アーチニンジャ:ネオサイタマ奮闘記 作:コースト
あれからざっと一時間は経ったのだろう。現代の車には本当に驚いた。ヒキャクとは比肩ならない程の速力を誇り、それでいて運転手に大した労力は必要ないように見える。スクラップ収集トラックでも散々見てきたが、直接乗るするのとではまるで訳が違う。
これには興奮した。ああ、しっかり心を躍らせたよ。アーチニンジャとて、心が芯まで凍っている奴は居ない。いきなり千年後の技術をとくと見せられれば、それこそあの六騎士とて目を見開かずにいられないだろうさ。
……まあ、興奮した。してたんだ。過去形なんだ。乗車してからかれこれ一時間が経過した今の私に、そんなリアクションをする気概はもはや無い。
同乗者は話しかけてこないし、景色は忙しなく流れるのに変化が無いし、舗装が悪い道を強引に走っているお陰で上下振動が酷く、酔う。おまけに今までずっと遠景に過ぎなかったあの灰色立方集合体がみるみるうちに近づくのかと思えば、そうでも無い。
そう、なんと飽きたのだ。
我ながら、自分の飽き性っぷりに慄きを禁じ得ない。
「軌道が曲がってきているぜ、姐御。少し右を向いてくれ」
「コピー」
「ったく、地面がガタガタすぎるんだよなァ……」
……その事に文句を言えば、ステディはマインドシーカーに私の話し相手になるよう提案してはくれた。だがあやつはどうも対人術に難を持っており、要らない口を滑らしては塞ぎ、そのまま黙りこくったりと、とても気分のいい会話にはならなかった。
なので繰り返し苦情を入れれば、今度は痺れを切らした様子のネオテリックが、私を優しく、だが脅すように黙らせてきた。いい加減腹に据えかねたので反駁したかったが、それで状況が改善されるともまた思えず、歯を食いしばりながら素直に引き下がった。
イシハラも隣で項垂れていることだしな。
「……」
ウーム。
真面目に考えると、だ。
私は要は今、人違いでこやつらに捕らえられているんだよな。確か……フォールアウトとかいう奴に取り違えられて。
となればそやつが、私が肉体的な身体能力を失ったその訳や、またはその手がかりを知っている……という線は無いだろうか。
間違われるほど、私とそやつは似ているということだろう?そもそもカイデンネームを名乗られている訳だしな。それとも、本当にたまたま共通点が多いだけの他人の空似なのだろうか?
……まあ、ステディは署内に着けば事情を話すと言っていた。遅かれ早かれ、その時にハッキリするだけのことだ。仮に関連性が微塵も無かったとしても、そのままドリームランドに送還されはしないだろう。ネオサイタマに居座ってやる。それでも、結果的に私の望みは半分叶ったようなものだしな。
「そこを曲がったら、もう少しでゲートだ」
ネオテリックの声。宙を漂っていた意識が収まるべき器に還る。目をぱちりと開ける。
「……」
ほんの数瞬、顔をしかめた。世界が傾いている。いや……違うな、傾いているのは私の上半身か。考え事をしているうち、いつの間にかうたた寝をしていたようだ。
いかんな……味方か敵かも分からない集団に拉致されているというのに、暢気に寝るなど。あまりにも警戒心が鈍っている。気を張らなければ。
未だに寝ぼけ眼のニューロンに自ら鞭を打つ。おもむろに体を起こし、枕の正体を見た。
……イシハラの肩。
「……」
自分自身に呆れた。
貴きアーチニンジャとあろう者が、まさかモータルの肩を枕にして無防備に眠ろうとはな。
カーペットに包まって寝るより安眠できたのがムカつく。
モータルを虫けら同然に捉え、無意味に虐げながら日本を練り歩いていた且つての自分がこれを見たら、どう思うのだろうか。
身体能力が衰えていたからとはいえ、もはや別人格と呼んで差し支えないほど、今の私は変わり果てている。
それを喜ぶべきか、恥ずべきなのかすらも、全く分からない。まず間違いなく、過去は私を非難するだろう。今もこの道を進むべきが進まざるべきか、心の迷いが著しい。
一寸先すら見えない獣道の、何と恐ろしいことか。
気が滅入るな。
……。
「ゲートを通過」
とステディが言った。再び思案に耽っていた私はハッと我に返り、正面の景色を見た。
「……!」
少し目を見開いた。
ドリームランドに住んでいた時にさんざ見ていたメガロポリスのあの遠景が、いつの間に限りなく近く、巨大となり、私を天から見下ろしていた。その頂を望もうとしても、車の低い屋根に遮られてよく見えない。
何てことだ。ネオサイタマがすぐ近くに。
「!」
一瞬、光がシャットアウトされ、フロントガラス以外の窓が真っ暗闇となった。だが、その闇はすぐに晴れ、振動が止み、再び景色が見えるようになった。
そう……。「ゲート」を潜り、灰色立方体の乱立する森の中へと、車がついに突入したのだ。
ネオサイタマの万華鏡が如き景色が、視界いっぱいに咲いた。
「……ああ……!」
溜息が漏れる。いの一番に様々な色彩の光が視界を眩く覆い尽くしたが、この景色から目を離そうとはとても思えなかった。
人が多い。建物が多い。車が多い。光が多い。店が多い。喧騒が多い。何もかもが多い。全てが多い。
看板も、ドリームランドと比べものにならない数がある。実際安い。あなたのクローム。電話王子様。ふわふわローン。HOテル。精力大発揮。おなしやす。コケシマート。甘くて強い。電話王子様。政府。毎夜の恋。ドンブリ・ポン。オーガニック。骨董品あまた。安い、本当に。
街中に掲げられた文字を見えるだけ読んでみても、一瞬でこれほどもの文字量が。しかも謎めいた技術により、ショドーではなく角ばった無機質な文字となっており、これまた見知らぬ技術により、どれも全てぼうっと輝いて見える。私のキャパシティを遥かに凌駕する情報過多っぷりだ。
「……なんか、目が爛々としてません?あの人……」
「お前の気のせいじゃねーの」
「そうかなぁ……」
……街行く人を見ても、やはり目新しいものばかりだ。もはや、キモノなんて誰も着ていない。十人十色、様々な色彩や意匠があしらわれた派手な服を羽織り、その一人一人が個性的だ。肌を金属光沢めいて光らせている奴も居れば、 黒いガラス塊を目に装着させている奴もいる。私の時代錯誤な審美眼ではどうにも理解し難い趣味嗜好ではあるが、これがネオサイタマのトレンドなのか。
……ヒートリ、コマキタネー……ミスージノ、イトニー。
視界に広がる景色ばかりに気を取られていたが、ここで謎めいた細やかな歌声に気付いた。恐らく聞こえてはいたのだろう。その声はマイコめいているが、どこか違うように感じる。
「……」
耳を澄ませ、その歌声に集中する。私にはその詞の意味が分からない。だが、ゼンめいたタイコの音がうまく歌声と調和し、いやに脳裏に残る。
……ゼン。まさにゼン。心の中の不浄が払われていくようだ。打ちあがる波風が凪ぐように。巻き上がる土埃が風に攫われ、散るように。
「……フゥ」
目を閉じ、座席に腰をかけ、全身の力をゆっくりと抜く。決して座り心地の良い椅子ではないが、腰を密着させ、背中を凭れ、ただリラックスする。息を吐きながら、全身の力を緩やかに抜く。
語りかけるようなマイコの声と、自らのニューロンを調和させ、ヘイキンテキの意識を重点する。
靄を振り払い、濯ぐ。
(……よし)
そう、悔やむにはまだ早い。
どちらにしろ、アッシュスケープ・ジツを使った時点で、もう私はポイント・オブ・ノーリターンを過ぎていたんだ。後悔は死んでからすればよい、なんてコトワザもあったか。こうなってしまった運命を寿ぐか呪うかは、これからの私が決めることだ。
私は灰の山より出りしアクタ・ニンジャだ。
今後、あらゆる艱難辛苦が私を害そうとも、霞を食んででも泥臭く生き延びてやる。幾星霜にも渡って悪意が私を蝕まんとも、逆にその背に跨って屈服させてみせよう。
ネオサイタマ何するものぞ。未知の異世界なぞではなく、理想郷と思えるように生きてやるぞ。
それが、私にこんな茨道を歩ませた運命への最大の意趣返しだ。
「ザザーッ……汝ら、少しよろしいかな」
突如として、細波めいた雑音交じりの新たな声が車内に響き渡った。無機質に平坦で、少年めいて中性的な声が。
何だ?敵襲か?私は反射的に警戒心を強め、車内中を見渡した。だが外の景色は変わりなく流れ、同乗者たる3人も特に騒めいている様子はない。
「問題ない、フォーアイズ=サン」
とステディ。なるほど、こやつがフォーアイズか。どうも姿形が見えないが、思念体なのだろうか。それともこの時代には声のみを遠隔で運ぶ技術があるのか?
「ザザーッ……汝らの車の後方に敵シンポルを確認した。急速に接近中。程なくしてエンカウントするであろう」
「成程な」
ガタン!ステディが言い終わらないうちに、激しい衝突音が後方から鳴り響いた。ごく激しい揺れ。最後尾に座っていた私とイシハラは最も強い衝撃を受け、全身を正面に投げ出してしまった。顔面がシートの背もたれに埋もれた。
「ぐむッ!」
「なッ……!?」
狼狽えるマインドシーカー。ボンッ!続けざまに天井からも衝撃音。私は素早く自分の顔を元に戻し、音の方を見た。彼女の座る席の真上が僅かに盛り上がっている。
「ザザーッ……上方向からの通常攻撃に警戒せよ。恐らく斬撃属性の武器を持っている」
「マインドシーカー=サン、避けろ!」
「イヤーッ!」
ネオテリックの警告と同じくして、車外からシャウトが放たれた。マインドシーカーがドアを蹴り、素早く離れる。その瞬間、天井を突き破り、彼女の座っていた場所に鉄の刃が垂直に振り下ろされた。冷たい金属から形作られた、由緒ある伝統的なカタナだ。あと一歩判断が遅れていれば、無傷では済まなかっただろう。
だが間髪を入れずそのカタナは向きを変え、再びマインドシーカーへと切っ先が向いた。
「イヤーッ!」
再びシャウト。ルーフを切り裂きながら刃が真横へとスライドし、再びマインドシーカーに迫る。
「ナンデェーーッ!?」
ブザマな絶叫とともに、彼女は飛び込み前転めいて後部座席に頭から突入、回避。そのまま私とイシハラの間に頭から雪崩れ込む。
クソ……已むを得なかったとはいえ、狭いな!
「無事かマインドシーカー=サン!?」
「こやつは大丈夫だ!それよりこの襲撃者をどうにかしろ!」
言い終わった直後、突然、車が進路を右方向へと変えた。左へ強烈な慣性が働き、ただでさえ狭い後部座席がさらに圧縮される。
「モゴーッ!」
上半身を座席に埋めたマインドシーカーがくぐもった悲鳴をあげ、足をばたつかせて両脇の先客を退けようとし始めた。
こやつ……。
「落ちたか?」
ステディがハンドルをクルクルと回しながら鏡越しにルーフを見る。急旋回して以降確かに動きは止まったが、程なくしてカタナがまた動き始めた。みたび角度を変え、直角を作りながら屋根を刻み始める。
「ダメだな。カタナを支えにして耐えたか」
「次からは警告をして貰えないかな、ステディ=サン?」
私が言い終わったタイミングで、マインドシーカーが身を起こした。
「ブハッ!」
「起きたか」
「死ぬかと思った……アクタ・ニンジャ=サン、もっとスペース作ってくださいよ!とても苦しかったんですよ!?」
「ハ?」
「ザザーッ……吉報だ。たった今、エネミーの狙いを見破った」
フォーアイズの雑音まみれの通信が入る。
「素晴らしい。続けてくれ」
とステディ。バリッ!激しい音を立て、向きを変えたカタナが天井を裂いた。コの字の切れ目が刻まれている。
ああ、これは……。私達を屋根越しに刺そうとしているのではなく、天井に穴を開けているのか。
「ザーッ……狙いはアクタ・ニンジャ=サンで違いない。今襲撃中のニンジャは、誰かに命令されて彼女を手に入れようとしている」
私か?まあ、そうか。どうやって知ったかはともかく、私が捕らえられているから、今このタイミングで襲撃されたのではないかと考えれば辻褄が合うものな。
しかし、誰か……か。世界中の誰も私を知らないと思っていたが、少なくとも一人は、私の存在を把握しているのか。
長くない猶予の中、私は考える。
これは果たして助け船なのか?
「ああクソ、やっぱりかよ!」
ネオテリックがテッポウを構え、今まさに破られようとしている天井を警戒する。
「アクタ・ニンジャ=サン、テメエの仲間か!?正直に言え!」
「それを知って何になるというんだ!どの道うぬらは引き渡しなどしないだろう!?」
カタナが更に向きを変える。軌道上には一本目の切れ込み。このまま斬り裂いてしまえば、ルーフに四角の穴が開くだろう。
「おい、マインドシーカー=サン」
緊張し、顔の強張っているマインドシーカーに、私は小声で話しかけた。他の誰にも聞こえないほどか細く。
「エッ、な、なんでしょ……」
つられたのか、彼女も囁き声で返事をする。
「私に策がある。…………」
私はマインドシーカーに耳打ちをした。彼女の表情はいっそう強張ったが、ダメ押しで睨んでやったらあっさりと観念してくれた。
バリッジャキン!激しい音を立て、中央部の座席に四角に切り取られた天井の一部が落下した。ブレードが容赦なく切り裂き、天井に侵入路となる穴を開けたのだ。
「ハッ!」
マインドシーカーが顔を上げ、天井を見据える。それだけではない、運転手のステディを除く、全員が穴を警戒した。型を抜かれたように角ばった、その穴を。
すると、私の方から人影が見えた。見て分かる、新手のニンジャであろう。それはイシハラよりも更に一回り大きい巨体であった。
「ドーモ、デッドリーエッジです」
その巨体越しに、ネオサイタマの高層建造物が高速で流れながら私達を見下ろす。紫、桃、黄。十色が混然一体となったストリートの街灯が、デッドリーエッジと名乗ったニンジャを全方位から照らす。
黒光りする無骨な鎧で全身を固め、その刀身の不揃いな波模様がいかにも威圧的だ。しかしこの程度の虚仮威しには慣れている。私も臆せず挨拶を返す。
「ドーモ、デッドリーエッジ=サン。アクタ・ニンジャです」
「アクタ・ニンジャ=サン……貴方様のつがいがお待ちだ」
重装甲のニンジャは黒光りするカタナを鞘に仕舞い、私と目を合わせる。
……つがい。
「どういうことだ?」
「詳しく説明する時間が無い。来てもらう。それが主の願いであり、本懐であり、そして貴方様のためにもなる」
「……私のことを知っているような言い草だな」
「当然だ。貴方様はチリアクタ・ジツを使うニンジャであり、その手で触れたものは灰となる」
「……!」
何ということだ。私のジツが、何処の馬の骨か分からないような奴に周知されている。
「図星という顔をしているな。これは主からの情報だ。主は貴方様の関係者なのだ。分かったら、来なさい」
「……」
一度、視線を下ろした。マインドシーカーは隣で俯いて震え、ネオテリックは「行くんじゃねえぞ」とでも言いたげに私を睨んでいる。
だが再び上を向くと、私はマインドシーカーを押しのけて身を乗り出し、屋根から頭を出した。
「行くんじゃねえ!逃がすか!」
ネオテリックがすかさず飛び掛ろうとしたが、すぐさま、デッドリーエッジの鋭い刃が天井から私との間に突き立てられた。
上の穴から低い声が響く。
「そこに誰かいるのは分かっている。俺は貴様らを何時でも討てた。分かるか?今の貴様らは俺に生かされているのだ」
「……ッ」
歯を食いしばり、座り直すネオテリック。
「イヤーッ!」
その隙に私は穴からジャンプし、車の上に着地した。
……両手が相変わらず動かせなかったので、バランスが取りにくかったが。ニンジャ平衡感覚を以てしても少しふらついた。
「あ、アクタ・ニンジャ=サン………」
マインドシーカーがなよなよしく話しかけてくる。無視。
「善き判断だ」
次いで、穴を挟んで向こう側の声。デッドリーエッジがカタナで49課を牽制したまま手招きする。その目を私は真っ直ぐに見据えている。
彼を照らす光源は両端のストリートライトのみで、その正面は影に覆われて見えない。
「来い。まずはここを離れるぞ」
この不安定な足場の中、私は穴を跨ぎながらゆっくりと歩み寄った。
して、お互い手の届く距離。
「よし。ではシツレイを承知の上で、抱えさせてもらう。その後、その拘束具を外す」
「外してくれるのか?」
「ああ。主が執り行う」
「……」
私はスっと両手を広げ、こやつに見せてやった。
「その必要は、ない」
何の拘束具も付いていない、全き自由な両手を。
マインドシーカーに秘かに外してもらい、束縛から解放されていた、この両手を。
「……!」
デッドリーエッジが目を見開く。空気がぐにゃりと歪み、スローとなる。忙しなく巡っていた街の景色が、今や建造物の窓越しの人の虚ろ顔まで鮮明に見える。
「イヤーッ!」
一歩踏み込み、その両手を目の前の敵めがけて振りかぶった。緩慢な時間感覚。私の手がゆっくりと迫り、両側からその頭を掴まんとする。無論、狙うは一撃必殺のチリアクタ・ジツ。頭部を一撃で葬り、反撃の余地も与えぬまま灰にしてやる……。
「イヤーッ!」
少し遅れ、相手も反応を開始し、私に籠手で覆われたその手を伸ばしてきた。……だが、問題ない。経験上、こやつの手が届く前に、私の手が先に触れられるはず……!
「グッ……!?」
頸椎が強烈に圧迫され、私の全身が後ろに押し出された。
デッドリーエッジの大きい手が先に私の首根っこを掴み、持ち上げた。
……つまり、間に合わなかったのだ。
「カハッ……ヒューッ……!」
「なんと、たわいもない」
無慈悲な視線が私を射止める。
クソッ。握力が強い。息が出来ない。動脈血の流れも止まっているかもしれない。ぼやける視界の中、腕を伸ばす。届かない。次に、私を掴むその腕を見る。隙間なく無機物製の鎧で覆われており、灰に出来そうにもない。
露出した頭部に触れられれば、例え先に掴んだとてこやつは手遅れだったというのに。そうか。先手を取ったとしても、十全な力を持つニンジャの前には敏捷性に劣るのか……。
屈辱的だ。ああ。悔しい。
「つがいの役目は、主に
デッドリーエッジがそう言うと、構えられたカタナがチャキンと鳴った。
「大丈夫だ。殺しはせぬ。爆発四散してしまえば、肉体を回収できないからな……」
「……ッ!」
そして、振り被る。
……これは、万事休すか……?
「今だ」
女の声が聞こえた。
直後。
バリバリバリバリギャギャギャギャ!!
「!?」
黒漆塗りの車が絶叫にも似たけたたましい騒音を立て、にわかに急加速し始めた。マッハを連想する速度で流れるその景色は、もはや残像さえも映らない。
ルーフの上に立つ私とデッドリーエッジに、強烈な風力と後方への慣性が働き始める。
「ぐッ……!」
備えられていなかったのか、カタナを構えていたデッドリーエッジが思わずたたらを踏んだ。この拍子に自分で開けた穴に落下……はしなかったが、姿勢が低くなり、私の首を絞める力がやや弱まった。
「小賢しい真似を……」
だがバランスを崩したのは一瞬で、それ以上はよろめかなかった。運転席を屋根越しに睨みつけ、屈んだ姿勢を整えようとする。
恐らく、そうしようとしたのだろう。
「……?」
デッドリーエッジは訝しむような顔をした。そして、固まった。
私も訝しんだ。たたらを踏んだ姿勢のまま、私の首根を掴んだまま、デッドリーエッジが動かなくなったのだ。
「これはッ……!?」
……いや、これは……、動かないのではなく、動けないのか。その視線は狼狽えるように右往左往し、やがて何かを見たように一点を見つめ、それ以上は微動だにしなくなった。
首を掴まれたままでその視線の方へ体を向けることは出来なかったが、私には何を見ているのか、概ね予想がついた。
「……フドウカナシバリ・ジツです」
今度は、末成りな女性の声が聞こえた。
「あなたの目が見えました。これで、もう動けませんね……」
「なッ、クソが……」
「よくやった」
最後に、ハスキーな男の声。直後、背後の穴から誰かが飛び出し、軽やかに着地する音が聞こえた。
……まあ、誰か、というのは白々しいか。だがわざわざ言わずとも、だいたい分かるだろう?
「ドーモ、俺は49課のネオテリックだ」
決断的アイサツ。目の前の敵ニンジャも歯を食いしばりながら、アイサツを返した。
「デッドリーエッジです……」
「アイサツご苦労」
そう言うと、ネオテリックはデッドリーエッジの背後へと移動し、顎を持ち上げ、首元に緑色の液体が満ちた硝子容器の針を刺した。
「じゃあ、次にハイクを詠め」
「……」
額に脂汗を滲ませながら、デッドリーエッジは振り絞るように言った。
「クロサメは……降り止むことなく……インガオホー」
「OK。じゃ、サヨナラ」
ネオテリックがその硝子容器を押し込み、敵ニンジャの頸動脈の血管にその緑色の液体を一気に注入した。
途端に白目を剥き、にわかに全身を痙攣させるデッドリーエッジ。
「もういいぞ、マインドシーカー=サン」
ネオテリックが容器を仕舞いながら合図すると、デッドリーエッジの体が力なくだらんと垂れ、私はようやっと窒息から解放された。
恐らくマインドシーカーのフドウカナシバリ・ジツが解除されたのだろう。
吊り上げられていた私はそのまま自由落下し、穴を丁度通り抜けてすとんと中部の座席に着地した。
「サヨナラ!」
同時に、デッドリーエッジが爆発四散した。
「よ、よかったぁ……」
後方からマインドシーカーの声。そちらを向こうとすると、ガッと頭を掴んで止められた。
「だ、ダメです!まだ見ては!待ってくださいほんのちょっとだけ、ハイもう良いですよ!」
そして、すぐにパッと離された。眉間を顰めながら改めて顔を合わせると、緊張したように笑むマインドシーカーの手が何かを持っているのが見えた。
黒く小さいガラス板が、横に細長い紫色の枠に二つ嵌められているやつだ。
「……」
「あ、コレ、特製のサングラスです」
……頼んでもいないのに説明し始めた。まあ私が見ていたからなのだが。
「これを装着していると、ボク、危険なので」
「……装着していると危険?」
「ハイ。要は増幅機能を果たしていて――」
「あんま手の内バラすんじゃねえ」
嬉しそうに説明をし始めようとしたマインドシーカーを遮りながら、ネオテリックが穴から車内へと再び戻った。私の隣に座り、同時に新たな硝子容器の針をこちらに向けた。
「テメエ、いつ拘束具を破った」
どすを利かせながら、ネオテリックが問う。
「……私が破ったんじゃない。こやつがやった」
私はシートの背もたれで頬杖を突き、もう片方の腕でそのこやつ……マインドシーカーを指差してやった。
「は?」
反射的にそちらを向くネオテリック。マインドシーカーが驚き、慌てふためく。
「ち、違う違う違うって!脅されたんだよ、アクタ・ニンジャ=サンに!『拘束具を外してくれ』って!」
「脅されて、簡単に屈して、アクタ・ニンジャ=サンを自由にしたのか?いつからだ?」
「て、天井が破られるちょっと前……」
「……」
ネオテリックは私を睨むように見た。私は口角をニヤリと上げ、そのまま見返した。
「……チリアクタ・ジツを使われたらどうする気だったんだ」
「そ、それは……もう過ぎたことじゃないですかァ……」
「ハァーッ……」
そして、深く溜息を吐く。もう一度呆れた目でマインドシーカーを一瞥すると、彼は今度はステディに話しかけた。
「姐御。どうすんだ」
「フム」
運転席のステディが顎に手を当てる。
「少なくとも、彼に与して私達を害しはしなかった。完全にとはいかないが、少しぐらいは信用していいだろう。もともと、フォールアウトではないと見ているしな」
「拘束具は?」
「つけないで、様子を見る。しばらくな」
「そうかよ」
ネオテリックが気だるげにどっかりと身を投げ、脚を組んでくつろぎ始めた。そして懐から白く細い紙の棒を取り出して咥え、これまた小さい何か(後から聞いたが、ライターというらしいな)で先端に火をつける。
先端が燻り、多量の煙がそこと彼の口から吐き出される。煙が漂い、車内を満たし始める。
「ゲホッ」
……むせた。私がな。その煙から奇妙な香りがして、吸い込むと喉が引っかかるような感覚を覚えたのだ。
「ゲホッ!ゲホゲホッ!ウーッ……」
しかも、止まらない。吐き出した煙が空間を満たすものだから、吸い込むだけで咳き込んでしまって堪らない。まずい、しかも目に沁みるぞ、これ。細目にしないと瞼も開いてられない。
「どしたん」
ネオテリックが咳き込む私に言葉を投げかける。心配する素振りもないようだが。
「な、何だそれは……新手の嫌がらせか……ゲホッ!」
「ああ、成程な。タバコの煙に慣れてねえんだ」
「タバコ……?」
「フーッ」
目元に涙を滲ませながらなんとか顔を上げた途端、ネオテリックに直接煙を吹きかけられた。
「グワーッ!ヤメロ!」
物凄い量の煙が沁み、思わずのたうち回ってしまう。完全に弄ばれている。
「いいリアクションするじゃねえか。面白いヤツだな」
目を激しく擦りながら、私はネオテリックを指差した。
「コノヤロ!灰にしてやろうか!」
「もう灰にしてるだろ、本気でそうするつもりだったなら」
「……」
腹立つ……。
……まあ実際、チリアクタ・ジツの力を振りかざす気は毛頭もない。
勝算の見込みがないとかではなく、デッドリーエッジとの戦いの前から、私は実は脳裏で作戦を練っていた。私がネオサイタマで自由に動き回る為には、彼らも利用する必要があると考えついたのだ。
故に未だ疑い冷めやらぬ彼らから信用を買ってもらう必要があり、拘束具を疑われるリスクを承知の上で、マインドシーカーに外してもらったのだ。そして、まあ、失敗には終わったものの、デッドリーエッジに真っ向から歯向かってやった。
あやつに勝てたのは49課の連携による所が大部分だろうが、まず先に私に意識を向けすぎていたからこそ隙が生まれた、という見方も出来るだろう?
結果的に、ステディからはある程度認識を改めて貰えたし、ネオテリックも私をおちょくるぐらいにはアイスブレイクしてくれた。マインドシーカーは相変わらず不安そうな顔だが、まあ、元から割と何考えてるかわかんないしな……気にしなくて良いだろう。
この状況は、私の思惑通りなのだ。
一応な。
「ザザーッ……全員怪我はないか」
フォーアイズの声。ステディが返事をする。
「ああ、大丈夫だ。君の作戦の賜物だ」
「それは良かった、ザザーッ……ガンガン・イコーゼ・ストラテジーはやはり優秀」
さっきから思っていたが、こやつ、不可思議な言い回しをするよなぁ。現代になって流行っているスラングなのだうか?こやつらも特に反応してる様子は無いし……。
知らない私がおかしいパターンか。どうせ。
「ザザーッ……一応聞いておくが、スピード違反行為に対する上層部への釈明は」
「する必要性は無い。何を言ってもあの人達は変わらないだろう」
「そう言うと思った」
「フォーアイズ=サン。そろそろ到着する。色々調べたいことがあるから、今日は少し残業してくれ」
「問題ない。確かに、奴は気になるワードを吐いていたからな。クロサメか。汝らが来るまでにサーチしておこう。ザーッ……」
フォーアイズが会話を終えたタイミングで、車が減速を始めた。
「という訳で、もうすぐ署に着く。降りる準備をしろ」
「ハイ」
「了解だ、姐御」
ステディがそう言うと、車がゆっくりと停まった。
……停まったと思ったら後方へゆっくりと進み、地面に引かれた白い線の間に車体をすっぽりと収め、今度こそ停まった。
ネオテリックとマインドシーカーがドアを開け、車を降りていく。
ステディに促されたので、私も同じように戸を開け、車を降り、ネオサイタマの地を踏んだ。
「……」
灰色、ネオン、騒音、桃色、僅かな臭気。
これがネオサイタマか。私はネオサイタマに来たのだ。千年後の大都市へ。地面を踏みしめ、環境音を聞き、空気を一吸いし、改めてそう認識した。
灰の山から、ネオンの万華鏡。
「ネオテリック=サン、イシハラを」
「またか。しゃーねーな……」
ネオテリックが車から項垂れるイシハラを運び出し、持ち上げ、背負った。自分より大きい体格の筈だが、さすがはニンジャと言ったところか。
「……頼んだぞ」
私はネオテリックにそう言った。
「言っとっけど、これはお前の為じゃねーんだからな」
ぶしつけに言い返すネオテリック。まあ、別にいい。ネオテリックはそういう奴なのだろう。
「来るんだ、アクタ・ニンジャ=サン。私についてこい」
ステディが入り口の前に立ち、私を呼びかけた。そちらを向く。赤帽を被り、シックな黒服を纏う、堂々とした女が私を見ている。
「分かった」
ガラス張りの両開きの扉が横にスライドし、勝手に開いた。私はステディの後方をフォローする形で、ネオサイタマ警察署へとエントリーした。
舞台はドリームランドから、ネオサイタマへと移る。
色褪せたゴミの山だらけだった舞台は、コンクリートとネオンの樹海へと変化した。
ネオサイタマ。ドリームランドで培った常識をも通用せぬ、混沌と貪婪と悪意が跳梁跋扈する電子鎖国都市。
……そう。
私の本当の奮闘は、ここから始まるのだ。
【フロム・ジ・アッシュピット 及び 第一部:灰の山より】 完