【完結】推しの子if ~あかねちゃんと一緒にアクアを救おうルート~ 作:日ノ川
カントクのところから帰宅するとリビングには母さん一人で、ルビーの姿は無かった。
靴はあったので自室にでもいるのだろう。
ちょうど良い。
「母さん。ただいま」
「あら。早いわね。今日はカントクさんのところで編集じゃなかったの?」
カントクのところで編集する時はいつも遅くまで作業している俺が早々に帰宅したことに驚く母さんに渋面を作って首を横に振る。
「今日は使いもんになんなくてな」
「何かあったの?」
「明日さ。日本映画賞の授賞式あるだろ?」
「ああ。そういえばそうね。カントクさんは今年も──」
「そう。例によってノミネートはされたんだけど、多分無理っぽいな。本命がガチガチすぎる」
今年は前評判も高く、公開後も話題となっている島政則監督の『蛇視』で決まりだろう。
「あらあら」
「で。カントクもそのこと分かってんのかやる気でねーって言うもんだから、編集作業は中止になった」
これまでは、カミキの登場シーンを纏めて鏑木さんに見せるという目的があったからこそ、集中力が続いていたが、このまま進めて良いと許可が下りたことで一緒に肩の荷も下ろしてしまい、それまで考えないようにしていた映画賞のことを思い出してしまったらしい。
「今年で何年連続だったかしら」
「五、いや六年だったかな? しかも去年と今年は15年の嘘の撮影に注力してるから多分来年はノミネートもされない」
「うーん、それは。ちょっと申し訳ないことしたわね」
「それもあるのか、授賞式にも出ねーってワガママ言うもんだから俺が連れていくことになった」
監督賞の授賞は難しいとしても、ノミネートされた作品の監督が授賞式に出ない訳には行かない。
関係者もそのことが分かっているのか、界隈ではカントクの世話係として知られている俺に直接連絡が来たくらいだ。
「ご苦労様。……そう言えば、あかねさんも新人賞穫ったんじゃなかった?」
監督賞や作品賞とことなり、新人賞は複数人授賞者がいる関係で事前に授賞者が告知されている。
「ああ。まあ……」
「どうしたの?」
歯切れが悪くなった俺を訝しむ母さんと向き合い、覚悟を決め切り出した。
「あかねから、授賞式の後に会えないかって連絡が入ってさ」
ツクヨミのイタズラのせいで本題に入るまでずいぶん時間が掛かってしまったが、あの時に掛かってきた電話の本来の用事がこれだった。
「良いじゃない。お祝いしてあげなさい。何時頃になるの?」
賛成とばかりに手を合わせ、嬉しそうに笑う母さんの続く言葉に僅かに身を堅くしてから、恐る恐る切り出す。
「授賞式自体はそんな遅くまでやらないんだけど、あかねも事務所とか劇団の人と打ち上げあるっていうから、それから会うとなったら深夜になるんだけど……」
その時間から会うと必然的にそのまま泊まりになる。と言外に告げると、母さんは視線を天井、というよりその奥にあるルビーの部屋に向けてから納得したように頷いた。
「そういうこと。……いいわ、ルビーのことは上手く誤魔化しといて上げる。それこそカントクさんの残念会が長引いてそのまま泊まることになったとでもしときましょう」
「助かる」
例の食事会で正式に恋人として紹介したこともあるのか、ルビーも俺とあかねが夜に会ったりしていても特に何も言わないようになったが、泊まりとなると話は別だ。
前のように怒ったりはしなくてもウザったく絡んでくるのは目に見えている。
「ただ」
「ただ?」
にっこりと笑顔を浮かべたまま、母さんの手が俺の首に掛かり、そのままグイと引き寄せると耳元に声を落とした。
「色々と気をつけなさいよ。色々と」
念押ししてくる言葉の意味は理解できたが、だからこそ俺は顔を歪めつつも素直に頷いた。
※
「右手を挙げてるカメラマンに目線くださーい」
壇上に掛かる声に反応して、あかねがそれぞれのカメラマンに視線を送る。
同時にカメラのフラッシュが、続けざまに光を浴びせた。
黒を基調としたシックなドレスと遠目からでも分かるクッキリとした魅力的なメイク。ストレートの長い黒髪は、今日は緩やかなウェーブが掛けられている。
それらの相乗効果で実年齢以上に大人びて美しく見えた。
あかね自身は複数いる新人俳優賞の一人でしかない。と謙遜していたが、これまで紹介されたどの新人賞の授賞者よりも、多くの注目が集まっているのは間違いない。
それは映画の評価や、カミキの件で注目されている15年の嘘の主演女優だから。というだけではない。
単純に、彼女が壇上の誰よりも輝いているからだ。
外見もさる事ながら、その瞳が。
かつて、全盛期の頃のアイに勝るとも劣らない星のように輝く瞳は、黒川あかねという女優を唯一無二の存在として際だたせている。
心なしか、彼女を撮影しているカメラマンの腕にも熱が籠もっているように見えた。
それだけ気合いが入った写真や映像が広く公開されれば、あかねの注目度もより増していくことだろう。
中には、その瞳に魅せられて、狂っていく者も現れるかもしれない。
新野冬子と面会して以来、俺はよくそんなことを考えるようになった。
確かに何年にも渡って燃え続けた狂気の炎は、カミキヒカルによって意図的に燃料を投下され、燃やされ続けたものだろう。
ただ、一番最初の火種と呼ぶべきものを植え付けたのは誰だったのか。
「……アイ」
誰にも聞こえないように小さく呟く。
もちろんアイがわざとそうしたわけではない。
ニノの場合は、事務所側の贔屓(実際にそうだったかはともかく)や、その結果アイ一人が突出して売れたこと。そして恋人である菅野良介がアイに推し変したことなどの要因が重なったことが原因だ。
アイに何もかもが奪われていく自分の惨めさを直視することを恐れたからこそ、アイを特別な存在だと思わなければ、心の安定を保てなかった。
しかし……
(だからこそ、危険なんだ)
アイの責任でない以上、これは彼女と同じような素質、いわゆるスター性を持ち合わせた芸能人なら誰にでも起こりうるということなのだから。
今回授賞したあかねもそうだし、これからトップアイドルに上り詰めるだろうルビーたち新生B小町もそう。
以前から売れっ子の姫川はもちろん、カミキが事件の少し前から片寄ゆらに目を付けたように、素質が途中から開花することもあるのなら、俺の周りにいる友人たちも、今後ブレイクしていくことだってあり得るだろう。
そうなった時、狂気に走った者が牙を剥くことも考えられる。
相手が一般人ならまだ対処できる。
というより、そうした才能が開花した者たちは売れっ子になっていく課程で、自然と警護が堅くなっていく。
給料が増えたことで、防犯がしっかりしたマンションに引っ越したり、個別のマネージャーが付いて周囲のガードを兼ねたり、といった具合に。
アイの時のようなことは、身近にいた者の裏切りによって生じた例外中の例外だ。
その意味で、俺が警戒すべきは外側ではなく内側、芸能関係者の方だ。
カミキの犯罪が何故長い間露見しなかったのか。
理由はいくらでもあるだろう。
その中にはおそらく、対象が芸能関係者だったからというのも関係していると思う。
今まで売れっ子として露出の多かった芸能人がある日突然姿を消す。
よくあるとは言わないが、芸能界ではままあることだ。
大抵は何か問題を起こして炎上し、そのまま引退という形で表舞台から姿を消すのがほとんどだが、中には理由も分からずいきなり行方知れずになるような者もいる。
そうした場合でもしばらくの間は騒がれるが、いつの間にか話題が鎮静化してしまうのは何故か。
みんな心のどこかで分かっているのだ。
芸能界が綺麗なだけの場所ではないことを。
いわゆる芸能界の闇という奴は公然の秘密として存在している。
人ひとりがいきなり消えても、何かトラブルが有って雲隠れでもしたんだろうと、勝手に物語を作って納得してしまう。
そういう土壌があるからこそ、カミキの犯罪も隠蔽されてしまったのかもしれない。
そうした内側から延びてくる魔の手から、大切な人を守る。
それが、俺の新しい夢だ。
その為にも。
「次は俺が、あっち側にいかないとな」
未だカメラのフラッシュが止まない壇上のあかねを見つめながら、拳を握る。
「っと」
折角の晴れ舞台で余計なことを考えていたことを反省し、握り込んでいた手を解くと、俺はそのまま右手をそっと持ち上げた。
同時に、視線を動かしてこちらを見たあかねが、ほんの一瞬だけ嬉しそうに表情を綻ばせたのは、きっと勘違いではないだろう。
直後、今までよりずっと多くのフラッシュが彼女を包み込んだ。
☆
授賞式が行われた会場があるホテルに、私が戻ったのは日付が変わる少し前だった。
日本映画賞の関係者が遠方から訪れることもあって希望すれば運営側がホテルを取ってくれる。
それもあってホテル内にはまだ関係者らしき正装に身を包んだ人たちが多くいた。
そのおかげもあり、私もさほど目立つことなく、目的の部屋までたどり着くことが出来た。
「ふぅ」
インターホンを押す前に手鏡を取り出し、ざっと自分の服装やメイクを確認する。
ついでとばかりに、社長やマネージャー、金田一さんと打ち上げで行った店内の臭いが付いていないかも確かめておく。
最初は中華に行く予定だったが、アクアくんと会った時のことを考えて、別の店に変えて貰ったことが功を奏したのかそちらは大丈夫そうだ。
よし。
小さく気合いを入れてからインターホンに手を伸ばした。
※
室内に用意されていたミニバーで、私たちは二人だけの二次会を開催した。
もちろんお酒ではなく、ノンアルコールで。
「改めて、おめでとう」
「うん。ありがとう」
そんな会話から始まった二次会は主に今回の映画賞で大賞を獲得した作品や主演賞を穫った役者の話が中心となった。
作品のここが良かった。
賞を穫った割にはここの演出はイマイチだった。
助演の演技は光っていたが肝心の主演が話題性重視で選ばれたのが残念だった。
等々。
そんな話をしながら話題は徐々に今後の話に移行していく。
「今年新人賞で、来年は主演女優賞狙いか?」
「もちろん穫れたら嬉しいけど、今年主演の仕事やってないからどうかなー。ドラマは対象外だし」
暗に15年の嘘でなら、穫れていたかもしれないと匂わせるとアクアくんは小さく鼻を鳴らしてから、深い息を吐いた。
「じゃあ助演賞か。まあ何にせよ、羨ましいよ。新人賞とはいえレッドカーペットだもんな」
何気なく口にした台詞に、私は視線を向ける。
(珍しいな)
羨ましいという言葉のことだ。
思い返してみれば、ここまでの話でもアクアくんは随分自分の映画論や演技論について話をしていた。
もちろんカントクさんの弟子として、幼少時から様々な映画作品に関わっていたのだから、知識は私よりも持っているだろう。
しかし、東ブレの舞台稽古中に私がそういう話が無限に出来ると話した時は、自分はそこまでの熱意はないと語っていた。
それから結構な時間が経ち、今はアクアくんも芸能活動を精力的に行っていることもあり、心境の変化が有ったのかもしれないが、そもそも精力的に活動していること自体、少々疑問が残る。
何より気になったのは、賞を穫った私のことを羨ましいと言ったことだ。
正直な話、私はアクアくんは近いうちに芸能界を引退するつもりだと思っていた。
今回の件で恩義のある鏑木さんから依頼されたという映画監督に付いては、律儀なアクアくんが断れないだろう。とまだ理解できる。
だからこそ、それを芸能界での最後の仕事として、そのまま引退する気なのではないかと思っていた。
だって彼は──
「どうした?」
心配そうにこちらをのぞき込むアクアくんに、私は覚悟を決めて顔を上げた。
「アクアくんは、これからどうするの?」
「これからって……。ああ」
いったい何の話かと訝しんでいたアクアくんも、直に私が何を聞きたいのか気づいたらしく、苦笑してからジュースを一口飲み、唇を湿らせて答える。
「このまま芸能活動を続けるよ。監督と平行して、ドラマとかの編集で使ってくれるって話もきてるし、役者としての仕事もいくつかある。一応大学も行くつもりではいるけど」
「学部は?」
間髪入れずに聞いた私に眉を寄せつつもら淡々と続ける。
「今更演劇や映像関係の勉強する気もないし、経済学部かな。これから苺プロも忙しくなるだろうから、そっち系の勉強しとけば母さんの手伝いも出来るし」
「そうじゃなくて」
「ん?」
思わず口を挟んでしまった私に、アクアくんは不思議そうな顔をするが、意を決して続ける。
「医学部には、行かなくていいの?」
私の言葉を受けたアクアくんの動きが一瞬止まった。
こちらの真意をのぞき込むかのような視線に、私も目を逸らすことなくじっと見つめ返した。
宮崎旅行に行った時から、ずっと気になっていた小さな違和感。
地方の一医者でしかない雨宮吾郎のことを妙に詳しく知っていたアクアくんと、その先生に恋をしているルビーちゃん。
アイの日記で主治医だと知ったから詳しく調べたと言ってはいたが、アイがそんなに詳細な日記を付けているはずがないのは、ドラマを演じてより深く彼女に付いて理解を深めたことで確信に至った。
菅野良介と新野冬子が雨宮吾郎殺害に関与していたと知った時もそう。
私はお父さんの調査書を見るまで予想もしていなかったのに、アクアくんは特に驚いた様子もなく納得していた。
ミヤコさんやカントクさんから聞いた子供の頃の話も、早熟という言葉では片付けられない異常とも言える聡明さだった。
そしてルビーちゃんが最近よく口にする、来世や三度目といったワードの意味。
これらを総合的に考えると、一つの答えが浮かび上がる。
かつて宮崎旅行でアクアくんが話してくれた、外科医を夢見ながらも育ててくれた祖母の勘違いを否定できずに、人に合わせて生きる道を決めてしまった男の話。
あれが、アクアくん本人の話だったとすれば。
「それがアクアくんの夢なんじゃないの?」
全ての決着が付いて、前に進めるようになったのだから。
今度こそ、誰かのためにではなく、自分のために将来を考えてほしい。
声には出さない気持ちを込めて、私はじっとアクアくんを見つめ、返事を待った。
次回で本編最終回となります
ある程度書き終わっているので明後日辺りに投稿出来ると思います