コンゴウが着任してから一ヶ月が経過しています。
春の気温というのはどうしてこう眠気を誘うのだろうか。
そんなことを思いながら、俺は一際高い丘の上にある鉄塔を目指していた。
大きな電波塔と灯台を兼ねたその鉄塔は海の側の丘の上に建てられている。少し下を見下ろせば港と隣接して鎮守府の建物が並んでいるのが見える。
海辺の町で育った俺は潮風の香るこの丘に来るのが休日の楽しみだった。今日も、そんな休日の一つになるはずだった。
◇◇◇
この鉄塔は俺が生まれる前からここに建っているらしい。実に50年以上もこの一体を見守り続けているそうだ。まだ25歳の若輩者である俺の大先輩にあたるわけで、50年の歴史の重みを感じさせる錆だらけの無骨な 鉄柱に、何故か惹かれるものがあった。
そんなお気に入りの場所に、今日はどうやら先客がいるようだ。何故かギリースーツの様に草や葉でカモフラージュされている見慣れた後ろ姿に声をかけた。
「……お前、何やってんだ?」
「……うおっ!?な、なんだ、お前かよ。びっくりしたじゃねぇか」
「俺はお前がそんな格好でここにいることにびっくりだよ」
溜息をつきながらもうつ伏せになっている友人の隣に腰掛けた。
こいつは俺と同じ日に入隊した友人だ。いつも俺を振り回しては上官に叱られている元気の塊みたいなやつ。それが俺から見たこいつの印象だった。
「おい、もう少しお前も伏せてくれよ、バレちまうだろ」
「しらねぇよ、どうせまた女でも探してんだろ?」
困ったことにこいつは呆れる程の女好きなのだ。少しでも綺麗な女性を見かけるとまず間違いなくナンパする。こんな性格じゃなきゃきっとそれなりにモテるだろうに、本当に残念なやつだ。
「いやいや、今回は違うぞ!」
「じゃあストーカーか?残念だ、お前はそこそこいいやつだったよ。ブタ箱の中でも元気でな」
「もっと酷くなってんじゃねぇか!!」
こんな話をしながらも友人の視線は外れていない。ずっと鎮守府へ向けて望遠レンズ付きのカメラを構えている。
「……で、本当のところは何してんだよ」
「お前も知ってんだろ?艦娘だよ」
「艦娘、ね……」
十数年前から海に突然現れた謎の生命体、深海棲艦。
その戦闘力は瞬く間に海上を支配し、人類は海での自由を失った。あらゆる兵器でのダメージを受けず、人類に打つ手はなかった。
だが、それからしばらくして同じく海から別の生命体が発見された。
手のひらに乗れる程に小さな少女達。それを人類は妖精と名付けた。彼女達は不思議な力を持っていた。深海棲艦にダメージを与える兵器を作り出し、それを量産できる技術と、それを使える存在ーーー艦娘を作り出す力があったのだ。
艦娘は第二次世界大戦における海軍の艦艇の魂を宿した少女達だ。見た目は幼い少女から二十代の女性まで様々だが、共通しているのは武器を扱い、妖精を使役して深海棲艦を倒す力があるということだ。
だが、問題もあった。
艦娘は自分達が提督だと認めた人間以外の命令を聞かなかったのだ。そして、提督になれる人間は心が真っ直ぐで正義感を持った所謂清らかな人間でなくてはならなかった。悪人や下心を持った者、裏に関わっている人間には従わず、今の時代で条件に合う人材はそう多くはなかった。
自然と提督の数は少なくなり、艦娘も海の平和を守るためにあちこちの地方に提督と共に配属された。
艦娘はその建造から戦闘方法に至るまで全てが機密事項として扱われている。
そのため、艦娘の姿を見る機会というものは滅多にない。海とは縁遠い陸軍なら尚更だ。
「二ヶ月くらい前に新しい提督がそこの鎮守府に着任しただろ?近くに鎮守府がなかった俺達が艦娘を生で見れるチャンスじゃねぇか」
「まぁ、そうだな」
「しかも艦娘は皆美人だって話だぜ?なら写真でも撮れば自慢できるってもんだ!!」
「盗撮じゃねぇか。バレたら除隊どころじゃないぜ?」
「その方がスリルがあるってもんさ。流石に艦娘とは付き合えないだろうがな」
「だろうな」
彼女達はかつて兵器だった。人間に使われ、人間を殺すために戦い続けた存在だ。そんな彼女達が人間に心を開くのか怪しいものだ。どうも、そのことを考えると、心が波立つ様な、嫌な気分になる。
「まぁ、そんなわけで鎮守府が見渡せるこの場所でシャッターチャンスを狙ってたのさ」
「ふーん、ご苦労なことだな」
「お前なぁ、俺がどれだけ苦労したか―――」
友人がやっと振り返った瞬間、その場に第三者の声が響いた。
「―――誰かいるの?」
「―――やべっ!?」
友人の行動は速かった。声が聞こえた瞬間、そのまま丘を転がるように駆け下り、林の中へと消えて行った。恐るべき早業である。戦場でもあんな機敏な動きができるなら、あいつはきっと大物になるに違いない。
俺はそんな友人を見送り、背後を振り返る。
そこにいたのは一人の少女だった。年齢は二十歳前後だろう。スタイルはよく、長い茶髪をポニーテールにしている。動きやすいジーンズにTシャツ姿で、手には工具箱を持っていた。
「君は誰?こんな所で何してるの?」
少女は首を傾げながら純粋に疑問に思った事を質問しているようだった。
「俺は陸軍の下っ端の兵士さ。休みの日にはいつも此処に海を見に来るんだ。あんたこそ、こんな場所にそんなもの持って何しに来たんだ?」
「へぇ、陸軍の……」
少女は少し目を細めると小さく笑みを浮かべた。
「私はこの子のメンテナンスに来たんだよ」
そう言って鉄塔を優しく撫でる。
工具箱を開き中から様々な工具を取り出すと、専用のベルトやポーチに仕舞い、腰に括り付けた。
「メンテナンス?」
「うん、この子のライト、最近調子悪くてさ……定期的にメンテナンスしてあげてるんだ」
そう言うと、少女は楽々と10mの鉄柱を登って行く。命綱はない。落ちれば命の危険さえあるのに、彼女は表情一つ変えずに楽々と作業をこなしていた。
「慣れてるな、もう何度もやってるのか?」
「まぁね、三週間くらい前から定期的に」
「わざわざ直しに来るってことは……あんた海軍の関係者なのか?」
「そうだよ。一ヶ月前に着任したばかりだけどね」
それから暫く無言で作業を続けた少女は登った時と同じように楽々と下に降りてきた。半分程の高さから飛び降りると着地と同時に両手を上げる。
「うん、10点!!」
「おいおい、5mはあったぞ……」
「平気平気、私は頑丈だからね」
笑いながら彼女は座る俺の隣に立つと、同じ様に海を見つめた。気がつけば、空はもう茜色に染まっていた。
そのまま、お互い無言で海を眺めた。
その沈黙を破ったのは俺だった。
「なぁ、あんた……あの鎮守府に勤めてんだろ?」
「そうだけど、それがどうかした?」
「艦娘には会ったのか?」
何故そんな質問をしたのか、自分でもよくわからない。
もしかしたら、俺も艦娘という存在に興味があったのかもしれない。
少女は何がおかしいのかクスクスと笑っている。
「……何がおかしい」
「いや、君は質問ばかりをするなと思ってね」
「そりゃ悪かったな」
「いやいや、別に構わない。……艦娘なら毎日会って話もしてるよ」
少女は空を見上げながら小さくそう呟いた。
毎日会っている、か……もしかしたら、彼女は相当高い地位にいるのかもしれない。それこそ、提督みたいな……。
「あんた、もしかして提督なのか?」
「ふふ、まさか……違うよ」
「そうか、やけに艦娘に詳しいみたいだからよ、そう思ったんだ」
「何か聞きたいことでも?」
空を見上げていた少女はこちらに視線を向けながら再びクスクスと笑っていた。滅多にない機会だ、気になっていた事は今聞いてしまった方がいいのだろう。再び彼女に会えるかわからないなら尚更だ。
「艦娘は……人間を、恨んでいないか?」
「………」
無言のまま、彼女は笑みを浮かべたままだった。
徐に一歩踏み出してこちらに背を向ける。表情はわからない。そのまま空を見上げていた。
「どうしてそう思う?」
少女がそう言った。
正直、何でそう思ったのか俺にもわからない。きっと俺もまだ答えを探しているんだろうでも、敢えて答えるなら……
「散々戦って、傷ついて、そして……沈んだ。そんな奴らをまた叩き起こして戦わせてるんだ。しかも、今度は彼女達だけを……。」
「……そうだね」
「なら、恨まれても仕方ないと思わないか?」
再び沈黙。
少女はずっと空を見上げている。もう、空はすっかり暗くなっていた。
一体、彼女は何を思って空を見上げているんだろうか。
「恨んでなんかいないよ」
「……なに?」
「艦娘は人間を恨んでなんかいないって言ったんだ」
少女の言葉の真意を尋ねようとした瞬間、視界が明暗した。メンテナンスしたばかりなのに、鉄塔の先に付けられた大型ライトの光が今にも消えそうになっていた。
「あらら、やっぱり歳かな……もうこの子も引退だね」
明暗する視界の中で、少女の姿もまた上手く捉えることができなくなっていた。
俺は荷物の中から懐中電灯を取り出すと、急いで明かりをつけた。少女は耳元に手を当てながら何か話している。おそらく耳に付けた無線機で誰かと会話しているのだろう。
「……うん、うん、了解。こちらの電探にも反応があるし、間違いないみたい。私が迎撃するから、電ちゃんはそのまま敵の殲滅を優先して」
何か指示を出している様だが、詳しくはわからない。ただ、敵の殲滅という単語があったので連絡先の相手は戦闘中なのだろう。
通信を終えたのか、少女はこちらに振り向く。
「君はその場に伏せて、今からちょっと危なくなるから」
「どういうことだ?」
「それは―――ッ!?」
突然こちらに走り出した彼女は勢い良く俺を押し倒した。
「お、おい何を―――」
直後、幾つもの銃弾が俺のいた場所を撃ち抜いた。
いや、正確には俺の後ろにある鉄塔を狙ったのだろう。錆び付いた柱は銃弾を弾くことなくボロボロになってしまった。ぐらりと巨大な影が傾いてくる。
呆然としていた俺の腕を少女が引く。
「倒れるよ、早く立って!!」
「……くそ!!」
立ち上がりすぐにその場を離れる。直後、轟音と共に鉄塔は50年の生涯に幕をおろした。
「おい、今の攻撃は何処からだ!?」
「南の空だね。今は一度離脱したみたいだから、次の攻撃は一分後ってところかな……深海棲艦の艦載機の攻撃だよ」
「なんだと!?」
鎮守府の至近距離に深海棲艦の攻撃がくるなんて話は聞いたことがない。一体何が起きてるんだ!?
「狙いはこの子だったんだよ」
少女が根元から折れてしまった鉄塔を撫でる。
その手つきは子を慈しむ母親の様だった。
「この子を壊せば電波塔としての機能と灯台の明かりが同時に使えなくなって私達が混乱すると思ってるんだ」
少女はまるで敵が見えているかの様に空を睨みつけた。その瞳にはハッキリと怒りが見える。今、彼女は本気で怒っているのだ。
「深海棲艦の中にも知能が高い個体がいるのはわかってた。いつか、こうして設備の破壊をしようとするんじゃないかって予想はしてたんだ」
光が少女を包み、次の瞬間には少女の姿は一変していた。
電探を象ったカチューシャ、白い着物に黒いスカート、何より目を引くのが腰に備え付けられた幾つもの砲塔。一目で彼女が人間ではないのが理解できた。こんなことができる存在を俺は一つしか知らない。
「あんた、艦娘だったのか」
「うん、そうだよ」
彼女の艤装に付けられた小さい砲が空へと向けられる。きっと、彼女にはハッキリと敵の姿が見えているんだろう。睨む視線の先は俺には星空にしか見えなかった。
「第1射、撃て!!」
直後、巨大な発砲音と共に幾つもの砲弾が対空砲から放たれた。空で幾つもの火花が散り、爆発が起こる。
「命中弾4、角度修正。第2射、撃て!!」
二度目の発砲。
今度は先程よりも多くの爆発が起きた。暫く空を睨んでいた彼女は構えを解き、小さく息を吐く。どうやら終わったらしい。
耳元にあるインカムに手を添え、彼女は再び通信を開始した。
「……うん、こっちは終わった。16機中12機撃墜、残りは引き返したよ。……わかった、天龍には無理しないように言っておいて。提督への報告と入渠の準備は私がしておくから。……了解、待ってるよ」
通信を終えると同時に彼女の格好も元のジーンズとTシャツへと戻った。先程の煩いまでの音は無く、辺りは静まり返っている。
「さて、私は報告があるからこれで失礼するよ」
工具箱を手に持ち、彼女は踵を返した。
俺はその背中をただジッと見つめることしかできない。
だが、不意に彼女が立ち止まり、顔だけをこちらに向けた。
「……さっきの質問だけどさ」
「……え?」
「艦娘が人間を恨んでないかって話だよ」
「あ、ああ……」
「艦娘達はさ、守るために力を使うんだ」
「守る、ため……」
「うん……確かに昔、戦争で傷つき、沈んだのは間違いないよ。でもさ、艦娘達は今も昔も人間を、国を守るために戦っているんだ。
戦えないで沈んだ子もいた、雷撃処分で味方に沈められた子もいた、賠償艦として日本を離れた子もいた、無念の中で沈んだ子もいた……。
そんな中で再び力を必要とされて、それに答えることができるんだ。喜びこそあるけど恨みはないさ」
彼女はそう言うと、今度こそ振り返らずに鎮守府の方向に歩き出した。慌てて彼女を呼び止める。
「おい、あんた!!」
「何かな?」
今度は振り返らずに返事を返された。
「あんたの名前、教えてくれ」
「……高速戦艦コンゴウだよ」
「金剛か。さっきはありがとよ、助かった」
「ふふ、どういたしまして」
片手を振りながら、金剛はゆっくりと丘を下って行く。心なしかその姿は嬉しそうだ。
その姿を、俺は見えなくなるまで見送った。
彼女達に対する心の波は、いつの間にかなくなっていた。悔しがる友人の顔を想像しながら、俺は帰路についた。
◇◇◇
余談だが、あの後友人に艦娘に会ったと伝えると、泣きながら殴られかけた。まぁ、返り討ちにしたんだけどな。
番外編は章ごとに一話ずつ入れたいと思います。