『初めまして、元宮孝仁さん。いきなりだけど……私達とお話、してくださらない?』
開口一番、金色の麗人は己にそう言った。
美しき尊顔を楽し気に綻ばせながら。
艶やかに目を細めつつ、ゆっくりとした声調で。
魔性を纏った色だった。
頭がぼんやりする。
何も考えず、彼女の言うことを聞いてしまいたくなる。
無条件に、従ってしまいたくなる。
ああ、彼女の下で傅けたら、どれほど幸せなことだろう。
「……っ」
がりっ。
頬の内側を犬歯で噛む。
以前にも嚙んだことがあるのか。肉はあっさりと歯の侵入を許した。
血の味がする。
おかげで少しだけ、冷静になれた。
現状、彼女達がどういった目的で接触してきたかは不明だ。
見たところ、敵意を持つ者もいれば、此方に関心のない者もいる。
他二人は……興味か、或いは警戒か。
いずれにせよ、問題はない。
己はまだ生きている。
殺害が目的なら、姿も見せず実行していたはずだ。
何より彼女は会話を望んでいると言った。
なら、それでいい。
余計なことは考えるな。どうせ、思いつかないのだから。
教えを乞え。それがお前のすべきことだ。
己は、慎重に口を開いた。
「……自分の名を、存知のようですが。改めて自己紹介を」
彼女の目を見る。
濡れた花のように妖艶な金色。深く、吸い込まれる感覚を覚えた。
自戒せよ。
再度嚙み締めつつ、腰を曲げて名乗った。
「お初にお目にかかります。自分は、元宮孝仁と申します。先程の失礼に、謝罪を」
「あらあら、そんな気にしないで。私は……九尾、とでも呼んで頂戴。よろしくね、元宮さん?」
「はい。九尾様」
己はこのお方を知っている。
否、彼女だけではない。
横に並ぶ少女達もまた、己は知っている。
「よろしく~、社畜ちゃん。あ、私は白狐だよっ。白狐ちゃんって呼んでね!」
「……お腹減った……はぁ」
「……」
「よろしく、お願いします」
方向を変え、もう一度頭を下げる。
今度は謝罪ではなく挨拶として。
僅かな静寂。
出方を伺われている、か。
ならば好都合。
自らを九尾と名乗った女性に向き直る。
「……して、お話というのは?」
「ああ、ごめんなさいね。正直……私達もどこから話せばいいか迷ってるの」
こんなこと、初めてだから。
そう物憂げに彼女は呟く。
初めてとは何のことか。知らず内に、己は彼女らに無礼を働いてしまったのだろうか。
心当たりはない。
だが事実、己は彼女を悩ませている。酷く申し訳ない。
関わらずとも他者に害をなす。
それが己という、膿にも劣る男の本質だった。
「貴方が陰陽師だったら、話は早いのだけれどねぇ」
「陰、陽師?」
「そう。人の身で妖を退ける存在。最近では統合して……退魔師、という名だったかしら?」
「……」
陰陽師。退魔師。
後者に関しては聞きなれないが、意味は分かる。
つまり現代にもフィクションのような職がある、ということか。
特段驚きはしない。
目の前に非現実の代表がいるのだ。
疑う余地もなし。されど疑問は湧く。
「はぁ。ほんと、困ったわぁ」
「……一つ、質問を。自分が陰陽師であれば、どのように?」
問うた己に、彼女はあっけらかんと。
「ん? 勿論殺すわよ。当たり前でしょうに」
「……なるほど」
殺す。
己が陰陽師なる者であれば、殺せる。
逆にそうでなければ殺せない。
彼女達独自のルールがあるのだろうか。
「……あら? もしかして貴方、天狐様から何も聞いていないの?」
「と、言うと」
「私達妖狐……いえ、妖怪と人間達の関係についてよ」
「……何となく、互いに不干渉であるとは、察せられるのですが」
あらら、といったように彼女は手を頭にやる。
己の無知が恥ずかしかった。
聞こうとすらしない、怠慢も。
「うーん。まあ簡単に言えば、条約のようなものがあるのよ」
「条約、ですか」
「ええ。それで――」
「そうなんだよ〜。あの条約のせいで私達、困ってるんだからっ」
頬を少し膨らませながら、雪の白さを纏った少女が前に出た。
明るく活発な印象。
彼女は確か……。
「んもう、白愛。私達は今大事なお話をして」
「九尾様だけずーるーいー! 私だって社畜ちゃんと話してみたいのっ。それに……」
くるり、と一転。
上目遣いで見つめられる。
「社畜ちゃんも、こういうのが聞きたいんじゃないでしょ?」
「……っ」
息が詰まる。
その通りだった。
人と妖で結ばれた条約について気にはなるが。
やはり、最も知りたいことは。
「白狐様! 危険です、それに何をされるかっ」
「大丈夫だって。この子に特別な力はないよ。だからこそ、気になっちゃうの」
純真無垢な瞳。
その奥底には、隠しきれぬ興味が溢れている。
頬をにんまりとさせ、彼女は言った。
「あの天狐様を、どうやって篭絡したのかなぁ……って」
「……は?」
ろうらく?
彼女は、何を言って。
「ありゃ、ひょっとして自覚ないの? だめだよー、堕とした女の子は大切にしなきゃ」
「おっしゃっている、意味、が」
「……ふーん? じゃあ、もっと分かりやすく言うね?」
だめだ。
これは、聞いてはいけない気が。
細い指が胸をつつく。
「天狐様は、君に執着してる。恋とか愛とかを超えた次元で、ね」
「ぁ」
思考が消える。
「ほんと驚いたよ~。天狐様、全然雰囲気違ったし。君のこと聞いただけで脅されたんだから」
「ぁ、ぁ……っ」
口から何かが零れ落ちる。
深く、泥沼の最下から汲み上がる。
その寸前に、茶色の少女が叫んだ。
「っ、人間! お前が何かをしたんでしょうっ!! 天狐様に! じゃなきゃ天狐様が、あんな、あんなこと……!」
「まあまあ落ち着きなって、管奈ちゃん。それを今聞いてるんだから」
目が、己を見ている。
覗き込んでいる。
意思が握りつぶされる。
溢れる。汚い想いが。
己は。
「……で? 君は一体、何をしたのかな?」
私は。
「……に、も……っ」
「んー?」
絞り出すように、吐き出した。
「私は何も、していない……!」
「……う、そ。まじ?」
初めて、彼女が目を見開いた。
信じられぬものを見た、といったように。
無理もない。
私は罪人であった。
「ふ、ふざけないでください!! そんなわけが……!」
「いや、嘘じゃないよ。……本気で言ってる。本気で、この子は」
「ぁあ、ああああ……!」
胸を描き抱き、膝を付く。
頭を地面に擦り付ける。
少しでも苦しめばいいなと思った。
「何も! 何も、しなかった! 私はいつも、貰うばかりで! こんな、価値のない塵にっ」
死ね、死ね、死ね。
役立たず。恩知らず。臆病者。
「どうしてっ。どうしてだ!」
天音さんが己に対し、特別な感情を抱いていることは知っていた。
怖かったのだ。
確かめれば、全て終わってしまうように思えて。
認めたくなかったのだ。
天音さんが己程度の存在に。
好意を、抱くなど。
「どうして天音さんは、俺なんぞに……!?」
言葉は続かなかった。
胸から出る濁流を止めたわけではない。
強制的に止められた。
人外の瞳によって。その、尋常ならざる圧によって。
「か、は……っ」
「……いやぁ、まいったね。まさか真名すら教えてるなんて」
「不敬な人間。白姉、やっちゃう?」
「是非そうしましょう! 天狐様の名を軽々しく呼んだのです。死をもって償いを……!」
「はい、そこまで」
ぱん。
乾いた音が鳴る。
次いで、全体を締め付けていた圧が消える。
荒い呼吸をしながら、視線を上げた。
金色の姫が己を見下していた。
「……みんなの気持ちも分かるけど、これ以上は殺しちゃうわ」
「そんなっ。あのような重罪、許してよいはずがっ」
「私も九尾様に賛成かな~」
「白狐様!?」
悲鳴に近い叫びを、少女は上げる。
「どうしてっ」
「だって、この社畜ちゃん。……んーん、孝仁ちゃんは何もしてないんだもん」
「は、はぁ!?」
すたすたと、足音が近づく。
やがて目の前まで来ると、ふわり。
「……ごめんね。辛い思い、させちゃった」
「……! い、いけま、せん」
彼女は己の頭を撫でていた。
優しく、包み込むように。
理解不能。
茶色の少女が言っていた通り、己は重罪を犯した。
しかるべき罰が必要である。
だのに。
「いいんだよ。さっきので、君の想いは伝わったから」
「っ、ぅ」
咄嗟に身を引き、尻餅を付いた。
滑稽な姿をしている己に、されど彼女は柔らかな表情で。
僅かに悲しみを含ませながら口を開いた。
「……残酷な話だね。幸せと苦痛が切り離せないなんて」
「ふぅ、ふぅ……っ」
頭が痛い。
割れるようだ。
記憶が混濁している。今日は何曜日だ。
三週間。
天音さん。天音さん。
どうして、貴女は。
「ねぇ黒江。この子に掛かってる術、解ける?」
「……無理。ここに来るまでに大分力を使った。平常でも一月はかかる」
「ま? どれどれ……うひゃー、さっすが天狐様。凄い術式だね」
少女達が何かを言っている。
理解は出来なかった。
ただ、知ってはならないということは分かった。
「……もういいでしょう、白愛。そろそろ本題に移りましょう」
「あはは、その必要はないと思うよ九尾様。これからどうするべきか、この子は理解してるもん」
……これから、どうすべきか?
ぼやけた頭で自嘲する。
そんなこと、決まり切っていた。
「白狐様……! いい加減にしてくださいっ。こいつは狼藉者です。信用してはなりませんっ」
「じゃあ本人に聞いてみようよ。……ねぇ、孝仁ちゃん」
己のすべきこと。
「君は、どうしたいの?」
「……自分は、あ」
不適切。
訂正。後悔。
「……天狐様と、お話がしたいです」
「……」
「ほ、ほらやっぱり――」
「そして」
花が咲いていた。
月よりも眩く微笑む花が。
幸せだった。本当に、過分なほどに。
不相応な幸福に浸っていた。ずっとあのままがいいと、思ってしまった。
だから。
己は。
「お別れを、したく思います」
「……うん」
元よりそういう契約だった。
契約は終わった。
花が枯れる前に土壌を変える。
これは、そういう話だった。
「……」
空を見上げた。
今日は星空が綺麗だ。
貴女も見ていたら、いいな。
「それでは、元宮さん。くれぐれもお忘れなきよう。貴方のなすべきことを」
「……はい」
金色の麗人が言う。
己は下を向いていた。
舗装されていない道路を見ていた。
「一応、私と九尾様で幻術耐性の札は作ったけど、過信はしないでね。お守り程度に考えといて」
「ありがとう、ございます」
ぐわん。
日常では聞くことのない音がする。
世界が捻じ曲がる音。その悲鳴。
彼女達が去ろうとしている。
「……も、無理。お腹、限界」
「っとやば、これ以上は黒江が腹ペコで死んじゃう。じゃあね~、孝仁ちゃん」
「……本当に大丈夫なのでしょうか」
「もう、管奈ちゃんは心配症だなぁ。大丈夫だって、知らないけど!」
「あ、安心できない……っ」
霧が現れる。
声も段々小さくなっていく。
視線を上げ、薄れゆく彼女達を見つめた。
恐らくは一生で一度の邂逅。
我慢出来ず、口を開いた。
「……最後に、聞きたいことがあります」
「えー、なに~?」
聞くべきではない。
だが、これが最後ならば。
きっと己は聞かねばならない。
彼女と話す上で、大切なことだから。
「今日は一体、何月何日なのでしょう」
「へ? んーとね。今日は……」
言葉の続きを聞き、彼女達は消えた。
霧は嘘のようになくなり、辺りには静寂が戻った。
暫し立ち尽くす。
ポケットからメモを取り出し、彼女の言った日付を書いた。
「……」
さあ、家に帰ろう。
きっと、彼女が待っている。
天狐様がこの部屋に来てから、二ヵ月が経った。
彼女との生活は驚きの連続で。無知な己はその都度自分を恥じた。
嬉しかった。美味しそうにご飯を食べる姿を見るだけでそう思った。
楽しかった。困惑しながらもゲームをしている貴女が輝かしかった。
辛かった。貴女の笑顔が、優しさが。
太陽に焼かれるように痛かった。
苦しかった。申し訳なかった。
死にたかった。
ガチャリ。
「ただいま帰りました、天狐様」
ぱたぱたと、愛らしく出迎えて。
彼女は微笑む。
いつものように、淡い花を咲かせて。
「……おかえり、孝仁」
彼女との、最後の夜が始まった。