13.
学園都市は、科学サイドの頂点だ。この世界には見えない境界線が世界を二分している。
科学サイドと魔術サイド。科学サイドは学園都市を頂点とする世界が広がっていて、魔術サイドは多種多様な魔術結社が群雄割拠している。
その上ではっきりしている事がある。
「どっちもくそったれだ」 「その意見には賛同するが、それで、どうするつもりなのかな」
基本的に陣を張って待ち伏せする魔術師をしているが故に、あっという間に学園都市の最先端兵器や待ち構えていた魔術師のコンビネーションに追い詰められている。
あちこちに擦り傷を作り、そもそもこれまでの戦いで満身創痍。もはや、完全に無力化されるのは時間と問題として、磐より、自分たちの仕事を優先してる。
すなわち、魔術師と研究者のコンビが妙ちくりんな箱に収まった少女にこれまた奇妙な装置の数々を取り付けていくのを見る。
「……その娘」 「そういえば、君が学園都市で撃破した魔術師だそうだな」
ゾンビ騒動のキョンシー魔術師はどうも磐が撃破した時から着替えることも無く、全身を管だらけにされているらしい。
さすがにその姿のまんまだと可哀想だと思ったのか、管だけは取り外そうとして、一本引き抜いたところから勢いよく出血したので諦められた。
出血に対しては、ダクトテープが何十にも貼られての止血処理がなされた。所詮、この後の使い捨て、扱いがぞんざいである。
「あんたらー結局何がしたいのよ……」 「境界線の秩序を取り戻したい」
「科学サイドと魔術サイドの『協定』を世界に遵守させる。ただ、困ったことに世界って言うのは力だけは馬鹿みたいにあるでかいクソガキでね。躾けるのもものすごく苦労するんだ。見ての通り、我々は世界を相手にするには少し小さい。だから、手段を選べないのさ」
そして、後ろ手に縛られた磐の前で、タブレットを操作する。わざとタブレットの画面を見せつけてきて、そこには『幻想殺し』『右方のフィアンマ』を対象に核攻撃する為の作戦プランの簡略概要が表記されていた。
「相手は神の右席。正直なところ、ロシアの古くさい核兵器で仕留めきれるかは五分五分ってところだ。だが、こっちの『幻想殺し』は別だ。核兵器は原子核分裂エネルギーをそのまま転用した兵器。つまりは自然現象だ、何一つ異能の力が使用されていない。
そもそもこいつは何を考えてロシアに行ったのかよくわからないが、身一つだ。車さえ運転できない日本人高校生のガキに逃れる術は無い。まぁ、ソ連時代のシェルターの一つや二つあるだろうから、運が良ければそこに逃げ込めるだろうさ。が、そうなりゃ出てこれない。出てきたところを爆撃してすべてに蹴りがつく。考え無しの無能なガキだから、この2段構えから逃げることは不可能だ」
そんなことを研究者風の男が言って――――
「――ハァ?」
何故か、満身創痍にも関わらず、わざわざ敵中に飛び込んできたおバカな少女がぶち切れた。
「上条さんのことをバカにしたいんだろうけどーその上条さんと比べてあんたはどれだけの人を救えるのー? 魔導書図書館を助けることができる? アルス・マグナを実現する錬金術師を撃破してー学園都市第1位を倒してー1万人のクローンの命を守ってー大天使が暴れまわる状況の中ー少しでもいい方向を必死に探してーたとえ的外れでも親友相手に我を通そうと戦いを挑んでー格闘技にぼこぼこにされてーそれでも折れずー闇坂さんが必死に魔導書図書館のー知識を求めるほどのー呪詛相手に夏休み最後の1日を遠慮なくささげてー虚数学区の天使相手と顔見知りになったそれだけで彼女のために走り回ってゴーレムと肉弾戦を挑んでー200人以上の武装シスターと1人ーすごい人のーために1人で相対する覚悟を決めてーみんなが頑張ったお祭りの為に1人ー学園都市を走り回ってー気づけば吹寄と姫神がその犠牲になっててー自分の無力さに顔ゆがめてーかつては敵だった1人のシスターが生贄にされると聞いてー助けてほしいと哀願されてー何一つ迷うことなく司教に戦いを挑んで」
少女の瞳に、2人の魔術師と研究者の姿は映らない。
「それでー神の右席ににらまれてーでもそれは本人にとってはどうでもよくてー救える人が救えたから良いんだって心からそう思っている少年でー前方のヴェントと戦ってーアビニョンでC文書の力でおかしくなった人たちを少しでも何とか出来るならと、左方のテッラと戦って、『
集中治療室に叩き込まれてもみんなが戦っているから、逃げてたまるかと病室を抜け出して、それでも力では通じない相手に天草式の人達と踏ん張って、イギリスで、クーデターの中、『新たなる光』や王女キャーリサと激闘を重ねて、インデックスを助けるために1人、信用のできないイギリスや学園都市の力を一切借りず、ロシアまで行って、そこでフィアンマと戦って、あのフィアンマ相手に世界の広さを教えて、
崩壊する空中要塞からー『神の力』を追儺するために1人要塞に残って走り回って!!」
途中から、時系列的に未来予言となっていることに少女は気づかず――
「――大戦が終わって、でもそれ以前の世界とは違う世界になってしまってーだからー科学サイドと魔術サイドの人達が集まった『グレムリン』が動き出してーグレムリンの指導者は魔神オティヌスで、東京でドラゴンが暴れまわったり、バゲージシティで木原一族と魔術師が殺し合いを繰り返したりそんな状態でも上条さんが現れると一気に空気が変わって、やっぱりこの人はこういう人でなくちゃってみんながそう思う存在感があって、そして、完全体となったオッティヌスは一瞬で世界を……位相を差し替え滅ぼして、そんなオティヌスと1万年の間、黒い位相の中で拳を握り続けてそんな上条さんをバカにできるほどあんたは人を助けてきたことあるの!? そもそも上条さんはあんたらと違って可愛いんだよ!? ああ見えてショタ味があって、焦るとすごく可愛らしく年下少年感が強く出てきて、それでも覚悟出して拳を握ると本気で頼れるお兄さんになってこの人じゃなきゃ、ダメだ。これをどうにかしてくれるのはこの人だ! ってつい頼っちゃうそんなー上条さんを無能なクソガキィッ!?」
何やら完全に方向性が怪しくなり――――
「――――そもそもあんたら、上条さんと違って可愛くないしーそもそも上条さんだったらその娘をそんな風には放置するなんてことはしないしというかー上条さんじゃなくてもまともな善人なら人をそんな扱いしない、そんな連中がやれ、世界のためだの世の中の人々のためとか言って挙句の果てに、必死に人助けに命かけてきた少年をクソガキと呼んで、今から僕たち私たち世界救っちゃいまーすなんてふざけたことを言い出すはずもなく、そんな連中が上条さんをバカにするだけの道理があると思っているの? そもそも核兵器で世界を救いますってどこのSF映画だよさっさとロケットに乗って、小惑星にでも核爆弾を埋め込む作業に志願しなさいよ。
今の状況でロシアに核が炸裂して世界のエスカレーションが上がるってことも想像できないの? ああ、学園都市様のお力があれば、そこら辺の国々の勝手な軍事行動どうとでも出来るねーでも、あんたらその辺ちゃんと学園都市のお偉いさんたちと相談した? 上条さんは相談しないけどーあんたらと違ってお偉いさんと面識あるよ」
少女なりに2人組の愚かしさと幻想殺しの少年の良さ(?)を総括して――――
「――――上条さんはねーオッティに狂人って言われても仕方ない精神性をしているよ。でもねそこが良いんだよ。だから応援が出来るんだよ。あの人は正義なんて物を信じていたり味方している訳じゃ無い。ただー悲しんでいる人がいる。殴ればその悲しみを和らげることが出来る。
なら戦う! 世界相手にだって、そういう人なの。正義とか、善とか悪とかそんなくだらない世界の二項なんて物に縛られないから上条さんは上条さんなの。
と言うか、世界と魔神を否定する側に回った上里と違って上条さんは世界を否定したいわけじゃ無い。肯定したいわけでも無い。ただ、悲しんでる人をどうにかしたいという思いだけで立ち上がることが出来る人だから、希望になるの。あの人が立ち上がっている。だから、大丈夫だ! ってそんな上条さんの安心感をマネしようという気概さえ無い人達が何で馬鹿に出来るの。真剣に理解が難しいだけど!?」
なんか、狂人に惚れ込む変な奴感がやたら強くなるが、少女は特に気にした風ではない。
「世界がどうとかー平和がどうとかー悪いけどー大言壮語にしかー聞こえないのよ。だってーあんたら隠れてこそこそと動き回っている。
上条さんは隠れていない。彼はその場の思いに突き動かされて、動いて隠れるつもりなんて一切無い! 隠れてこそこそしている人間が世界平和がどーたらこーたらーアメリカ大統領だのーイギリス女王だのーが政治の世界で頑張る方がはるかに平和に貢献しているよね。たとえ、権力者としてやることやって腹黒だったとしても、ああいう人らは自分たちのー顔を隠さない。上条さんも隠さない。
自分のー為に何かを犠牲にしてしまった。なら迷惑かけたすべてのー人に謝るって心からそう言って行動できる人と、謝るつもりはなくても逃げるつもりもない大統領や女王とかそういう人たち。あんたらはそのーどちらから見てもこそこそ動き回ってる時点でカスじゃん」
何やら、唐突に普通の人が早々とは会いに行けない人々の人格を語り始めて――――
「――――そもそもこの馬鹿みたいに地獄の世界でー上条さんの近くは一種の安全地帯でー実際にそういう安心感があって実際に人が死ぬことが少ない時点で人を殺さなきゃ秩序を維持できないとか抜かす獄卒の鬼も鼻で笑う能なしたちと違って彼のそばにいれば少なくともこの地獄みたいな世界の悪意で殺されるなんて事はなくなる。これこそが上条さんの気づき上げた特質性で、人殺しを秩序だと誇る連中は上条さんの右拳に殴られるような生き様をしてる奴らの隣が安全地帯なんて誰がどう考えても絶対に無い話で、全然安心感なんて皆無。というか、この世界は六道輪廻の修羅道じゃないかなってたまに思うの。
なら、なおのこと上条さんは、修羅の世界に現れた天道を歩むものであって、人殺しという暴力万歳思想でしか動けないような連中が作る平和って何よ。
どう考えても、お前たちに上条さんをバカにする権利はない。お前たちなんてー上条さんのー目に入るのも悍ましいモブ以下のゴミだ」
最後に結論をだした。
「「……何言ってんだこいつ」」
ただし、2人に少女の言葉は届かない。むしろ、ドン引きされている。
「核兵器はあくまでも選択肢の一つに過ぎない。そもそも『帝政薬学』の部隊を使う案だ。我々は本来『帝政薬学』の人間でも何でもないからなちゃんと本命は別にある。そもそも帝政薬学は『協定』に反した活動を行っていた。だから、粛正する。そのついでに連中の権限を使って普通には粛正できない神の右席と幻想殺しを片付けることができれば最良……という一石二鳥を狙っただけだ。
出来ないならできないで別にいいさ」
「それに、平和はただじゃないのよ。平和な国の小娘には理解できないだろうけど平和には維持費がかかるの。挙句の果てに平和が崩されちゃったのだから普段より倍近い額を払うのは仕方のないことでしかないの。少しでも安く収めようと思ったら人命を払うのが一番安上がりなのよ。人間、可哀想な誰かが殺されている場面を見せられるとね、半数近くの人はやっと正気に戻る悲しい生き物なの」
かくして、E号実験とやらの準備を進めるロボットアームたちがそれを取り出し始める。それはきれいな球体だった。その球体からは1本のケーブルが繋がっており、そのケーブルもまた『
「……なるほど。原典の毒を直接注入するという手段をとったのか。それでいて、原典知識の漏洩を防ぐという目的か」
「悪趣味な科学実験らしいやり方ね。さすが『科学サイド』。趣味が悪いわ」
そういいながら2人は邪魔な『学習装置』を取り払い、球体を壊そうとする。その中に目的物がある。
すなわち、『魔導書の原典』というやつを。E号実験に使われていたそれを。異界の知識とやらが人を、脳を、精神を汚染していく過程を記録していくために使われていた実験装置を。
球体を壊そうとまずは叩いてみる。壊れない。そこで適当なハンマーで割ろうとする。壊れない。
「神の慈悲は無限大」
女魔術師の一言は球体を綺麗に一刀両断した。何もなかった空間を切断した。
「一番最初の攻撃はそれか」
『協定破りの処刑人』、魔術サイドの3人組が最初に現れた時の攻撃の謎が解けたところで、2人の動きを止められるわけではない。
球体は切断され、その中から、それが落ちてくる。
『原典』
それは禍々しい気配を振り撒く紐で綴られた3枚の『ハザール・アフサーナ』の麻から出来た紙片。
「触れば汚染されるし、可能な限り視界に入れないように」 「わかった。そこは魔術サイドの君に合わせよう」
かくしてその3枚の麻の紙片を中心に機材が用意された。すなわち――
「――放送設備ィ~?」 「気づいたか? 魔導書の『原典』とやらは精神を汚染するのだろ? そして人が壊れゆく。それを生放送するのだ」
「ばっ、そんなことをしたらどうなるかー!!」
「世界中が大混乱だな!! なんならカメラ越しに放送、配信を見た人の中にも犠牲者が出るだろうよ!! だが、これで人は思い知る。魔術の危険性を」
「そして、科学の危険性もだ。この両者が混じると何が起きるのか嫌というほど世界中が思い知る。膨大な犠牲者を出して」
かくして、『協定』がもたらしていた戦前の秩序に思いをはせる。そうなるはずだと2人は語る。
「完全にとはいかないだろう。だが、『協定』がもたらしていた平和な世界、秩序は回復へと向かう」
「バカげた世界大戦とやらも終わりだ」
「バカげているのはあんたらでしょー!! 仮に仮にあんたらのたくらみが全部うまくいったとするー!! 核兵器でフィアンマも上条さんも排除出来て原典放送で世界中に犠牲がでて、魔術と科学の危険性に世界が気づいたとするー!! ならそのあとの出来事は決まっているー!! 科学と魔術を組み合わせた兵器開発だ!! 協定の平和を懐かしむ人はいても、実際に! あれほどの大魔術師フィアンマさえ、核で仕留めることが出来るという実績、原典を放送しただけで世界規模の大災害という実績、それらは間違いなくさらなる兵器開発を進めることになるだけっ!!」
かくして、世界大戦は終わり、新たな世界大戦へのカウントダウンが始まる。
『協定』とやらが機能していた平和な世界(笑)は二度と帰っては来ないし、仮に帰ってきても今までとは似ても似つかない世界が出来上がるだけだ。
そもそも原作、『新約 とある魔術の禁書目録』の時代でもかりそめだとしても『協定』は機能していた。彼らにはその未来が全く見えていない。いや、見るつもりが無い。
「ふん。だとしても、踏み込んではいけない一線を踏み越えるものは処刑してしまえばいい。処刑する数が増えることは認めよう。だが、それだけだ人々は科学と魔術の危険性を知り、そしてそれを区切る境界線の必要性と道理を理解する。なら、一線を踏み越えるものへの処刑に対する理解も間違いなく増えるのだ」
止まらない。これはどうあがいても止まらない。そう、磐は理解した。理解せざる得なくなった。
彼らはやるつもりなのだ。原典で人が壊れていく風景を世界に垂れ流す。そしてその結果原典の知識を広げようとする性質は間違いなく世界中で大惨事を生み出す。
核兵器でフィアンマと上条当麻を排除するのと同時進行でやるつもりなのだと。
そして、おそらく、『原典』『ハザール・アフサーナ』もまたこの2人組の邪魔をしない。むしろ止めようとする者を攻撃しようとする。知識を広げようとする者とそれを妨害するものでは、『原典』にとって後者は純粋な邪魔者だ! そうじゃなかったらあの原典は間違いなくあの2人を遠慮なくこの距離から汚染したはずだ。
(どうする。切り札をここで切るか?)
磐にだって、切り札の一つや二つある。陣を張って待ち伏せするタイプの魔術師にも自称一流を名乗れるだけの実力がある以上、万が一用の切り札がある。
けれど、それは諸刃の剣。
(やるしかない)
諸刃の剣を使う決断を下した。
「観自在菩薩、深淵なる智慧、往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、さとりよ、幸いあれ」
「何をしている?」 「詠唱か!?」
「権現、降りる山海、往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、さとりよ、幸いあれ。起きろ、救うべき衆生はそこにいるぞ」
少女の顔に浮かび上がる旧字体の文字の数々。
「降臨せよ、冬吹き荒れる死山よ、往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、幸いあれ。封じを解く、大日如来、天狗、魔王、山海、山塊、さんかい」
何時しか彼女の後ろには陽光がさしている。地下であるにも関わらず、『陽光』が刺して周囲には冷気が立ち込める。ちぐはぐなそれは、急速に地下室が凍り付く今の状況の現況を一瞬でわからせるものだった。
「主の慈悲は無限大!」
切断。空間ごと唐突に両断されるそれが光さえ一刀両断する。女魔術師の詠唱は陽光さえ切り裂いた。
「うっそでしょ!?」
せっかく形勢逆転だと勢い込んで動いても『陽光』さえ、切断する謎の見えない刃の前に状況が読めなくなった。
大慌てで、身を隠せそうな机に身を隠す彼女に謎の切断現象は次々と襲い掛かる。
とはいえ、熱量を制御する陽光は周囲から熱を奪い、凍てついた場所を作り、あるいは太陽を思わせる灼熱の火の玉の両方を生み出す。
「『原典』か……!」 「気づいた? 切り札なんだよー」
地下に突如陽光が差して、零下の世界と灼熱の世界が同時に降臨する。
たかが、10代の小娘が、それも家族との関係も良好で学校にもちゃんと行くような小娘が自称であっても一流の魔術師を名乗れる程度の実力を手にするからくり。
魔術師としての出発点。神社の娘が魔術師として活動出来る理由。10代で魔導師クラスに到達出来た理由。彼女の一族の祖先が神社の倉に封印していた『魔導書の原典』。
「普段は、封印して、飲み込んであるんだよねー。小さいから~」 「ハハハッ、手間が省ける。おまえ自身が原典に汚染されて壊れていくのがわからないのか」
「その前にあんたらを撃破すれば、終わりだよね!!」
熱を奪って氷点下の世界に変えていく陽光。陽光自身は奪った熱を再活用、灼熱へと。
『身禄一切経』の切れ端、『富士講』に由来する死を振りまく雪の活火山、富士山という名の死神に奉納された日本仏教の経典という名の原典。
『大蔵経』という大乗仏教の経典詰め合わせセットが存在する。だが、その中身は大筋こそ変わらないが、時代と地域によってパッケージされたあれやそれや基になったサンスクリット語の漢訳のエッセンスが違うと言う事情が存在する。
主に中国南北朝時代に成立した経典セットを『大蔵経』と言うより、『一切経』と呼ばれることが多いのはそれが由縁だ。
かつての日本仏教界ではそんな『一切経』そのものに特別な力があると考えた。故に各地の霊山に一切経を奉げたという話が伝わっている。
かくして、山中魔界こと、魔王のお膝元は大日如来のお膝元へと変質し、天狗は権現へと姿を変えるのだ。
「『vita432(都合の悪い死を拒絶する)』!!」
磐の魔法名の宣告。折り鶴が紙の翼をはためかせて、数羽飛び回りそれとは別に陽光がレーザービームとなって数本の光線攻撃を仕掛ける。
レーザービームはレーザーという熱量現象でありながら、当たった部分が熱で溶けたりするのではなく一気に冷却され、凍り付く。
物体を冷凍させるビームを放ち、灼熱の火の玉を背負う少女。少しずつ、少女の体温がおかしくなる。顔に浮き上がる文字の数が増えていく。
「短期決戦でーぶっ飛ばす。ノウマク シッチリヤ ジビキャナン タタギャタナン(如来の皆々様、私帰依します)、沙門勝道、山水を歴りて玄珠をみがくひならびに序」
普段の術式の規模や出力が『原典』の強化を受けて倍増する。それとは別に原典が作り出す、『陽光』の攻撃が、学園都市製のナノデバイスを活用したオジギソウによる
攻撃を瞬間凍結で無力化する。空気中でオジギソウが氷の粒となって落ちてくる。普段であれば使い捨てになる折り鶴を簡略原典化させた攻撃も使い捨てにはならない。
空中で目には見えない切断現象と魔術を強制的に悪縁切りする術式がぶつかり合い、轟音だけが響き何一つ変化なし。
「なら、これは?」
ハンカチほどの布が四足歩行の小動物、ネズミのように動き回る。陽光レーザーがネズミ化したハンカチに命中、そのまま一気に燃え上がり瞬時に炭化した。
しかし、ハンカチの攻撃は陽動で、大気に真空の切断された空間が発生する。その現象は空間ごと大気が切られるという事象で、その副産物として衝撃波と爆風が吹き荒れる。
そして、全方位からそれが襲ってきた。
「『
全自動的に磐の口が動き、陽光のレーザーが折り紙に文字や記号を描き込む。術式の数の暴力。
だが、
「なっ――――」
――全方位衝撃波と全方位爆風は魔術という悪縁を縁切りさせる……つまり魔術を無力化する磐の術式を貫通して、彼女に襲い掛かる。
瞬間凍結による冷却空気が氷の壁を作って防壁としようとするが、遅い。薄い氷は簡単に衝撃波と爆風を通し、逆にその破片が少女に襲い掛かる。
全自動的に陽光の日差しが氷の破片を溶かす。そのおかげで自滅は避けられたが、逆に言えば、防御手段がないことを証明した。
「ドップラー冷却か、それともハロゲン・ペロブスカイトの原理を何かしらの方法で再現しているのかは知らないが、『原典』の力を使ったところで、君が勝つ道理は無い。仮にもそれ相応の実力を持った魔術師のくせに、忘れているのか。我々は原典の知識を広める機会を提供しようとしている。
そして、『原典』は異界の知識を広げようとする性質がある。我々が使用しようとしている『原典』も君が所持している『原典』にとっても……君は異界の知識の拡散を妨害する存在だ。君自身の『原典』が君に与える力なんて、小さいのがわからないのか?」
そう、それが今の状況の理由の一つ。
拮抗。一言でいえばそういう状況だ。『原典』という最大の切り札を切ってもなお、マッドサイエンティストな姿を見せる男と謎の切断術式を操る女魔術師の2人組相手に勝ちきれないでいる。おまけに原典は遠慮なく、磐を心身ともに汚染し精神を崩壊させようとしている。原典の特性、異界の知識を広げるという目的に忠実にその知識が人間の脳に毒であるにも関わらずそれを広げ、人間性と生命の破壊に勤しんでいる。
息が荒い。磐は自分で自分の息が激しい事を今更ながらに理解する。右半身の感覚がおかしい。熱すぎる。でも左半身の感覚は寒い。
顔から徐々に手の先まで経文らしき文字が浮き上がり始める。
(ダメだ。短期決戦のつもりで、切り札を切ったのに、切り札が思ってたより使えない。『原典を世界中に配信(知識拡散のチャンス)』って奴に私が邪魔者扱いされてる)
血反吐吐く思いで、次の攻撃を仕掛ける。知識の拡散。なら、まずするべきなのは、世界より目の前の3人では? と。
原作、『とある魔術の禁書目録』に、原典を使った攻撃に相手の原典の一節を血文字で書き写す事で無力化したシーンがある。
すなわち、原典は知識を広げるものの味方をする。
「観自在菩薩、深淵なる智慧、往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、さとりよ、幸いあれ。
降臨せよ、冬吹き荒れる死山よ、往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、幸いあれ。封じを解く、大日如来、天狗、魔王、山海、山塊、さんかい。
ノウマク シッチリヤ ジビキャナン タタギャタナン(如来の皆々様、私帰依します)、沙門勝道、山水を歴りて玄珠をみがくひならびに序」
経を読む。かなり崩し、魔術の詠唱に分解した経を読む。真言を読む。魔術の詠唱に使えそうなものとして適当につまみ食いして作り上げた詠唱の真言を読む。
修験道系の言説を引用した山の神、すなわち魔王、或いは天狗を象徴する一説を読む。
日本仏教から、神道式の領域信仰へ、すなわち冥府魔道の魔界たる山岳に由来する修験道へ。
そして、修験道から、特定の霊山信仰へ。
それとは別に、広げるのは一切何も手を付けていない折り紙。普段であれば色に気を付けながら〇×△□といった魔術記号を書いて折り鶴にすることで即席の使い捨て原典にするのだが、今回はそうしない。陽光のレーザー光が文字を紙に刻んでいく。即席では無くちゃんとした魔導書の一ページとして。
あとはこういった紙たちをあの2人組に――――
「――ああ、そういうのいいから」
放送機材、カメラなどを盾にする。カメラのレンズが折り紙に向けられる。
たったそれだけで、2人に精神汚染を感染させるという浅はかな知恵は破られた。その知恵はカメラを盾にされただけで無力化された。
「だとしても!」
確かに浅はかな知恵は破られた。でも、その知恵を破るために何をした? 放送機材を盾にした。
なら、自分も同じようなことをすればいい。放送機材の一つをつかみ、盾とする。そのまま盾に見立てたカメラで突撃する。
が、何もない空間が唐突に切断される。爆風、衝撃波。切断現象に巻き込まれた実験室のよくわからない機械が真っ二つになる。
「ッチ」
だが、少女を決して傷つけることはしない。少女が来そうだと思った方向にカメラの盾を向けたから。けれど突撃していたのに脚を止めてしまう。
オジギソウが空気中に凍り付き、謎の切断現象の爆風と衝撃波が次々と襲い来る。土壇場でカメラの盾を構えると無理やりそれを制御して明後日の方向に逃がす。
明らかに相手2人組の消耗が激しくなっていく。確かに、『原典』の力は磐を追い詰めている。けれど、ちょっとだけ形勢は逆転に近づいていく。
「めんどくさいわね。主の慈悲はどんな些細なことにも秘められている。終わりなき無限の問にも結末はある。正しくはS=2/1。世界の和はここにある」
女魔術師の詠唱、空中に走る亀裂。壁のコンクリートに走る亀裂。地面に走る亀裂。空気さえ何かで分断されているのがわかる。
切断現象がこれから始まるのだと直感する状態で、停止している。前兆で止められた何かはもはや地下室はおろか世界全体に広がっているのでは無いかと感じてしまうほどに全方位に広がっている。ありとあらゆる物が真っ二つになる寸前の状態で停止している。
「さて、これで終わりなんだけど、おとなしくぶっ壊れるのを全世界中継させてくれない?」
女魔術師が見下す視線でもって、少女に降伏勧告を出す。
「それは無理じゃ無いかな」
唐突にココにはいないはずの人間の声がした。次の瞬間、地下室の壁が爆破されて、突入してくるのは学園都市の『
「っ――!」
瞬時に切断の術式攻撃を実行された。爆風と衝撃波が吹き荒れるが、盾となる『学園都市』のドラム缶を思わせる『
生身の人間達を守る。
盾になった『
グレネードランチャーが空気砲弾を撃ち出すモードで稼働し、発砲。
その影で、エステルが自らの切り札であるハズの『原典』に蝕まれている少女――磐――に駆け寄る。
同じ魔術師だからこそわかる。危険だと。
「急いで、魔導書との同調を絶ってください、汚染が宗教防壁を貫通し始めてます!!」
「あいつら、止めない、と」 「低周波兵器を確認!!」
「熱量計が逝かれてやがる、なんだこの馬鹿みたいな部屋の温度は」
突入してきた
地下室がそうして、一気に人の密度が増えて――――
――『魔導書』の『原典』が牙を剥いた。
『ハザール・アフサーナ』が、『身禄一切経』が、汚染を広げていく。
「ぁっ……」
それを見た。麻でできた古文書に記載されたたった一文字を。それを見た。1人の少女より漏れ出た漢文らしき何かを。
たったそれだけのことなのに伝染病のように激痛に倒れ伏し、目から血涙を流す人々が広がっていく。
「ハハハッ、見ろ! 世界はどんな犠牲が出ようが戦争前の秩序の再来を望んでいる。そうでなければ『原典』がこれほど最高のタイミングで人に襲い来るものか!!」
放送機材の無人稼働。1人の管理者がいればあとはAIをはじめとする全自動のシステムが放送や配信をできてしまう。
それとは別にロシアの核兵器を確保した学園都市の部隊がその核兵器をどこぞの人間たちにぶつけようとする作戦図が機材の画面の一つに映る。
1人の研究者と1人の魔術師の2人組の願いは、まもなく叶う――――
『 そんなわけないじゃないですか』
――ハズだった。
スピーカーフォンから鳴り響く音声は、プロテアーゼから聞こえてくる。
『 正直あなた方の行動の意味はよくわからないことだらけでした。仮にあなた達の陰謀が実現しても私達はもちろん世界の多数には何が起きたのか、十分理解する土台が足りていません。それだけで、あなたたちは自分たちが何をしようとしているのか世界に説明する気がないとわかります。
世界に説明できないことが何故世界を良くすると断言できるんですか』
『
「ッ!」
女魔術師の切断術式。プロテアーゼの1機が装甲なんか完全に無視して真っ二つ。だが、プロテアーゼなる無人兵器は一つでは無い。
『 法則性がないか今調べてます。AIは便利ですね。あなたの行動、言葉、そのた諸々からその謎の異能がどういうトリガーで発生しているのか突き止めようとしている。ああ、出ました。理論はわからないけど、S=2/1という表現から一連の異能現象はグランディ級数にちなんだ何かである可能性は否定できないと』
「――!」
『 グランディ級数……えーとグランディっていう十字教の人が考えた数式? 1-1+1-1+1……と無限に続く数式の答えは2分の1であると言った?』
無限級数という数学上の概念がある。この概念、かつての十字教で色々と悩みに悩まれた時期があった。この世界は神が作った素晴らしい世界なのであからさまな欠陥を人が見つけることは不可能。よってこの世界を示す無数の数式には美しい解答があるはずだという発想において、答えがない数式は世界ではなく人間の欠陥。発想が間違っているのでは。けれど、1-1+1-1……と続くようなひどく簡単な数式さえまともじゃないと切り捨てるのは暴論といえる。
『 なので、グランディという神学者はこう考えました。慈悲深い神様は絶対に良い答えを出している。共有してしまえば良い答えになる。ある宝石を兄弟が相続した。ある日は兄が、ある日は弟が持てば数式にすると1-1+1の無限』
すなわち答えはS=2/1
『 正直よくわかりませんが、この逸話を知るだけでも状況はだいぶ変わるのでは?』
魔術師の女にではなく、その場にいる誰かに向けて投げかけられた言葉。誰に? 決まっている。
「沙門勝道、山水を歴りて玄珠をみがくひならびに序」
分割相続、共有相続。だから、1-1+1-1+1……が無限に続く数式の答えは2分の1だというのなら。
「世界を分割、あなたと私の共有物にすればー自在に『空間』を引き裂けるってことね!!」
神が用意した答え。数学をそのまま魔術に転用した術式。これは果たして科学サイドの領分か、あるいは魔術サイドの領分か。
けれど、そんなことはどうでもいい。
「それがわかったから何なの。確かにこの術式は私一人では使い物にならない。必ず誰かがいる必要がある。そして、この術式で直接人間を攻撃することは出来ない。共有者を攻撃する奴なんて相続権奪われて当然でしょ。何時の時代、何処の国でも。けれどそれだけでしかない」
違和感があった。なんでも物体を切断できるのなら、なんで人間を切断しないのか。やってることは切断の副作用ともいうべき衝撃波や爆風、或いは切断による瓦礫。
「ああ、そうやって強がりは良いから」
霧が下りる。霜が降りる。白い濃霧が人々の姿を覆い隠す。『共有者』の姿が見えない。いや、そもそも分割相続する相手は本当にそこにいるのか?
寒さとともに雪らしきものが部屋の中に見える。富士山頂の気象環境の強引な再現。孤高の山、凍てつく死の山、神聖なる死者の国を象徴する山。
陽光の熱量変化ビームも結局はこの富士山頂の気象環境を再現するための技に過ぎない。それが生み出す濃密な濃霧。
「いかん!!」
布の殺人マシンを稼働させる研究者風の男は、無数のハンカチをもって攻撃を実行する。
が、そのハンカチは銃声とともに落とされる。濃霧で前が見えない? 駆動鎧のセンサーをごまかせる特別製の濃霧なのか? そんなわけない。
『
「くそっ!」
低周波を操り、それをもって布のナノデバイスを制御する。対抗するのは同じく低周波の音をだすスピーカー。
そして――男の服に無数のダーツ。壁に縫い込まれていく。
「なっ!」 「逃走犯を捕まえにきましたの。よくもやってくださいましたわね」
包帯をあちこちに巻き、痛々しい姿のお嬢様学校の女子中学生風紀委員。しかし、彼女は決して折れなかった。
だから、ここにいる。
「ふざけるな、たかがモルモットどもが!」
自らの白衣のナノデバイスを稼働、強化された右腕がダーツによる拘束を打ち破り解放される。
そんな研究者風の男に黒子は白けた視線を送りつつ、次のダーツをテレポートさせていく。ダーツは、男の服ではなく、すぐ足元の床へ。
解放されたばかりで、反撃に焦る男には自らの足元にダーツが無数に突き刺さっているなんて知らない、わからない。
「ぁ?」
だから、一歩踏み出し、無数のダーツを踏んで、そのままバランスを崩して倒れていく。
そんな男の有様に手を出す暇のない魔術師の女は、襲い来るであろう、日本系魔術師の少女のいるかもしれない方向にタブレット端末を盾とする。
「この装置は、学園都市の部隊とつながっている!! ここから指示を出さないと核攻撃は止められないぞ! 私を攻撃してみろ! この装置を壊す! おまえは上条当麻に執着している。私を攻撃すれば、上条当麻への核攻撃は止められない!!」
「もうそんなつまらない方法しかないの?」
磐の言葉と同時に1人の『
「がっ!」 「今どきのタブレットは頑丈なんだ。仮に壊れてもデータの復元なんて簡単でね。たかが人間の暴れる程度の力では壊れないし壊れても大したことはない」
三宅だった。三宅の右拳がそのまま女魔術師の顔面に突き刺さる。
それでも女は反撃してきた。目の前の三宅を共有者として世界を分割、その衝撃波で距離を取って、テーザー銃で撃たれた。
電撃が体を走り、痛み、痺れ、麻痺と衝撃が全身の筋肉を硬直させ、思考回路を真っ白に染める。眼前はよく見えない。濃霧が再び男の姿を隠している。
「学園都市の部隊を勝手に外部の人間が指示を出して良いはずが無いだろ。そいつらの行動の是非はおいといて、まずはそいつらを止める。部隊の名前や大まかな位置さえわかれば、タブレットが無くたって『
偉そうに核攻撃のシナリオやタブレットの存在を教えなければ核攻撃は成功しただろうにな!」
背後から三宅の追加攻撃、関節技。
「はなせぇええええええええええ――――ッ!!」 「――おまえらは、手錠をはめた程度じゃ、安心できない!! 肩を外させてもらう!!」
S=2/1 グランディ級数の術式、空間共有・分割相続。
自分と自分に関節技をかけている男との周辺を一気に切り裂く。衝撃波が2人に襲ってきた。殆ど自爆だった。それでもこの場を乗り切るための――
「――ぁ」
女の口から思わず漏れる小さな声。
自爆同然、それでもその衝撃波で無理矢理三宅から距離をとった女の顔面に駆動鎧の空気砲弾が炸裂した。
ノーバウンドで床にたたきつけられ、転がる女魔術師だが、それでも意識がまだあった。
「エリスの二の舞を作るわけには――」 「「――いかんのだ!」」
黒子に拘束されている研究者風の男と女魔術師の言葉が重なる。非可聴音でのナノデバイス制御に世界分割の術式の最大出力を発揮――――
「「――――いい加減、とっとと倒れろ!!」」
男には郭が、女には絹旗が、握りしめた右拳のアッパーカット。
かくして、2人の意識がなくなって、すべての敵が倒された。
けど、核攻撃のタイムリミットはまだ迫っている。
A.I.制御の放送設備も稼働し続けている。
磐も目鼻口から血を流し小刻みに痙攣しながら、暴れ狂う魔導書の原典に浸食されている。
本当の最後の戦いは、2人の敵が倒された直後より開始された。
再開です。本年度中に完結します