新幹線を待っていると、修学旅行をする小学生が目に入る。彼らは意気揚々とした面持ちで新幹線を待ちながら、大きな声で話していた。ホームでは静かにしてねと先生らしき人物が言うと、みんな一斉にはーいと返事をする。子供のあやし方を理解している人間はどんなふうにすれば言うことを聞くのか知っているのだ。
ホームでは静かにしてね、それだけではみんな言うことは聞かない。大人しい子はそれを言われる前から静かにしているが、そうでない子はその言葉だけでは言うことを聞いてはくれない。では、どうするべきか。簡単なことだ。言うことを聞かすように仕向ければいい。具体的にはどうすれば良いか、それは目の前の光景を見れば分かる。
「いい?新幹線に乗ってもはしゃいじゃダメだよ?わかった?」
この一言によりまたしてもみんな一斉にはーいと言った。わかった?その一言が強力だ。この言葉を置き換えれば、いまの話を聞いていましたかとなる。この一言により子どもたちは自ら先生の言葉に耳を貸し、返事をする。自分の行動を自身で制限するのだ。仮に聞いていない子がいたとしても、その子が今度は悪者になり、自分の友達から今の話を聞いてなかったのかと怒られる。見事なものであると感心すると同時に集団催眠の一種だろうかと考えてしまう。
僕は隣にいる咲希をぼんやりと見ながら口を開いた。
「いいかい?新幹線に乗ったら静かにするんだよ?わかった?」
「カツサンド食べていい?」
これまたどうして。どうやら彼女には通用しなかったようだ。二十歳だからであろうか。いや、そうでもなさそうだ。おそらく集団ではないからであろう。僕はなぜかそんな気がする。むしろ、そうでも思わないと納得できない自分がいた。
「……富士山が見えても静かにしてくれよ。毎月行ってるから見飽きただろ?」
「東京にはどれくらいいる?」
「んー……三日かな?」
テキトーな言葉を繋げながら、新幹線を待つ。彼女の手にはビニール袋があり、その中にポテチや飴などのたくさんのお菓子が入っている。お気に入りのポーチをぶら下げながら待つ彼女は修学旅行を待っている子どもである。
「チケットは失くさないでね。前回失くして大慌てしたでしょ」
「この中にはいってるもーん」
咲希はバシバシとアニメのポーチを叩きながら自慢げに胸を張る。なんともまあ呑気な性格だ。そんな可愛い子にはカツサンドを買ってやろう。僕はそんなことを思いながら笑みを浮かべる。
「よし、じゃあ中でカツサンド買ってあげるよ」
「ほんと?」
僕は小さく頷くと、咲希は僕の腕を抱きしめる。腕に頬ずりをしながらとても満悦な表情を浮かべた。平和な平日だ。こんな日々が来るとは一年前は思ってもいなかった。
「いやぁ、実にいいね。君たちの仲良しぶりにはつい感動するものがあるよ」
咲希と話していると、後ろから声をかけられた。女性らしい声でハリのある綺麗な声だった。僕と咲希は後ろを振り向くと、少しだけ口角を上げながらこちらを見ている女性がいた。彼女は僕たちが振り向くと、ゆっくりと近づいてきた。反対側のホームの新幹線がゆっくりと動き出し、やがて加速していく。その影響で彼女の短めの綺麗な髪が小さく靡いた。
「こんなところで会うとは驚いたもんだ」
「有村さん……」
「君も今から東京かい?」
その言葉に頷くと彼女はそうかと小さく呟いた。咲希は有村さんを見つめるだけだった。そんな彼女に何かを思ったのか、有村さんは咲希に近づいた。
「忘れたとは言わせないよ。ほら、この白い髪を思い出してくれ。一緒にジェンガーを楽しんだ仲だろう?」
「……アカネ?」
「そう、アカネだ。前は長髪だったが、今は短くしたから分からなかったかな?」
「アカネー!」
「いいね、やはり女性というものは」
咲希は有村さんだとようやく認識し、彼女に飛びついた。ぎゅーっという効果音が似合うくらい有村さんの腰に抱きついている。
「やめてくださいよ。こんなところで性癖を出さないでください」
「今の時代はそうではないさ。君はもっと世間を知った方がいい」
「バイなのは別に否定してないですよ。ただここでそれはやめてくださいって言ってるだけです」
「なぜ?」
「子ども達もいますから」
「ほう……本当は違うくせに」
そう言われて言葉を詰まらせる。別にそういうことじゃない。この人は僕たちの関係にいつも関わってくるのだ。僕たちは互いの利害が一致しているだけで、それ以上の関係ではない。そういうふうに言えば、今のように有村さんは答えてくる。金田のようなタチの悪さも嫌だが、こっちの方がより堪える。
テーマを変えよう。僕はこういうものに免疫がないんだ。
「有村さんは何故ここに?愛車はどうしたんですか?」
「ぶっきらぼうに話題を変えてきたね。まだ免疫がないのかな?」
「有村さん、揶揄わないで下さい」
「まあいいさ。偶には新幹線で行くのも悪くないかなって思っただけさ。それにあの車は売った」
「売った?」
おかしい。あれは有村さんのお気に入りの車だ。相当高かったのを思い出す。メンテナンスもしっかりとされていたし、何よりこの人はドライブが好きな人だ。それを売るというのはなんとも疑問だ。
有村さんはそんな僕に何が察したのか、笑みを浮かべる。
「あれを欲しいという人が外国にいてね。その額が元の値段より倍で買ってくれるというので、売ったんだ」
「でもあれは愛車ですよね?それでいいんですか?」
「ほう、君には私があの車を愛していたと見えたのか」
有村さんは意味深な言葉を口にしながら抱きついている咲希の頭を撫でる。愛おしそうに頭を見つめるその表情にどこかゾッとするものを感じた。
「車は車だよ。ただ乗るだけの道具。金には及ばないものだ。いつだって一番は金なんだよ」
「……なるほど」
優しい手つき撫でながら、しっかりとした口調でそう言った。彼女は続けてそれにと呟いた。
「それにあの車は正確にいえば、外国には行っていない。日本のディーラーに売り渡したさ。しかも外人と同等の値段で買い取ってもらった」
「じゃあ、海外に行った車はどうされたんですか?」
「ティアラに頼んでそっくりさんを用意させたさ。元々は金沢に住んでいたお金持ちが持っていたらしいが、メンテナンスがされていなかったから、潮風にやられて中は錆だらけ。まともに走れない車だそうだ。けれど、外装だけ綺麗にすれば、私の愛車のドッペルゲンガーに化ける」
有村さんは笑みを浮かべながら、咲希の肩に手を置き、彼女をそっと離した。見つめる瞳は今だに優しいままだ。彼女はそんな有村さんを首を傾げながら見つめていた。
「あとはこちらの情報がバレないように、書類を偽装してから、海外で色々と転がして、元の情報を分からなくした。結果的に五百万ぽっちで三千万強の金が手に入ったわけさ。相手は相当激怒しているだろうね」
「さすがですね」
咲希は何かを思いついたのか、ビニール袋に手を伸ばした。たくさんお菓子が入っているその袋から飴が入った袋を取り出すとそのまま破り、有村さんにあげた。彼女はそれを受け取ると、また頭を撫でる。咲希は頭を撫でられて嬉しそうな表情を浮かべた。
「流石と言うが、君はそれ以上のことをしたのだろう?」
「それ以上というと?」
「人間をそのまま売ったと聞いているよ」
「……」
「たぶん北九州の件を思い出してやったのだろう。まあ、私からすれば、少し雑な部分もあるが、よくやったと思うよ」
「ありがとうございます」
「しかし、荒療治は所詮付け焼き刃だ。もっと磨きたまえ」
「はい」
有村さんは飴の包装を破り、口に入れる。それと同時に、アナウンスが入り間も無く新幹線が到着するとの放送が入った。
「ちなみに売ったルートはどこから?」
「ボスから買い取りました」
「まだ甘いね。君はまだ世間を知らなすぎるよ」
「と言いますと?」
有村さんは咲希から離れて僕の前まで近づいた。コロコロと飴が彼女の口の中で転がっているのがわかる。
「研究者や学者という世界に目をつけたところまでは正解だ。しかし、君はそこで思考を停止させた。研究者や学者というのは所詮個人だ。支払える額には限度がある。当然、国から出ている研究費や大学から出ている費用を支払に回すことは出来るだろうが、ああいう堅物は所詮道徳の端くれを持ち合わせた偽善者、そこまでするバカはいない。あくまで個人で支払える金額しか出さない」
新幹線が近づいてきているのか、風が強くなっていく。先ほどと同様有村さんの綺麗な白い髪が靡く。咲希も金髪の髪を靡かせながら僕の方をじっと見つめていた。
「ではどうするか、それと同じような場所に売ればいい」
「どこですか?」
「製薬会社。それも医療用医薬品を作っている会社にね」
新幹線は僕たちのいる列を通り越して、さらに奥で止まった。咲希は手を引っ張るが、僕は有村さんから目が離せなかった。
「医療用医薬品会社なら充分にお金を持っているに違いない。大手なら研究や開発に多くの金を割いているし、非上場企業でも、国からの給付金などをもらっているから、貧乏企業ということもない。しかも競争率が高い職種でもないからなおさらだね」
「……そうなんですね」
「君が持っている金でコネならいくらでも出来たはずだ。生きている人間をそのまま実験できるんだ。金ならいくらでも出すだろう。であれば、少なく見積もっても一人頭六千万はくだらなかっただろうね」
「……」
「まあ、しかしダメな部分が多いというわけでもない」
「ダメダメですよ」
「そう言うな。君は誇っていい」
有村さんは僕の手を取って、笑みを浮かべた。綺麗でカッコよくて、それでいて魂胆が見えない。どこまでも底が見えない酷く冷え切った人間だ。きっとこの人には本心という言葉が存在しないのだろう。
「なぜなら君のそのやり方のおかげで私が儲かったから」
「……まだ礼を言われてないです」
「ありがとう、また儲けさせてもらったよ」
有村さんは僕にそう言うと、手を離し新幹線の中に入っていく。この人には勝てないという言葉が頭に浮かんだ。それが風船のように膨らんでいった。不安や恐怖というのとは少し違う寒気が身体を襲う。自分に染みついた負け犬根性が彼女とは戦うなと言っていた。ただ自分のことを考えていればいい、自分が生き残る道、金を稼ぐ道だけを考えればいい。そんなことを考えてしまう自分がいた。
それと同時に、金田の言葉を思い出す。情報屋に喧嘩を売るような真似をするな。これはこういう意味なのかもしれない。情報の売買だけで金を得ているのではなく、情報という強い武器で人を脅し、時には殺す。それが情報屋の真の強みなのかもしれない。
「カズ!新幹線きてる!」
「……わかってるよ」
僕は咲希の言葉が耳に入るまでまるで金縛りのように動けなかった。思考停止状態……なるほど、有村さんは僕に警告したんだ。今度そんなヘマをやったらただじゃ済まないぞって。僕は今だに思考を停止している動物なのだ。
僕は咲希に腕を掴まれて新幹線に乗った。ふと隣を見ると、すでに小学生たちはいなかった。
五話目も書けているのでいずれ投稿します。