薄暗い明かりの中で僕は深々とソファに座った。綺麗なテーブルは僕の顔を写し出す。悪役にも似ても似つかないおぼっこい顔がそこにはあった。あまり見ないように意識を逸らすが、どうしても見てしまう。
咲希は僕の顔が好きだと言っていたが、自分自身はそう思っていない。別に醜い顔だとか、汚い表情だとかは思わないが、単純にこの負け犬のような顔が好きではない。金田のようなもっと整った顔立ちで、悪にも正義にも慣れるような顔が良かった。きっと真っ当に生きていたら彼は今頃芸能事務所に入って俳優か何かをやっていたに違いない。もしかしたら、その方が多く稼げれたのかもしれない。しかし、彼はそれを選ばなかった。僕も普通の高校生を選らばなかった。僕たちはどこか似ているのかもしれない。
たまに出てくる変な思考の巡らせを打ち破ったのはコップだった。テーブルを眺めていた僕の目の前にコップが置かれたのだ。
顔を上げると、ボーイらしき人物が笑顔で立っていた。
「お久しぶりですね、和樹さん」
「そうだね。久しぶり。咲希はどう?」
「ええ、綺麗なドレスに身を包んでますよ。和樹さんに見せたいとか言ってましたね」
「ああ、ごめんね。いつもいつも」
「たいしたことじゃありませんよ」
ボーイは手を振ってお構いなくと付け加えるように言った。ここはドレスを貸してくれるから咲希のお気に入り場所みたいなところになっている。色々な服が着たいというのはどの女性も変わらない。かわいいと言われている女性ならもっと尚更だ。
「社長はまだかな?」
「もうそろそろだと思いますが……少々お待ちを」
ボーイはインカムでボソボソ話しながら、僕に対して一礼すると、いそいそとその場を後にした。もっと昔はヤンチャそうなイメージだったが、仲良くなればこういう風になるらしい。どっちが表で裏かは知らないけど、あまり気分は悪くない。丁寧な話し方はいつだって人を気分を良くするものだ。
しばらくすると、階段からコツコツと随分急足で降りてくる音がした。顔を向けると、咲希が黒色のドレスに身を包みながら急足で降りてきた。彼女の動作につられるようにアニメのポーチが揺れている。
「カズ!綺麗なの着れた!」
「ああ、そうだね。綺麗なドレスだ」
僕の側に来る彼女は勢いよく隣に座り、僕の腕を両腕で抱きしめた。派手なドレスだが、どことなく清楚な印象を受ける。褐色な肌とよく似合うからか可愛いというより美人というイメージが強くなる。
「そのドレスにポーチは似合わないよ」
「えー?これ宝物なんだけど」
「……ああ、そうだったね」
宝物は大事に肌身離さず持っといた方がいいということを以前咲希に言ったことを思い出す。そうか、僕が君に影響を与えたのか。なんか申し訳ないことしたね。
「でも、色落ちしてるし、紐も黒ずんできているからもうそろそろ替え時かもね」
「いや!これがいい!」
「君は年季が入ったものが好みなんだね」
木に対しては年季というものがあって、深みが出るとかはよく言うが、物に対してもそれが通用するとは初めて知った。僕の知らない世界を彼女が知っているということかもしれない。
「サキちゃん綺麗になったでしょ」
後ろから声がしたので、顔を向けると大人びた雰囲気を漂わせた女性が立っていた。長い髪を束ねており、茶色の髪の毛がやけに綺麗に見えた。ハイヒールを履いているためか、身長も高く見える。
「いい女になったね」
「アンタ、そんな人じゃないでしょ。金田の口調はやめて」
攻撃的な言葉を投げかけるが、彼女は嫌な表情を浮かべながら僕の方を睨んだ。君の金田嫌いもそこまで来るともはやアレルギーだね。多分本人と会ったら蕁麻疹が出るかもしれない。
「社長はまだかな?」
「いま女の子たちを送ってるからもう少しかかるんじゃない?」
「そう、あの人は勤勉だね」
「そうかな?ここではふざけてばっかだけど?」
「ここはそういうところだろ?」
僕がそう言うと、彼女は鼻で笑った。僕の対面に座りながら、細いタバコを咥え、金色のジッポで火をつけた。綺麗な細い指にタバコが挟み、丁寧な吸い方をする。煙を横に吐き、なるべく僕にかからないようにしていた。
「別に気を遣わなくても良かったのに」
「違う。私はアンタじゃなくて、サキちゃんに気を遣ったの」
「ああ、そういう……」
「サキちゃん?今からカズキと仕事の話をするんだけど……」
「えぇ……」
「二階の事務室にアイスあるよ?食べていいよ」
「アイス!?」
咲希は僕の方を向いた。食べてきてもいいか、咲希の目にはそんな意味が込められていた。どうやら彼女はエサにつられるらしい。ペットとは思わないが、犬に近い生き物であると錯覚を覚えてしまう。僕が笑顔で頷くと彼女は真っ先に走り、二階に向かった。部屋の隅にいるボーイ目配せすると、その場で一礼して二階に向かって行った。
「今日はなんでサキちゃんを連れてきたの?」
「気分だね……たまには散歩もどうかなってだけだね」
「ふーん」
興味がないのか、彼女は短くなった細いタバコを近くに置いてあったクリスタルの灰皿で揉み消した。最後の煙を口からゆっくり吐き出すと、彼女は持っていた小さ目のバッグを開け、膨らんだ茶封筒をテーブルに置いた。
「これ、他の子達の今月分と売り上げ分」
「ありがとう」
若干膨らんでいる茶封筒を開けると、帯がされている万札が二つと数枚の万札が見えた。あの人は本当に勤勉だ。どうやらわかりやすいように両替もしてくれたようだ。
「こんだけあるということは、他の店の分も入ってるね」
「そうだね」
「わざわざ行く手間が省けたよ。ありがとう」
「それは社長に言って。回収してるのは私じゃないから」
「それもそうか」
「あと、こっちは私の分と社長の分ね」
そう言いながら、バッグから今度は白色の封筒を二つテーブルに置く。一つの方には代表と書かれており、もう一つの方には日菜と書かれていた。
「わざわざ分けてくれて……このお礼はどっちに言えばいいのかな?」
「これは私ね」
「ありがとう」
「大したことじゃないからいいよ」
日菜はバッグをテーブルに置き、僕の前に置かれたコップを自分の方に寄せた。僕が店から出されるモノには手をつけないのを知っているからこそできる技だ。普通の人なら礼儀がない人と思われるに違いない。
「確認はしなくていいの?」
「しないよ。君と社長が誤魔化すとは思えないしね。それに君はもう支払いは終わってるだろ?」
「……」
僕がそう言うと、日菜は無表情のまま自分が口につけたコップを見つめる。遠い目をしているような気がして、僕は思わず視線を逸らす。
彼女の借金はここで働いて半年で完済していた。毎月の彼女の給料が良くなってるのは、僕がどうこう働きかけたわけではなく、自身の力だ。どのような努力でそうなったのかは分からないが、この店のトップになった頃には彼女は僕に支払う義務がなくなったのだ。
いくら僕に恩があるからといって払わなくていいものを払うことはない。ここでは若さが命だし、彼女の今後を考えれば、こんなところをさっさと辞めてまた社会人をやればいい。ここで相当稼いだことだろうから、今度は無理に働くこともしなくてもいいし、美人であるから結婚だってしていいだろう。
「支払う義務がないのに、支払うバカはいないよ」
「私がバカって言いたいの?」
「一番は命、二番が金、三番が信頼。それがこの世の摂理だね」
「私は違うけどね」
「なるほど?じゃあ何が摂理なんだい?」
「そうだね……」
日菜は含みのある笑みを浮かべながら、ゆっくりと持っていたコップを置いた。コンッという小さな音が響き、頭がその音でいっぱいになった。
彼女の表情は、金田のような含みのある笑みではなく、もっと別な、それこそマリリン・モンローが七年目の浮気で浮かべたような笑みのようで、優しい女性らしい笑みだった。
「一番は和樹で、二番がサキちゃん、三番目が私かな」
「……それは人間の摂理に反してるね」
「人間が作ったものでしょ?それを壊すのもまた人間。それも摂理じゃない?」
「納得できない」
「私はアンタが儲かればそれでいいってこと」
僕は頭を掻きながら、片目を瞑る。どうにも調子が悪いようだ。どうやらこの店の雰囲気に飲まれたようだ。つい数時間前まで人々が飲んでいて、人で賑わっていたこの店に僕の気分がやられている。人の賑わいは人に感染する。誰かの言葉だったがなんの映画で誰が吐いたセリフだったか忘れた。
日菜はそんな僕を見て、口元を少しだけ舐める。その間も彼女の表情から笑みは消えることはなかった。
「仕事の話しをしようか」
「思ってたより初心なんだ?」
「免疫がないだけだよ。僕はT-ウィルスには感染したくない。ワクチンがあるなら欲しいものだね」
「そんなんじゃないのに」
「そんなもんだよ」
僕はそう言いながら、自身の横に置いてある段ボールを開けた。中にはティアラに頼んだ物が綺麗に入っており、薄い段ボールを仕切りのように使い、中で混ざらないように工夫されていた。丁寧な仕事ぶりに思わず悪党なのかと疑ってしまうくらいだ。
僕は一つずつ取り出してテーブルに並べていく。バッグに財布に宝石……。どれも女性なら見たことがあるようなハイブランドばかりで、バッグや財布には中央にわかりやすく会社のロゴが大きく描かれている。
「今回はバッグと財布とネックレスなんだ」
「そう、だから簡単かもしれないね」
「まあ、買う人がいればね」
日菜はバッグからタバコを取り出し、再度火をつけた。先ほどと同じようにゆっくりと火をつけたが、今度は僕の方に煙を吐き出した。白い煙が僕にかかるが、それほど嫌な感じはしなかった。
「で?どんなものなの?」
「どれも最新モデルだよ。特にこのバッグは、いま広告とかCMとかでもやってるモノだね。ほら、名駅の柱の広告にもしっかりPRされてただろ?」
「ふーん」
興味がなさそうにバッグを取りながら、あらゆる角度からそれを見る。いや、彼女の動作的に確認していくという表現が正しいか。
ひとしきり確かめたところで彼女はバッグを置いた。
「Bだね。縫い目と触り具合が雑」
「よくわかったね。僕はAかBでクイズを出そうと思ってたんだけどね」
「流石に何回もやってれば分かるよ」
「いや、頭がいいからだよ」
日菜は少しだけ口角を上げてタバコを口に持っていく。自慢げに答えるあたり、相当自信があったのだろう。
僕は次にもう一つの段ボールから同じ物を出す。テーブルの上に置くと、そそくさと彼女は手に持って確認していく。
「これは本物?」
「残念、これはSだよ」
「本物そっくりだね」
「だからかなり値が張るんだ」
「ふーん……で?本物は?」
「これだね」
段ボールの奥に眠っていたビニールに梱包されている本物を日菜の前に出した。彼女はそれをじっと見つめながら、ビニールを破り、それを自分が座っているソファの隣に置いた。彼女の動作はそれだけには終わらず、今度は自分のバッグから財布を取り出した。
「二百あれば足りる?」
「まいど。本当はもう少しするけど、四捨五入の切り捨てにしてあげるよ」
「そう、ありがと」
日菜は財布から束を取り出し、テーブルの上に置いた。きっちりとしたピン札で帯もされている。なるほど、社長の勤勉さが目立つのは君のおかげってわけだ。
「で?売り方はいつも通りでいい?それともアンタも同伴?」
「君に任せるよ。彼女は彼氏よりも自分の友達を優先する。君の言葉だろ?」
「女は女の言葉しか信用しないからね」
「共感を求める動物だから仕方がない」
女性というものは共感を優先する生き物であり、男は頭を優先する生き物である。こういう言葉は現代にはそぐわないかもしれないが、昔からそういうものだ。マザー・グースの詩の言葉が全てだ。
僕は一つずつ彼女の目の前に置いていく。
「今回のSは見分けが相当つきにくい。中身の細部に至るまで細かく作ってある。唯一欠点なのが、留め具の部分の小さいロゴ。これが、本物と若干スペルが違う。それ以外はかなり精密に作られているから、見分けることがかなり難しいと思う。だから本物の値段で売るのも悪くないね」
「わかった。じゃあBの方はどうする?」
「Bの方は君が言ったように本物との区別がつきやすい。縫い目もそうだし、触り心地もそうだ。ロゴだって若干傾いている。触りながら見れば一目でわかる」
「じゃあそのまま売るね」
「そうしてくれ。金額は五万から十万の範囲でいいよ。仕入れた値段はもっと安かったから、僕もそれで儲かる」
「わかった」
一通り話しが終わると日菜に段ボールを渡す。彼女はSのバッグを先ほど破いたビニールで丁寧に包み、段ボールに入れた。その上にBのバッグを入れていく。
「結果は来月でいいよ」
「週末じゃなくて?」
「今月は少し忙しいんだ。東京に行かないといけないし、咲希の服も買いに行く予定だから」
「そう、わかった」
日菜は段ボールを自身の隣に置いて、今度は財布を取り見ていく。こちらは確認していくというより、探しているような目だった。
「粗いね」
「これは相当雑な代物だね。ベトナムかどっかだと思うけど」
「あっちの方は雑なの?」
「まあ隣国に比べれば雑かもね」
「ふーん」
日菜は興味なさそうにそう言いながら、僕に財布を返してきた。これは売れないという意思表示だ。
「白の財布で、これだけ目立つと流石に誰も買わないよ」
「そうかな?今さっき金田から連絡来たけど、あっちは全部売れたらしいよ?」
「アイツって誰に売ってた?」
「ホストだね」
「なるほどね。ホスト全員集めてそこで演説するんだ」
「そうだね。スティーブ・ジョブズ顔負けの演説だ。彼のような美男子になれば男の人だってファンになるよ。むしろ、物を買うなら男性の方が買うような気がするね」
何も美男子のファンになるのは女性だけじゃない。むしろ、男性の方がファンになる。自分もこんな人になりたい、自分もこんな男のような生活をしたい。ファンというより一つの目標、憧れのようなものだ。仮に本物じゃなくても、そんな自分の目標が売り込む商品なら買いたいと思ってしまう……なるほど、彼はニッキのような女を取っ替え引っ替えの生活をしているのは演じる為なのか。
僕はその事実を知り、思わず笑ってしまった。日菜はその姿に首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、別に何も……彼がニッキのような生活をしていたのがようやくわかってね」
「毎回思うけど、映画のネタ出すのやめてくれない?こっちは分からないんだから」
「ごめんごめん。これでも意識してるんだよ……で?これはやめとく?」
「やめとく。これは売れないよ」
「そう、わかったよ。じゃあこれは適当な業者に流すとしよう。本物だけは売ってくれ」
「わかった」
僕は財布を段ボールに入れ、自身の隣に置いた。さて、最後の商品だ。段ボールの奥に眠ってあるネックレスを取り出し、彼女の前に置いた。
「……」
「これは最後の目玉商品ってやつだね。本当にSもBも本物と見分けがつかないよ」
「……すごいじゃん」
日菜はBとSをそれぞれ持ちながら、交互に確認していく。机の上に置いてある本物をまじまじと見ながら、粗がないかを探していた。
「天然のダイヤと人工で作られたダイヤは殆ど似ているんだ。見分け方と言われるものがあるとすれば、息を吹きかけて中々曇った状態が長く続く方が人工ダイヤモンド。大きくなればなるほど、安っぽく見えるけど、ここまで小さく散りばめられていると、殆ど見分けがつかない。Sの方は更に曇り止め効果を用いた合成ダイヤモンドを使ってある」
僕の説明を聞きながら、彼女は見比べていき、僕の方に左手で持っていたネックレスを差し出した。僕はそれに首を振り、それが違うことを彼女に示した。
「君が今手に持っている方がSだよ。メイドインジャパンは伊達じゃないってことさ」
「……すごいね」
「どれも本物として売れるはずだよ。君の人脈を試していると思ってもいい」
「….…これ仕入れも高かったんじゃない?」
「そうだよ?だから本物として定価で売ってくれ。君の腕がどこまで上がってるか知りたい」
僕がそう言うと、日菜はじっと見つめながら、僕を見た。じっと見つめられることはあまり好きじゃない。思わず目線を逸らし、彼女の答えをじっと待っているが、彼女からの返事はなかった。その代わり、彼女は自身のバッグにSとBを入れていった。
「自信はあるかい?」
「アンタが儲かるなら」
「それはもちろんだよ」
「ならやってみせる」
「心強い返事をありがとう。報酬はしっかり用意しておくよ」
僕は本物が入っている段ボールを机に置いて彼女の方に滑らせると、彼女は僕の方を再度じっと見つめた。その眼差しからは真剣という二文字が確かにあった。
「それはいい。汚いお金はいらないから。それに私はアンタのために動いてるの。組織に従って動いているわけじゃない」
日菜は僕を見つめながら言った。これには苦笑するしかなかった。
「それじゃあ世界は回らないよ」
「それでも……これは私のアイデンティティだから」
「そうなんだ」
「うん、だからアンタが貰っていいよ」
日菜はそれだけ言ってネックレスを段ボールに入れていった。全くもって僕とは大違いだ。僕たちの組織に入らなかった理由も頷ける。彼女は彼女なりの正義というか、法律のようなものがあるらしい。
「今回は以上かな」
「わかった。じゃあ来月報告する。払えない子はいつも通りでいいの?」
「いいよ。無理に一括にすることはない。毎月払ってくれるなら問題はないよ。それと報告は来月の中旬くらいで構わないよ」
「わかった」
一通りの作業が終わり、フゥーッと息を吐く。日菜に任せきりで、僕は何も手を出さないというのは、どうにも腑に落ちないところではあるが、彼女は僕の為に毎回こうやって動いてくれる。金田のように最初の頃はキャバ嬢を集めて演説売りをしていたが、女性というものはタチが悪く、一人が買う時はほとんどの人が買い、買わない時は皆が買わないのだ。同調圧力というべきか、集団催眠というべきか、ゼロか百しかない世界だ。
しかし、いざ女性が売り込むとなったら、話しが違う。ましてや同僚である為か、買う確率が全然違うのだ。
「君にはいつも世話になってばかりだ」
「そういうのはいいから。別に好きでやってるだけだしね。借りとか恩とかもあるからそれをチャラにしてるだけ」
「もう充分にチャラになってるよ」
僕が苦笑すると、彼女は首を振りながら、タバコを口に咥えた。まだ足りないよと思っているのだろうか。白煙を吐きながら、そう言えばと彼女が言った。
「なんで社長はアンタに金を払ってるの?この店も儲かってるし、他のところも儲かってるじゃん」
「簡単なことだよ。彼は元々から反社の芸能事務所で働いていて、スカウトやってたんだけど、少しやらかして、追われる身になったんだ。それで金を貸していた僕のところに助けてくれって頼ってきたんだ」
「ふーん……それで?」
日菜はじっと僕を見つめながら、タバコの灰を灰皿に落とす。その仕草までが美しいと思ったのはこの時が初めてだった。
「ほんとは切り捨てようと思ったんだけど、ふと違うことを考えた。彼は人を見る目があったから何かしてみたら面白いんじゃないかって」
「それでこれを始めたんだ」
「そう。金を出して経営者にしてあげた。女の子はスカウトしたり、僕から斡旋した子を回せば揃えることはできたからね。成功すれば、彼からも個人的に金を取れるし、売り上げも僕がもらえる。それにこういうお店は銀行は融資できない」
「公序良俗に反するからね」
流石は国公立というべきか、話しが早くて助かる。本当にこんなところで働いているのが惜しいくらいだ。
「そうだね。それに彼は反社だったから銀行では最低でも五年間は取引できない。だから僕は名義も貸してあげた。だから彼は僕から逃れることはできないんだよ。おかげで店は繁盛、おまけに店舗数も増えていくから、思っていた以上のリターンがきて僕は万々歳さ」
「……五年経ったらどうするの?」
「そうだね……切り捨てして、君にでもやらせようか」
僕がそう言うと日菜は口に咥えたタバコをゆっくりと離した。目が僕を捉えて離れてはくれない。
「もっとも、五年後の話だけどね」
「……」
何か言いたげな目をしながら、僕を見つめる。大方の予想としては、切り捨てという言葉に引っかかったのだろうと思われる。まあ、これには理由があるからそれも伝えよう。
「最初はそのままでもいいかなって思ったけど、そうもいかないんだよ」
「……どうして?」
「彼、僕に内緒で未成年に売春の斡旋してるだろ?」
「……そうなの?」
「そうだよ。全ての子が自らやっているのであれば、見逃そうとしたんだけど、それはやっちゃいけないことだ。もし、警察に見つかりでもしたら僕まで破滅する……それに僕はクズが嫌いだ。アイリスのような子をほっとけはしないんだよ」
汚いことをするのはいい。悪いことをするのも許せる。報復だと言って自分の子ども殺した容疑者を殺害する母親だっているんだ。だから悪いというものは必ずしも全てが悪ということではない。ただ、相手の純粋無垢な心を弄んで金を得る奴は汚くて悪いクズだ。僕はそれを許せない。
「だから彼をいずれ切り捨てる」
「今じゃダメなの?」
「彼のやっていることが公になることはまずないからね」
「なんで?」
「僕が隠してるから。もっとも、僕が死んだらそれまでかもしれないね。いま、君が手渡したこのお金の内の半分は僕が手にするお金じゃない。僕はクズの行為を隠すためにこのお金の半分を渡さなくてはいけないんだよ」
「……」
日菜は何かに察したのか、口元に手を置いて考える。タバコの灰が彼女のドレスに落ちた。しかし、彼女はそれを気にすることなく、何かを考えていた。僕はそれを黙って見学するように見ている。
しばらくすると、彼女は頭を上げて僕を見た。咄嗟の出来事だったので、思わず目線を逸らしてしまった。
「もし、私がこの店の経営者になることができれば、アンタは儲かるの?」
「それはもう……だってこのお金が全部僕の取り分になるしね」
「じゃあやる。今からでもやる」
「……ほんとうに?」
日菜は小さく頷き、ドレスに落ちた灰を払った。
「それで恩を返せるとは思ってないけど、それでアンタが儲かるならやる」
「……理由が薄いな。酷く抽象的すぎて僕には分からない」
「女は感情を優先する生き物だからね。頭で考える男には分からないよ」
「……」
果たして、理屈や利益を抜きにしてこうも考えられる人間がどれだけいるだろうか。少なくとも僕の周りにはそんな人はいなかった。彼女は信頼の天才というべきなのか、絶対的正義を何か秘めているとしか思えない。多分、世の中は性善説でできていると本気で考えているのだろう。僕に対して疑うことや猜疑心を働かせることをしない。
僕はそういう人が怖い。
「少なくとも五年後だね」
「……わかった。だからアンタもそれまでに見極めて」
「見極める?何を?」
「私が信頼できる人間かどうか」
「……」
日菜は含みのある笑みを浮かべながら、灰皿をどかした。彼女はどうやら僕のことを知悉しているらしい。ほんとうに、怖いくらいに頭が回る。彼女はじっと僕を見つめ、何かを言うのを待っていた。
「……僕は信頼とか信用とかが嫌いだ。メリット、デメリットで考えるのが人間だと僕は思っている。人間誰しも打算的であるというのが僕の信念だ」
「そうだね」
「咲希だって僕が衣食住を提供しているから僕についてくるのであって、君のような考えをしているとは到底思えない」
「そうは思わないけど」
「聞いてくれ。だから君の言っている言葉に嘘がないかを確かめたい」
「どうすれば確かめられるの?」
僕はテーブルに手をついて日菜の顔に近づいた。足もテーブルに乗せて、まるで犬のような状態だ。しかし、そうでもしないと彼女の顔をまじまじと見ることができない。彼女はそんな僕から目を逸らすことはしなかった。
「金をもってこい。今まで以上の金をもってこい。君が思いつく限りの、それこそ知恵熱が出るくらいまで考えて、金を稼いで僕の前にもってこい。僕がこれ以上はいいというまで稼げ。僕の信用はその先にある」
日菜は黙ったまま僕をじっと見つめる。視線をタバコに移動させると、箱の中にはタバコはもうなかった。
「資本主義の根幹を見せてくれ。そう、資本主義の根幹……どの職に就いて、どれだけ稼ぐことができるか。それがこの国の正義だ。通帳の残高もブランドも乗っている車も関係ない。どれだけ稼ぐことができるかがこの資本主義というクソッタレな国のゲームだ。そのくだらないゲームを制してくれ。じゃないと僕は信用できない」
僕は金田のような口調で話していた。金田に最初に言われた言葉を思い出しながら、彼女に力強く言っていた。意味もないこのクソみたいな先進国で勝ちたいなら金を稼ぐしかない。月にどれだけ稼ぐことができるか、それがこの国の指標だ。そのゲームをクリアしたいなら、チートを使ってもいい。自分の信念を持ってチートを使うなら、それは正義だ。
「君の根幹を僕に見せろ。いや、魅せてくれ」
僕はまじまじと見つめながら、日菜の手を取った。両手で包み熱く、そして感情を乗せて強く握った。普段から白いその手が僕の力が加わり、さらに白くなった。彼女の手にも熱が帯びてくる。
「いいよ、魅せてあげる。アンタがもう充分だって思えるくらいまで稼いでみせる。だからアンタも約束を破らないで」
「ああ、破るもんか。君が破らないのなら僕が破る道理がない」
僕はゆっくりと手を離しながらソファに腰を下ろした。彼女は今さっきまで握られていた手を見つめながら、軽く握った。
「カズキが幸せになるなら、私もそのクソみたいなゲームを制すよ」
「僕のため?いやいや、君の為でもあるだろう?」
君は僕の信用を得たい。僕は儲かりたい。この条件なら互いの利害が一致する。だからこそ、僕はこの条件を出したのだ。君が僕のために働かないために……。君が君のために動くように。
それが理解できたのか、彼女は少し目を見開き、クスッと笑った。
「いいね、やる気が出た」
「そうか、それは良かった」
僕は携帯を確認すると、一つのメッセージが入っていた。二階にいる咲希からだ。ああ、すっかり話し込んでしまった。僕はその場で立ち上がり、彼女の目を見た。
「悪いね、お姫様が遊びに飽きたみたいだ。この話しは以上……社長にも伝えてくれ。今日はいいからまた今度話そうって」
「わかった」
僕は今度こそその場をさろうとした時、彼女が僕に向かって話しかけた。
「ねえ」
「ん?どうしたんだい?」
「……質問をしていい?」
「一つだけなら」
僕がそう言うと、日菜は静かに立ち上がり、僕の方に寄ってきた。先ほど僕がしたように両手で僕の手を包み、自身の胸に当てる。優しい温かさと彼女の心臓の音が手に伝わってくる。
「……カズキはなんで金をたくさん得たいの?」
それはこのクソみたいなゲームを制するためだ。そう言いたかったが、彼女の目を見ると、それを言う気にはなれなかった。たくさん得て何がしたいのか、それからどうしたいのか、どうしていくのか、そんな言葉が彼女の全身から伝わってくるのを感じた。
ああ、ほんとうに鋭くて勘が冴える女だ。これっぽっちも騙されやしない。彼女なら本当に組織入る素質がある。彼女なりの正義がなければ、彼女は間違いなく大金持ちだっただろう。
僕は暫く黙ったのち、手を引っ込める。日菜は名残惜しいような表情を浮かべた。僕は後ろを向き、階段を見つめる。早く行かないと姫様がご立腹だ。
「簡単な話だよ」
「簡単なことなの?」
僕は振り向かないまま歩き出しながら、遠ざかる日菜に対して含みのある笑みを浮かべる。彼女は察しがいい。きっと僕のこの表情は見なくても分かるはずだ。
「社会不適合者になりたくないんだよ」
理由なんてない。普通のサラリーマンや工場で働いている人と同じだ。食べる為に働く、いいものが欲しいから働く、何かをする為に働く。それ以前に、人間たちの根幹にあること。
「社会から蔑まれないように生きたいからだよ」
パトリック・ベイトマンがそうであるようにね。僕はその言葉が喉元に来たが、なんとかそれを抑えて、歩き出した。彼女は映画ネタが分からない。随分と僕も学ぶことができる人間になったもんだ。そういうふうに考えながら、足を進めていった。
四話も編集すれば投稿できる状態なのでいずれ投稿します。