16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

17 / 51
鋼の意志

 ――遠い昔。

 夏休みが終わる直前。

 フェアちゃんは、わざわざ私の家に遊びに来て、こんなことを言った。

 

「――いやー、やべーわー、宿題終わってねーわー!!」

 

 あからさまに、わかりやすく。

 

「やべーわー!! マジやべーわ!! このままじゃ先生に怒られちゃうわー!! いやー!! まずいわー!! ホントにまずいわー!!」

 

 聞こえるように、わざとらしく。

 

「マズいんだよなー!! どうしよっかなー!! 時間がねーんだよなー!! もっとお手伝いがいればいいんだけどなー!!」

「……」

 

 で、それを聞いた私は。

 

「そうなんだー」

 

 ……と、淡白に答えるのである。

 

「……」

「……」

 

 セミの合唱が会話の間隙を埋め、このまま『完』の字がせりあがってきてもおかしくない空気。

 

「――いやそこは手伝うよって言えよ!! 親友が困ってんだぞ!!」

 

 しばらくして。

 フェアちゃんは、大絶叫をかます。

 

「えー?」

 

 で、まぁ、私も私で。

 挑発するみたいに、『わざとらしく』返す。

 

「ごめーん。私バカだからワカンナーイ」

「わかってんだろうが! 明らかに! 性格悪いな! あたしに皆まで言わせる気かよ!?」

「皆まで? ミナマデ? 外国の街か何か? わかんないな~~~、何かやってほしいなら、ちゃーんと言ってくれなくちゃ~」

 

 どんどん顔を赤らめていくフェアちゃん。

 醜いまでに歪んでいる、と自覚出来るまでに笑う、私。

 私の核心は割と薄汚い。

 借りが作れる!! とかほくそ笑んでいたっけ。

 

「言ってみ? フェアちゃん」

 

 言う。

 まるで、犯人を追い詰める警官みたいに言う。

 

「私に、どうしてほしいのか」

 

 言う。

 宛ら、生徒の悪事を暴こうとする先生みたいに言う。

 

「スナオに、言ってみたらどうですか?」

「……っ」

 

 ……すると。

 やがて彼女は、俯いて。

 

「……くれ」

「ん?」

「――だあぁぁ、もぉ!!」

 

 続いて――

 荒々しい怒号をかますと。

 

「……助けて、くれ」

 

 とうとう、観念したように、言った。

 

「あたしの宿題。手伝ってくれっ!」

「――うんっ」

 

 そして、私は……

 それに気を良くして、言うのである。

 

 

 

「助けてあげるっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あたしがいても『足』手まといだろ』

 

 そういうことらしいので、私とスカイさん、二人でセイちゃんの後に着いて行った。

 果たして三人、フェアちゃんの住処へと辿り着いたのだけれど……

 ……正直、何事かと思った。

 

「……なにこれ。世紀末?」

 

 スカイさんの声も、心なしか呆然としている。……当然だ。目の前に、それだけのものを見せられているのだから。

 ガラスが割れ、ほとんど枠のみとなった引き戸。散乱する植木鉢の欠片。上り框には土が撒き散らされ、何者かが土足で上がり込んだことを物語っている。

 

 まだ、最後に見てそう経っていないはずなのに。

 そこは、見るも無残な状態になっていた。

 フェアちゃんを助けてほしい――センちゃんが、あれだけの剣幕で言うのだから、ただ事ではないとは思っていたけれど。

 

 ……どういうことなのだろう。

 まさか……こんな事態になっているだなんて。

 

「……お邪魔します」

 

 とにかく、中へと入るけれど、そこもまた目も当てられない状態だった。

 雑で乱暴な強盗に、これ以上ないくらい暴れ回られたみたいだ。

 私もこれまで、色んなアクション映画を観てきたけど。その中でさえ、ここまで凄惨な状況は見たことがない。

 

 ……ただ事じゃない。い、一体何が……

 

「みんなは?」

「……こっちです」

 

 センちゃんに問いかけると、彼女は居間まで連れていってくれる。示された通り、そこには残りの三人が身を寄せ合っていたけれど……誰もが意気消沈している。

 いかにも、目の当たりにした現実を、受け入れられていない様子だ。まともに受け答えが出来るようにすら……思えない。

 

「……な、」

 

 何が。

 先に思った疑問が、口を衝いて出る。しばし、それに答える子はいなかったけど。

 

「……『トウ』ダ」」

 

 やがて口を開いていたのは、ショーちゃん――ダイトウカンショーちゃん、だった。

 

「あのヤローガ、オレたちの留守を狙ってきやがったんダ」

「トウ……?」

「……トウチュウエイ。あたしらの、因縁の相手です」

 

 気持ちの整理がついたのだろうか。

 センちゃんが、それに続いていた。

 

「いるんですよ。フェア姉がそうであるように。ブラックレースにも……スター選手ってやつが。トウチュウエイはそのうちの一人で、同じくらいの実力のフェア姉を、一方的に敵視しています」

 

 その因縁が、どこから始まったかはわからない。しかしフェアちゃんは、どうやらその『お眼鏡』に適ったらしく――

 時に、皮肉を言い。

 時に、嫌味を言い。

 実害は無かったものの、旅人に付き纏う蛇のように、何かにつけて執拗に絡んできていた。

 ……今日までは。

 

「……そいつが、あたしらが留守にしてる間に、襲ってきた。あたしらの『大事なモノ』まで奪って、姿を晦ませた。フェア姉には……どうも、居場所の見当がついてるみたいで。さっき、家を飛び出したっきり……」

「……帰ってきてないの?」

 

 センちゃんは、ゆっくりと頷く。トウチュウエイ。どんな人かはわからないけれど、突然現れ、ここまで暴れ回る人なのだ。どんな人となりなのか……は……想像に難くない。

 

 そしてフェアちゃんもフェアちゃんで、この子たちを置いてどこかへ行ってしまった。

 無事に帰ってこれるかどうかも……今や、定かではない。

 

「……どうしよう」

 

 センちゃんは。

 俯き、肩を震わせる。

 声も、それを追うように震える。四人の中で、最もしっかり者に見えたその姿が、萎んで見える。

 

「もし……フェア姉に何かあったら……あたし……あたし」

「……ごめん」

 

 それに続くエンゲツちゃんの声もまた、か細く震えていた。

 

「あたしが……あたしがちゃんとしてれば。あいつに対抗出来てたら、こんなことには……」

「……」

 

 波紋が広がるように、リョホーちゃんも。

 それまで強気に振舞っていたショーちゃんも、同じように、震え出して。

 

 ……ただでさえ薄暗い家の中に。

 更に重く、暗い空気が漂い始める。

 

 痛々しく、すすり泣く声すら響き始め。

 私は――他に、どうしようもなく。

 唇を軽く噛み。

 視線を下げてしまった。

 

「――、」

 

 その時。

 隣に立っていたスカイさんが、深く息を吸うのを、感じた。

 

 

 

「――泣くなッ!!」

 

 

 

 ……放たれた言葉は。

 これまでに聞いた、どんな彼女の声よりも――熱と、感情に、満ちていた。

 

 全員の視線が、彼女に集中する。

 スカイさんの顔は、怒りにも、励ましにも、水を向けようとしているようにも見える、何にしても、激情一色に染まっていた。

 

 見たことのない表情を。

 浮かべていた。

 

「泣いたって、何にも始まらない」

 

 彼女は、言う。

 

「泣けば誰かが助けてくれるの? 泣けばどうにかなってくれるの? どうにもしてくれないもののために、エネルギーを割いてやる暇なんか今はない」

「す、スカイさん……?」

「苦難に直面したから。悲劇を目の当たりにしたから。それが自分じゃどうにも出来ないからって、泣いて留まって、誰かがどうにかしてくれるのを待って物臭に甘えたがるな!」

 

 私の、困惑の声すらも意に介さずに。

 その目は、ぎろりと、四人を見つめていた。

 

「――私は、そういう奴が、一番嫌いだ」

 

 彼女らは。

 呆気に取られたのか、単に返す言葉が無いのか。

 無言で、何も言わず、彼女を見つめ返していたが。

 

「――あっ」

 

 スカイさんは、反応を待たず、踵を返す。

 歩き始めた彼女に、一瞬だけ躊躇った後に、着いて行った。

 

 その足は、家の外、門の前にまで行って――

 止まっていた。

 

「……スカイさん?」

「――やっちった」

 

 名を呼ぶと。

 彼女は、片手で顔を覆う。

 その下から覗く瞳は……

 恥ずかしそうに、緩んでいた。

 

「……今の、オフレコでお願い」

「……」

 

 ……それに。

 私も、微笑んだ。

 その豹変は――彼女にとっても、想定内のものではなかったようだった。

 

「……びっくりしたよ。いきなりあんなこと叫び出すから」

「いやはや。セイちゃんもまだまだですな~。言っちゃだめだ、言っちゃだめだって、必死に押さえてたのに」

 

 いつものように、後頭部で手を組む彼女だけど。

 その動作も、今の私には、ほんの照れ隠しのように見えた。

 

「……抑え切れなかった。なんかさ」

 

 同族嫌悪ってやつかもね――と。

 

「なんか……昔の自分みたいでさ」

「……」

 

 ……なんというか。

 スカイさんの言動って、いつも浮世離れしていて。

 同じ『種族』でありながらも、根本的に違う存在なような気がしていて、何となく、距離を感じていたのだけれど。

 

 安心した。

 なんだか少し、安堵していた。

 彼女もまた、私とさして変わらない……

 同じ『ウマ娘』なんだな、と。

 

「……んー?」

 

 なんて、微笑ましげに見ていることを悟られたのだろうか。

 彼女は、私と目を合わせると、いつもの、悪戯っぽい雰囲気に瞳を緩ませた。

 

「まるで自分とおんなじ、とでも言いたげだねぇ」

「え……え? いやいや、そんなことないデスヨ?」

「ってことは、自分とは違う存在かもって思ってたわけだ。うーん。ちょっとショックかも~」

「いやいや。そんなこと、ナイデスヨ?」

「どんどんカタコトになってるよ~?」

 

 けらけらと笑うスカイさん。

 恥ずかしげに頭を掻く私。

 先の激情はどこへやら。

 どこか藹々とした空気に、場が包まれそうになった頃――

 

「……あ」

 

 ふと、スカイさんの向こう側。

 外れた視線の先に――私は、それを見ていた。

 

 薄暗い景色の中でも、まるで篝火のようによく目立つ、真っ赤な髪――

 

「フェアちゃん!!」

 

 その持ち主の名を叫ぶと。

 彼女は、そこに立ち止まっていた。

 口が、私の名を結んだように見える。

 ただ、それを確認する間もなく、私たちは、彼女の元に駆け寄った。

 

「大丈夫!? 怪我は……!」

「お前……なんでここに」

「センちゃんに呼ばれてきたの。そしたら、トウってやつが、フェアちゃんの家を襲ったって……」

「……ちっ、アイツ余計なことを」

「余計って……」

 

 見たところ、彼女に怪我はなさそうだ。ただ……そんな言葉は、心外だった。

 彼女も、勇気を振り絞って私の元まで来てくれたろうに。何も……そんな言い方、しなくたって。

 

「……何があったの?」

 

 ともかく。

 改めて、彼女に問う。

 

「外に飛び出したって聞いたけど」

「……トウに会ってきた」

「!」

 

 ……嘘。

 会って来た!? トウに!? この事件の――首謀者に!?

 

「『あいつら』の大事なもんを盗んだってことは、それが人質だってのはすぐに推測が付いた。その挑発に乗ってやったまでだ。ご丁寧に『レース場』の目の前で待ってやがったよ。にやにや嫌らしく笑いながらな」

「……なんて言ってたの。向こうは」

「何でもねーよ。勝負しろって言われただけだ」

 

 本当に何でもないことのように。

 彼女は言った。

 

「一週間後。三対三のチーム戦だ」

「……!」

「まぁ、向こうはあたしがメンバーを集められないことに気付いてる」

 

 だから実質、三対一になるだろうがな――

 彼女の声は……普通だった。恐れも怯えもなく、淡々と事実を述べているだけのように聞こえる。

 でも――それは彼女だけの話だ。傍から聞いた側からしたら、そんなとんでもない話は無かった。

 

 それがまだ『普通の』レースなら――まだしも。

 

「ほ――本気なの?」

 

『普通じゃない』レースを観た側からしたら……

 心配せずには、いられない。

 

「ブラックレース……ってことでしょ? それで三対一なんて」

「あぁ……さぞ『楽しい』レースになるだろうなぁ」

 

 空を見上げる彼女は、それを恐れているようには見えない。

 まるで他人事のように、そこを流れる雲のように、軽く、ふわふわと、答える。

 

「まぁいいさ。どうせこんな、くだんねぇ人生なんだ」

 

 レースの上で果てられるのなら。

 それで本望だよ――

 

 まるで世捨て人みたいなその言葉は……彼女の、本心のように思えた。

 声にも瞳にも、迷いはない。

 嘘一つなく、忌憚なく。

 強大な敵に、立ち向かおうとしている――それが感じられた。

 

 たった一人で。 

 誰の助けも求めずに。

 ……解決しようとしている。

 そんな風に、見えた。

 

「……」

 

 その姿に、かつての彼女の姿が重なる。

 そして、重なったその姿に、トレーナーさんから話された過去が共鳴する。

 

 ……何も知らなかった。確かにそうだった。

 何も知らずに、知った気になって、彼女に呼びかけていた。

 自分勝手に、勝手気ままに、彼女を私の夢の中に引き込もうと、試みていた。

 

 ふわふわと浮かぶ風船のように、中身のなかった想いが、感情が、

 熱を帯び始めたのを感じる。

 

「……フェアちゃん」

 

 ……果たして私は。

 黙ってなど、いられなかった。

 

「一人でなんか、行かせない」

 

 一人で戦おうとしている彼女に。

 孤独に立ち向かおうとしている彼女に。

 私は、言った。

 

「――私も、」

 

 ――私も。

 協力する、と。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「……はぁ?」

 

 フェアちゃんは、私の言葉に、頓狂な声を上げていた。

 

「協力? お前が? あたしに?」

「うん。そのレース! 私も参加する!」

「……何言ってんだよ。お前は正規ウマ娘だろ」

 

 私としては、大真面目に、冗談抜きに、言ったつもりだったのだけれど。

 フェアちゃんは、どこか馬鹿にするみたいな、皮肉めいた口調で笑っていた。

 

「ブラックレースになんぞに首突っ込んだら、何言われるかわかんねぇぞ」

「はは。かもしれないね。……でもいいよ。何言われたって」

 

 でも……大丈夫。心配には、及ばない。

 だって私に、恐れも、怯えもない。今の心は……単純な、ただ一つだけ。

 

「……『親友』を助けられるなら。どんなことを言われても構わない」

 

 そう――

ただそれだけ。

 あなたを助けたいという、バカらしいほどに単純で、愚直なまでに純粋な、それだけ。

 

「どんな危険なレースだろうと、それでどんな怪我を負っても、どうでもいい!」

 

 本当に――ただ。

 それだけ。

 

「だから、一緒に走ろう、フェアちゃん!」

 

 手を差し出す。

 たった一人で、巨大な敵を倒そうという彼女に、差し伸べる。

 

「一緒に、戦おう!」

 

 真っ直ぐに、彼女に。

 呼びかける。

 

「……」

 

 彼女は何も言わない。

 目を見開き、驚いていたようだけれど。

 やがてそれも収めると、私を見つめて。

 何かに気付いたみたいに、笑っていた。

 

 ――そう。

 

「……なるほどな」

 

 冷ややかに。

 笑っていた。

 

「それが、『策』ってことか」

「え……?」

「そうやってあたしに協力を取り付けて……」

 

 その眼もまた。

 侮蔑的で、軽蔑的で。

 

「その見返りに……『夢』に協力しろってんだろ」

「――……」

 

 夢。

 私の夢。

 みんなで、大舞台で走りたいという、夢。

 

「……冗談じゃねぇ」

 

 フェアちゃんは、続ける。

 

「言ったろ。あたしにも……守らなくちゃいけないものがある」

 

 自分の我儘のために、誰かを犠牲に出来ない。

 

「あいつらには、あたしが必要だ。あたしがいなきゃダメなんだ。……あたしの望みのために、あいつらを路頭に迷わせるわけにはいかない」

 

 自分の理想のために、誰かを振り回せない。

 

「何より……あたしは、そんな手で絆されるほど、簡単なつもりはねぇよ」

 

 自分の夢のために――

 誰かを、見捨てることなんて、出来ない。

 

「……お引き取り願うぜ」

 

 フェアちゃんは言う。

 

「あたしにはもう……関わらない方がいい」

 

 私に言う。

 

「あたしもお前も」

 

 もう、

 違ういきもの、なんだからな――

 

 ……そう。

 突き放すように、言っていた。

 

「……」

「……」

「……」

 

 フェアちゃんは、それ以上は何も言わない。

 言い過ぎたと思ったのか、それまで灯っていた蔑みの色も鳴りを潜めていた。

 

 三人、お互いに視線を交わし合い。

 夜更けの静寂が、場を包む。

 

「……、」

 

 それを肯定と受け取ったのか。

 フェアちゃんの足が、動く。

 私の脇を通り過ぎようとした彼女の――

 

「――、」

 

 その前に。

 私は、立ちはだかった。

 

 フェアちゃんの表情が、不愉快そうに歪む。

 

「……なんだよ」

 

 苛立たしげに言った彼女に――

 

「……いらない」

 

 私は。

 言った。

 

「見返りなんか、いらない」

 

 そう。

 元より――そのつもりだったから。

 

「あ……?」

「友達を助けることに、見返りなんていらない!」

 

 それは綺麗事じゃない。

 それは理想論じゃない。

 私は本心で、あなたの力になることを望んでるんだ。

 

「……いつもそうだったよね、フェアちゃんは」

 

 ……思えば、そうだった。

 彼女は、いつの日もそうだった。

 

「一人じゃどうにもならないことも、一人で解決しようとしてた」

 

 小さなことも、大きなことも。

 一人で、どうにかしようとしていた。

 

「苦しくても、辛くても、全部、抱え込んできた」

 

 不器用な優しさだったのかもしれない。

 彼女なりの気配りだったのかもしれない。

 

「誰の手も借りずに……今まで、生きてきた」

 

 家族のことで。

 親御さんのことで。

 あれだけ、苦しんでいたのに――

 

「……お前」

「――でも、もういいんだよ」

 

 私が、知るはずのない『家族』のことを口にしたからだろう。

 彼女は目を見開き、声を漏らすも。

 私は、続ける。

 

「もう、一人で抱えなくていい。独りで苦しまなくていい。我慢――しなくていい。一緒に抱える勇気も、苦しむ覚悟も、私は決めてきた」

 

 その目的は、最初は違っていたけれど。

 本当は、そのために知ろうと思ったんじゃないけれど。

 でもその方向を変えることだって、今や容易い。

 

「だから……」

 

 だから。

 だから、お願い。

 

「お願い。協力させて」

 

 あなたを。

 今度こそ、あなたを。

 今日こそは。

 あなたを――……

 

「あなたを――助けたいの」

「……」

 

 彼女の顔から、余裕にすら見えた冷たさが消える。

 信じられないものを目の当たりにしたみたいに、瞳が揺れる。

 

「――いいね」

 

 そこで、私と肩を組んできたのは――

 スカイさんだった。

 

「一時はどうなるかと思ったけど……見上げた覚悟だ」

「スカイさん……」

「そういうわけで、私も協力するよ」

 

 声は、やっぱりいつも通りだったけれど。

 その端々に、私に負けないくらいの、意志の強さが滲む。

 

 淡い水色の瞳が、フェアちゃんを緩く見つめる。

 

「3on3なんでしょ? なら私たち二人が加わればちょうどいいじゃん。人の留守を狙う悪代官に、正義の鉄槌を下してやろうではないかー!」

「悪代官じゃないけど……」

「……なんで」

 

 空気を和ませるためだろうか。よくわからない冗談をかますスカイさんに――というより、私たちに。

 フェアちゃんは、ポツリと零す。

 

「なんで……そこまで」

「……嫌だなフェアちゃん。本気で言ってんの?」

 

 それに。

 私は……淀みなく、答えた。

 

 

 

「――友達を助けるのに、

 理由なんか、いらないでしょ?」

 

 

 

「――……」

「でもさ~」

 

 彼女は、今にも崩れ落ちそうだった。

 対照的に、マイペースなスカイさんは。水を差すように言う。

 

「大丈夫なのかな。君のトレーナーさん的には」

「え? トレーナーさん?」

「だって、ブラックレースでしょ~? 許可してくれるとは思えないけどなぁ」

「……まぁ、きっと大丈夫でしょ」

 

 そんな、当然のような疑問に。

 私はなおも、淀むことなく答えた。

 

「だって、『あの』トレーナーさんだよ?」

 

 きっと、色々理由付けて。

 なんだかんだで、協力してくれるよ、と。……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――ダメに決まってんだろ』

 

 ……なんていう。

 私の軽い考えを、電話の向こうのトレーナーさんは、ばっさりと切り捨てていた。

 

「……え」

 

 話がまとまりそうだったから。

 いざ、トレーナーさんに連絡してみたら、そんな有様。

 呆けた声を漏らす私に、彼女は返す。

 

『え、じゃねぇよ。むしろなんで許してくれると思ったんだ』

「い、いや。でも、だって」

『でももだってもねぇ。……考えてもみろ。お前はまだクラシック上がったばっかの新米だけどな、それでも正規ウマ娘であることには変わらねぇんだぞ』

 

 そんなウマ娘が、ブラックレースに参加したなんて知れてみろ。

 

『公式のレースにどんな影響が出るか、わかったもんじゃねぇ』

「で――でも、トレーナーさんは、フェアちゃんが学園に入ることには反対しなかったじゃん! なんで――」

『そりゃ、ルビーフェアは『今』ブラックレースに参加してるだけだろ。正式デビューしてない以上、あいつがいくら裏のレースに手を出してようが関係ない。文句を言ってくる連中がいようが、これからの走りで証明していけばいい』

 

 だが、お前(現役)の場合は話が別だ。

 

『確かにブラックレースは、厳密には出走自体に問題はない。だが世間がそんなに寛容だと思うか? そんな格好のスキャンダル、誰がどこで利用して、どんな揚げ足取りに繋げるかわかったもんじゃない。……お前はそのために、今度こそ競争人生を無駄にする気か? あれだけ迷惑をかけたのに?』

 

 発端はあたしかもしれないけどな。

 その背中には、他人の期待や過去も負っていることを忘れるな。

 

『……お前のその、誰かのために、平気で自己を犠牲に出来る精神は美徳かもしれない』

 

 責めるように言っていたトレーナーさんは。

 一転して、諭すような声色になる。

 

『けどな。自分の時間を、誰かのために割くしかしないのはバカのすることだ』

 

 いいか、と。

 

『固執するべき時間を間違えるな』

 

 お前の人生は――

 お前にしか生きられないんだからな――

 ……と。

 

「……」

「……」

「……」

 

 三人――

 押し黙る。

 スカイさんに言われた時こそ、軽薄なまでに構えていた私だったけれど、冷静に考えてみれば、許可してくれるわけがないのである。

 

 夢のためとはいえ。

 目標のためとはいえ。

 世間的に、明確に忌避されていることに――

 ……手を染めさせるわけが、ないのである。

 

「……」

 

 言葉が出ない。

 覚悟を決めたはずなのに。

 変えようのない現実を目の当たりにして、気持ちは簡単に委縮していた。

 

 考えを巡らせて。

 思いを回らせて。

 一瞬でも、『契約解除』(最後の手段)までもが頭の裏をちらつき。

 それを手に取ることすらも。

 自分の中に、選択肢として、留め始めた。……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――と、まぁ』

 

 トレーナーさんは、言った。

 

『ここまでは、建前の話でな』

 

 ……で。

 思いもよらない言葉に。

 

「……へっ?」

 

 私は、頓狂な声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静寂。

 ルビーフェアたちの家の中、広がっていたのは、静寂であった。

 

『……』

 

 スカイに一喝されて以降、一同はほとんど動かずに、それぞれに思案に耽っている。

 その形の細かな部分は異なっているものの、主題に関しては共通していた。

 

 ――これでいいのか。

 このままでいいのか。

 

 これでいいわけがない。

 このままでいいはずがない――と。

 

 誰もが口を開かなかったのは、沈黙がそれだけ重かったからか。

 それとも、そうするだけの『勇気』を、誰一人持てなかったからか。

 

「……なァ」

 

 何にしても――

 それでも、と、ダイトウカンショーが、その思いを口にしていた。

 

「この生活始めテ……もウ、何年ダ?」

「……わかんない。もう、一年経ったのかな」

 

 応じるのはエンゲツだ。いつもは明るく、前のめりな彼女も――

 今ばかりは、消え入りそうな声を発する。

 

 しかし、それから続く言葉はない。誰もが再び言葉を紡がなくなる中で――

 

「……なァ。オレたちは、何カ変わったカ?」

 

ショーは、再度虚空に問う。

 

「何か変えたくテ、何か変えられルって思ッテ、ここまで来たはずだロ」

 

 自分を変えたくて。

 

「運に恵まれテ、なんとカ今日まで生き延びられタ」

 

 住処を変えたくて。

 

「でもヨ、それで何が変わったんダ。オレたちは、何か変えられたのカ?」

 

 思考を変えたくて。

 

「親はくたばったのカ? 家は燃えたのカ? 嫌なことは無くなったのカ? 運命は……変わったのカ?」

 

 ……運命を。

 変えたくて。

 

「……なァ、お前ラ」

 

 無言は肯定だった。

 ショーはそれをよくわかっている。

 虚空へ飛ばしていた問いかけは。

 明確にそこに集った『仲間』へと向けられた。

 

「もウ……覚悟を、決めるべキ時なんじゃねぇのカ」

「……そうかもね」

 

 空気に押さえつけられていたかのように――

 それまで、ガゲキホーセンは動かなかった。

 だが、彼女の言葉を受けて、それこそ、覚悟を決めたように。

 その場に、立ち上がる。

 

「……みんな、聞いて」

 

 これから、ルビーフェアは、無謀な戦いに赴く。

 自分たちでは、及びもつかないレースへと臨む。

 それを知って。それを受けて。

 ……庇護されてばかりの自分たちでは。いられない。

 

 つまりはこれは、転換点だった。

 いつまでも変わらずにいられると、信仰していた自分たちの。

 だが、どんな雛も、いつかは成長し――

 

 

 

 巣立たなければ。

 ならないのである。

 

 

 

「……フェア姉が、レースを終えたら」

 

 だから、言う。

 彼女は、絞り出すように、言う――

 

「……『あれ』を、渡そう」

 

 言葉に。

 彼女らは、誰もが、力強く、頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――翌日。

 

「――よぉ」

 

 昔ながらの、豪勢な和風の邸宅にて。

 広大な座敷で、男の声が響く。

 

 時代劇から飛び出してきたかのような、冗談のような玉座に鎮座する彼は――

 目の前の人物を、嘲笑うかのような目で見下す。

 

「久しぶりじゃねぇか」

 

 高圧的な態度と、侮蔑的な声色にも関わらず、『彼女』は、動じていなかった。

 

「――___」

 

 名を呼ばれた彼女は――

 

 ――サファイアアリオンの担当は。

 

 負けじとその目を、真っ直ぐに見つめ返していた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。