【完結】推しの子if ~あかねちゃんと一緒にアクアを救おうルート~   作:日ノ川

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前回と合わせて一つの話なのでいつもより少し短いです


第60話 変化・後編

「はい。コーヒーで良かった?」

 

「ありがとうございます」

 

 自動販売機の隣にソファが設置された、簡易休憩スペースに連れてこられた。

 スタッフの人たちは準備で忙しいのか、周囲に人の気配はない。

 つまり内緒話をするにはうってつけの場所ということだ。

 

 缶コーヒーを受け取りながら自分の分を買う片寄さんの後ろ姿を眺める。

 名実ともに若手トップの女優でありながら、明るく社交的でスタッフにも偉ぶったりせず接していて評判も良い。

 

 かなちゃんや姫川さんみたく偏屈というか独特な世界観を持っている人が多い役者の中では珍しい真っ当な良い人という感じだが、アクアくんに言わせると、今の彼女はかつての彼同様、復讐に前のめりになっていて、周りが見えなくなっているらしい。

 つまり今のこの姿は演技なのだろうが、自然すぎてそうは見えない。

 それがこちらを油断させる手段かもしれない。と自分に言い聞かせているとフフッと小さな笑い声が漏れ聞こえた。

 

「そんな怖い顔しないでよ」

「え?」

 

 後ろを向いているのにどうして。

 買った飲み物を取り出しながら振り返った片寄さんは薄く笑っていた。その笑顔はさっきまでの人当たりの良い笑顔とは別種のものだ。

 

「ここ。電気代ケチってるのか照明が暗いからね。角度によっては反射で後ろが見えるんだよ」

 

 自動販売機を軽く叩きながら言う。

 落ち着いたこげ茶色の本体は確かに鏡のように反射しそうだ。

 

「ダメだよー? 板上と違ってカメラ撮影はどこでも出来るからこそ、常に全体を把握しておかないと。うっかりしてると変なところ撮られるよ」

 

 くすくす笑いながら蓋を開け買った飲み物を一口。

 彼女はそのまま隣に置かれたソファに腰を下ろし、チラリと隣に目を落として私を誘う。

 

「いえ、私はここで」

「そう?」

 

 思わぬ形で先手を取られ、これ以上イニシアチブを握られるのはまずいとこっそりと気合いを入れ直す。

 今更ながらアクアくんが片寄さんはそういう自然な演技が抜群に上手いと言っていたことを思い出した。

 

「黒川さんって、星野アクアと付き合ってるんだよね?」

 

「はい。もう一年以上になりますね」

 

 本当の意味で付き合い出したのはつい最近だが、それを言う必要はない。

 

「ふーん」

 

 探るような口調の彼女の意図を読み解こうとするが、その前に彼女は人好きのする笑顔のまま続けた。

 

「じゃあ、ごめんなさいね」

 

「え?」

 

「この間、彼と撮影した時、もしかしたら背中に傷付けちゃったかも知れないから。私、濡れ場は初めてで加減が分からなくて」

 

 表情一つ変えないまま、さらりと投げかけられた言葉の意味を理解した瞬間、感情がざわめくがそれが表に出るギリギリのところで落ち着きを取り戻して、下を向く。

 狙いが明確だったからだ。

 同時に、彼女が言っていたカメラ演技の心得を実践して、見えない角度でも敢えて笑みを形作る。

 

(明らかな挑発。私を怒らせて演技に集中させないようにするつもりかな)

 

 勝負の内容を考えれば、あり得ない話ではない。

 アクアくんが名作を作る為に色々しているように、片寄さんはそれを邪魔する為に、主演である私の集中を乱そうとしている……

 

 いや、それはおかしい。

 アクアくん曰く、こんな勝負を受けたこと自体、片寄さんが女優として高いプライドを持っている証拠。

 それなら他者を煽り、作品の質を落とすような真似をするはずがない。

 だとすると……

 

(あ、そっか)

 

 目線だけ動かし、こちらをじっと見つめてくる彼女を見て、何をしたいのか理解し、私は即座意識を切り替え、笑顔のまま顔を持ち上げた。

 

「そう? 気づかなかったなぁ。少なくともこの間見た時はそんな傷無かったですよ?」

 

 挑発に気づいた上で煽り返す。

 そんな私を見て、片寄さんはそれまでとは違った意味で楽しそうな笑みを浮かべた。

 

「あはっ。アイならそうするんだ?」

 

 そう。

 ここまでの態度は全て演技。

 今日これから撮影することになっている、アイによる姫川愛梨の糾弾シーンのリハーサルといったところか。

 

 当然だが、今から撮る場面がこんな内容な訳ではない。

 内容そのもののリハーサルではなく、互いの配役に応じた即興劇(エチュード)によって相手の力量を把握しておく為のもの。

 だから演技の意図をしっかりと説明する。

 

「相手によりますね。挑発されても受け流す場合と、乗る場合。今回は多分後者だと思います」

 

 この前かなちゃんと撮ったニノから罵倒されたシーンもそうだが、アイは人の気持ちを慮ることを苦手としている為、適当な返事をして逆に相手を怒らせることもある。

 だが、姫川愛梨が相手なら話は別だ。

 

 斉藤さんにスカウトされ、アイドルになった頃のアイは基本的に受け身で、言われたことだけを淡々とこなすタイプだったはず。

 そんな彼女が、初めて見つけた同類がカミキヒカル。彼を姫川愛梨の性被害から助けるために動いた彼女なら、ここは受けて立つはずだ。

 

「うんうん。これならお互い抑える必要はなさそうね。本番が楽しみ」

 

「私も楽しみにしてます。良い作品……いいえ、名作にしましょう」

 

 賭けのことは聞いていると言外に匂わせつつ笑い合う。同時に心の裏で思考を巡らせた。

 

(このプロ意識。この人の名作へのハードルはかなり高い)

 

 そうなるとやっぱりダンス部分でも手を抜くわけには行かない。

 何とか手を考えないと。

 監督や演出の仕事に口を出すのは個人的には好きではないが、そうも言っていられ無そうだ。と改めてそちらの覚悟も決めた。

 

 

   ☆

 

 

 片寄ゆらが離れてから、黒川は軽く息を吐いて今まで座っていなかったソファに腰を下ろすと、貰ったコーヒーの蓋を開け一口飲んだ。

 それを見ながら近づいて声をかける

 

「よう」

 

「姫川さん? どうしてここに。──聞いてたんですね?」

 

 黒川の瞳が細くなる。

 普段はボンヤリとしているが、こうなった時の洞察力は並外れている。

 隠しても無駄だろう。

 

「ああ、アクアと一緒にな。まあ、アイツは途中で近づいてきたスタッフを引き離してそのままカントクのところに戻ったから後半部分は聞いてないが」

 

「アクアくんも一緒だったんだ。ならいいですけど、それならどうして黙ってみてたんですか?」

 

 アクアが一緒にいたという情報だけで、俺たちがここにいた理由や俺がアクアから任せられた役割まで推理する辺りは流石だ。

 

「だって、女の喧嘩って俺好きじゃないし。っていうか怖い」

 

「女の子がいる夜の店好きなのにですか?」

 

「だからこそだよ。俺はカジュアルに遊ぶのが好きなんだ。ああいう生々しいのはちょっと」

 

「ハァ。情けない」

 

「黒川って最近、俺に対して辛辣だよな」

 

 誰にでも穏和に接する黒川が、一部の人間に対してかなり辛辣になるのは東京ブレイドの舞台で、有馬に接しているのを見て知っている。

 とはいえ、子役時代に確執があったらしい有馬はともかく、俺は別に何もしてない。

 

「アクアくんを誘おうとしてるの知ってますから」

 

 訝しむ俺をひと睨みしてから吐き捨てるように言う。

 

「あぁ」

 

 そう言えば、俺の異母弟だと分かってからは何度か夜遊びに誘ったりもしていた。

 アクアにその気が無いと分かってからは自重して誘っていないが、恋人としてはあまり良い気がしないのも分かる。

 それにしても過剰すぎるが、その理由も何となくだが理解できた。

 

「言っておきますけど、アクアくんは未成年ですよ? それ以前に、私はカノジョとしてアクアくんをそういう店に連れていくのは──」

 

 グイと顔を近づけて圧を掛けてくる黒川の眼前に指を突き立てる。

 その指が邪魔で前に出られず、困惑する黒川に向かって告げる。

 

「それ」

「え?」

 

「さっきの生々しい返答もそうだけど、その潔癖すぎる独占欲も典型的で分かりやすすぎる」

 

「分かりやすい?」

 

 言ってる意味が分からない。と首を傾げる様を見るに、狙って匂わせているのではないようだ。

 それなら尚更忠告しておくべきだろう。

 

「インタビューの内容や例え話の変化、人によっちゃ演じ方、いや歩き方だけでも雰囲気変わったって見抜けるかもな」

 

 得てしてこの手の変化は本人たちには分からないものだが、周囲から見れば明白だ。

 特に演じていない時の素の黒川は良い意味でも悪い意味でも、感情が顔に出やすいからなおのこと。

 

「内容。例え話。歩き方。……っ!!?」

 

 一つ一つ思い出すように呟いていた黒川だったが、ようやく俺の言っている意味に気づいたらしく、一気に顔を恥辱に染め、押し黙る。

 

「俺が指摘すんのもどうかと思ったが、今日は有馬たちもいないしな」

 

 未だ言葉を取り戻せず、わなわなと震える黒川を落ち着かせようと言葉を重ねる。

 

「お前の言うようにアクアはまだ未成年だろ。俺も今後は気を付けるが、お前も気を付けてやれ」

「は、はい」

 

 さっきまでとは打って変わって消え入りそうな声と共に頷く黒川に薄く笑い掛ける。

 

(まあ、分かりやすいのはアクアも同じみたいだけど)

 

 俺が今までアクアを誘っていたのは、降って湧いたように現れた異母弟と交流を深めようとした以上に、アイツが妙に大人びているというか、カジュアルに遊ぶのが得意そうなタイプに見えたからだ。

 

 しかし、今日の様子を見て、そうでもないと気がついた。

 黒川ほどでは無いものの、アイツもアイツでかなり分かりやすく浮かれている。

 

 最初は何となく雰囲気が違う程度の違和感だったが、その変化が演技にも影響が出ていそうだったので、探りを入れる為に撮影が終わってからもマネージャーに無理を言って次の仕事まで少し時間を作って貰った。

 

 自分で言うのも何だが、俳優として多忙の俺が時間を潰していることに特に疑問を抱いていないこともそうだが、こちらが異母兄弟であることを匂わせた時は釘を刺してきたくせに、自分は兄呼びして頼み事するチグハグさも含めて、違和感は強まった。

 

 それ自体は片寄と黒川の諍いを心配してのことだったようだが、それだけとは思えなかった。

 だが、黒川の発言でようやく納得した。

 

 今のアクアは、普通の高校生みたいに浮かれている。

 それが初体験を済ませたからなのか、どこかビジネスライクだった黒川と本当の意味で絆を結んだからなのかは知らないが、それ自体には素直に安堵した。

 いつか、金田一さんが言っていたことを思い出したからだ。

 

 俺やアクアの演技はマトモじゃない奴が普通の振りをするための異質な演技。

 だが、今のアクアはそうじゃない。

 アイツの欠けていたものはもう、埋まったみたいだ。

 

「良かったな」

 

「え?」

 

 俺の呟きを拾って首を傾げる黒川に手を振って誤魔化す。

 

「いや、何でもない。それよりあの人の方は大丈夫なのか?」

 

 詳しい内容はまだ分からないが、話し振りから演技で勝負しているように聞こえた。それもかなり面倒な勝負を。

 俺の問いに表情を引き締めた黒川は力強く頷く。

 

「はい。姫川さんにも後で説明しますけど、今日は大丈夫です。私とアクアくんで相談して乗り切ります」

 

 きっぱりと宣言する様を見て、改めて確信した。

 俺の弟の欠けていた部分を埋めてくれたのは、黒川あかねの存在だと。

 

「んじゃ俺は次の仕事あるから、そろそろ行くわ」

 

「あ、はい。お疲れさまです」

 

 もう一度手を振って、その場を後にしようとして、途中で振り返る。

 

「もう一つ、言い忘れてた」

 

「なんですか?」

 

「撮影終わったら打ち上げかねて、みんなで海行くから、新しく水着買っておけよ。なるべく露出の高いやつ。アクアが他の女に目移されても知らねぇぞ?」

 

「姫川さん!」

 

 怒りの声を上げる黒川から逃げるように足早にその場を後にしつつアクアのことを考える。

 

 欠けた部分が埋まってマトモになるのは、一般的には良いことかもしれないが、良くも悪くも異質な人間ばかり集まる、芸能人としては良いことばかりではない。

 

 少なくとも今回のことで、アクアは金田一さんが気に入っている面白い異質な演技が出来なくなるかもしれない。だがまあ、そちらに関しては問題無い。

 それならそれで、先輩俳優、そして。兄として俺が面倒を見てやればいいのだから。

 

「ついでにメルトも誘ってやるか」

 

 ふと、もう一人の弟子の姿を思い出す。

 

 教えた際は、しっくり来ていないようだったが、こうしてスムーズに撮影が進んでいる以上、アイツも慣れない中年役を上手くこなしていることになる。

 

「俺の指導で何か掴んだんだな」

 

 ララライでは金田一さんが役者同士で演技の駄目出しをすることも良しとしていないこともあり、教える方は手探りだったのだが案外俺は指導者も向いているのかも知れない。

 

 さてアクアにはどんな指導をしてやるか。と考えながら、スタジオの出口に向かって歩を進めた。




アクアが変わっても良い変化ばかりじゃなく、役者としてマイナスの変化も起こりえる訳ですが、それでも今の彼らなら周りがちゃんとサポートしてくれる。という話でした
個人的に姫川さんの演技は人を観察して技術を吸収するものなので、あかねとは違った意味で観察眼に優れていると思っていますが、完全ではない感じです
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