アーチニンジャ:ネオサイタマ奮闘記 作:コースト
結局、行きついた先は、非合法のフリーランス傭兵だ。
何故か?
……ネオサイタマにおいてまともな職に就くには、ネンコや保証人の存在はかなり重点されているからだ。当然、私にそんなものはない。選択肢などないのだ。
ステディ?あやつは今も激務に忙殺されているし、これ以上借りは作りたくない。アーチニンジャの沽券にもかかわる。その点、この傭兵ビジネスの単純明快で至極ありがたいこと。経歴は不問、徹底的な実力主義。保証人も「結果」がそのうち肩代わりしてくれる。
私は既にいくつかの依頼を遂行した。普段は暗黒掲示板の公募だが、指名依頼も来るときはくる。皮肉にも残虐なニンジャとしての経験が活き、失敗とは無縁だった。チリアクタ・ジツも強い。死すべき奴らが影も形も音も無く死ぬ。
ただし、そのジツを出汁にしたアッピールはできない。あくまで私は「腕利きのモータル」だ。カラテが減じているし、クロサメという余計な禍根も招きかねない。ニンジャとして振舞うリスクとリターンがあまりに嚙み合ってないのだ。
それでもこの2週間で、食い扶持を繋げられるぐらいのギャランティは稼げるようになった。それほどに評価が反映されるまでのレイテンシーは短い。
このまま便利屋として成りあがるのも悪くない……などと錯覚しそうになるが、それはダメだ。絶対に。
犯罪。非合法。殺人。こんな所業、あやつに口が裂けても言えない。恩人を、私を捉える狩人になどさせたくないのだ。させられるか。恩を仇で返すもいい加減にしろ。
故に十分な資金が溜まり次第、足を洗ってやるつもりだ。今のステディには日傭と偽って納得してもらっているが、生涯効力のある嘘はない。
奴は油断なき手練れだ。ニンジャ感知力に狂いが無ければ、奴に宿っているのは高位のソウルだ。それも、カイデンネームド*1。
今だって、薄々感づいた上で恩赦されている可能性すらも否定しがたいのだ。
だからこそ、こんな泥沼の状況からは、いち早く脱却しなければ、ならない。
草木も眠るウシミツ・アワー。墨汁めいた暗い空を虹色のネオンが照らす。「パチンコ」「センター」高層ビル屋上に掲げられし巨大カンバン。
泳ぎ続けるマグロのように眠らぬ街、トコノマ・ストリート。その一角、テレビをモチーフに、スタンドを足、画面を顔に見立て、無邪気な笑顔を振りまく擬人化マスコット(非常に奇妙だ)が目印のマヤモト・ミカタ本社の正面玄関前で、私は腕を組んで苦々しげに唸っていた。
恐れていた事態が起きたのだ。
「…………」
……侵入経路が、正面からしかない。
まず、これまでステルス任務は数回は請け負った。しかしどこも防犯意識がヌルく、大抵窓が開いていたり、裏口から侵入出来たりした。
だが、流石にこのマヤモト・ミカタ社は違う。どの窓も金属のバリケードで封鎖済み。裏口はない。外付けの非常用階段もあるが、落下防止の檻で囲まれ施錠されている。なるほど大した心掛けだ。その心意気やアッパレ。困ったな。
……こういう時に私は強くない。今までならトライアングル・リープを繰り返して屋上から侵入したり、ニンジャ野伏力で出入りするモータルの影に忍んで警備を欺いたりなど出来たはずだ。
しかしそれも不可能。実力行使の強引な突破も無理。ううむ、まあ、早めに出向いたし、まだ期限に余裕はある。カネも……あと数日は持つ。今回は斥候目的だったということにして出直すか。
……ブロロロン。
「……お?」
踵を返そうとしたその丁度、私のそばに車が停まった。ネオサイタマの交通量はものすごく、特にトコノマのような繁華街では川の上流のように大量の車両が過ぎていく。だが、この車の側面に書かれた文字は私の注目を引くに値した。
「……清掃業者か」
なるほど、清掃屋がわざわざここに停車したとあれば……私の予想はまず間違わないだろう。運転手は……やつれた男だ。フム、このアクタ・ニンジャは、事ここに至り、侵入のためのとても良い作戦を思い付いた。
かつての神話に謳われし六騎士が一人も度々活用していたあの秘技は小耳に挟んだことがある。練習無しのぶっつけ本番だが、モータル相手なら通用しよう。然らば実行すべし。
「……フゥ」
道路に隣接するフロントドアが開いた。ウォード色の作業服を着用した中肉中背の男が溜息と共に降車し、後部座席のドアを開けた。椅子に寝かせられた道具を手をかける。
「ねえ、オニイサン?」
そこをアンブッシュするかのように、私は声をかけた。
男はびくっと全身を跳ねさせ、怪訝そうにこちらを向いた。
「ド……ドーモ。何だい?」
目元のクマと皴が目立つ。頬はこけて、頭髪は後退し、どことなく頼りない風貌。うむ、30代後半と言ったところかな。背丈は僅かに上回られているが、問題なかろう。
私はサンバイザーのつばを上げ、男に対しできる限り煽情的な笑顔を向けた。そしてさりげなく前かがみになり、ジャケットのジッパーに手をかけ、少し下げる。
「オシゴト、大変そうだね?顔に出てるよ?ねえ、私が癒してあげようか?」
「エッ」
男はあからさまに動揺した。
「な、何をしているんだ、君は!?」
目をひん剥いて、しどろもどろになり始める。羞恥心を必死に押し殺し、私は続けた。
「ねえ、私と遊ばない?」
固まっている男の耳元まで顔を近づけて囁き、腰に腕を回しながら体全体を密着させる。男の焦点が定まらなくなり、小さく唾を飲み込んだのをニンジャ聴力で捉えると、上目遣いに男の貧相な胸板を撫で、なお微笑みかけた。ダメ押しというやつだ。
「アハ。……私、ゲイシャ……目指してるんだ。奔放なんだよ」
「ゲ、ゲイシャ?」
「そう。オニイサン、練習相手になって?一緒に前後しようよ」
「こ……こりゃ、たまらん!い、今すぐ行こう!今すぐ!」
すっかりに鼻息が荒くなった男は、私の腕を掴み……マヤモト・ビル脇の路地裏へと引きずりこんでいった。
「……よし、ここまでくれば十分だろう。さあ、今すぐ……エッ?ア……アイエーエエエ!?ニンジャ!?ニンジャナンデ!?アイエエエッ……」
……数分後。私は青色の清掃着を身に纏い、服の持ち主が半裸で白目を剥き失神している様を見下ろしていた。
「…………」
思考停止したニューロン。顔は紅潮し、体が小刻みに震えている。やり遂げてから、自分が何をしていたかを幽体離脱めいて再認識し、並々ならぬ恥辱の前にひとり打ち震えているのだ。
発想の元は、ある日の深夜に放映されていた演劇プログラムの一場面。蠱惑の女が男を悩殺し、ジョルリじみて利用していたシーン。そこから色仕掛けを連想し、これもニンジャの立派な戦術、機会があれば試してみようと考えながら菓子袋をひっくり返したものだ。恥をかくことも、覚悟の上だった。
……実際試した上での感想は……そうだな……。
アッシュスケープしたくなった。
「ーーーーッッ!!」
こっぱずかしい。思いついたその日が吉兆とも言う。成せば成るとも言う。だが今回に限っては猛烈に後悔した。成功の代償に何か失った気さえした。
汚らしいアスファルトの上に四つん這いになり、拳骨を何度も地面に打ち付けた。そして静謐に慟哭した。
(どうしてこんな目に!私はアーチニンジャだぞ!?貴きアーチがあんなに顔を近づけて、あんなどこの馬の骨かもわからん男に何を言った!?癒す!?奔放!?ダ……ダメだ、しばらくイシハラにも顔向けできぬやも……!)
尚、男はニンジャ威圧力で気絶させた。性欲で蕩けきったニューロンに覿面だった。ついでに脳の防衛反応によって前後の記憶も失った筈だ。そして衣服をはぎ取り、変装し……。清掃員になりすまして侵入、という筋書きだ。
目が覚めれば、訳も分からず半裸で横たわっている自分に戸惑うだろう。この先の人生がままなることはないだろうな。悪いな、名も知らぬ清掃員よ。だが私を責めようとせず、粛々と自分のウカツさを恥じるんだ。ネオサイタマって、そういうところだろ?段々分かってきてるんだからな。
それに今回は私も重篤な傷を負ったし、両成敗だ。
(……よし、よし、行こう……行こう。これは作戦のためなんだ。何も落ち度はない。私はアクタ・ニンジャだ。アーチニンジャのアクタ・ニンジャ……)
乱れた精神のコンセントレーションを終え、ようやく私は自分を取り戻した。路地裏を抜け、奴が乗ってきた車の後部座席を漁り、適当な道具を手にマヤモト・ビル正面玄関からエントリー。
さあ潜入だ。平然を保て。私はここを掃除しに来たんだ。やましい意図は一切ない。
「ドーモ……清掃員だ。ここの保全のため、暫しシツレイさせて頂く」
受付との目が合った。服の上からでもわかるほど引き締まった体をした、浅黒い肌の女だ。
「……アー、新しい人?」
ひとしきり首を上下に巡らせ私の全身を一瞥した後、そやつは口を開いた。
「新人だ。だがセンパイに一通りインストラクションは授かっている」
「フーン……」
毅然として答えたつもりではあったが、その仏頂面の受付は眉を顰めるばかりであった。
「じゃあ、社員カードとか提示できる?」
「……しゃ、社員カード?」
社員カード。青天の霹靂である。そんなものがあるのか?
決して焦燥をおくびにも出さぬよう繕いつつ、反射的に胸ポケットを上からまさぐった。薄い何かがあった。多分これが社員カードだ。これを掲示すればいいのだ!
「ホラ、見るんだ」
私は社員カードを取り出し、カウンターの上に奥ゆかしく置いた。受付がそれを乱雑に取り、カードに顔を近づけ、眺めた。
「エート、オゾ=サンね」
「(エッ?)……申し遅れました。ドーモ、オゾです」
オゾ?誰だ?心の声と口をついて出る言葉が逆にならないよう努めながら、咄嗟にアイサツを返す。
……ああ、あの清掃員か。あやつの個人情報がそのカードに印字されているんだな。まったく脅かしおって。
「ンー……」
その後も受付はカードを義務的に精査していたが、ある瞬間を境に、私とそのカードを頻繁に見比べるようになった。露骨な疑問符を表情に刻みながら。
「……?」
嫌な予感がする。
よもや、私の正体に感づかれたか?最悪の事態を想定し、灰のスリケンを手の陰で隠し持つ。
万が一、看破されようものなら、こやつは即時始末しなければ。無辜のモータルはなるべく殺したくないが、それでも自分の立場が脅かされるぐらいなら形振り構わん。レッドゾーンに立ち入る方が悪いんだ。
「……アンタ、随分と整形にカネかけてるんだね?」
やがて、苦笑とともに彼女は口を開いた。カードが返却される。それを改めて見た。「オゾ・マギタ」の文字と会社名、そしてそれらの横に……彼の顔写真があった。こけた頬に甲斐性の無い男の顔が。
「……!」
顔の強張りを抑えきれなかった。誰がどう見たって別人だ。アカチャンでもわかる。整形と納得するのも無理があろうに。それでも見て見ぬふりをするつもりか?こやつは。
「なんか、そこらへん適当にやっておいて」
やがて受付は私から目を逸らし、手を頭の後ろで組みながら背もたれにどっかりと寄り掛かった。かすかに自暴自棄なアトモスフィアがあった。
「……」
その女の行動が、私には理解しかねた。堪えきれず――闖入者としてあるまじき行為だと分かりつつも――私は訊かずにいられなかった。
「……お前、分かってて――」
「給料少ないんだ」
対面の女は、独り言ちるかのように言った。目も合わさずに。
「こんな吝嗇会社、思い入れないし、転職先決まってるし、どうにでもなれッて感じ」
「……フン」
私はそれ以上の会話を無益と判断した。どのみちこやつに私への敵意は感じないし、捨て置いても問題はないのだろう。この時代のモータルの気持ちはよく分からん。
……今回は奇妙なサイオー・ホースに恵まれたが、この作戦は大失敗だな。受付に話しかけず黙って横断すれば良かったか……。反省だ。
「……」
受付が視線で促した方向へと進む。不愛想な廊下。内装は至って普通だが、木目の壁にはマヤモト社が今までどんな功績を打ち立てたか、これからの会社の展望についてなどの壮大なタペストリーが並んで掛かっている。御目出度き美辞麗句の数々。
畢竟、これらの大言壮語も、私の依頼のはした報酬程度の価値しかない訳だ。
「……」
周囲の人気を確かめ、すぐそばの洗面所へとエントリーした。もう変装の時間は終わりだ。個室へ入り、作業服を脱ぎ、キモノ装束姿へと衣替えをする。
そして服と道具をチリアクタ・ジツで灰に変性させ、トイレに流すことで証拠隠滅は完了。
ここからはステルス、即ちニンジャの時間だ。
「よし」
しめやかに扉を開け、ストレッチも兼ねた軽やかな前転で廊下へとまろびでる。ウム、やはりキモノはしなやかで動きやすい。千年経とうが平安時代の上等な天然素材は常に期待を上回ってくれる。
それに比べ、あの作業服はダメだ。ゴワゴワとしていて伸びしろが無い。色も目立つ。アレではただでさえ衰えた身体能力がさらに減じ、10/1のパフォーマンスしか発揮できなくなる。
ここからは人に見られてはいけない。足音を消しながら歩く。廊下の曲がり角。壁に背を密着させ、人の気配を探る。
そして眉間を寄せた。
「……ヌウ……」
……ニンジャ感知力が、緩慢に近づく二人の気配を捉えたのだ。恐らくただのサラリマンだ。会話を交わしながら歩いている。このままだと見つかる。私は歯噛みした。うまくない。変装を解くのは時期尚早だったか。だが服と道具は既に葬ってしまった。
仕方がない。引き返し、再びトイレでやり過ごすべし。そう思った直後、ニンジゃの非凡な察知力が反対からも接近する気配を捉えた。近い。時すでにトイレより手前。
「……!」
なんたるウカツ!両側から挟み撃ちにされているではないか!事前にニンジャ聴力で気配を捉えておけば、こんな事態には……!
憔悴するニューロンの中、クモチの言葉が反響する。見つかったら即失敗。何を以て即失敗なのかは分からないが、いくらでも推測は出来る。隠れなければ。だがこの細道のどこに?
「業務終了まであと何時間ですか?」「あと3時間です」「長いですねえ。でもやりがいがあります」
まずい!前方にサラリマンの影!会話も克明!もはや猶予無しか!
(イヤーッ!)
私は……跳躍した。天井に向かい、高く。
そして、四肢をピンと伸ばし、壁に向かって突っ張らせ、伸縮棒めいて天井に張り付いた。
「ドーモ」「おや、ドーモ」「ドーモ、ウキチ=サン」
……前方のタイガー門から二人、後方のバッファロー門から一人。
ブンシンめいて一様に同じ格好と髪型をしているサラリマンどもがかくして一堂に会し、力んで震える私の真下で立ち止まった。気配を察されぬよう、必死に息を殺す。
「奇遇ですね、ここでお会いできるとは」「最近どうですか?」「息子が誕生日を迎えまして」「それはめでたい。コトホギですね」「そうです」
記号的なやり取りを交わす三人。一見和やかな会話に見えるが、ニンジャのクリプトのように、その文言の裏に不穏な意図が含蓄されているように感じる。ブキミ。
いや、そんなことはいい。こやつら何時まで駄弁り合うつもりだ?私の体力も有限だ。あまり長いこと話されては、非常に不都合……!
「営業成績がジョコマ=サンに抜かれてしまいまして」「大変だ」「負けじとこちらも努力を続けていますが、追いつけません」「災難ですね」「きっと何か奸計を巡らせているとにらんでいます」「まさか!本人の努力の賜物じゃないでしょうか?」「しかし彼の手荷物はいつも重い」「あまり疑うとムラハチの遠因になりますよ」
待てど待てど、状況が改善される兆しはなし。会話が……ますます盛り上がっている。四肢の筋肉が徐々に疲労を訴え始める。額に汗が滲む。クソ……ニンジャの身体能力をこれほど渇望したこともない。
……潜入して早々だが、もう手札を切るべきか。やむを得ん。私は真下の彼らに聞こえぬよう、努めて小声で囁いた。
(チビ。おい、モーターチビ)
ブウン。チビの極めて優秀なセンサーが反応し、懐から飛び出てジャイロ飛行を始める。
そのチビに顔を近づけ、透明な細い糸じみた声量で命令を下した。ドロイドはひとりでに旋回し、逆走して見えなくなった。
TELLLLLL!TELLLLLL!程なくして、曲がり角向こうからトレモロ電子音が響き始めた。とたんに目の色を変えるサラリマン。
「私が出ます!」「いや私が!」「どいてください私が!」「いえお気になさらず私が!」「ちょっとやめないか!」
先ほどまで上っ面の和やかな会話を交わしていた彼らは一転、お互い押しのけ合いながら廊下の向こうへと駆けていった。
「……」
足音が遠ざかる。ニンジャ聴力を以てしても無音になるまで待ち、周囲の気配を改めて確かめ、ようやく天井から降下し私は軽やかに着地した。……否、少しふらついた。腕の筋肉が弛緩せず、固い。足も笑っている。
チビも戻ってきた。自らポケットへ潜り込み、スリープした。
「……危なかった」
あと3秒でも待機されようものなら、私は力尽き、サラリマンどもの頭上に盛大に墜落していただろう。一応、ドージョーでの経験はあるので、常人以上の身体能力はある。それでギリギリだった。
やはりニンジャの基準で動くのは危険だ。ニンジャならあのまま丸三日は耐えていられた。クソ、全盛期が恋しい。
事前調査から咄嗟に思い付いた作戦が今回は功を奏してくれたが、二度は使えぬだろう。ただでさえ偽の電話音に欺瞞されたあやつらは今ごろ訝しんでいるはずだ。気配を僅かに悟られているだけでもリスクは跳ね上がるというのに、況や。
「……よし」
幸いなことに、目的地は曲がり角を奥に進めばすぐに見えた。私は安堵した。「非常時に使う」と印された、錆びた金属の薄い戸だ。開けると、隣のビルの無機質な壁を背景に落下防止の檻、そして段の高い金属製の階段があった。
昇降には非常階段を使う。階下で火災などが発生した際に代わりに使う非常通路らしいな。普段は存在も忘れられていることだろう。賢いアクタ・ニンジャはその穴をつく。もう危ない橋渡りなぞ御免被りたい。
そして実際に私の作戦は功を奏した。クモチの寄越した地図データによると、目的地は最上階にあった。故にひたすら登る必要があったが、階段の道中に障害は何一つなかった。
ギイイィ……。
軋む音が鳴った。私は扉を押す手をいったん止め、慎重に周囲の気配を探った。背中が少し冷え、汗ばんだ。
「……」
物音はない。人影も感じない。なら大丈夫だ。私は再び手に力を籠めた。
…ギィイイイ!空気の読めない扉があまりにやかましい悲鳴を上げ、何とか通れる横幅を作った。隙間をかいくぐり、私は扉を閉めた。そして今いちど野伏力を働かせ、再び気配を探った。
「……」
物音はない。近づく気配もない。全き静寂。なら大丈夫だ。背を屈ませ、私は廊下を進んだ。
非常扉周辺の通路は、蛍光灯が灯っておらず、暗い。滅多に使われず、持て余しているスペースと思わせる為なのだろう。そう、思わせる為。つまり偽装だ。ただでさえ一階の不法侵入を徹底的に防いでいた施設だ。むべなるかな。
そして繰り返すが、建物の構造を知る私にそんな小手先の搦め手は効かん。己の不運を呪うことだな、マヤモト・ビルよ!
「……ここだな」
少し進み、私はとある扉の前で立ち止まった。目的地だ。今一度確かめたが、座標も一致し、間違いない。貼られているプレートには角張ったフォントで「サーバールーム」と書かれている。
よしよし。非常扉を潜ってすぐに到着できた。私の構築したルートはつくづく非の打ち所がないな。
私はノブに手を掛け、音もなくシリンダーを回転させると、猫めいてしなやかにエントリーした。
「……」
蒸し暑いな、と第一に思った。そして、うるさい。熱気と、駆動音。このゴオオオオという轟音に奥ゆかしさの欠片も感じない。照明の類も死んでおり、非常口ライトの緑色の灯だけがぼうと輝いている。一寸先は闇。まあ、夜目が効く私には関係のないことだ。
ふむ、全体的にフォーアイズの作業部屋に酷似しているな。あやつがいつも鍵盤を叩いている部屋もこんな雰囲気だったか。唯一の違いは、壁面を埋めるモニタの光がないことぐらいだ。
「さて、と」
部屋中を見渡し、重油めいた闇を分け入って進む。右手にはフロッピーディスク。
この薄い四角にはげに恐ろしき電子毒が内蔵されているらしく、これをUNIX?のドライブ?に挿入することでハッキング?が開始され、マヤモト社のデータベース?が改竄される。そうすれば……なんか、この会社は終わりらしい。そして私は報酬を受け取れるという寸法。
うむ、全く分からん!……こういう時こそ、文明の利器を活かすべし。私はポケットから例の十二面体ドロイド、モーターチビを取り出し、放った。
「チビよ。ドライブとやらはどこにある?」
「重点!ここからなら、ドライブにはマルノウチ・スゴイタカイビルがオススメです!ネオサイタマで一際目立つあのランドマークは、最上階に展望エリアもありデートに最適――」
……?
何を言っているんだ、こやつは。ついにポンコツに成り下がったか。いや、私の指示が曖昧過ぎたのか?
「いや、違う。ドライブだ。運転じゃなくて、別の意味の。それについて教えろ」
「重点!まずフォームを覚えるところから始めましょう!腕を下から上に弾くのみでは不十分!ラケットの持ち方、回転を伝わらせるイメージを想起しながら打つことで、理想的なドライブ回転が――」
私はチビを殴りつけた。外部ショックを受け、ポンコツが危うく墜落しかけるが、すぐにバランスを取り戻す。
「チビ。これだ。これを挿入する場所を教えろ」
私はこのドロイドにフロッピーディスクを見せつけた。この十二面体のどこに目があるかは与り知らぬが、とにかくディスクを目の前に突きつけ、重点させた。チビは小さく光を瞬かせ、沈黙。だがそれも束の間、電子音をひとりでに発しながら明後日の方向へと直線飛行し始めた。
「ここにあります!重点!重点!」
目的地は部屋の最奥。黒いハカイシめいた、物々しい立方体が鎮座していた。表面のワイヤーフレーム状のラインに光が走り、ゴマめいた緑色や赤色のランプが明滅している。ドロイドが示した場所をよく見ると、かなり低い位置に横に細長い四角のスリットがあった。
屈み、隣の「押す」と書かれたボタンを押し込んでみると、スリットがスライドし、黒い口を開けた。
フロッピーディスクを寄越せと言わんばかりの、細長い口が。
「!」
なるほど、前言撤回。このチビは本当に極めて優秀だ。私は得心し、今や遅しと出番を待っているフロッピーディスクをスリットに突っ込んだ。依頼達成は目前、勢いよく挿入!
カンッ!
「いッ……!」
指先に反作用の衝撃が走る。ある意味、小気味よい音が鳴り、入らなかった。フロッピーディスクが大きすぎて引っかかったのだ。そんなバカな!そう、バカだった。私がだ。私がフロッピーディスクだと思っていたそれは、そのケースだった。よく見れば側面にツメがあった。
指を引っ掛け、力を籠めると、ケースの蓋はパカリと開いた。中には一回り小さく薄いディスクが保存されていた。そうか、これが正真正銘のフロッピーディスクだったか。誰に見られているわけでもないのに照れ隠しの咳払いをし、私は改めてそれを挿入した。
ウィーン……ガシャ。何らかの機構が動き、立方体が自らフロッピーを呑み込み、口を閉じた。
「よし」
任務達成だ。後は無事に脱出するのみ。もうバレても問題はないが、隠密行動は続行しよう。事は荒げないに越したことはない。
私は立ち上がり、サーバールームから出ようとした。
……出ようとした。
その足は、途中で止まった。
「……!」
サーバールームの扉。そのタタミ1枚ほど横のガラスケースの中、赤いボタンがある。非常口カンバンの緑色ライトが混ざって奇妙に発色していたが、たぶん赤色だ。ちょうど視界の陰にあり、気付かなかった。上に「通報」の表記。
そのボタンに体を密着させ、今まさに……ガラスを叩き割ろうとしている人影が、見えた。影がこちらを向いた。目が合った。ドクン!主観が鼓動音と共に大きくうねり、気が付けば私はスリケンを振りかぶっていた。私以外に人が?いつの間に?気付けなかったのか!?疑問に思う余裕もなかった。
「アアアーーッ!」
人影が金切り声を発した。そして遮二無二ガラスに拳を打ち付け、ぶち割った。赤いボタンが露出。
「イヤーッ!」
私はスリケンを投げた。灰を凝固させた十字が緩やかな山なり起動を描き、飛んでいく。牛歩めいた時間間隔。その回転する刃一枚一枚を目で追うことができるほどに。イダテン・ニンジャはこの風景を見ていたのか。
飛んでいく。飛んでいく。スリケンの凶刃が男の手を切断せんと回転する。影は顔を緊張と恐怖に歪ませながら、ボタンに腕を伸ばしていた。あと一寸、五分、三分、一分、一厘……その手首に灰スリケンが突き刺さったのと同時に、ボタンが押し込まれた。
「アイエエエエエ!」
ウウウウウ!ウウウウウ!ウウウウウ!
男の絶叫と、焦燥を煽り立てんと響くサイレンが重なり、不協和音を奏でた。