【完結】推しの子if ~あかねちゃんと一緒にアクアを救おうルート~ 作:日ノ川
結論から言うと、その日の撮影は失敗に終わった。
「……カット」
「はい、カット。……それで監督。今日はそろそろ──」
何度も繰り返したためか、少し疲れた様子の助監に恐る恐る提案されて、腕時計に目をやる。
まだ予定の時間自体は過ぎていないが、未成年がいる以上、着替えやらを含めると確かにそろそろ限界だ。
(諦めるしか、無いか)
「……そうですね。ただ、終わる前に明日の予定を話したいんで、みんなは帰らせないで下さい」
心の中でため息を吐きながら指示を出す。
カントクとの約束を果たさなくてはならない。
みんな、特にあれだけ頑張っていたあかねに伝えるのは気が重いが、だからと言って今日の出来で妥協しては、これまで取っていた完璧で究極のアイドルというアイの像と一致しない。
何より俺自身が納得できない。
「了解です」
言葉少なに頷き、スタッフに指示を出す。
やがて、指示が役者にも伝わったらしく、重たそうな体を引きずりながらステージを降りていく様子がカメラに映り込む。
そんな中、あかねがカメラの方を見て申し訳なさそうに小さく頭を下げてきた。
これまでは何度リテイクを告げられようとずっとアイとして自信満々な態度を維持していたが、撮影終了を告げられたことで演技を止めたらしい。
そんな彼女にむしろこっちが申し訳なくなるが、周囲の目があるこの場で弁明に行くわけにもいかない。
全員がステージから捌けた後、演出が近づいてくる。
「で、どうします? 予定より大分遅れちゃってますけど。明日一日で撮りきれますかね」
サラリと言われた台詞に疑問を覚えた。
カントクとの約束で、一日目に結果が出せなかったら、以前提案したカット割りを多用する方法で撮り直すことが決まっていたはず。
伝わっていないのか。
いや、他のスタッフはともかく、演出とはそれを前提にしてそちらの手法での撮り方についても話し合ったのだから、そんなはずは無い。
眉を顰めたままの俺に、演出は何も言わず目を逸らした。
(そういうことか)
おそらく彼は理解している。
俺がカントクと同じやり方で撮影しても、二番煎じどころかそれ以下の劣化コピーにしかならないことを。
このドラマにとって最も重要な見せ場であるラストライブのシーンが最初のライブより完成度が低かったら、確実にドラマ全体の評価が下がる。
そうならないようにするには、これが最後のチャンス。
ここで演出を含めた他のスタッフと話し合い、何か突破口が見つかれば、それを元に再度カントクを説得できるかも知れない。
そう考えて演出はカントクとの約束を他のスタッフには黙っておいたのだ。
俺がそこまで理解したと気づいたのか、演出が素知らぬ態度で話を切り出した。
「監督がリテイク繰り返してる理由は黒川さんのパフォーマンス不足、ですか?」
「いえ。彼女のパフォーマンスは決して下手じゃない。というか本職の現B小町組が他のフォローに入ってやや完成度を落としていることを考えると、出来自体は七人の中で一番かもしれない」
そう。
あかねは何も悪くない。
アイほど才能に溢れた人間が十二歳のデビューから八年掛けて磨き上げたパフォーマンスを、役が決まってから換算しても精々数ヶ月しか経っていないあかねが完全に真似できるはずがないのだから。現にアイ譲りの容姿と才能を受け継いだルビーでさえ、現在の域にまで辿り着くのにも年単位の経験を積みあげている。
そもそも演技とはそういうものだ。
本来出来るはずのないことを役者の演技力や、カメラワークや演出、時には合成やVFXなどの画面効果を使って出来ているように見せかける。
その意味であかねの演技力とダンスパフォーマンスは十分過ぎるほど仕上がっている。
実際、カット割りの多様というやり方をしたとはいえ、カントクが撮った時は、アイ役としての説得力が感じられた。
つまり、問題は俺の力不足。
だがそれも初めから分かっていたことだ。
「二台同時で撮って手数で補おうと思ったんですが……」
頭の中にある最高の画を狙った通りに出力できる程の実力が自分にはまだ無いと分かっていたからこそ、二台同時に撮ることで試行回数を増やし、偶然でもいいから良い画が撮れないかと思って繰り返していたのだが、そう甘くは無かった。
「……いっそのこと、別撮りにしますか」
ため息を吐く俺に向かって、助監がボソリと小さな声で提案する。
実際の後期メンバーは人気では差が付いていてもちゃんと認知されるくらいの存在感と知名度はあったが、今回の映画では現実と異なり初期メンバーがそのまま残っているという構成にしていることもあり、アイ以外のメンバーは言い方は悪いがバックダンサーに近い立ち位置だ。
ならば、その六人を纏めて撮ってしまい、アイ役であるあかねだけ後から撮影して合成しようという案だ。
だが。
「バカ。動きが少ないならともかく、B小町のダンスは激しい。プロならともかく素人も混ざってんのに被らないように気を使いながら踊るなんて出来るわけねーだろ」
俺が否定する前にカメラマンから指摘が入る。
「あ、そっか」
「じゃあ、いっそのこと、黒川さんにだけVFX盛りまくって特別感を演出するとかどうですか?」
別の若いスタッフ(当然高校生の自分よりはかなり年上だが)の軽口に曖昧な笑みを返す。
ここまでの撮影でアイのことは完璧で無敵なアイドルとして撮っているため、それぐらい特別扱いしてもいいんじゃないか。と考えての発言だろうが、アニメや特撮ならともかく、実写ドラマでそれをやってはギャグにしかならない。
「……でしたら。顔が映るシーン以外、スタントを使うのはどうです?」
黙って成り行きを見守っていた演出が提案する。
さも今思いついたような口ぶりだったが、その声には自信が込められていた。
恐らく、いや確実に最初から考えていたアイディアに違いない。
要は演出は撮影プランを話し合っていた時から、俺の実力不足を感じていて、撮影が上手くいかなかった時に備えて対策を講じていたのだろう。
それならスタントの当ても既にあると見て良い。
(確かにそうすればアイの特別感を演出できる)
現B小町はあくまでアイドルのプロ。ダンスを本職としている人の方が技術は上だろうからアイの圧倒的パフォーマンスを演出できる。
その上でアップのシーンだけあかねに演じて貰えば、俺が望む画に近づけることが出来るだろう。
だが、それでは。
「すみません。考え纏めたいんで、少しコーヒー飲んできます。役者は少し待たせておいて下さい」
一声かけて席を立つ。
背中に多くの視線が突き刺さっているのが分かる。
舐められなくなったのは良いが、今度は気を使われているどころか、子供扱いを受けている気がしてならない。
それもこれも自分の才能の無さが原因だということは、言葉にせずとも分かっていた。
「フゥ」
スタジオの端にある自販機でコーヒーを買い一息入れる。
こういう人気のない場所を探すのは昔から得意だった。
今は誰とも会わず、自分の中で答えを見つけたい。
撮影現場に於ける監督の仕事とは自分の頭の中にある正解の画を現実に引っ張り出すことだ。
もちろん一度こう撮りたいと決めたからといってそこから一切ブレてはいけない決まりはない。
むしろ、さっきのように周りから色々な提案を受けたり、役者の演技を見てもっと良い画が浮かべばそちらに変更する。
ようは、周囲の様々な情報や状況の中から取捨選択をして、これが正解だと決めるのが監督の仕事だ。
だが今の俺はまだその正解が見えていない。
(いや、そうじゃないか)
見えているが、何度撮ってもそこに辿り着けないだけだ。
妥協は許されない。
このやり方が自分の我儘から始まっていると言うこともあるが、あかねが演じるのは、ただのアイドルではなく、未だ伝説として語り継がれる究極のアイドル。
今のパフォーマンスのまま公開してしまえば、名作どころか、その部分だけを切り取られて比較動画を作られ、ネットの玩具にされかねない。
ただでさえあかねは、今ガチの事件のせいでネットと相性が良くない。
そう考えると、演出の言うように決めシーンのみをあかねに任せ、それ以外はプロのダンサーなどを雇ってスタントをやってもらうのも悪い手ではない。
しかし……
「こんなところにいた」
すぐ近くから声を掛けられ、驚いて顔を上げる。
こんなに接近されるまで気づかないとは。
よほど集中してしまっていたらしい。
「探したよ。お兄ちゃん」
いつもと違う薄茶色のウイッグは元B小町の高峯役に合わせたものだが、ドラマ内での高圧的な役柄とは真逆の、いつもの屈託の無いルビーの笑顔にギャップを感じてしまう。
それはまるで──
「……さりなちゃん」
もし彼女の病気が治り、アイドルをしていたらこんな感じになるんじゃないかと、錯覚してしまう程に。
☆
お兄ちゃんがぽつりと、本当に小さな声でその名を呼んだ瞬間、呼吸が止まった気がした。
動揺を隠して隣に腰を下ろす。
「スタッフさんに聞いたら、コーヒー飲みに行ったっていうから探したのにどこにもいないからさぁ。なんでこんな隅っこにいるの?」
「ちょっと考えごとをな。そっちこそ、休憩しなくていいのか?」
さっきの声が、私に聞こえていないと思ったらしく、お兄ちゃんはいつもの態度に戻って私に笑い掛ける。
「私は現役アイドルだよ? これぐらいなんてことないよ。まあ、ちょっと喉は渇いてるけど」
チラチラ窺いながら告げると、お兄ちゃんは少し疲れたように苦笑した。
「何か飲むか?」
「んー。あ、それで良いよ」
それ。と言いながらお兄ちゃんが飲んでいた紙コップのコーヒーを指さすと、怪訝な顔をする。
「ブラックだぞ。それも飲み掛け」
「どっちも問題なし。ほら早く早く」
催促すると、お兄ちゃんは間を空けてから諦めたように息を吐いた。
「ほら」
「えへへ。ありがと」
「お前は一度言い出したら聞かないからな」
「そんなことないよ」
紙コップを受け取りながら頬を膨らませ、コーヒーに目を向ける。
今度は、私の動きが止まる番だ。
既にコーヒーは半分くらいしか残っていない。
飲み口には当然お兄ちゃんも口を付けている。
これはつまり。
(間接キス)
今世のみならず、さりなとして生きた十二年間も併せて、初めてのキス。
それも前世からずっと好きだったせんせが相手。
間接とはいえ気にならないはずがない……が。
(家族ならこのくらい当たり前だよね)
自分に言い聞かせるように、心の中で呟き、コーヒーを飲む。
唇が触れたほんの一瞬。
甘いものを感じたのは気のせいだったのかどうか。
どちらにせよ、次の瞬間には一気に口の中に進入したドス黒い液体の苦さに顔をしかめることになった。
「だから言ったろ。なに飲む?」
苦笑しながら立ち上がり、自動販売機の前で言う。
「甘いの! とにかく甘いの!」
やれやれと呆れたように頷くお兄ちゃんに言い返すこともできず、意志とは関係なく歪む顔のまま声を張り上げる。
買ってもらった甘ったるいジュースで口直して、ようやく一息つくことができた。
「よくそんなの飲めるねー。お兄ちゃん、子供の頃から飲んでたよね?」
「正直子供の頃は味覚が敏感すぎてちょっと無理してたけどな」
「そうなの? ぜんぜん気づかなかった。めっちゃ大人ぶってて気味悪いガキって思ってたし」
「お前な」
「でも、あの時から分かってたら──」
言い掛けた言葉を飲み込む。
もっと早く、それこそ子供の頃にお兄ちゃんの前世を知ることができていたら。
私たちの関係も、何か変わったんだろうか。
「……で? 俺に何か用事か?」
ややわざとらしく話を変えるお兄ちゃんに、私も乗っかることにした。
今更考えても仕方ないことだ。
「そうそう。あかねちゃん、大分根詰まってるよ? なんかこう、具体的な演技指導とかしてあげないの?」
「出来ることがないんだよ。あかねの演技自体はほぼ完璧だからな。後は何回も試行錯誤して良いシーンが撮れるまで繰り返すしかない。でも、その時間も無い」
「そっか。別の日に取り直し……とかは?」
「不知火のスケジュール的に無理。後は──ダンスだけ誰か別の人に踊って貰って、アップのところだけあかねに演じてもらうくらいしかないんだけど」
いわゆるスタントという奴だ。
だけど、言い方的にあまり乗り気ではなさそうだ。
(あかねちゃん本人を撮りたいのかな?)
お兄ちゃんにとっては最愛の恋人だし、アイ役を任せられるのは身を持って理解しているから気持ちは分かる。
答えが出ずに悩んでいる姿を私に見せるのは珍しい。
いつだってお兄ちゃんは、悩んでいるところも苦しいところも見せようとせずにクールぶって取り繕う。
それが出来ないくらい参っているのだとしたら、私が少しでもその気持ちを軽くしてあげたい。前世の頃からお兄ちゃん……せんせに助けられてきた私が今度は助ける番だ。
「じゃあ、さ」
そう思ったら自然と口が動いていた。
「ん?」
「私が踊ろうか? ママ……アイのパートを」
本当はもっと別のこと──先輩に言われたあのMVのことを言うつもりだったのに、どうしてかそんなことを口走っていた。
「ルビー?」
「いや、アイ役を取るとかじゃなくてね。私はほらママのパートなら大体全部踊れるから、私のパートはその別の人に踊ってもらえば良いし」
慌てて言い訳を重ねながら、それでも良いんじゃないか。とも思う。
実際、私はこの曲のアイポジションの振り付けも覚えている。
お兄ちゃんがあかねちゃん本人を撮りたいのだとしても、もう時間もないんだし、全く知らないスタントに重要な場面を任せるよりは私の方が良いはず。
提案を受けたお兄ちゃんは口元に手を持っていき考え込む。
勝負に負けた私が今更アイ役を取れるとは思ってないけど、この場面だけなら。お兄ちゃんの力になれる。
私をアイとして撮って貰える。
実際には数秒程度だったのだろうが、体感では何倍も永い時間が経過した後、手を外して私を見たお兄ちゃんは、柔らかく笑ったまま小さく首を横に振った。
(やっぱり。あかねちゃんじゃないと、ダメなんだ)
さっき飲んだコーヒーが、胸の内に黒く滲み出ていくような気持ち悪い感じがした。
分かってるよ。
お兄ちゃんにはあかねちゃんしかいないってこと。
二人の間にはもう、私が入る隙間なんて無いんだってことも。
それでも私はお兄ちゃんの……せんせの助けになりたい。
ただそれだけなのに。
「それじゃあ俺の撮りたい画にならない」
「え? 撮りたい、画?」
「そう。ずっと頭の中に見たい光景があるんだ」
「それを撮るにはスタントじゃ、ダメってこと?」
「というよりルビーがいないとダメだ。だからお前がアイ役じゃ、意味がない」
ドキリと、心臓が跳ねた。
「私が?」
「ああ」
「それって、どんなの?」
声は震えなかったと思う。
お兄ちゃんが見たい光景と聞いて、もしかしたらという思いがあった。
「決まってるだろ。ルビーとアイが同じ画面で一緒に踊るところだよ」
さも当然のように告げられた台詞で、私の記憶が鮮明に蘇る。
『いつか、なんか上手く行ったら、親子共演みたいなさ。楽しそうだよね』
それは
形は違えど、お兄ちゃんはその約束を果たそうとしているのだと気づいた。
瞬間、涙が流れそうになるのを必死に押し止める。
泣いたらメイクが崩れちゃう。
私はもうプロなんだから、我慢しなきゃ。
唇を噛みしめ、必死に堪える。
「そっか。そうだね、その場面、きっとママなら喜んでくれるよ」
「ん。ああ」
なんとか涙声にならないように気を張って告げた私とは対照的に、お兄ちゃんの返事には分かりやすく違和感があった。
今言ったことが嘘だったのではない。それ以外にもなにかを隠している感じがした。
つまりお兄ちゃんは、ママの遺言を叶える以外に、別の目的がある?
せんせの頃から頭が良くて色々考えているお兄ちゃんのことだ。
きっとこれも、私では思いつかないような計画の一部なのかもしれない。
でも正直に言えば、例えママを殺したアイツへの復讐のためだったとしても、ママの遺言を計画に利用するようなことはして欲しくなかった。
涙が引っ込み、代わりに悲しみが広がる私の表情はどう変わったのだろう。
それは分からないけど、一つ言えるのはお兄ちゃんが、私の表情の変化を見逃す筈は無かった。
「ハァ」
大きなため息は、呆れているわけでも怒っているわけでもない。
困った患者のワガママに振り回されながらも、仕方ない。と諦めて言うことを聞いてくれた、せんせーの顔に重なって見えた。
「アイの願いを叶えたいっていうのは嘘じゃない。でも、もう一つ。俺にはどうしても見たい光景がある」
「……」
「昔、病室の中で目をキラキラさせながらまっすぐ夢を見ていた女の子が、僕のもう一人の推しの子が、アイと並んでいる姿をどうしても見たいんだ」
一つ一つ大切な思い出を語るようにゆっくりと優しく語る。それは、
「悪いな。もう前世のことには触れないって言ったのに」
「っ!」
今度は、我慢なんかできなかった。涙で滲んだ視界の中で、せんせが笑っているのが見えたから。
「し、かたない、なぁ!」
涙声はもう隠さない。
隠す必要がない。
メイクが崩れるのも構わずに手のひらで涙を拭い、私は
「その夢を、叶えてあげられるのは、私だけ、だもんね」
「ああ、でもそのためにどうすればいいか……」
話はここに戻る。
どうやってあかねちゃんをアイとして成立させるか。
実のところ、私はその答えを持っていた。
そもそも、ここに来たのはこれを伝える為。
お兄ちゃんも気付いていないママの秘密を、私が勝手に言っていいのかずっと悩んでいたけど、ようやく覚悟が出来た。
「一つ、私に提案があるんだけど、聞いてくれる? 監督さん」
もうアクアの恋人になることは諦めているルビーですが、彼女の場合恋心を捨てたわけでは無く、来世に賭けて我慢しているだけなので、予想外のことがあると未だに照れたりします