「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまなのじゃ。んー、美味かった!」
「お粗末様です」
手を合わせ、糧となった食材に感謝する。
やっぱりお揚げは最強だ。
この世の食物はお揚げと煎餅だけでいいのではないか。
多分、戦争とか無くなりそうだし。
知らないけど。
先程の痴態を忘れ、天音は上機嫌になっていた。
ちょろいと言ってはいけない。
彼女なりの生存戦略であった。
「食器を洗います。少しお待ちください」
「あ、じゃあ儂も」
「お心遣い感謝します。ですが、どうかお休みを」
「そういう訳にもいかん。飯を作ってもらったんじゃ。相応に働かねばな」
「……分かりました。それでは、一緒に」
「うむ!」
まあ、洗い物などしたことないが。
千年も生きてきたのだ。
なんとかなるだろう。
「天狐様、それは醤油です」
「ふにゅ? じゃ、じゃあこれは?」
「お酢ですね。洗剤は此方です」
なんとか、なるだろう。
「んしょ、んしょ」
「お気をつけて。あまり力をお入れになると」
バキン!
「……そのように、割れます」
「す、すまんのじゃ……儂、そう言えば天狐じゃったな」
「お怪我はありませんか?」
「う、うむ」
なん、とか。
「……ん、よし! 出来たのじゃ!」
「ありがとうございます。では、そちらの湯呑を食洗器に」
「む、これか?」
「そこは電子レンジです」
なん……とか……。
「つ、次は箸じゃな。見ておけい、今度は完璧に」
「天狐様」
ズバン!
「にゅおおお!? 何故か真っ二つに!?」
「天狐様」
そっと、肩に手を置かれ。
聖母のような顔で、彼は言った。
「箸を洗う際に、包丁は使いません」
戦力外通告を受けた瞬間だった。
結局、残りは自分がやると言って。
昨日の分もあるから、どうか先にお休みをと。
優しく気遣われてしまって。
天音は、とぼとぼとちゃぶ台に向かった。
そのまま腰を下ろす。
少し硬い座布団の上に座りながら、何とはなしに彼の背を見る。
頼りない背中だった。
瘦せ細って、今にも折れてしまいそうな。
本当にちゃんと食べているのか。運動はしているのか。
倒れはしないか。
そんな心配が浮かんでは消えていく。
ただただ、ぼーっとして。
天音は彼の背中を見続けた。
ふと、呟く。
「本当に、笑わんかったな……」
思い出すは先刻の絵。
しどろもどろに見栄を張る、情けない自分を。
会話に混ざらず、一人孤独に煎餅を齧る自分を。
こんな、理不尽な理由を。
彼は一度も笑うことなく、怒ることなく受け入れた。
ばかりか、一緒にご飯を食べようと誘って。
厚かましくうどんを啜る自分を嬉しそうに見つめて。
そっと、あの顔で微笑むのだ。
本当に、元宮孝仁は変な人間だ。
元宮孝仁は、本当に。
元宮孝仁。
孝仁。
「……孝仁」
何気なく、彼の名前を口にする。
四文字の音。
二文字の漢字。
それだけなのに、不思議と笑ってしまう。
孝仁。
たかひと。
柔らかな響き。
「孝仁、孝仁……にゅふふ。たーかーひとー」
口にする度、ふわふわ嬉しくなって。
ついつい何度も彼の名を。
ああ、全く、どうかしてる。
千年生きた自分が、こんな風に。
熱に浮かされた乙女のように。
「孝、仁……」
彼を。
「はい。いかがしましたか」
「……ふにゅぇ?」
熱が冷める。
冷水を頭から被せられたが如く。現実が助走をつけて殴りかかってきた。
「先程から、自分の名を呼んでいたようで。……何か、失礼を?」
「さっ、いや、しつれ、じゃなくてっ。あぅ、あぅ」
次いで理解する。
さっきまでの自分は、酷く。
酷く、恥ずかしいことをしていたと。
恋仲でもないのに、彼の名前を。
何度も、何度も。
うっとりと、呼ん、で……。
「ああああああああ!! 何でもない何でもないのじゃ!」
「しかし、そんな様子には」
「うるさいうるさいうるさい! 早く洗い物を済まさぬか、馬鹿もん!」
「今しがた終わりました」
「にゅああああああああ!?」
死にたかった。
千年生きて、初めて天音はそう思った。
臆病さが取柄の自分が、何と迂闊なことを。
恥ずかしい。恥ずかしい。
きっと気持ち悪いと思われた。
死にたい。
「落ち着いてください。大丈夫です。何も心配ありません。大丈夫です」
「うっ、うっ……儂の阿保ぉ、馬鹿ぁ」
「どうか自責なさらず。悪いのは自分です。配慮の欠ける行いでした。申し訳ありません」
「違うんじゃぁ。儂が、儂がぁ」
「……失礼します」
「……っ、ぁ、あぁ」
違う。
彼に非は一切ない。
ただ声をかけただけだ。名前を呼ばれ、どうしたかと。心配してくれただけだ。
何処に謝る必要がある。
だからそんなことも、しなくていい。
される資格は自分にはない。
やめてくれ。
そう言いたかった。
でも、彼の大きい手が、優しく背中を摩って。
大丈夫、心配ない。貴女は悪くないと甘やかして。
あまりにもそっと、温かく撫でるものだから。
つい、天音は。
「大丈夫、大丈夫です」
「ん、ん……ぁ、っんぅ。んん……」
「……落ち着かれましたか?」
「うん……もう、平気……じゃ」
「……」
頭がふよふよする。
さっきの比ではないほどに。
疲れたからだろうか。無理もない。今日は色んなことがあった。
孝仁と出会って。自分は叫びっぱなし。
彼だけ余裕そうで、少し不満。
あれ、でも、違うか。
彼もそう言えば、立ち上がって、叫んだっけ。
ならいいか。お揃いだ。
「本当に大丈夫ですか、天狐様」
「……」
天狐、様。
……いやだな、なんか。
孝仁にはそう呼ばれたくない。
何故かは分からないが。孝仁が自分をそう呼ぶのは、凄くいやだった。
天狐じゃなくて、自分は。
気付けば口を動かしていた。
「天音」
「……? 何を」
天音。
それは彼女を形作る根柢の扉。
絶対防衛線。存在格の境界。
通常なら自分と同格か、格上にしか絶対明かしてはならぬ。
彼女の真名。
時として己の命よりも重視されるそれを、あまりに呆気なく彼女は教えた。
「儂の名前じゃ。儂の名は、天音、じゃ」
「天音……様」
天音様。
悪くはないが、もう一声。
「だーめーじゃ。天音、と呼んでおくれ」
「しかし」
「孝仁」
彼の名を呼ぶ。
胸の奥がぽかぽかと温かくなった。
願わくば彼も、自分の名を呼ぶときに同じ気持ちを抱いてほしい。
だから。
「お願い、じゃ」
「……」
数秒の沈黙。
天音は何も言わず待ち続ける。
やがて消えかかるように、彼が呟いた。
「天音、さん。これ以上は、譲渡しかねます」
「うむ」
天音さん、ご満悦。
「にゅふふ……そうじゃ、儂は天音じゃ。忘れては、いかんぞー? ふわぁ、ぁ」
「……どうやらお疲れのご様子。今日のところはお帰りになられては?」
「んー? ここに泊まればよいではないか」
「よろしくありません」
今度はきっぱりと断られる。
しかし困った。自分はすっかり泊まる気で来たのだ。
さて、どうやってこの堅物を説得したものか考えていると。
……ん?
泊まる気で来た?
そうだった。
元より、自分がここに来た目的は。
「でも儂、お前さんを次の集会で紹介せんといかぬし」
「……そう、でしたね」
いや、全く忘れていた。
自分は彼女らに社畜を連れてくると言ったのだった。
幻滅されぬよう、見栄を張って。
正に怪我の功名。
得意になって口を開いた。
「という訳で、これからよろしくのぅ」
「お待ちください。次の集会とは、いつ開かれるので?」
「ふにゅ? ええ、と……一ヶ月後、くらいじゃったか」
「なるほど。であれば、当日だけ紹介すればよいのでは? こんな前から、態々泊まる必要などありません」
「あー」
確かに。頭いい。思いつかなかった。
別にそれでいいのか。
んー。
でもなー。
「……さっきの映像に、九尾がいたじゃろう?」
「九尾……はい」
「名を九瑠璃と言ってなぁ。あ奴は、人の嘘が分かるのじゃ」
「なんと」
嘘である。
彼女にそんな能力はない。
天音は孝仁に噓をついた。理由は本人にも分からない。
ただ、そう言った方がいいと思った。
理由はやっぱり、分からないが。
「じゃから、ちゃんと儂が世話をせんとなぁ。まあ、家事なんて、したこともないが……」
「しかし、それでは。それでは自分でなくとも。こんな、愚昧な男でなくとも」
「む」
また彼の頭が俯き始める。
本当に孝仁は堅物だ。
それにちょっと、分からず屋だ。
何度言えばいいのやら。
孝仁。
お前さんは。
彼の顔を両手で包み、胸に抱く。
「孝仁。儂は、お前さんがいいのじゃ」
「……!」
「紹介するなら、お前さんがいい。儂がそうしたい。それでは、いかぬか?」
「天音、さん……」
彼の顔は見えない。
代わりに整えられた髪の毛が見える。
何だか嬉しくなって、ふわりと髪を撫でた。
少し硬い感触。
これが、孝仁の感触。
「っ、すみません。とんだ無礼を」
「ぁ……」
彼が体を起こす。従い離れゆく手の温かさ。
まだ触り足りないのに。
残念だ。
「……宿泊の件、しかと承りました。集会までの一ヶ月間、どうぞよろしくお願いいたします」
「おー、そうか。よろしくなぁ」
「はい」
「……にゅへへ」
やったー。泊まれるー。わーい。
天音の眠気は限界に達していた。
「……普段……訳には、いかないか」
「んー?」
「……天音さん、今からベッドなどを買ってきます。それまでどうか、暫し我慢して」
「べっど? あー、敷布団のことかぁ。それなら、大丈夫じゃ」
「……?」
朧げに懐から札を取り出し、ただ現れよと念じる。
すると。
ぽん。ぽん。ぽん。
「もふー」
「なんと……これは、凄い」
軽い音を立て、幾つもの寝具が現れる。
マット、シーツ、枕、布団などなど。寝るために必要なものが全て揃っていた。
今使ったのは収納の札。
好きにものを出入りさせることが出来る、彼女お手製の札だ。
気付けば天音の服装も変わっており、もう寝る準備万端である。
いそいそと布団に入り、天音は言った。
「孝仁も、一緒に寝よぉ?」
「――」
その後、同じ部屋で寝るのは不健全問題が勃発し。
最終的に天音が駄駄を捏ねて孝仁を言いくるめ、戦いの幕は閉じた。
「……明日の食事を買いに行きます。天音さんは先にお休みください」
「んぅ? んー」
ぽわぽわする。
たかひとの声がした。
何をいってるか、よくわからないけど。
「決して、家から出ないように。ないとは思いますが、もしインターホンが鳴っても、開けてはなりませんよ」
「んにゅ」
なんとなく、お願いされてる気がして。
こくり、と頷いた。
パチリ。
視界が暗くなる。
「それでは……おやすみなさいませ」
「ぁ……」
行ってしまう。
たかひとが、とおくに行っちゃう。ひとりで、どっかに。
いわなきゃ。
やくそくしたから。
お見送り、するって。
やくそく。
ガチャリ。
「たか、ひと」
「……っ!? 天音さん、どうしましたか? 何か異常でも? それともお加減が優れませんか?」
とってもあわてた顔。
もしかして、しんぱいしてる?
うれしい。
だいじょうぶだよ。
しんぱいしないで。
やくそく、守りにきたの。
天音が微笑む。
「いって、らっしゃい……孝仁」
だから孝仁も。
ちゃんと戻ってきてね?