「――態度が悪い!!」
「……」
その日のトレーニングが終わり、頭の中で明日の予定を整理していたセイウンスカイは、トレーナーからの唐突な言葉に目を丸くしていた。
いつも温和で寛大な彼にしては粗暴な言動。心当たりが無いわけではなかったが――そこにあったのは『恐れ』ではなかった。
間もなく、いつもののんびりとした笑顔を浮かべる。
「……どしたの~? 突然~」
「い、いや、どしたのじゃなくてだな!」
そんな彼女に面食らったのだろう。彼は言葉を詰まらせたが、言い直す。
「――お前、トレーニングをサボりすぎだ!」
結局のところ――
スカイの心当たりは、当たっていた。
「今日出るまでに、一体何日空いたと思ってんだ! 二週間近くだぞ!? 今日来なかったら、いよいよ理事長のとこに直接乗り込むところだ!」
「お~、じゃあ今日出てきてよかったね~」
「あぁ、そうだな――ってそうはならんだろ!!」
スカイは巧みにトレーナーの怒りを逸らそうとしたが、無駄だった。肩を竦めるスカイに、トレーナーは特大のため息を吐く。
「……なぁスカイ、何度も言ってるけどな」
そして文字通り、『何度も』言うのだ。
「お前には素質がある。能力も、頭脳も。同年代とは比べるべくもない。……やる気さえ出せば、年度代表も夢じゃないんだ」
心底に残念そうに。
「どうしたら、真剣にやってくれるんだ?」
「……」
スカイは、しばし黙り込む。
逸らした視線の先には空。濁りのない青色を背景に、雲が悠然と漂う。
「……実はセイちゃんには、生き別れの姉妹がいまして……」
「いや……ならなおのこと頑張るべきじゃないか」
「あの子のために、私は自由に生きなければならないのです!」
「いや、だから言ってる意味が――」
「そういうわけでセイちゃんはここで! また明日トレーナー!」
「あっ――おい! まだ話は終わってないぞ!」
おーい――と、呼び止める声を振り切り、スカイは更衣室へ。
流れるように身支度を済ませると、そのまま帰路へと着いた。
トレーナーは、彼女を追ってこない。
日々、しつこさが無くなってきているな――と、安堵すると同時に、不安にもなる。
その感触は死刑宣告、あるいは連休の終わりの足音に似ていた。
程なく寮室へ帰り着くものの、足はそのまま外へ。
何となく――歩き回りたい気分だったからだ。
「……」
――なぜ真剣にやらないのか。
なぜやる気を出さないのか。
と言われても、とスカイは思う。
そこに、特別な理由などない。
いくら叱られても、呆れられても――やる気が出ないもんは出ないのである。
我慢せず、あるがままに。
自由に生きること。
それが彼女の信条である。
だが現実は、そんな信条を理解してくれるほど寛容ではない。
これまで、そのためにあらゆる手を取ってきた。
夏合宿なぞ、クラシック級のフリをしてサポートをサボるという高等技術を見せつけた。
このまま行けば、契約解除という
――それも仕方ないか、と考える。
ウマ娘として、絶対に回避すべき現実ですらも、彼女にとっては在り方の対価だ。
自我を抑え込んでまで、栄光を求め苦しむくらいなら――
きっぱりその道を諦めることを選ぶ。彼女はそういうウマ娘だ。
あるいは、そんな風に考える自分は。
やはり、どこかオカシイのだろうか――
「……」
楽しげに路地を歩く、四人組のウマ娘を見て、彼女はそう思った。
ウェーブのかかった茶髪、黒髪のツインテール。ミディアムロングの赤毛に、亜麻色のおかっぱ。
背丈を見るに、初等部後半か――中等部入りたてくらいか。無邪気なまでに騒がしい彼女らも、きっと我慢してトレーニングに励んでいるのだろう。
その事実に羞恥を覚えたわけではないが――
それこそが、ウマ娘のあるべき姿なのだとするならば。
あるいは。
「……?」
と、そこでスカイは、違和感を覚える。
それは、彼女の注視する四人組の動きだ。
彼女らはそれまで、互いに他愛のない会話をしながら、歩道を歩いていたが。
突然――裏路地に続く、建物と建物の間に入っていったのだ。
無論、スカイは彼女らと知り合いではない。
そしてよく知りもしない少女たちがどこへ行こうが、その由は自分の知るところではない。
だから、そのような『非常識』に見える行動は、本来なら気にすべきことでもないのだが。
「……」
本能か、あるいは好奇心か。
彼女らの行く末が気になったスカイは、気の赴くまま、尻尾の向くまま、その後に着いて歩くことにした。
少女たちが気付いた様子はない。
先ほどまでと変わらぬ調子で、中身があるのか無いのかよくわからない話をするばかりだ。
一見するとそれは、何か特別な目的地を目指して歩いているようにすら見えなかった。
だが、その歩みは迷いなく曲がる。
だが、その動きは淀みなく進む。
無秩序のように見えて、その実秩序のある動きに、スカイの好奇心はさらに擽られる。
細心の注意を、更に払い――
尾行すること、数分ほど。
「……!」
少女たちは、道沿いの門戸を潜っていた。
その土地に建っていたのは、とある一軒家。
平屋一階建て、有り触れた和風の家だったが――
スカイは、思わず目を見開いていた。
なぜなら。
「……なんじゃこりゃ」
ぼそっと言葉も零れる。
そう――まるで人が住んでいるとは思えないほど、ボロボロの家だったからだ。
壁に穴が空いているとか、草が生え放題生えているとか、そういうわけではない。だが佇むその建物の壁は黒ずみ、瓦の一部は剥がれ、ガラスもくすんでいて衛生的には見えない。
お化け屋敷と紹介されても信じてしまいそうなほど――果てる一歩手前まで朽ちた家に。
なぜうら若き少女たちが立ち入るのか。スカイには不思議でならなかった。
「……」
その不思議を解明するため、彼女はそろりと踏み込む。
敷地内が綺麗に整理されているのは、彼女にとって好都合だった。
落ち葉や枯れ枝の類を踏まないようにしながら、少女たちの消えた方へ、慎重に進んでいく。
程なくして――
「――あー、もー、駄目。疲れた。今日はこれで終わりにしましょ……」
「集中力切れンの早過ぎだロ。何のためノ休憩ダ」
「頑張れエンゲツ! 無理そうならあたしも手伝うから!」
「セン……それじゃ意味ないよ……?」
先の少女たちの、騒がしげな声と。
「――そうだぞ。知識ってのは、自分で修めるから意味がある」
もう一つ。
別の声が、聞こえてきていた。
「他人から半端に教わった知識なんて、無いのと同じだ。……つべこべ言わずに『最後の問題』解けオラ」
「えーん……フェアさんが怖いよぉ……」
「年甲斐もなク泣くんじゃねぇヨ気色悪ィナ」
「あぁ!? なんですってあんた!? もっかい言ってみなさいよ!!」
「それだけ元気なら出来るよエンゲツ! さぁ気合い入れ直して!!」
「がんばれ……!!」
「あぁもぉわかったわよ!! やればいいんでしょやれば!!」
「……」
……なんだこれ。
それが、スカイの率直な感想だった。
彼女が目の当たりにしているのは庭。
広いとは言えないその空間のど真ん中には、大きな丸机――おそらく、正確には円形をした別の何かだが――と椅子が置かれており、そこに先の少女たちが集まり、教材らしきものを開いているのだ。
それを前にして唸っているということは――間違いない。
勉強だ。
少女たちが、そこで、勉強をしているのだ。
「――惜しいな。後一歩だった」
「えー!! なんで!? 言われた通りにやったはずなんだけど!?」
先の一人――
四人組の少女とは別の少女――鋭い目つきの、短い赤髪のウマ娘は、どうやら彼女らに教えている側らしい。
同年代に見える彼女らが、勉強を教え、教えられている。
あまりにも奇妙な光景に言葉を失いながらも、スカイは視線を動かす。
……庭にあるものは、それだけではなかった。
隅の方には、古ぼけた黒板。
また別の方には、所狭しと置かれた鉢植え。
更には、小さな檻に入れられた、数羽の兎まで。
なんなんだこれ――
改めてスカイは、そう思う。
「――はい正解。良く出来ました」
「やったぁー!! おらぁー!! 見たことかぁー!」
「誰と戦ってんだヨお前はヨ」
これではまるで。
ごく小規模に圧縮された『学校』じゃないか。
「ただ、やったことを忘れたら意味がねぇ。……明日また確認するから、覚えておくように」
『はーい』
いや――『まるで』、ではなかった。
そこは正しく、学校だった。
ここは一体。
そして――『彼女』は、一体。
「……それで、だ」
スカイが疑問に動けずにいる中――
短い赤髪の少女が、言った。
「――そこに隠れてる奴」
そこまで分かりやすく指摘され、思い至らないほどスカイも呑気ではない。
「影でバレてんだよ。大人しく出てこい」
「――……」
そして――逃れられない証拠を提示されて。
薄っぺらな言い訳を並べ立てるほど、無様でもなかった。
「……いやはや」
だから――
彼女は、文字通りに大人しく、家の影から姿を現す。
「そっか。今日は晴天だもんね。セイちゃんうっかりしてたよ~」
「――! フェア姉! コイツ……!」
四人の少女たちは、スカイの姿を見るなり、顔を強張らせながら立ち上がる。なぜそのような反応をするのか――その答えは。
「……『中央の』か」
赤髪の少女が、程なく与えていた――そう。
スカイは今、トレセン学園の制服を着ていた。
彼女の瞳が、敵意に近い光を宿す。
「『ボンボン』がこんなとこに何の用だ」
「いやいや。四人のウマ娘がこんなボロに入ったとこ見ちゃったら、そりゃ気にもなるでしょうよ~」
「ぼ――ボロですって!?」
「ちょ、エンゲツ駄目だって……!」
「構いやしねぇよ。実際ボロだしな」
茶髪のウマ娘が突っかかろうとするが、赤毛のウマ娘がそれを止める。赤髪の彼女も冷静で、反論することもなく、スカイの感想を受け入れていた。
「だからって、不法侵入には変わりねぇ」
その上で、ぎろり、と彼女を睨みつけた。
「とっとと出ていきな。あたしも面倒事は……面倒だ」
「ん~、そっかぁ。ま、そうだねぇ」
スカイは、表面上はそのように同意する。
しかし彼女とて、そんなにもあっさりと引き下がるわけもない。
彼女らの事情を、まだ欠片も聞き出せていないのだ。
ここまで来て――何一つ好奇心を満たせないという結末ほど、つまらないものもない。
「……」
だから。
彼女は、おもむろに携帯電話を取り出す。
赤髪の少女が、怪訝そうにその動作を見つめる。
「……おい。何してる」
「んー?」
問いかけに、スカイは画面をタップする手を止めて答えた。
「通報」
「はっ?」
「だって君たち、明らかに親類じゃないでしょ?」
もちろん、その確信はない。
相手を外見だけで判断するほど、彼女も短絡的ではない。
「中等部くらいの子たちが、こんな時間に、こんなところで、家族でもない子と屯してる、なんて……誰だってケーサツに連絡するでしょ~」
だが、カマかけとして扱うにはうってつけだった。
それを証明するように、少女の頬を、冷汗が伝う。
「……まぁ、」
それを見て――
しめた、とばかりにスカイは言った。
「『ジジョー』を説明してくれるなら、やめてあげないこともないけど?」
「……」
彼女自身も――
四人の少女も、何も言わない。
追い詰められた犯罪者のように、言葉を詰まらせるだけだ。
当然、言い返せばいい。
後ろめたいことが無いのなら、毅然と反論すればいい。
それが出来ないということは――
相応の『事情』があるということに、他ならなかった。
「……、」
少女は、深いため息を吐く。
視線がスカイから動き、四人の方へと向けられた。
「……おい。飯の支度してろ」
「えっ? でもフェア姉」
「心配すんな。少し『お話』するだけだ」
「……」
赤毛の少女は、それに不満げだったが――
「……みんな、行こう」
噛み付くことが最善とは思わなかったのだろう。
他の三人に呼びかけると、共に縁側から、家の中へと姿を消した。
「……」
何者かが運転する、自転車の音が近付いて遠のく。
有り触れた町内放送が、不気味なまでにその形を崩しながら、辺りに響き渡る。
「……ルビーフェアだ」
「ん」
スカイは、しばしそれらの環境音を聞くともなく聞いていたが、やがて紡がれた少女の言葉に、呆と答える。
彼女――ルビーフェアは、不愉快そうに眉を顰めていた。
「ん、じゃねぇよ。『お話』したいんだろ。自己紹介は基本だろうが」
「……一理あるねぇ」
スカイは緩く同意し、ルビーフェアという彼女の名を脳裏に刻む。
「セイウンスカイです。……まぁ~、片手間によろしくね、『フェア姉』」
「ぶっ飛ばすぞ」
「あちゃあ、まだ早かったか~」
「話はするっつったけど、長話する気はねぇ。あいつらの様子も気になるしな」
フェアの目が、家の方へと向けられる。まだ何か起きたような様子は無かったが、あのそそっかしさだ。何かが起きるかも、と疑ってしまうことには同意だった。
「あいつらは……」
だから、早速とばかりに彼女は話し始める。
「色んな『事情』があって、『家』から逃げてきた奴らだ」
「……『事情』ね」
フェアは頷く。
「反発、」
茶髪の少女。
「暴力、」
黒髪の少女。
「不満、」
赤毛の少女。
「束縛」
おかっぱの少女。
「性質は違えど、それぞれに『自由』を許されなかった奴らが、自由を求めて家を飛び出した。あたしはそれと『偶然』出会って、『偶然』保護した。それだけの話だ」
「……偶然、ねぇ」
「これに関しちゃ、嘘は吐いてねぇぞ。文句なら神に言え」
先ほどと異なり、フェアは焦っているようではない。
それこそ毅然と、スカイの疑りに対応している。
なるほど本当に口裏合わせとかではなさそうだ――と、彼女は宿った疑心を放棄する。
「でも、親御さんは何も言ってきてないの?」
「来たばっかりの頃はひっきりなしだった。……最近はからっきしだな」
「いいことだ、とは言えないね」
「それを決めるのはあたしらじゃない」
それを決めるのは。
逃げることを選んだあいつらだ。
「……じゃあ、その代わりに『育ててあげてる』ってわけだ。殊勝なお話で」
「……実際、警察に世話になったところで、あいつらは生活が保障されるだけだ。権利までは面倒を見てくれねぇ。求めていない生活のために、自我を殺して耐え忍ぶことが、あたしは真っ当とは思えない」
「難しいお話だね」
つまりは、我慢か、逃避か。
真っ暗なトンネルを抜けるまで続く我慢か。
それとは別の道を見出す逃避か。
ただ、我慢がいつ終わるのか、そもそも終わりなんてものが本当に来るのか。誰も――保証してくれない。
「……私だったら――」
容赦なく。
逃げ出してるな。
スカイは、飽くまで個人的に、そう答えた。
「……意外だな」
それに、フェアは目を丸くする。
「中央ってのは厳しい場所なんだろ。そんなんでやってけるのか?」
「今日も元気にトレーナーに叱られたところです」
「……どうしてそんなにへらへらしてんのか理解出来んな」
「出来るだけ我慢しない、が信条なもので」
責任も覚悟も持ってるつもりだからね――スカイはそう思う。
選択には、責任が伴い。
行動には、覚悟が付き纏う。
やっていることは、褒められたことではないが――
スカイもまた、責任と覚悟を自覚した上で、自身の信条に従っていた。
「……」
フェアは、口を閉ざす。
その様子は、どこか恥ずかしがっているように気まずそうだ。
つまるところ、スカイは当初、カマかけとは言え、彼女のことを外見だけで判断していたが――
彼女もまた、スカイのことを、見かけだけで決めつけていたということだ。
「……フェア姉?」
そこで、赤毛の少女が姿を現す。
「話終わった? その……」
「あぁ、待ってろ。今行く」
フェアが二つ返事で応じると、赤毛の彼女は、家の中へと引っ込んでいた。
フェアもそれに続き、縁側を上がるが。
「……おい」
振り返ると、スカイに呼びかけていた。
「来いよ」
「うん? ……いいの?」
「話しが終ったからっつって、すぐにさようならってのも薄情だろ。……一人分くらいなら、飯も用意出来る」
訊ねるスカイに、フェアは言った。
「どうせだから、食ってけよ」
個性的な面々であった。
「ねぇねぇ、中央って、チームに入らないとダートに埋められるって聞いたんだけど、本当?」
茶髪の少女――エンゲツセイリュウは、爛々と目を輝かせ。
「都市伝説だっつってんだロ。んなことやったラ犯罪だろうガ」
黒髪の少女――ダイトウカンショーは呆れて言う。
「ほらリョホー、また口元ついてるよ。ちゃんと口開けないと」
赤毛の少女、ガゲキホーセンは右へ左へ視線を寄こし。
「ごめんなさい……」
リョホーテンゲキはわかってるのかどうか微妙な声で答える。
「――そーだよ~」
スカイは、問いかけに、にやりと答えた。
「中央は、チームに入らなきゃ誘拐されるんだよ~……そしてダートに埋められた上に、目の前にご飯を置かれる拷問を……!」
「ひ――ひぃっ」
「犬神かヨ」
震えあがるエンゲツセイリュウとは対照的に、ダイトウカンショーは飽くまで冷静だ。それでも恐怖と無縁とはいかなかったようで、声は少しばかり震えている。
……個性的な面々であった。
好奇心旺盛に、色々を訊ねるエンゲツ。
そんな彼女に、冷静、かつ現実的に毒を吐くショー。
マイペースに振舞うリョホーと。
全体を取りまとめるように右往左往するセン。
……フェアは、そんな四人をほぼ無言で見守る役回りだった。
それぞれの自己主張が強めで、一見するとすぐに喧嘩してしまいそうだったが――
実際、エンゲツとショーは頻繁に口喧嘩を繰り広げていたが――
その実、お互いの性格の噛み合う、バランスのいい四人かもしれない、とも思った。
「えーっと……」
そんな風に分析するスカイに、センは苦笑いしながら話し掛ける。
「でも確か、スカイさんって寮暮らしでしたよね。……時間大丈夫なんですか?」
「ん~?」
言われて、スカイの目は壁掛け時計に向けられる。その針は、午後の四時半を差している。
「大丈夫だよ~。外出届けも出してきてるし」
「ならいいんですけど……」
「あれ? でもなんか四時にしちゃ外暗くない? もうそんな時期だったっけ?」
「……ちょっと待って……」
が、エンゲツセイリュウの言葉に、リョホーテンゲキが反応する。彼女は立ち上がったかと思うと、時計のすぐ真下へと歩いていき、じっとそれを見つめ始めた。
そして。
「……やっぱり」
「どしたのリョホー?」
「これ……止まってる」
『……』
スカイはおもむろに携帯電話を取り出し、時間を確認する。デジタル時計は――外出届に記入した時間を、もう一時間も過ぎていた。
「……こりゃ大変だぁ」
「その割ニ落ち着いてんナ」
「や、やばいわよ!! このままじゃダートに埋められちゃうわ!!」
「まぁまぁ大丈夫だよ~。焦ってもしょーがない」
ダート云々は嘘だしね――スカイが悪びれることもなくそう言うと、エンゲツセイリュウは口をあんぐりと開き、呆然としていた。
そんなこんなで、スカイは帰り支度を整え、門戸まで戻る。
その頃には、外はもうすっかり暗くなっていた。
「今度は嘘つかないでよ! 本当にびっくりしたんだから!」
エンゲツセイリュウ。
「はン。騙される方が悪いだロあんなノ」
ダイトウカンショー。
「お元気で」
ガゲキホーセン。
「ばいばい……」
リョホーテンゲキ。
「……まぁ、これも何かの縁だ」
そして、ルビーフェア。
五人に見送られ、スカイも悪い気はしていなかった。
「またどこかでな」
「……だね」
だから、その言葉に、微笑みを以て返す。
「またね」
才能。素質。
トレーナーから、何度そんな言葉を言われたろうか。
彼からしたら、藁にも縋る思いで捻り出した精一杯の褒め言葉だったのかもしれないが、スカイには、言外にこう言われているように思われた。
努力をしていないと。
頑張らなくてもやれる奴なんだと。
だが、スカイはそう思わない。
事実自分は、バ体という意味では、あまり恵まれている方ではなかった。*1
良くも悪くも平均的。
生まれついて血筋に恵まれたものなどとは、比べるべくもない。
だから努力した。血の滲むような努力を重ねた。
『普通』の生活を我慢し、人一倍身体づくりに励み、人一倍勉学に臨んだ。
何かに追われるように、あるいは取り付かれたように頑張る姿に、一時は死に急いでいるなどと評されることもあった。*2
そんな彼女を見た祖父は――ある時、こう言ったのである。
『――我慢し過ぎるのもよくねぇぞ、スカイ』
息抜きとして興じていた、釣りのさなかで。
『お前がクラシックレースで走ってくれたら、それ以上嬉しいことはねぇけどな。それはお前の人生を棒に振っていい理由にはならねぇ』
『もししんどいって思ったら、我慢せず、遠慮なく、別の道を試せ』
『時間と同じで、可能性だって、待っちゃくれねぇんだからな』……
祖父の考えに触れたスカイは、ほどほどに手を抜くことを覚え。
それはいつしか、今日の信条へと昇華された。
……なぜやる気が無いのか。
と言われても、と彼女は思う。
やる気が出ないもんは出ないのである――そういう時、彼女は我慢しないのだ。
根を詰めても、いいことは少ない。
別の道を歩んだ時、思わぬ結果に繋がることもある。
彼の言葉に従っていた。
あるいは、それを免罪符のように捉えていた。
ほどほどに頑張りながら、そこそこに今までを過ごしてきた。
けれど。
あの四人を見て。
あの五人と触れ合って。
自分に与えられた境遇が、当然のものではないことに気が付いた。
――ならば、自分が本当にやるべきことは。
向き合うべきことは。
自然と、思い至っていた。
「……」
――翌日。
朝の教室に入ったスカイの目に、『彼女ら』の姿が留まる。
直近に関わった中で、最も『やる気』に満ち溢れている『二人』の元へ。
スカイは、いつになく迷いなく、歩み寄っていた。
「――本当なんですってば!!」
チヨちゃんは、私の目の前で熱弁する。
「プリンにお醤油かけたらウニっぽくなるんですよー!!」*3
「へーそーなんだー。……舌がアレなんじゃない?」
「もー!! なんで信じてくれないんですかぁっ!!」
妙な知識をどこで手に入れたのか、彼女の純粋さが時々心配になる。この子、将来オレオレ詐欺とかに引っかかるんじゃなかろうか。
「騙されたと思って試してみて下さい!! そして私と一緒にプチお寿司屋さんごっこしましょう!!」
「……チヨちゃんってちゃんと中等部だよね?」
「そ、それどういう意味ですかぁっ!!」
いや、もしかしたら偏見なのだろうか。中等部になってごっこって(笑)とか思っちゃうのは。でもプリンにお醤油かけるのは……やはりちょっと遠慮したいな。
そこにまだ見ぬ美味が待っているとしても。
リスクによって、貴重なお食事を無駄にするわけにはいかないのである。
「おいっすー」
なんて、生産性があまりにもない会話に、珍しい声が割って入っていた。
「スカイさん」
「スカイさん!! ちょっと聞いてくださいよ!! リオンさんたら酷いんですよ!?」
いつも通り、ふわふわした雰囲気の彼女――スカイさんに、チヨちゃんが食い入るように話す。
「プリンにお醤油をかけるだけで新世界の扉が開くというのに!! 頑なに嫌がって!!」
「何の話~?」
「いや……スルーでいいと思うよ」
こんな話に付き合う必要は無いだろう。チヨちゃんはなおも不満げに何事か言ってるけど。始業前のちょっとした空き時間はあっという間だ。用件があるなら、さっさと話すべきだと思う。
「ん~、まぁ大したことじゃないんだけど」
なので、先を促してみると。彼女は珍しく気まずそうに言った。
「……お二人さんは、やる気が出ない時って、どうしてる~?」
「……」
で、あまりに想定外なその質問に、私たちは、思わず顔を見合わせていた。
「やる気が出ない時……ですか?」
「うん。例えばトレーニングとか……レース前とか。やる気出さなきゃいけない時、やる気が出なかったら……どうしてるのかなって」
「……私は、『目標』を思い出しています!」
私が口籠ったのと、チヨちゃんが答えたのは同時だった。
目標。日本ダービーの制覇――不思議な縁を感じる、『怪物』の姿。
「怖くても、面倒臭くても、そのことを思えば自然とやる気が湧き上がってくるんです。こんなとこで止まってられないぞって! こうしてる間にも、みんなは頑張ってるんだぞって! それでもやる気になれなかったら――甘いものを食べて無理矢理やる気を出してます!」
それは、皮肉でも何でもなく。実に彼女らしい考え方だと思った。
「……私は、とりあえず目的地に向かうかな」
一方で私は……そんな感じ。
「こう、無理しない程度に頑張るところから頑張るって感じ。やる気が出ないってことは、心身が疲れてるってことだしね。そんな状態で無理しても……いいパフォーマンスが出るとは限らないし」
もしそれすらも出来ないのなら――
「素直に休むかな、私なら」
「おぉ~、大人っぽい考え方ですね!」
「そ、そうかなぁ……」
そう言われるとちょっと恥ずかしいな。結局やるべきこと休んでるんじゃ、まだまだ子供だと思うんだけどな……
「……そっかぁ。二人ともすごいな~」
「……でも、なんで急に?」
私たちの答えに、スカイさんは如何にも感心した風だった。ただ――内容はいいにしても、タイミングが謎だった。
どうしてそんなことを、急に訊いたのか。
何か考えあってのことか。
問いかけると、彼女は後頭部で手を組んでいた。
「まぁ、ちょっと、やる気出そうかなって」
そして――あっけらかんと。
「素質とか才能とかさ。みんながみんな持ってるとは限らないんだから」
何でもないことのように。
「頑張れる子は……頑張らないとなーって思ったっていうかなんていうか」
答えたのだ。
「そうしないと――夢も、どっか行っちゃうかもしれないしね~」
「……」
「……」
……
果たして、その答えに。
「――え、えぇっ!?」
まず、チヨちゃんが絶叫していた。
「スカイさんが!? あのサボり魔のスカイさんがやる気を!?」
「とんでもないね……明日は槍の雨が降るんじゃないかな」
「私のことなんだと思ってんの~?」
怒ってる風じゃないけど、さすがにちょっと失礼だったろうか今のは。でも仕方ない……それくらい彼女の発言は、衝撃的だったのだから。
セイウンスカイ――常軌を逸していると言っても過言ではないほどのサボり癖は、生徒の間ではたびたび語り草となる。
彼女がトレーニングしているとこをまともに目撃した生徒は、その日良いことが起きるとかいうギリギリ失礼な迷信まで産まれる始末だ。
そんな彼女が――やる気を。
真面目にトレーニングに励む、ともなれば気にもなるもので。
……何か、あったのだろうか?
「……何かあったの?」
「んー……まぁ、パラダイムシフト的な?」
不思議な五人組に会ってね。
絵本のタイトルみたいなことを前置きに、彼女は話す。
四人のウマ娘を見かけたこと。
気になって尾行したら、路地裏に入ったこと。
ボロの一軒家に行ったこと。
そこで更なるもう一人と会ったこと。
「色々事情を抱えてる子たちみたいだった。その子たちと関わって、話を聞いてるうちに……私って恵まれてるんだなって、改めて思いましてね?」
使命とかじゃないけど。
義務とかでもないけど。
「自分がやれることは、しっかりやらないとな――などと、セイちゃんは思ったわけです」
「おぉ……それは素敵ですね!」
手を合わせ、感嘆の声を上げるチヨちゃん。一方の私も、正直驚いていた。
こう言うとあれだけど……
思ってたよりも、理由が真っ当で。
「でも、そんな人たちが近くに住んでるんですね。全然知りませんでした」
「……まるでドラマだね」
「だよね~。私もそう思うよ。いやはや。面白い子たちだったよ~」
そんな私たちに、スカイさんは続けるのである。
「中でもその、リーダーっぽい子は別格って感じでね」
つらつらと。
「短い赤髪で、鋭い目つきの」
何でもないことのように。
……言っていた。
「――ルビーフェアって子なんだけど」
――予想だにしないその名詞に。
私は、自分でも驚くほどの勢いで、その場に立ち上がっていた。
教室が、一瞬静まり返り。
私に注目が集まったのを感じる。
……けれど。
私は……構わずに、スカイさんを見つめる。
「……」
彼女も、そんな反応は予想外だったのだろう。
珍しく目を丸くし、硬直する。
「……ルビーフェア」
ざわめきが戻り始める中で。
私は呆然と呟く。
「リオンさん……?」
「確かに、確かにそう言ってたの!?」
「え。い、言ってたけど……?」
一体どうしたのか――と言わんばかりの二人に、私は、固唾を呑む。
短い赤髪で、鋭い目つきの。
ルビーフェアという名前。
間違いない――それは。
「――友だちだ」
今、捜してる。
「それ—―私の、友だちだ……!」
私の、
親友だ――と。
セイウンスカイ
学年は中等部二年、キャリアは一年目。
この人選は予想外だったのではないでしょうか。第一版では急に出てきてそのままラスボスの一人を務めてもらいましたが、今回は二章におけるキーパーソンを務めていただきます。
彼女はいわゆる『黄金世代』の一人であり、本編、史実両方で、スペシャルウィークやキングヘイローと鎬を削りますが、今作では他の黄金世代のウマ娘は登場しない予定です。
彼女には、それらとはまた異なる運命を歩んでもらおうと思います。