蒼の瞳と無限の世界   作:天上金

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 運命の夜から一夜明けて、昨晩の雨が嘘だったかのように空には澄み渡る様な青が広がっていた。

 

「サーヴァントに、聖杯戦争か……」

 

 包丁を手際よく動かして白菜を切りながら、菅原司はポツリと呟いた。

 昨晩拾った女性。キャスターと名乗った彼女から聞いた話は、まるで御伽噺の様で少々現実味に掛けるようなモノだった。

 もっとも、司自身は自分の事を異端だと考えている節があり、割とすんなり飲み込めていたのだが。

 切った白菜を煮立った鍋へと落し、それから幾つかの野菜を加えて蓋を微妙にずらして被せ火を小さくする。

 祖母から仕込まれた家事の腕は、少なくとも一人暮らしに苦労しない程度のもの。食へのこだわりも特に無い司は、自分好みの味の出し方だけ身に付けて今日に至る。

 一汁三菜、とはいかないが。ご飯に味噌汁。主菜として目玉焼きとソーセージを焼き、付け合わせとしてサラダを用意。

 最低限の栄養バランスと、男子高校生としての腹持ちを考慮したメニューだ。

 ()()()()()()用意した。

 食堂兼台所である部屋を出て、向かったのは母屋東側にある客間。

 寒い廊下の木目を軋ませて、辿り着いた襖の縁を三度叩く。

 

「キャスター、起きてる?」

「…………何か用事かしら」

 

 襖越しの会話。

 

「朝ご飯が出来たから、呼びに来たのさ」

「……夜にも説明したけど、サーヴァントに食事は必要ないわよ」

「うん、聞いてる。でも、食べられない訳じゃないだろ?」

 

 あっけらかんと、司はそう言う。対して、襖越しには少しの間を挟んでからため息が一つ。

 そして、襖が開かれた。

 

「物好きな人ね。得体の知れない私に信頼かしら?それとも、女だから勝てると考えてるの?」

「そういう訳じゃないんだけど……まあ、昨日の今日でキャスターに俺を裏切るメリットが無いでしょ」

「分からないわよ?裏切りの魔女に信頼を向けるのがどれほど愚かな事か――――」

「愚かだろうと何だろうと、俺には関係ないね」

 

 言い募ろうとするキャスターに踵を返して、司は台所へと足を向ける。

 無防備な背中だ。それこそ、女の身であるキャスターでも一突きに出来そうなほどに。

 だからこそ、測りかねてもいた。

 

(魔眼でもない、特殊な瞳。でも、それだけじゃない。細く見えても鍛えているようだし、魔力……に近い膨大な力。私相手の魔力供給も問題なく、それこそ私がフルで魔術を行使し続けても問題ないほど)

 

 司の三歩後をついて歩きながら、キャスターはその怜悧な脳を回す。

 魔術師の戦闘は、戦士のそれらとは違って見た目だけで全てを判ずる事は出来ない。それこそ、細身の手弱女かと思えば成人男性を軽々とねじ伏せるゴリラである可能性もあるのだから。

 警戒は、拭えない。それこそ、マスターとサーヴァントの関係であろうとも。

 

 同行者の内心など知る由もなく、司は台所へと辿り着くと食卓の椅子の一つをキャスターへと薦めて、彼女の分のご飯と味噌汁を注ぎ、自身の分も用意してから対面の席へと腰を落ち着けた。

 

「一応、ナイフとフォーク、それからスプーンも用意したから」

「マスターは、どう食べるのかしら」

「ん?そりゃあ、箸だよ。ほら、コレね」

 

 言って、司はキャスターの前で右手に持った箸の先端をカチカチと合わせてみせる。

 ジッとその手元を見つめてから、徐にキャスターは箸立てに立てられた箸へと手を伸ばした。

 手に取ったのは、複数あった黒塗りのシンプルなもの。

 司の手元を再度確認してから、真似るようにして持ち、そしてその先端を合わせてみせる。

 

「どうかしら?」

「驚いた。器用じゃん、キャスター」

「相手の魔術を見て盗む事も、魔術師には必要なのよ」

「ふーん……それじゃあ、いただきます」

 

 手を合わせて食べ始める司。彼に倣って、キャスターもまた手を合わせて少し苦労しながら箸で朝食へと口をつけた。

 静かな時間だ。食器の当たる音、咀嚼する音、蛇口に残った水滴が流しへと落ちる音。

 会話らしい会話も無く、十五分ほど経っただろうか。

 

「ごちそうさまでした」

 

 綺麗さっぱり米粒の一つも残す事無く食べ終えた司が手を合わせる。

 キャスターは、もう少しかかる事だろう。司は自身の食器を纏めて立ち上がると、流し台へ。

 手際よく食器を洗い、水切りかごに納めていく。こうしておけば、帰ってきた辺りでカラリと乾いている。

 

「マスター」

「ん、食べ終わった?」

「ええ…………その、美味しかったわ」

「それは、お粗末さまで」

 

 食器を持ってきたキャスターから一式を受け取り、こちらも手際よく洗っていく。

 数年ぶりの二人分の食器が、水切り籠に並べられた。

 ちょっと感慨深くなりながら、手を拭いた司はそのままポットに水を注ぐとコンロにソレをかけ火をつけた。

 用意するのは、マグカップを二つ。それから、砂糖とミルク、ドリッパーと紙フィルターにドリップコーヒーの準備をする。

 

「キャスターは、コーヒー飲める?」

「………貰えるのなら、いただきましょうか」

「それじゃあ、砂糖とミルクはお好みで」

 

 手慣れた様子で準備を進める司。数分後には、二杯のコーヒーが出来上がりキャスターの前に一つが置かれた。

 再び椅子へと座り直して、司は一つ息を吐き出した。

 

「ふぅ……さて、俺は登校するまではまだ時間があるから少し話をしようか」

「何か聞きたいの?」

「それじゃ、お互い様でしょ。俺も君に聞きたい事があるけど、君もまた俺に聞きたい事がある。でしょ?」

「そうね……」

「ただ、昨日の夜に君に俺の方から色々と聞かせてもらったから、今日は君の質問に俺が答えようか」

 

 そう言ってから、ブラックのままコーヒーを啜る司。

 彼に倣ってカップに口をつけたキャスターは、その苦みに少し眉を寄せてから砂糖を一匙入れた。

 スプーンとカップが擦れ合う音。

 

「………なら、遠慮なく聞かせてもらうわ」

「どうぞ」

「聞きたいのは、貴方のその眼についてよ。私をサーヴァントとして看破した事もそうだけど、魔眼とはまた違うものよね?」

「俺の眼、ね。まあ、妥当な質問かな」

 

 カップを置いて、司は背もたれに体を預ける。

 

「俺の眼は、六眼って言ってね。呪力、キャスターのいう魔力に近いのかな?とにかく、そう言う力や術式を視認して理解できる。要は、そういう力限定のサーモグラフィーみたいなもんかな。あ、サーモグラフィーは分かる?」

「聖杯からの知識があるもの。それじゃあ、マスターから見ると私はどう映っているの?」

「膨大な魔力が人型に固まってる感じ、かな?人としても見えるけど、同時にそういう力の塊でもある、みたいな。因みに、オンオフは出来ない。代わりに、サングラスをつけたりして視覚情報を削る事で、疲労がたまるのをある程度抑制してる感じだよ」

「そう………それじゃあ、マスターのその力はどう使えるの?」

「コレは、見せた方が早いかな」

 

 言って、司は徐にティースプーンを一本手に取り、自身のコーヒーを一掬い。

 そのコーヒーを掬ったスプーンをテーブルの上に掌を天井へと向けるようにして広げた左手の上まで持ってくると唐突に手を離した。

 当然、スプーンは左手へと向かって落ちる。掬われたコーヒーも同じくだ。

 だが、

 

「これは……」

 

 その光景に、キャスターは目を細めた。

 スプーンは、落ちていない。左手の平から数センチ離れて宙に浮かび、掬ったコーヒーも不定形の水泡となってスプーンに寄り添うように浮かんでいる。

 

「と、まあこんな感じだね。浮かせてる、というよりは永遠に落ち続けている方が正しい」

「落ち続けている?」

「俺の術式は、無限を具現化させる。つまり、掌とスプーンの間には目算で数センチって所だけど、その数センチに途方もない距離が詰め込まれているようなもんさ」

 

 そう言ってから、右手でスプーンを回収し、浮かんだコーヒーを掬い取ってから口に含んだ司。

 それから、左手をキャスターへと見せるように持ち上げる。

 

「ハイタッチ、しよっか」

「…………」

 

 言われるがままに手を伸ばすキャスター。

 互いの手が触れる、という所で唐突にその動きは止まった。

 

「…………成程。限りなく進んでいるけど、同時に限りなく離れてもいるのね」

「理解が早くて何より。で、さっきの六眼の説明に戻るんだけど、この目は呪力の効率的な操作を可能にするんだ。だから、自己回復量と出力量が一定値ならガス欠することなく呪術を使い続ける事も出来るって訳」

「貴方、神代に居ても活躍できたんじゃないかしら」

 

 破格だ。魔術に精通し、魔法にも届きうるであろうキャスターからしても自身のマスターとなった少年の有する力は異常であると評せる。

 同時に、解せない事もあったが。

 

「貴方は、その力で何かを成そうとは思わないの?」

「何を?」

「欲望は誰にでもあるでしょう?金銭、権力、その力をそのまま振り回すだけでも周囲は貴方に跪くんじゃないかしら?」

 

 キャスターの指摘に、司は視線を虚空へと投げ出した。

 可能か不可能かと問われれば、可能だろう。

 だが、

 

「そんな事に意味は無いと、俺は思うよ」

 

 興味は惹かれない。

 

「お金に関しても、少なくとも大学生活を七年やってもお釣りがくるような財産を残してもらってる。そうでなくても、一人で生きていく分には不都合はないし。じゃあ、それ以上に権力や財宝が欲しいかって聞かれたら、返事はNOだ」

 

 一般人的感性と両親や祖母が教えてくれた、善性。

 異常と異能を有そうとも、結局のところ本人の人間性が真面よりであるから一線を越える事が無い。

 であるならば、

 

「それじゃあ……マスターは何を聖杯に願うの?」

「特に何も?」

「…………」

「そう難しい顔しなくてもいいでしょ。そりゃあ、何でもありなら父さんたちにもう一度会いたい、とかかな」

「一度で良いの?死者の蘇生も………可能かもしれないわよ?」

「生き返ったとして、ソレは本当に父さん達なのか」

 

 少し温くなったコーヒーを飲み干して、司は目を細める。

 

「哲学の思考実験にスワンプマンって話がある。ある男が、沼の近くで落雷に打たれて死んだ。時を同じくして雷が沼にも落ちて、何が起きたのか沼から今まさに死んだ男と全く同じ同質形状の生成物を生み出した。さて、この生み出された男と死んだ男は全くの同一人物であると言えるのだろうか」

 

 淡々と語られたその話。そして、この問いの答えこそが司の考えでもある。

 

「………貴方にとって、蘇った肉親はそのスワンプマンと同じという事ね」

「そうなる。スワンプマンは記憶も有してるけど、肝心の中身である歴史が無い。その点から、記憶じゃなく記録を持ってるようなものだと俺は考える。結局、父さん達が蘇ったとしても、そこにあるのは父さん達の形をした別の何かなのさ」

 

 そう言葉を締めくくり、司は椅子から立ち上がる。

 カップを片手に流し台へと向かう背中に、キャスターもまた自身のコーヒーに口をつけた。

 言いたい事は分かる。理解も出来る。

 だからこそ、最後に問わねばならない。

 

「………なぜ、協力してくれるのかしら」

 

 聖杯への願いも無く、大成しようとする野心も無い。

 問いに対して、蛇口を閉めカップを水切り籠に置いて濡れた手をタオルで拭い、司は振り返った。

 

「夜に言った通りさ。乗り掛かった舟で、助けた手前放り出すのは寝覚めが悪い。自衛は出来るし、結局巻き込まれる可能性があるのなら、縁がある時に済ませた方が良いしね」

 

 特に気負う事も無く、司はそう言い切った。

 結局のところ、司の気持ちの問題なのだ。

 なまじ、生まれつき強大な力を有する事になった彼は危機感が薄い。国家規模の軍隊ですら彼の危機感を煽れないのだから当然と言えば、当然なのだが。

 故に、その行動を左右するのは彼自身の気持ち。

 

「俺は、やりたいようにやるだけさ」

 

 それだけ言って、彼は台所を後にする。

 背を見送り、キャスターは憂い気味にため息を一つ。

 

「やりたい事、ね………」

 

 彼女はまだ、明日を見出せずにいた。

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