アーチニンジャ:ネオサイタマ奮闘記 作:コースト
ハーメルンにはここすき機能というものがありますね。何か琴線に触れた一文などがあったとき、それを簡単に伝えることが出来る、実際便利な機能です。
そこで、この小説を読んでいて、もし、何かしら感銘を受けた一文などがございましたら、都度その機能を利用してくれると嬉しく思います。
執筆者たる私が満足するのはもちろん、ここすき機能によって読者の方々の嗜好やニーズなどがフィードバックされ、今後執筆するにあたっての参考に少なからずなると思うのです。すでにここすき機能を利用してくださっているユーザーの方々には、深い感謝を!
では、私からのおたよりは以上です。本編をどうぞ。)
「お名前は?」
「ハイバラ・セキだ」
「年齢は?」
「……答えなくちゃいけないのか?」
「隠したいならそれでもいいよ。今までの経歴とかは?」
「働くのは初めてだ」
「アラー、今まで何をしてきたの?じゃあ特技とかは?」
「特技はないが……身体能力には、自信がある」
「へぇ。ならいい仕事があるよ。君にぴったりのグッドビズ」
「ほう。いいじゃないか」
「ああ、その前に一応聞くけど、医療保険には加入してるよね?」
「してない」
「……え?」
「してない」
「…………」
「……どんな仕事を紹介する気だったんだ?」
「コラ!もっとキリキリ働かんか!シマッテコーゼ!」
「くッ……クソッ……万全のカラテさえあれば、こんな物を運ぶなど……」
「何!?そんなもの私なら脇に挟んで3本ずつ持ち運べるぞ!貴様のモヤシめいた肉体が悪い!」
「な……ノルマが厳しすぎるのが悪いだろう!休憩時間も短いからロクに休めないし!こんなもの、道中で休み休み運べば問題なく……」
「言い訳をするな!だいたいどうして肉体労働の募集に応じたのだ!そんなモヤシめいた肉体で!」
「私は……ハァッ……どうしても、稼ぎ口を見つけないと……ハァッ……だからもうこれしか……」
「これしか?これしかなかったか!?いいやそんなことはない!そのモヤシめいた肉体を活かせる仕事は他にあったはずだ!いくらでも!」
「うッ……いや、だが、それは……」
「いいか、モヤシめいて非力な貴様は居るだけで作業が滞って邪魔だ!よってクビだ!とっとと別のビズを探してこい!バカ!」
「何、バ……バカハドッチダー!」
「グワーッ!何をする!イヤーッ!」
「グワーッ!」
「ゲンジ・エーリアスは何にするの?」
「え、ゲン……何だって?」
「ゲンジ・エーリアス。偽名だよ。君がここで働くための、新しい名前を決めないと」
「……また名前が増えるのか」
「何だって?」
「なんでもない。その……ゲンジ・エーリアスか。何にすれば……」
「ウーン、そうだね。無難にマナミとかユカとかでもいいけど……君はどことなくシンピテキな雰囲気を感じるから、シルバーとかどう?あえて横文字で」
「わ、私はそれでいいのか、よく分からんが……」
「ウン、良い。ミステリアスな感じが出て、一見さんも気になって指名してくれるかも。じゃあ写真撮影を……」
「……うう……」
「ダイジョブ?緊張してるの?」
「わ……私は、これからマイコになって、どこの馬の骨かも分からない奴らに奉仕するんだな?」
「ウン」
「……言いなりになって……全力でサービスしなきゃいけないんだな?」
「そういう仕事だからね」
「…………」
「……もしかして、気が迷った?」
「……ああ」
「ハァ、しょうがない。そういう子はたまに見る。まあ代わりは居るし引き留めはしないよ。……本当に良いんだね?」
「……ああ」
「はい、じゃあ俺達は知らない他人同士。サヨナラ」
「時間を無駄にさせてしまったな、すまない」
「……エッ?何で部外者がここに居るの?無関係者がここに来ちゃダメって張り紙書いたよね?ほら、早く!去った去った!マッポを呼ぶぞ!」
「……」
カーテンの隙間におぼろな日光が差し込み、私の目元をピンポイントで照らす。狭い空間を濃厚なタタミの匂いが満たし、日光をトリガーに意識が覚醒したばかりの私の嗅覚を強く刺激する。
「ンーッ……」
眉間に力を込め呻きながら、ゆっくりと目を開ける。そして肘を支えにして起き上がる。ショーギボードめいた木格子。何束かのコードによって天井からぶら提げられた白熱電球。黄ばんだ白い壁。フスマ。ささくれたタタミ。
寝相が悪かったのか、私の体はフートンから些かはみ出しており、枕を山にしてやや海老反りとなっていた。
「……グウッ!」
起き抜けの意識を徐々に覚醒させていくうち、突如として、深く鈍い、だが実際鋭い痛みが脳裏に去来した。それは心臓の鼓動と連動し、振り子のように強弱を繰り返す。
「グ……ワーッ……!」
頭を抱えながらうずくまり、ジゴクめいた鈍痛の波を堪える。
しばらく堪え続け……なお激しく苛まれるニューロンをどうにかこうにか少しずつ御した私は、焦点の合わない目で部屋の真ん中に鎮座すチャブを一瞥した。
……中身のない一升瓶が、それも数本、テーブルの上に転がっていた。更に床には倒れたトックリ。
「ブッダ……クソッ……」
思い出した。昨日は、確か……イシハラの長期的なパート仕事がやっと見つけられた記念にと、なけなしの貯金を叩いて大量のサケを購入したのだった。どうせ収入が得られるようになったのだからと、生活に支障が出ない範囲で、断りもなく。
その後、イシハラにカネの使い方を考えろだのせめてメシを買えだのこっぴどく叱られたが、最終的には二人で祝杯を呑み交わす運びとなった。
あやつは呑んだ。涼しい顔をしてよく呑んでいた。猪口才なことに、いくら飲んでも酔っぱらわない体質なのだそうだ。古いビジネスパートナーもよく酒を振舞ったそうだが、それで鍛えられたんじゃないかと自分で推理していた。
むろん、そんな奴への対抗心の強い私が黙っているはずもなかった。私もイシハラに飲み比べで勝つべく、これまたよく呑んだ。サケを湯水の如く五臓六腑に流し込んだ。
「……ウプッ」
手強い痛みに俯いているうち、今度は内側から俄かにせりあがってきたものを感じた。息が詰まり、やっと鮮明になりかけた視界が再び霞む。脊髄命令が下り、手遅れになる前に、私は泡を食って備え付けの台所へと向かった。
……そう。台所に、向かい、そして……
「オゴーッ!」
……吐いた。猛烈に嘔吐した。胃の内容物があまねく放出され、見るもブザマな有様である。
一頻り吐いた後も、胃酸が強烈な匂いと共になお喉を焼いている。私は慌てて蛇口の水を全開にし、両手でオワンを作った。
「ブクブクブク……ゲボーッ!ゲホッ!ゲーッ!COFF!COFF!COFF!COFF!」
全開にした蛇口の水を手で掬って必死に飲んだ。すると、精彩を欠いたまま飲み込んだ水が無慈悲にも気管に入り込み、今度は猛烈に咳き込んだ。吐瀉して傷ついた喉への容赦ない追撃。このまま喀血してもおかしくない勢いである。
「ハァーッ……ハァーッ……ハァーッ……」
……昨日は、飲み過ぎた。あまりに。
ようやく落ち着いた頃には、直前まで就寝し英気を養っていたとは思えないほど既に消耗しきっていた。何たる醜態。あたかもジツで動かされし傀儡人形めいた生気のない足取りでリビングへと戻る。
そういえば、イシハラはどこに。八つ当たりしようと思ったのに、気配を感じないぞ。彼のフートンは……ない。すでに片付けられている。次に時計を見る。短針と長針が同じ北北西を指している。
「11時55分……」
……昼時じゃないか。なるほど、奴は仕事場に向かったのか。あれだけ呑んだというのに、ちゃんと無事に向かえたのだろうな?
まあ、終始しらふを保っていた男だ。多分、熟睡する私を傍目に涼しい顔をして向かったのだろう。絶対そうだ。朴念仁め。
時間は確認した。次に、カレンダーの日付を見る。11月1日。
ふむ。もう11月か。道理で部屋の中がとみに肌寒く感じてきたわけだ。嘔吐直後の悪寒ではなかったのだな。
11月1日。あとだいたいふた月弱か。
「……フフッ」
カレンダーを眺めているうち、私は自然と口角が上がっていくのを自覚した。
というのも、私には密かに楽しみにしている行事があるのだ(ここで意外だと思った奴はスゴイ・シツレイだ。世が世ならセプクは免れない)。
何を隠そう、それはおおよそ2か月後に控えるクリスマス。チビから聞いたことだが、なんでも私が灰になっていた間に膾炙していた新たな宗教のやんごとなき日に由来するようで、仏教ならブッダにあたる聖人の誕生日らしい。なんでも、人々はお祝いとしてケーキという甘味の塊を食べ、街中は色彩豊かな装飾で彩られるようになるとか。
装飾はともかく、そのケーキとやらが私の興味をそそる。好みかどうかはさておき、一度は味わってみたいものだ。
「重点!IRC着信な!ステディ=サンより!」
突然、部屋の隅に置かれていたチビが自立飛行し、私に電子音ノーティスを知らせた。
……ふむ。何の用なんだ?あやつめ。私の瞑想の邪魔をして、その価値のある内容なんだろうな?
「応答してくれ」
「ハイ!」
チビがホログラムを投射し、平帽子を被った女の胴体から上をワイヤーフレーム出現させた。その縁取られた姿は俯いており、右腕が小さく動いているのが見える。ホログラム外で何かを操作しているようだ。
「ドーモ、ステディ=サン」
「ドーモ、アッシュピット=サン」
アイサツ時だけこちらを見たステディは、またすぐに下を向いた。
「ぶっきらぼうなアイサツを詫びさせてくれ。何せ私は多忙の身なのだ」
「そうか?このアクタ・ニンジャの記憶では、今は休憩時間だった筈だが」
「いつもビジーな私の気を使って、クライアントや上層部はその休憩時間にIRCメールをくれるのだよ。お陰で手持ち無沙汰にならない。親切な方々だ」
ステディの声色は変わらない。いついかなる状況であっても。無感情ではないが、彼女は常に冷静沈着なのだ。
「アッシュピット=サン、最近の調子はどうだ?」
「は?私の最近の調子か?」
「そうだ。新生活には慣れたか?誰かに襲われなかったか?資金は足りているか?」
「……ハァーア……」
お前、この貴きアーチニンジャに対してそんな気の抜けた井戸端会議をするためにIRC連絡を試みたというのか?そう言わんばかりに私は大袈裟に首を振り、溜息を吐いた。
「弛んでいる訳ではない、アッシュピット=サン。私は至ってシリアスだ」
「何だって、そんなことを聞く?」
「みなまで言わせないでくれ。警察署を巣立ったあの日から私は常に心配しているのだよ。あれから半月経ったが、実際どうなのだ?」
「気を配る必要はない。カネにも困ってない。なんとか安定した働き口も見つけている」
……憮然と言いはしたが、それでも私は微かに後ろめたさを背中に覚えた。「安定した働き口」ね。確かに何とか見つけた。見つけたよ。しかし。
「フム。私に連絡をしなかったということは、確かにカネには困ってないのだろうな。どんな仕事なのか、詳細を伺っても?」
「言わなければならないのか?お前は私のファミリーか?」
「クロサメのことと言い、ネオサイタマそのものの危険性と言い、私に言わせれば貴方が次の日も無事で居れる保証なんてないんだ」
「大丈夫だ。私はアーチニンジャだし、チリアクタ・ジツもある。どうとでもなる」
「デッドリーエッジも御せなかったそのカラテでか?」
「…………」
言い返せなかった。
「すまない、こんな言い方はしたくなかった。だが、貴方が現在の状況を少しでも我々に共有してくれることで、非常事態時に手助けができるかもしれない。我々も貴方を喪いたくはないのだよ。どうか、どうか理解してくれ」
「……日傭だ」
観念し、私はステディに打ち明けることにした。
「日傭か」
「ネオサイタマの色んな場所を転々として、雑用をこなしている。そこまで大変でもない、至って普通の仕事だ」
「そうか……わかった」
ステディはペンを手に取り、手元の紙にメモを記入した。……ように見えた。彼女の性格とその腕の動きからして、何となくそうしたんじゃないかと洞察しただけだ。
「イシハラ=サンの調子は?」
「それも知りたいのか?」
「できればな」
「……あの朴念仁はちゃんと仕事先を見つけたよ」
私は頬杖を突きながらむっつりと言った。
「そうなのか。それはよかった。ざっくりと、どんな職種だ?」
「肉体労働系って言ってた。あやつは筋肉バカだからきっと居心地のいい環境のはずだ」
「フフ、確かにそうだな」
「……で?用件は以上なのか?」
「ああ。時間を取らせてしまって申し訳ない。近況が知れて安心したよ」
「そりゃあよかった、よかったよ」
「では、そろそろ……ああ、そうだ」
俯きかけたステディの顔が、またこちらに向き直った。
「どうした?」
「伝え忘れるところだった。……フォーアイズ=サンから聞いたのだが、どうやらそのチビには、集中対策部への試供ついでにとある機能が実験的に加えられていたらしい」
「ほう?」
私は人型のワイヤーフレーム越しにチビを見た。チビは相も変わらず光の帯を放射しながらハチドリめいて浮遊している。
「いわゆる緊急通報機能だ。もし、万が一、貴方が第三者にアンブッシュで襲撃され窮地に陥った際、それに向かって合言葉を唱えると、自動音声認識でチビが私に位置情報付きの緊急IRCを送ってくれる。そして私は救援に向かえるという訳だ」
「そんな機能があるのか」
「合言葉も既に決まっていた。『鳴かぬ不如帰』だ。チビにそう諳んじるだけで私たち集中対策部が貴方を救助しに向かえる。忘れないでいてくれたまえ」
「そうかそうか。覚えておくよ」
完全にステディの長ったらしい説明に飽きた私は、もはや話半分にしか聞いていなかった。
「では、そろそろ私は業務に戻ろうか。オタッシャデー」
「はい、オタッシャデ」
別れのアイサツと共に、ステディのワイヤーフレーム表示がかき消える。ドロイドは照射を止め、その場にアイドル飛行し命令を待ち続けた。
「……ハァーア……」
私は床に大の字に倒れ、大きく息を吐いた。安堵の溜め息だ。
危なかった。あの赤帽子は草食動物のように注意深く、獲物を狙う肉食動物のように油断ならない。応対を少しでも間違えれば、途端に訝しまれたかもしれない。
仰向けの首を巡らせ、再び時計を見た。短針は北を、長針は北北東を指していた。
……そろそろ仕事について考えなければいけない時間か。私の気分が泥のように沈殿する。
「チビ、手紙のやつ」
「メールな?」
「……うん、そう、メール……」
モーターチビが浮遊しながら近づき、仰向けの私の視界に映るようにホログラム画面を映した。通知を知らせるアイコンに「一」と書かれていた。この時代は手紙すらも電子的に矢文めいてやり取りされる。
新着のメールは一件のみ。私は無造作にそれを開き、中身を改める。
「……本日4時、トコノマのカフェ『豪華』で会いましょう……ビズの相談。報酬は……チッ」
そしてすぐ無造作にチビの電源を切り、枕へと這いずり、顔を埋めた。実際ふて寝だ。ビズの相談。どうせ禄でもない依頼をしに来たに違いない。私のような日の浅い傭兵は依頼も選べる立場にないのだ。
仕事の話の際、私はステディに嘘を吐いた。いや、嘘を吐いてはいないか。ただ、肝心な情報を隠した。
というのも、日傭という言葉はあながち間違いではない。物は言い様ともいうがな。その日傭の内容が……正義の使途たる彼女に伝えるのには憚られる、ってだけの話だ。
良い仕事を見つけることはあまりに難しい。
私の悪戦苦闘は実を結ばなかった。
まず、最初に仕事斡旋施設『水先』へと向かった。職を探すにうってつけの施設だとチビから聞いたからだ。しかし何の経歴もない私は仕事内容を要約したら「人身御供」にしかならないようなビズしか紹介されず、すぐに跳ねのけた。
次に、腐ってもニンジャだからと一念発起し、土木工事系のパートに手を出した。人手不足の現場に赴くことで採用をもぎ取ることに成功したはいいが、案の定にも減衰したカラテで鉄筋を長距離運搬することができず、愛想を尽かされたオヤカタに三行半を叩きつけられた。
……疲弊した私は、最後に禁断の施設へと向かった。マイコセンター。どんな店かはもちろんだいたい知ってる。調べた。……調べたうえで、足を運んだ。
どことなくフェミニズムな淡い桃色で染められた店内の奥で、早速私はオーナーとの面接を受けた。いくつかの質疑応答の末、私はみごと採用された。だが同時に、私の脳裏にとあるヴィジョンが浮かび、火傷痕めいて焼き付き、消えなくなった。
……アジマのしたり顔が。
あやつは私を騙してゲイシャへと仕立て上げ、医療行為サービスで金を稼ごうとしていた。あのクズは幼少期に私に横暴を何度も働いた過去があり、大人になってからもそれを引きずっていたのだ。だが、私は既にニンジャだった。
思い上がりの代償として、奴は私に始末されたが……事ここに至り、マイコとして働く自分を想像すると、その横で私に指をさして大笑いするアジマの幻覚も見えるようになった。……それが、たまらなく許せなかった。
だから……直前になって断った。
良い仕事を見つけることはあまりに難しい。
「……ここか」
数時間後。冷たい北風と、分厚く黒ずんだ雲に睥睨されながら、私はメールにて指定された施設の入口へと到着していた。
人間ふたり分の横幅しかない裏路地、所狭しとビルが立ち並ぶ中、白背景に黒いゴシック体で「豪華」と小さく書かれたその看板はその名前と裏腹にあまりに奥ゆかしすぎ、建物の小さく隅に立て掛けられている。注視せねば敢無く見逃してしまうこと請負だ。
看板のすぐそばには短い石階段があり、突き当たりの入口を思しきドアはカフェテリアらしく落ち着いた木の彫刻が施されていたが、一般人が気まぐれで立ち寄ろうとも思えないほど不穏なオーラを漂わせてもいた。
なるほど、非合法ビジネスの相談の場に確かに相応しい。
「……」
サンバイザーのつばを下げ、スカーフをぐいと引っ張り鼻まで覆わせ、踵を進める。カツ、カツ、カツ。乾いた靴音。路地の外の車の走行音や喧騒は全く聞こえず、サップーケイとしている。そばをフワフワと漂っていたモーターチビも不穏なアトモスフィアを検知し、私のポケットへと自ら潜り込んだ。
……ハァ、もう、まったく憂鬱だ。ネオサイタマは決して優しい都市ではなかった。ニンジャは今も昔も変わっていない。フォールアウトの言葉も一理あるのだろうな。現に今の私は変われていないから。
「ドーモ、はじめまして、クモチと申します。ヨロシクお願いします」
店内に入り、すぐそこに立っていた眼帯のオーナーに話をつけると、私は店の一番奥へと案内された。シーリングライトの冷たい光がそこに既に座していた中年男の顔を照らす。彼は私に気付くと、汗を袖で拭い、恭しく名刺を差し出しアイサツをした。
「……ドーモ、クモチ=サン。アッシュピットです」
その名刺を一瞥もせず無造作にポケットに突っ込みながら、私もアイサツを返し、着席した。私たちの邪魔にならぬよう、オーナーがコーヒーを奥ゆかしく提供する。途端にリラックス効果のある焦げるような香りが嗅覚を刺激するが、私の警戒が緩むことはない。
「エート……そうだね、アッシュピット=サン。依頼の説明より、まずアイスブレイクからするかい?」
「必要ない。依頼の説明だけ、簡潔に済ませろ。私はハーコーなんだ」
「ハ、ハーコー……?アッ、い、いや、なんでもない、分かった」
その小太りの男は緊張しながらも咳払いをし、テーブルの上で手を組んだ。
「では、依頼内容を説明しよう。マヤモト・ミカタ社という新進気鋭の電器業者がある。そこの販売データをハッキングし、改竄する橋渡しをしてほしい」
説明しながら、クモチはテーブルの上に小型のガジェットを置いた。それは手のひらに収まるほど小さく、薄い。
「そのフロッピーにデータが入っている。君はマヤモト社のサーバールームまで潜入して、それを機器に挿入すれば良い。簡単な仕事だ、そうだろう?」
「……」
なるほど、ステルスだ。アサルトではないから戦う必要がない。私の手を
「侵入経路は?」
「本社の建物のデータがある。あとでメールに添付して送信しよう。それを参考してくれ」
「フム。依頼遂行を妨げうる障害は?」
「何せまだ歴史の浅い企業だからね。精々セキュリティガードが何人かいるくらいさ」
「そやつらは始末してもいいのか?」
「良い。……だが、任務中に物音は立てないでくれ。とにかく潜入がバレたら依頼失敗だ。だが、やること済んでから発覚する分には問題ない。既にそいつらは手遅れだからな」
「なるほどな。……分かった。請け負おう」
私は厳かに頷いた。ホッと胸を撫で下ろすクモチ。
「良かった。期限は今日から三日以内だ。報酬はあのメールの通り。確実な遂行を期待しているよ」
そしてフロッピーディスクを受け取り、私は軽い別れのアイサツと共に豪華を後にした。
階段を上った私を、再び肌寒い風が出迎えた。軽い身震いの後、私はポケットからチビを取り出す。
「自宅への経路を表示してくれ」
「了解!」
命令を受け、鳥瞰の周辺地図と、私とイシハラの住む自宅への最短経路のホログラムがチビによって空中に照射された。私は周辺と地図を見比べつつ、ゆっくりと歩んでいった。
両端の建造物は無機質に高く聳え、醸し出される捉えどころのない閉塞感は私に天井の高い建物の中を歩いているのではと時々錯覚させる。空は依然として薄暗く、ビルの谷間から望める地平線からはドクロめいた月が今まさに登ろうとしていた。不吉な月は「インガオホー」と嘆いたように見えた。