16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

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いいとこ入った!

「――へいへいっ、どうしたどうしたぁー!!」

 

 トレセン学園のグラウンドに、威勢のいい声が響く。

 

「お前の力はそんなもんかぁ!? へんにゅーせー!!」

 

 青色のツインテールを靡かせ走る、小柄なウマ娘。

 ツインターボのその声は、彼女の後方、1バ身ほど背後へと向けられていた。

 

「あんま喋ってっと、舌噛みますよ先輩っ!」

 

 返すサファイアアリオンは、余裕がある、という風ではないが、過度に疲労しているようでもない。

 ペースガン無視で走るターボに、素直についていくべきかどうか、決めかねているような走り方だ。

 

「――今のペースですと、舌を噛むより垂れる方が早いでしょうね。素直についていくことをお勧めします」

 

 そんな彼女に、背後から語り掛けるのはイクノディクタス。

 先輩としての優しい助言のように思えるが、待ったをかけるのはさらにその後方。

 

「騙されてはいけません! イクノはいつも私たちより二手三手先を読んでいます……! ここは思い切って追い抜くべきです!!」

 

 敵なのか味方なのかよくわからない発言をするマチカネタンホイザに、苦笑いするのはそのさらにさらに後方、鹿毛のツインテール。

 

「いや、ただの併走なんだし。もう少し肩の力抜いたらどーですかねー……?」

 

 ナイスネイチャの思いが、そこに居合わせたウマ娘に伝わったかはわからない。

 どちらにせよ、ドドドドド――と、集った五人は、グラウンドを走り抜けていく。

 その様子を、斜面から二つの人影が見守っていた。

 

「さすがに壮観ですね」

 

 軽くウェーブのかかった長めの前髪と、優しげな眼差し。

 南坂は、普段は余り見られないであろう光景に感動しながらも、疑問を抱いてもいた。

 

「まぁ、これを併走と定義していいのかは微妙ですけど」

「最初は二人のはずだったんすけどね」

 

 そんな彼の隣。サファイアアリオンの担当は、ノートパソコンとコースとを交互に見ながら応じる。

 思い浮かべるのは、この併走が行われることになった経緯だ。

 

 ウマ娘は、競う相手のいる練習の方が、トレーニングの効果を得られやすい。

 彼女らが本能的に持つ闘争心が、眠れる力を擽ってくれるとかなんとか。

 サファイアアリオンは、これまでに()()()()()お陰で、競争相手がいる環境で練習を行えていなかった。

 だから今日、これまでのある意味での遅れを取り戻す、という意味合いも込め、併走での練習を行うことになったのだが――

 

 それに付き合ってくれそうな相手――ナイスネイチャに声を掛けたところ。

『ターボも絶対やる!』とツインターボが付き合いたがり。

 騒ぎを聞きつけたイクノディクタスも、面白そうだからと参加を表明。

 するとどこからか現れたマチカネタンホイザも、仲間外れは許しません! と首を突っ込んできて――

 

 始まってみれば、計五人での併走と相成っていた。

 

 チームカノープス――

 その『個性』の強さはかねがね耳にしていたが、まさかここまでとは――と、さしもの担当も舌を巻いていた。

 

「そんな顔をしないでください」

 

 南坂は、どこか申し訳なさそうに言う。

 

「悪気も裏もありません。ただ本当に……一緒に走りたいだけなんです。況して、例の『事件』から勢いに乗ってきた『新人』ですから。どうしても気になってしまうものなんですよ」

「……別に悪い気はしてないっすよ。付き合ってもらえるのはありがたいっすから」

 

 しかし、そういうことである。どんな理由にせよ、練習に付き合ってもらえている時点でありがたい話。彼女としては、驚きこそすれど、軽蔑なぞしたつもりはなかったのだが。そんなに不愉快そうな顔をしていただろうか、と思わず頬を軽く抓る。

 

「あぁ、そうだ」

「?」

「――エリカ賞1着、おめでとうございます」

「……どうも」

 

 にこり、と笑う南坂の称賛を、担当は素直に受け取れなかった。

 1着とは言え、まだpre-OP戦だ。気を緩めるには早い――というのもあったし。

 それより何より。

 

「? どうなさいました?」

「や……南坂さんて」

「はい?」

「よく、胡散臭いって言われません?」

「えっ……ひ、ひどい……!!」

 

 がーん――という擬音が目に見えるかというほど。

 さもなければ、かのムンクの『叫び』。

 

「――おー、やってるね」

 

 がっくりと膝をついた彼の背後――

 新たな声が、そこに投げかけられる。

 

「……おう」

「ん。久しぶり」

 

 トウカイテイオーは――

 ()()()を器用に操りながら、彼らに歩み寄っていた。

 

「楽しそうなことしてる、って聞いたから、見学に来たよ」

「そうでもねーよ。ただ並走してるだけだ」

「それが楽しそうって言ってるんだよ! 羨ましいなぁ。ボクもあの子と走りたいよー」

 

 語りながらも、テイオーはそれに参加することは叶わない。

 なぜなら。

 

「――何しろ『これ』が! 『これ』なもんで!」

 

 松葉杖が激しく揺さぶられる。『故障』した自分の脚の容態を、コミカルに伝えたつもりだったのだろうが。生憎と担当の顔は、微妙そうに引き攣っていた。

 

「あれ? ウケなかった? おかしいなぁ」

「オメーは一度倫理の設定を見直した方がいい」

「えー? ネイチャは笑ってくれたんだけどなぁ」

「愛想笑いって知ってるか」

「あれ、テイオーさん。いつの間に」

 

 ようやく立ち直った南坂も、そこに来てテイオーの存在に気付く。

 テイオーは、松葉杖を軽く振って挨拶とした。

 

「……怪我の具合は?」

「まずまず。いやー、面目ないよ。ボクとしたことが、無理して11着(惨敗)な上に故障までするなんて」

「ジャパンカップの時点で優れなかったのでしょう? 見送っていればよかったのに……」

「ん……でも、あそこで走ってなかったら、たぶんボクは満足出来てなかった」

 

 故障に次ぐ故障。

 普通ならば自棄になり、競争人生を投げ出してしまいかねない悲劇。

 それでも彼女の表情に、もはや影は無い。

 

「……大丈夫だよ、ボクはもう」

 

 失望させないって。

 決めたから。

『あの時』の雰囲気など、見る影もなく。真っ直ぐに向けたその瞳の先。

 

「――あ、テイオーだ!」

 

 そんな彼女らに、併走を終えたアリオンたちが駆け寄る。

 10個分の瞳もまた、明るい光に満ちていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「ひさしぶりだなー! 有マの走り、凄かったぞ! ターボは感動した!」

「そっか。ありがと。……結果は残念だったけどね」

「だからアタシは無理すんなって言ったのに」

「むぅ!? 無理すんなと言われたら無理するのが会長の性でしょ!」

「いやいや、意味わかんないから……」

「なんという素晴らしい心意気……! これは私たちも見習われないといけませんね。早速実践してみましょう!」

「むむっ! それならまずは故障するくらいトレーニングがんばりますかっ」

「マチタン辞めて。それは笑えないから」

 

 ……女は三人寄れば姦しい、っていうけど。

 ただでさえ騒がしい空間が、更に騒がしくなったなと思う。

 当然のごとく、四人とテイオーさんは知己の仲だ。

 一度エンジンがかかってしまえば、ぽっと出の私に付け入る隙などない。

 それそのものは、考えてみれば仕方のないことなのだけれど。

 

 ……なんだろ。

 やっぱりちょっとだけ、寂しかった。

 

「――変に考えずに混ざってこいよ」

 

 そんな私の考えを、見透かしたらしい。

 トレーナーさんの声に振り向くと、彼女はノートパソコンに目を向けたまま言っていた。

 

「しがらみとか考えずに仲良くなれんのはガキの特権だ」

「……ガキじゃないですよもう」

「14は立派なガキだガキ。っつーかそうやってガキぶらないようにしてんのがまずガキそのものだガキ」

「一文でどんだけガキガキ言うんですか……」

 

 何か癪に障るようなことを言っちゃったのかもしれない。なんだよもう。そこまで言わなくてもいいじゃん……

 

「……ガキかどうかは問題じゃないです。私には聞かなきゃいけないことがあるんですから」

「評価か?」

 

 頷くと、彼女は一息吐いてから応えてくれる。総評すると――上々。やはり単体よりも、バ群に揉まれた方がいい結果が出るとのことだ。

 お前にはまだ潜在能力がある。

 それを引き出すためにも、定期的に併走組むのはやはり必要だな――と。

 少し前の彼女では、考えられないような指導方針。

 

「……」

 

 ひとしきり語って……

 しかし彼女は、神妙そうに口を閉ざした。

 

「……?」

 

 一転して不穏ですらあるその表情に、私は首を傾げて。

 

「……どしたんです?」

「あー……」

 

 彼女は、言うか言うまいか。そんな逡巡を表情に滲ませながら、懐を弄ると、ココアシガレットを取り出していた。

 それを口に咥えて。

 

「……気にしてるか?」

 

 ……徐に、続けられた言葉に。

 今度は、私が口を閉ざす番だった。……それが答えだった。

 

 例の『事件』は、既に遠く。

 気が付けば、二ヶ月近い月日が流れていた。

 初動として捉えていたエリカ賞も危なげなく1着を千切り、順調な滑り出し――

 次は、年明けの若駒ステークスを目指すこととなった。

 トレーニングも恙なくこなしており、学園生活にも大きな問題はない。

 不安に思うことなんて――そうそうないはずなんだけど。

 

 

 ……それでも、走りに表れてしまうぐらいには。

 気にしてしまうことは、あった。

 

 

 旧来の親友。アシカガトレセン学園、16年度の卒業生――

 私の夢のために、まずその安否を掴むことから始めたはいいけど。

 二人、空き時間を使っての懸命な調査にも関わらず――

 目ぼしい情報を掴むことすら、満足に出来ずにいる。

 

「まぁ、気にしたって、しょうがない」

 

 そんな私を落ち着かせるみたいに、トレーナーさんは言った。

 

「情報が集まらないうちは、目の前のことに打ち込むことだ。身体を動かすのはいいぜ。他に何も考えなくて済むからな」

「……はい。そのつもりです」

「……言っても実践は難しいか」

 

 私としてはちゃんと返したつもりだったんだけど、汚れみたいに執拗にこびりついた心の曇りは消し切れていなかったみたいだ。息を吐いたトレーナーさんに、少し、申し訳なくなった。

 

「急いては事を仕損じるっていう。まだ時間はあるんだ。腰を据えていくことだ」

「……、わかりました」

「――おーい、へんにゅーせー!」

 

 返事と同時――

 無邪気で、元気いっぱいな声が飛んでくる。

 

「話終わったかー? 食堂行くぞー!」

「行ってこいよ」

 

 呼び掛けに、ちらとトレーナーさんの方を見ると、彼女は再びパソコンに目を落としていた。

 私はそれに――()()らしく口が綻ぶのを感じつつ、はい、とだけ返した。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 とまぁそんな感じで、食堂。

 

「そういえばさ」

 

 休日にも関わらず、多くの生徒で賑わうその場所の端の方。テレビが備え付けられている席にて、ネイチャさんが唐突に口を開いていた。

 

「どんな子たちなの? その同級生って」

「へ」

「どーきゅーせー?」

 

 続いて食いつくのはターボさん。

 

「同級生?」

 

 そして芋づる式に。

 

「同級生とな?」

 

 次々と。

 

「あー同級生ね」

 

 イクノさん、マチタンさん、そしてテイオーさんが続いていた。

 

「……えっと」

「捜してるんでしょ? 確か」

 

 そのような連鎖反応は想像していなかったので、思わず困惑すると。ネイチャさんがサポートとばかりに言ってくれる。

 

「四人で有マ行きたいんだっけ。すっごいこと考えるね~相変わらず」

「……なんでもう広まってんですか」

「いやいや。あの『決闘』からもう二ヶ月だよ? そりゃー噂も広まり切りますよ」

「トレセンの噂は、一日で学園を三周はしますからね」

 

 再び、ネイチャさんに続くイクノさん。とんでもねぇ俊足だった。

 

「しかし遠大な目標ですね。中央(ここ)に入るだけでも大変だというのに」

「へんにゅーせーの友だちか~! 一体どんなやつなんだろうな!」

「むむぅ、マチタンさんも気になりますね!」

「ボクも詳しく聞いてみたいかなぁ。捜す足しくらいにはなるかもよ」

「……んと」

 

 みんなそれぞれ、好意的な反応を示してくれたけれど。正直、ちょっと躊躇った。

 ……だって、私の言う目標は。

 ほとんど我欲だ。

 

 トレーナーさん以外の誰かを巻き込むことなんて、想定していない。

 況して、彼女らにも彼女らの戦いがあるだろうに。手を貸してもらおう、なんておこがましい話だと思うんだけど。

 

「……」

「?」

 

 ……五人の、悪意のない透き通った目に晒されると、そうして拒むこともまた、躊躇われた。

 

「……じゃ、一人ずつ」

 

 なので、結局観念して、『それ』を話すことにする。……

 

 

 

 

 

 アシカガトレセン学園。栃木県は足利市に所在していた、私の、私たちの、『始まりの場所』。全盛期には世に有名なトレーナーさんが在籍していたり、県営のレースが行われたりで、結構な賑わいを見せていた。*1

しかしその賑わいも、時と共に徐々に低迷。

 末期はウツノミヤやタカサキといった他トレセンや競レース場と結託してレースを執り行ったりしたものの、時代の流れには逆らえず。

 つい6年ほど前に、閉校に追い込まれてしまった。

 

 そしてその最後の卒業生、四人組のうちの一人が――この私、というわけ。

 

「個性的な子たちでしたよ」

 

 箪笥から古ぼけた写真を引っ張り出すみたいに、過去の記憶を想起する。

 

「ルビーフェア。つんつんした赤いショートヘアの子で、言動は粗暴だけど、面倒見のいい常識人」

 

 一人目。

 

「スレイエメラルド。緑がかった長い黒髪に、眼鏡をかけてた子。理屈っぽくて現実主義な、見た目通りの優等生」

 

 二人目。

 

「で、ダイヤアールヴァク。長い芦毛のちっこい子。よくわからない行動ばっかりしてた……いわゆる不思議ちゃん」

 

 三人目。

 

「……当時は、携帯電話とか持ってなかったんで。連絡手段も無くてですね。早速詰んじゃってるんですけど」

 

 でも、叶うといいと思う。

 また、会えたらいいと思う。

 最高の舞台で――

 最高の勝負を――

 出来たらいい、と。思う。

 

「で、そのー……」

 

 心当たりとか――あります?

 恐る恐る聞いてみるけれど、彼女らは、顔を見合わせるだけだった。

 

「……ないな!」

「ないですね……」

「ないです!」

「ないかなぁ」

「ないねぇ」

「そっすか……」

 

 まぁ、元々あれば御の字、という気持ちだった。特に落胆の気持ちは無い。

 むしろ、考えてくれてありがとう、とすら思う。

 

「でも見かけたらすぐわかりそうだし……気に掛けとくよ」

「そーだな! とりあえず、それっぽいやつがいたら、片っ端から声掛けてみる!」

「いやいや、人違いだった時の気まずさ半端じゃないから、さすがに止めてね?」

「しかし時には大胆な手も必要です……何なら街頭演説も辞さない覚悟ですよ」

「むむ! では原稿はマチタンが書きましょう!」

「選挙じゃないんだからさぁ……」

「……」

 

 テイオーさん、ターボさん。ネイチャさん、イクノさん。そしてマチタンさん――みんなの優しさ、痛み入る。

 そもそも三人とも、この近くに住んでいる保証もないから。見かけることすらないかもしれないけれど。何もないより遥かにマシである。

 ……まぁこの空気感、半分は悪ノリっぽそうだけど。

 

「……恐れ入ります」

「いーんだよ、そんな畏まらなくてもさ」

 

 テイオーさんがひらひらと手を振る。それに、思わず頬を指で掻いていた。

 

『――えー、では続いてのニュースです』

 

 ちょうどその時、テレビ画面が新たなニュースを流していた。

 

『昨日未明、██県██市に所在していた『地下競レース場』の立ち入り捜査が行われました。該当の施設ではいわゆる『ブラックレース』が行われていた疑いがあり、警察は慎重に裏付け捜査を進めています。……現場から中継です。松下さーん?』

「……無くならないねー、ブラックレースも」

 

 テイオーさんも、それに関心を向けたらしい。後頭部で手を組み、椅子の背凭れに凭れ掛かる。

 

「これで何件目? 今年入ってもう2、3回くらいは差し押さえられてるんじゃない?」

「とんでもないスタートダッシュですね。もしかしたら、去年を上回るかもしれません」

 

 続くのはイクノさん。

 

「でもよくバレずに今まで続けてたよね。こういうの、すぐバレそうだけど」

 

 ネイチャさん。

 

「わかりやすいから、逆にわかりにくいのかもしれないね~」

 

 マチタンさん。

 

「……そーだな! ターボもそう思うぞ!」

 

 そして、ターボさん。

 

 ……ターボさんはほとんどわかってなさそうだったけど。

 私に、彼女をバカにする権利は無かった――なぜなら。

 

「? どしたのアリオンちゃん」

「……あー、っと」

 

 テイオーさんに問いかけられ、私は目線を逸らしていた。

 ……そう。

 

 

 

「……ブラックレースって、なんですか?」

 

 

 

 彼女らが、共通認識のように話すその話題が。

 私には……全く分からなかったからである。

 

「――んなっ」

 

 目を見開くのはイクノさん。がびーん、というちょっと時代遅れな効果音が、背後に見えた気がした。

 

「ご存じ、ないのですか!?」

「えと……ごめんなさい」

「いやいや、別にそこまで驚くことでもないから」

 

 そんな彼女に、ネイチャさんの呆れ気味なツッコミが飛ぶ。どうやら、そういうことらしい。

 

「普通に過ごす分には、知る機会が無いのも不思議じゃないしね」

「ですがそういうことであればっ!!」

 

 で、そこでびしっと手を掲げたのはマチタンさんだ。その首が、イクノさんの方へぐりん、と向く。

 

「――イクノ先生!! 出番なのではないでしょうか!!」

「合点承知つかまつった!!」

 

 で、続けられた呼びかけに、イクノさんは素早く反応し、何やらがちゃがちゃと準備を始めた。

 どこから取り出したか、様々な器具が見る見るうちに一つの形を成していき――

 ……気が付けば、一枚のホワイトボードが、そこに出現していた。

 

「――というわけで!」

 

 そのホワイトボードの横。眼鏡をクイっとやったイクノさんは、高らかに宣言する。

 

「第一回! ドキドキ☆イクノ先生のブラックレース講座、開講します!! はい拍手ー!」

『わー!』

 

 ……誰もが、そのノリに合わせて拍手をしている。ここまで来るとツッコむのも野暮に思えてしまうから不思議だ。そういうわけで私も、流されるままに拍手をする。

 イクノさんは、両の掌を下に向け、上下させる動きをすることで、拍手を丁寧に鎮める。

 

「時は日本競レース黎明期!!」

 

 で、一転、情熱的に熱弁し始めた。まっさらなホワイトボードに、黒ペンで素早く何事かが書かれる。

 

「爆発的なウマ娘ブームに乗っかり、日本各地には多くの競レース場、並びにトレセン学園が設立されました! 今でこそその数は減少傾向にありますが、最盛期には数十もの数に上ったとも言われています! その経済効果も相当なもので、日本の経済成長に一役も二役も買いました!」

 

 しかし。

 

「そういった眩い光には、濃い影が付き纏うもの! 元より日本の競レースは、賭博の対象として用いることは厳重に禁止されているコンテンツですが、それでもその人気に目を付け、多くの博打打ちを食い物にしたコンテンツが産まれました――」

 

 それが。

 

「違法賭博競レース――通称『ブラックレース』です!」

 

 ホワイトボードに、ブラックレースという文字。

 それを囲う大きめの丸。

 

「これらのレースは、『人目を忍んで』『こっそり』作られた『地下競レース場』を主な舞台として開催されます。監視の目が厳しくなった現代では、もうほとんど新たなに作られてはいないそうですが――それでもその総数は、日本全国で未だに数十数百とあると言われています!」

「……でも、競レース場って、結構な広さですよね」

 

 思ったことが、思わずそのまま口に出る。簡単なように言うけれど。

 

「あんなもんを……『こっそり』?」

「世に悪は憚るものです。人を黙らせる手段は多いですよ」

 

 況して、時代の過渡期。

 国の混迷期であれば――なおのこと。

 

「はーい! イクノ先生!」

「はい! マチタン女史!」

 

 と、そこでほんわかと挙手をするマチタンさん。それにイクノさんは、勢いよく応じる。

 

「そのブラックレースは、フリースタイルレースや、野良レースとは違うのでしょうかー!」

「いぃーい質問です! マチタン女史!!」

 

 たぶん、マチタンさんはチュートリアルとして質問してくれたのだろう。その気配りも痛み入るが――イクノさんの言動は、ちょっと心配になるくらいに激しいそれだ。

 ……なんなんだろうこのノリ。もしかして、ずっと続くのかな……

 

「まず賭博の対象であるという時点で、丸っきり違います!」

 

 ともあれ言うまでもなく、どちらも賭博の対象ではない。

 勝とうが負けようが、強いて名誉が傷つくくらいで、物理的に何かを失う、なんてことは稀だろう。

 

「ブラックレースには常に強大な資本がバックについており、その賞金は5着(最低入賞)でも数十万、1着(トップ)となると数百万にも上ると言われています! しかも! 公式のレースとは違い、出走者の手元には賞金が丸々渡ります! お金稼ぎとして、まずこれ以上のものはないでしょう!」

「……!」

 

 ……固唾を呑んでしまった。それは……すごい話だな。公式レースじゃ、まず満額もらえることなんてない。*2

 正直、学生の時点でそれだけの大金を手にしても、ってところはあるけれど。それだけにスケールの違い過ぎる話だ。自然、手も震える。

 

「しかし! 違法には違法がつきもの――」

 

 イクノさんは続ける。

 

「ブラックレースでは、コースアウトをしない限りは、基本的に『何をしてもいい』とされています!」

「……?」

 

 広義すぎる言葉に、私が困惑したのを汲み取ったのだろう。イクノさんは、眼鏡をクイっとやる。

 

「――つまり、『妨害行為』が黙認されているわけです」

「え……?」

 

 彼女の声が低くなる。まるで仇敵を睨みつけるかのように。

 

「私も実物を見たことが無いので。何とも言えませんが――出走者に対する『タックル』を始め、『進路妨害』、『意図的な転倒』、果ては『ラチをコース代わりにする』、等」

 

 極めて危険な行為が。

 平気で横行している――と。

 

「先の二つのレースと、決定的に異なるのはそこです。あれらはどちらも、コースこそ違法で突発的かもしれませんが、お互いのルール――『競争者』としての矜持は最低限守っています。ですがかのレースでは、そんな『矜持』すら関係ない――勝つためには何でもやる。それが言外に認められている世界。それが――ブラックレースなのです」

「……そして、そんな危険なレースに出資する連中が、ろくな連中なはずがないわけだ」

 

 テイオーさんが皮肉っぽく言うと、イクノさんは頷いていた。

 

「日陰には日陰者が集まる――一攫千金を狙える大舞台となれば、後のない追い詰められた者たちもまた多い。『彼ら』はそれを『標的』としているわけです。いい『出会いの場』になっているそうですよ。『癖』になって、『辞められなくなる』者も多いとか」

 

 続けられた言葉は、そんなテイオーさんよりも遥かに強い皮肉が込められていた。へー、じゃあそこはいいダンジョの出会いの場になってるんだね! ……なんて浮かれられたらどれだけ良かったか。

 

 実際、そこでどんな『出会い』が待つのか――

 ……なんて。考えたくもない。

 

「今しがたやっていましたが」

 

 彼女の目が、テレビ画面に向けられる。視線を辿って私も視線を向けるけど。もはやそこに、先のニュースは流れていなかった。

 いつの間にやら、有り触れた、のんびりとした旅番組に変わっている。

 

「地下競レース場は、見つかった先から国によって差し押さえられています。しかし放棄された別の地下施設を改装したり、また『人目を忍んで』新たに作ったりとで、いたちごっこが続いているそうです。中には……『仲良し』になって見逃してもらっている場所もあるだとか」

 

 まぁともかく――

 関わらないのが吉ですね、と彼女は締めた。

 

「現役の私たちが、下手に関わって……良いことはありませんから」

「……よくわかんないけど、かかわらなければいいんだな!」

「えぇ、その通りです!」

 

 説明を放棄したのか、これ以上に簡単な表現が見つからなかったのか。ターボさんの無邪気な反応に、イクノさんは半ば投げやりっぽく答える。

 一方の私は……

 

「……」

 

 ……胸の中に、ぐるぐるともやもやした気持ち悪さが巡る。

 放っておけば、内容物を吐き戻してしまいそうになるほどの、居心地の悪い感覚。

 

「大丈夫?」

「え」

 

 ネイチャさんに声を掛けられ――

 我に返る。

 

「あ――あぁ。いえ。なんでもないですよ?」

 

 取り繕い方はあからさまだったけれど。察してくれたのだろう。ネイチャさんは、それ以上は追及しなかった。

 私もまた、テレビから目を逸らして、そこから続く他愛のない会話に加わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルビーフェア。

 粗暴な言動が目立つけれど、根は優しい私の親友。

 アウトロー、なんて単語が似合いそうな彼女だけれど。

 

 ……まさか。

 

 まさか、ね……

 

*1
ちなみに実際の足利競馬場に、専属のトレーニングセンターは無かったようです。

*2
公式のレースにおける基本的な賞金の配分は、出走ウマ娘80%、所属学園10%、トレーナー10%。ウマ娘は基本的に『親』がいるため、本人の手元にどれだけ渡るかは、その家族次第となる。




ルビーフェア
アシカガトレセン学園16年度の卒業生四人組のうちの一人。『夢を我慢する者』。
こちらも『ガーネット(宝石)』+『カペラ(星の名前)』から、
『ルビー(四大宝石の『赤』)』+『フェア(兎)』という組み合わせに。
『ウマなのに兎?』と思うかもしれませんが、『赤い宝石=赤』+『兎』で『赤兎馬』をイメージしています。
それ以外のところは概ね第一版と一緒ですが、今回は一軒家に住んでいることになっており、例の『うぐいす荘』や大家さんは登場しない予定です。

チームスイコ
フェアを慕う四人のウマ娘たち。それぞれ名前は『赤兎馬』に由来する『三国志演義』、ならびに『水滸伝』の登場人物からとっています。

・エンゲツセイリュウ:関羽。同氏の用いていた武具『青龍偃月刀』から。エンゲツウンチョーも候補にありましたが、字面がひどすぎるのでボツに。
・ダイトウカンショー:関勝。同氏の異名、『大刀』との組み合わせ。
・リョホーテンゲキ:呂方。同氏の用いていた武具『方天戟』との組み合わせ。
・ガゲキホーセン:呂布。字の『奉先』と武具『方天画戟』との組み合わせ。

チーム名も『水滸伝』から取っています。いずれも中等部一年ですが、学校には通っていません。この辺の事情に関しては本章で。

トウチュウエイ
フェアに突っかかってきたウマ娘、まぁ悪役です。由来は同じく三国志演義より、『董卓』から。字の『仲穎』との組み合わせです。

チームカノープス
お馴染みカノープス。学年はいずれも中等部三年、キャリアは二年目。
新顔に見えますが、プロトタイプでメインを張っていたのはスピカではなく彼女らだったため、実際には原点回帰となります。やはりこういう個性の強い子たちは扱いやすくていいですね(ギリギリ悪口)。
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