叫びにもならない嗚咽が俺の耳に届く。
その悲痛な声はダクネスから。
その手に抱えているのは、つい数日前にダクネスのことを尋ねてきた、病的なほど真っ白に染まったシルフィーナの体。
温もりを感じぬその肌、生気を一切感じることができないぐったりとした四肢。
そんな小さな子供のそばで、こらえる気もなく涙を、嗚咽を流すダクネス。
その姿は、無力感と絶望感に溢れ、まるで自分を失ったかのようだった。
「間に合わなかった……どうして……」
嗚咽の中にそんな言葉が混じる。
その瞬間、心の奥が締め付けられるような感覚に襲われた。
何もできなかった自分が悔しさと無力感で胸を締め付け、言葉が出ない。
そんな場面を俺はただ呆然と見ていた。
一体どうしてこんな幼い子が息絶えているのだろうか。
何がどうして何が原因でこんなことになってしまったのだろうか。
モンスター、暗殺、病気、事故……
そのどれもが頭の中をぐるぐると回り、現実味がないその悲惨な顔を持つダクネスを、入り口の扉の前で見ることしかできなかった。
他の人たちもそうだ。
めぐみんも仮面の人も、その他大勢の冒険者たちも。
我が子のように可愛がっていた娘の死を軽々しく慰めることはできず、泣きながら、涙をこらえながら立ち尽くして――
彼女たちの無力感は、まるで張り詰めた弦が切れたかのように崩れ落ち、心の中に深い悲しみを刻み込む。
それぞれの心に重くのしかかる思いは、もはや誰にも言葉にできないほど深いものだった。
「…い、カ……… ……マ… …ズマ… カズマ!」
そんな声が俺のことを一気に現実へと引き戻し、目が覚める。
わけもわからず息を荒げ、ハッとした表情で声の方を見てやると、そこには眉をひそめて心配そうな表情をしていたダクネスが俺の手を握っていた。
「ダクネス……?」
「おい、どうしたのだ、さっきまでうなされていたのだぞ!」
俺の心臓が未だにバクバクと激しく騒いでいるのと、ダクネスの心配そうな表情を見るに嘘ではなさそうだが、夢というのはどうしてか覚えられないもので、さっきまで俺が何にうなされていたのかはっきりとしない。
額を袖口で拭うと、まるで雨に叩きつけられ濡らしたタオルのようにぐっしょりと布が重みを増す。
「何か酷く悪い夢を見たんじゃないか? 先程のお前は尋常じゃなかったぞ」
「そう、なのかもしれないな……。寝苦しかったとかは記憶にないが、なんだか無性に気持ち悪い」
「もしかして熱でもあるんじゃないか? ちょっと待ってろ、体温計を……」
一体俺はどれだけうなされていたんだろうか。
今のダクネスを見ると相当にひどいものだったらしい。
その心配の仕方に、少し胸が痛む。
自分が心配をかけてしまっているのが申し訳ない気持ちになるが、ダクネスには余計な心配をかけたくない。
というのも今の俺の体は熱っぽくもなければ喉が痛いなどということもない。
それに気持ち悪いというのは、寝汗が肌と寝巻きをひっつかせることに対する感情だろう。
慌てて俺の手を離して体温計を持ってこようとするダクネスを引き止める。
「そんな心配するほどのことじゃないぞ? もしかして恋人を甲斐甲斐しく世話する彼女役をやりたいのか? それならそうと言ってくれればいつでもやってやる。無償で俺のことを甘やかしてくれる展開は嫌いじゃない」
「……それだけ軽口が叩けるのであれば大丈夫なのだろう。はぁ、心配し損した気分だ」
「と言いつつ?」
「自堕落なお前のことを世話するのはやぶさかでも……って何を言わせようと! …………なあ、本当に大丈夫なのか? お前のことだから心配させまいと無理をしているのではないか?」
なんで普段はいろいろと鈍感なのにこういうときに限って鋭いのだろうか。
その問いかけに、心の中の微妙な不安がちらつく。
実際、夢の影響で微妙に気持ち悪いかもしれない。
が、心配させたいわけでもないし、そんなことを認めたくない俺は冗談めかして言った。
「いや、マジで大丈夫だって。むしろ、心配されてちょっと嬉しいくらいだ」
「本当か?」
「ホントほんと」
無言になり、ジィっと真剣な表情で俺のことを見つめるダクネス。
しばし俺を見つめた後、俺が嘘はついていないことを理解したのか、再びため息をつき――
「よかった、それならよかった」
「えっ! だ、ダクネスさん!? ちょ、ちょっと積極的すぎじゃないですか!?」
「馬鹿を言うな! ……心配するのは当然だ」
「だとしても躊躇なさすぎだろ! 俺、汗まみれ、臭い、わかる?」
「どうして急にカタコトなんだ……」
つまり何をされたかといえば、抱きしめられたんだ。
それは子を心配する親のようで……
なんだかさっき見ていた夢のせいか、心がズキリと痛む。
ダクネスに締め上げられたせいではない。
何も覚えていないのに、不思議と痛むのはどうしてだろうか。
しかしその痛みを和らげるかのごとく、ダクネスの温もりが伝わってくる。
少し安心した反面、余計に汗が流れる。
えっちだ。
まあ、こういう展開も嫌いじゃないが……
「あの、そろそろ離してくれませんかね? なんだかはずいんだが」
「……」
「あれ? あのぉ、ダクネスさーん?」
どういうわけかダクネスがピクリとも動かない。
もしかして今自分がやってることの恥ずかしさを今更実感したのか?
どうしても動こうとしないダクネスにしびれを切らし、耳に息を吹きかけてやろうかと思い顔を動かすと――
――もんのすごい不機嫌な顔をしためぐみんさんがいらっしゃったそうな。
そりゃそうだ。
昨日の晩、実質恋人宣言してきたのにもかかわらず、昨日の今日でこれだ。
この現場は不倫現場にしか見えない。
俺は裁判にかけられ、二股した鬼畜の称号をほしいままにすること間違いなし……
そんな称号がほしくない俺は保身に走ったのだった。
「キャー、痴女ネスに襲われるー!」
「なっ!? き、キサマ! 先ほどの私の善意を仇で返すつもりか!」
寝巻きでびしょびしょな俺と、拳を高らかに上げていたダクネス。
一体どちらを止めるべきかは一目瞭然である。
「違う、誤解だ!」と弁明し、めぐみんの方を見つめてくるダクネス。
ダクネスのほっぺを杖でグリグリしながら尋問を開始するめぐみん。
おめかしして今日という日を楽しみにしていたのだろうが、その赤い目から怒りに似た感情がひしひしと伝わってくる。
その様子はダクネスに対する嫉妬から来ているように見える。
「何をやっているんですか! まさか発情期なのですか! 人の男を……」と声を荒げ、さながら審判のような威圧感を放っている。
俺はそんな二人のことを尻目に、汗まみれのこの体じゃマジで風邪になってしまう可能性があると冷えた体を温めるため風呂場に向かうのであった。
その後、めぐみんとデートを終え、ギルドに赴けば突然発表された「冒険者税金徴収令」。
まさかこんな立て続けにイベントがあるとは思わないじゃないか。
迫り来る国家公務員の職員たちから逃げようとしていると、俺の手にガシャリと硬いものがはまる感触が。
「……て、手錠!? ダクネス!? お、お前は一体何をやっている!」
「何って、見ればわかるだろう? 納税は市民の義務だ、こうして私はアクセル随一の高所得者を捕まえることで領主代理として貢献しようと……」
「違う、そうじゃない! や、そうなんだけども、今朝俺とお前であんなことやこんなことがあって不機嫌になっているめぐみんを知らないとは言わせないぞ!」
「ああああんなこととかそんなことをいやらしい風に言うんじゃない!」
「でもお前、汗でじっとりしている俺のことを抱きしめて……」
「わぁーーっっ!!」
税金徴収から逃れることで頭がいっぱいな冒険者たちは、どうやら俺たちの会話には気付いていないようだが、すでに税金を納め終えた――というか免除されためぐみんには聞こえていたようで。
「……仲良さそうで大変結構なことですよ、ええ、結構なことですとも」
「ちちち、ちがー! 私はこの男が蓄えている財産を散財させることで冒険者としての活気を取り戻そうとしているのだ……!」
「ええ、ええ、別にいいですとも。街中で手錠プレイなんてなかなかに淫らですが、ここの冒険者たちはダクネスのそういった性癖にある程度理解を示してくれる優しい人たちですとも!」
「本当に違うのだぁあああぁあ!!」
めぐみんの呆れたような瞳は光を失ってはいない――いや、今朝のように興奮気味に赤く光ってはいないものの、微かな嫉妬の光がダクネスに突き刺さってくる。その視線に耐えかねたダクネスは、俺のことをむしろ引きずりながら、早く人目につかない場所に行こうと走り出した。一体このクルセイダーは職員たちから逃げたいのか、それとも職員たちの方に行きたいのかわからないが、本末転倒なことをしてしまうほど頭が残念なことだけは確かだ。
鎧を着たまま走るのがそんなに重いのか、先ほどの寝起きの俺のように汗を滴らせながら走るダクネス。
勝手に逃げてくれるダクネスに感謝の気持ちを送りながら、そんな俺たちと並走する奴が現れた。
一応鎧を着けているとは言え、一般人と比べものにならないほど体力や筋力のステータスがバカ高い奴と並走するなんて何者かと思い、素早い足音の方を見ると。
「やあやあやあ、仮面の悪魔の大好物である羞恥の悪感情をまき散らしながら走る腹筋バキバキの娘よ、こんな真っ昼間から男を誘拐するとはなかなかにダイナミックであるな」
「誘拐などではないぞ! それから私が恥ずかしがっている件に関しては何も触れないでもらうと助かる……」
「恥ずかしすぎて死にそうで、自分の腹筋について触れられたのに何も言い返せなかった切羽詰まったララティーナのことは置いておいて、このままではすぐにバテて税を徴収されてしまうぞ、お姫様抱っこされても羞恥心を抱かない面白い冒険者よ……なんだか自分で言ってて悲しくなってきた」
「いや、さすがに羞恥心の一つくらいはあるはずだぞ! きっとダクネスが恥ずかしがりすぎてて、相対的にそう見えてないだけだから、なんか勝手に俺のことを見て失望したみたいな反応やめてくれないか!?」
案の定そこにいたのは仮面の人。
何も俺が悪いことをしてないのに勝手にがっかりされて何とも言えない気分になっていたが、ふと仮面の人の言葉「このままではすぐにバテて税を徴収されてしまう」を思い出し、どうしようかと顔を青ざめさせる。
すると仮面の人が。
「フハハハハハ! 税を徴収されたくないがあまり、警察のお姉さんのパンツをスティールして詰所を宿代わりとし、一晩を明かす覚悟がある男よ、汝に吉報である」
「なるほど! ダクネス! 逃げるんだったら警察署の方に行くんだ! そうすれば警察官の方々が俺たちのプライバシーを保護してくれ――」
「よし、警察署だな! 確かに警察に捕まれば、貴様があらぬ言葉を吐いて私を馬車馬のように走らせるこの現状も解消されるだろう! そうと決まりは全力前進だッ!!」
「いやいや、急がば回れ、もう少ししっかり話を最後まで聞くが吉と出た! なぜならそれよりも良い方法を提案しようとしてるのでな」
「確かに前科者にはなりたくないし、さっきの提案よりいいものがあるんだったらそっちにしたいもんだが……」
「私は別にカズマのことを運んでいるだけだから前科者にはならないので、警察署にすぐに引きこもるのもやぶさかではないのだが……それに、牢獄プレイというのもなかなか……」
「変態のことは放っておいて説明するが、俺にはテレポートがあって、ちょいと俺の計画に乗ってくれればいいが……」
「よし、乗った!」
仮面の人に急がば回れだの、人の話を最後まで聞けだの言われたが、今は急がば急げだ。
俺は仮面の人の計画が何なのかを聞かず、今はただ逃げることを優先したのだ。
「よし、じゃあテレポートするぞ?」
「何でもいいから早く頼む! このままじゃダクネスが警察署に突っ込む勢いで、俺が何もしなくても器物破損の容疑で捕まる!」
「じゃあいくぜっ、『テレポート』!」
65話の最後『そして、俺の予感通り……夢だと思いたかったが、悪夢のような現実に巻き込まれることになるのだった』は2週目で変えられるのでしょうか。頑張れ、仮面の人!