煙を吸い、肺に満たす。
そして、ゆっくりと吐き出す。
吐き出した細い紫煙が夜気の中に漂い、ゆらゆらと形を変えながら消えていく。
その揺れをぼんやりと目で追いながら、無意識に、この銘柄を吸うたび口から出る言葉がまた漏れた。
「……あー、まっず」
久しぶりに煙草を吸ったが、相変わらずこの銘柄は不味い。
俺みたいに偶に吸うくらいならともかく、愛飲している橙子さんは、自分のために作られたとしてもよく他の銘柄に変えないなと、吸う度に思う。
俺は喫煙者ではあるがそんなに多くは吸わない。せいぜい一ヶ月に一回二回あるかないかぐらいだ。
吸うきっかけは獅子劫さんとかに一緒に吸うか誘われる等幾つかあるが、その内の一つが
まぁそういうことだ。
風呂に入ってさっぱりしても胸の奥の引っ掛かりは取れなかった。重症だなこりゃ。
あぁ、だが一つ、判明したことがあったな。
「……こういうのって、マジであるんだな」
──古傷が疼く。
数年前のギリシャ亜種聖杯戦争。
原初の人狼──バーサーカー・リュカオンとの戦い。
サーヴァントに師事してると言っても現代の人間、片や神の呪いにより人狼に変じた──謂わば
俺に
抉られた腹と脇腹。
胸に刻まれた五本の爪跡。
右目の上の大きな一線。
切断された右腕の治療痕。
雷霆に灼かれた左腕。
その他無数の傷跡が、何故か叫んでいるのだ。
まるで──
「…………」
俺は浴衣の懐に手を入れ携帯灰皿を取り出す。
指先で短くなった煙草を押し付けると微かな火が消え、そのまま吸い殻を中に落とし入れる。
不味い上にまだ吸い切ってはいなかったけど、これは橙子さんが二十歳の時に贈ってくれた、段ボール一箱分しか作られていない貴重な銘柄。少し勿体なくも感じる。
……まぁ、副流煙を吸わせることを考えればマシと思っておこう。
「……何の用、フィオレ?」
ぱちん、と蓋を閉じて振り返る。
その先には、車椅子に乗った美少女──フィオレが、いつものように穏やかに微笑んでいた。
◼️ ◼️ ◼️
フィオレが隣に来るのを尻目に、友人の霊薬師に製作して貰った口臭タブレットを取り出し口に含む。
煙草を吸った後、蛍姉さんに「ちょっとくさい」と言われたのが未だにちょっとしたトラウマになっているのだ。ちなみに理由をその霊薬師に話したら爆笑して過呼吸になりかけた。あんのショタおじさんめ。某童話作家とはまた別ベクトルで無駄に良い声しやがってあんにゃろ。
あのうざい顔を思い出したせいか少しばかり乱暴にタブレットを噛み砕くと、フィオレが口を開いた。
「煙草を吸うなんて珍しいですね。何か嫌なことでも?」
「………………言ってたっけ」
「凪斗さんの御実家に行った時にお姉様から聞かされまして。確か……そう、凪斗さんがダレイオス王を相手にしていた時ですね」
「あー……」
あれか。対集団の模擬戦。
ダレイオスの指示が入った途端、動きの質も連携の鋭さも一変して、全くついていけなくて、ローランのやばさを痛感したやつだ。
最後は確か……そう、包囲から逃れたと思ったら、組体操してきた不死隊に足を掴まれて引き摺り込まれて武器と礼装全部奪われて集団リンチされて、最後戦象で踏み潰そうとしてきて、何とか回避したら戦車に撥ねられて、戦象に騎乗してた
うん、思い出してもオーバーキルにも程があるな。あの時のオイ・メロポロイの「あ、ラッキードンピシャァア!!」みたいな顔は忘れねぇ。夜にやったUNOでドローカード何回も叩きつけてやったけどな!
何にせよ、殺されないことと不死隊の性格が面白いことを加味しても並のホラー映画や魔術師による事件なんて比にならないぐらい怖かったなぁ。
「あの時はびっくりしたんですよ? お茶をしていたら急にぼろぼろの凪斗さんが吹き飛んできて。次の瞬間にお爺様が凪斗さんを蹴っ飛ばしてたんですから」
「犬神家状態だったのはそういうことだったのね……」
おのれ爺ちゃん。
今度山奥から帰ってきた時はぶん殴ってやる。
「ちなみに爺ちゃん以外に誰かいた?」
「確か……お姉様と
「おっけー分かった。あんがと」
「…………何故メモを?」
「報復」
阿羅霧さんは嫁さんにチクってグリュディオスは腹パン、ローランはいつも通り全裸になったところに魔術礼装化してるレゴブロックを撒いてやろう。
姉さんは……なんかやろうと思ったけどやっぱやめよ。
世の中には兄より優秀な弟も兄より優秀な妹も姉より優秀な妹も存在するが、唯一姉に逆らえる弟は存在しないのだ。後が怖いのだ後が。
よしメモ完了。
これで聖杯大戦のうやむやで記憶から消えてもまた思い出せる。フィオレが苦笑いしてるけど気にしなーい。
さて、と。
雑談の時間はそろそろ終わりにするか。
「本題は?」
息を整え、空気を変える。
フィオレの瞳もその切り替えを感じ取ったのか、真剣な色を帯びる。
俺は勘違いされがちだが、そういう気配には結構敏感だ。
韓国亜種聖杯戦争──セイバー・アルテラのマスター、アグリュト・パレネ・ギオスセファルの殺害をきっかけに、明雲凪斗の名は広まった。
アグリュトは神代より続く"ギガースへの変貌"を目指すパレネ家の最高傑作。埋葬機関相手に生き延びたりアルビオンに何度も潜って成果を上げたりと、かなりの化け物。
そんな奴を殺したのがたった十五のガキ。そりゃ注目されるわって話だ。
セファール復活未遂で魔術協会の観測が集中していたこと、あとは"亜種聖杯戦争に何度も参加している日本人の子供がいる"なんて99%嘘みたいな噂が本当だったってことが判明したのも拍車をかけたな。
更にこの世界は、亜種聖杯戦争のせいで、色位相当のダーニックが政治力込みでも冠位──橙子さんと同等の位置に数えられるほどに魔術師の数が減っている。ぶっちゃけ俺もその片棒を担いでるようなもんだけど……俺は積極的に殺しに行ってないから! 悪路王のマスターみたいに「あ、もうコイツ駄目だな」って奴しか殺してないから! それに王様のマスターみたいにサーヴァントに殺されてるマスターも結構いるから!
……話が逸れたが、だから俺を利用しようとする連中はかなり多い。申し込まれる縁談の数がその証拠。縁談で取り込むのは常套手段だからな。
故に俺は利用されるのを防ぐため、常に感覚を研ぎ澄ませざるを得なかったのだ。サリアの姉御にも「あなた今のままだったら絶対利用されるわよ?」って忠告されたのも功を奏したな。
さて、ここまで話したがフィオレにそういう気配は感じない。
だが、フィオレがわざわざ来たこと、そしてユグドミレニアの面々を鑑みると──
「ダーニックおじ様が何か謀を巡らせています。御注意を」
「やっぱりか」
あのダーニックが手をこまねいてるわけがないか。
問題はどう出るか。
ダーニックはあの魔の時計塔で“八枚舌”と呼ばれる程の怪物だ。
普通に戦えば俺が勝つだろうが、政治では逆。あいつにとっちゃあ俺はただ肝が異常に据わっててサーヴァントに対抗できる武力を持つ
思い出したくはないが、ロード・トランベリオやロード・バリュエレータを相手にした時以上に警戒すべきだろうな。
「何をしてくるかねぇ……」
考えるだけで胃が軋む。魔術研究にうってつけな時計塔や亜種聖杯戦争で生き残るために身につけたものの、これだから政は嫌いなんだ。
懐にある煙草の箱へ、無意識に指が伸びる。
だがフィオレの存在を思い出し、その手を止める。
横目でそれを見ていた彼女は、口元を手で覆い、くすりと笑った。
「構いませんよ」
「………………本当に?」
「えぇ。煙草を吸っている凪斗さんは、中々見られませんので」
「……じゃあ、遠慮なく」
俺は彼女から少し距離を取ると、煙草を一本抜き、魔術で火を灯……そうとし、視線が突き刺さる。
視線の主は無論フィオレ。彼女の瞳が、じっと煙草ではなく俺の手元を追っていた。
やはり気に障ったかと、箱を取り出そうとした瞬間、フィオレが慌てて止めてきた。
「じゃあ一体……」
「いえ、その、前見た時はライターを使っていたので。凪斗さんがよく自慢していたあれを。少し気になっただけですので、その、お構いなく……」
「……そういや、そうだったな」
少し恥ずかしそうに目を伏せるフィオレに疑問を浮かべながら、俺は懐からライターを取り出す。
ライターといっても市販のものではない。
俺の爺ちゃんが親交のある職人に百足を彫ってもらった特注品。艶やかな黒鉄の表面を這い回るような百足の彫金が、部屋から漏れ出る光を反射する。
二十歳の時──ロシア亜種聖杯戦争の後に、携帯灰皿と共に贈られた大事なもの。
煙草を吸う時はいつもこれを使っていたのに、どうして今回は忘れていたんだ?
「……凪斗さん」
「ん?」
「一つ、尋ねても宜しいですか?」
「別にいいけど……そんな畏まってどうし──」
微かに胸の奥でざわつきが走り、言葉が止まる。
普段なら平然と返せるような、ただの質問なのに。
いや、この感覚には覚えがある。
アーラシュに、キャスター・フィン・マックールに、そして──セイバー・ソフラーブに問われた時。
あの瞬間に経験した、胸の奥の震え。
その時の感覚が、今蘇っている。
あぁ、ようやく理解した。
こうして胸がざわつく時は、往々にして──
「何故、"赤"のバーサーカー──スパルタクスの下へ、行かないのですか?」
──核心を突かれる時である、と。
「…………あー、きっつ。いってぇなァ畜生が」
「言動と行動が矛盾しているぞ……何故立つ? 何故挑む? 何故逃亡を選ばない?」
「アンタやっぱり言葉が理性的過ぎるでしょ。どこがバーサーカーだ。どっちかというとセイバーとかランサーだよこじつけで何とかできるでしょうに……」
「質問に答えるがいい」
「何故って言われても……男が男に『任せろ』って言ったんだ。そこで逃げたり倒れたりすんのはカッコ悪過ぎんにも程があるってだけの、まぁただのくだらないプライドですよ」
「そうか。だが二度とくだらない等と自嘲するな。私を前にして立つ時点でそれは歴としたプライドだ。それをくだらないと自嘲するなど不愉快極まる。誇れ、盛大にな」
「……やっぱアンタバーサーカーじゃねぇだろ」
「私自身はこのクラスで召喚されていることにある程度の理解を示しているがな……あの目障りな蜘蛛も彼方へ吹き飛ばし、執念深い怨霊もひとまず散らしたところだ。丁度良い。貴様に一つ、問うべきことがあった」
「何でしょーかね王様?」
「聞き及んでいるぞ。貴様は幾度も亜種聖杯戦争に身を投じ、幾度もその最果てに至ったと」
「数多の血を啜り屍を越え英霊を屠り、その手に杯を掴む──その意を理解していない貴様ではなかろう」
「ただ生きたいだけならば最も簡単な方法がある。それを思い付かない頭ではなかろう」
「故に問う」
「貴様は何故この戦いに臨む? 何を以て
「──ま、そりゃそうですよね。よく聞かれますよ」
「一つ、前提を。俺は
「英断だな。あり得ぬが、もし私が敗者の立場であったのならば死んでも殺す」
「俺が戦う理由は──────」
「──────クッ」
「ハハハハハハハハハハ!!!」
「喜ばしい! 喜ばしいなァ! よもや、現代に
「賞賛を、喝采を贈ろう! 運命に怒り、正面より意志を貫く過酷なりし旅路を歩む
「貴様という
「貴様の戦う理由は──紛れもなく、正当なものであることを!」
「ハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
──狼王との問答