16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

15 / 51
玄界領域(後編)

「ねーねー! トレーナーが貧乏って本当なの?」

 

 以前から思ってたんだけど――

 トレーナーさんって、意外と懐かれやすい性分なのだろうか。

 

「お給料とか低いから暮らしにくいって聞いたんだけど!」

「そりゃ、オレらからしたラどこだって薄給だロ」

「ってかホントに大の大人なんですか? どう見てもあたしたちと同い年なんですけど」

「……食べる?」

「うぜぇ……」

 

 目的地へと向かう道中。トレーナーさんは、見事に四人組に取り囲まれ、質問の雨あられに晒されている。

 不機嫌そうに零す声も、彼女らの耳には届いていないようだ。まともに答えてないのに、全く諦める素振りも無い。

 

 体格か、それとも雰囲気か……同族だとか思われてるのかもしれない。本人からしたら、迷惑以外の何物でもなさそうだけど。傍から見る分には、面白い絵面だった。

 

「そろそろ教えてくれてもいいじゃない~?」

 

 それを傍目に、先導するフェアちゃんの背中に、スカイさんが言った。

 

「私たち、どこに向かって歩いてるのさ~」

「悪いな。もうそろそろだ」

 

 フェアちゃんはただ、それに淡白に答えるだけ。頑なに、それ以上の情報は口にしてくれなかった。

 ……そんな彼女に連れられるまま、歩き出して数分ほど。現在地は、裏路地。

 表の煌々としたライトを避けるように、小規模なお店が点々と建っている。

 ガラの悪そうなお兄さん――すら見当たらない。そもそも、動くものが満足にない。この世の終わりってこんな感じなんだろうな、なんて考えすら浮かぶその場所に――

 

 何か、耳目に値するものがあるように思えない。

 

 あたしの覚悟を見せる――彼女はそう言っていた。豪語にも関わらず、まさか案内する先に、一目でわからない何かが待ち受けてることはないはずだ。

 

 一体彼女は――

 私たちに、何を見せようとしているんだろう。……

 

 ……

 

 いや、本当にそう思ってるんだろうか、私は。

 必死に、わからない振りをしているだけで――

 

 わかってるんじゃないか。本当は。

 これから彼女が、何を見せるつもりなのか。

 

 どこへ。

 連れていこうと、しているのか……

 

「……ん」

 

 やがて。

 周りの建物と何ら変わらないように見える建物の、扉の横。何者かが立っているのが目に入る。

 黒服にサングラス、スキンヘッドの大男――明らかに、一般人じゃないとわかるそれ。

 その人物の目が、こちらに向けられる。無論、私は彼を始めて見るし、ここに何があるのかもわからないのだけれど――それにも関わらず、体勢を整えると、一礼していた。

 

「こんばんは」

 

 そして、恭しく挨拶する。おぉ、とフランクに挨拶を返すのは、フェアちゃんだ。

 ……やはりというか、なんというか。面識があるらしい。

 

「今日は連れがいる。……『VIP待遇』で頼む」

 

 彼女は、男に歩み寄ると、何かを渡す。彼はその中身をざっと確認すると、確かに、と応じ、携帯電話を取り出した。

 そうして、何事かを電話口で連絡すると、建物の扉を開ける。

 

「……どうぞ。お連れ様方は、ここでお待ちを」

「……」

 

 お連れ様――きっと、私たちのことだろう。お互い、目を見合わせたけれど、勝手の分からない場所で、無視するリスクには変えられない。

 

「じゃ、行ってくるわね! また後で!」

「あのなァ、遊園地行くんじゃねぇんだゾオメー」

「今日も何事もないといいね」

「またね……」

 

 フェアちゃんと四人組が、各々口にしつつ、ぞろぞろと扉の中へ入っていくのを見届け――

 言われた通り、その場で待つ。

 スカイさんも居合わせているのだ、またしりとりみたいなことを提案するか、と思ったけれど。それはなく。

 重い……とまでは行かずとも、気まずい空気がそこに流れた。

 

「ん」

 

 数分くらいだろうか。

 スカイさんが、小さく声を上げた。

 それに応じて目を向けてみると――そこには。

 

「……へ」

「おぉ……」

 

 一見すると、町工場の業者みたいな恰好。

 黒ずんだ肌とスキンヘッド、そして目測――2mはあろうかというほどの長身。

 見るからに強そうな大男が、姿を現していた。

 

「お待たせしました」

 

 それと同時。

 フェアちゃんたちを導いた黒服の男が、スーツの懐から何かを取り出す。

 手渡されたそれは……ピンバッジ?

 

「案内は、こちらの者が務めます。中をお進みの際は、こちらのピンバッジを忘れずにご着用ください。これらの通告に従わなかった結果として起きた損害には、こちらは一切の責任を負いかねます」

 

 ではどうぞ――男は再び扉を示し、説明通り、褐色肌の男がまず中へ入る。ぽかーん、とする私の背を、トレーナーさんがやや乱暴に叩いていた。

 ……お前が先頭だ、ってことだろう。恐れをなしてしまったけれど。まさかここまで来て、引き返すわけにもいかない。

 

 彼女の促しに従って――

 歩き始める。

 

 扉の先には、まず階段。簡素な蛍光灯が照らしているだけで、ところどころが黒く塗れており、お世辞にも整備されているとは言い難い。

 視覚だけで拒否反応が出るそれを、決死の思いで下っていくと――

 

 やがて辿り着くのは、狭い踊り場だ。

 

 人五人ほどしか入れないであろう、狭小な空間。そこには、一枚の扉が鎮座しており――

 ……そしてその扉というのが、また異様だった。

 

 大きな黒塗りの――エアロックみたいに厳重な、鉄製の扉。

 それに、大男は手を掛け。

 ゆっくりと、開け放った――

 

 

 

『――!!』

 

 

 

 ――瞬間。

 はち切れんばかりの声の奔流が、外へと、流出してきていた。

 正面から暴風を受けたみたいに、思わず一歩後ずさる。

 それを耐え、改めて向けた視界の中。扉の先に広がっていたのは――

 

「……!」

 

 ……すり鉢状に作られた客席と、砂と芝の入り混じったコース。

 

 

 

 ――レース場、だった。

 

 

 

「……」

 

 それを目の当たりにして、私は息を呑む。

 こんなところにレース場がある、という事実にしても、そうだし。

 ……自分の想像が、どうやら当たっているらしい、という事実にしても、そう。

 

 ――あぁ、まさか、と思った。

 でも、そんなわけない、と、信じていたさ――信じたかったさ。

 

 でも、目の前にした現実は雄弁で。そしてそれ以上に非情だった。

 ……これは。

 

「……ブラックレース、だな」

 

 絶句する私に代わり、口にするのはトレーナーさんだ。

 イクノさんの、あの熱弁が思い出される。

 

 そう――それは、正真正銘。

 世に有名な違法競技。ブラックレース――だった。

 

「たまげたねぇ」

 

 スカイさんの声は、いつも通りに軽めだ。

 それでも、色は曇っているように聞こえる。

 

「こんな近場でブラックレースがやってた上に……あの子が関わってるなんてねぇ」

「い、いや。まだ、関わってるって決まったわけじゃ」

「ここまで来てそう思わないのは、むしろ不誠実だよ~」

 

 そう、なのかもしれない。見苦しいを通り越して、愉快ですらあるか。

 彼女は参加する、とは言っていなかったものの。

 ああして扉を通って進んだ以上――何の関わりもないはずがない。

 

 ……フェアちゃんは。

 あの違法で、危険と言われる競技に、きっと――

 

「ボーっとしてんな、行くぞ」

 

 けれど、状況は、そんな私を待ってはくれない。

 大男さんは、しばし待ってくれていたけれど、やがて先導を再開する。

 私は、トレーナーさんに言われるまま、再びその背中に着いて歩いた――

 

「――やぁお嬢様方!」

 

 ――刹那だった。

 私たちと大男さんとの間に、見覚えのない男が割り込む。

 それは、かっちりとしたスーツに、七三分け、仰々しい黒縁眼鏡をかけた、いかにも真面目そうなサラリーマン、って感じの人だったけれど――

 

 

 

 私は。

 ぞくり、とした。

 

 

 

 軽薄そうに細められた目に――

 得も言われぬ恐怖を、覚えていた。

 

「まだお若そうに見えるのに、こんなところに来るとは! もしかして()()()ないのですか?」

「え……?」

 

 ゴマを擦るように上擦った声が、耳に入った傍から、滑り落ちていく。

 やがてそれは声なき警告となり、私の本能に訴えかけてきた。

 

 この男は、

 危ない、と。

 

「いえ……あの」

「あの~すみませ~ん」

 

 しどろもどろになる私と入れ替わりに、スカイさんが前に出てくる。凄まじいもので、こんな状況になってなお、彼女はいつもの調子を失っていなかったが――

 

「私たち急いでるんで~、どいてもらえますか~?」

「まぁまぁそう言わずに! お時間は取らせませんので!」

 

 男は全く引かず。

 それどころか――

 

「せめてお話だけでも――」

「……!」

 

 その細腕が。

 私たちの方に近付いた。

 

「――っ!?」

 

 ――その時。

 その手が、ぐりん、と上方向にねじ上げられる。

 

「――っだ!? いっ、ったたたたっ!?」

 

 眼鏡の男が、痛々しい悲鳴を上げる。思わず、その腕を辿った先には――別の手。

 先ほど見た、ずんぐりとした、褐色の手。

 

「――オニイサン、ダメ」

 

 ――あの大男さんは。

 彼の背後から、片言の日本語で言っていた。

 

「コレ、ヴィップ。ツイカリョウキン、ヒツヨウ」

「あ、あぁ!? VIP!?」

「ツイカリョウキン、ヒツヨウ」

「ちっ……んだよ」

 

 一見コミカルに聞こえるその声に――しかし眼鏡の男は、忌々しげな声を漏らしていた。

 

「もっと分かりやすいようにしとけってんだ……面倒くせぇな」

 

 そして……大男さんの腕を、乱暴に振り払うと。

 ぶつぶつと、何やら文句を口にしながら……私たちの元から、立ち去っていた。

 

「スミマセン、」

 

 呆気にとられる私たちに、大男さんは言う。

 

「ウシロ、ミテナカッタ」

「あ、いえ。全然」

 

 無表情だけれど、その端々からは申し訳なさが滲み出ている。心なしか、ちょっとしゅんとしているようにも見えた。

 

「ありがとうございます。助けていただいて」

「……モンダイナイ。コレ、シゴト」

 

 ツイテキテクダサイ――そう言って彼は、改めて先導を始める。

 私たちは、お互いに頷き合い。今度こそ置いていかれないよう、気を取り直して、その背中に着いていく。

 ……

 ……けれども、だ……

 

「隙あらば割り込み、かぁ」

 

 今や私の隣を歩くスカイさんは、私の胸のもやもやを言語化してくれていた。

 

「とんでもない場所だね。私たちが『初見』だって一瞬で見抜いたってわけだ」

「それか、若い女はカモになるって思ったかだな」

 

 光栄だね、とトレーナーさんも、嬉しくなさそうに言った。

 

「着いてったらどうなってたんだか……まぁ、『お友だち』になれたのは確かだな」

「……要らない友だちですね」

「『VIP』だからって油断しないようにしないとね~。まぁ、もう大丈夫だとは思うけど」

「……」

 

 ……ここまで、なんとなくふわふわと、非現実的な感覚だった私。

 今ので、やっと理解出来た。ここは――『普通』の場所じゃない。

 私たちが知る場所ほど、寛容な世界じゃない。

 生易しい領域じゃない――ってことが。

 

 油断したら、隙を見せたら。すぐに奈落の底へ真っ逆さま。

 弱きが食われ、強きが生きる。ある意味で正直で、単純な。

 弱肉強食の、世界――

 

「……」

 

 増大する一方の不安を、なんとか飼いならしながら。

 歩くこと、しばらく。……やがて私たちは、個室に案内された。

 個室といっても、大方想像できるような豪華なもんじゃない。観客席にただくっつけただけみたいな……簡素な個室だ。

 その扉を、大男さんが開ける。

 その中は……

 

「……おぉ」

 

 見てくれは薄汚れていたけれど、それなりに整理されていた。

 空調が利いているのか、見た目ほど暑くはない。中心には、五人くらいは座れそうな長いソファ。

 真正面には、机と、何かの資料。そしてレース場が見渡せるように嵌め込まれた、分厚そうなガラス。隅には観葉植物―。

 

 ……なるほど。

 黒服の男さんの言葉と併せると、ここは、つまり――

 

「VIP席、ってか」

「みたいですね……」

 

 私たちが中に入ると、扉が閉められる。どうやら、彼は中に入らないらしい。外で番人をする、ってことだろう。

 公式の競レースでも、こういうVIP席――貴賓席が用意されることがあるらしいけど。

 似て非なるものだろう。場所的な意味でも。待遇的な意味でも……

 

「おぉ~、思ってたよりいい感触だ~」

 

 ……こういう時、スカイさんの神経の図太さを羨ましく思う。

 こんな状況にも関わらず、彼女は早速ソファへと飛び込み、品評するがごとく寝転がっていた。まるで家猫、緊張してないって意味ではいいかもしれないけど、その、私たちが座れないです。

 

「空調も利いてるみたいだし、私ここに住めちゃうかも。家賃おいくらですか~?」

「今なら『執事』も着いてきます、ってか」

「まともな人だといいですね……」

『――ご来場の皆様にお知らせします』

 

 とかなんとか思っていると。

 部屋の中に、控えめな音量の放送が響く。

 

『第5レース出走のお時間が近付いてまいりました。『発券』をご希望の方はお急ぎください。出走後の発券は対応し兼ねます。出走者の概要に関しては、お手持ちのパンフレットで――』

「……? 発券? パンフレット?」

「ブラックレースは、違法賭博の温床だからな」

 

 トレーナーさんは、困惑する私の脇を通り抜けて、ソファへと近づく。依然としてごろごろしているスカイさんを、軽く蹴ることで退けていた。

 

「『発券』がどういうシステムかはわからんが、『賭けたい』ならさっさとしろってことだろ。……パンフレットってのはこれのことだな」

 

 ソファに腰を下ろしたトレーナーさんは、机の上の資料を手に取る。私も覗き込んだ……それは、数ページ程度の冊子みたいだった。

 目がちかちかするんじゃないかってくらい、カラフルで、派手な売り文句と、多様な写真。トレーナーさんが、それを流し気味に捲ると――

 

「!」

 

 ――不意に、目に飛び込んできていた。

 見覚えのある赤髪と、でかでかと記載された、『名前』が。

 

 常勝無敗の『紅い閃光』――

『ルビーフェア』。

 

「チームともに有名人みたいだな」

 

 トレーナーさんは、悪そうに笑った。

 

「つまり『こいつ』が、『パドック』の代わりってわけだ」

「……」

 

 確かに、レース場にそんな場所は見当たらない。

 スペース的に設けられなかったのだろうか。それとも予算の兼ね合いか。割といい手法なように感じた。……

 

 ……はは。

 

「……有名人みたいで、何よりだよ」

「……アリオンちゃん」

 

 スカイさんが、心底に心配そうに声を掛けてくる。私は……精一杯に平静を保ち、視線を返して応じた。

 うん……大丈夫。大丈夫。

 気にしないよ。今更。

 受け入れるよ、もう。

 

 認めたくない現実を。

 知りたくなかった、事実を……

 

『――ご来場の皆様、大変長らくお待たせいたしました』

 

 その時。

 新たな放送が流れた。

 

『第5レース、出走者の入場です』

 

 瞬間、私たちの視線が、ガラスの向こう側へ向いた。

 それなりに離れた位置からでも、その姿は確認できる。

 数にして16人――個性豊かな外見をした、ウマ娘たちの中に。

 

 フェアちゃんと。

 あの四人組が、混じっていた。

 

「突っ立ってないで座れよ」

 

 ガラスに張り付き――

 ごくり、と固唾を呑む私に。トレーナーさんが、呼び掛けていた。

 

「あたしたちは、()()()()ここに来て、()()()()レースを観てる()()だ。……何も悪いことはしてない」

「……」

 

 それは、彼女なりの気遣いなのだろう。一瞬は、反発しかけたけれど。

 どうせレースを止めることなんて、出来っこない。……大人しく、彼女の言う通りにすることにした。

 

『――出走のお時間となりました。発券が終了します――』

 

 ちょうどその時、放送が続き。

 出走者たちが、ゲートに入り切る。

 レース直前特有の、何度も触れて来たはずの静寂は――

今日ばかりは、ひどく不気味に感じた。

 

『――今、スタートが切られました!』

 

 それを破るように――

 少女たちが、一斉に走り出す。

 

『――、――……!!』

 

 先の穏やかな放送に代わって、スピーカーからは喧しい実況が響いている。

 本来なら気が散るであろうそれに、全く意識が向かないのは、それだけ目の前のことに集中しているからだろう。

 

 先頭(ハナ)を、あのエンゲツちゃんが切る。

 ショーちゃんはそこから少し後方、前から5番目。

 リョホーちゃんは更に後ろで7番目。

 センちゃんは11番目で、肝心のフェアちゃんは――

 ……14番。

 

「……」

 

 その走りは、見るからに苦しいそれじゃない。

 余裕をもって、敢えて最後尾についている感じだ。

 レースに、そういった走りをする戦術があることを、私は良く知っている――

 

「……ここまでは普通のレースだね」

 

 スカイさんが、独り言のように言う。確かにその通りだ。

 ここまでは、普通のレース。コース自体は……ダートなのか芝なのかよくわからない性質なものの、それ以外に特筆すべきところはない。

 普通に普通な、どこにでもあるレース――

 

「――!」

 

 でも。

 間もなく私たちは、それが普通じゃない所以を見ることになった。

 

 エンゲツちゃんの後方を走っていたウマ娘が――

 加速し、並んだかと思うと、そのまま、横方向に『ズレた』のである。

 

 ……そう、『ズレた』。

 最大限にオブラートに包めば、そうだ。

 でも私の目には、正直、そうには見えなかった。

 それは偶然とか、事故とかじゃない。明らかに意図的な動き――

 

 ――『攻撃』、に見えた。

 

 ただエンゲツちゃんは、ひらりと身を翻してそれを回避。

 逆に『攻撃』をかましたウマ娘が、バランスを崩し、背後のバ群に呑まれてしまった。

 

 それを皮切りに――

 バ群全体に、異様な動きが広がり始める。

 

 

 

 ある者は、脚を引っかけようとする。

 ある者は、明らかな『斜行』をし、進路を妨害する。

 ある者は、服の裾を掴み、邪魔をする。

 ある者は、出走者の身体そのものに手を掛け、押しのけようとする――

 

 

 

「……」

 

 ……なんだこれ。

 なんだ、これ。

 

 一瞬にして別世界に飛ばされたような気分だ――あれ。おかしいな。

 私たちは、ついさっきまで。

 レースを、観ていたはずでは。

 誰もが。

 前に出るために、前に出させないために、ありとあらゆる手を尽くしている。

 誰もそれを咎めないし、

 むしろ、それを受けて盛り上がる始末だ。

 

『――!! ――!!』

 

 心が現実から切り離されて、急速に遠ざかっていくのを感じた。……

 

 ……こんなの。

 こんなの、レースじゃ、ない――……

 

「……もう滅茶苦茶だね」

 

 スカイさんが、ぽつりとつぶやく。

 珍しくその声には、分かりやすい侮蔑を感じた。

 

「文字通り何でもあり、ってわけだ。お金のためとはいえ……ウマ娘としての『矜持』は失いたくないね」

「それでも連中は、変わらずに走れてる」

 

 一方トレーナーさんは――

 飽くまで冷静に、それを分析していた。

 

「チーム『スイコ』だったか。なるほど。伊達に有名人じゃないらしい」

 

 まぁ確かに、そこは、彼女の言う通り。

 敵味方入り乱れる、混沌としたレース展開の中でも、彼女らはほとんど動じていない。

 それどころか――その混乱に、上手く乗じているように見える。

 その証拠とばかりに――

 

 いつの間にか、フェアちゃん以外の四人が、先団を独占している。

 

 他の出走者たちは、それに気付いていないのか。

 目の前のことを処理するのに、いっぱいいっぱいなのか。

 どちらにせよ、レースは終盤にまで差し掛かり――

 

 

 

 刹那。

 深紅の影が、バ群を切り裂いていた。

 

 

 

「――!」

「おっ」

「へぇ……」

 

 それまで蔑み一色だったスカイさんが。

 冷酷なほど冷静だったトレーナーさんが。

 それぞれに、驚きの声を漏らす。

 私も私で、目を見開いていた。

 

 後方に待機していたフェアちゃんが。

 混沌に塗れたバ群を、一気に追い抜き――

 先団を走る四人すらも、抜き去り――

 

 先頭へと、躍り出ていたのだ。

 

 レースはそのまま、終盤を過る。

 彼女が先頭のまま。後方に四人を控えたまま。

 終わりを迎えていた。

 

『――!!』

 

 歓声は砲声となり――

 私たちのいる個室を、びりびりと震わせる。

 

 場内の赤髪が、観客席に手を振り、その顔がこちらに向けられたのを感じた。

 互いの視線が交わった気がするけれど……

 

 私はそれに。

 歓びを乗せることは、出来なかった。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「付き合わせて悪かったな」

 

 夜の繁華街。

 あの四人組が、スカイさんと一緒になって、トレーナーさんに絡んでいるところを目の前に見ながら、歩いていく。

 同じように、私の隣で見守っているフェアちゃんは……確かに、申し訳なさそうな声で言っていた。

 

「でも、お前に隠し事はしたくなかった」

「うん……ごめん。正直今でも、あんまり整理着いてない」

 

 ……けれど、今日の出来事で。

 彼女が、何をしているかは分かった。

 どういう世界で生きているかも、分かった。

 でも、だからといって……それを簡単に受け入れられるかどうか、は、また別の問題だった。

 

「……どうして」

 

 どうして、

 あんなことをしているの?

 

 私は、思わず問いかける。

 

『真っ当な』仕事は、しないの?

 ……なんて。

 

「……まぁ」

 

 フェアちゃんは。

 いかにも答えにくそうに、答えていた。

 

「あたしにも、止むを得ない事情ってのがあるんだよ」

「何……なんなのその事情って」

「悪いな。それは言えない」

「……隠し事、してるじゃん」

「……悪いな」

 

 不満だった。

 不服だった――何なら、今すぐ掴みかかりたいくらいだった。

 けれど、私の中に残った僅かな理性が、それを阻止していた。

 そこまで行ったら、取り返しがつかなくなると。私を……諭していた。

 

「お前の提案は、魅力的だよ」

 

 そんな私に――

 フェアちゃんは言う。

 

「でも、やっぱりダメだ。付き合えない。あたしには、あたしの居場所ってもんが既にあるし……」

 

 それに。

 

「守らなきゃいけないもんも、ある」

「……」

 

 目の前で、陽気にはしゃぐ四人。

 いかにも楽しそうなその雰囲気が、途端に儚げな、今にも消えてしまいそうなもののように映る。

 幼くすら見えるその様子が。

 安易に砕けてしまいそうなほど、脆いもののように見え出す。

 

「……あたしはあたしで、勝手にやるからさ。お前はお前でやってくれ」

 

 続けるフェアちゃんに。

 私は、何も言えなくて。

 

「無理に同じ場所を目指すことも無いだろ。……応援してる」

「……」

 

 ……ただ。

 ただ、俯くしか、出来なかった。

 

「今日はありがとね~、フェアちゃん」

 

 ……何も言えないまま、変えられないまま、彼女らの住処に辿り着く。

 スカイさんは、すっかり慣れたように、声を掛けていた。

 

「またこの子たちの手料理を食べに行くよ~」

「やめてくれ。歓迎はしたけど、食料は有限なんだよ」

「えー! ダメなの? 自分で買ってくるってさっき言ってたわよ?」

「オメー……いつの間にそんな密約交わせるほど仲良く……」

「にゃはは~」

 

 まぁ、それならそれでいいけどな――結局それを受け入れたフェアちゃんは、四人を引き連れて中へ入っていく。

 ろくに見送りの言葉もかけられていないからか、後ろ髪引かれてそうだったけれど。それでも最後には、特別声もかけずに、家の中へと姿を消してしまっていた。

 

「はぁー……」

 

 散々弄られに弄られたらしいトレーナーさんは、特大のため息を吐き出していた。

 

「ったく……今日は散々だ……」

「おつかれさまでーす。なかなか楽しい時間でしたぞ~」

「ぶっ飛ばすぞコノヤロウ」

「……」

 

 軽口を言い合う二人にも、私はろくに反応出来ない。

 心の中がすっかりかき乱され、整理がつかない。

 

「……まぁなんだ。色々思うとこはあるだろうが」

 

 それでも、トレーナーさんは、無慈悲なまでに言う。

「時間はあたしらを待っちゃくれない。……明日からまた、トレーニングを再開するぞ」

「……」

 

 俯くしか出来ずにいると――

 ……軽く、小突かれてしまった。

 

「返事」

「……はい」

 

 零した言葉を、彼女はしっかり受け取ってくれたらしい。

 よし、と短く言い、スカイさんの方へと目を向ける。

 

「オメーも、サボりはほどほどにしろよ。オメーんとこのトレーナー、ここ最近ずーっとそれで悩んでんだからな」

「おっ、そうなんだ~。じゃ、もっと出てあげないとね~」

 

 トレーニングは普通出るもんだろ――呆れたようにそう言って。

 私たちもまた、各々の『家路』を歩む。

 繁華街の喧騒に紛れながらも、お互いに有り触れた会話ひとつも交わさず――

 ……やがて目的地、学園へと辿り着いた。

 

「それじゃあな。また明日」

 

 トレーナーさんは、トレーナー寮の方へと行き。

 

「じゃ、行こっか~」

「……うん」

 

 私たちもまた、その背中を見送りつつ、寮の方へと足を向ける。

 

「まぁ、さ」

 

 しばらく歩くと。

 スカイさんは、口を開いた。

 

「みんなそれぞれ、自由に生きられない理由があるもんさ」

 

 悟ったかのように。

 私を、諭すように。

 

「無理に付き合わせることは……ないんじゃないかな、ってセイちゃんは思うけどなぁ」

「……なにそれ」

 

 ……その言葉に。

 返した言葉は、知らず知らず、尖っていた。

 

「諦めろってこと?」

「そーゆーわけじゃないけど……最悪それも、視野に入れとくべきじゃない~?」

「……知った口利かないでよ」

 

 もやもやと、どす黒い感情が胸の中を満たし始めたのが分かる。

 自分の家の中に、土足で上がり込まれたみたいに。

 ……口にする言葉も、更に鋭くなる。

 

「……心外だな~」

 

 それに応じてか――

 スカイさんの言葉もまた、攻撃的な色を帯びた。

 

「セイちゃんは、飽くまで善意で忠告してあげてるのに」

「余計なお世話だよ。あなたには関係ないでしょ」

「え~? そんなこと言っちゃう~? そんなんなったら、もう何も言えないじゃーん」

「うっさいな……何も知らないくせに」

「だったら訊くけどさぁ、」

 

 そうして向けられた視線も――また、鋭利だった。

 

 

 

「――キミはあの子の、何を知ってるの?」

 

 

 

「……そんなの」

「知らなかったじゃん。何も」

「――、」

 

 淡白なまでに、現実を突きつけられて。

 私は、何も言えなくなる。

 

 湧き上がってきた怒りが、頭を支配していた熱が。

 急速に、失われていくのを感じる。

 

「……」

 

 口を動かしても、声は出ない。

 言葉は、紡がれない。

 胸を満たしていた黒い感情は、今や霧散して。

 驚愕に似た理解が、広がるばかりだ。

 

 ……そうだった。

 その通りだった。

 私は、知らなかった。

 何も、知らなかった。

 

 彼女が、共同生活を送っていることも。

 危険なレースに関わっていることも。

 ……どうして、そんな境遇に置かれたのかも。

 何も、何も、知らなかった。

 

 どの口が言えるのだろう。

 どの口が語るのだろう。

 私は彼女を知っているだなんて。

 彼女のことを、理解している、だなんて。

 

 ……知り合ったばかりであるはずの、スカイさんですら。

 知っていた事実を、ずっと、知らなかったのに……

 

「……」

「……」

 

 歩みは止まらないけど。

 互いの空気は、停滞した気がする。

 人気のない路地なのも、相まって。

 それに抑え込まれたように、口を開けない。

 

 それは執拗に居座っていたけれど。

 気まずさに耐え兼ねたのだろうか。

 やがて、寮の前に辿り着いた時。

 

「……ごめん」

 

 スカイさんが。

 ぽつりと、それを追い払っていた。

 

「言い過ぎた」

「……、うぅん」

 

 私もそれに、ぽつりと返す。

 逆上は愚か、否定すら出来ない。

 ……彼女の言い分は。

 冷静に考えれば、至極真っ当だった。

 

 そうだ。

 そうなのだ。

 出口の見えないトンネルみたいで、入り組んだ迷路みたいで。

 複雑で、煩雑な事情。……私にも、私のやるべきことがあるのに。

 いくら夢だからって。目標だからって。レースに関係ないところでいつまでも足踏みしていられるほど、甘くもない。

 

 自分の将来を考えるなら。

 真っ当に未来を思うなら。

 こんな浮ついた願い――さっさと、捨てるべきだ。

 

 とっとと。

 諦める、べきなんだ。……

 

 ……

 ……でも。

 でも、それでも。

 それでも、やっぱり、私は……

 

「……じゃ、また明日ね」

 

 ……私とスカイさんは、同じ寮だけど、階が違う。

 階段を上がろうとする私に言って、立ち去ろうとする。

 

「――スカイさん」

 

 私は。

 その背中を、呼び止めていた。

 彼女は素直に応じて、立ち止まり、振り返ってくれる。

 電灯に照らされて、短めに切り揃えられた芦毛が、篝火のように映えて見えた。

 

「……ありがとう」

「……」

 

 何に対してかはわからない。

 けれど、そう言わないといけない気がした。

 目を丸くした彼女は。

 口端を綻ばせていた。

 

「……どういたしまして」

 

 先ほどの鋭さなど、見る影もない。

 優しく、柔らかな声色で言って――

 彼女は、改めて歩き去る。

 

 ……私も、部屋に戻って。

 荷物を投げ出すと、徐に窓を開けた。

 サッシに上半身を預けながら、夜空を見上げる。

 

 

 

 星は。

 いつもより、遠くに感じられた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。