アーチニンジャ:ネオサイタマ奮闘記   作:コースト

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(作者からのおたより:4か月も間が空いてしまいました。言い訳をさせてもらうと、スランプ期が訪れたり、展開を2回ほどボツにして丸ごと書き直したり……といったことがあったのです。しかしあなた方読者がいなければ、ここで熱は潰えていたかもしれません。新話を更新する度に増える感想や評価、そしてUAが、私の創作意欲の原動力となっております。毎回捧げている気がしますが、今回も捧げます。読者=サン、ドーモ、アリガトゴザイマス。)

(補遺:今エピソードの「ブランド・ニュー・デイ」は、本来一話で収まる短編形式でまとめる予定でした。しかし、文量が20000文字を優に超えてしまい、それらをひといきに読んだ際のニューロンの疲労を鑑み、前編後編に分ける手法を取りました。近いうちに後編が投稿されます。オタノシミニ)


ブランド・ニュー・デイ(前編)

 フォールアウトと不意の邂逅を果たしてから、二週間が経った。

 私はネオサイタマ警察署の中で、ほとんど軟禁に近い生活を送らされていた。

 

 非常に退屈な生活だった。ともすれば、ドリームランドの方がマシと思えてしまう程には。

 なんの面白みもない、灰色の巨岩をくり抜いたかのような廊下に、フートンとカウチとローテーブルがあるだけのサップーケイな自室。署内での行動の自由はほとんど制限されていると言ってよく、外出の際には集中対策部のうち誰かを同伴させる必要があり、私一人で当てもなく都内を彷徨だなんて到底許されるはずがなかった。

 理由だと?

 そんなもの、クロサメの奴らがいつ襲ってくるか分からないからに決まっている。

 

 軽くおさらいしようか。フォールアウトとは、もう一人の私だ。生誕した経緯はよく分かっていない。彼女は私を回収し、真のアクタ・ニンジャとして完成しようと目論んでいる。そのための組織がクロサメだ。まあ推測だがな。彼女は組織を従えるまでして、自分の目的を果たそうとしているようだ。

 そして私は、そんな彼女に回収されることを断じて是としていない。理由はいろいろとあるが、まとめれば一つ。そんなの嫌だから。

 私は私というエゴがある。例え自分の分身だとしても、私の意思の介入の余地もない状態で身勝手に回収されるなんて、とても嫌だ。

 ……それに、今の私を気に入ってくれている人が居るというのも、ある。吸収されたら、そいつのことも忘れてしまうかもしれない。そいつの気持ちも裏切りたくない。

 だから首魁より直々に勧誘されても断ってやった。

 フォールアウトは、もう一人の私にして、不倶戴天の敵なんだ。

 

 とまあ、こんな感じで。

 私ことアッシュピットことアクタ・ニンジャ=サンは、たいへん起伏のない趣もない地味な生活を送ることを強制されてき()

 ……勘のいい読者諸君、気付いているだろうか?

 これらのあらすじは、全部、過去形だということに。

 

「イシハラーッ!!」

 

 ジャケットよし!カーゴパンツよし!バンダナよし!サンバイザーよし!

 前回の外出ぶりに久々に現代の服へと着替えた私は、大声と共に意気揚々と客間のショージ戸を開けた。剝きかけのミカンを手に持っているイシハラが、やや驚いた顔でこちらを見ている。

 

「アー……どうした?」

「いいかイシハラ!驚いて聞け!」

「驚かずに聞けではなく?」

「さっきステディ=サンに呼び出されて、こう訊かれたんだ――」

 

 少し遡る。

 

「――アッシュピット=サン。今の生活をどう思っている?」

 

 私を一人会議室に呼んだかと思えば、ステディが質問を投げかけてきた。

 彼女の手元には大量の書類が積まれている。白い面にゴマシオめいて文字の詰まった紙一枚一枚にのべつ幕なしに万年筆を走らせ、隣の山に移している。そして積まれたその紙の山はすでに、人間一頭身ほどの高さはあろう。

 

「ドリームランド以下だな」

 

 だが、忌憚なく答えてやった。

 私は取り繕うニンジャではない。

 

「そうか」

 

 しかし、彼女も取り乱すことのない冷静な態度を保っていた。その目の下の隈は普段より一層彫りが深い。

 

「……」

「……」

 

 なんと不可思議なことに、そこからしばらくの間、沈黙がこの空間を包み込み続けた。

 ただでさえ口数の少ないステディはその口を噤んだまま一切のコミュニケーションを断ち始め、黙々と書類作業に没頭し始めたのだ。

 私にはてんでその意図が測りかねる。

 

「……なあ、もう帰って――」

 

 痺れを切らし、席を立ち上がったのと示し合わせたかのようなタイミングで、彼女は一枚の紙をひらりとこちらに渡してきた。

 つい一秒前までのべつ幕なく記入し続けていた、細かい塵めいた文字が余さず敷き詰められた書類だ。

 

「おい、何だそれは……うん?」

 

 長い文章は読みたくないし、この時代の言葉は全てが婉曲的で難解だ。だから何が書いてあっても軽い流し見で済ませようと思っていたのだが、上部にミンチョ体で記された何より大きく簡潔な文字列が、結果的に私の興味を引いた。

 

「賃貸借……契約書……?」

「私のお節介が無駄にならなくて良かったよ」

 

 小さくあくびをしながら、赤帽子が続ける。

 

「おめでとう。()()だ」

「…………エ?」

 

 私は硬直した。

 瞬くステディ。

 

「どうした?」

「……いつから?」

「ああ、今日からだ」

 

 目を丸くしたまま、数回はその契約書とステディの顔を交互に一瞥した。

 

「まことか!?」

「フフ」

 

 そんな反応を見てほくそ笑む彼女。

 

「私もずっと疚しい気持ちだったのだ。成り行きで、結果的に劣悪な環境に長いこと佇ませてしまって。もう2週間だったか?」

「……ああ、そうだな。15日だ」

「15日間か……すまない。それで……かつて私が担当した事件の関係者に小規模マンションの大家がいてな。頼んでみたところ、空き部屋に住まわせてくれることとなった。家賃も半額だ」

 

 ……な、なんだと……。

 そんなうまい話が……あるというのか!

 

「凄いじゃないかステディ=サン!見直したぞ!」

「ここからの距離もそこまで遠くないし、駅も近い。ただ……QOLは決して良い方とは、言えないかもしれないが……壁も薄いし」

 

 ネガティブな情報を話そうとした途端、打って変わって口下手となるステディ。

 こやつ、セールスマン適正はゼロだな。相手が今の私で良かったと思え。

 

「んなこたぁ構わん!早くその場所を教えてくれ!一刻も早く居住しに行くぞ!」

「了解した。……ああそうだ、暫し待て」

「ん?」

 

 ステディが懐を弄ると、こぶし大ほどの大きさの謎めいた正十二面体をこちらに渡してきた。

 

「私からの餞別だ。このモーターチビを贈ろう」

 

 モーターチビ?

 

「……インテリジェントシステムを内蔵した、小型デバイスだ」

 

 ……インテリジェントシステム?

 

「…………あー、とにかく、起動してみてくれ。そう、そのスイッチだ」

 

 彼女に促されるがまま、とりあえず私は電源と思われるツマミを動かしてみることにした。

 すると、正十二面体は一面一面を色とりどりに光り輝かせ、私の手の平を離れてひとりでに浮かび始めた。

 

「ドーモ、モーターチビです!」

 

 ぼう、と青白い光を放ちながら、その十二面体はアイサツした。

 

「ド、ドーモ。アクタ……いや、アッシュピットです」

 

 例え機械から放たれる電子音声だろうと、ニンジャの本能的摂理には逆らえなかった。

 

「アッシュピット=サン!登録重点!」

「……なんだこれは」

 

 今度は桃色の光を放ちながら自転し続けるこの奇妙なヒトダマを横目に、私はステディに説明を乞うた。

 

「それには高度な人工知能が内蔵されていて、様々な機能が搭載されている。ネオサイタマ・ニュービーである貴方の助けになってくれるはずだ」

「へえ。例えばどんなことに使えるんだ?」

「そうだな。口頭で命令を理解できて、私達といつでもIRC連絡が取れる。それにナビゲーションも出来るぞ」

「……あとは?」

「あとは……」

 

 それまで淀みなく動き続けていたステディの口が、俄かに減速してゆく。

 

「……人の言葉に唯々諾々とせず、自らの意思で試行錯誤を重ねることも、自分の為になるだろうというのが私の思想だ」

「把握してないんだな」

「そんなに気になるなら、モーターチビ自身に聞いてみると良い。自身について解説するなど造作も無いことだぞ?」

「なにムキになっているんだ」

「ところで、イシハラ=サンにも早めに伝えてあげた方が良いんじゃないか?今日からでも引越しは可能だ」

「何だと!それなら一刻も早く伝達せねば!」

「ああ、行ってこい」

 

 ステディの助言に我に返った私は、モーターチビを殿に据え、急いで会議室からまろび出て行った。

 

「……ッ……」

「ん?」

 

 扉をバンと開けた瞬間、微かに息を呑むような音が聞こえた。

 しかし、文字通り微かにしか聞こえず、気配を探っても全く感じ取れず仕舞いだったので、私の勘はただの思い込みだと判断した。

 とんだ些事なぞに気を傾けてる暇があれば、早急にイシハラの元へと向かうべし。

 

「――というわけでな!早速移動するぞイシハラ!」

「急すぎるだろ!俺に準備をさせろ!」

 

 期待に胸を膨らます私と対照的に、イシハラはミカンを急いで口に放りながら毒づいた。

 私は顎に手を当てる。

 

「それは、そうだな。だが可能な限り急いで終わらせろ。私は退屈を忌み嫌うからな」

「何だお前……わーったよ。ASAPだな」

「……ふむ?」

 

 聞き慣れぬ言葉が聞こえ、いつものようにイシハラに尋ねようと思ったが……ここで聡い私は思い立った。

 早速、このステディからの餞ことモーターチビを活躍さすべき場だろうと。

 

「チビよ。ASAPとは何ぞや?」

「検索開始!」

 

 呼びかけられたモーターチビが即時自律駆動し、私のポケットから飛び立った。

 この反応を見るにやはり、辞典機能もしっかり搭載されているようだな。私には重宝するだろう。チョージョーな。

 そして一瞬、チビから十二面体から光が放射されたと思うと、

 

「重点!ASAPとは、即ちAs Soon As Possible。出来るだけ早くという意味です!」

 

 と、やや聞き取りにくい電子音ではあったが、すぐさま流暢に返事をした。

 

「ほう……」

 

 なるほど。また私の現代辞書に新たな言葉が一つ刻まれた。出来るだけ急いで欲しい場面に、ASAPか。使う機会があれば活用してみたいところだ。ASAP。ASAP。

 

「おお……もしかしてそりゃ、オムラのモーターチビってやつか?」

 

 部屋の隅で衣替えを済ませたイシハラが、チビを指差しながら現れた。彼もこの二週間のうちに新しい服を見繕う機会を貰えたようで、普段着が襤褸の作業服から新品のつなぎへと変わっている。

 

「そうだ、イシハラよ。私の手助けとなるようにと、ステディ=サンが贈ってくれたのだ。すごいであろう!」

 

 ふんぞり返り、口角を上げながらチビを示す。

 

「へえ、へえ……」

 

 これにはさしものイシハラも興味津々のようだ。

 

「知ってるのか?」

「まあ、ドリームランドに骨を埋める前に小耳に挟んだことがある。オムラが画期的な発明をしたってな」

「へぇ……そうなのか。なあ、これは私の所有物だが、今回はイシハラにも特別に使わせてやろう。」

「お、いいじゃねぇか。何でも訊いていいのか?」

「たぶん大体何でもいけるぞ」

「そうか。それじゃあ……」

 

 チビの前に立つイシハラ。目線が合う高さまで屈み……絶対に聞き逃さないで欲しかったのだろう、一字一句丁寧に言葉を発しながら、彼はとある質問を投げた。

 

「なあ。イーハトーヴって、なんだ?」

 

 ……イーハトーヴってなんだ?

 なんだ、その胡乱な言葉に質問は。私は眉間をひそめた。

 

「…………」

 

 しかも、モーターチビが反応しない。その場にフワフワと留まったままアイドルし続けている。

 イシハラはきょとんとして首を傾げる。

 

「……ン?変だな。聞こえなかったのか」

「あ……ああ、そうかもしれんな?」

「イーハトーヴって、なんだ?」

「…………」

 

 もう一度イシハラが問いかけたが、変わらずこの正十二面体はなんのリアクションもなく浮遊し続けている。馬耳東風とはまさにこのこと。

 

「……」

 

 しかし私の視線は、そのモーターチビよりもイシハラの方に向いていた。

 イシハラ。こんな私に今なお付き合ってくれているただの人間だ。そして、あの時暴走しかけた私を止めてくれた恩人でもあり、私が思い悩んだ時に一緒に考えてくれた好漢でもある。全きの朴念仁だが、私と疎遠になろうともせず、今もこうして腐れ縁めいた関係が続いている。

 だから、私も彼を遠慮なく呼び捨てで呼んでいるし、彼も私を愛称で呼んでいる。

 しかしまだ、お互い、胸中を腹を割って話したことは一度もない。

 

「おかしいなあ。これ、故障してんのか?アッシュ」

「さあ……分からないな」

 

 ……たまに、普段から読めないイシハラの考えが、さらに読み取れなくなる時がある。

 例えば、かつて私がドリームランドに住んでいる理由を訊いたときとか……亡くしたと語るビジネスパートナーの話とか……あと、今とか。

 不用意に土足で踏み込むべきではない領域が、彼にはある。

 かつて、何度か入ろうとしたことはあったが……その度に変化する不穏なアトモスフィアに、私はたじろいだ。

 今だって、そうだ。

 

「アレかね。マイクが拾わない声質とかあるんかね。アッシュ、ちょっと代わりに訊いてみて貰ってもいいか?」

「ン……?あ、ああ、分かった」

 

 取り繕うように咳払いをし、私はチビに訊いた。

 

「おい、チビ。イーハトーヴとは何なのだ?」

「検索開始!ヌンヌンヌンヌン……」

 

 私の言葉を受け、ようやくチビが反応した。独特の駆動音を発し、光を投射し始める。

 肩を竦めるイシハラ。

 

「オイオイマジで反応するじゃねえか。実際声質の問題だったのか?」

「そ……そうなんじゃないか?知らないが」

 

 この時のこやつの前では妙に緊張する。不用意に触れると力の均衡を失い四散する硝子細工めいている。言葉を選んでいる私の返答はあからさまに妙な間隔が空いているが、彼が気付いていないのが幸いだ。

 ……それにしても、検索が長い。私がASAPを問うたときなんかよりもずっと駆動し続けている。

 

「重点!イーハトーヴについて、明確な情報を得られませんでした!辞書に登録な?」

 

 結局、演算が終わるまで十数秒もの時間を要した。機械の提案を断り、私は素早くチビを掴んで無造作にポケットに突っ込んだ。

 ……この面妖な空気をこれ以上吸うのは避けたかったから。

 

「体験版はここまでだ。さあ、油を売っている暇はないぞ。さっさと行こう」

「オイオイマジか。全然使えなかったってのに」

「不満ならステディ=サンに2台目のチビを譲り受けてもらうことだな」

「ハァ……遠慮しておこうかな」

 

 小さく溜め息を吐くと、イシハラは部屋の隅の小さいショルダーリュックを手に取った。

 妙なアトモスフィアも鳴りを潜めたようだ。よかった。

 

「じゃあ、行くか」

「ああ」

 

 私とイシハラはショージ戸を開けた。

 

◆◆◆

 

「オマチカネ!ドンブリ・ポン社のドンブリ・セールの日です!」「安い!実際安い!」「あなたの生活を支えるスゴイテック社のIRC端末」「今夜も毎晩オールナイト!」

 

 夜のネオサイタマは眠らないが、昼のネオサイタマもまた眠らない。このフーリン・ストリートにおいても、また同様に。特にこの昼時は、短い髪を撫でつけキッチリとしたスーツを着用したサラリマンと呼ばれる者どもが、端末を耳に当てて早口で遠隔会話しながら私の横をよく通り過ぎていく。

 

 その姿には一切のゆとりが見えない。一見自由の身に見えて、彼らが規則という名の拘束具で手足を封じられているのが、現代社会のスキームに疎い私からすらも見て取れる。奴隷と変わらないな。

 

「こやつらは何の為に急いでいるんだろうな」

 

 曲がり角で大柄な男と衝突し、手から滑った端末を排水溝に落として慟哭するサラリマンをぼんやりと眺めながら、私はイシハラに質問した。

 

「ああ?ああ……アレはな、カネの為に労働してんだ」

 

 イシハラもまた、それを一瞥しながら私の何気ない質問に答える。

 

「カネか」

 

 慟哭し蹲っていたサラリマンに道を塞がれていた通行人が痺れを切らし、そやつを蹴り飛ばした。

 

「だが、楽しくなさそうだな」

「そうだな。だがそうしなきゃ野垂れ死ぬんだ」

「だがあやつは今にも死にそうだ」

「そうだな」

「私達、これから家賃の為にカネを稼がなければならないだろ」

「ああ」

 

 蹴り飛ばされ道路上に転がったサラリマンが、今度は高速移動するトラックに無慈悲に突き飛ばされ、血飛沫と折れ曲がった四肢ともに宙を舞った。

 飛んできた血が私の頬に付着する。

 

「私もああなるのか?」

「サラリマンだけが仕事の道じゃない。カネが欲しいならやり方は色々とある。俺も頑張るから、お前も頑張ってくれよ」

「そうするしかないか」

 

 親指で血を拭いながら、私は頷いた。例の男は打ち上げられたマグロめいてピクピクと痙攣するのみだったが、通行人はまるで道端のゴミを避けるかのようにその横を通るだけだ。

 フン。赤の他人が一人死ぬ程度、気にかける価値もないということか。

 

 それから私たちはチビが投射する3Dホログラムマップを頼りに道を進んでいった。時々雑踏にぶつかり飛行しにくそうだったので、途中から地図を暗記してチビはお役御免とした。

 警察署を出たときは、恰も押し寄せるウェーブを掻き分けるかのように人間どもの間を進まなければならなかったが、示されたルートを辿っているうちに徐々に人気もまばらとなり、建造物には年季が入り始めた。

 あれだけ聞こえていたサラリマンの早口も、今となってはカラスの人を食ったような鳴き声しか聞こえない。千年後のワビサビだ。

 

「……あ」

 

 ふと、私は足の違和感に気づき、足を止めた。先導していたイシハラが振り返る。

 

「どうした?」

「アー……また紐が解けてしまった。先に行っててくれないか?すぐ追いつく」

 

 そう。靴紐が解けたのだ。このスニーカーとかいうやつ、履き心地は平安時代にあったどの履物よりも良いのだが、紐を上手に結ばねばすぐ解けてしまうのが玉に瑕だ。

 そして私は上手に結ぶなどできないので、よく解けるのだ。先程も途中で2回ほど解けた。

 

「オイオイまたか?ハァ、じゃあ先行ってるからな」

「ああ」

 

 イシハラの足音が遠ざかる。あまり離れすぎて待たせたら悪い。手早く結び、追いつかなければな。

 

「……くッ」

 

 ……ああ、また輪を通し損ねた。これで3回目だ。難しい。何度も試行錯誤していればいずれは結べるのだが、一発でスムーズに終わらせられる程のワザマエには到底ほど遠いな。

 折角気に入った靴だ。もっと練習し、早めに慣れておかねば……。

 

「つーかまえたッ!」

「ッ!?」

 

 ……靴に意識を集中させていた私は、背後からの気配に気づかなかった。突然背後から男の声が聞こえたかと思えば、私の口を覆いながら羽交い絞めを仕掛けてきた。

 

「ジョッチャン、こんなところで一人でなにしてんのォ?ここはオレたちの縄張りなんだよォ?」

 

 拘束する手に力を籠めながら、男が耳元で囁いた。更に後ろからも下卑た笑い声が複数重なって聞こえる。

 

(((ウカツ!まさか、クロサメのアンブッシュ……!?)))

 

 反射的に、私はそう思い込んだ。

 だが、ニンジャソウルを感じなければ、拘束の力もニンジャの膂力を発揮すれば振り切れる程度だ。今の私にはそんな力も無いため、ゴジュッポ・ヒャッポだが。

 こやつら……ただのヨタモノのアウトローか。クソッ、すっかり油断していた。紛れもなく私の過失だ。

 そういえば、ここはネオサイタマだったな。

 

「じゃあ、ね?ちょっと裏行こっか?ネ?」

 

 男がそう言うと、無理くりに私を路地裏へと引きずり込んだ。上空を濁った色の蒸気と錆びた排管が覆い、いやに薄暗い。ゴミ箱の上で屯していた薄汚いネズミが驚いて逃げる。

 そして私は、両手を掴まれたまま背中から壁に叩きつけられた。目の前には、舌を出して笑うパンクス姿の男が3人。

 

「随分と上玉じゃねえか。カワイイ顔してやがるよ」

 

 男が私の顔を覗き込み、舌なめずりをする。

 

「どうすんだ?」

 

 また別の男が、私の両手を掴んでいる男に訊いた。愉悦に浸ったような表情を隠す気もない。

 

「まずファック&サヨナラだ。次に財布から個人情報調べて、カネでもなんでも盗もうぜ」

 

 ファック……?初めて聞く言葉だが、こんな奴がこのタイミングで言うってことは、デートへのお誘いという意味でないことだけは確かだな。

 じゃあ、言うべきことは言っておくか。

 

「私に家はないぞ」

「アァ?」

 

 私はきっぱりと言った。

 男が鼻白む。

 

「私に家はない。これから新居に向かう予定だった。だからファックをしても無駄だ」

「オイオイオイ。オイオイオイオイ」

 

 男の顔が過剰に上がった口角でひどく歪む。こめかみに血管が浮き始める。後ろの仲間も徐々にフリークアウトしていったのか、武器を構えて私の両脇を囲い始めた。

 

「お前殺されたいのか?」

「俺らのことナメてるノ?ナメてるよネ?」

「タフ・ウーマン気取り?それともネオサイタマ・ニュービー?ドッチ?」

「ネオサイタマ・ニュービーだ。よろしくな」

「イヤーッ!」

「グッ……」

 

 男の膝蹴りが私の腹部にめり込んだ。だがモータルごときの稚児じみたカラテなぞが私に効くはずもない。少し肺の空気が圧し出されたぐらいだ。

 

「分かったお前殺す。その生意気な顔をバラしてタマ・リバーの魚の餌にしてやる」

 

 狂おしく目を開きながら、男がそう言った。私の両手を頭の後ろまで持っていき、背後から全身を持ち上げた。流石の膂力だ。一方、正面に立つ二人のうち、一人は小型タント・ダガーを逆手に構え、もう一人はブラックジャックを振り回し始める。

 流石にあれをまともに食らってしまえば、いかなアーチニンジャとて無傷では済まないな。

 これ以上の観察は望めなさそうだ。そろそろ殺すか。

 

「やれ!お前ら!」

「「ウオオーッ!!」」

 

 迫りくる二人のアウトローを冷徹に見据えながら、私はかろうじて動かせる手指で男の頬を撫でた。いや、撫でようとして、止まった。

 何故か。

 

「オラーッ!」

「グワーッ!?」

 

 助走途中のタント・ダガー男のわき腹に、第三者によるアンブッシュ・ミドルキックが突き刺さり、攻撃をインターラプトされたのが見えたからだ。筋肉が詰まった太い脚。聞き慣れた声の聞き慣れないシャウト。

 

「何だ!?」

 

 拘束男が泡を食い、握力を一瞬緩めた。その隙を逃す私ではない。

 

「イヤーッ!」

 

 両手を振り回して拘束を振りほどき、半回転。そしてその勢いを乗せた掌打を下から顎に向けて放つ。

 

「グワーッ!」

 

 クリーンヒット。強制的に口を閉じられた勢いで拘束男は自らの舌を噛み千切ってしまった上、脳震盪を起こして気絶した。ナムサン。

 

「なんだっ……」

「オラーッ!」

 

 硬直するアウトロー。そのアンブッシュ男……ことイシハラがキックの慣性で大地を強く踏みしめると、引き絞った腕の、軸の乗った荒々しいパンチが残りのそやつを弾き飛ばした。

 

「アバーッ!」

 

 パチンコ玉めいて打ち出されたブラックジャック男は背中から壁にバンと激突。壁には放射状の亀裂とクレーターが生み出され、忽ちのうちにそやつも気を失った。

 

「……ふぅ、びっくりしたぜ」

 

 イシハラは袖で額の汗を拭い、足元でぐったりとしている男の手からタント・ダガーをはぎ取った。そして、その刃を両手で掴んで折り曲げ、蓋の空いたゴミ箱の中に無造作に放り投げる。

 そして、目が合った。

 

「……」

 

 ……正直、気まずい。

 どう声をかければいいのか分からず、とりあえず私は目を逸らし、服のホコリをパッパッと払い、よれた皴を伸ばしてチャを濁した。

 彼の言葉を待つかのように。

 

「…………」

 

 だが、こやつもまんじりともせず私を見つめていた。イシハラもまた、口を開く様子はない。……まさか、私の言葉を待っているのか。

 シームレスに私たちは、互いの、互いへの牽制が始まっていた。

 

「…………ッ」

 

 もう払えるホコリもなく、伸ばせる皴もなくなった頃。私は努めて口を噤んでいたが、休みなく無言で注がれるイシハラの視線におもむろに段々と堪えられなくなっていた。

 ……そして。

 

「……私一人でも大丈夫だったがな」

 

 先に白旗を上げ開口したのは、私だった。無意識にサンバイザーのつばを下げ目元を隠しながら呟く。だが、本来陳謝すべき場面でのこのぶっきらぼうな発言は、我ながらシツレイの極みである。かつての師匠も「ヤンナルネ」と肩を竦めるだろう。

 

「そうだったか。ほんのちょっとでも心配して損したぜ」

 

 かぶりを振るイシハラ。私は懲りずに続ける。

 

「そうだ、お前の心配は徒労だ。こやつらは私のチリアクタ・ジツで何とかなってたからな」

「そうか」

「だいたい私は腐っても手練れのアーチニンジャだ。たとえ集団とて、こんなモータルどもに後れを取るわけがないだろう。それはお前も分かってただろ?」

「そういえば、そうだったな」

「……」

「……」

 

 負けじと私は減らず口を続けようとしたが、突然、モチが喉に詰まったかのように続きの言葉が出なくなった。

 

「……たッ……」

「た?」

 

 その代わりに出てきたのは、些か文脈を欠いた、まったく別の言葉だった。

 

「助けてくれて……ありがとう。嬉し……かった……」

「……ン?」

 

 不意を突かれたかのような表情で、片眉を上げるイシハラ。それと同時に、私の顔面が、文字通り茹るように熱くなった。

 

「イヤーッ!」

「グワーッ!?」

 

 とりあえず脛を蹴った。

 

「先ッ!行ってるからッ!!」

 

 そして衰えたニンジャの力を全開に、我ながら素早く的確な手つきで一瞬のうちに靴紐を結び終えた私は、自暴自棄にそう叫び、蹲るイシハラの脇を競歩めいたスピードで通り抜けた。

 ……そして、再び新居への道筋を辿る。

 恐らく誰かしらによる通報を受けたのであろう、チビを通してでのステディの慌てたノーティスに上の空なレスポンスを返しながら。

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