気付いたら五百年前のフォンテーヌに居たので、水神を救おうと頑張りたいのだが……脳内で語り掛けてくるナニカがうるさい   作:たゆな

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第22幕

 稲妻城下町の入口へと足を踏み入れるイツキ。空はまだ東の端に白みが差し始めている程度だ。少し冷たい雰囲気を感じてしまうのは、おそらく朝方だからだろう。

 

『……以前とはまるで違う』

 

 眞の声に小さく息を吐くと、イツキはそのまま足を止めた。

 

『覚悟はしていたわ。でも、私の記憶に残る町の、民の景色とは違い過ぎて』

 

(……俺の知っているものとも違ってはいるな。何かもう、全体的に空気が重い)

 

『そうね……突如としてあれほどの脅威が押し寄せて来たんだもの』

 

『町の様子を見る限り、ある程度は復興を終えているようだけど……厄災によって与えられた傷は、推し量ることなどできない程に深いモノとなってしまっているでしょうね』

 

 元草神の言葉に同意するように頷きながら、歩みを再開する。

 

(これが五百年前の稲妻……)

 

 通りの両脇には木造の建物が軒を連ねており、派手な装飾はないが柱や外壁には歴史を感じさせるような跡が残っているものもしばしば。五百年前にも関わらず、それ以前から長く使われてきたことが一目で分かった。家々の間からは桶に水を汲む音が漏れ、早起きの商人が戸を開け、箒で店先を掃いている。

 

『いえ──例え彼らにとっての現在(いま)が辛いものであっても、長い時の中で、この一瞬は必ず欠かすことのできない存在となるはず。私は今まで通り、民を信じるわ』

 

『ええ、私達は既に"観測者"……降臨者であるイツキが変数として、本来の道筋を壊すほどに干渉してしまえば──旅人によって救われるはずだった者達が……そして世界が終わりを迎えてしまうかもしれないわね』

 

 前向きな眞に対して、後ろ向き気味なことを口にし始める元草神。

 

(いや、俺には現状変えたい運命も道筋も存在しないからな。降臨者が誰かの……何かの運命を変えたいと意志を固め、行動を起こさない限りは大丈夫だとは思うぞ)

 

『……貴方がただ関わるだけ(・・・・・・・)では何も変わらないという事?』

 

(関わるだけなら多分な)

 

『岩神へと向けた"世界は変わらないし、俺も変わらない"というあの言葉の真意はそれだったのね』

 

(え? ああ……うん)

 

 ──そこに関しては別に全然そんな意図はなかった……という事を隠すように、眞に対して首を縦に振るイツキ。

 

(旅人は世界のあらゆる者と縁があり、その全てを救いたいという意志を持ち、それを達成する為の行動を起こせる……だから皆を救えるんだ。もし世界がおかしな事になったとしても、旅人ならどうにかしてくれるだろ……きっと。対して俺にはそんな意志も気概もない)

 

『そうね……私も貴方が旅人ほどの強さを持つ降臨者だとは思えない。だからこそ、これから出会う全ての者を無視して進めるような人間ではない貴方は……きっと──その運命を変えようと行動してしまうとも思うわ』

 

 ──そうして降臨者同士での争いへと発展してしまうかもしれない……と、元草神の語気が僅かに強くなる。

 

 たしかにイツキは眞を傷つけたくないがためと、鳴神大社へ赴くという行動を回避してしまっている。しかしそれは、眞が既に観測者となり──運命の輪から外れたと考えたから。

 

(俺は別に、誰かれ構わずに助けたいだなんて思わない)

 

 知恵の神の言葉を無視して、自身にそう言い聞かせるイツキ。そしてそのまま石段を上がり、橋を渡った。

 

「でもマハちゃん──それでもいいって言ったじゃん」

 

『……今のはただの、可能性の話よ』

 

『はぁ、ま〜た喧嘩してるのね』

 

 イツキは不機嫌にむくれ、ボソッとそう呟きながら、視線を周囲の景色へと向ける。

 

 水路には澄んだ水が流れ、朝の光を受けて揺れている。欄干に残る花弁は、夜の間に散ったものだろうか。

 

 眼前の花弁と同じ様に──多くの者が散って行ったばかり(・・・)のこの時代。

 

 通りを進むにつれ、冷たかった空気が熱を持ち始める。商店が並ぶこの辺りには、町へ来たばかりとは違った活発な雰囲気が滲み出していた。朝の城下町は静かだが、決して眠ってはいない。

 

 そしてふと、視線の先にある看板へと意識を向けるイツキ。

 

(あれ、ここが烏有亭……? ゲームで見た時とは建物の大きさも見た目も位置もかなり違うな。なんつーか……地味だ)

 

『そう? この店に関しては、私のよく知るものと同じに見えるわよ?』

 

(そもそも俺の記憶では……岡崎陸斗とかいう元お偉いさんの店主が、夫婦で営業していた料亭だったはずだ。瑞希が言っていたような……"烏妖怪の一族が運営していた"なんて話は知らないんだよなぁ)

 

『五百年の間に潰れてしまった店を……夫婦で再建したということかしら』

 

 暖簾は下がっていて、客を迎える様子はない。それでも、店の奥に人がいる気配はぼんやりと感じ取れる。

 音はない。調理場は動いていないのだろう。

 

 暖簾の向こうには声がある。

 

(話し込んでる……ってところか)

 

 イツキは引き戸に手を掛け、軽く息を整えた。

 

 戸を開けると、控えめな鈴の音が短く鳴る。店内は彼が想像していたよりも大分簡素である。

 

 厨房の方へ目を向けてみると、鍋は片付けられ、まな板も伏せられている。どうやら、仕込みをしていた訳ではなさそうだ。

 

 その一角で、向かい合う人影が二つ。

 

「──だから、今日は店を開けるのは厳しいと思う」

 

 先に落ち着いた女性の声が聞こえた。背を伸ばして腰掛けているのは、夢見月瑞希。穏やかな表情だが、どこか真剣な色を帯びている。

 

「ま……そうなるか。流石に、あれじゃあなぁ」

 

 腕を組んで唸るように応じたのは、大将らしき男だ。壮年の年頃で、体格はがっしりとしている。彼は白衣の袖をまくり上げたまま、眉間に皺を寄せていた。

 会話の途中であることは明らかだったが、二人ともイツキの存在にはすぐ気付いたらしい。

 

「おや」

 

 瑞希がこちらを振り向き、わずかに目を細める。

 

「ようやく来たみたいだね。えっと……そういえばあたし、キミの名前を聞いてなかったかも」

 

「……あ、どうもイツキっす。よろしく」

 

「キミはもう知ってると思うけど、一応……あたしは夢見月瑞希、よろしくね」

 

「あ〜、邪魔しちゃったか?」

 

「大丈夫、ちょうど区切りのいい所までは話せたから」

 

 大将もイツキへ視線を向け、小さく頷く。

 

「話は瑞希の嬢ちゃんから聞いている。朝早くに悪いな」

 

「あ、いえ」

 

 その口ぶりからして、すでに事情の大枠は共有されているのだろう。  

 

「イツキさんには悪いけど、今は"ある問題"のせいで……大豆の件を後回しにすることになるかもしれないんだ」

 

「……問題?」

 

 瑞希は一度、大将の方へ視線を投げてから、イツキに向き直った。

 

「……簡単に説明するね。今朝、大将が仕込みを始めようとしたら、店にある食材が……まあ、ひどい有様になってたみたいで」

 

 言葉を選ぶように一拍置いてから、続ける。

 

「全部、変化の術を掛けられてたんだよ」

 

「変化の……術?」

 

「うん。見た目だけが別のものに変わる、あの手の」

 

 イツキは思わず厨房の方へ視線を向けた。火は落ち、調理台も片付けられている。だが、それは“ただ準備をしていない”という意味ではなかったらしい。

 

「たとえば──」

 

 瑞希が視線で示すと、大将が無言で立ち上がり、棚の一角から一つの籠を持ってきた。中に入っているのは、見た目だけなら立派なジャガイモだった。

 

「こいつだ」

 

『……ただのジャガイモね』

 

(……ジャガイモだな)

 

 大将は一つ手に取り、包丁で躊躇なく半分に割る。中身も何の変哲もないジャガイモのようだ。

 

「ちょっと食ってみろ……コレがなんなのかは確かめた後だから問題ない」

 

「……どゆこと?」

 

『あら? ……イツキ、ソレは』

 

 何やら眞が反応しているが、気に留めることはなく大将に言われた通りジャガイモを食べてみる。するとイツキは、ようやく合点がいった様子で表情を驚かせた。

 

「……え、こわ。なにこれ豆腐じゃん」

 

「そうだ。実際に食ってみて分かったが……体内では変化が解けるのか、味も、性質も変わらないらしい」

 

 大将は低い声で言う。

 

「これがただの幻術であれば、豆腐は豆腐として扱えるはずだ。おそらくは煮ても、焼いても、揚げてもな。だが──」

 

 包丁の先で、見た目がジャガイモのままの断面を軽く叩く大将。

 

「……味は問題ないんだよ」

 

 瑞希はそうため息を吐きながら、肩を落とす。

 

「でもね、見た目がこれじゃあ……説明しようがないでしょ? 冗談だと思われるか、下手をすれば信用問題」

 

 ──なるほど、とイツキは内心で唸った。

 

 料理としては成立する。 だが当たり前に、店として成立させるには困難を極める。

 

「魚も、肉も、野菜も、油も……全部だ」

 

 大将は再び腰を下ろし、深く息を吐いた。

 

『どうやら、妖狸一族による変化の術……のようね』

 

(……え、眞パイセン。そんな具体的に分かっちゃうんだ)

 

『妖狸の術は……稲妻では特に馴染み深い部類ではあるし、影の友人に大狸の妖怪が居たから』

 

(友人? ……隠神保生司正の事か。たしか雷電将軍の鳴草を盗もうとして捕まって……最終的に将軍に従える事になったとかいうあの)

 

『ええ……よく知っているわね』

 

(あ〜……まあな)

 

「見た目が違うだけで、扱い自体は間違っちゃいない。だが、烏有亭は人や妖怪に関わらず客を取るという点を除けば"普通の飯屋"だ。奇を衒った料理を出す店じゃない」

 

「だから、今日は営業を諦めるしかない……って話になってたんだ。術を解かない限り、どうやっても客に出せる形にならないから」

 

 店内に短い沈黙が落ちる。

 

「……術を解ける人物と言ったらな」

 

 顎に手を当て、少し考える素振りを見せてから、ぼそりと呟く。

 

「神子の嬢ちゃん……いや、今は──八重宮司、だったな」

 

 瑞希がわずかに眉を寄せた。

 

「そりゃ、神子なら解けると思うけど……」

 

 そして言い淀むように視線を逸らす。

 

「けど、なんだ?」

 

「その……宮司としての仕事で忙しい時期に、こういう……本来なら神子じゃなくてもいい依頼、受けてくれるかなって」

 

「そこなんだよなぁ……」

 

 乱雑に自身の頭を掻く大将。

 

 イツキは二人のやり取りを聞きながら胸の奥で、線が静かに形を取り始めているのを感じていた。

 

 大将が腕を組んだまま、低く唸る。

 

「ん、そういや……鳴神大社に送った大豆っつーのは」

 

 視線を天井へ向け、記憶を手繰るように続けた。

 

「量が尋常じゃなかったはずだ。豆腐屋ならともかく、神社で使い切れる量じゃない」

 

「うん、そうだね」

 

 瑞希は頷きながら、イツキへと笑顔を向ける。よく見ると、彼女の目は笑っていない。

 

「は、はは……」

 

 それに思わず苦笑いを浮かべるイツキ。

 

「神社で使う食材って、基本は神饌用だしね。豆腐ならまだしも、“大豆そのもの”を大量に……っていうのは用途がない」

 

「だろうな。だから向こうは、遅かれ早かれ返品する」

 

「ん……でも、それって」

 

 疑問を挟もうとするイツキに大将が視線を移す。

 

「もし、その大豆にも変化の術が掛かってたらどうなるんです? 処分とかされるんすかね?」

 

「いや──その場合でも、だ」

 

 と、即答する大将。

 

「しかしだな……鳴神大社の連中が、そのまま送り返すとは思えん」

 

「鳴神大社の巫女には、術の気配を感じ取れる人が何人もいる。見た目がどうであれ、異常があれば必ず確認するよ」

 

「──術の痕跡を感じりゃ、勝手に解く」

 

 大将が瑞希の補足に満足した様子で頷き、淡々とそう言った。

 

「それが仕事だからな」

 

(それってつまり──)

 

『──つまり、届いた時点で掛かっていようがいまいが……返品される頃には必ず“解術済み”の大豆になるということね』

 

 イツキの頭の中で言葉を繋げる元草神。

 

(……なるほどな)

 

「術が掛かってない可能性も高い。仮に掛かってても、戻ってくる頃には解けている。まぁ、受け取りが遅れれば、術を掛けられちまうかもしれないな。だからこそ……取りに行く価値がある」

 

 大将の決断に対して、イツキはただ──絶対に取りに行きたくない……と内心で繰り返す。

 

「俺が直接、鳴神大社へ行く。確認して、返品予定ならその場で受け取ってくる」

 

 その言葉を聞いて、密かに安堵しまくっているイツキ。

 

 瑞希は一瞬だけ視線を伏せ、すぐに苦笑した。

 

「正直、今の状況でそれ以上確実な手はないね」

 

「戻ってきたら、大豆を一気に仕込んで揚げ地にする。でもって、大量に作った油揚げを献上する代わりに変化の術を解いて貰う」

 

 大将はイツキの肩を叩くと、視線を誘導するように調理台の隅を指差す。

 

「その前にだ。今ある、少量の豆腐で練習しておいてくれ。……まぁ見た目がジャガイモのもんもあるが」

 

「……え、練習?」

 

「いくつかの調理器具や調味料には変化の術が掛かっていないみたいだからな。嫌がらせ目的だとは思うが……変な所で手を抜いてやがる」

 

 肩をすくめる大将を遠い目で見つめるイツキ。

 

「あの〜俺……八重宮司が満足できるような油揚げを作れる気がしないんですけど」

 

 するとハッハッハと笑声を上げながら、強めにイツキの背中を叩く大将。常人であれば大きな手形の跡ができていただろうが、イツキは常人では無い為セーフである。

 

 ──ふと紙切れが、調理台に置かれる。

 

「一応レシピだ。参考程度でいい。普通の揚げ地は見ての通り数が少ない。いきなりこれを使う前にジャガイモ豆腐を使えば、まぁ……感覚を掴む練習程度にはなるだろう」

 

 ──ジャガイモ豆腐じゃあまともな油揚げにはならんと思うがな! と言い残しながら店の外へと出ていく大将。

 

 イツキは紙切れを手に取り、油鍋へと視線を落とした。

 

 "大豆を豆腐にして送り直せばいいや"などという夢想を抱いていたイツキの頭は、胸中でじわじわと形作られていたものが現実的な線として繋がりきった瞬間、突如として殴りつけられた。それは"油揚げ"などという、たかが食材によって──この店と鳴神大社を繋げる線。

 

(……この時期に妖狸一族による変化の術、か)

 

 口には出さない、だが──まずいなぁ……と、一つの物語が脳裏に浮かぶ。

 

 

 狐斎宮が現れないことに違和感を持った五百蔵が、鳴神島を荒し回るのはこの時期だ。かの妖狸は惟神晴之介に石の中へと封印されるまで、島中のあらゆるモノに悪戯を仕掛ける。最終的に、厄災から遠ざけるために狐斎宮が嘘をついた事を知らない五百蔵は狐像を壊し回り、神櫻大祓に使う櫛を盗んで罰を受ける事になるのだが──、

 

 

 ──この線はまるで、避けられない運命かの如く。

 

 現状、最も会いたくない人物への道筋に他ならなかった。

 

 

 

 

 大将が店を出てから、烏有亭の中は一気に静かになる。

 

 残されたのは、イツキと瑞希、そして調理台の上に置かれるジャガイモ豆腐を含めた豆腐達と油鍋。

 

「じゃ、あたしは帳場の方で出来ることやってるね」

 

 そう言い残して瑞希が離れると、イツキは一人、調理場に立った。

 

『本当に帳場へと向かったみたいね。彼女の気配が遠のいて行くわ』

 

(……こっそり覗かれたりするのかと思ったけど。流石にか)

 

 改めて、紙切れに目を落とす。

 

 ──油を十分に温め、揚げ地を入れ、様子を見ながら火を調整すること。

 

「……様子って具体的にはなんだよ」

 

 思わず声が漏れるイツキ。

 

『かなり大雑把な説明ね……』

 

 分量も、温度も、時間も書いていない。

 

『……十分、様子、頃合い。はぁ……これでは、レシピの意味を成してないわ』

 

 料理経験者同士なら通じるのだろうが、今のイツキには抽象的すぎる。

 

(感覚派の説明をされてもムリっす……)

 

 とはいえ、やるしかない為──イツキは無言で鍋に油を注ぎ、火を入れた。

 じわり、と油が温まっていく気配はある。

 

「……まあ、こんなもんか」

 

 十分に火が入った鍋を見つめるイツキ。深く考えても仕方がない。イツキは揚げ地──まずは中身が豆腐だと分かっている“ジャガイモ”を、慎重に油へ入れた。

 

「ウン、外面がジャガイモのままだから……油から出す目安が全く分からん!!」

 

 勘で揚げ地を引き上げてみるが、見た目が変わらない為──実際に味を確かめてみなければ成功したかどうかの判断ができない。

 

(こんなの練習になるわけがないだろっ! ジャガイモ豆腐を使ったところで、何の感覚も掴めねぇんだもん!)

 

『どうやら、見た目しか変わらないこれは──見た目による影響を受けるようね』

 

 脳内で元草神が呟く。

 

『元素視覚で確認してみたけれど……そもそも火の入り方が、このジャガイモの形に沿っているみたい。ジャガイモ豆腐は文字通りジャガイモ型の豆腐となってしまっているわ』

 

(……というと?)

 

『普通の揚げ地に火を入れる感覚でやっても、結果が全く違うものになる……つまり、ただの幻術とは違うから──レシピ通りにやった所で意味がないということよ』

 

(なん……だと)

 

 眼前に並ぶ大量のジャガイモ豆腐が全てゴミと化した瞬間であった。

 

「……じゃあもう、普通の豆腐を使うしかないじゃん」

 

 イツキは小さく息を吐き、変化の術が掛かっていない揚げ地を一つ手に取った。

 

「こんな少量で……練習にならんやろ」

 

 手元の揚げ地を含めても計三つ。この内のどれかが成功したとしても、成功体験が少なすぎる。このままでは──鳴神大社の宮司様に献上する油揚げの練習、というには不十分な回数しか挑戦ができない。

 

「……はぁ〜」

 

 止まらないため息の中、揚げ地を鍋へと入れる為、まな板上の揚げ地を掴む。と、その時──

 

 

 

 

「──油を沸点の八割ほどまで加熱し、豆腐は鍋肌に沿わせて入れる

 

 

 

 

 何やら背後から聞こえてきた気怠げで楽しげな声に、イツキの肩がびくりと跳ねた。

 

 ──この声には覚えがある……と、声に意識を向けていたイツキ。

 

 そしてふと、周囲に見える揚げ地の数(・・・・・)が増えた事に気付く。

 

(……え?)

 

『……これは』

 

 どうやら、大量にあったはずのジャガイモ豆腐が──全て普通の揚げ地へと戻っているようだ。

 

「強火は禁物。入れたら弱火に落とし、黄金色になるまで揚げた後……」

 

 声は続く、すぐ後ろから。

 

「頃合いを見て油から上げれば……」

 

 一拍。

 

「──熱々の油揚げの完成じゃ」

 

 イツキは現実を受け止めたくないのか、その場で固まったまま動けなかった。

 

「ほれ、作り方は教えてやったぞ?」

 

 愉悦を含んだ声音で、そう締めくくられる。

 

「何を呆けておる?」

 

 ──終わった。

 

 この声を彼は知っている。

 

 油鍋の前で振り返る事ができないままにイツキは──まだ見えぬ“狐”の存在をはっきりと感じ取っていた。

 

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