アーチニンジャ:ネオサイタマ奮闘記 作:コースト
利害の一致からネオサイタマ警察署・集中対策課と協力関係を結ぶアクタ・ニンジャ。その後、マインドシーカーに強引に連れ去られ、ネオサイタマの服屋、そしてスイーツ店へと一方的に案内される。ネオン煌めく大都市の混沌に揉まれながらも何とか適応しようと努めるアクタ・ニンジャ。だがマインドシーカーが離れた一瞬の隙を突き、何の前触れもなく宿敵・フォールアウトが現れたのだ)
フォールアウト。
私のカラテが分離し、独立した存在……そして私とは相容れない存在。そんな不倶戴天の敵が、目の前で、悠長にも椅子に腰を掛けて、リラックスをしている。
「アンタ、誘いを断ったんだってな」
首を鳴らしながら、フォールアウトは背もたれにどっかりと身を傾げた。景色の遷移は、未だ引き伸ばされたかのように緩慢である。
「オレは先読みが苦手なんだよ。想定外のことをされるのはやめてほしいね。アイヤ困った困った」
そして両腕を広げ、やれやれと首を振る。極めて気だるげなアトモスフィア。彼女にとっての目的である私が目の前に居るというのに、戦意がまるで感じられない。私を見くびってかかっているのか、初めから事を構える気がないのか。
「……何しに来たんだ」
私はフォールアウトの目を見据え、低く言った。
……何をしてきても、いつでも対応できるよう、臨戦態勢を維持したまま。
「私を取り返しに来たのか?」
その言葉を聞いて、フォールアウトは不敵な笑みをより一層深め、僅かに身を乗り出した。街灯に反射して、黒の瞳がギラリと光る。
「いいなら、そうするけど」
「ふざけるな。いいわけないだろう」
激情を抑えた私の言葉に、彼女は再び息を吐き、
「自分で言ったくせに。ま、知ってたよ」
と言うと、背もたれに身を任せ、上半身を伸ばす様子を見せた。
「質問に答えろ。ニンジャを一人襲わせた分際で、今さら何をしに来た」
言いながら、私は灰スリケンを生成し、隠し持った。エテルも籠めることで、刺さった部分からチリアクタ・ジツが発動することができるようにもしている。そんな手の内、こやつには読めているのだろうが。
「ファアア……一度、アンタと話をしてみたかったんだよ」
「話……?」
藪蛇に現れて、話だけだと?欺瞞か?
「私は、今すぐお前を器として回収しても構わんのだぞ」
「アハハハ、やめとけやめとけ」
鎌をかけてみたが、そんな私の挑発に臆することもなく、彼女は乾いた笑いと共に応える。
そして、嘲る目が窄まり、低い声。
「忘れたとは言わせねえぞ。アジマのことをよ」
「……」
……アジマ。もし赤の他人だったとして、なぜアジマの事をこやつが知っているというのだ。意表を突かれたかのように固まる私に、したり顔を作るフォールアウト。
……言い返せなかった。今ここで、チリアクタ・ジツを使うわけにはいかない。
そうだ。私は……公衆の面前で、ニンジャの力を以て、人を殺め……チリアクタ・ジツを使った。あの日から、私のソウルは黒くなり始めたんだ。
ここで、もう一度そうしてみろ。私はまた大勢の無辜の人間を殺し、一触即発のもとに協力関係を結べた集中対策課とも破局、ないし敵対するのだろう。
そして、カラテの未成熟な私は、何も遺せずに散っていくんだ。
「オレはな、分からねえんだ、アッシュピット=サン。どうしてそこまでオレを敵視してるのか」
フォールアウトは私を指さし、続ける。
「もともと、オレらは一つだったろうに。確かにオレが勝手にやってることではある。でも注意こそすれ、のっけからそんな敵意全開に睨まれても困るんだよな」
「……」
……何が言いたいのだ?こやつは。
と訝しんだのもつかの間、彼女は立ち上がり、ゆっくりと一歩、前を踏み出した。
その一歩で、彼女は既に私の目の前にいた。タタミ2枚分の距離から、ゲン・ジツにでも掛けられたかのように、いつの間にか。
「なあ、アッシュピット=サン。オレはお前の考えが読める」
真っ黒のフードと、長く黒く鋭い前髪。その間から、「死ノ灰」のエンシェント・カンジが彫られた禍々しいハチガネと、光をも吸い込みそうなほどに黒く染まった彼女の瞳が見える。
両手はフーディーの腰ポケットの中。わざわざ仕舞うということは、私を灰にしないという意思表示のためか。それとも、そう解釈させて油断を誘い、アンブッシュで葬るためか。
「読めるだと?」
私も負けじとフォールアウトを睨み返す。見上げることも見下すこともない。地平線を眺むように、真正面から彼女の視線にぶつかることができる。
そう、私とこやつの体格は全く変わらない。一寸違わず。
「ああ。読めるとも。お前は読めないのか?オレの考えが」
フォールアウトはそう言い、再び人を食ったような笑みを見せつける。
思考が読める。にわかには信じられないな。そんなジツは身に着けた覚えがないし、耳に入れたこともない。荒唐無稽だ。
「ブラフだな。紛い物風情が、分かりやすい嘘で脅すでない。アーチのプライドはどうした?」
「……」
そんな彼女を、私は鼻で笑い、嘲った。途端に、彼女の表情が強張っていくのが見えた。髪で隠れてはいたものの、青筋も浮かんでいたのだろう。
「あの警察野郎と手を組んだんだろ」
フォールアウトは言った。
「ああ、そうだな」
私は平然として答えた。出会う直前までマインドシーカーと同行していたのだから、これは客観的にわかる情報だ。思考が読める証明には届かない。
だがフォールアウトは、さらに続けた。
「お前は、アイツらと利害が一致したから、協力関係を結んだんだ。最初は警戒していたが、アイツら側から譲歩してくれたおかげで、その猜疑心が解けた」
「……」
無表情を装いはしたが、こやつの言葉を聞くにつれ、内心では緊張が高まっていた。
……いや、いやいや。確かにこやつの言っていることに偽りはない。しかし所々が漠然とした言い方で、当てずっぽうが偶然にも正鵠を何度も射ている可能性も……。
「そのあと、お前はアイツらと存分に話し合った。オレがなぜ居るかについて整理し、オレがデッドリーエッジ=クンを襲わせた目的を推察した。ああ、その時に通信の話も聞いてたよな。フォーアイズってやつから」
「く……」
……ここまで的確に当てられれば、もはや偶然だなんだと高を括ってなんていられないか。私は顔を強張らせ、フォールアウトの鼻で嗤うような表情を見据えるしかなかった。さっきとはもう立場が逆だ。
こやつには……私の考えていることがわかるようだ。
「もう分かっただろ。オレはお前の考えが読める。何故か教えてやろうか?」
「……」
「至極単純だ。シミュレートだよ。行動の原理をお前に同期させればいいんだ」
言いながら、こめかみのそばで指を円を描くように動かすフォールアウト。……行動原理の同期だと?聡明でない私は、その言葉の意味を理解するのに数秒もの時間を要した。
要は……こやつも元は私だから、私と同じ思考をすれば、私と同じように物事を判断する。だから私の置かれている状況さえ把握できれば、その地点からどんな思考をしてどのような行動をとるか、手に取るようにわかる……ということらしい。
……しかし、それを聞いても私はまだ納得できない。
「……いや、それこそ──」
「ああ、ブラフだって言いたいんだろ、アッシュピット=サン?」
「ッ……」
ダメだ。発言まで先を読まれてしまう。いや、この程度で撤回するわけにはいかない。こうなれば押し切ってやる。
「……ブラフだ。何故なら、私の思考を読めると大言壮語する割には、物事をあまりに知りすぎているからだ」
「ウン」
「私の思考を読めると宣ったな。だが、今までの私の行動は私一人で決めたものではない。アイツらが条件を飲まねば縁は切れていただろうし、あのオリエンテーションで私はほぼ質問に答えただけで、話し合ってはいない。思考の同期だけでは無理がある」
「はッ。そこをそうとしか考えられないのがオレとお前の差で、お前がオレの考えを読めない所以だな」
「……」
こやつめ……ああ言えばこう言う……。
「なあ、アッシュピット=サンよ。今からでも遅くないんだぜ。オレを受け入れろよ。お前という欠片はオレの空白をぴったり満たすんだからよ」
フォールアウトは更に距離を縮め、もはや鼻が触れ合うほどにまで顔を近づけていた。私の視界を黒の瞳が覆っていく。私はたじろぎ、一歩退いた。背丈は同じなはずなのに、見下ろされているようだ。
だが、これ以上言い負かされるわけにはいかぬ。私は声を張り上げ、正面から反駁した。
「……受け入れるものか、紛い物風情が」
「チッ」
「何故なら私こそが──」
「なあ」
……言葉が続かなくなった。気が付けば、目の前のフォールアウトという存在は、どす黒いオーラを放ち、顔面に血管を浮き立たせ、私を憤怒の宿る目で睨みつけていた。牙を剝き出しにした猛獣を目の前にしたような感覚だった。一瞬でも目を逸らせばこやつに取って食われてしまうと、私の本能が誤った警告を発した。精神が、彼女に圧倒された。
「お前は、何を以てオレを紛い物だと決めつけている?」
「……」
フォールアウトの言葉はこれ以上なく冷徹で、抑揚がなかった。
私は怯むことすらできず、ただ固まるばかりだった。
「アッシュピット=サン。オレからすれば、オレが本物で、お前が紛い物なんだ」
「何……」
「よーく考えろ」
目の前の黒が、指で自分を示した。
「オレは、ニンジャとしてモータルをこれまで幾度となく虐げた。組織を作り、今も何人ものニンジャを従えている。お前のニューロンだって読める。だがお前はどうだ」
その指が、私の方を向く。
「お前はニンジャを名乗る割には、あのバカげた偽善集団と関わりを持っては、モータルと対等の立場で接しようと努めているみたいじゃないか」
「ッ……」
「知ってるか、アッシュピット。ニンジャってのはよ、今も昔も変わってねえんだ。闇や陰に潜み、愚かなモータルを襲い、悦に浸る。何故なら、アイツらは畜生同然だからだ。人間が動物を狩るように、ニンジャは人間を狩る。それが自然の摂理だからだ」
フォールアウトが、にやりと笑う。笑いながら、彼女の青筋は、より一層浮き立った。
「なあ」
「主に相応しいのは」
「どっちだ?」
……包み隠さずに、事実を告げよう。
逃げたい。即座に。
私は、彼女に対して、本能的な恐怖を抱いている。彼女が、禍々しい大布を纏う死神に見える。
フォールアウトは、私を紛い物だと主張した。
ニンジャであるにも関わらず、モータルと仲睦まじくしている私が異端だというのだ。
……かつて似たような悩みに直面したことも、何度かあった。
ドリームランド埋立地で、イシハラという名のモータルと接する機会が増えていった夜。
私は、フートンに身を包めながら幾度となく自問自答を繰り返した。
しかしそのたびに明確な結論も見いだせないまま、私は彼となあなあで親しくなった。
ふと、平安時代の記憶が蘇る。
イブシ・ニンジャを配下に、センス片手にモータルを弄んでいた、かつての私。
あの頃はカラテも十全で、ニンジャは奴らの上位存在だと信じてやまなかった。
ニンジャは今も昔も変わってない。
今は……ジツはあるがカラテはなく、人間をモータルとしてではなく、対等な立場で接している。
そうだな。今の私はニンジャではなく、ただジツを使えるだけのモータルに近い。
フォールアウトの言う通りだ。
……本当に、そうなのかもしれない。
ニンジャとして相応しいのはフォールアウトの方で。
器は……私なのだろう。
「分かったか。自分の立場が」
フォールアウトが言った。気が付けば、彼女は威圧を止め、元の気だるげな態度に戻っていた。
「……」
だが、私はもう、彼女に勇み足で立ち向かうことはできなくなっていた。
この黒き映し身が両手を伸ばし、灰にしたところで、私は抗おうとも思わないだろう。
「残酷な現実だな。ムカついたか?それともその様子、まさか心が折れたか?ハァーア。アーチのプライドはどうした?」
「……」
「器になるのが嫌だったら、どうにかしてオレを灰にして、先に回収することだな。今のアンタにゃ出来ねえだろうけど」
「……」
「手応え無えなあ。ま、言うこと言ったし、オレ帰るよ。オタッシャデー、アクタ・ニンジャの成り損ない=サン」
そういうと、目の前に立つこの黒の女は、しめやかに全身を爆ぜさせ、灰として跡形もなく四方に消えていった。
私は、急に現れて、心に杭を打ち込んでは消えていく彼女の様を、ただ眺めるばかりだった。それしかできなかった。
なぜ彼女は私を残して消えていったのだろう。いっそ、そのまま持っていけばよかったのに。
景色が、時の流れが、元に戻る。白黒から万色へ。緩慢から正常へ。
「あ、あそこ座れるね。そこで食べようね、トモ=クン」「ウィー!ヤッター!」「ワー!」「カワイー!」「信じられません!見てください!このバベルの塔を思わせるトテモデカイ・キナコ・パフェ!これは実際NSTV社の取材の要望で特別に作り置きしてもらったものであり、決して数量限定商品を職権乱用で確保したものではございません!」「おい、今も列長いじゃないか!どうなってるんだ深夜だぞ!?」「アンマーイ!」「シアワセー!」
人間どものにぎにぎしい様子が、嫌でも耳に入る。私の感情を斟酌せず思い思いの喧騒を四方にまき散らしている。崩れかけの石積みに無配慮に
「オマタセシマシタ!スプーン、持ってきましたよー!」
背後から声。振り向くと、このテーブルに置かれたパフェを一刻一秒でも早く口にしたくてたまらない様子でマインドシーカーが駆け寄ってきた。右手に、白いスプーンが二つ握られている。
パフェを片手に慎重に歩く別の人間に何度もぶつかりそうになりながらこちらまでやってくると、
「ハイ!」
と言って、天真爛漫とした様子で私にスプーンを渡してきた。
「……」
私は、そのスプーンを受け取ろうと、手を……伸ばさなかった。
両腕を胴からぶら下げたまま、私は力のない目でそのスプーンを見つめるばかりだった。
「ん?どうしました?」
そんな私の様子を訝ったのか、首を傾げるマインドシーカー。
私は……ニューロン内で、彼女への不満が沸々とたまり始めた。
こやつ。私が今、誰に何をされてこんなことになっているのか、皆目見当もついていないのか。それに遅すぎる。なんであやつが去ったと同時にやってくるんだ。お前のフドウカナシバリ・ジツがあればアンブッシュ殺できたかもしれなかったのに。どうしてそんなに要領が悪いんだ?
「……何か、あったんですか?」
さしものマインドシーカーも何かを察したのか、次第に彼女の表情は怪訝な様子を見せ始めた。私はなお腕を垂らし、彼女を見ていた。その姿は、こやつの目にどう映るのか。
「ゴメンナサイ。待たせちゃいましたか!そんなに食べたかったんですね、パフェ」
「……」
ああ。
「じゃあじゃあ、これ以上溶かすとマズいので、早速食べ始めましょ!この絶品パフェを一口食べれば、どんなに気分が沈んでてもポカンと――」
パチン。破裂音に似た、乾いた音が鳴った。
カランカラン。スプーンがふたつ落下し、地面を転がった。
マインドシーカーは、明後日を向いた顔を戻しながら、ただ驚いたような顔で私を見た。
私は……振り抜いた腕をゆっくりと戻し、彼女をただ見た。
様々な色彩が混ぜ合わさって、黒になっていく絵具のように――。
――様々な感情が綯交ぜとなった、無表情で。
「──で、お前はマインドシーカー=サンに八つ当たりをしちゃったってワケか」
ネオサイタマ警察署の客間。敷き詰められたタタミとショージ模様の壁が、低コストで雅を表そうとした涙ぐましい努力の跡を漂わせている。床に敷き詰められた二つのフートンは、恐らく私の居ぬ間にイシハラが準備したものだろう。実際、それ以外にはカウチと机があるぐらいで、あとは何もない。サップーケイだ。
「……した」
枕に顔をうずめ、小さく呟くように答える。
「謝ったのか?」
窘めるようなイシハラの声が降ってくる。
「……」
答えない。
「まあ……確かに不用心だったかもしれないよな」
少しの間を置いて、イシハラは話題を変えた。
「ターゲットの髪の毛一本でも感知したら即通報・即出動。だからステディ=サンは同行を許可した。だけど……結局は接触を許した」
「……」
「やっぱ俺も付いてくるべきだったかなぁ。でもマインドシーカー=サンが二人でいいって言ってたし、その気持ちに水は刺しづらかったよなぁ」
「………」
「ま、何にせよ明日のオリエンテーションの話題は決まりだな。アイツらに起きたことを伝えて、判断と対応に活かしてもらおうぜ。この前の会議はグダグダだったけどな」
「…………」
「珍しいな、俺をこんなに喋らせるなんて。もう一日分は話した気がするぜ、全く。アイツにどんな下らんことを言われて落ち込んでるんだよ」
「……ッ」
堪えきれず、私は突っ伏した顔を勢いよく上げ、憤りをあらわに叫んだ。
「お前の知ることか!暢気にヘラヘラとしやがって!次に口を開けたら、灰を詰めてやるからな!」
「お、元気になったか。良かったぜ」
「この野郎ッ……!」
ダメ押しの慇懃無礼についに耐えかねた私は、起き上がり、フートンの上で緊張感なくアグラを組んでいるイシハラに向かって枕を投げた。
咄嗟に両腕をクロスさせ、殺傷力のない飛び道具を防ぐイシハラ。だが、投げると同時に飛びかかっていた私の姿は見えなくなったはずだ。
両手を伸ばす。
そして、彼の両肩を、ぐわしと掴んだ。
掴めてしまった。
「……」
枕が滑り落ちる。だがイシハラは肩を掴んだ私の手を見ようともしなかった。ただ、目を逸らさず、静かにこちらを見続けていた。
歯を食いしばる。
障害は、すべて越えた。
ここで私が超自然的力を両掌に込め、チリアクタ・ジツを唱えれば、目の前の男は灰となる。
あと一歩。石を積んだ塔を、指一本で崩すほどの手間で済む。それだけのこと。
……それでも、私にはできない。
たかがモータル一匹を灰にするために、私が捨てなければならないものは、今やあまりにも多い。
もし私が、フォールアウトであれば。
あの女であれば、躊躇のかけらもなく処していたのだろう。
だが──
私はアッシュピット。
ニンジャの成り損ないの、アッシュピットなのだ。
「……」
「……」
……ああ、もう、クソ。
こやつの前で二度目の醜態は見せまいと、心に強く決めていたのに……。
もう無理だな。
「……イシハラ……どうしようか」
肩を掴む両手が小刻みに震え始めた。上半身の力が抜け、そのままイシハラの胴体にもたれかかる。
そして、消え入るような声で、私はぽつりと漏らした。
「怖い」
……人間誰しも、心を支える軸、あるいは土台というものがある。精神的支柱というやつだ。
私の場合、自分がアクタ・ニンジャであることが、私自身の心の支柱になっていた。
たとえカラテが失われ、モータルと対等な立場で寝食を共にしていたとしても、自分にはアクタ・ニンジャだという自覚と、プライドがあった。
だが……フォールアウト。奴は、明らかに私より格上だ。必要十二分のカラテを備えていて、敵わない。
……いや、奴は……ジツすらも上回っているかもしれない。
あの爆ぜて散っていく消え方は……明らかに、アッシュスケープ・ジツの応用なのだから。
奴は……時渡りの原因となったあのジツをコントロール下に置いているのだ。
「実際に相対して、確信した。フォールアウト=サンは私の分身だ」
「……」
「だけど……強かった。すごく強かった。私なのに、私より強いんだ。だから、こう考えてしまったんだ……」
顔を上げて、イシハラを見る。
崩れかけのブザマな顔を見せることも厭わなかった。
「零れ落ちたのは、私なんじゃないか……って」
「……」
「欠けていたのは、私じゃなくて、あやつなんじゃないか……って」
「おい、アッシュ……」
「だったらここで藻掻かないで、いっそ――!」
「やめろッ!」
「!?」
……声を荒げた。イシハラが。いつも飄々とした態度を崩さない、朴念仁で掴みどころのないイシハラが。
「……フーーッ」
そして、頭が真っ白となっている私をよそに、これまでの何よりも深いため息を吐くと、彼はこう言った。
「今、死ぬと言おうとしたな?」
「……」
「やめろ。二度と言うな」
……シリアスで、低い声だった。
「パートナーを二度も失いたくはない」
どこに視線を置くべきか分からなかった。私は今、またディスコミュニケーションを働こうとしたのかもしれない。とにかく不用意な発言で彼を怒らせてしまった。ニューロンが自責の念で満たされ始める。
……確かに、いっそ死んだほうが、と言おうとした。私がアクタ・ニンジャの落ち零れなのなら、生きる理由なんてないと考え始めていたのだ。
だけど、それは改めなければならない。……少なくとも、私が居なくなって悲しむ人が、今こうして目の前にいる。こやつの思いを裏切ることは、私の本意では……ない。全く、以て。
「……悪かった」
軽いオジギをし、私は簡潔に非礼を詫びた。
「いいんだ……分かってくれれば」
イシハラも軽く首を振ってそう言うと、すぐさま、また話題を変えた。
「アッシュ。俺とお前の付き合いは短いが、それでもお前の短所はだいたい分かる」
「……短所?」
「抱えることだ」
「……」
抱える?
「お前は考え込みすぎるきらいがある。問題に正面から向き合う癖がある。看板に描かれた敵を見て、板を倒すのではなく、敵を倒そうとする」
「……何が言いたいのさ」
「そのフォールアウトとかいうやつの術中にまんまとハマってるってこったよ」
「……ッ……」
そんなことは分かっている。モンキーでもわかる。わざわざキナコ・スイーツ店くんだりまで来て私を言葉で追い込むだけして帰るということは、初めから私のメンタルに支障を来させるのが目的なのだから。
だが痛いものは痛いんだ。たとえ言葉が材料の見えない刃物だとしてもな。それに、わざわざそうする目的も分からないし……。
「フォールアウト=サンも、その弱点をしっかり自覚してんだろうな。なんせ自分自身が相手だしな。ちょっと切欠を与えるだけで、あとは勝手に沼に沈んでいくってことが分かるんだ」
「……」
「だから、考えすぎるな。考えれば考えるほど奴の思う壺だ。どっちが欠片だの、零れ落ちただの、んなもんは犬にでも食わせろ。今日はもう、とにかく頭カラッポにして寝るんだ。そうすりゃ朝には気持ちの整理もつくだろうからな」
「んん……寝る、か……」
……言われてみれば、なんだか眠いな。それも、猛烈に……。
「寝れば……何とかなるのか?」
「ああ。きっと、多分、恐らく」
「……信憑性ないな」
自然と、全身の力が抜けてきた。そして入れようとしても、入らない。
イシハラの顔がぼやぼやと霞んでいく。いや、霞んでいるのは私の視界だ。焦点が合わなくなってきているのだ。更に、振り子めいて頭が自然と揺れ始めた。なんだ……未知のジツで頭まるごと金属の球にでも置き換えられたか?
自分でも意外な程の、急激な睡魔だった。催眠にかけられたとしても驚かない。
「さては、お前……ずっと眠たかったな?」
言いながら、顎に手を当てるイシハラ(ぼやけた視界で辛うじて見える)。
「……そう……なのかもしれない……」
かろうじて返事をする。ダメだ、喋るのもやっとだ。
……薄々わかっていた。私は、ずっと眠かった。だけど、どうにも不安や心配事が多すぎて、眠るに眠れなかったんだ。枕に突っ伏したとしても。
だから、今こうして眠くなり始めている、ということは……。
「お前のいうとおりだ……イシハラ。わたし、疲れてたんだ。ちょっと……寝るよ」
「そうだな。俺も寝よう」
恐らくところどころ呂律の回っていないであろう声でイシハラにそう告げると、震える四つ足で這いずって何とか移動し、やおら枕に顔を埋めた。フートンの上から、横向きに。
「「「おい、足がはみ出てんだけど、俺のフートンに……なあ、聞いてんのか?」」」
困惑する誰かしらの声が聞こえたが、既に意識が深層に沈んでいる私には遠くで反響したようにしか聞こえなくて、何を言っているのかてんで分からない。もう聞こえてないふりをしよう。そして意識の行方をすべて虚無に委ね、永く静謐な休息をとろう。
そして、明日……気が立ち直れていたなら、謝ろう……マインドシーカーに。そして、またキナコ・スイーツを一緒に食べると約束しよう。
とりとめのない思考に耽りながら、私は自我をシャットアウトした。
【ホワット・フェールアウト・フロム・ハー 完】
(作者からのおたより:
余裕があれば、そのうち挿絵なんかも用意してみたいですね。まあ、色を塗るのは苦手なので、迷い線の多いクロッキーめいた絵柄になると思いますが。いずれにせよ、今回も最後まで読んでくれてアリガトゴザイマス!次回は一話で完結するギャグ寄りの短編になると思います。ですが今後の展開おいて非常に重要なエピソードなので、オタノシミニ!)