【完結】推しの子if ~あかねちゃんと一緒にアクアを救おうルート~ 作:日ノ川
「とりあえず、冷める前にどーぞ」
先ほどまでルビーちゃんが座っていた場所に座りなおしたアクアくんが勧める。
「うん。ありがとう」
インスタントではなく、茶葉から淹れたらしい紅茶からは良い匂いが漂っている。
互いに一口飲んでから、殆ど同時にカップをソーサーに戻す。
どちらも口を開かず、会話の糸口を探る微妙な沈黙は、先ほどルビーちゃんと相対した時と似ているが、彼女が投げかけた爆弾によって更に気まずさが増していた。
「……ゴメンねアクアくん。ちゃんと会うのは一週間振りだし、色々話したいことあるんだけど、先に聞いておかないと、他のことが頭に入らなくなりそう」
「ああ」
「さっき、ルビーちゃんが言ったのはどういうこと?」
「……ま、そうなるわな」
私と目を合わせないまま再度紅茶を一口。唇を湿らせたアクアくんが語り出す。
「簡単に言えば、ルビーの初恋相手が俺だったことが気づかれたんだよ」
「でもルビーちゃんの初恋相手ってあの宮崎の──」
私たちが宮崎で見つけた遺体。
二人が産まれた病院で、医者として働いていた雨宮吾郎なる人物が、ルビーちゃんの初恋相手だったはず。
それがアクアくんとどう繋がるのだろう。
「そこまで聞いたなら話は早い。俺も雨宮吾郎と知り合いだって言ったけど、直接話したことはない。あの人は俺たちの母親の主治医だった人だ」
「二人のお母さん?」
アイのことだ。
私は二人の母親が十数年前に殺害された伝説のアイドル、アイだと気づいているが、それをアクアくんは知らないはずなので、余計なことは言わず無言で続きを促す。
「ああ。初産でそれも双子だったからな。他にも事情があって色々と世話になってたらしいんだけど。……まあ、親身になってくれたのが嬉しかったのか、日記に色々書き残してたんだよ」
アクアくんは視線を上げ、少し遠くを見つめた。
その表情はなんと言えばいいのか、昔を懐かしんでいるような気配があった。
亡くなった母親、アイのことを思い出しているのだろうか。
「でもその人は、俺たちが産まれる直前に行方不明になった」
「それを私たちが見つけたんだよね。確か、他殺だったって聞いてるけど」
「……らしいな。母親も心残りだったみたいでな。俺も父親を探す傍ら少し調べていたんだけど、行方は分からなかった」
「だから家族構成とか実家とか知ってたんだ」
「ああ」
「でもそれなら、ルビーちゃんとも会ったことないんだよね」
初恋の人について語っていた時のルビーちゃんは、本当に幸せそうだった。
だからこそ、その人がずっと前に死んでいた上、直接遺体を見てしまったことに大きなショックを受けたのだ。
「東京ブレイドの稽古中、俺が倒れたのは覚えてるだろ?」
「え? うん」
「あの時も言ったよな。俺が発作を起こしたのをルビーには知られたくないって」
突然話が変わったが、繋がるものがあった。
アクアくんが患っていたPTSD。
それは恐らく、母であるアイが殺されたことに起因している。
妹であるルビーちゃんもまた、同じ傷を負っていても不思議はない。
「ルビーちゃんも同じショックを受けたから?」
「あいつの場合俺より酷くて、暫くは引きこもり同然でな。俺やミヤコさんが何を言ってもダメだったから、他の人の力を借りようと思ったんだ」
「それが、雨宮先生」
「そのつもりだった。でも当人はその時すでに行方不明。仕方なく俺自身が雨宮吾郎になりすましてメールを送り続けてルビーを励ますことにした」
やっと話の全貌が見えてきた。
励ましのお陰でルビーちゃんは元気を取り戻したが、同時に自分を救ってくれた雨宮先生に恋心を抱いた。その正体がアクアくんだと気づかずに。
「あかねにあの人の死体を見つけて欲しかったのは、利用したことに対する罪滅ぼしでもあった。そうなると俺がルビーを騙してたことも知られることになるから、どうしてもってわけじゃなかったんだけど」
そういえば、見つからない方が都合が良いというようなことも言っていた。
「……そっか」
「結局、ルビー本人が見つけたことで、あいつ大分取り乱してただろ? だから仕方なく全部話すことにしたわけだ。そしたら──」
「ああなったと。うーん。正直ルビーちゃんの気持ちは分からないでもない」
「そうか?」
「そうだよ。自分がどうしようもなく辛くて、苦しい時に支えてくれた人なんだから」
私だってそうだった。
とは口にせずとも伝わってしまっただろうか。
恥ずかしさを誤魔化す様に、少し早口で続ける。
「ルビーちゃん言ってたよ。ずっと一人だった時に、励ましてくれたって。その人が居なかったら頑張って生きようなんて思わなかった。アイドルになろうなんて思わなかった。生きる意味をくれた人だって」
「そっか」
表情と声が柔らかくなる。
慈愛に満ちたその顔はルビーちゃんに向けられたものだ。
ちょっとだけ、ムッとする。
私の気持ちを知られるのは恥ずかしいが、全く気づかれないのも釈然としない。
私の無言の訴えが届いたのか、視線を持ち上げる。
同時に、アクアくんの表情も変わった。
唇を引き締め、意図的に顔付きを戻そうとしているようだ。
「ま、初恋なんて麻疹みたいなものだ。そのうち元に戻るとは思うけどな」
「そうかなぁ。初恋だからこそ、引きずりそうな気もするけど……」
「ルビーのことより、そっちは? 変わったことないか?」
やや強引に話を変えられる。
その態度を見て、確信した。
さっきの話に嘘が混ざっていると。
アクアくんが話してくれた内容は、確かに筋が通っている。
あれだけ取り乱していたルビーちゃんがすっかり元気と明るさを取り戻している以上、少なくとも彼女の初恋相手がアクアくんであり、最近になってそれに気が付いたのは事実なのだろう。
ただ一つだけ。私が調べたアイの人物像と違う部分が存在する。
(彼女はきっと、日記なんか書かない)
無頓着で大ざっぱな性格からしてもそうだが、同時に秘密主義でもある彼女が、自分が死んだ後あっさり見つかるような日記を付けるとは思えない。
そうなると、アクアくんは雨宮吾郎をどこで知ったのか。
彼は大事な部分に関して、まだ隠し事をしている。
それを悟られないようにさっさと話を変えたのだ。
宮崎の旅館に泊まった時、温泉の中で考えた奇妙で不可解な、それでいて一本の線で繋がっていそうな、あの不思議な感覚が思い起こされる。
とはいえ、これはプライベートなことだ。
あまり深く突っ込むのも気が引ける。
私はもう一度思考の流れを断ち、一つ頷いた。
「うん。私の方は何も。アクアくんこそ大変じゃないの? お家に呼んでくれたのも、外に出られないからなんでしょ?」
「ああ。でも大変なのは、ミヤコさんやルビーたちB小町の連中だけだよ。俺はとりあえず関係ないしな」
やはり、アイと二人が親子関係であると公表するつもりは無いようだ。
「そっか。でも何か私に出来ることがあったら言ってね。手伝うから」
「大丈夫。これは俺たちとはなんの関係もない事件なんだ。あかねに手伝って貰うことはもう無いよ」
淡々とした語り口は、ごく自然なもので、だからこそ一瞬で分かった。
(あ。また嘘を吐いた)
それも、さっきとは違う。完全に私だけを騙す為の嘘を。
何故そんな嘘を吐くのか。
こちらの理由は明白だ。
アクアくんは気づいてしまったのだ。
自分の本当の父親が上原清十郎ではなく、カミキヒカルであると。
そして、その事実に気づくチャンスから目を逸らしていたことに。
元々、アクアくんは嘘吐きだが、嘘を吐くこと自体は上手いわけではない。
正確に言えば、嘘を吐いているのかどうか分かりやすい。
アクアくんが嘘を吐く時は大抵、事前に演技を用意してその通りに演じる為、感情が乗っていない。
五反田監督のところで見た、子役時代に出演した映画のように。
今の態度にもそうした用意した演技の気配があった。
(でも、五反田監督との特訓で感情演技を使いこなせるようになったはずだけど……)
もしかすると、わざと私に分かるような嘘を吐いたのかもしれない。
(どっちにしても、隠したってことは、まだ復讐をするつもりなんだよね。でも、カミキヒカルはもう居ない。誰に復讐するつもり? 相手の家族とかにまで危害を加えることはないはず)
重大犯罪を犯した者の家族にまで、恨みやバッシングを向けることはわりとよくある話だが、アクアくんに限ってはあり得ない。
それは誰より私が一番よく知っている。
ならばカミキ以外にも、別の共犯者が居たのだろうか。
あるいはもっと別の内容か。
ともかく、アクアくんは私になにかを調べさせるつもりで、こんなことをしているのだろう。
雨宮吾郎の遺体を見つけさせる為、わざと私に情報を撒いたように。
分かりやすい嘘を吐くことで、疑いの目を向けさせ自発的に調べさせようとしている。
そして、私に直接頼むではなく、こんな回りくどいことをしている理由も同時に理解する。
(アクアくんは、一人で復讐を続けるつもりなんだ)
嘘の恋人関係を精算して、ただの男女として改めて私を守りたいと言ってくれた。
その後の電話でも、あの言葉が嘘ではないと語っていた。
これからは、アクアくんが抱えているものを一緒に背負って、寄り添っていけると思ってた。
それは私の勘違いだったのだろうか。
アクアくんはまた一人で全てを背負い込もうとしている。
それなら。
私がするべきことは──
直後、アクアくんが以前話していたことを思い出す。
父親を捜す為に彼がどんな手段を用いていたのかを。
「ね。アクアくん」
「ん?」
「私、アクアくんの昔のアルバムみたいなー」
両手を合わせ、敢えて明るく言う。
「なんだよ急に」
「恋人の部屋に来て、一緒に昔のアルバム見るのって定番でしょ?」
「勘弁してくれ。そもそもその手のはミヤコさんが管理してるからここには無いよ」
「確かに。全然物無いね」
ベッドと本棚以外にあるのは、この小さなテーブルだけ。
本棚に入っているのは、参考書や演劇関連の本から、小説や漫画に至るまで様々だが、アルバムらしき物は無い。
「ああ、だから」
「でも、小学校とか中学校の卒業アルバムくらいはあるでしょ?」
「……ねぇよ」
「ある感じじゃん! 見せてよ。今度私のアルバムも見せてあげるから。あ、でも中学の時のはネット上に流出しているからもう見られてるかー。あの写真、正直カメラ写り最悪だったからショックだったなー」
「見てねーよ。つーか反応しづらい自虐ネタはやめろ」
はぁ。と分かりやすいため息を落としてから立ち上がる。
「ったく。ちょっと待ってろ」
そう言って、ドアに向かったアクアくんが直前で振り返った。
「言っておくけど笑うなよ」
念を押すような物言いに自然と笑みがこぼれた。
「どんな写真でも笑わないよー。小さい頃のアクアくんはこの間映画で見たし」
「そうじゃなくて。俺の本名って、字面が凄いことになってるからな」
「あー」
芸名の星野アクアはともかく、フルネームの漢字表記を直接見た覚えはないが、確かに凄そうだ。
そんなことを考えている間に、アクアくんは部屋を出ていった。
足音が完全に遠ざかるのを確認してから、私はフローリングの床にそっと手を這わせ、目的の物を探し始めた。