アーチニンジャ:ネオサイタマ奮闘記 作:コースト
(補遺1:私があらかじめ宣言したことは、なんだかあまり実現しないように感じます。これ以上法螺吹きになるのもよろしくないので、これからは予告めいた発言は極力控えるようにします。)
……数分後!
私とイシハラは、既に居住予定のマンションの目の前まで足を運んでいた。
「……」
「……」
しかし、二人とも踵を進める様子はなし。新居への期待を胸に駄弁る様子すらなし。イシハラが何を思ってるかは知らんが、こと私に至っては当惑して言葉が詰まっている有様である。
むろん、先ほどまで私の心は非常によく躍っていた。ステディには悪いが、あの牢獄めいた警察署の客間から抜け出せ、ようやく誰にも束縛されないネオサイタマの生活に現を抜かすことができるという事実を寿いでいたものだ。
……しかし、このマンション……。
「チビよ。先刻伝えた住所は、この建物を指し示している……で、間違いないな?」
「ハイ!すでに目的地に到着しております!」
質問を受け、私の周囲を漂うモーターチビが空気の読めていない明朗な返事を返す。これで3回目の確認、そして同様の返答。
どうやら私には、この現実を受け入れるほかに、選択肢はないようだ。
まず前置きしておくが、外装自体はまともだ。壁や窓にはヒビ一つなく、清潔感が漂っている。だがそこではない。
……「バカ」「注意を欠かす」「ピス」。
どんなヨタモノがこのような愚行を働いたのやら、蛍光色の悪罵な落書きがマンションの無機質な壁を上塗りしていたのだ。
「ハァ……」
さしもの私も、顔をしかめずにはいられなかった。
平安時代では、極めて縁起の悪い言葉として、モータル相手に限りない邪知暴虐を尽くしたニンジャや酒池肉林の限りを尽くすダイミョからすらも、努めて避けられていた言葉らだ。
千年経つにつれ、ニンジャのみならずモータルの倫理観も塵芥と化してしまったか。アナヤ。こんな場末のマンションにすら、まるで暗黙の礼儀か何かのように汚らしい文字列が幅を利かせているではないか。
全く、気が滅入る。
「とにかく大家にアイサツするぞ」
イシハラが沈黙を破り、先導した。
「……そうだな」
傾いだサンバイザーのつばを直し、私もその背中を追った。
まあ、こんな落書きは後で処理しといてやろう。濡らしたテヌギーで擦れば消えるだろうか。
玄関の引き戸を塞ぐように眠る浮浪者をぐいと押しやり、イシハラがエントリーする。私も追従する。追いやられた浮浪者の目は濁っており、その焦点は見えない地平線を眺めているようだ。
「シツレイする」
室内。明滅する蛍光灯。光の帯が見える。イシハラは「管理室」のパネルが謙虚に取り付けられた扉を2回ノックし、開けた。途端に、ホコリとカビが入り混じった不快な匂いが解き放たれ、私の鼻腔を余さず満たした。鼻をつまみたくなるのを堪える。
……外があの調子だ。どうせ、大家も人でなしに違いない……。
「イラッシャイ。新規入居者かい?」
すっかり沈殿しきった私のニューロンが導き出した露悪的な予想は、しかし驚くべきことに、今回は外れた。
部屋こそまるで整理されていない、ドリームランドもかくやのゴミ屋敷なものの、奥の机から立ち上がったその大家の正体は、温和な笑みを浮かべる気さくな老人だった。
その額にはバンテージが貼られていた。
「……デー、ハイ、ウン。大体ここのルールは以上だけど、分かった?」
「ああ」
「了解しました」
それから私とイシハラは、このノミタと名乗った壮年の男性――このマンションの大家、そして責任者――から、ひと通り居住する上でのルールのインストラクションを受けた。
列挙はしない。どれもさして記述する価値のない、常識的にはまず抵触しない規則だったから。
「ウンウン。後は何か質問はあるかい?」
「……じゃあちょっと、俺からいいですか?」
「ドーゾ」
イシハラが手を挙げる。大家は頷く。
「本当に良いんですか?家賃が半額なんて」
おっと、イシハラ。早速切り出したな。
「家賃半額ねえ……ウーン……」
その話を切り出されたノミタの顔が、俄かに曇った。
「……?」
「あ、ごめんごめん……ちょっと考え事していた。そう、家賃は半額で良い。ステディ=サンとの取り決めでね」
私は訝ったのも束の間、彼はすぐに元の態度に戻り、口を開いた。
何の間だったんだ、今のは。
「あの人はね、このマンションに入り込んだハック&スラッシュを未遂で解決してくれたことがあるんだ。それも一人でだよ?犠牲者ナシ。スゴイよね」
「マジですか」
ハック&スラッシュ……当然与り知らぬ言葉だが、節々から邪悪の片鱗を感じるフレーズだ。
「でも彼女は私からの謝礼は受け取らなかった……警察として当然の責務だからって。なんて奥ゆかしいんだろうと感じた。でも一応、名刺は渡しておいたんだ。それがこんなご縁を招くとはね」
「……」
「ああ、失敬。ほかに質問はあるかな?」
「じゃあ私から」
「ドーゾ」
今度は私が質問する番だ。ずっと気になっていたことを申し開きできるいい機会だったからな。
「あの壁の落書き……アレはどういうことなんだ」
私はその悪罵を極めるグラフィティがあった場所を壁越しに睨みながら、言った。
「アー……」
途端に気まずそうに口ごもるノミタ。
「別に聞かなくてもよかったろうに」
イシハラの呟く声が聞こえる。聞かなくてもよい?果たしてそうだろうか?否、到底思えない。私にだって譲れない価値観はあるんだ。妥協にも限度がある。
「まあ、ここも最近急に治安が悪くなってきたしね。後先考えないヨタモノの無軌道行為だと思って、気にしないでおくれよ」
「断る」
窘めるノミタの言葉を、私は無下に突っぱねた。それはあの言葉にどんな悪意が込められているかを知っての上で宣った発言か?
「あんな言葉、いつ不幸を呼び寄せることになるか分かったものではない。カラスの羽を放置しているようなものだぞ」
「ハァ……」
「だから消すと約束してくれ。多分そういう清掃業者はいるだろ?彼らに頼んで消してもらってくれ、絶対に。お願いだ」
「アー……ハイハイ、分かったよ……」
詰問する私に参ったのか、ノミタは弱々しい返事を返した。それと同時に、私は自らの態度が極めて不適切なのではと遅ればせながら気づき、シツレイを省みた。
「……ゴメン、言い過ぎた。やっぱり余裕ができた時に消せばいい。質問は以上」
私は顔を逸らし、一歩下がった。斜め後ろからイシハラの溜息が聞こえた。
「アイ、アイ。それじゃあ鍵を、ね、今から……」
ノミタは咳払いした。そして机の上の金属片の山を崩し、まさぐり始めたかと思うと、すぐに一つを拾い上げ、イシハラに手渡した。
「あった。という訳でね、これが家の鍵。場所は402だよ」
「ありがとうございます」
「……」
イシハラは貰った鍵を握りしめ、私を見た。
「っしゃ。じゃあ向かおうか」
「ああ、そうだな」
「オタッシャデ」
私とイシハラは管理人と軽い会釈を交わし、管理室を退出した。
さて、どう向かおうか。402号室は4階にあるらしい。階段で登ってもよいのだが……ここで偶然にも、私は廊下一番奥のエレベーターを発見した。
そう、エレベーター。実は既に知っているぞ。警察署の構内を散歩していた際に偶然発見した、千年後の技術の賜物のひとつだからな。
何でもボタンをポチポチと押してジッとしてれば階層が変わるらしいじゃないか。
すごい。そんな機構があるのか。感心すると同時に、私は一瞬で得心した。それまで、あのうず高いビルディングも階段でいちいち上下していたのかと思い込んでいたからな。エレベーターという存在でそれも腑に落ちたものだ。
「イシハラ。エレベーターだ。あれに乗るぞ」
「……お、おう。そうだな?」
私はエレベーターの「△」のボタンを押してドアを開かせ、意気揚々と乗り込んだ。イシハラもそれに続く。
おお。初めて乗ったぞ。警察署じゃ関係者以外乗れなかったからな。なるほど狭い。縦長の箱といった趣だ。
そして、乗り込んだ背後で扉機構が動く音が。見る。自動機構で閉じゆくドア。そのの脇にボタンがいくつか並んでいるのが見えた。それらには零、壱、弐、参と、下から上へ昇順に数字が彫られている。
「……」
ふむ。このボタンの意味するところは一見分からないが……。
402は4階にあるんだったよな。ならば。
「これだッ!」
「何が?」
私は即座に「肆」と書かれたボタンを押下した。すると、くぐもったモーター音と共に私の体にGがかかり始めた。
「おお……」
やや未知の感覚に体幹を崩しかけるが、大したことはない。
「4階ドスエ」
エレベーターはすぐに目的階に到着し、人間味のないマイコのノーティスと共に停止した。縦に切り込みの入った扉が左右に割れ、開く。
私はエレベーターから横の壁を見た。「4」と書いてあった。つまりここは4階だ!
「ほら合ってた!」
「だから何が?」
初めて操作した未知の機械を見事使いこなせたという事実に思わずガッツポーズを決める。少し進むと、目当ての部屋番が見えた。金属製ショージ戸に「肆〇弐」とミンチョ体で彫られ、ウルシ塗りされている。
その取っ手のそばにパネルが取り付けられている。鍵穴も見える。閃いた私が命じようとするよりも早く、イシハラがその穴に鍵を差し込み、回した。
ガチャリ……と、何かの内部機構が動く音がした。
「お」
イシハラが取っ手を横に引く。するとショージ風扉がスルリと動き、部屋の中へと私たちを迎え入れた。
「おおお……!」
一番乗りで中に飛び込むや否や、私は目を輝かさずにはいられなかった。
結論から言うと、悪くない。
リビングの広さはまずまずだ。イシハラの建てた小屋が一回り大きくなったぐらい。十分広い。家具も備え付けの収納棚やテーブル、照明などがあり、台所と流し台も見える。フスマには畳まれたフートンが2枚。
全体的に老朽化を仄めかすかのように古臭い調度をしているが、普通に住む分には全く支障をきたさないはずだ。
「これはこれは……」
すごいな。文字通り何も手元になかった状態から、いろいろなサイオー・ホースが積み重なって、ついにまともな家が手に入ったぞ?
新しい生活を祝うにはなかなか相応しい拠点なのではないか、ここは!
「へえ、いいじゃないの」
「だよな、イシハラ!あ、アレは!」
私は部屋の隅にしめやかに鎮座する黒い箱に気付き、指をさした。まさか……これは、テレビではないか!スゴイ!例のクソジジイことマスターヴォーパルも眺めていたやつだ!これで見放題ということか!
「……あのさ、あんま子供みたいにはしゃぐなよ。それでもニンジャか、お前は……」
フートンもモフモフだ!
「……まあいいか」
興奮する私をよそにイシハラは両腕をぐいと伸ばして小刻みに震え、床のザブトンにどっかりと腰を落ち着けた。
落ちかけの日が狭い窓から差し込み、部屋を暖色に染める。
私はフートンから体を離し、イシハラを見た。彼もまた、私と同じように安堵しているように見えた。
ゆっくりと羽を伸ばせる場所が出来たことに。
「……これで一息つけるとはいえ……まだやるこたぁ一杯あんだよなぁ……。でも今は流石にダリいや……」
そして仰向けに倒れ、深いため息を吐く。このまま寝てしまってもおかしくない勢いだ。
「……あ、そうだ」
私はふと思い出し、ポケットからチビを取り出した。一区切りついたら報告するよう彼らに言われていたのだ。出番を嗅ぎ付けたチビがおもむろに稼働を開始する。
「チビ。IRCチャット」
「了解!」
私の指示を受け、チビは黄色の光を放ちホログラムを投射した。縦長の四角フレームの下に、フォーアイズが操作していたのと同様の、キーがずらりと並んだ板状機械を模したフレーム。
これもチビに搭載された機能の一つ。チャット形式で相手と会話できるらしいIRCチャット機能だ(すごいよな)。この下のホログラム機械を操作すれば手動で文字を打ち込めるらしいのだが、こんなの使いこなせる気もしないので、私は音声入力でメッセージを送った。
#SMD :Ashpit : 入居完了した
#SMD :Akane : ドーモ、こちらステディ。ご苦労様だった。
#SMD :Dawner : ネオテリックです おつかれ
#SMD :midget : *OJIGI* ドーモ、フォーアイズです
すぐに集中対策課の面々からのメッセージが返ってきた。このチャット形式では片手間で会話ができるので、お手すきではない状況でも問題なくコミュニケーションできるのが利点だ。
……まあ、マインドシーカーはやはり居ないが。あやつ、あれからずっと梨の礫だ。何しているんだろうな……。
#SMD :Akane : あれから怪我はしなかったか?。
#SMD :Ashpit : なにも
#SMD :Akane : チョージョー。
#SMD :Ashpit : 次、警察署、いつ行けば?
#SMD :Akane : クロサメが現れ次第で良い。先日の報告と同じく、今だ気配を感じないまま。
#SMD :midget : その通り。レーダーにも反応なし。かねて望んでた通り、普通の生活を送ってみて支障ないと思われる
#SMD :Dawner : 今のうちにこの都市に馴染んどけ
#SMD :Ashpit : ありがたい、話
#SMD :Dawner : 金は大丈夫そうか?
#SMD :Ashpit : 貯金なら、ある
#SMD :Akane : 困ったら相談してくれ。何とかできる。
#SMD :Ashpit : いいのか?
#SMD :Akane : 貴方の生活のサポートも、ひいては任務の一環だ。
#SMD :Ashpit : そうか、覚えておく
一頻り会話を交わしたのち、別れのアイサツもそこそこにルームを退出し、チビを休ませた。そして私もほっと緊張を解く。不慣れな現代文字を読むので精一杯の私と、チャット会話の相性は悪いようで、スタミナを浪費してしまったからな。
だが会話を短時間で済ませられ、且つログも残る。便利だ。気に入ったぞ。ゆくゆくは適応していきたいところだ。
グウウウウッ……。
「……」
不意に、腹が鳴った。私のだ。小さく唸る獣めいた低音。そろそろ栄養の補給が必要だと体が知らせる生理現象だ。要するに腹が減った。
もうそんな時間なのか。そろそろ何かしら食べに行かないとな。エート、イシハラは……。
「グガーッ」
イシハラは……寝ていた。
「フゴーッ」
……ザブトンの上で、仰向けで、大仰に鼾をかいて、気持ちよさそうに寝ている。こやつ、私を差し置いて昼寝をこきやがったな。IRCチャットで会話している間に。生意気な。うるさいし。
「起きろ」
私はそのイシハラの間抜けな寝顔をパチンと引っ叩き、起こした。
「え、あ、何?何だ?」
強引に起こされ、腑抜けた声を出して気怠げに半開きの目を擦るイシハラ。
「起こした」
私は憮然と言った。目を瞬かせるイシハラ。
「……ナンデ?」
「理由はない」
「は?」
「寝てたから、起こした。それだけ」
「……いや、お前さ……勘弁してくれよォ……マジで」
上半身を起こしかけたイシハラが呆れと諦観が入り混じったような嘆きを上げ、再びだらんと寝っ転がった。
「嘘だ。腹が減ったんだ。飯を食いに行くぞ」
その滑稽なリアクションを十分楽しんで満足した私は、すぐに本当の理由を告げた。
「……本当か?」
だが、イシハラはもう疑心暗鬼になっていた。
「プッ!悪かったよ」
それを見て、ついつい失笑してしまった。より一層の訝りを深めるイシハラをよそに、私は再びチビに話しかける。
「チビ、ここらへんでおススメの店って何かあるか?」
「重点!200m先にドンブリ・ポンがあります!値段も実際安い、定番のチェーン店です!」
「いいじゃないか。クルシュナイ」
私は立ち上がり、最低限の手荷物と共にドアへと向かった。
「イシハラよ、腹拵えだ。早速向かおうぞ。エート……」
こういう時、何と言うのだったか。まだ馴染んでおらず、パッと思い出せないな。確か4文字だった筈……。ニューロン内の林を掻き分け、今だ未完成の現代辞書をめくる。
……ああ、アレだ。思い出した。
「ASAPだ。ASAPで準備しろ、イシハラ」
「……アイ、アイ」
やれやれとでも言わんばかりにイシハラは肩を竦め、重い腰を上げて荷物を手に取った。
私はドアを開け、廊下の壁に取り付けられている窓越しにネオサイタマの景色を望む。
柱状節理めいて建ち並ぶ高層建築物。「寂しい秋な」「スーパー・マート」「この上」と、ビルの上の看板が奥ゆかしく自己主張している。もう日が短い季節なのか、それらの隙間から既に月の片鱗が見えた。
遠くに見える大都市部ではマグロを模した頭部と尾が取り付けられた巨大艦が、サイケな映像を流す広告電子板を引っ提げながら上空を遊弋している。
ネオン看板のマンゲキョが如き光はここからでも視認可能で、極色彩豊かな粒が密集する有様は五色米を連想させる。
ネオサイタマ。
嗚呼、ネオサイタマ。
長かった。ここまで随分と遠回りをしたが、漸く私の目的に向けて邁進が出来るようになった。
イブシよ、待っていろ。ナラクよ、私はお前を忘れぬ。フォールアウト……もう一人のアクタ・ニンジャよ、首を洗って覚悟しろ。
私の新しい人生が、ここに始まるのだから。