【完結】推しの子if ~あかねちゃんと一緒にアクアを救おうルート~ 作:日ノ川
歩道橋の上から望む道路を、車のランプが高速で流れていく。
車通りが多いこともあって、次々に流れている光が残像のように目に残ってとても綺麗だ。
その光景を私は少しだけ懐かしく思う。
ここは私にとって印象深い場所。
一年前、出演した今ガチで誹謗中傷を浴び、耐えられなくなった時、飛び降りようとしたのがこの歩道橋だった。
あの時は、この光景が妙に綺麗に見えたものだ。
後で少し調べてみると、自ら命を絶とうとする人は、死を苦しみからの解放と考え、その瞬間に安らかさを感じる人も居るそうだ。
あの時の私もきっとそんな気分だったのだろう。
だから、あの景色が綺麗に見えた。
じゃあ、今はどうだろう。
もちろんあの時とは違って私は死にたいなんて全く思っていない。
ただ少しだけセンチな気持ちになっているのも事実だ。そういう時は逆に景色が色褪せて見えると聞いたことがあるが、そうでもないのか。
それとも──
「……っ」
突如、後ろから抱きつかれる。
これも二度目だ。
落ち掛けた私を捕まえて引き戻してくれたあの時とは違う、優しい抱き方。
走ってきたのだろう、少し汗の匂いがする。
でも、嫌じゃない。
ううん。むしろ私の好きな匂い。
首もとに伸びた手を掴む。
「驚かないんだな」
声も少しだけ呼吸が上がっている。
その声も私の好きな声。
まだ後ろは振り向かずに、首だけ傾げて身を寄せた。
「来てくれるかなって思ってたから」
私の返答にアクアくんは、疲れたようなため息を落とした。
「だったらスマホの充電くらい確かめておけよ」
ラインや電話が繋がらなかったのは、スマホの充電が切れているからだと思っているらしい。
本当は、自分で電源を落としていたのだが。
とはいえ、勘違いするのも無理はない。
この世界で生きていて、上を目指している人なら誰だって、こんな真似はしない。それをアクアくんも熟知しているからだ。
いつ何時プロデューサーを始めとしたお偉いさんから呼び出されないとも限らない。
呼び出されたら夜中だろうとなんだろうと現場に出向くこともあれば、お偉いさんにお酒を注ぐキャバクラごっこをさせられることすらある。
正直馬鹿げた風習だし、私自身これが正しいなんて欠片も思っていない。
でも、容姿や才能だけじゃなく、コネと運も必要な芸能界でチャンスを逃すことは死を意味することも分かってる。
だから、みんな不満を抱きつつもそれを受け入れているのだ。
私だって、この世界でもっと有名になって、演技を続けたいから同じことをしてきた。
でも、今だけは、そんなこともどうだっていい。
今夜は誰の邪魔も入れさせない。
それに、スマホが通じなくても、アクアくんなら私の場所を調べることができる。
「はぁ。前の時と良い、勝手に付けた俺が言うのもなんだけど活用してるな」
私が答えないことで電源を切っていたのがわざとだと気付いたのだろう、アクアくんの視線が私の持つぬいぐるみ、その中に入っている発信機に向けられる。
そう言えば前にも同じやり方でアクアくんを誘導したことがあった。
でもあの時と今回では意味が違う。
あの時と異なり今回はアクアくんが来ない可能性だってあった。
かなちゃんの告白を受け入れる可能性が。
電源を切っていたのは、それも理由の一つ。
アクアくんがかなちゃんの告白を受け入れた場合、その報告を電話なんかで聞かされたくなかった。
でも、アクアくんはこうして会いに来てくれて、抱きしめてくれている。ということは……
「かなちゃんは?」
「……告白された」
一瞬震えそうになる手をアクアくんが強く握って続けた。
「でも、断った。俺にはあかねがいるから」
ああ。
アクアくんの言葉で、私が感じたのは喜びや安堵だけじゃなかった。
(ごめんなさい)
心の中で謝る相手は三人。
かなちゃんとルビーちゃん、そして……アクアくん。
アクアくんが本当はかなちゃんに惹かれていたことを私は知っている。
ルビーちゃんとの間に単なる兄妹以上の繋がりがあることも。
本当なら、アクアくんはその二人のどちらかを選んでいたんだろう。
さっき言っていた前回GPSを付けていたことを私が気づいて呼び出した時、アクアくんは謝罪して私と別れようとしていた。
それを遮って復讐の共犯者になると言って引き留めたことで本来のルートから無理やり引き剥がしてしまった。
あの時はそうしないと今度こそアクアくんが壊れてしまうと思ったから。
だから私がアクアくんを守らないといけない。と必死になって色々やってきたつもりだったけど、それが単なる過保護でしかないことに気付かされたのはつい先日。
片寄さんへの対応をアクアくん一人でやったことに、不満を抱いた私に彼が告げた一言。
(決断まで相手に委ねたらそれはもう依存、か)
分かっていたつもりだった。
恋愛とはどちらかがどちらかに依存するのではなく、対等な立場で互いを支え合うものだと。
それなのに私はいつの間にかアクアくんが自分に頼ってくれるのが当たり前だと思って、そうしなかったことを責めてしまった。
結局、自分一人で考えて動いても、片寄さんを説得できたし、素直にみんなを頼れるようにもなった。そんなアクアくんを見て気付いてしまった。
私のやってきたことは、彼の為どころか、その成長を阻害していただけなんじゃないだろうか。と。
だから、怖かった。
私のやってきたことを理解したアクアくんは、自分で考え行動するようになったアクアくんは、かなちゃんに告白されたら、受け入れてしまうんじゃないかって。
(でも、アクアくんはここにいる)
私を選んでくれた。
それを喜んでいる自分に気付く。
こんな私がアクアくんに選ばれる資格なんて──
「ふぎゅ」
突然、頬を摘まれ引っ張られて変な声が出た。
「はくはくん?」
「あかねがなに考えているのか、何となく分かるけど。それは違うぞ」
「え?」
戸惑う私をアクアくんは強く抱きしめる。
「俺が有馬の告白を断ったのも、ここに来てあかねを抱きしめてるのも」
一度言葉を切って、緊張を隠すかのようにゴクリと唾を呑む。
やがて覚悟を決めたように、アクアくんは続けた。
「……あかねを愛してるのも、全部俺が自分の意志で選んだことだ」
「──あ」
初めて、愛してると言ってくれた。
守りたいとか、大切だとかは何度も言われてきたけど、この言葉だけは言ってくれなかったのに。
「俺はずっと、人を愛する資格が無いって思ってた。アイのことも救えず、直接復讐を成し遂げることもできなかった。それなのに、未練がましくまだ復讐にしがみついて、いろんな人を傷つけた。そんな俺が誰かを愛して良いはずがない」
やっぱりアクアくんはいつも自分を責めている。
そうじゃないのに。
悪いのは貴方じゃない。
それを言い掛けて、はたと閉口する。
自罰するアクアくんを否定するのは、今の私を否定することでもあると気づいたからだ。
「フッ」
私が口を閉じた理由を察したアクアくんがニヤリと笑う。
「いじわる」
「ああ、そうだな。俺が間違ってた。人が人を愛するのに資格なんていらない。だからあかねも自分を責める必要なんて無い」
「アクアくん……」
肩を掴んだアクアくんがそのまま私を振り向かせる。
同時に少し腰を落としたことで、目線が合った。いつもと同じ、ううん。いつもより強く輝く星の瞳が私だけを見つめていた。
「俺は、あかねを愛してる」
再度、今度は最初よりも力強い告白に、私は大きく頷いて応えた。
「私も、アクアくんのこと、愛してる」
ずるい子でも、悪い子でも良い。
誰になんて思われようと、アクアくんの側を離れたくない。
愛してほしい。
愛してあげたい。
絶対、誰にも渡したくない。
いろんな感情が一気に押し寄せて、それが涙となって頬を伝っていく。
「あかね」
アクアくんの指先が優しく私の頬を拭おうとした瞬間、私は彼の首もとに手を回し、そのまま口付けた。
「なっ」
驚く彼に笑みを浮かべる。
「いつも、アクアくんからしてもらってばっかりだったから」
キスはいつもアクアくんの方からだった。
ちょっとした意趣返しのつもりだった私に、アクアくんは子供のようにむっとした顔をしてから、私を強く抱きしめてキスを仕返した。
触れるだけだった私のとは違って、とても長く、とても深く。
「ぷはっ」
呼吸も忘れるような甘美な口付けは、私の息が続かなくなるまで続いた。
やがて。
唇を放した後、呼吸を整えながらじとりと睨むが、アクアくんはいたずらっ子のように目を細めて笑った。
「おかえし」
※
それからしばらく私たちは同じ場所で景色を眺め続ける。
その間私はずっとアクアくんの腕に抱きつきながら、たわいない会話を楽しんでいた。
でも、そんな最中も頭に浮かぶのはさっきのアクアくんの告白。
「んふふふ」
「なんだよ」
「ううん。さっきのこと思い出してただけ」
「さっき?」
「うん。愛してるなんて、初めて言われたから」
ちょっと揶揄うようなニュアンスを混ぜると、アクアくんは恥ずかしそうに頬を掻いて視線を逸らそうとしたが、私はそのままじっとアクアくんの顔を見つめた。
俺も初めて言った。と言って欲しかったからなのだが、さっと目を逸らされる。
その仕草でピンと来てしまう。
「ふーん。アクアくんは私に言ったのが、初めてじゃないんだ。いつ? 誰に?」
「いや、違くて」
言い訳をしようとするアクアくんを見つめながら、思考を覗こうと高速で頭を働かせる。
そんな私の視線に、諦めたように肩を落としたアクアくんは言いづらそうに告げた。
「ついさっきだ。有馬に向かってあかねのことを愛してるって言った」
その言葉に嘘はなさそうだ。
この言い方だとかなちゃんの告白への断り文句だったのかもしれない。
それなら言いづらくても当然だ。
とはいえ、アクアくんにとって大事な言葉を他の人に先に言われてしまったことに、理不尽と知りつつ不満を覚える。それがかなちゃん相手なら尚のこと。
嫌みの一つでも言ってやりたくなるが、直後あることを思い出してしまう。
「あ……そ、そうなんだ。それなら仕方ないね」
出来る限り平静を装うとしたのだが上手くいかず、声が上擦ってしまった。
「……」
当然アクアくんがそれを見逃すはずもなく、さっきまでの私同様ジトリと訝しげな視線を向けてくる。
これはもう誤魔化せそうにない。
「実は。私もアクアくんより前に、ルビーちゃんにアクアくんのこと愛してるって言いました」
「ルビーに? ふーん」
怪訝な様子を見せつつも、一応納得を示す。
私とルビーちゃんがアイ役を求めて個人間オーディションで争ったことは知らないはずだが、彼女が兄へ向ける以上の好意を抱いているのはアクアくんも気づいていたはずなので、私たちの間にも何かがあったと思ったのだろう。
「……」
「……」
微妙に気まずい沈黙が流れたが、それも少しの間だけ。
図らずも、互いに同じようなことをしていた事実におかしさがこみ上げてくる。
「ふっ」
「ふふっ」
私たちは同時に吹き出した。
☆ ☆
「もうこんな時間か」
ひとしきり笑い合った後、時間を確認する。
夜の十時過ぎ。
都条例で禁止されている未成年の外出時間まではまだあるが、これ以上一緒にいると妙な気が起こってしまいそうだ。
(あの時もここだったもんな)
宮崎旅行に行く前に話した時、色々テンパっていたあかねから、告げられた言葉が蘇る。
『キスだってHだってやじゃないよ?』
ビジネスカップル時代はさておき、正式に付き合うようになってからもそれなりに時間も経過したとはいえ、本当の意味で気持ちが通じ合ったのはついさっきのこと。
その日の内にというのは流石に。
(ガッツき過ぎだろ。高校生じゃあるまいし……いや、高校生で良いのか?)
少なくとも今の俺は肉体的に高校生なんだから別に──
とそこまで考えてから心の中で頭を振る。
明日も撮影があるし、何より俺があかねに会っていることは有馬が知っている。
アイツ経由でルビー辺りに知られたら何を言われるか分かったものじゃない。
「……送ってくよ」
できるだけ平静を装って告げる。
「うん」
あかねも小さく頷いて同意したが、その声が残念そうに聞こえたのは気のせいではないだろう。
だが、それはきっと俺の考えている理由とは違う。
もともと、この歩道橋はあかねの家と近場のコンビニの中間に位置するため、ゆっくり歩いたとしても十分と経たず家に着ける。
改めて思いを通じ合わせた今の俺たちには短すぎる時間。
それを残念に思っているだけだ。
自分に言い聞かせるように心の中で思い、振り返って歩き出す。
僅かに間を空けたから、あかねも着いてくるが、その足音は二歩三歩と歩いていくうちに鈍くなり、やがて止まってしまう。
「あかね?」
立ち止まっていることに気づいて振り返ると、やはりあかねは足を止めてじっと俺を見つめていた。
直に覚悟を決めたような顔つきになって距離を詰めると、行き場を失っていた俺の手に、そっと自分の手を重ねた。
「今日は。帰りたく、ない」
今時少女マンガの中でも聞くことの無くなった台詞を現実で聞く日が来ようとは。
あかねもそれを分かっているからなのか、先ほどまでとは異なり、羞恥に顔を赤く染めたまま、それでも視線は逸らすことなく俺をまっすぐ見つめていた。
その瞬間、唐突に気づいてしまう。
同時にこみ上がってくる感情を抑えることが出来ず、つい笑ってしまった。
「くっ、あはは」
「あー! 笑った!」
更に顔を赤くするあかねに、空いているもう片方の手を振りながら否定する。
「いや、そうじゃなくて──」
これは本当だ。
笑ってしまったのはあかねじゃなくて、その瞳に映る俺の姿を見てしまったからなのだから。
あかねと同じほど恥ずかしそうな、情けない顔をしている俺の姿は、転生者でも復讐者でもない、ただの高校生にしか見えなかった。
「もー、いい」
膨れ面で離れようとするあかねの手を今度はこっちから掴んで引き寄せる。
「え?」
復讐は終わってないと思っていたけど、そうじゃない。
少なくとも、俺はとっくの昔に復讐者じゃ無くなっていたのだと今になって気づいた。
このドラマ撮影も、復讐の為じゃない。
俺や、俺の大切な人たちを守る為のものなのだと。
だったら、今度こそ良いんだ。
普通に生きて、普通に幸せになっても。
「アクアくん?」
黙り込んでしまった俺を心配そうに見つめるあかねに笑いかけ、そのまま抱きしめる。
「俺も、帰したくない」
あかねの言葉に合わせた返答に、胸の中にいるあかねはまたからかわれたとばかりに一瞬身を堅くするが、すぐにそうじゃないと気づいたのだろう。
力を抜くと、俺を抱きしめ返す。
「うん」
俺たちの関係も、付き合ってからの時間も嘘に始まったものだけど、今ここにあるこの気持ちだけは嘘じゃない。
「愛してる」
どちらが言ったのかも曖昧な、けれど本心からの言葉。
頭上で瞬く星は、とても美しく、俺たちを照らしていた。
この後盛り上がってしまった二人については飛ばして、次回から新編に入ります