「それで、会長サマの調子はどうなんだ?」
『そこ』に辿り着いて、促されるままトレーナーさんの隣に座った時、彼女は早速とばかりに話の口火を切っていた。
冬のほんのりと肌寒い空気で、辺りは爽やかに澄み渡っている。穏やかな昼下がり。ちらほらと見える人々は、それぞれに思い思いの時間を過ごしている。
今日もいい天気だ。
「例の一戦で、『完全復活』とかって持て囃されてたけど」
「……問題なさそうですよ。今んとこは。『再故障』も何のそのって感じです」
11月の暮れ、ジャパンカップ。
国内外の強豪が集う一大レースで、彼女は――テイオーさんは、着差クビ差という熾烈な争いを制していた。
生憎とテレビ越しでの観覧となったけれど、これまでの空虚な走りが嘘だったかのような、太陽のような笑顔とガッツポーズは、一週間がたった今でも鮮明に記憶に残っている。
時の天才は、見事な復活を果たしたのだ。
……ただまぁ、そのレースで再び脚を痛めてしまったらしい。
一応、有マに向けて調整しているみたいだけれど、ちょっと難しいかもしんないね――と、偶然行き会った廊下で、笑いながら語っていた。
故障に次ぐ故障で、こちらの気分が消沈する。
でもそれを吹き飛ばすみたいに、彼女はバシバシと私の背中を叩いていた。
大丈夫だよ、と。
もう、失望させたりしないから――と。
「……大丈夫だと思いますよ。きっと」
「そうかい」
どんな結果になろうとも。
彼女が暗闇に迷うことは――もう、無いだろう。
「……で?」
「ん?」
「いや、ん? じゃなくて」
ともかくと――
問い直すけれど。トレーナーさんは首を傾げるばかりだ。
まるで何のことかわからん、と言いたげな振る舞い。
……呼んだのはあなただったと思うんだけど。
「どうして呼んだんです? こんなとこに」
呆れつつも、再度訊ねる。
どうして私を、呼び出したのか。
「話なら、別のとこでもよかったでしょう」
そう。
どうしてわざわざ――『公園』になんぞ、呼び出したのか。
「んー」
彼女は、唸りながら懐を弄る。
取り出すのは、いつものココアシガレットの箱。
「……まぁ、強いて言えば、ここがあたしらの始まりの場所だから、かな」
そのうちの一本を取り出し、口に咥えると。
もう一本を、箱から頭だけ出した状態で、私に差し出した。
「ん」
「……」
……一本やる、ってことだろう。
そうなれば、拒否することもないだろう。
差し出されるまま、受け取るけれど。
……私、これ食べたことないんだよな。
「お前さぁ、」
なんか、ココア味のラムネみたいでスースーするな――なんて考えていると、彼女は言う。
「夢とかねーの?」
――夢とか、あるんですか?
「……え」
「一応、エリカ賞*1から動くとは話したけどさ」
恥ずかしがることもなく。
毅然と言う。
「あたしはお前に救われた。お前のお陰で、過去と決別出来た。……次はお前の番だ」
お前の夢を、
叶える手伝いがしたい。
……真っ直ぐな瞳で、そう言ってくれる。
「……」
……とは言うものの。
そもそもそれは、私こそ恩返しのつもりでやったものだから、恩返しの恩返しってなったらキリがないんだけど。
そんな冷めたこと言うのもちょっと違うか。
「…………」
彼女は茶化さない。
いつもなら見られないであろう、真剣な眼差しに晒されながら、考える。
公園には、有り触れた環境音と。
どこか控えめで、上品な風の音が響いている。……
――桜の大木の前に、私は立っている。
――隣に立つ男性に、私は無邪気に話しかける。
「――、――……」
それは思い出。
過ぎ去った思い出。
――私、
――絶対、
――すっごい、ウマ娘に――……
もう、絶対に。
届かないと、思っていた夢――
「……トレーナーさん」
どれくらい時間が経ったかわからない。
彼女の表情は、大して変わっていないから。たぶん、そんなに経っていないのだろう。
「アシカガトレセン学園、って知ってます?」
「あー……栃木のか。確か、経営難で無くなったっていう」
「はい。私……実はそこの、最後の卒業生の一人なんです」
卒業する前に無くなっちゃったから、厳密には卒業生じゃないんですけどね。
頬を掻きながら言う――アシカガトレセン。かつて存在した地方トレセン学園。
私の――『始まりの場所』。
「それで……一緒に卒業した子が、他にあと三人いるんですけど。その子たちとは、最後まで仲良くて……いつも四人でつるんでは、色んなことして遊んでたんです」
駆けっこはもちろんのこと。
かくれんぼやら鬼ごっこ。
何が何だかわかんない遊びや。
単に騒いでみたり。
仲良くはしゃぐことがほとんどだったけど。
くだらないことで喧嘩することもあった。
多くの時間と、多くの出来事を共有した。
掛け替えのない、親友たち。
「……私」
新バ戦に。
未勝利戦。
テイオーさんとの一騎討ちを経験して。
感じたのだ。
「本気でレースするのって……楽しいなって思ったんです」
お互いの信念を。双方の主張を。
理想を。夢を。真正面からぶつけ合うこと。
あの時、あの瞬間――本当に、楽しかった。
でもそれは。
飽くまで、まだまだ序の口のレース。
いつか、チヨちゃんと話したことが、脳裏をよぎる――
もし重賞となったなら。
一体、どうなってしまうのか――
「私、思うんです」
だから、思うのだ。
「……みんなで……走ってみたい、って」
公式のレースで。
『最高峰』の舞台で――
「本気で、
真剣に、
勝負してみたい、って――……」
その少女は、古ぼけたラジオの流す音声を聞いていた。
届けられる情報は、直近のレースに関するもの。
彼女にとっては日常であり、特別な意味は無かったが。
覚えのある名前が聞こえて、思わず耳を傾けてしまっていた。
「――フェア姉、そろそろだよ」
硬直していた少女は――
背後から聞こえてきた声に反応し、我に返る。
ラジオの電源を落とすと――
背を向け、そこから立ち去る。
その少女は、高級感溢れるロビーにて、大型テレビの画面を見つめていた。
流れている映像は、最近の競技に関するもの。
彼女にとっては興味のないものであり、特殊な事情も無かったが。
忘れがたい姿が見えて、思わず立ち止まっていた。
「――おーい、スレイちゃーん」
釘付けになっていた彼女は――
呼びかける声に反応し、気を取り直す。
テレビから視線を切り――
振り返らずに、歩き出す。
その少女は、薄暗い部屋の中で、ブラウン管のテレビ画面を眺めていた。
映されている画像は、間近に開かれた試合に関するもの。
彼女にとってはいつものことであり、特段注意を向けることも無かったが。
夢見た景色が映って、食い入るように見つめていた。
「――ア、アルさん。お、お食事、です」
惹きつけられた彼女は――
掛けられた言葉に反応し、正気に戻る。
画面を付けっぱなしのまま――
ゆっくりと、振り返る。
「――まぁ、あの子たちが今、どこで何をしているのかもわかんないんですけどね」
困ったことに、まずは見つけるところから、ではあった。
当時の私たちは、携帯電話なんて便利な物は持っていなかったから。
接触を持つところから――始めないといけない。
「でも、どうにかしてみんなを集めて、大舞台へ――そう。『有マ記念』へ」
――有マで待ってる。
『彼女』の言葉を、想起しながら。
「――出てみたい。それが、今んとこの、私の夢ですね」
それは、私『個人の夢』とも重なるもの。
壮大で、遠大な理想。
我ながら、トチ狂っているとしか思えない、そんな物語に――
トレーナーさんは。
呆れたように、息を吐いていた。
「……お前なぁ」
そして、言うのだ。
「わかってんのか? 中央に入るってだけでも、とんでもねー話なんだぞ。今から三人、見つけ出して入学させたうえで……
本当に、困ったように。
障害を目の当たりにしたみたいに。
苦笑いで、言うけれど。
「……、」
その苦笑いは。
間もなく、悪い笑みに変わっていた。
心底に楽しげに――
吊り上がっていた。
「――だが、面白ぇ」
……その理想に対して。
微塵も、恐れてなどいなさそうだった。
「面白いってのは大事なことだぜ、バカウマ」
そして――いいぜ、と。
「お前のその夢――付き合ってやるよ」
言いながら。
ベンチから立ち上がると。
私に向けて、拳を差し出す。
「……『進出開始』だ」
「……どうもです」
……それを見て。
私もまた、立ち上がる。
見上げる彼女の瞳を。
真っ直ぐに見つめながら。
「それじゃ――よろしくお願いしますね」
そう返して。
自身の拳を、打ち付けた。
「――クソトレーナーさん」