの家系で育った櫃間でも評価してしまうほどだ。会場はおそらくコロッセウムに見立てており、すり鉢状に中央が落ち窪んでいた。盛り上がった外縁部には個室が並び、櫃間もその一つに『プレイヤー』として居座っている。

 

「プレイヤー『トリプルスレット』のベット、受理しました。伊熊将監のオッズが変動しました」

 

 見下ろされる形になる中央にはワインレッドのドレスを着こなす妙齢の女性が、プレイヤーからのリアクションをオーバーな仕草を交えながら受理していた。確か平良笙子といったか。民警をしている比較的珍しい成り上がりタイプの人間で、手駒としてスポロシストの一員に加わったと聞く。

 今日はパフォーマンスで体を張っただろうに、尋常に振る舞うのは健気という他ない。

 平良の頭上に浮かぶホログラムスクリーンにはガストレア・ステージⅢ、通称キツネの全体像と東京エリアを示すマップが表示されていた。マップには赤と黒の点が発光しており、赤は複数の黒から逃げるようにしてマップ上を駆け巡っていた。赤はキツネ、黒は民警を表している。

 

『表』のキツネ騒ぎはスポロシストの主催する遊戯だった。

 

 キツネを放ったのはスポロシストだ。プライマーと呼ばれる引率役がキツネをエリア内のどこかに放流し、各地でガストレアを感染発生させているのだ。騒ぎに駆けつけた民警がキツネを見つけ出し、討伐するまでゲームは行われる。もっともキツネもプライマーもすぐに逃走するので難易度は高い。

 

 ゲームの内容は単純だった。

 あらかじめ登録された──つまりは平良笙子が招集した民警の中からプレイヤーは自分が賭けるに値するペアを一組選ぶ。民警はコマである。その組が見事キツネを倒せばオッズに従って報酬を獲得する。といってもここにいる人間は皆金目当てなどではなく、純粋に興奮を得るために賭けをしていた。

 

 大義も能力もないやつらだと櫃間は彼らを見下している。腐った果実はこの東京エリアには不要だ。すぐにでも切除しなければならない。

 それが『意志ある者』の責務だ。

 

「アクション。我堂長政の妨害。あいつをはやくゲームから排除してくれ! ゲームにならん!」

 

 ちょうど櫃間の隣の個室から老人の叫びが聞こえた。あまりの剣幕に吐き散らされた唾液まで見える。

 一般的なスポーツベットに形態は近いが、異彩を放つ特徴が一つあった。プレイヤーの介入が可能という点だ。

 プレイヤーは最初に配られたいくつかのチケットを消費することで自在に盤上を動かせる。任意の民警にガストレア出現の知らせがすぐに届くようにしたり、近くでわざとガストレアを出現させたりなど、コマを有利にさせるのもあれば。逆、民警に別途報酬をチラつかせ他の民警を妨害させたりというのもある。この場合、妨害の依頼人は同じくキツネを追う民警で、雇ったのは自分たちがキツネを駆除して報酬を得るためとなるのだろうが、実際はそんな民警会社は存在しない。

 

 櫃間はチケットを消費していなかった。櫃間には、『組織』が東京エリアの裏で安全に暗躍するために、先住者であるスポロシスト内で影響力を高め、最終的には組織の手足にしろという任務が言い渡されていた。しかし正直面倒な気持ちの方が大きかった。

 仕方なく民警のリストを見る。各民警の来歴、スペックが記載されていて、組織が脅威とする程度には情報収集力も確かにあるらしい。

 

 ふと『里見蓮太郎』のスペック表が目に入り、思わずカクテルグラスを滑り落として割ってしまう。

 この男は櫃間にとって人生の障壁と言って良かった。婚約者は彼と共に家を出奔。見目麗しい花嫁を奪われたかたちになる。

 同じ『意志ある者』として、彼女を手中に落とし込めるのは自分なのだと自負していた。

 

 コイツにだけは賭けるものかとタブレットをめくって、『片桐玉樹、弓月兄妹』のページに移る。

 参加が他と比べて遅いのは、招集に応じなかったので改めて事務所に依頼したかららしい。それも結局は断られたと記載がある。

 いいなと感じた。

 戦闘に疎い櫃間でもわかるほど強力なペアであることは勿論、仕事を受けるにあたって何か基準を設けているらしいことが伺えたのが理由として大きかった。それがリスクリターンの計算か、戦士としての意地なのかまでは分からなかったが、前者であれば櫃間にも通じる部分があった。

 見当違いなシンパシーだなと一笑に付し、とりあえずの処理を終える。

 民警風情に、私の抱く危機感など理解できないはずだ。

 

「このままでいいのですか?」

 

 背後から女に声をかけられる。物思いに耽っていたから接近に気づかなかった。

 誰だ──櫃間は振り向いてすぐ目を奪われた。

 夜を溶かし込んだような黒長髪と雪白の肌のコントラストは嫌でも視線を吸い寄せられる。黒ドレスから大きく露出させた肩はわずかに赤らんで、体温の在処を男の脳髄に訴えかけていた。湧き上がる獣性をなんとか理性で押さえ込んで視線を交えさせ、その正体にゾッとする。

 見覚えがあった。白のマスカレードマスク越しでも分かった。その瞳にはあの家の人間特有の深い夜が輝いていた。

 

「お久しぶりです。篤郎さん」

 

「キミは──」

 

 女の姓を呼ぼうとした瞬間、彼女がすっと唇の前に指を添え、沈黙を示す。

 

「家の名でお呼びにならないで。私には個人としての名があります。私もあなたを個人として呼びます」

 

 なにをいうか。お前がここで私とほぼ対等に語り合えるのは家の力ではないか。

 内心で湧き出した失笑を美麗な笑みに作り替えるのに苦労する。

 

「失礼しました。では、()()()()()。何故ここにいるか、聞いてもいいかな」

 

「招待されました」

 

「あり得ない。スポロシストはあの家を歓迎しない」

 

「冗談はお嫌いですか」

 

「美しい人と語り合うのは嫌いではないですよ」

 

「お上手」

 

 ヒフミは控えめに微笑むと、櫃間の許可なく対面席に腰を下ろす。

 

「このままでいいのですか? あなたであれば、もっと上に立てるのでは?」

 

 ヒフミの煽て混じりの話題転換に乗っかる櫃間ではなかった。主導権を握られまいと意識を新たにする。

 

「上とは?」

 

「スポロシストの枠に囚われない、上です。今は大した力がなくとも、これだけ多くの志士をスポロシストは抱え込んでいる」

 

 ヒフミが会場を見下ろす。確かにスポロシストの構成員は東京エリア限定とはいえ、根幹企業の取締役、相談役といった社会的影響力を持った人物で構成されている。

 そうやって抱え込んで、やっているのがこんなつまらない遊戯であることに激情が暴発しそうになる。

 

「なにかに使えるとは思いませんか? 例えば、表を支配する天童の足場を崩したりとか」

 

 ヒフミの言葉で肝が冷える。夜色の瞳が櫃間を刺し貫いていた。

 

「知っていますよ。あの家を潰そうとしているのでしょう」

 

「なんのことだか、見当もつきませんね」

 

「これまでの行動の逆算ですよ。正攻法ではなく裏から抹殺しようとしている。そうでしょう」

 

 戯言だと一蹴できなかったのは眼力か、神通力か。

 

「…………何が目的なんだ」

 

「秩序です。私が欲しいのはただそれだけ」

 

「今ある秩序を破壊して、その上に新たな秩序を築こうというのですか」

 

「正しく機能していないのならば」

 

 ヒフミの整った唇が吊り上げられる。

 

「そして新たな秩序を作るのは並の志士ではいけない。私はあなたのような人に、『意志ある者』に作って欲しいと考えています」

 

 それは櫃間篤郎にとってはなかなかの口説き文句だった。

 

「……あなたは、なぜここにいるのですか。まだその疑問が晴れていない」

 

「辿ったんです。ただそれだけ」

 

「偽装工作の類はなかったのですか?」

 

「ありました。でも腐っても『あの家』の人間ですので。そんなもの、いくらでもやりようがあること、ご存知ですよね」

 

「では一族がスポロシストを認識している、ということですか」

 

「いいえ、情報は私のところで一旦堰き止めています。ただ、私程度の力ではいくら保つか……」

 

「あなたが探ったからでしょうに。……ともかく、ことを始めるなら早急に、ということですか」

 

 おそらくスポロシストはじきにあの家の手で解体されるのだろう。

 ならばここで上を目指すのではなく、この場の人間で有用なものを助け、弱みを握ってそれを足掛かりとした方が得策。いやむしろ警察官という自身の立場を利用して──。

 

 思考時間は限られていた。

 これが、考える時間を削って判断力を減らすヒフミの盤外戦術であることは櫃間には分かりきっていた。

 この程度の奸計で自分を手玉に取ろうなど普段の櫃間であれば激昂していただろうが、そうはならなかったのは、彼女の幼稚な悪巧みにいっそ愛らしさを覚えていたからだった。

 策はお見通し。──なら御せる。

 櫃間の中で、両者の格付けが済んだ瞬間だった。

 誘いに乗った櫃間はチケットをタブレットで消費して、コマを動かす。

 

「プレイヤー『ベルフラワー』のアクション。プライマーの殺害、受理されました」

 

 ついでに里見蓮太郎に大量のガストレアをけしかけるのも忘れなかった。

 




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