アーチニンジャ:ネオサイタマ奮闘記   作:コースト

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(前置き:更新に大幅な間が空いてしまい、誠に申し訳ございません。この回はこの物語全体のターニングポイントとなり得る、重要な回なのです。更新ペースは徐々に回復するでしょう。いじょうです)

(補遺:この空白の期間にもお気に入り登録が増え続けていて、それはとても大きな糧になりました。拙作を読んでくださる心優しきヘッズの皆様に、改めて深い感謝を送ります。アリガトゴザイマス!)


ザ・モーメンタリィ・インパルス #3

「珍しいこともあったもんだな。お前が鶴橋を持つなんて」

「そう思うか?……イヤーッ!」

 

 私は流れる汗を拭い、手に持った重い鶴嘴を振り下ろした。

 ガンッ!乾いた破砕音が響き、地面に埋まっていた大きい謎めいた形状の石製スクラップが、大量の細かな破片となった。

 

「よいしょッと」

 

 イシハラもその隣で鶴嘴を振り下ろす。造作も無く。私は一々シャウトする必要があるが、こやつは特にその必要はないようだ。気に食わんな。

 スクラップ集めを本格的に初めて早8日。私はイシハラにとある要求をした。鶴橋を使いたいと言ったのだ。こやつも多少は意外そうな顔をしたが、すぐにスペアの鶴橋を貸してくれた。今、私は鶴橋で地面を掘っている。

 発掘領域は分けずに共有していることになった。イシハラの採掘の仕方を近くで見て学ぶ必要があるからな。スクラップの取り分も共有し、私が4割もらうってことになっている(みみっちい奴だ)。

 

「重いから嫌なんじゃなかったのか?」

 

 イシハラが採掘を続けながら訊いた。私も再び汗を拭いながら答える。

 

「まあ……気が変わったんだよ。何でも試してみないと……イヤーッ!ひょっとすれば、素手よりも、案外楽なのかも、とか思って……イヤーッ!」

「素手でも同じ量採れてたし、変える必要性は薄かったと思うが……」

「……」

「何でも試したくなるお年頃ってヤツか?それとも……」

 

 喋る途中で、イシハラは閃いたような顔を見せた。

 

「アレか、昨晩の嫌な夢とやらでなんか見たんだな?」

「……」

 

 何でそういう所は無駄に覚えているうえに、察しがいいんだ。もう無視してしまおう。

 そうだ、食わず嫌いというのは方便だよ。あの悪夢……白状すれば、あれはかつての私を無意識のうちに回想したものだ……を見て以降、私はなんと、自らのチリアクタ・ジツを使うことに罪悪感を覚えるようになってしまった。

 というのも、使おうとするたびに、このジツでホトケにした数多のモータルやニンジャの幻影が、瞼の裏に見え隠れするのだよ。

 我ながら、異常なことだ。ニンジャをやめろと咎められれば、返す言葉もない。

 ハァ……。

 

 もともと、私がニンジャになったのは……男尊女卑の甚だしいこの世の中に対して、自衛手段を身につけたかったからなんだ。

 小さいころから、何かにつけて「女」だからと差別をされてきた。それが悔しくて堪らなくて、ニンジャになって私を無碍にしたやつを見返してやろうと思った。

 そして数多の紆余と曲折を経てニンジャと相成った私は、差別されるに至らない圧倒的な力を手に入れた。私を小馬鹿にする奴は、まあ大体いなくなった。

 それでも女だからとなお見縊る奴は居たには居た。そいつらには多少の力を誇示することもやぶさかではなかった。

 だけど……ただただ悦楽のためにだけモータルの命を殺めるなど、私は言語道断だと考えていたんだ。

 

 ただ、尋常の人間に勝る圧倒的な力を手に入れるということは……裏を返せば、空中に張られた綱を渡ることと同じだ。

 不可視の出刃包丁を手に持ち、公衆の面前を平然と渡り歩くのと大差ない。

 私に示される行動の選択肢には、つねに「その包丁で刺し殺す」があった。ほんの気の迷いだけで選べそうな位置に。

 私は、誤ってでもそれを選ばないように努めた。

 

 だが……あの時の私は、未だに覚悟が足らなかったな。

 あの一瞬の衝動で、私は綱から落下した。

 そして私は、自分自身から湧き、骨の髄を隅々まで満たした黒に、この心を委ねた。

 身を窶した。邪悪になった。

 もう……善良なニンジャには、なれやしないと諦めたのだ。

 

「今日もそれなりに採れたな」

 

 労働が終わった。橙色の陽光が瓦礫砂漠を真横から照らし、遠くからはカラスの鳴き声の朧げな残響が聞こえる。

 鉄屑の詰まった箱を運びながら、イシハラが続ける。

 

「だがまあ、あの辺も何日も掘り続けてるわけだし、そろそろ枯渇しているかもな。深くまで掘るのも面倒だし、場所を変えたほうがいいかもしれん。お前はどう思う?」

 

 ……。

 返事は聞こえない。イシハラは訝り、足を止めて振り返った。

 

「アー……」

 

 あやつの目には、重い箱を持ちながら全身から汗を滝のように流し、生まれたての四足歩行生物めいて足を震わせながらも、必死に追い縋ろうとする私の姿が映っているのだろう。私は必死に叫ぶ。

 

「置いていくな!バカ!」

「悪い悪い、疲れてたんだな?忘れてたよ」

 

 肩を竦めながらイシハラがこちらに駆け寄った。痺れを切らした私は、まるで巨大な鉄球かのように重いその箱を放り投げ、その場の地面に身を投げ出した。

 

「あーあッ、疲れた!もう動かん!」

「おいおい。閉まるぞ、リサイクル屋」

「じゃあこの箱を持て!それか箱を持つ私を持て!もう疲れすぎて歩くのも億劫なんだ!」

「分かったって。じゃあそれ持て」

「ハハハ!やはりイヤか!だったらここにずっと居座……エッ?」

 

 言いながらイシハラはストレッチを行い、放り投げられた箱を再び私に持たせた。

 私は当惑しながら訊き返そうとする。

 

「何を――」

「よい……しょッと!」

「ウワーッ!?」

 

 すると、突然胴体に腕を回されてむんずと持ち上げられ、米俵めいてイシハラの肩に掛けられた。こやつがもともと持っていた箱は小脇に。

 小刻みに跳ねるイシハラ。私は一瞬呆気にとられ、この後何が起こるかを察し遅れた。

 

「ふぅ……走っていくぞ」

「ま、待て、待て!さすがにこれは恥ず――ギャーッ!!」

 

 私が制止する間もなくイシハラは身を屈め、助走もなしに全速力で走り出した。

 首がガクンガクンと縦に振られる。というか体全体が激しく上下に揺さぶられてめちゃくちゃに嫌だ。特に腹部が圧迫されてすごく気持ちが悪い。

 余りに不快な躍動感だ。しかしその両手で持っている箱を落とすわけにもいくまいと、必死に努めて持ち続けた。正確には、持つこと自体に苦労はしないが、ひっくり返すと中身がおじゃんになるため、ニンジャ平衡感覚を駆使して零さぬように持ち続けた。正直、普通に持ち歩くより体力を使った。

 ……しかも、それらが3分ぐらいは続いた。

 

 

「うわあ、イシハラの奴……アッシュピット=サンを肩に背負いながら走ってきやがったぞ」

「やっぱりすげえ馬鹿力だな」

 

 男二人組の駄弁りが聞こえる。だが私にはその科白の意味を解釈する体力も無かった。

 イシハラが集落に戻ってきた頃には、干されたフートンめいてU字にくたびれていたからだ。

 それでも箱は持っていられた。最後の執念か、それとも死後硬直めいた現象か。それを考察する余裕も今の私にはない。

 

「……おい」

 

 イシハラが肩の私に声をかけた。返事はない。否……返事に割ける体力すらないのだ。

 もはやないない尽くしだな。

 

「ハァ。取り合えず屈むから、その箱を降ろせ」

 

 そう言うと、イシハラは腰を垂直に下ろし、箱が地面に触れるぐらいの高さまで身を沈めた。

 箱から手を離す。ドスンと重い音が鳴った。中身は大して減っていないように感じる。それはよかった。それはな。

 

「じゃあ、降りてくんねえか。そろそろ辛い」

 

 言い終わるが早いか、イシハラは上半身を傾けて今度は私を降ろさせた。私は全身を項垂らせたままその肩をずりずりと滑り落ち、空中でひっくり返って仰向けに地面に墜落した。

 

「グッ」

 

 一瞬、呼吸が苦しくなった。そしてその衝撃で私は我を取り戻す。

 何とか苦心して起き上がり、私は憤りと共にイシハラを怒鳴りつけた。

 

「貴様ァ!もっと懇切丁寧に運ばんか!私に然るべき権限があるならセプクものだぞ!」

「注文がなかっただろ、丁寧に運べって」

「言葉遊びをしたいのでは無い!だいたい人を背負うならそれぐらいの気は遣え!当たり前の義務だろう!」

「ああ、ハイ、ソウデスネ」

「流すなーッこの朴念仁ッ!あー、もう許せん!今日の缶詰は奢らんからな!お前のポケットマネーで支払え!」

 

 私は肩で息をしながらイシハラにキツネ・サインを向け、一足先にスクラップが詰まった箱を回収業者に持って行った。

 

「やっぱ仲いいよなアイツら」

「羨ましいわ」

 

 ニンジャ聴力が遠く二人組の会話を余計にも拾ったが、私は聞かなかったふりをした。

 聞いてないったら聞いてない。

 

◆◆◆

 

「はい、2000円」

「コレで」

「えー……ッと……よし、丁度20枚頂いたぜ。今後もご贔屓に!」

 

 私とイシハラはノレンを捲り、缶詰屋を退出した。満足げに腹をさすりながら、遠くの景色を望む。灰色長方形の巨大建造物がツクシのように立ち並び、絡繰り仕掛けの巨大マグロがその上空を遊弋する、私の目的地……ネオサイタマを。

 すっかり空は墨めいた黒に染まっているが、それでもネオサイタマの遠景は眩いほどに明るい。まるで昼夜の流転を認めていないかのようだ。きっと夜の闇が怖くて、不夜城のように年がら年中明るいのだろう。

 

「結局奢ってんじゃないの、アッシュピット=サン」

 

 イシハラが言った。私は表情を変えず、ネオサイタマを眺めながら言う。

 

「黙れ。せっかく気分が良いのだから余計なことを言うでない」

「ハイ、ハイ」

 

 思いのほか、イシハラは素直に黙りこくった。そして彼は私の顔を覗き込み、その視線を辿るように目と首を巡らせ、向こうの景色を見る。ネオサイタマ。

 

「私が本格的にネオサイタマに行くってなったら、お前とは別れることになるのか」

 

 私は立ち止まり、独り言のように呟いた。

 

「なんだ?センチメンタルなことを。まだ知り合ってそんなだろうに」

 

 イシハラもまた立ち止まり、私の方を向いて言う。

 

「まだ知り合ってそんなだろうけど、それでも思ったよ」

「フーン……変な奴だな」

「ハハハ、変なのはお互い様だ、イシハラよ」

 

 私はイシハラに向き直って微笑した。

 

「よくもこんな私に今まで親切にしてくれたな?」

「……」

「考えりゃ、あの時のお前の言い分はまだおかしいさ。公衆の面前で私につっけんどんな態度を取ればムラハチだと、この前言っていたな?いやいや、ならば周囲に人が居なくなった後に私を如何様にもすればいい話ではないか」

「……」

 

 黙っている。図星だな。

 

「そこでこのアッシュピットは考えた」

 

 ここぞとばかりにしたり顔を作り、私はイシハラを指差す。

 

「イシハラ、お前まだ、なーんか隠してるよな?」

「……まあ、ないわけじゃあ、ないが……」

「へえ?」

 

 私は肩眉を吊り上げる。イシハラは遠慮がちに言った。

 

「昔の仲良かったビジネスパートナーが、まさにお前に似ていてな」

「ほう、ネオサイタマに居た時とかか?私に似てるなど、興味深い話だ。一度は会ってみたいものだな!」

「会えねえよ」

「え」

 

 不意に表情が固まる。イシハラは俯き、言った。

 

「そいつはもう、死んでっから」

 

 ……胸の奥からキュっと音が鳴った、気がした。自分の無礼を深く恥じた。知らなかったとはいえ、気分がいいからと他人のデリケートな部分に浅ましくも深入りしてしまった。恥ずべきディスコミュニケーションだ。

 

「それは、すまない……」

 

 思わず謝った。知らない仲ではないとはいえ、モータルに。以前の自分だったら考えられないことだ。

 

「そうやってバツが悪くなるとすぐ謝る所も、アイツに似ている」

 

 顔を上げるイシハラ。私はおずおずと聞く。

 

「……投影していたのか?私に、その人を」

「投影かね。正確にゃちょっと違うかもしれんが」

 

 イシハラは私の顔をまじまじと見つめる。次に口を開く頃まで耐えきれず、私は視線をわずかに逸らす。

 

「瓜二つってほど似てはいねえが、やけに尊大な態度だったり、俺を呼び捨てにしたり、でも素直な辺りとか……デジャ・ビュを感じるんだ」

「そんな奴がな……」

「マ、それだけの話だ。悪ぃな、帰る途中なのに自分語りしちまって」

「ああ……いや、全然大丈夫だ。発端は私だし。……嫌な過去を思い出させてしまって、ゴメン」

「おいおい、もう謝っただろ、水臭いな。それに俺は大して気にしてない、いいさ」

 

 イシハラは私に笑ってみせた。無理に取り繕っているようには見えない。……思い出すと暗くなってはしまうものの、彼は彼なりにそういった辛い過去は割り切れているのだろうな。

 ただのモータルに過ぎない、こやつがな……。

 私は今でも時々フラッシュバックしてしまうぐらい、ずるずると引きずったまんまだ。

 ニンジャの力にふんぞり返って数多のモータルを足蹴にしてきた、とても褒められない生き方をした、過去の自分を。そして、足蹴にされてきたモータルの今なお脳裏に残留する思念を……。

 

 ……私も割り切るべきなのだろうか。

 この現代で、ニンジャである際の私を深く知る者は天文学的確率でしか居ないだろう。まあ、とある一人には既に露見してしまっているが……まあ、最も「痛い」部分は知られていない。

 全ての過去を、因果を断ち切り、一から自分をやり直すには打ってつけのシチュエーションが出来上がっているではないか。サイオー・ホースといえば良いのかどうか、分からないが……。

 まあ……ナラク・ニンジャが憎くないと言えば嘘にはなるが、元はと言えばあやつも、私の残虐非道が呼び寄せたインガオホーなのだろうな。真人間となり、努めて誠実に生きていれば、万一にも再びあやつが目前に現れ、もう一度どん底に落とされることもないはずだ。恐らく。

 とはいえ、今までの生き方を全て無かったことにし、新しい自分に生まれ変わるという決断は一朝一夕で下せはしないな。尋常ではない覚悟が必要だ。何も一日で全て決める必要はない。もう暫くイシハラと一緒に過ごし、心の中の自分と対話を重ねてみよう。

 

「もう空が真っ暗だな、イシハラ。そろそろ家に帰るべきだ」

「そうだな」

 

 私はイシハラより先んじて帰路に就こうと、足を動かした。

 イシハラもそれに続いた。

 

 ZGOOOM…………。

 

「ん?」

 

 不意に、私のニンジャ聴力が遠くの音を拾った。距離的に、私たちが普段居座っている集落の、更に向こうの音だ。地震めいて低い轟音だった。まるで……何かが大破したかのような……。

 音の方向を向き、目を凝らす。ニンジャ視力で何かを捉えられないか、試みる。

 ……暗いのと、集落の照明がまだついてるのもあり、向こうの景色が蒸発してよく見えないな。更に目を凝らす。

 

「おーい、アッシュ。何ボーっとしてるんだ?置いていくぞ?」

 

 追い越したイシハラが立ち止まった私に向かい、声をかけた。

 私は向こうの景色を注視したまま言う。

 

「いや、何か妙な音がしたんだって――」

 

 ……ん?

 イシハラに言われたことを遅れて認識し、訝しみ、反芻し……。

 

「アッシュ!?」

 

 ……面食らった。目を剥いて正面に向き直り、ニヤついた顔をしたイシハラを視界内に捉える。

 何て……何てことを。私はわなわなと震える手で、イシハラを指差した。

 

「お、おおお、おま、お前……この私に、よもや愛称を……つ、つけ……」

 

 全身を驚愕と呆然が駆け抜けた。不遜……!不遜だ……!何たる思い上がりだ、イシハラ!この貴いアクタ・ニンジャを呼び捨てにするどころか、アッシュなどと、そんな馴れ馴れしい呼び方をするなんて!アッシュピットも、深く考え推敲した末に自ら名付けたニンジャネームなのに……!

 

「何がよもやだ。今更驚くことでもないだろうに。初対面から呼び捨てにしやがった人が、良く言うぜ」

「ウッ」

 

 ……そう言われた途端、言い返せなくなった。まあ、確かに人にサンを付けずに呼び始めたのは私の方だしな……。というか常人でもすぐに分かることだ。

 それでも呼び捨てを通り越し、唐突に仇名で呼ばれたせいで心の準備が出来ず、つい憔悴してしまった。私は敬われて然るべきだと、つい思い込んでいた。ニンジャを止めようかどうか迷った矢先に、ニンジャの人格が表出しかけていたのだ。

 いかんいかん、反省せよ。最早こやつと私の立場は対等なんだ。傲慢を抑えろ、自分……。

 そうは思いつついまだ若干衝撃も冷めやらぬままだが、私は何とかこの事実を嚥下し、自らを納得させる。

 

「分かった、分かった。認めよう。如何せん慣れていないものでな、驚いてしまった」

「フーン」

 

 クソッ、対等な立場といったばかりだが、やっぱりこいつに弄ばれたままなのも納得がいかん!何かしらの形で一泡吹かせないと気が済まない!プライドまでかなぐり捨てる気はないんだぞ!

 腕を組み、私はイシハラに反撃を仕掛ける。

 

「ならば、私も愛称で呼ぼうではないか!」

「ほう、何と呼ぶ?」

「ンンン……どうしようかな……」

 

 私は顎に手を当てて考えた。だが……意外と思いつかなかった。イシハラという苗字は即興でいじりにくいのだ。熟考の末、チャバの出涸らしを絞りだすかのような一言が出た。

 

「……イッシー?」

 

 …………………。

 不思議と会話がそれ以降途絶え、私の耳はそよ風の音しか拾わなくなった。イシハラもそうであろうな。

 そこから……30秒間。

 30秒間もの間、私たちは口を開かず立ち尽くした。永遠とも思える30秒間であった。

 

「帰ろうか、イシハラ」

「ああ、そうだな」

 

 どちらかが合図したわけでもなく、何か符牒があったわけでもなく、私たちはそうして自然な流れで家に向かって歩み始めた。今の会話は、なかったことにしよう。私はそう思った。普段は鈍く馬が合わないイシハラも、この時ばかりは同じことを思っていたはずだ。

 

 そうして緩急の無い一日がまた終わった。私たちは相変わらずのボロの家で腰を落ち着かせ、何気の無い会話を交わし、やがて寝て、一夜を過ごした。

 その頃には、あの時聞こえた妙な轟音のことも、頭からすっぽり抜け落ちてしまっていたんだ。

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