アーチニンジャ:ネオサイタマ奮闘記 作:コースト
「……邪魔を……しないでくれ」
私はひどく揺れる声で、静かに言った。世界を埋め尽くすばかりに迸らんとする黒を、今一度抑えた。だが、私のヘイキンテキはもう限界に近い。これ以上は、いくら抑えど黒が滲み出てしまうだろう。
最後の機会だった。私は彼に願った。潔く、素直に引き下がってくれと切に願った。
「嫌だね」
だがその想いに反して、対面している男の声が期待に応えることはなかった。
それと同時に、私はその男がイシハラなのだと、改めて認識せざるを得なかった。
イシハラなら、そう返事するのだろう。薄々分かっていた。私の予想は裏切らず、想いは裏切ってくれる。
どれだけ他人だと思い込み、現実逃避しようとしたところで、やっぱりこの男は、イシハラなのだ。
「……ッ!」
私は息を呑み、ついに涙を流した。滂沱の涙が零れ落ちた。黒を必死に鎮めていた、最後の私のキャパシティが限界を迎え、ボロボロと音を立てて崩れ落ちる音がした。
あらゆる思考が、殺意に塗り替えられた。
「イヤーッ!」
自由に動かせるもう片方の腕に力と、エテルを籠める。そしてエネルギーを瞬間解放し、チリアクタ・ジツを行使しているその手でイシハラを掴もうとした。
「イヤーッ!」
だが、その手のインターラプトも間に合ってしまった。まだ残っていた片手で、イシハラも私の手首を横から掴んだのだ。
つまり、敢無く私は両腕を封じられてしまったという格好だ。
「がぁッ……クソ……!」
目の前の男を殺すため、その手を振り解かんと私は両腕にありったけの力を籠め上下左右に動かそうとしたが、彼の両手はその場にがっしりと固着されていた。押しても引いてもびくともしない。まさにヌカに釘。手首のみを曲げて腕に触れられないかとも思ったが、指が届かない。
鉄鎖を強引に引き千切ろうとしているかのように、私の努力は虚しかった。
「落ち着けよ。そうやって無駄な体力を使うな」
イシハラが冷淡な声色で私に言った。
「うるさいッ……!クソッ!クソッ!クソッ!」
私は顔を歪ませ、喚くことしかできなかった。未だ往生際悪く、私はなおも抵抗し続けた。
彼の拘束を振り解けばイシハラを殺す機会が生まれる。この、痕が残りそうな程に私の腕を頑丈に掴んでいる、この両手さえはぎ取れれば。それだけなのに、それが何よりも難しかった。
「ハァーッ……!ハァーッ……!ハァーッ……!」
無益な抵抗を続けている内に、体に疲労が蓄積され始めた。肩を揺らし、荒い呼吸を繰り返す。
その間もイシハラのその両手は一厘たりとも動かず、その両目はまんじりともせずに私を見つめている。
「まだ抵抗するつもりなのか?」
イシハラがやっと口を開けた。返事代わりに、私は涙と汗でぐしゃぐしゃになった顔で睨み返した。イシハラは謎めいて無表情のままであった。
私はその瞳の奥に、何かの謎めいたシンボルが捉えた気がした。
「どうしてそこまでするんだ?」
彼は、突如としてそう訊いてきた。
私は全身に万力を籠め、即座に答えた。体中に筋肉が、血管が浮き立つ。
「決まっていよう……邪魔立てするうぬを殺し、次にここにいる奴らを一匹残らず皆殺しにするのだ……!」
「……」
暫く間を置き、彼は言った。
「お前には無理だよ」
……思考が固まった。
まるで世界がひっくり返ったかのような感覚だった。
この問いにも即答してやろうと思った。だが出来なかった。
「俺の手を振り解けてねえ時点で、説得力は皆無だな」
「うるさいッ……!」
「ただのニンジャですらない俺に押さえこまれている時点で、お前が何をしたって即座に鎮圧されるのがオチだ。まさに犬死だな」
「ッ……」
「お前は……今のお前は、邪悪になれねえよ」
イシハラの言葉は無慈悲だった。
自分を支えていた土台が、忽然と消滅した。いや、最初から存在してもいなかったのだ。私は、少し考えればあるはずもないと分かる架空の王座にふんぞり返り、イシハラを躊躇なく処刑しようとしていた。
何が邪悪なニンジャとして名を馳せる、だ。簡単に両手を封じられて何も出来なくなっているではないか。
イシハラに言われ、私は気付いた。
私は黒になりたくても、なれないのだ。
「あ……」
自覚した瞬間、私の中の緊張の糸がプツンと千切れた気がした。
「あああ……」
私は戦意を失った。
途端に、今までの抵抗が全て幻であったかのように、全身に力が入らなくなった。一人でに浮き上がっていたスカーフが、髪の毛が、力を失い元に戻った。そして威厳の欠片もない呻き声を上げ、私は膝から崩れ、項垂れた。視界の焦点が合わなくなり、朧気になった。
愚の骨頂とは、このことだ。
「……」
イシハラはその様を黙って見つめていた。固く握りしめていた両手をパッと離し、私をやっと解放する。両手が力なくだらんと垂れる。今ならイシハラを殺せるかもしれない。だが、とてもそうする気力はなかった。
私に、今やイシハラを殺める理由なんてなかったから。
「はは……ははは……」
無意識のうちに、口からか細い笑い声が漏れた。自分への嘲笑だった。分不相応にも関わらず、大きく道を踏み外そうとしていた自分があまりにも滑稽で、自分でも笑えてしまったのだ。
「……」
イシハラは膝を屈ませ、そんな私に視線の高さを合わせた。
「イシハラ……」
私は自嘲の笑みを浮かべながら、彼と目を合わせ、言った。
頬を涙が伝う。
「私を殺せ……」
「……」
イシハラはすぐさま返答しなかった。やれやれと肩を竦め、呆れたように首を振るのみだった。
そして、これだけを私に言った。
「大袈裟だな、お前は……」
言い終わると、私の後頭部に手を乗せ、膝の裏に腕を引っ掛け……
「よいしょッと」
……私を抱きかかえ、持ち上げた。
「っ……」
いささか予想外の流れであった。私は小さく目を見開き、焦点の合わない眼でイシハラの顔を見た。しかし彼は尚のこと無表情であり、正面を真っすぐと見ていた。
そして、私を抱えたまま、やおら歩を進め始めた。
「どこに……」
「黙ってろ」
私が少しでも口を開けると、彼は即座にそれを制止した。何の情念もない、フラットなトーンだった。弱っていた私はすっかり気圧され、それ以降は喋ろうと思えなくなってしまった。
「感謝するぞ、イシハラ=サン」
イシハラが群衆の輪を抜け出そうとする直前、その彼に向かって投げかけられる言葉があった。
辻説法師の、毅然とした声だった。
「貴方がそのニンジャを鎮静化してくれたおかげで、ここにいる全員の、失われたかもしれぬ命が救われた。この集落における英雄にも等しい。感謝を捧げようぞ」
「……」
彼は歩みを止め、振り返る。首を巡らせ、先程まで周りを取り囲んでいたモータルの一人一人と目を合わせた。
私はその様子を、黙って力なく見つめていた。
少しの間を置き、彼はよく通る声で言った。
「俺がアッシュを止めたのは、お前らの為じゃねえよ」
「……今、何と?」
彼の言葉がどうにも呑み込めなかったようで、辻説法師は耳に手を当て、訊き返した。
イシハラは無視して言葉を続ける。辻説法師だけでなく、この場にいる私以外の全員に向けて。
「バカじゃねーのか、人を根拠もなしに勝手に悪者扱いしやがって。いいか?自分が何も考えずに何をしようとしていたか、よく考えろ」
一呼吸置き、彼は言った。
「お前らが今まさに追い出そうとしていたヤツのお陰で、お前らは生きているんだ」
「…………」
以後、その場で何かを言おうとする人は、誰一人として現れなかった。
イシハラは無言で群衆に背中を向け、私を抱えたまま歩き出した。
「ハァ、よいしょっと」
イシハラが私を地面に下ろした。私はその場でへたり込んだまま、動こうともしなかった。
「着いたぞ」
「……」
泣き腫らした顔を上げる。錆びた鉄板の壁、天井、ドア。スクラップを再利用された掘っ建て小屋だ。とはいえ、それ自体はここいらではありふれたものに過ぎない。だが、私は目の前のこの小屋には一入の思い入れがあった。
イシハラの家だ。
「今日はあんなことがあったし、お前も疲れただろ。ゆっくり休んでろ」
イシハラはそう言うと、家の戸を開け、私を手招きした。
「ホラ、入れ」
「……」
私はイシハラの顔を窺った。それ以上でもそれ以下でもなく、いつもの顔だった。私に何か偏見が生まれたとか、ニンジャであることを無意識に恐れているとか、本性を隠していたことに対しての猜疑心とか、そういったことの一切が無い、今までどおりの素顔だった。
「……なんで私に、そこまで良くして……」
へたり込んだまま、私はイシハラに枯れた声で訊いた。
「分からない。私は……ニンジャなんだ。それを今まで隠していたんだぞ……?ナンデ……」
「……」
イシハラは少し顎に手を添え考える素振りを行い、無言で自らの小屋の中へ入っていった。
耳を澄ますと、中からガサゴソという音が聞こえた。
「……何をして――」
「オラ」
「ウワッ!?」
突然、小屋の闇の中から何かが私に向かって投擲されてきた。私は脊椎反射で手を突き出し、それを危うくも手に取る。それは冷たい手触りで、固く、だが滑らかな感触をしていた容器だった。
「……」
手を開いて、それを見た。それは硝子で出来た入れ物だった。何かの飲料が中に封じられている。表面には紙が巻き付いており、そこにはとある文字が力強い書体で印刷されていた。
「バリキ」。
「……」
「まあ……とりあえず、それ飲んで元気出せ。話はそれからしてやるよ」
小屋の中からイシハラが顔を出し、顎でその瓶を指し示した。
「……」
私は素直に、その瓶の蓋を回した。
カシュッ。空気の抜ける、小気味よい音がした。そしてぱかりと蓋を開けると、わざとらしい、だがとても爽やかな香りが私の鼻腔を刺激した。
そして、口元で瓶を傾げ、中の液体を口内に流し込んだ。
「……」
ああ。
美味しいなぁ。
糖分で満たされたような過剰な甘みが、今となってはこれ以上なくありがたい。炭酸特有の細かかな刺激も未だ順応はできないものの、なんだか爽快感だけが後を引いて心地よい。
ゴクリ。十分堪能し、私はその液体を嚥下した。
「ハァーッ……」
ゆっくりと溜め息を吐く。体奥から徐々に気力が湧き出る感覚がする。
「美味いか?アッシュ」
イシハラの声。私はうんうんと小さく頷いた。
「ならよし。さっさと中に入れ」
「……私に指図するな」
威圧するように低く言い、私はイシハラを睨みつけてやった。
「口答えが出来るようになったか。安心したぜ」
男は肩を竦めるだけで、たじろぐ素振りも見せなかった。
「朴念仁が」
私は息をつき、そう吐き捨てる。
そして未だ重たい腰を上げ、私はイシハラの家の中にエントリーした。
「アンタはどっちもだ」
イシハラは突然そう言った。そんなに広くない空間で思う存分体を伸ばしていた私はその動きを止め、首のみを巡らしてイシハラを見た。
そして、その言葉を一発で咀嚼できなかった私は、顔をしかめるのみしか出来なかった。
「お前はどっちになったっていい」
「……?」
イシハラはなお続けて言ったが、やはりその意味を推し量ることは私の知性では難儀だった。
「お前、ビビりすぎだ。臆病なんだよ」
何とかそれを察してくれたイシハラは、首をポリポリと掻きながら言い替えた。
それでも随分と漠然とした物言いだが。
「……あー、……そうか……」
辛うじて解釈出来るようになった自分は、上の空気味にその言葉を吟味した。
……そして、目を丸くした。顔をぐんと上げ、イシハラを驚きや紅潮と共に睨みつける。
「何だ!?怯懦と言ったのか、今!?」
「遅っ……いや、違えよ。最後まで話を聞け」
イシハラは座り直し、姿勢を整える。ついつい癖で釣られ、私も体を起こし、着ているキモノの裾を整えセイザしてしまった。
「つまり、お前がいちばん怖いのは先入観だ」
「先入観……ああ……」
……なるほど、先入観。そうとも言えるな。
「そして俺からすれば、そんなもんはとんだブルシット、クソ喰らえだ」
「……」
……ズバッと言い切ったな、こやつ。それでずっと思い悩んでいた自分ごと否定されたような気分になって、正直、少し気に障ったぞ。
「そうだろ?人のパーソナリティってのは数十年の時を重ねて少しずつ層が重なっていくもんだ。たった数秒でそれの何がわかるってんだ?」
「フム……」
まあ、そう言われれば確かに先入観、第一印象というモノは何とも浅ましい思考メカニズムだと思えてしまうな。
……言い方の問題な気もしなくないが。
「つまり、私はそんな矮小な存在に及び腰になっていたと、そう言いたいわけだな?」
「そういうこった」
「……ハァーッ……」
何となく理解した。ただの人間一人の言葉に(これも先入観だが、キリが無いのでよしておこう)私の人生哲学を諭されるとは思ってもいなかったが、その持論は私にとって腑に落ちなくはないものであった。
「アイツらも、あの辻説法師も、先入観でお前を責めたに過ぎない。ニンジャといえど、誠実に接し続ければ、いつか理解してくれるだろうよ」
「そうか……?」
「絶対、そうだ。これが、最初俺が言った言葉に繋がるってワケだ」
イシハラはそう言い、口角を上げて不敵に笑んでみせた。自信を裏づけるような、屈託のない笑顔だった。
「お前はどっちにもなっていい。人間にも、ニンジャにもな」
「そうか。フフッ、全く壮大な伏線回収だな。……あっ」
思わず、微笑んでしまった。そうなってしまったのが照れ臭く、顔を見られたくなくて、俯き、イシハラから視線を逸らした。無駄な努力だっただろうがな。
とは言え……悪い気はしない。
「ハァーッ……本当、変な奴だな、イシハラ……お前は。まだ私に会って半月の仲じゃないか」
「ん?ああ、まあな」
顔を上げ、笑んだまま肩を竦める。
「何故、ここまで私を信頼する?どんな裏があるというんだ?」
「今更何を心配しているんだ」
「分からないんだよ……私にここまで善くする道理がない。私はこの手で触れるだけでお前を殺せる。なのに、どうして……そんなに優しくするんだ……」
ああ、視界が滲んできた。マズい、目から涙が。さっき泣いたばかりじゃないか。涙もろすぎるだろう……自分。
「ああ、何だそんなことか。もちろん懸念したことはあるさ。だが、そうだとしたらあまりにお前の演技がうまいと思ってな」
「……」
「もし本当にそうだったなら、それを疑えなかった俺の未熟だ。お前の方が上手だったってだけの話だよ。潔く後悔して死んでやるさ」
「ッ……!」
何だこやつ、眩しすぎるぞ。本当に……怖くなりそうなほどに、優しい。だが、ここまで親しくされることがここまで嬉しいことだとはな……。長らく忘れていた感情だ。
「お前のような奴が……あの時も傍にいてくれたらな……」
私は溢れる涙を裾で拭い、小さくそう独り言ちた。
「ん、なんか言ったか、今?」
「何でもない、朴念仁が」
「エ、俺なんか言っちゃったか?」
「違う、ありがとうと言ったんだ」
「おお……?悪い気はしないが、言ってたことと違ったような……」
「フフッ、どうだろうな」
私はイシハラに微笑み返して見せた。歯を見せて笑ってやった。イシハラも驚いたような顔をして、私と同じように再び笑んだ。
嗚呼。なんて和やかな気分なんだ。今までにないぐらい、心が穏やかに凪いでいる。これもあのバリキのせいなのだろうか。
「イシハラ……」
「何だ?」
「私はネオサイタマに行こうと思う。共に来てくれないか?」
イシハラは一瞬言葉を詰まらせ、眉間にしわを寄せた。だがその表情は崩れ、軽く鼻で笑いながら、こう言った。
「行ってやらんこともないな」
「……!」
その一言が、なんだか嬉しかった。行くと言い切ったでもないのに。
というのも、やはりネオサイタマのことを私は一厘も知らぬわけだからな。イシハラはこれまでの会話からネオサイタマからここに移住していたことを示唆している。着の身着のまま一人で向かうより、勝手知ったるガイド役が一人いてくれた方が安堵でき……いや。
違うな。
私は純粋に嬉しいんだ。
イシハラが共に来てくれるのが。この世における、ただ一人の友人として、一緒に来てくれるということが。
この心に嘘はつけないな。
「あ……アリガト!」
晴れやかな気分と共に、私はイシハラの手を握ってそう言った。そして嬉しさのあまり上下にブンブンと振った。これ以上ないほど強引な握手だった。
「オイオイ、揺れるだろ……」
イシハラも前後に揺れながらそんな私を諌める。
その時だった。
ドン、ドン、ドン!
「「!」」
家の戸が、うるさく叩かれた。太鼓めいた重低音が私たちを凍り付かせる。そして、ゆっくりと同時に扉の方を見る。
ドン、ドン、ドン。また叩かれた。私たちは声を出さず、じっと戸の様子をうかがった。その直後、扉越しに私たちに呼びかける、籠った声が耳に入った。
「おーい、いるか?私だ」
……辻説法師だ。
またか。
「先程はすまなかった。私の軽率な行動が不条理な混乱を招かせてしまった。イシハラ=サン、貴方の言った事はご尤もであり、私はその言葉で我に返れたのだ。申し訳ない、だがどうか許してくれ。故にこうして貴方の元へ足を運び、直接ドゲザしようとやってきたのだ。扉を開けてくれないか」
「……」
「……」
私は第一にこう思わざるを得なかった。
どう考えても怪しい。なにか裏があるに違いないと。
「今開ける」
イシハラが立ち上がり、扉の方へと足を進め始めた。
「ちょっと!?」
私は小声で叫び、そのイシハラの足を掴んで引き止めた。彼は振り返り、私の方を向く。
「怪しいって!どう考えても!」
「まあ……俺もそう考えはしたがな」
イシハラは顎に手を当て、扉向こうの主に聞こえぬよう声量を抑え、私に言った。
「この家にゃ鍵すらねえ。本当に襲うつもりなら、とっくに扉をこじ開けてこっちに来てるだろ」
「……ウーン」
「まあ、万が一襲われたら、俺が犠牲になってやる。お前はそのうちに返り討ちにでもしとけ」
そう言うと、イシハラは自分の足を掴んでいる私の手を引き剥がした。私はしばらく唖然としたまま、戸を開けようとするイシハラを見送ってしまっていた。
「ま……待って」
ギィーー……。
私の制止も間に合わず、スクラップ蝶番の軋む音と共に、イシハラは扉を開けた。
部屋中に日光が、光の帯となって差し込む。イシハラの向こうに、彼の半分ほどの背丈の人物の輪郭が映った。
イシハラが口を開ける。
「で、何の用だ……」
その言葉は最後まで続かなかった。
ごっ
「グワーッ!?」
「…………!!」
私は息をのみ、目を見開いた。扉を開けたイシハラが、その数秒あとにこちらに向かって倒れてきたのだ。
ズシン。派手な音を立てて、イシハラが仰向けとなる。私は焦燥とともに彼の顔を見た。……額が、凹んでいる。強烈に。
「イシハラーッ!」
絶叫し、私はイシハラの胸ぐらを掴み、激しく揺さぶった。どう考えてもまともな容態ではあらず、死んでいても不思議では無いダメージだったからだ。その表情は驚愕したまま固まっており、どこまでその体を揺らしても反応を返すことは無い。
「ピ……ピガッ……」
「……?」
否。微かに、異音が聞こえる……。ニンジャ聴力を澄まして、かろうじて拾える程度のか細い音だが……,
「見損なったぞイシハラ=サン!」
思考をインターラプトするかのように、説法師のよく通りすぎる大声が私の鼓膜を刺した。堂々とした態度で部屋の中にエントリーし、倒れているイシハラと私を蔑む目で交互に見やる。
それだけでは無い。背後からスコップを持った人影がもう一つあった。付き添いだな。あやつがそれでイシハラを死角から殴ったのか。だが、その腰は引けていて、未だその体は細かく震えているようだが。
「ニンジャなんぞに絆されるなど笑止千万!きゃつらは腹の底に無限の別顔を隠し持っているというのに、それも見抜けぬ審美眼のなんと浅ましきことか!」
辻説法師はなお叫んだ。動かぬイシハラに向かって。
そして、私の方を向く。
「のう、邪なるニンジャよ。オヌシがいかな手を使ってイシハラを洗脳したかは知らぬが、もはや味方も逃げ道も無い。大人しく成敗されるべし!」
その言葉に同調するかのように、付き添いであるもう一人がスコップを私に振りかざし……躊躇があったのか、少し間を置き、そして振り下ろした。
立て続けに起こるショックで私はそれまで茫然としたままだったが、それが振り下ろされるや否や、ニューロンが危険を察知して我に返り、反射的にその柄の部分を片手で掴んだ。木で出来ていたからだ。
「!」
男が怯む。手に持っていたスコップの柄が灰となり、使い物にならなくなる。ここで私のニンジャ第六感が別の危険を察知した。すかさずその方向を傍目で見る。辻説法師がナイフを手に持ち、今まさに私に突き刺そうとしているところだった。
なるほど、スコップは囮か。
「イヤーッ!」
体感時間が遅くなる。
土を掬う金属部は灰の柄では当然支えられず、今も緩慢に落下している途中である。なので、私は未だ落ち続けているそれを咄嗟に掴み、そのまま説法師を力強くはたいてやった。
「グワーッ!」
吹き飛び、小屋の出口から外に弾き飛ばされる小柄男。私は屈んだまま勢いをつけて急発進し、そやつの体が地面につかないうちに両手で襟元を掴み、吊り上げてやった。
「アイエエエエエ!」
手足をじたばたとさせる辻説法師。首元の私の手を剥がそうともしていて、拘束を振りほどきたいのだろう。だがその短い四肢は私の胴体までには到底届かなければ、私の両手も襟元をがっしりと掴んで固めている。こやつはもう逃げられないな。
「ち、畜生!嫌だ死にたくない!こんな!ニンジャなんぞに、ニンジャなんぞにーッ!」
なんとインガオホーな喚きだろうか。私は憤怒の形相で辻説法師の瞳を覗き込んだ。
ニンジャ威圧力に真っ向から中てられ、男の顔が恐怖に歪む。
「アイエエエエエ!そ、そうだ!おいそこの若者!私を助けろ!」
そして、後ろで困惑しているもう一人の男に助けを求めた。イシハラをスコップで殴打し、それを灰にされ、今や丸腰の男がな。
そやつは何をすれば良いのかわからない様子で周囲をきょろきょろと見渡している。思うに、こやつは自らの意思ではなくこの説法師に無理やり連れてこられたのだろう。あの様子ではな。
私はその男に向かい、首のみ振り向かせ叫んだ。
「そこの愚かなモータルよ!一刻も早く立ち去れ!この私の両手がうぬを灰にしてしまう前になッ!」
「ア、アイエエエエエッ!?」
若者は失禁し、明後日の方向へと一目散に逃げ出した。その様子を一瞥し、私は改めて辻説法師の方へ向き直った。
「あやつは利口だな。だがうぬは愚かは愚かでも愚の骨頂と言えよう」
「貴様ーッ!今更人間に対して親身だとアピールするつもりか!?私の眼はごまかせんぞ……!」
「言うに事欠いてまだ食い下がるつもりか、うぬは……!」
「クソーッ!もう殺したければ殺せ!逃げる手段も無し、貴様に逃がされたとなれば一生の生き恥、死んだ方がマシじゃあ!」
「……」
私の中に、一瞬の葛藤が生じた。
だが、すぐに私は腹を決めた。辻説法師を掴む手により力を籠め、呟くように言う。
「ならば、すぐに楽にしてくれよう……!己の肉体が灰となる感覚をとくと味わえ……!」
辻説法師が歯を食いしばる。私は自らの両手にエテルを溜め、目を閉じて深く息を吸う。
そして……。
「……イ――」
シャウトと共にチリアクタ・ジツを発動させようとした、その時だった。
私の脇腹にとても強く、鋭い痛みが走った。
「……グワーッ!?」
完全なるアンブッシュに呼吸が乱れ、思わず握力をゆるませる。それ以上に、痛みの正体を見極めることが先決だった。私は脇腹を見た。
それは……どう形容すればよいのか。細長い円柱型の硝子の容器に、金属の針がついている。毒々しい紫色の液体が詰まっており、どういった原理なのか、それは中身が減り続けていた。
……いや、違う、減り続けているんじゃない。
この液体は、今、私の体内に注入されているんだ……!
「グワーッ!」
思わず、私は頽れた。途端に全身の筋肉に力が入らなくなり、立つことすらもままならなくなったのだ。一瞬でも気を抜くと瞼すらも閉じそうになる。こんな状態で力は発揮できぬ。辻説法師を拘束から完全に解放してしまった。
アナヤ。この液体、何らかの薬だな……?こやつ、まだ奥の手があったのか。
「ク……クソッ……」
尻餅をついて起き上がろうとする説法師に向かい、手を伸ばそうとする。だがその腕は上から抑えつけられているかのように重たい。辛うじて指は少し伸ばせたが、それで届くはずもない。
立ち上がった辻説法師は、倒れて動く様子もない私を見るやいなや、少し目を開いた後、すぐにせせら笑った。
「ハッ……ハハハッ、何だか知らんが、何と幸運なことだろう!やはりブッダは正義である私に味方していたのだ!」
笑いながら、すぐそばに転がっていたナイフを拾い、その刃先を私に向ける。心臓部に。
……何だか知らんが?このアンブッシュ、こやつにとっても予想外の手助けだったということか?
「観念しろ、ニンジャよ!ハイクを詠み、今まで殺した人間の顔を思い浮かべながらこの地で果てよ!」
「……ッ!」
いや、考える暇もなかった。絶体絶命だ!このままではブザマに刺殺される!どうにかしてこの場から逃げねば!……だが指先に至るまで全身の力がどうやっても入らない今、この短時間で逃げ道など見つけられる筈もない。ALAS、もう本当に万事休すなのか?
説法師が私の背中に跨り、高らかに叫ぶ。
「死ねッ!ニンジャよ……ッ!?」
その口上は、驚きと共に遮られた。振り上げられたナイフが私に突き刺さることも、同様に無かった。
「……?」
私は訝しみ、難儀しつつも顔を上げて辻説法師の方を見た。焦点が合わず、今や視界も滲んでよく見えないが……。
……首元に何か、針が刺さっているように見える。
「何だ……!?いったい何が刺さってッ――」
その言葉もまたもや言い終わることもなく、辻説法師は倒れた。開いた手からナイフがカランカランと転がっていく。
「……グガーッ……フガーッ……」
……やがて、イビキが聞こえ始めた。……眠らされたのか?
クソ……さっきから、誰だ?私を不意打ちで無力化させたと思えば、この男も眠らせるとは。何がしたいのかわからない……。
――カッ!!
「!」
突然、私の視界が全き白に染まった。
何だ?光か?クソッ、眩しすぎる。思わず手を翳そうとする。出来ない。当然だ、動かないからな。
目をぎゅっと瞑り、首をもたげさせてそっぽを見ることで、何とかその光から逃れようとする。
だが、その必要はすぐに無くなった。光が強かったのは一瞬のみで、すぐに弱められたからだ。
「な……んだ……?」
少しずつ目を開け、光の正体を突き止めようとする。しかし弱くはなったものの、やはり正面から光源を目視するわけにもいかず、それを完全に捉えることはできぬ。
だが……だが。辛うじて、その光の正体を……持っている奴は居る、ということが分かった。よく見えないが……それを持っているのが一人、そしてそやつの両脇に二人。
それらはゴミ山の地平線から徐々にこちらへと近づいてくる。やがて聴覚が足音を拾うようになり、足音の数から人数が判別できるようになった。三人それか四人いるらしい。
参ったな……アンブッシュを仕掛けたのはこやつらか?一体全体、何が目当てなんだ?あのコミュニティで、そんなことを出来そうなやつは居なさそうだったが……。
「ヤッタ!ちゃんと効いていますよ……!」
やがて、私のニンジャ聴力が近づいてくる者たちの会話を拾うようになった。高揚した、若い女性のような声がまず、耳に入った。
「油断は禁物だ。ザンシンしつつ、慎重に近づくんだぞ」
次に落ち着いた声色の、女性の低く中性的な声。
「まあ、大丈夫だと思うけどな。何たって、オレ謹製の特製薬だ」
そして妖しげにハスキーな、男性の特徴的な声。
「ウ……」
私は微かな唸り声を上げ、眼球を動かしてそやつらを見た。
……その恰好を見て、何と描写すればよいのやら。平安時代で培われたボキャブラリーでは、彼らの奇抜すぎる服装を表現する言葉などないのだ。そして私のニューロンは彼らの格好を見て、一瞬で納得した。あれが「現代」の服装なのだ。
そして、先程から声のない四人目は、よく見れば見覚えがあった。イシハラをスコップで殴ったあの若者であった。全身を縛られており、ハスキー声の男によって首根っこを掴まれ歩かされている。どう見てもこやつらの仲間ではない。
「意識はあるようだな」
やがて、中性的な声の女性が私の顔を覗き込み、話しかけた。
「アッシュピット=サン、ダイジョブ……?」
縄で縛られている若者が、おずおずと私に訊いてきた。
よく言うな、このモータルめ。直接恨み言をぶつけられない事実を惜しみ、私は脳内でそう答えてやった。
「言葉が聞こえているようなら、アイサツはせねばならんな」
女がそう言うと、胸の前で手を合わせ、オジギの態勢に入った。残り二人も同様に手を合わせる。
その仕草で、朦朧とした意識の中、私は瞬時に察した。
こやつら、ニンジャだ。
「「「ドーモ」」」
三人が同時にアイサツする。
「ステディです」
「マインドシーカーです」
「ネオテリックです」
そして、名乗った。
最後に、ステディと名乗った中性的な声の女が、懐から謎の黒く小さい何かを開き、インロウめいて掲げ、言った。
「私たちは、ネオサイタマ市警内特務組織、49課だ」
【ザ・モーメンタリィ・インパルス】 完