【完結】推しの子if ~あかねちゃんと一緒にアクアを救おうルート~ 作:日ノ川
個人間オーディション本番。
そう書かれた予約用ホワイトボードの前で、私はあかねちゃんの到着を待っていた。
「お待たせ」
約束した時間のちょうど五分前にやってきたあかねちゃんは目立たない服装と帽子、そして薄い色のサングラスという芸能人にありがちな変装をしている(この間のレベルアップ活動が実って顔と名前が売れてきた私達B小町も、最近では最低限の変装をするようになっているが)が、それでもスタイルの良さと整った顔立ちは隠せない。
そのまま片手でサングラスを外す姿もまた、ハリウッド女優みたいで非常に絵になっていた。
思わず、ごくりと息を呑んでしまう。
そこには宮崎旅行や、その後何回か会った時のほんわかとした優しいお姉さんの雰囲気はなく、尖った氷のような鋭利さがあった。
短い時間だが、演技の特訓をしたことで、演じることの楽しさと難しさがよく分かった。
普段何気なく見ているドラマや映画の役者がどれほど難しいことをしているのかも。
そんな役者たちの中にあって、若くして誰もがその才覚を認め、あの口が悪く天の邪鬼な先輩までも天才と認める本物の女優、黒川あかね。
既に役作りが完了しているのか、それとも勝負の場ということで気を引き締めているのか。
どちらにしても、私も気を引き締めなおさなくては。
あかねちゃんの役者としての実力は、私なんかと比べものにならないのは分かりきっている。
そのあかねちゃんが本気でくるのなら、私も同じくらい。いいや、それ以上を出し切らないと勝負にもならないのだから。
「久しぶりだね。あかねちゃん」
「……うん」
気を引き締めつつも、精一杯愛想良く話しかけたつもりだが、相変わらずあかねちゃんからの反応は芳しくない。
「と、とりあえず行こ。借りてる部屋こっちだから」
私たちは仮にも芸能人。
あまり人がいないとはいえ、廊下で話すのは目立ちすぎると、この一ヶ月ですっかり慣れた公民館の中を先導して歩きだした。
※
事前に立ち位置のバミりを済ませておいた部屋の中を、あかねちゃんはぐるりと見回す。
小道具も含め、勝負に必要なものが全て揃っていることを確認して小さく頷いた後、私たちは改めて向き合った。
「今日は、せっかくの休みに私の我儘を聞いて貰って、ありがとう」
勝負に入る前にお礼を口にする。
売れっ子女優であるあかねちゃんの休日がどれほど貴重なものなのか、仕事が増え始めたとはいえ、まだまだ駆け出しアイドルの自分には想像も出来ない。
しかし、子役時代それこそ分刻みのスケジュールを体験してきた先輩曰く、丸一日休みが取れるのなら何百万払っても良いと思うほど貴重なものだったらしい。確かに生前のママ……アイも当時の先輩との共演した映画を切っ掛けに本格的に売れ始めて以降は、それを支える壱護さんとおかーさん共々ホントに忙しそうだった。
「ううん。気にしないで」
その頃の先輩やママと同じくらいとはまだいかずとも、相当忙しいはずなのに、それを表には出さず薄く微笑んだ。
態度こそ鋭利なままだが、そんな状態でもあかねちゃんは本当に優しい。
何もしなければすんなり勝ち取れる主演の座を、芸能界のルールを無視して勝負してくれたこと自体、あかねちゃんの優しさによるものだと言えるのだが、そちらの理由はきっと優しさだけではないだろう。
「……ちなみに。おにいちゃんは、今日のこと知ってるの?」
私は言っていないし、あかねちゃんの方だってわざわざおにいちゃんに言う意味は無いと知りつつ、そろりとカマをかけてみる。
「え? あ、アクアくん? えっと、多分知らないんじゃないかな? 少なくとも私は言ってないよ」
それまでのクールビューティー然とした態度がどこへやら、わたわたと慌てて無意味に髪を整え始めた。
(やっぱり)
勝負のことを内緒にしているのは分かっていたので、確かめたのは別のことだ。
あの女の子は、おにいちゃんとあかねちゃんが一緒になって、復讐を続けるつもりで行動していると言っていた。
復讐すること自体には、私だってどうこう言うつもりはない。
アイツのことは未だ許せないし、このドラマ自体がどんな復讐に繋がるのかまでは分からないけど、それができるなら私だって手を貸したい。
だけど、それが周りにも迷惑をかけるのなら話は別だ。
B小町のメンバーやおかーさんを初めとした苺プロのみんな。
もちろんあかねちゃんだってそうだし、何よりもおにいちゃん……せんせが傷つくのなんて絶対我慢できない。
そうした大事な人たちを傷つけてまで、復讐をやる意味があるとは思えない。
そう考えているのは、私だけじゃなく、あかねちゃんも同じ。このまま復讐を続けていいか迷っているからこそ、私との勝負を受け入れてくれたと考えると辻褄が合う。
もしかすると、わざと負けて私に役を譲るつもりなのかもしれない。
でも──
「先に言っておくけど、手加減は必要ないからね!」
今日までいろんな人に助けられ、必死に演技の練習をしてきた。
何年も頑張ってきたあかねちゃんからすれば付け焼き刃にしか見えないだろうが、それでも譲られるような勝ち方ではみんなに申し訳が立たない。
さっきまでの勝負モードに戻ってもらおうとビシリと指さすが、あかねちゃんはその指を見ながら不思議そうに首を傾げる。
「うん。もちろん手加減する気は一切ないけど」
なんで今更。と言わんばかりの平然とした態度に今度はこっちが慌ててしまう。
「え? だって、今すごい動揺してたし」
「あれは、ルビーちゃんがいきなりアクアくんの名前出すから……」
さっきまで手櫛を入れて遊んでいた髪をそのまま前に垂らして顔を隠すような仕草をしながらイヤイヤと小さく頭を降る。
その状態で、あかねちゃんが一瞬、欠伸を噛み殺すような動きを見せたことでピンと来た。
「もしかして、あかねちゃん、今眠い?」
「え? えっと、ちょっとだけ。昨日遅くまでラインで話してたから。……あ、でも大丈夫だよ。コンディション整えるのも役者の仕事の内だし」
バツが悪そうに言ってから、慌てて言い訳を重ねる。
それだけでラインの相手が誰か丸わかりだ。
(しまったー! あかねちゃんも忙しいし、おにいちゃんもここ最近ずっとカントクさんのところで脚本書いてるって聞いてたから油断してた)
ここに来てからのクールな態度は、勝負モードになっていたからではない。
そうやって表情を引き締めることで、必死に眠気を抑えていたのだ。
同時に、そんな時間まで二人きりで話していた事実で、改めて確信した。
(やっぱり、
正直なところ、あかねちゃんとおにいちゃんが、もうビジネスカップルじゃ無くなっているのは結構前から気づいてた。
それでも、あの子から二人は共犯関係にあると聞いてちょっと安心していた。
二人の関係が変わったのは、本気で付き合っているからじゃなくて、同じ方向に向かって突き進む仲間、いわば私たちB小町のメンバー同士が持つ絆のようなものなんじゃないかと思ったからだ。
でも、今になって思えば、それも逃避だったのかもしれない。
前世からの想いを諦め切れなくて、諦めたくなくて見て見ぬ振りをして、都合の良い考えに縋り付こうとした。
それでも。
いや、だからこそ。
「もういいよ。始めよう、あかねちゃん」
この勝負だけは負けられない。
絶対に勝つ。
勝負に勝って、ママの役を手に入れて、復讐も止める。
少なくとも、勝負の前日に遅くまでイチャついているような、色ボケに負ける訳には──
「いいよ」
スッとスマホの電源を切るように、表情が一瞬で消え去った。
その状態で目を伏せ、再び開眼した時、星のような輝きが両目に宿っていた。
「じゃ、ルール決めよっか」
纏う雰囲気も口調も、今までのあかねちゃんとはまるで違う。
それは伝説のアイドル、星野アイそのものだった。
☆
「ル、ルール?」
アイを演じる私に気圧されたのか、ルビーちゃんは少し声を引きつらせ、一歩後ろに下がってしまう。
やりすぎただろうか。
私は演技をしていると人が変わったようになるとよく言われるので、いざ勝負となった時に驚かれないよう先に見せておこうと思っただけなのだが、これでは勝負が始まる前から相手を威圧して自分が有利になるように立ち回ったみたいだ。
もちろんそんなつもりはない。
むしろ、ルビーちゃんにはこの勝負で全力を出しきって貰わなくてはならない。
(今から普段通りに戻すっていうのもあれだし、ここは──)
「そ。普通なら監督さんとかプロデューサーに勝ち負け決めてもらえるけど、これは個人間オーディションでしょ? だから私たちで明確なルールと勝敗の決め方を制定しておかないとね」
「そっか。でも演技の勝敗ってどうやって決めるの?」
「そうだなー。じゃ、こうしよ。カントクさんから渡された台本に沿って互いに役を交換しながら二回演じる。それを一セットにして、終わる度にどちらが星野アイ役に相応しいかを審査して、二人の答えが揃ったら勝ち」
さも今思いついたように言うが、実際は昨日アクアくんと話してる最中思いついた方法だ。
五反田監督が用意した台本は、尺の関係で没になった星野アイと、チームメイトである元B小町のメンバーの掛け合い場面。
そこでは星野アイの輝きだけでなく、脆さも垣間見える。
つまり、短い間にアイドルと素面の両方を演じる難しい場面だ。
ルビーちゃんの実力がどのレベルかは想像しかできないが、演技歴一ヶ月の娘と一発勝負では簡単に決着がついてしまう。
だから、そうならないようにここから手を加える必要がある。
「揃わなかったら?」
「少し休みを挟んでもう一セット」
つまり決着がつくまで何度も同じシーンを演じることになるが、監督がオッケーを出さない限り、幾度もリテイクするのは珍しくもない。
それで腐らずに、繰り返しパフォーマンスを維持できるのも役者としての素質である。
「……」
ルビーちゃんの表情はまだ気圧されたままだ。
正直、ここまではやりたくなかったが仕方ない。
私は心配そうなルビーちゃんに向かって、ニンマリと自信に満ちた、ともすれば不遜とも取れるような表情と共に小さく肩を竦めて見せた。
「ただし、ルビーは特別ルールとして、勝敗に関して嘘を吐いてもいいよ」
「嘘?」
「そ。明らかに自分が負けたなーって思っても自分の勝ちって言って良いってこと」
「なにそれ」
ルビーちゃんの表情がムッとなる。
「そのままの意味だけど? 何回でも、ルビーが諦めるまで付き合ってあげる。そうじゃないと勝負にならないもんね」
さらに煽ると、もう完全にルビーちゃんは目を三角にしたまま唇を堅く結んで私を睨みつけた。
(あぁ。怒らせちゃったぁ)
当然だ。
こんな上から目線で言われたら誰だってこうなる。
だが、少なくともこれで気後れは無くなったはずだ。
「いいよ! そんなルールにしたこと、後悔させてやるんだから。言っとくけど、私絶対諦めないからね!」
再度指を伸ばして宣言すると、ルビーちゃんは一歩一歩怒りを放出するように大股で立ち位置に向かって歩き出した。
(うん。これで良し)
これがルビーちゃんを怒らせたもう一つの理由。
ルビーちゃんは周囲の雰囲気を読むことに長けている。
勝負開始前の第一声が、私のオフを潰したことへの謝罪だったことからもそれは明らかだ。
しかし、その気質が演技にまで出てしまうと困るのだ。
それこそ少し前までのかなちゃんのように、受けをメインとした誰かを照らす演技になりかねない。
アイドルとして誰よりも輝いていたアイを演じるなら、やっぱり太陽のように自身が眩しく輝く演技じゃないと。
ルビーちゃんにそれができるのかは分からないが、少なくとも邪魔になる要因は取り除いておく必要があった。
これで、負い目も気遣いもない、純粋な勝負が出来る。
「何回でも付き合ってあげる」
貴女の才能が開花するまで。
後半は口には出さず、代わりにニンマリと笑みを浮かべ、先に定位置についた