アーチニンジャ:ネオサイタマ奮闘記 作:コースト
まるで防寒具も無しに雪原に放り込まれたかのように、全身がぞっと冷えた。
イシハラのその訝しむ視線は、私の心をひどく締め付け、無意識の内に息苦しくさせるに足るものだった。
「……い、いつから」
顔面の血の気が引く感覚をよそに、私は訊いた。
「……お前が戦い始めたぐらいだ」
「……ッ!」
思わず息を呑んだ。
しまった、全部見られていた。最初から。そんな。
ニューロンが時間を置き去りにして高速回転し始めた。次にかけるべき言葉を、またはかけられるであろう言葉を、この修羅場における最善手を、どうにかして絞り出そうとする。
その過程で思い起こされるは、これからの私に降りかかりうる艱難の詮無き想像。イシハラを裏切ったやもしれぬという強い罪悪感。それに端を発し、連鎖的に発起するどうしようも無い自己嫌悪。
「なあアッシュピット=サン。答えてくれ、俺は訳が分からないんだ」
イシハラがこちらに向かって歩みつつ、口を開ける。
「どうしてこんな死屍累々なんだ?全部お前がやったのか?この……そこかしこにある山盛りの灰は一体何なんだ?」
「……」
私は俯き、だんまりとしたまま答えない。或いは答えられないが正確なのか。
無意識に逃げ道を探そうと視線を横に動かすと、今しがた風に吹かれ、跡形もなく散ってゆく灰の山が見えた。私が
私はその灰を見ていると、何だか、自分の犯した咎の罪深さを……深い悲嘆を省みて、この儚き命を憐れむほど、変わってしまった自分自身に気付きそうになって……。
何か、取り返しのつかないことをしてしまいそうになる。
「おい……」
集団の中から、イシハラが一歩を踏み出そうとした。
「近寄っちゃダメ!」
不意として、その足首を掴んで妨げる男がいた。
その者は襤褸の布を纏い、肌はすすで黄土色に汚れ、髪は脂ぎって伸び、病的に痩せこけている。いつか私と口を交わしていたかもしれない、このスラムに屯する典型的な一人だ。だがそいつは、そんな私に一切の斟酌もせず、恐怖に満ちた表情で睨みつけ、イシハラを必死の様相で止めようとするのだ。
「こ……殺されるよ、イシハラ=サン。あの人、ニンジャなんだよ……」
「……」
イシハラはその乞食めいた男をじっと見た。ただ驚くでもなく顔をしかめるでもなく、ただ無表情に。
「何だか、アイツの触れたものが灰になったんだよ……それて、人を灰にしたり……ナンデ!?コワイ!スゴイ・コワイ!ア、アイエエエッ……」
その男はやがて、自らの言葉でより一層の恐怖が喚起されたのか、勝手に口から泡を吹き、意識を失った。足首を掴む手は、自ずと力を失い、だらんと垂れた。
イシハラの足は解放されていたが、再び一歩を踏み出そうとはしなかった。意味深長な無表情で、ただ私を見るだけ。その眼には如何な感情が込められているのか。ニンジャ洞察力を以てしても分からない。いや……分かりたくない。もしも負の感情で満たされていたらと思うと……糸が切れてしまいそうで……本能が拒む。
「コイツの言っていたことは、本当なのか?」
イシハラは謎めいて平静としたトーンで私に問う。
……これ以上、黙秘を決め込んでも状況が良くなるとは思えない。いっそのこと、正直に打ち明ければ好転するだろうか……?
「……本当だ」
私は意を決した。ぎこちない深呼吸をし、イシハラを見据え、言った。
「……本当だよ。隠していた。だが──」
「ホレ見ろッ!やはりあの女はニンジャであった!ついに認めたぞ!私の予想通りだった!」
だが、その言葉はやぶ蛇に遮られた。斜め右後ろからの耳障りな金切り声が、突然として周囲を埋めたのだ。
ビクリと身を跳ね、思わず私はそちらを見返る。すぐさま、声の主と目が合った。小柄で、背が曲がっていて、これまた痩せこけた男が、歪んだ形相でこちらに指をさしていた。
「貴様!そこの女!私は最初から見破っていたぞ!貴様が秘密裏にこっそりと奸計を巡らしていたことは!」
その男は大袈裟、かつ芝居がかったような大仰な動きで喚き散らす。その度、僅かに首元から、ジャラジャラと金属が細かくぶつかり合う音が聞こえた。
……ああ、知っている。前に見た、辻説法師だ。ニンジャが復活するだの、ヘル・オン・アースだの、説法しまくっていた奴。一度見かけて以降、暫く姿を見ないと思っていたが……ようやく現したと思ったら、この期に及んで何をするつもりだ?
「私はニンジャを知っている!その本性を知っている!騙されるな、皆の者!恐ろしいのだろう、私だってコワイ。だが決してニンジャに屈してはならぬ!その驕慢を甘んじてはならぬのだ!」
辻説法師はやおら立ち上がり、周囲にいるモータルに向けて説法をし始めた。
「ニンジャを信ずるな!確かにあの女は、それまで我々を襲っていたニンジャを打ち倒した!だが、それで如何してあの女が味方だと証明できよう!」
徐々に周囲のモータルがざわつき始めた。その堂々としてよく通る声に、ニンジャの恐怖から正気を取り戻した者もいたが……。
「思い返してもみてほしい!あの女は、我々の集落に現れ、違和感もなく我々の中に溶け込み、そのまま我々の中に馴染んだ。だがあやつは、己がニンジャであることを隠していた!それは何故か?私には分かる!」
辻説法師は胸を叩き、響く声で堂々と言った。
「こやつは我々をいずれ殺す獲物として定め、仲間だと油断させておき虎視眈々と機会を窺っていたのだ!」
「……!?」
耳を疑った。
この辻説法師……何てことを……何てことを言うんだ!?
周囲の群衆がざわつく。ニンジャ第六感で感じ取れる。私に怖気づいた視線が向けられている。
……ああ、いけない予感がする。
「皆も目にしただろう。あやつらニンジャ同士の戦いを。あの並外れた身体能力を!私は詳しいから分かる。ニンジャとは、そういう存在なのだ!押並べて、常軌を逸した力を持っている。故に我々はきゃつらにとってゴミムシ同然で、命が軽いのだ!嗚呼、恐ろしや!」
辻説法師は眉をひそめ、身を大きく震わせた。そして私の方を睨み、問うた。
「貴様!一体、何が狙いだ?私は怖くないぞ、答えるべし!ここまでの期間、我々を泳がし、生かしていた真なる理由はなんぞや?正直に言え!」
「……お、泳がすも何も……お前の言っていることは全て的外れだ!」
私も辻説法師を睨み返し、負けじと叫び返した。
「私に裏などない!あのメタルプレートとかいうニンジャに襲い掛かったのも、ここの集落の人々が襲われていたからだ!」
「ならば、なぜ人質となったカナメダ=サンを殺したのだ!?いくらそのニンジャを討伐できたとて、他にやりようはいくらでもあった筈だ!」
「それは……っ……」
言われたことに、思わず反駁の言葉が詰まってしまった。こんな奴相手に認めたくはなかったが、あやつの言葉にも一理はあった。
「カナメダ=サン……?」
犠牲になったモータルの名を聞き、イシハラも訝しんだ。眉間に手を当て、シワを寄せる。
……私はその名に聞き覚えは無い。あの人質となったモータルのことだろう。少なくともあの説法師にとっては、私に詰問する動機たりうる存在だったのかもしれない。
「……それは、確かに私の非だ。認めざるを得ないよ。そのカナメダ=サンとやらを絶命させたことは、すまない」
ともかく、下手に焦るとこの面倒な奴に付け込まれかねない。深呼吸し、私は面々の前で、堂々とオジギをした。
「だが、お前は自らを『ニンジャに詳しい』と宣ったな。ならば、ニンジャそのものである私の言い分もまた、まかり通るはずだ」
オジギから顔を上げながら、私は説法師……いや、そやつだけでなく、私を遠巻きに見るモータル全員の耳に届くように、言った。
この誤解だけは、解いておきたかったから。
「先刻まで、うぬらの集落を襲撃し、無差別に殺めていたニンジャ……あやつは淀みなく邪であった。カナメダ=サンは全く不幸であった。あのメタルプレートという奴……人質に価値が無いと知れば即座に殺していただろうし、私が素直に投降したとて同様だろう」
「何故、そうと言いきれる」
辻説法師が口を挟む。すぐさま答える。
「何度も言っただろう、私はニンジャそのものだと。それとも私よりニンジャの心理が分かるのか、うぬは?」
「……」
「カナメダ=サンは、誰が何をしようと死ぬ運命から逃れられぬ運命だった。それどころか、下手に手を拱いていれば、新たな人質、新たな犠牲者が生まれていただろう……。だから、確実に仕留める方を優先した。……以上だ」
言い終わり、私は息を大きく吐いた。
暫し、沈黙がこの場を支配した。私達を取り囲むモータル共がひそひそと囁き合っている。ニンジャ聴力で聞き取れる。「あのニンジャは恐れなくていいのか?」「いや分からない」「サツバツとした思想だ」。誰も彼も、そんなことを言いあっているように思える。
ある程度、伝わったようだ。胸を撫でおろす。
「尤もな詭弁だな」
辻説法師が腕を組んで言った。
「なるほど確かに、貴様は我々人間のことを尊重し、合理的な行動を取ったようだ。それは理解できたぞ。そこまで親身にしてくれるのならば、貴様はそのカナメダ=サンの人となりもしっかり記憶し、断腸の思いで犠牲にしたということなんだな?」
「……は?」
しまった、聞き返してしまった。
辻説法師は腕を組み、厳格に繰り返す。
「貴様がカナメダ=サンを覚えてないというのなら、それだけ人間のことを軽視していたことになる。そうであろう?この狭いコミュニティの中で、終ぞ思い出せなかったなどあり得るのか?アワレな彼も報われないだろうさ」
「……なんか、引っかかる言い方だな」
イシハラが顎に手を当て、思案する。
……私も、あの辻説法師の意図は流石に分かる。私はモータルのことを想って、あえて犠牲にする道を選んだといった。だからそのカナメダ=サンの顔を覚えていないようでは説得力が薄れる。まあ、確かにな。
だが、実のところ、私はあの怯えたカナメダ=サンとやらの顔はしっかりと見た。今もその恐慌とした表情を鮮明に思い出せるが……私が今まで知り合ったモータルの誰とも一致しない。つまりどこかですれ違ったか、そもそも会ってないかのどちらかだ。まあ、どの顔も朧気で、あまり思い出せていないというのはあるが……。
だが、そういうこともあろう?ここは下手に口籠るより、しっかり言うべきだ。
「……すまない、覚えてない。だが……その上で厚かましいかもしれないが、人間誰しも、一度だけ合わせた顔を全て記憶している、という奴は居ないだろう?私も記憶力は人一倍あるが、カナメダ=サンの顔は覚えが無かっ――」
「覚えていない?そうなのか?そうか、そうか!ホー、ホー、ホー」
私の言葉を遮り、辻説法師はしたり顔で手を叩き、笑いはじめた。パン、パン、パン!どことなく私を嘲るような、乾いたクラップが響く。
……何か、受け応え方を間違えたか?
「……あ」
眉を顰め頭を捻っていたイシハラが、目を開いて言った。顔を思い出せたのだろうか?
……その直後、額から汗を垂らし、慌てて私に耳打ちをし始めた。
「お前、アイツだ!カナメダ=サンって、アイツの本名だよ!」
「ア……アイツって?本名?」
イシハラの声色から、私が何かをしくじったことは察することが出来た。つまり、カナメダ=サンとは顔を合わせていて、覚えていない方がおかしい……そんな奴、いたか……?
(((本名……つまり普段はアッシュピットのように別の名前を名乗っていて、だが会ってはいた仲……)))
…………考える。考えて、考えて。
「あ」
漸く、思い出せた。正確に言うと、確信めいた推測が付いた。だが、遅すぎたのだろう。イシハラの仕草に余裕がないのも、そう考えれば合点が行く。
イシハラが小声で言った。
「カナメダ=サンは……缶詰屋の店主だ……」
ぞくり。全身がまた冷えた。あまねく体表から汗が噴き出たのを感じる。
私は……私は、覚えていなかったのだ。あの「猫フード」を食べさせてくれた店主の顔を、ビーフスチウを提供してくれた店主の顔を、イシハラと寝食を共にしてからというもの、毎日のように足繫く通っていたあの店を運営する者の顔を。
私は、自分自身を恐れた。確かに私は、邪悪なニンジャだった。且つての時代、数多の人間を虐げ、数多のニンジャを退けた。
そんな自分を……私は反省していた。恥じていた。イシハラに、この集落のモータル達に優しくされて、ある程度丸くなったと思っていた。
だが……そんな身近だった人の顔を、かほども思い出せなかっただなんて……。
変わっていたように思えて、何も変わっていないじゃないか。
「化けの皮が剝がれたな、ニンジャよ!私は知っているぞ、貴様がカナメダ=サンと頻繁に顔を合わせていたことはな!だが貴様は覚えていなかった!これが人間を軽視している証左でなくて何であろう!」
「……ち、違――」
「違うものか!もう騙されぬぞ!皆の者よ、ニンジャの甘言に耳を傾けてはいかん!我々は危うくニンジャに意のままに操られるところであった。だがこの今、我々は咄嗟にネコを噛む窮鼠となった! 」
説法師は再び勢いづき、高らかに胸を叩いて叫んだ。
「ニンジャを恐れるな!打ち克つのだ!さも無くば駄目だ、未来なのだ!さあ、今こそ反撃の狼煙を高々と昇らせる時なり!」
あの者がそう叫び終わった直後、私の後頭部に何かがコツンと当たる感触がした。そちらを向く。
……見知らぬモータルがいた。浅黒い肌に、ヨレヨレの服。見覚えがない。いや、会って、話したことはあるのかもしれない。どの道、覚えておらんのだろう、私は。
「ニンジャ、出ていけ!」
……彼は、たどたどしい日本語で、私に叫んだ。そして地面にあった小石を掴み、私に投擲した。コツン。額に当たる。少し痛い。
「そうだその調子だ!出ていけ、欺騙に満ちた邪なるニンジャよ!」
説法師も声を張り上げ、私にキツネ・サインを向けた。
キツネ。敵対と威嚇を意味する、侮蔑的ハンドサインだ。
「出ていけ!」
また一人、新たな声が飛び出てきた。
「そ……そうだ!ニンジャめ、俺らを悦楽の餌としか思ってないんだろ!去ってくれ!」
また一人。腕を掲げ、同じようなキツネ・サインを私に投げつける。
「出ていけ!」「ニンジャ、出ていけ!」「そうだ、出ていけ!」
燻る囲炉裏の灰に藁がくべられたように、群衆の心無い声が、静かに、だがにわかに拡がり始めていた。
小石が、ゴミが、私に向かって投げられもした。
その光景を、私は理解が出来なかった。
いや、違うか。理解はできた。
(((私は……ここまでされる謂れはあったのだろうか?)))
一度隅に追いやったはずの黒が、またぼこぼこと泡を立てて膨張し始める。
(((こやつらは……責めこそすれ、もっと私に感謝のひとつでもくれてやるべきだろう)))
「出ていけ!ニンジャ、出ていけ!」「脅かさないでくれ!」「殺されたくないから出ていけ!」「ニンジャ、出ていけ!」
黒が私という名の器に際限なく注がれていく。髪の灰色が徐々に色味を増して黒色に近くなり、スカーフも灰めいた塵を漂わせながら、ひとりでに浮き上がる。
(((私が介入しなければいずれ死んでいたということを忘れているのではないか?)))
「フーッ……」
イシハラが首を振り、溜息を吐いた。私から見て背後を向いており、その表情は窺えない。
(((嗚呼、嗚呼。やはり人間とは、愚かな生き物でしかない。恩知らずで、恥知らずだ。一瞬でも肩入れしようとした自分が莫迦だった)))
私は鋭い刃のスリケンを生成し、挟み、構えた。
(((もういい。再び手を染めてしまおう。殺し、虐げ、私はこの時代でも邪悪なニンジャとして名を馳せるのだ。どうせ人の価値など
「ニンジャ、出ていけ!」「ニンジャ、出ていけ!」「ニンジャ、出ていけ!」
「イ……」
「やめろ」
スリケンを投擲すべく振りかぶったその腕を横から割り込んで掴み、インターラプトする者がいた。私は咄嗟にそやつを見た。刈り上げの短髪に、鉢巻を巻いた顔だった。そやつは感情起伏のない顔で私の目を見ていた。イシハラに酷似していたが、彼だと認識したくはなかった。
「……邪魔を……しないでくれ」
私はひどく揺れる声で、静かに言った。世界を埋め尽くすばかりに迸らんとする黒を、今一度抑えた。だが、私のヘイキンテキはもう限界に近い。これ以上は、いくら抑えど黒が滲み出てしまうだろう。
最後の機会だった。私は彼に願った。潔く、素直に引き下がってくれと切に願った。
「嫌だね」
だがその想いに反して、対面している男の声が期待に応えることはなかった。
それと同時に、私はその男がイシハラなのだと、改めて認識せざるを得なかった。
イシハラなら、そう返事するのだろう。薄々分かっていた。私の予想は裏切らず、想いは裏切ってくれる。
どれだけ他人だと思い込み、現実逃避しようとしたところで、やっぱりこの男は、イシハラなのだ。
「……ッ!」
私は息を呑み、ついに涙を流した。滂沱の涙が零れ落ちた。黒を必死に鎮めていた、最後の私のキャパシティが限界を迎え、ボロボロと音を立てて崩れ落ちる音がした。
あらゆる思考が、殺意に塗り替えられた。