蒼の瞳と無限の世界 作:天上金
聖杯戦争に参加するマスターは、その手の甲に参加権でもある令呪を宿す。
この令呪は、サーヴァントに対する絶対的命令権を有し、魔術に対する抵抗力が高いサーヴァントであろうとも三画中二画も使えば命令を聞かせる事が可能だ。
ただ、所謂普通の日常生活を送る一般人がマスターになった場合、少々別の悪い面があったりする。
「うわっ、どうしたんだよ菅原。その右手」
「あ、これ?ちょっと火傷してさ」
参ったよ、と司はクラスメイトへ曖昧な笑みを浮かべた。
キャスターとの契約を機に、右手の甲に浮かび上がった割り梅鉢紋の令呪。
一つ補足をすると、元々菅原司という少年には、聖杯戦争に参加するマスターとしての資格があった。令呪発現の気配が無かったのは、彼の持つ膨大な呪力と術式による所が大きい。
呪力≒魔力。司は六眼でどちらも視認し、行使されるそれら術式を看破する事が可能だが、生粋の魔術師からすればこの差は大きい。
この近いが遠い関係性から、令呪が発現する事は無かった。
その関係が崩れたのは自分の意思でサーヴァントと契約を結ぶと決めた点から。これによって、呪力に押さえられていたマスター適性が表出。その証として、令呪が浮かび上がった。
司として困ったのは、その令呪が他人にも見えてしまう事。
優等生とは言わないが、それでもその特異な見た目から人目を集めてしまう自覚がある彼としてやっかみを増やしたくない。刺青を入れているなど言われてしまえば、更に面倒を呼ぶだろう。
適当に友人たちへと言葉を返しながら、司は教室内をサラッと流し見る。
(異常なし)
彼が気にするのは、聖杯戦争に参加する他のマスターとサーヴァント。
司のスタンスは、
だが、襲い掛からないからといって
(気になる相手は、
六眼によってサーヴァントと人間を見分け、魔術師と一般人を見分ける事も出来る司。
そんな彼の目に映る生徒たちの中で気になる相手が三人ほど学校には居た。何れも交流は無いのだが、そこは特別重要視する部分ではない。
(令呪の確認は、右手を見ればいっか。幾ら隠ぺいしても、魔力が集まっていれば分かるし)
マスターとしての権利である令呪の有無。そして、もし仮に敵対する事になれば司は、この令呪を狙う事にしていた。
令呪を奪う方法は幾つかある。もっとも簡単で、そして残酷なのは令呪の宿った手を切り落とす場合だろう。
そもそも、令呪自体がマスターの魔術回路に根付いている。
育った草を土壌から引き抜くように、令呪を魔術回路から無理に引き剥がせば剥ぎ取られる側は途方もない苦痛を覚える事だろう。
だが、司の契約したサーヴァントはキャスターだ。神代の魔術師であり、こと魔力に関する事ならば彼女の右に出るものは僅か。
ぶっちゃけ、キャスター陣営は聖杯戦争で真っ向勝負をする気が無い。しかし同時に、勝ち抜くための手段には一切の遊びも無い。
教室に担任教諭がやって来る。
聖杯戦争が始まろうとも、表の日常は変わらない。
*
時は流れて、夜。月の輝く明るい夜だ。
上下黒の装いで、右手の包帯を外した司は、一人夜の街を歩き回っていた。
何をしているのかと問われれば――――釣りである。
『マスター、無理はしないで頂戴』
「はいはい、分かってるよ」
彼の右肩の上には、小鳥型の使い魔が一羽乗っていた。
キャスター手製の使い魔であり、傍から見れば実にメルヘン。その能力は五感の内、視界と聴覚の共有と言葉のやり取り。
本来ならば、マスター単体での行動は推奨されない。かといって、キャスターが付いてきたとしてもサーヴァント戦そのものでいったいどれほど役に立つだろうか。
という訳で、お留守番。正確には、司の
「…………」
二つの特色ある“新都”と“深山町”に分かれた冬木市。
前者の街中に溶け込んでいた司は、不意に顔を上げると近くの路地へとその体を滑り込ませていく。
饐えたニオイが鼻につき、日陰で蒸発しなかった水たまりが足元の状況を最悪へと変える。
コンクリートの壁面によって音が吸収され、町の喧騒は遠くなる。
『どうしたの?』
「んー、そろそろ釣れないかと思ってね。狙いやすいように、人が居る所から離れようかなっと」
キャスターの問いに答えながら、司は軽い動作で地を蹴った。
瞬間、彼の身体は
「良い空だね」
『……本当に、危機感が無いわね』
「無い事は無いよ?」
『いいえ、無いわ。やっぱり、直ぐに戻って来てちょうだい。神殿も直ぐに製作するから』
「無理しなくて良いんだけどねぇ」
コツコツコツコツ、と屋上や屋根の上を跳んで渡りながら司は星の下を歩き回る。
気配はない。音もない。ニオイもない。
しかし、
「出ておいでよ」
ポケットに手を突っ込んだ状態で、司はビルの屋上で立ち止まった。
『マスター?』
「敵かな。サーヴァントか、魔術師か………多分、前者だと思うけど」
『ッ……逃げなさい。戦ってはダメよ……!』
「そうも言ってられないみたいだ」
彼の前に現れる、黒衣の何者か。
「随分と、奇怪な眼よ」
真っ白な髑髏の仮面に、全身を覆う漆黒の布。
そして、司の眼は目の前の存在を人間ではない、と主張していた。
「いやー、まさか本当に釣れるとは思わなかったよ。それも、こんなにも早く」
『良いから、早く逃げなさい!』
「大丈夫だって」
言って、司は右手の人差し指と中指を立てた状態、所謂刀印を組んだ。
直後、彼の眼前に複数本の黒塗りの刀剣が投擲。
「危ないなぁ。もしも当たったら、一コロだったよ」
「………何者だ、貴様は」
「俺が何者なのかどうか。それは、君にとってそこまで重要な事かな?」
緩く笑った司。その宝玉の様な瞳が、月光の下で怪しく輝きを帯び始めていた。
「君に取れる選択肢は二つあるよ。一つは、君のマスターを裏切って俺をそこまで案内する事。俺も手間がかからないし、君も楽。一番のお勧めかな」
返答は、再び投擲された短剣。
「二つ目は、今ここで俺に手足を引き千切られた上で達磨にされてマスターの居所を吐く事。居所さえ吐いてくれれば、その後は楽に消してあげる」
やはり返答は、短剣。
「さあ、選んでくれないかな」
左手でピースサインをして突き出した司。
その舐め腐ったような態度に、アサシンのサーヴァントは血の気が頭へと昇るのを感じていた。
仮面の下で睨みつけながら、腹の底から沸々と沸き立ってくる感情がその言葉にも乗って口から吐き出される。
「頭に乗るなよ、小童が…………!如何なる術かも知れぬが、我が技の前に消え失せるが良い…………!」
言うなり、アサシンの身体は夜闇に解けるようにして消える。
高ランクの気配遮断のスキルは、目の前に存在したとしても並大抵のものでは気付く事も出来ない。
デメリットとしては、攻撃に移る瞬間にそのランクが一気に落ちるというものがあるが、裏を返せば攻撃さえ仕掛けなければまず気づかれないという事。
ただ、アサシンの不幸は彼がサーヴァントという神秘の塊の様な存在であるという事。そして、その体の構成要素が魔力であるという点。
「ソレ、意味ないよ。俺にはよぉく、見えてるからさ」
「見えるからどうした。貴様程度の首、容易く刈り取れるのだぞ?」
虚空から響く声。対して、司は口元を歪める。
「……ぷっ、あっははは!何?まさか、こんな曲芸で俺を殺せると思ってる訳?」
勢いを失い屋上に落ちた短剣の内、その一本を司は軽く蹴り飛ばす。
「君さぁ、サーヴァントで、そして俺を狙って来たんだ。つまり、君とそのマスターは“敵”って事。俺の敵、俺達の敵」
語りながらピースサインを解いた左手で、司は前髪を大きく掻き上げる。
そして、その瞳は虚空に溶け込んで身を隠していたアサシンを正確に捉えてもいた。
「さっきの選択肢、止めにしようか。よくよく考えれば、魔術師を探すのはそこまで難しい物じゃないからさ」
アサシンを見つめながら、司は右手を顔の高さまで持ち上げる。
組まれるのは帝釈天の掌印。
「領域展開――――“無量空処”」
瞬間、屋上を包み込むようにして彼ら二人の世界は一変する。
どこまでも続くような、何も無い様な、しかし全てがある様な。永遠に広がる様にも、逆に縮小していくようにも思えるような。
果てしなく、しかし限りあり。そんな矛盾。
(なっ――――)
飲み込まれたアサシンの思考は大瀑布の様な情報量の荒波の前に呑まれて消えた。
その空間の中で、司はアサシンの前に立つ。
「全てを理解できるのに、何も分からないだろう?それで良いよ。君には一切の苦痛なく終わらせてあげるからさ」
言うなり、左手がアサシンの頭へ飛ばされて黒い布の上から頭部を鷲掴みにされる。
司の左手に呪力が走り、力が籠められその手は上に。
当然ながら、掴まれたアサシンの頭部も上に引っ張られる。
皮膚が、筋肉が、骨が、神経が、引っ張られる動きに反発してミシミシと軋みを上げ、しかしそれ以上の抵抗も出来ない。
アサシンの頭部が胴体より引き千切られる。脊柱も一本抜きだ。
同時に、その心臓部へと向けて司の右貫手が突き刺さり、貫いていた。
サーヴァントの身体の構成は、基本魔力だ。そして、その中心となるのは霊核と呼ばれる文字通りの核。
心臓や脳などの臓器とはまた違う。この為、心臓を破壊されたとしても死なないサーヴァントも居る。
この霊核を破壊できるのであれば、ソレはサーヴァントにとっての即死判定。
屋上を包む結界が消え、アサシンの亡骸が光の粒子となって消えていく。
司の眼は、霊核を見抜くぐらいは可能。要は、一番強く魔力の集まっている部分を破壊すれば良いだけなのだから。
消えていくアサシンを見送って、司は口を開いた。
「どうかな、キャスター。君のマスターは、中々強いでしょ」
『…………聞きたい事が増えただけよ』
「それじゃあ、その質問に答える前に探し物をしてほしいな」
『何かしら』
「アサシンのマスターを探そう。多分、一般人に紛れる為に隠蔽を施している筈なんだ。キャスターの使い魔でその所在地を見つけてほしい。見つかったら、その座標を俺に伝えて」
『………ハァ…………ええ、了解よ』
使い魔越しに司の実力を把握したキャスターは、大人しく自身の仕事へと移っていく。
大人しくなった使い魔を指で撫でてから、司は空を見上げた。
「……ふぅーーーー…………」
見上げた月は、チェシャ猫のように嗤う笑みに見えるのだった。