櫛田に転生したから綾小路の手駒になる 作:星宮ひまり
放課後になり、一年Dクラスの教室では勉強会に向けて準備が進んでいた。
準備とは言っても大掛かりに何かを用意するわけじゃない。勉強道具を机の上に出したあとは、お手洗いに行ったり、水分を用意したり、グループで纏まるために机を移動させたり、くらいだ。中間テストまでまだ三週間はあるからか、緊張感はあまりない。
「櫛田」
私も先生役として準備を進めていると、綾小路くんが声をかけてきた。
「どうしたの? 綾小路くん」
「悪いが、勉強会、オレはちょっと遅れて参加することになる」
彼の言葉に内心首を傾げつつ、私は了解の意を伝える。
「うん、わかった。待ってるね」
元々この勉強会は途中参加・離脱自由なのだが、わざわざ伝えてきたということは何かあるのだろうか?
そう思うも、私にはその理由はわからなかった。
……というかそれ伝えるなら主催者の平田くんに、じゃないの?
十七時になり、予定通りに勉強会が始まる。
結局、須藤くんや一部の生徒――高円寺くんや幸村くん、長谷部さんなど――を除いたクラスの八割近くが参加してくれることになった。
先生役は平田くん、私、みーちゃんに追加して――なんと堀北鈴音。
驚きである。池と山内が平田くん主催の勉強会に参加すること以上に驚いた。
半端にアニメの知識があるから池と山内が勉強会に参加することに違和感を覚えてしまうけれど、あの二人の性格的に女子目当てで参加するのは全然不思議なことじゃない。
対して堀北鈴音は、今まで誰から話しかけられても冷たくあしらっていた孤高の少女だ。
そんな人が、誰かのために動くだなんて、ちょっと信じられない。
……とはいえ、アニメでも三バカ救済のために動いていたわけだし、堀北鈴音は全く他人を思いやれないわけではない……のかな?
と、私の感想はともかくとして。
堀北鈴音が先生役に名乗り出たとき、平田くんも驚いていたが、すぐに嬉しそうな顔をして歓迎した。彼は基本的に『来る者拒まず』『みんな仲良く』というスタンスなので。そしてクラスの中心であり勉強会の主催者である彼が受け入れれば、反対を叫ぶ者は出てこない。
そうして堀北鈴音はすんなり勉強会に受け入れられた。
勉強会は、基本的に個人で教科書を読み込んだり問題集に取り組んだりしつつ、わからないことがあったら近くの先生役に尋ねる感じ。
ただ、どの先生を頼るかは当然の如く
・軽井沢を中心とした女子グループは、平田くん。
・池と山内、その他ウザ……キモ…………積極的な男子たちは、私。
・赤点組の心ちゃん、平均点を割っている佐倉さんと沖谷くんなど普段私がいるグループの子たちは、みーちゃん。
・残りのそこまで点数の危なくない人たち(比較的大人しい人が多い)は堀北鈴音。
――といったふうに、ある程度グループで担当の先生役が分かれてしまっているけれど。
まあ、平田くんや私を目当てに参加している人もいるから、仕方ないかな。
どんな動機であれ、それで勉強に励んでくれるなら言うことはない。……ちゃんと勉強してくれるなら、ね。
さて、堀北鈴音の様子も気になるけれど、問題は私の担当グループのことだ。
廊下側で後ろから二番目の池の席を中心に、前の須藤くんの席を借りた山内、そして近くの席を借りて外村や宮本が集まっている。先生役の私は、誰に呼ばれても移動できるように立っている(呼ばれて行っても、解決したらすぐに池や山内に呼び戻されるけど。キモい)。
全体的に点数の低いメンバーが集まっているが、その中でも特に池と山内。彼らの学力には本当に頭を抱えたくなる。
「なあ櫛田ちゃん、この問題どういうことなんだ? ワケワカメだわ。連立方程式って何?」
「馬鹿だな池、
「いや第二ステージじゃね? あるいは進化形。つか山内おまえ、連立方程式だからな」
「あーそうだ、
「なんだそりゃ……。ってかさ、そもそも方程式って何だ?」
「方程式ってのはアレだよ、式が――」
「おまえじゃなくて櫛田ちゃんに
「…………あは、あはは…………えっと、連立方程式っていうのはね――」
彼らは中間テストに向けた勉強以前に、普通は中学校で身につけているはずの基礎すらできていなかった。思わず「二人はどうやって入試を乗り越えたの?」と口に出して言いそうだった。
しかも池と山内は――いや、二人だけではなく私が請け負った他の男子も――視線はテキストよりも私の胸やら顔やらに向くことのほうが多く、集中も五分と続かない。
不快さと恐怖と苛立ちで、頭がどうにかなりそうだった。
……それでも先生役を引き受けた以上、そして赤点者を出さないためにも、折れるわけにはいかないけれど。
私は別に頭がいいわけではないし、人に教えるのが特別得意でもない。
事実、前世の中学や高校では平均以下の成績だったわけだし。
今世の中学時代は、
……あれ? 誰に教えて貰っていたんだっけ……?
――……、まあ、今は置いておこう。
ともあれ、なんとか池たちでも理解できるように言葉を噛み砕き、基礎の基礎から取り組み、意欲を損なわないように優しい言葉と計算した所作で元気づけて――。
と、そんな感じで精神力をガリガリ削られながら先生役をこなすこと三十分。
「――遅くなった。今から勉強会に参加してもいいか?」
教室の後ろの扉が開くと共に声がしたので視線を向けると、そこには綾小路くんと須藤くんの姿があった。
「も……もちろん大歓迎だよ、綾小路くん、須藤くん。けど……」
真っ先に勉強会の主催である平田くんが答えるが、微妙に歯切れが悪い。おそらく二人の顔を見たせいだろう。
――綾小路くんと須藤くんの顔は、なぜか腫れていた。
制服もよれて、ところどころに
まるで喧嘩の後のような姿に、平田くんは心配そうな顔をして言う。
「その……大丈夫かい? 顔が腫れているよ。何かあったのかい?」
「別に、なんでもねぇよ。……おい山内どけよ」
そう吐き捨てた須藤くんは、自分の席を勝手に使っていた山内を強引にどけると、音を立てて自分の席に座った。それから山内が広げていたテキストを雑に纏めて後ろの池の机に投げ、鞄から自分の教科書を取り出す。
「いつつ……おい須藤、勝手に借りたのは悪かったけどさ――」
「あぁ?」
「いや……その…………そうだ、櫛田ちゃん! 櫛田ちゃんの机貸して――」
「悪い櫛田、机借りてもいいか?」
山内の言葉を遮って綾小路くんが訊いてくる。
私は笑顔で頷いた。
「うん、いいよ、綾小路くんっ」
「悪いな、櫛田」
「ううん、全然いいよ!」
山内に座られる事態を避けられるだけで私はにっこにこだよ!
「くそっ、綾小路め……」
「俺も櫛田ちゃんの椅子に座りてー! そのほうが勉強に集中できる気がするぜ」
「池はぜってー集中できないだろ。机舐めたりするんじゃねーの?」
「ばっ、おまっ、しねーよそんなこと! ちょっと匂い嗅ぐだけだし! つぅか山内、おまえはとっとと自分の席持って来いよっ!」
「いや、俺の席は使わない。だって席を
「天才かよおまえ……でもそうすると、高円寺の席を借りるしかないな」
「ちくしょー、女子の椅子に座りたかったぜ」
ヤバいくらいキモい。なにこいつら。正気? これ正気の会話なの?
ちなみに山内の席は廊下側の前から二番目で、近くにはみーちゃんが教えるグループがある(廊下側一番前の心ちゃんの席に自然と集まったみたい)けれど、誰も借りていなかった。女子は当然のこと、男子の沖谷くんですら露骨なくらい避けている。
と、私が男子最キモコンビの会話に震えていると、私の机を後ろ向きに動かして須藤くんと向き合うように座った綾小路くんが、須藤くんに声をかけていた。
「須藤」
「わーってる」
短いやりとりの後、須藤くんは自分の頭をガシガシと掻いて、それから私のほうに顔を向けた。
「あー……その、櫛田。……勉強、教えてくれ」
どこかばつの悪そうな雰囲気はあったけれど――須藤くんの目は真剣だった。
お昼の『勉強なんてしてらんねーし』みたいな態度はどこへやら。いったいこの三十分でなにがあったのだろう……?
ことの真相を知っていそうな綾小路くんは、じっと須藤くんと私のことを眺めるのみ。
……何があったのかはわからないけれど、須藤くんが勉強に取り組んでくれるのはいいことだ。なんか私の知っている流れとは全然違うけど、この際そんなことは気にしないことにする。
私は明るく弾けるような笑みを浮かべて、須藤くんに歓迎の言葉を掛ける。
「うんっ、もちろんだよ! 一緒に頑張ろうね!」
「お、おう」
ちょっとどもるように返事をして、須藤くんは目を逸らした。
「あーっ! 須藤、まさかおまえも櫛田ちゃん狙いなのか!?」
「うっせーぞ池。俺は勉強しに来ただけだっつの」
「いやいやおまえが勉強って、どんな心変わりだよ。怪我してるし。マジで何があったんだよ?」
「おまえには関係ねー。黙ってろ」
須藤くんが拳をちらつかせると、池は大人しく引き下がった。山内のほうも何か言いたそうだったが、拳で黙らされることは嫌なようで口を開くことはない。
須藤くんにどんな心境の変化があったのかは知らないけれど、池や山内のように女子で釣られたわけではないだろう。
というか、それよりもやっぱり傷の心配が先に出てくる。
「でも須藤くん、頬の腫れ、凄く痛そうだよ? 先に保健室に行ったほうがいいんじゃない?」
「問題ねえよ。このほうが頭ン中がすっきりして集中できそうだ」
「そう、なの……?」
まあ、本人が大丈夫と言うなら、そっとしておこう。
「綾小路くんのほうは、大丈夫?」
須藤くんよりはやや軽症に見えるけれど、綾小路くんの頬も腫れていた。
「大丈夫だ」
「結構腫れてるし、口の中で切れちゃったりしてない? 切れてなくても、冷やしたほうがいいんじゃ……」
「いや、本当に大丈夫だ。それに、これは学びと友情の証だからな。今日くらいはこのままでいいだろう」
「学びと、友情……?」
……これ、もしかして二人で殴り合いでもしたの? 拳で語り合う的な?
漫画やアニメで見るような友情の深め方だなぁ。河川敷はこの学校だと無理だから、校舎裏かな? ちょっと見てみたかったような、怖いような……。
でも、だとしたら須藤くんがこうして無事なのはちょっと不思議かも。綾小路くんがその気なら須藤くんは確実に病院送りだろうし。
ともあれ、本人たちが大丈夫と言うならこれ以上私から言うことはない。
そりゃまあ心配はするけれど、男の子のこういうのって踏み込みにくいっていうか……しつこくすると余計なことだって振り払われるだろうし。下手に触れずにそっと見守るのが一番だと思う。
そんなこんなで私の担当生徒に二人(いや勉強で私が綾小路くんに教えられることはないけど)が加わって、勉強会が再開する。
……再開、したのはいいけれど、今度は私の能力不足が問題になった。
正直、須藤くんは池や山内よりもヤバかった。
いや、比べる意味がないくらい三人ともヤバいけど。中学生以下、下手をしたら小学生レベルを卒業できていない。
須藤くん唯一の救いは池や山内よりもやる気があって、きちんと私じゃなくてテキストのほうに視線を向けられていることだけれど、それでも地の学力が低すぎる。
……中間テストまで三週間だけど、この調子で大丈夫かな……?
いや、今回のテストは過去問があるから、最悪どうにかできるけど……これからのことを考えたら、最低でも『授業内容が全く理解できない』レベルは卒業して貰わないと困る。
「須藤おまえ、連立方程式もわからないとかマジかよ! ヤバいんじゃね?」
「んなこと言って山内、おまえもさっきまで知らなかったじゃん」
「いや、池と違って俺は知ってたし。ほら、周囲のレベルに合わせたほうが櫛田ちゃんも教えやすいだろ? そういうことだよ」
「嘘吐け」
「嘘じゃねーし」
「ああくそっ、テメーらうっせえぞ!」
山内が煽って池が突っかかって、苛ついた須藤くんが拳をちらつかせて黙らせる。
いちいち声が大きいから、他の生徒もこちらを気にして視線が集中してしまう。教室にはどことなく悪い空気が漂い始めていた。このままうるさくしていれば、やがてクラス中から苦情が飛んでくるだろう。
……ヤバイ。これを抑えるのは先生役の役目だけど、私には荷が重い。
池も山内も一度
ああ……私、ちょっと駄目すぎる。いや、わかっていたことだけど。自分の力が足りないことくらい。
「ちょっといいかしら」
と――十数分の奮闘で早くも白旗を揚げかけていた私に、声がかけられる。
振り向くと、そこには堀北鈴音の姿があった。
教えるために使っているのだろう教科書を抱えてこちらに来た彼女は、一瞬だけ綾小路くんに視線を向けた後、改めて私に向かって口を開く。
「苦戦しているようね」
「う、うん。私、あんまり教えるの上手くなかったみたい」
何をしに来たのだろう。わからないけれど、私はとりあえず自分の力不足を嘆くように苦笑を浮かべながら対応する。
しかし、堀北鈴音は軽く鼻を鳴らして、
「あなたの問題ではないでしょう。彼らの基礎学力が高校生の基準に満たないどころか、壊滅的なまでにやる気と集中力が欠如していることが問題だわ」
「え、えっと……」
「そもそも自分たちの置かれた状況をわかっているのかしら。赤点を取ったら退学。だというのに、彼らはあなたのことばかり意識して真面目にテキストに向き合わない。
堀北鈴音の罵倒に、池と山内は顔を
しかし――意外なことに、真っ先に手が出そうな須藤くんは、黙って堀北鈴音の話を聞いていた。額に青筋を浮かべてシャープペンと教科書を握る手を震わせているが、それでも
その様子を見て、堀北鈴音は少しだけ目を見開いた。
だがすぐにいつもの冷たい双眸に戻ると、私に提案を持ちかけてくる。
「彼ら……池くん山内くん須藤くんの三人は、私が教えるわ」
「え――っ?」
堀北鈴音の提案に、私は困惑の声をこぼす。
「彼らは基礎の基礎から教え直さなければ駄目なのでしょう? なら、他とは分けて、集中して教えたほうがいいわ」
「そう……かもしれないけど……」
実際、私としては渡りに舟な提案だった。
特にヤバイ三人を隔離して集中的に教え、中間テストに何とか間に合わせる。現状ではそれが最も効率的だ。
私が請け負っていた他のメンバー――外村や宮本たちは、三バカとは違って『授業内容が完全に理解できない』というレベルではない。集中授業をしなくとも、今までの方法で問題ないだろう。
ただ――不安なのは、堀北鈴音が担当するということ。
アニメでの大失敗を知っていると、本当に大丈夫なの? と思ってしまう。
……とはいえ、私では力不足であることも事実。任せるしかない。
「えー、俺、櫛田ちゃんに教えて貰いたいんだけど」
「俺も俺も。堀北ちゃんってなんか冷たそうだしさー」
私が納得したとしても、教わる側は別の話。池と山内は不満たらたらで文句をぶつける。
対し、堀北鈴音は変わらず毅然な態度で言う。
「池くん山内くん、あなたたちに先生を選ぶ権利はないわ。あなたたちの現状はあまりに悲惨だもの。退学したくないなら、大人しく従いなさい」
「んな上から言われても……やる気が出ないっつうかさー。なあ池?」
「マジそれ。何様だよって感じ。つか、ぶっちゃけ中間テストの前に一夜漬けすれば良くない?」
彼らの基礎学力的に、一夜漬けでどうにかなるとはとてもじゃないけど思えない。
確かに今回のテストは過去問という裏技があるからなんとかなるかもしれないけれど、その次からはそんな裏道はないはず。点数を買い続けるわけにもいかないし、自力を付けなければ退学まっしぐらだ。
「ほとんどの問題が中学基礎レベルだったあの小テストですら赤点のあなたたちが、一夜漬けした程度でどうにかなるわけがないでしょう。自分の力を過信しすぎね」
聞き耳を立てていたのか、心ちゃんが流れ弾を食らって「ぐぅお……っ」と
「まあ、正論を説いても池くん山内くんにはそれを理解する脳がないみたいだから、別の方面から現実を突き付けてあげましょう」
「は?」
「何様だよマジで」
度重なる罵倒に苛立ちを抑えきれないのか、池も山内も険しい顔を堀北鈴音に向けている。だが対する堀北鈴音に動じた様子はない。
教室はいつの間にかしんと静まりかえって、皆、こちらの様子を窺っていた。
ふと平田くんと目が合う。彼は堀北鈴音を止めるためにこちらに近づき、口を開こうとして――。
しかし、堀北鈴音のほうが早かった。
「あなたたち、いい加減櫛田さんから嫌われていることに気付きなさい」
ぴしり、と。教室の空気が凍り付いた。
そして、堀北鈴音の言葉を理解すると、ゆっくりと皆の視線が私に集中する。
「そ――そんなわけないだろっ! く、櫛田ちゃんが何で俺たちを嫌ってるって言うんだよ!?」
椅子を蹴るようにして立ち上がり裏返った声で叫ぶ池に、堀北鈴音は冷徹に切り返す。
「櫛田さんは真面目に勉強を教えているのに、あなたたちは櫛田さんの胸ばかり見てテキストに集中しない。その上、セクハラまがいのことばかり言って粘着する。――普通に考えて、そんな相手を嫌わないわけがないでしょう?」
正論だった。
たぶん、池と山内以外の全員が「そりゃそうだ」と意見を一致させたことだろう。
「いや……でも、そんな……俺、そんなセクハラ染みたことなんて言ってねえよ! 確かに山内は机舐めたいとか言って気持ち悪かったかもしれないけどさ!」
「なっ――い、池だって櫛田ちゃんの机の匂い嗅ぎたいとか言ってただろ!」
友人の裏切りに、山内も盛大に音を立てて立ち上がった。そして唾を飛ばすような話し方で、自らも友人の罪を暴露する。
「それに俺、前におまえが階段の下で待機して櫛田ちゃんのパンツ見ようとしてたの知ってんだからな! カメラ起動してたし!」
「ばっ、いや、あれは
「いやもう確定だろ。あの時の池の顔やばかったぜ? まさに犯罪者って感じでさー」
「このっ――く、櫛田ちゃん、違うから! 俺はそんなことしてないから! 山内が勝手に言ってるだけだから! なあ、櫛田ちゃん!? 信じてくれよぉっ!」
池の視線がこちらに向いた。懇願するような目。湧き上がる感情は、憐憫でも同情でもなく――恐怖。
上手く身代わりを作れた(と思い込んでいる)山内はにやつきながら池を眺めている。私と目が合わないのは、再度自分が標的にされないようにするためか。気持ち悪い。
どっちもどっちだし、どっちも嫌いだし、どっちも死ん……消え……近づいてこないでほしいことに変わりはない。
だから私は――正直、自分が今どんな表情をしているのか、鏡を見ないとわからないけれど――困ったような雰囲気を作ってこう言った。
「……え、っと……………………真面目に勉強に取り組まない人は、嫌い、かな」
――いや、だって、そう言うしかなくない!?
面と向かって「私はあなたのことが本当は嫌いです」なんて言えるわけないじゃん! 真実がどうであったとしてもさぁ!
というか
確かに正論だし事実私はあいつらのこと嫌いだけど! アニメで見ていたときのキャラとしてならともかく――いやアニメで見ていたときもちょっとアレだったけど、現実で交流を持ったらマジで嫌いになったけれども!
それでもさ、建前ってあるじゃん!?
正論だけじゃ世界は回らないのッ!!
……正論だけ振りかざして、自分がいつも正しいと思って生きていくことなんて、私にはできない。
私はそんなに強くない。
私には、――無理、だから。
「ほら、これでわかったでしょう。――これ以上櫛田さんに嫌われたくないのなら、大人しく勉強に取り組みなさい」
堀北鈴音がぴしゃりとそう言い放つと、硬直していた池と山内の体がピクリと震えた。
それから二人は、私と堀北鈴音の顔をチラチラと見る。
数秒間そうしていたが、やがて眉を八の字にした池が口を開いた。
「その……ごめん、櫛田ちゃん。俺……」
「ううん、私こそごめんね。勉強、上手く教えてあげられなくて」
私としてはこれ以上好き嫌いの話を広げたくないので、勉強のことだけを口にする。
そこからどう読み取ったのかはわからないが、池は
「時間を無駄にしたわね。山内くんも座りなさい。須藤くんは……準備できているようね。なら、早速始めましょう」
教室の空気は死んだも同然なのだが、堀北鈴音は何もなかったかのように勉強会を始めるようだ。強心臓過ぎる。
「ああ、櫛田さん。悪いのだけど、私が請け負っていた人たちも任せていいかしら。少なくともこの三人よりは基礎学力も理解力もあるからそう負担にはならないはずよ」
「あ――う、うん。わかったよ」
堀北鈴音の担当を引き継ぐことになったが、彼女が請け負っていた生徒は大人しい人が多いので確かにそれほど負担ではない。成績も中間層ばかりだし、頻繁に呼ばれることはないだろう。
三バカ以外で元々私が教えていた外村たちはそのまま担当するけれど――先ほどの光景に思うところがあったのか、彼らは大人しくテキストに向かうようになった。
「じゃ、オレは井の頭たちのところに混ぜてもらうかな――」
「待ちなさい、綾小路くん。あなたは私の補佐をしなさい」
「なんでだよ……?」
「須藤くんたちが逃げないようにするための保険よ。それに、人に教えることは自分の勉強にもなるわよ」
「それは勉強できるやつだけだろ。オレの小テストは50点だったんだ、教える側に回れる学力じゃない」
「テストの点数で遊ぶふざけた綾小路くん。さっきの櫛田さんの言葉を聞いていなかったのかしら? 彼女は『真面目に勉強に取り組まない人は嫌い』と言っていたのよ」
「……、…………、………………はい。手伝います」
と、なぜか綾小路くんは三バカのところで堀北鈴音の手伝いをすることになっていたが。ある意味アニメ通り……なのかな?
堀北鈴音による事実陳列事件で一度教室の空気は冷え切ってしまったが、堀北鈴音が三バカを完全に抑え込んで静かに勉強に向かわせることに成功したことと、平田くんが全体に明るく声をかけて皆の緊張や悪感情をほぐしたことでなんとか持ち直した。
私も平田くんと同じように皆に声をかけて回ったが、同情ばかりが集まって雰囲気改善に繋がったかは微妙なところだ。
なお、なぜか一番強い同情を向けてきたのは軽井沢だった。
しかし彼女は、それとは別の感情も私に向けていた。――たぶん、私が彼女に対して抱いているものと同種のソレだろう。
それからの一時間ちょっとの勉強会は、平田くんの尽力で持ち直したとはいえ、前半の騒がしさや気楽さは消え、多少ヒリついた空気のまま進んでいった。
とはいえ、そう悪いことではない。言い換えれば、遊び気分が消えて、勉強に集中できていたということでもあるのだから。
ただ、この雰囲気が苦手だと思う人も当然いる。ただでさえ嫌いな勉強を授業以外でもやるのだから、せめて友人とお喋りしながら楽しくやりたいと思う人のほうがDクラスには多い。
この調子だと明日からは参加人数が減っちゃうかな……と思っていたのだが。
「明日から私たちは図書館で勉強会をするわ」
勉強会の終わりに、堀北鈴音が皆に向かってそう言った。
「池くんたちもこの教室で勉強するより、別の環境のほうが精神的に楽でしょうしね」
教室の雰囲気など気にしていないように思えた堀北鈴音だったが、きちんと空気を察していたらしい。あるいは、綾小路くんが密かに入れ知恵したのかもしれないけど。
「わかったよ堀北さん。お互い、中間テストに向けて頑張ろう」
「ええ」
爽やかな笑顔を見せる平田くんに対し、堀北鈴音はにこりともせず短く返すのみ。ある意味、平常運転で安心する。
……いや、もちろん違和感はあるけど。クラスに最初から協力的というか、今まで他人に興味が無いように見えたのに勉強会に先生役として参加するし。
というかアニメでは最初の勉強会で堀北鈴音の高圧的な態度のせいで大失敗していたはずだけど、今日見ていた限り上手く回っていたように思う。少なくとも私より上手かった。言葉は厳しいけど、根気強く三人に基礎から教えていた。
アニメでの堀北鈴音とは、何かが違う。
フィクションが現実になったから? それとも原作ではそういう感じなの?
わからない。
わからないけれど……。
何か――そう、
そんな気持ち悪い予感が、じわりじわりと私の精神を蝕んでいた。
四月時点の池と山内が『階段下で女子の下着を覗く』をやってないわけがない。中学生気分が抜けていない時期であるのと、一年生編4.5巻のオペレーションデルタでの言動から考えて。
なお、いちおう池のカメラの件は、彼の言うとおり故意ではありませんでした(あの端末にその機能があるかはさておき)。
Q.これ、池と山内はこれからずっと白い目で見られ続けるのでは?
A.被害者(転生櫛田)がなにも言わないので表立って皆が責め立てることはしませんが、視線はずっと冷たいままだと思います。
……でもぶっちゃけ四月のプールの授業で女子の胸のサイズで賭けをしていた時点で、Dクラス男子(平田と一部は除く)への視線は冷たかったのでは? と思うので、それが池と山内だけ何段階かさらに冷たくなる程度の変化だと思います。
せいぜい無人島試験で、下着を盗んだ犯人を女子全員が最初から池か山内に決めてかかるくらいの変化です。……わりとデカい変化なようなそうでもないような……?