【完結】推しの子if ~あかねちゃんと一緒にアクアを救おうルート~   作:日ノ川

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第89話 酒と演技と男と女・後編

 姫川大輝の言葉を受けて、私の体は硬直する。

 顔を逸らすことも出来ず、まっすぐにこちらを見つめる瞳には一切の嘘が無かった。

 

(ああ。そうか)

 

 唐突に、気付いてしまった。

 大輝くんが口にしたのは15年の嘘の劇中で、アイが姫川愛梨を糾弾する際に言っていたセリフだ。

 

 こんなことが本当に有ったのかは定かではないが、他のシーンのアイに比べて妙に大人びていて、まるで自分自身が守る側の立場であるかのような物言いに若干の違和感を抱いたことを覚えている。

 劇中の姫川愛梨は、その言葉を聞いても反省することはなく、むしろ反発して今まで自分が芸能界で味わってきた搾取や屈辱を語り、己を正当化しようとしていた。

 

 演じながらも、内心では自分が性被害によって奪われた尊厳を、今度は加害者として他者から奪い返そうとする彼女のことを、バカで哀れな女だと思っていた。

 

(でも、私がそう思えるのはきっと、姫川愛梨と違って奪われる側じゃなかったからだ)

 

 彼女が活動していた二十年以上前と比べたら法整備による未成年保護の厳格化やインターネット及びSNSを用いた内部告発できる環境が整ってきたこともあり芸能界は大分浄化されてきたということもある(一部ではキャバクラまがいのことを強要してくるテレビ局や芸能事務所の社長、プロデューサーなども残っているが)のだろうが、それ以上に今の私はそうしたことをする必要もないくらい評価されていたから気付かなかった。

 

 もっとトントン拍子に売れると思っていたことや、売れた後も演技を認められたからではなく、顔売りの結果というのが正直面白くなくて斜に構えた態度を取って見て見ぬ振りをしてきたが、実際は私だって周りに助けられて守られてきた。

 

 名が売れるキッカケになったのは虹野さんが私を見いだしてくれたからだし、それでも思うように仕事が取れなかった時は、社長たち事務所側が私の可能性を信じて顔売りを始めとした別の売り出し方を模索して必死に周りに頭を下げて仕事を取ってきてくれた。

 ミキさんの件で精神が不安定になった時も見捨てることなく、社長やプロデューサーがマスコミや記者から私を守り、辛抱強く私の復帰を待ってくれていた。

 マネージャーの本田さんが私の復帰後キャラが変わったように明るく接しているのも、逆にあまり感情を表に出さなくなった私に気を使ってくれているからだとも分かっている。

 

 もちろん全てが善意からくるものだったとは言わない。

 特に事務所側としては、これまでお金や時間を掛けて育てた商品の価値を守り、自社の利益を得ることを第一に考えているのは確かだろう。

 でも。それだけじゃない。

 

 大輝くんの言うように、大人として年長者として、未熟な私を芸能界の闇から守ろうとしてくれていた。

 今の私は、自分だけでなく周りの力を借りて、積み重さねたもので出来ている。

 ここで姫川大輝と対立するということは、その積み重ねてきたもの全てを自ら台無しにすることだと、気付いてしまった。

 そして、彼の方は弟妹たちを守るため、既にその覚悟を決めていることも。

 

(私だって、覚悟はしていた)

 

 本当に?

 

 強く念じると同時に、私の内から別の声が聞こえ、疑問が湧き上がる。

 私は本当に、その覚悟をしていたのだろうか。

 

 星野アクアとの交渉の時、私は本気でそう思ってた。

 私の未来も夢も全て捨てても構わないと。

 ただ、いくらトップタレントとはいえ、若輩の小娘が何を喚こうと簡単にもみ消されると思ったからこそ、無理を通さず勝負に乗ってあちらが折れるように立ち回ったのだ。

 

 本当にそう?

 

 再び聞こえる声を押し込めるように、強く胸を押さえる。

 分かっている。

 そんなのはただの言い訳だと。

 

 今だってそう。

 大輝くんと真っ向からぶつかったら不利なのはあくまでこの芸能界という狭く閉鎖的な世界に限っての話でしかない。

 姫川愛梨が泣き寝入りを余儀なくされた時のようにテレビにラジオ、新聞雑誌といった公的機関を通す形でしか世間に情報を普及する術が無かったせいで、それを牛耳る一部の権力者の好き勝手が出来た時代ならいざ知らず、インターネットを通じて一個人が全世界に向かって配信する術がいくつもある現代において、本当の意味で捨て身になれば、守る側より攻める側である私の方が圧倒的に有利。

 

 ただそれをしてしまったら本当に積み上げてきたもの全てが消えてしまう。

 それが分かっていて、怖かったから私は出来るだけ自分が傷つかないように立ち回っていたことを自覚してしまった。

 

 でも。それなら尚更。

 私も覚悟を決めないといけない。

 だって。

 

「だったら……」

「あ?」

 

「だったら。ミキさんはどうなるの? 貴方の言う大人に守られることもなく、むしろ傷つけられて壊された、あの人の無念は誰が晴らしてくれるの? 恋人だったアイにも、子供である貴方たちも、誰も助けないなら。私しかいないじゃない! 誰が何と言おうと、私に会ってる時の、私の話を聞いてくれた時の彼は優しくて、いい人だった。そんなあの人に助けてもらった私しか、あの人を救ってあげることは──」

 

 話しながらドンドン興奮して熱くなっていく自分が抑えられない。

 そんな私とは対照的に、大輝くんは落ち着いた様子でグラスを傾け、酒を飲んでから淡々と首を横に振った。

 

「んなことねーよ」

 

「え?」

 

「言っただろ。アクアが勝負を降りて、内容を変えるところまでは口出ししないって」

 

 それで十分ミキさんの苦しみが世間に伝えられ、芸能界の闇に関する問題提起も出来ると言いたいのだろうが、それはあり得ない。

 

「それじゃ駄目。それじゃあ誰にも届かないよ」

 

 私が内容の変更だけで満足せず、星野兄妹の出生まで明らかにさせたいのは、新野冬子に世間の非難を集中させたいからだけじゃない。

 ミキさんをアイに救われただけのわき役じゃなく、物語の中心人物にする必要があったからだ。

 そうしないと、ミキさんの本当の苦しみが世間に理解されることはない。

 

 大衆の多くは受動的に受け取った情報にしか興味を示さないものなのだから。

 酷いものとなると自分で調べる労力を厭ってそれが本当か嘘かも関係なく、受け取った情報を無条件に真実だと思い込む輩もいる。

 例えば、フェイクニュースによって炎上したタレントが無実を主張し、時間をかけて裁判で真実を明らかにしたところで、それが大々的に報道されることがなければ、いつまで経っても真実が伝わることはない。

 それじゃあ何の意味も……

 

「うちの弟を舐めんなよ」

 

「え?」

 

「アイツは勝負から降りたからって適当な仕事はしない。それに、今回のドラマは監督もスタッフも全員良い仕事をした。──なによりも俺たちの演技は最高だった」

 

 だから私が余計なことをしなくても、ミキさんが目立たなくても作品は評価されて、彼の名誉も守られる。

 ずっとこちらを見ている姫川大輝の眼がそう言っている。

 

「あ」

 

 思わず口から漏れそうになる言葉を飲み込むように、私は残っていた酒を一気に煽り、空になったグラスを乱暴に叩きつけた。

 

「マスター! まるちゃんスペシャルお代わり!」

「……はいはい」

 

 若干呆れた様子のマスターが酒の用意をし始めたのを確認した後、私は大輝くんと向かい合う。

 

「返答は?」

 

 相変わらず彼の眼には嘘がない。

 ……私と違って。

 

 だから、私はにっこりと笑ったまま答えた。

 

「嫌。勝負が終わったら、私は全部暴露するわ。貴方が何をしようとね」

 

「……そうか。それならそれで良い。俺のやることは変わらない」

 

 残念がることもなく淡々と言って立ち上がろうとする。

 分かっていたことだが、今までのやりとり全てが、私を説得するための演技という訳では無いようだ。

 だけど、それは私も同じ。

 今口にしたことは嘘偽りない事実だ。

 

 ただ一つ……

 彼が立ち去る前に、私は取り出したスマホを操作して電話を掛ける。

 

 呼び出し音が鳴ったのを確認後、大輝くんにも見えるようにテーブルの上にスマホを置いた。

 その名前を見て驚いている大輝くんに対し、口元に指を持っていって黙っておくように指示すると私は、彼にも声が聞こえるようにスピーカーを起動させる。

 

『はい』

 

 少し声が遠い。

 あちらも私と同じようにスピーカーにしているらしい。

 となると誰か側にいるのだろう。

 思い当たる相手は居るが、今は指摘しない。

 

「あ! 監督ぅ? わたしわたし。ゴメンねー遅くに」

 

『いえ。大丈夫ですが……何か?』

 

 酔っぱらった演技をする私を訝しんでいるのが声から伝わるが、それは大輝くんも同じらしい。

 大事な弟に何を言う気なのかと目を細めている彼に笑い掛けてから続ける。

 

「撮影も終わったことだし、例の勝負。アレのしょーさい、てか勝ち負けの決め方? みたいなの伝えとこーと思ってさぁ。そっちも早く知りたいでしょ?」

 

『そのことですか。……こっちからも提案があります』

 

 ちょうど良いとでも言いたげだ。

 大輝くんが言うように、勝負を降りて私に勝ちを譲るという提案のことだろうが、そうはいかない。

 

「勝負を降りるって話なら認めないよ?」

『え?』

 

 彼らしくない間の抜けた声と共に、スマホの向こう側でゴクリと唾を飲む音がした。

 

「当たり前でしょー? 勝負はもう始まってるの。降りたらそれは負けを認めたってことだから。とーぜんドラマの内容だけじゃなく、君たちの出生の件も、私の好きにさせて貰うよぉ?」

 

 小賢しいあの子のことだ。今頃必死に頭を回転させて私を説得する術を考えているのだろうが、その時間も与えてやらない。

 

「もー良い? それじゃ条件ね。って言っても私も鬼じゃないからちゃーんと監督に合わせてあげる」

 

『合わせる?』

 

「そ。貴方こう言ったよね? 私が女優として百年後も評価される名作に出たいと思わないはずがないって」

 

 演技じゃなく、顔売りが評価されていた自分が情けなくて、ミキさんにも言えずにいた私の夢。

 

『それは──』

 

「だったら、私の名作の条件はそれしかないよね? 国内視聴者数トップとか、評価最高点とか、賞を取ったとかそういう小手先のことじゃなくて、正真正銘、百年先にも残るような作品に仕上げて? そうじゃなければ私の勝ちね」

 

『っ!』

 

 正直、条件だけ聞けばむちゃくちゃに聞こえるだろう。

 比喩ではなく現実に百年前から現代まで名作として残っている作品などごく僅かしかない。

 その大半が当時の天才や鬼才が心血を注ぎ、今では考えられないほどの時間や資金を掛けて作り上げられたものばかり。

 少なくとも新興のネットTV一社のみで作られた作品とは規模が違いすぎる。

 

『……あ。それって』

 

 聞こえてきたのは、星野アクアの声ではなかった。

 やはり黒川あかねも一緒に居たようだ。

 同時に彼女が私の本当の意図に気付いたことも察して私はこれ以上、二人を虐めるのはやめることにして、本題に入った。

 

「だから、勝負が付くのは百年後。約束通り、私はそれまで動かないから」

 

『え?』

 

 驚愕と言っていい声と、同じく目を見開いて硬直する大輝くん。

 二人の様子を確認して、ある程度溜飲は下がった。出来れば黒川あかねにも同じ思いを味わせたかったが、仕方ない。

 せめて、これぐらいは。

 

「話はそれだけ。せいぜい頑張って名作作ってね。じゃ、()()今男と飲んでるから、これでー」

 

 一気にまくし立てつつ、私もを強調して、高校生同士の癖にこんな時間まで一緒にいる黒川あかねの方もチクリと刺してから通話を切った。

 

「あーあ。勝負がつくまで動けないから、これからミキさんの名誉が傷つけられても私は何にもできないなー」

 

 大輝くんを見ながら、わざとらしく言う。

 

「……何で、急に」

 

「さぁ? 何ででしょう」

 

 言えない。

 言えるわけがない。

 

(君の言葉で、ミキさんを喪って以来ずっと忘れていたことを思い出したから、なんて)

 

 ミキさんの名誉や想いを守るにしても、リスクが高く犠牲も多いタレントとしての立場や人脈を使った圧力、世間の反応、話題性といった小手先のやり方を考える前にもっと簡単な方法がある。

 

 人の心を動かすような作品を作る。

 

 ただ、それだけで良い。

 良い作品だから評価される、多くの人が見てくれるなんて、子供みたいな単純な思考だけど、少なくとも私はその力を知っている。

 

 物語が、カメラワークが、BGMが、スポットライトが、そして。真に迫った役者の演技が、人の心を動かして夢中にさせると言うことを。

 そんな人たちに憧れて、そんな作品に出演したくて、私は役者を目指したのだから。

 

「私はまだ君の弟を信じたわけじゃないから。こうやって発破かけて名作にして貰わないとね」

 

 本心を語らない代わりに、憎まれ口を叩いて笑うと、彼もようやく私のことを信じたらしく、一つ鼻を鳴らしてから席に座り直し、マスターに告げた。

 

「俺にも同じの頂戴」

「はぁい。ちょっと待ってね。まずはこれ」

 

 そう言って出来上がったカクテルを私の前に差し出す。

 受け取りつつ、ちらりとスマホの画面に目を落とす。

 掛け直してこないところを見るに、やはり黒川あかねは私の本心を察して、彼に説明しているのだろう。

 共演した時、挨拶がてら仕掛けたエチュードに直ぐ乗ってきた際も思ったけど、本当に察しの良い娘だ。

 

「あー、もう。こんなことならベッドシーンの時、本当に背中引っ掻いてやるんだった」

 

 今更になってムカムカしてきて、思わず髪の中に手を入れ、グシャグシャとかき回す。

 

「そんなことしたら、アクアより黒川がキレそうだな」

「あの娘の方をキレさせたかったの」

 

 私より演技の才能も、若さもあって、思いを通じ合わせた恋人もいる。

 そして何より、私と違って本気で作品の力を信じている。

 私が欲しかったもの、全部を持っている彼女には未だ思うところがあったが、こちらから動かないと決まった以上、もう何もできない。

 

 だったらせめて、その前に吠え面かかせてやれば良かった。

 負け惜しみみたいなことを考えながら、バーのカウンターに両手を付いて寝そべって少し待っていると、もう一つ私と同じカクテルを完成させたマスターが、大輝くんのところに差し出した。

 

「どうも。じゃ、改めて乾杯しとくか?」

「何によ?」

 

 結局今までやってきたこと全部が無駄になった私に対する嫌味かとグラスを傾ける大輝くんの顔を睨みつけたまま言う。

 しかし彼は、そんな私に向かってニヤリと唇を片方持ち上げて笑った。

 

「そりゃもちろん、片寄ゆらが女優に戻ったことに、さ」

「戻った、ね」

 

 何から戻ったかなんて言うまでもない。

 慣れない復讐者という生き方はもう終わり。

 ミキさんには申し訳ないが、私にはその生き方をするだけの才能も思いも、……覚悟も無かった。

 

 ぐっと両手に力を入れて顔を上げる。

 そうしてから私は置きっぱなしになっていたグラスに手を伸ばした。

 

「乾杯」

「ああ」

 

 酔いが回って力加減を間違えたのか、思い切りぶつかったグラスから酒が一滴、流れていった。




割とあっさり改心しましたが、それはかつてのアクア同様、片寄さん自身も復讐を終わりにしたいという意識と、自分が間違っているという思いが残っていたからです
次回はまた少し間隔があきます
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