【完結】推しの子if ~あかねちゃんと一緒にアクアを救おうルート~   作:日ノ川

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幕間ラスト


第82話 夏休み・恋人たち

 日も落ち、晩飯を兼ねたバーベキューが始まった。

 一時的にダウンしていたMEMも水分と塩分をしっかり取って、少し休んだらすっかり回復したようだ。

 帰りに関しては、カントクの車だけでなく、俺たちが乗ってきた事務所の車も運転代行を依頼することにしたのもあり、後顧の憂いが無くなったからか、今は姫川やカントクに混ざって楽しそうに酒を飲んでいる。

 

 MEMが運転することを推したのは俺だったのもあり、正直ほっとした。

 これ以上、自分が原因で誰かに迷惑を掛けるようなことになったら目も当てられない。

 

「やっぱダンサーは体幹が違うよなー。足場の悪い砂浜であんだけ動けるんだもん」

 

「そっちこそ体力だけであんだけ食らいつくのはやべーよ。やっぱ若さか」

 

「一歳差だろお前ら。悪かったな、体力無くて」

 

「いやいや。ケンゴさんはちゃんとフォローしてて良かったと思うよ? 姫川さんなんかチームプレーする気ゼロだったし」

 

「バンド組んでると協調性は大事になるからねぇ。ま、実際は解散理由として音楽性より性格合わないのが一番多いんだけど。だからこそ人に合わせる努力が大事だったりするんだよ」

 

「バンドかー、いいなー。俺もこの前社長になんか楽器のレッスン受けさせもらってバンド組ませてくれって頼んだんだけど。中途半端なアーティスト気取りするくらいなら顔売り極めろって言われちゃってさ」

 

「まあ、言いたいことは分からんでもない。たまにアイドル系で楽器やってる奴ら見るけど、やっぱ本職から見ると弾いてるっつーか鳴らしてるだけにしか見えなくて鼻に付くときあるし」

 

 ケンゴの言葉にメルトは若干気まずそうに視線を逸らす。

 

「でも、そういう系でも上手い人は上手いよな?」

 

 ノブがフォローを入れるとケンゴも同意する。

 

「そうそう。そこまで行くとちゃんとアイドル兼アーティストってなるけど、いくらセンスがあろうと楽器は結局ドンだけ練習したかってところがあるからさ」

 

 出来るの? と言いたげなケンゴの視線に、メルトは愛想笑いを浮かべたまま頭を掻いた。

 

「いやぁ。演技の練習だけでもいっぱいっぱいだしそこまで時間は取れないかなー」

 

「だったら楽器より下地がある分、ダンス方面延ばす方がいいんじゃないの?」

 

「確かに。さっきの体幹の話じゃないけどダンスやってると演技にも役立つことあるかもよ?」

 

「おっ、それは良いかも。ちょっとまじめに考えてみっかなー」

 

「おお。良い先生紹介するよ」

 

 ノブがそう言ったところで、多数の食材を乗せた紙皿をもって寿とゆきがやってきた。

 

「はーい。お肉の追加やでー」

「あかねが焼いたお肉だから美味しいよー」

 

「おーサンキュー」

 

 ノブが受け取った皿をテーブル上に置き全員が取りやすいように配置する。

 

「で? みんなでバンドでも組むの?」

 

 早速とばかりに肉にありつこうとしたノブの隣にさりげなく移動したゆきが言う。

 

「ん?」

「なんかそんな話してなかった?」

 

「いやバンドじゃねーけど」

 

「えー。いいじゃんやりなよ。バンドじゃなくてもなんかグループ作って曲出すとか面白そう」

 

「簡単に言うなよ」

 

「事務所も違うしねぇ」

 

「でも俺ら大きな括りだと鏑木組ではあるし、鏑木さんにやりてーって言えば通るんじゃね?」

 

 東ブレの舞台の時もそうだったが、メルトは特に可愛がられているからか、鏑木さんに対する信頼が強い。

 

「そうそう。ずっと活動するってならともかく、コラボとか企画って形で一曲出すくらい等行けるんじゃない?」

 

「んー。アッくんはどう思う?」

 

 再度ゆきに詰められたノブがこちらを見る。

 

「なんで俺に振るんだよ」

 

「何言ってんだ。鏑木組って括りなら当然アクアも一緒にやるに決まってるだろ」

 

「そうそう。もう一人だけ逃げるのは認めないよ」

 

 ケンゴがニヤリと笑う。

 もうに掛かっているのは、日中にやっていたビーチバレーの件だろう。

 

 意外に根に持つな。

 なんてどうでも良いことを考えつつ、さてどうやって話から抜けようかと考えた矢先、更なる刺客が現れた。

 

「もちろん、オッケーです! ウチのお兄ちゃんは顔だけじゃなくて、歌も上手なんですよ?」

 

「おいルビー、勝手なことを」

 

 串焼きを持ったまま現れたルビーの瞳は爛々と輝いていた。

 

「だってお兄ちゃんが歌の仕事もやるようになれば、いつか私とも同じ仕事できるかもじゃん。兄妹デュオとして売りだそうよ!」

 

「おお、それは良いね。推し甲斐ありそう」

 

 こちらもまたルビー同様唐突に現れた不知火が同意する。

 いつの間にかほとんど全員が俺を取り囲むように集まってきてしまった。

 

「それなら衣装も考えないと」

「ダンスもやるならやっぱアイドル系じゃね?」

「いいね。今時こんな奴らいるかってくらいヒラヒラでギンギラの奴にしよう」

 

 俺を中心に据えているのにも関わらず、こちらの意志を無視して進む。

 

 そんな会話をどこか遠くに聞きながら、俺はBBQコンロに向かっているあかねを見た。

 両手にトングを手にして、真剣な表情で食材に向かっていて、こちらには目もくれない。

 そんなあかねの助手として、ギャーギャー言いながらもつき合わされているのは有馬一人だけのようだ。

 

 その姿を見て、やっぱりな。と得心が行った。

 いくらあかねが焼き肉奉行だとしても、コイツらが二人だけに全部任せて離れるのはおかしな話だ。

 

 それこそ、焼いている本人であるあかねから言われたのでもなければ。

 カントクによるとこの旅行自体、あかねが姫川から引き継いで計画したものだと言うが、いくら段取りを組むのが得意だとしても、主演として忙しかったあかねが率先して動いたのは俺を気遣ったからなのだろう。

 

 そしてコイツらも(全員ではないだろうが)あかねから俺が精神的に参っていると聞いていたからこそ、こんな風に構ってきているのだ。

 

 とはいえ、流石に詳しい理由までは聞いていないはずだ。

 いや、そもそもあかねからして恐らく勘違いしている。

 あかねは俺の不調の原因を、以前東ブレの舞台稽古で倒れた際と同じく、幼少時に発症したPTSDが再発したと考えている。

 

 それも仕方ない。

 俺がこうなった状況はあの時に似ている。

 むしろ、それ以上に条件が揃いすぎていたのだから。

 

 最終日の撮影は事件当日、つまりアイが大学生のストーカー菅野良介に刺されるシーンだった。

 このドラマ自体がカミキを黒幕として設定し、世間に公表することで断罪させることが狙いである以上、菅野は最終盤まで登場せずラストシーンでいきなり現れたことにしてある。

 

 だからこそ、奴に関しては当初は役者を立てず、名前も出さないスタントに任せる予定だったのだが、俺がカントクに直訴して、カミキと兼ね役で演じることを申し出た。

 

 大分渋られたが様々な利点──小さいものだと兼ね役にすることでの出演料の節約から、大きなものだと直接現場に居た俺だから出来る臨場感のある演技。

 そして何より重要なのは、カミキ役である俺があえて実行犯役も演じる事で、視聴者にアイを殺した本当の黒幕は、カミキヒカルなのだ。という無言のメッセージを送れることだ。

 

 このドラマを撮影する本当の目的である復讐を達成するためには必要なことだと言って半ば無理やり強行した。

 

 実際、それは方便で一番の目的は、俺自身確かめたいことがあったからだ。

 東ブレの舞台では結局最後まで出来なかった、トラウマとなった感情を利用するのではなく、乗り越えた上で制御することができるのか。

 それを確認したかった。

 

 自信はあった。

 

 東ブレの時はアイの顔を見るだけでパニック症状が出そうになっていたが、今回のドラマでは脚本や演技について考えるため、かつてのアイの映像を見ても症状は出ないどころか当時を思い出して懐かしさを感じたくらいだ。

 

 自己分析をして見るに、それはあかねやルビー、ミヤコさんを初めとした俺を支えてくれた人たちのおかげで、自分がもう復讐者では無くなったからだろう。

 今の俺ならきっと、あの凄惨な事件現場を思い出して感情演技を行っても激情に呑まれることはない。

 

 ……その、はずだった。

 

 台詞がほとんどないことも幸いして撮影自体は問題なく終わったが、結局俺は直後発作を起こして倒れてしまった。

 最終日は見学者も居なかったし、恐らくスタッフにも気づかれずに済んだが、あかねとカントクにはすぐに見抜かれ、現場はすぐに解散。

 折角のクランクアップに水を差すこととなってしまった。

 

 今回の旅行はそのことでショックを受けている俺を気遣ったあかねが計画したものなのだが、彼女は勘違いしている。

 俺がショックを受けたのは、発作を起こしたことでも、現場やあかねたちに迷惑を掛けたからでもない。

 もっと自己中で、自分勝手な理由。

 

「アクアー。聞いてんの?」

 

 メルトからいきなり肩を掴まれて思考の海から浮上した。

 内心を隠したまま軽く頷く。

 

「聞いてる聞いてる。つーかさっきも言ったろ。俺はこれから編集で忙しいんだ。……だから、やるならその後だな」

 

「おっ。珍しく前向き」

 

「いい加減俺も学習したんだよ。お前らに何言っても無駄だってな」

 

 午前中のビーチバレーに誘ってきたことを揶揄して笑って言うと、他の連中からも小さく笑いが起こる。

 努めて明るい態度を演じながらも、楽し気に未来について語る様を見ているだけで疎外感を感じて、思わず目を細めた。

 

 やっぱりあかねやみんなは気づいていない。

 

(俺だけが、前に進めていない)

 

 周囲の仲間たちが次のステージに進む中、一人だけ取り残されたことに対する焦り。

 それこそが俺が無理をしてでも前に進んでいることを実感したかった一番の理由なのだと。

 

 彼らにそんな意図はないと頭では理解していても、いや理解しているからこそ、この光景は今の俺には眩しすぎた。

 

 

  ☆ ★

 

 

 バーベキューも佳境に入り、火も落として後は各々がのんびりと飲み物や残り物を片づける中、私はみんなに一声かけてから、その場を離れた。

 

 少し前にアクアくんがこっそり離れていくところを見ていたからだ。

 バーベキューの序盤からみんなに囲まれていたアクアくんは午前中とは打って変わっていつもより明るく、楽し気に談笑していた。

 それを見てすぐ分かった。

 

 アクアくんが私たちの意図を察して、元気になったフリをしていると。

 

 だけど、それに気づけたのは私を始めとしたごく一部の人たちだけだったらしく、他のみんなはすっかり復調したと安堵して普通の会話に戻っていった。

 アクアくんが離れても大して気に留められなかったのがその証拠だ。

 

「アクアくんが行きそうな場所と言ったら……」

 

 呟きながら、周辺で一人になれそうな場所を探してみると、案の定。

 彼は少し拓けた海が見える場所で木に寄りかかるようにして眠っていた。

 

「もう、こんなところで。相変わらず私の彼氏は孤立が好きだなぁ」

 

 なんて。軽口を言いながら、私は起こさないようにそっと彼の隣に腰を下ろす。

 

 一応顔を覗き込んで見る。

 眠ってはいるが眉間に皺が寄ったままだ。

 穏やかとはほど遠い寝顔は、いつかの東ブレの舞台稽古の際に過去のトラウマから倒れてしまった後と重なって悲しくなった。

 

「やっぱり。無理してたんだ」

 

 あんな撮影をしたのだから当然だ。

 

「う、うぅ……ア……」

 

 苦しそうな声に混ざって聞こえた声はアイの名前だろう。

 やっぱり以前同様、かつてのアイの事件のことをフラッシュバックして発作が起こっている。

 

「大丈夫だよ」

 

 耳元に声を掛けながら髪を撫でようと手を伸ばした瞬間、アクアくんの体がぐらりと揺れる。

 

「あ」

 

 慌てて体が倒れないように手を伸ばすが、少し遅れてしまったことに加え、私の力では元の姿勢に戻すことはできず、代わりにそのままゆっくりと私の脚の上にアクアくんの頭を乗せた。

 

 意図せず膝枕の姿勢になるが、これはこれで悪くない。

 頭も撫でやすいし、なにより彼の重さと温かさを感じる。

 アクアくんが生きている実感を肌で感じ取れる。

 

「……あ……」

 

 まだ眉間の皺は解けない。

 繰り返し名を呼ぼうとしている彼の助けになってあげたいが、ここで起こすのは正解なのだろうか。

 

「……あ、かね」

 

 突然名が呼ばれて、撫でていた手に力が入る。

 

「ッ!?」

 

 その瞬間、目を見開いたアクアくんと見下ろしていた私の視線が交差した。

 だが、完全に意識が覚醒した訳ではないようだ。

 

 驚いた表情のまま、瞳孔が開いた状態の眼球が不規則に揺れていたが、やがてアクアくんは私の顔を認識して、ホッとしたように息を落とした。

 

「ッ!」

 

 次の瞬間、ハッと何かに気づいたように体を反転させたアクアくんは私のお腹に手を添えて、確認するように動かした。

 冷たさとくすぐったさに身を捩りそうになるがなんとかそれに堪えていると彼は私の腰に手を回し心音を聞き取るように顔を寄せて、うわごとのように呟く。

 

「きず……傷は。無い、よな?」

「うん。大丈夫、私に傷は無い。アクアくんは誰も傷付けてないよ」

 

 私もアクアくんの頭を抱えるように抱きしめながらゆっくりと言って聞かせる。

 

 やっぱり。

 明るく振る舞っていたのは無理をしていたんだ。

 

 東ブレの舞台ではアイを救えなかった時のことを思い出すだけでも発作が起きたというのに、今回はアクアくん自身が犯人として、アイを演じた私を刺すシーンを演じたのだ。

 この世で最も見たくなかったであろう光景を作り出した男を演じる。

 その辛さはいかばかりか。

 

 スタントではなく自分が演じる理由をカントクさんに色々と語っていたらしいが、私にはどの理由も後付けというか本当の理由を隠しているようにしか聞こえなかった。

 

「……悪い。ちょっと寝ぼけてた。もう大丈夫」

 

 ようやく意識もしっかりしたらしく、気恥ずかしそうに起きあがろうとするアクアくんの両肩に手を乗せそのままグイと押しつける。

 

「あかね?」

「もう少し、休んでなよ」

 

「いや、でも」

 

「大丈夫。みんなもまだバーベキュー終わってないから、ね?」

 

「……そうか」

 

 納得したと言うよりは諦めたようなため息と共に、アクアくんの頭が私の膝の上に戻る。

 

「我ながら神経が細いな」

 

「そんなこと無いよ。あんなことがあって、それを思い出しちゃったら誰だって。……でも、どうしてわざわざ自分が傷つくようなことをしたの?」

 

 無理に聞き出すと逆に意識してしまうと思って聞けずにいたが、この旅行も含めて私がアクアくんを元気づけようと計画したことが、あまり効果が無かったのを見た今、そんなことは言っていられない。

 

「……確認。かな」

 

 一瞬の間は私に言うべきかどうか考えたからだろう。

 けれど彼をじっと見つめる私を見て、アクアくんは諦めたように小さく首を振って話し出した。

 

「確認?」

 

「さっき、誰だってそうなるとは言ったけど、少なくとも俺と同じ現場にいて、同じ傷を負ったルビーはもう前に進んでいる」

 

「それは──」

 

「それに。現場には居なかったとはいえ、同じく傷ついたはずの壱護さんとミヤコさんだってそうだ」

 

「……」

 

 確かにその通りだ。

 このドラマを通して描かれた過去の出来事である、上原清十郎と姫川愛梨の事件……そしてアイの事件によって止まっていた何人かの時が動き出した。

 今言った人物だけでなく、カントクや鏑木さんもそうだろうし、ドラマが放送された後は、もっと増えるかもしれない。

 

(ああ、そうか)

 

 ようやく私はアクアくんがどうしてあの役を演じたのか分かった気がした。

 きっとアクアくんは、前に進んでいる人たちの中に、自分を入れていない。

 だから……

 

「だから、今の俺ならもうアイの死を乗り越えられたかもしれない。そう、思って演ってみたんだけどな」

 

 想像通りの理由に私は思わず目を伏せた。

 

「でも無理だった。多分俺は、まだやり残したことがあるんだ」

 

「やり残したこと?」

 

「ああ。犯人が死んでも、ドラマを撮っても、俺は立ち止まったままだ。でも俺は、だからこそ進みたい。みんなと、あかねと一緒に」

 

「……アクアくん」

 

 強い意志の籠った声と瞳がまっすぐ私を射貫く。

 

「その為に。あかね、もう一度力を貸して欲しい」

「うん」

 

 間髪入れずに頷く私にアクアくんは目を見開いてから苦笑する。

 

「内容も聞かずに返事するなよ」

 

「だって、約束したでしょ? 私は共犯者としてなんだってするって」

 

「……本当に、借りばっかり増えていくな」

 

「それを言ったら私は命を救われてるんだよ? それ以上の借りはないでしょ」

 

「それは──」

「ね? だから貸し借りに関しては言いっこ無し」

 

「……分かったよ」

 

「それに。愛する人の為に何かしてあげたいって気持ちは、ごく自然なものじゃないかな?」

 

 そういう気持ち、分からない?

 そう続けて瞳をじっと覗き込むと、アクアくんは不満げに唇を曲げた。

 アクアくんにとって、大事な愛というワードを使ったのも、ちょっと煽るように顔を覗き込んだのも、重くなりすぎた空気を変える為だったのだが、からかい過ぎただろうか──

 

「え?」

 

 なんて考えていた私の頬にアクアくんの手が伸びる。

 そっと撫でるように触れた後、更にその後ろの耳を掠めて首筋を擽った。

 

「ぁ」

 

 思わず漏れそうになる声を抑えようと自分の手を伸ばそうとするが、もう片方のアクアくんの手がそれを拒む。

 けれど、結果的に私の声が外に洩れることは無かった。

 

「~ッ!」

 

 突然のキスに目を白黒させている私の眼前で、アクアくんが笑う。

 暗い夜の中でも彼の瞳は輝いて見えた。

 

「なんか最近はあかねからばっかりだったからな」

 

 両手を離したアクアくんは、そのまま体を起こすと、私に向かってイタズラが成功した子供のような笑顔を見せた。

 

「もー」

 

 いきなりのことに驚いたし、からかうためにキスされたのはちょっとむっとするけど、その笑顔を見ると許してしまいたくなる。と同時に思う。

 

 アクアくんは自分を一人だけ立ち止まっているなんて言うけどそんなことはない。

 彼だってちゃんと前に進んでいる。

 今はただ、どうしても迂回出来ず乗り越えなきゃいけない壁にぶつかっているだけ。

 

 それなら私が引っ張り上げよう。

 でも……

 

「ねぇアクアくん。今後のことを考えるのも、手伝うのも、明日からにしよう」

「え?」

 

「だって、ほら。聞こえるでしょ」

 

 耳を澄ますと聞こえてくるのは、みんなの笑い声。

 私とアクアくんにとって大切な人たちの穏やかな日常。

 

 アクアくんがやり残したことが何なのかは漠然とだけど分かる。

 

 もしかしたら、その為の手段を択ばず、また後ろ暗いことに手を染めようとしてるのかもしれない。

 

 だからこそ、ちゃんと覚えていて欲しい。

 ちゃんと見ていて欲しい。

 君が愛して、守ろうとした、大好きなみんなが居ることを。

 何より、この世の誰よりも貴方を愛する私が居ることを。

 

 それさえ忘れなければ、きっと私たちはどんな障害だって乗り越えられるから。

 

「ああ、そうだな。うん」

 

 柔らかく微笑むアクアくんは、最初と同じように近くの木に体を預けると、私に向かって手を広げる。

 意図を察し、私はその腕の中に飛び込んだ。

 線が細く華奢に見えるけど、やっぱり女の私と違って飛び込んでも大した衝撃もなく、あっさり抱き止めてくれた。

 

「えへへ」

 

 安心感から抱きついたまま顔を埋めようとしたところでふと、思い出したようにアクアくんが口を開く。

 

「そういえば、さっきの質問に答えてなかったな」

 

 質問とは何だろうと思う間もなく、耳元に声が落とされた。

 

「愛する人のために何でもしてあげたいって気持ちは、最近俺の恋人が教えてくれたよ」

 

「じゃあ。私が今何をして欲しいか分かる?」

 

「ああ」

 

 お互い、それ以上言葉はいらなかった。

 みんなの声も、波の音すら届かず、二人だけとなった世界の中で、私はゆっくりと目を閉じた。

 

 こうして私たちのたった一日だけの短い、けれどとても楽しくて思い出深い夏休みは、幕を下ろした。




次から最終章に入ります

ちなみに最近ちょっと投稿間隔が空いていますが現在年度末の準備で忙しいので、もうしばらくはこのくらいのペースで投稿になります
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