16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

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Do Ya Breakin!

 レースは、まずセイウンスカイがハナを切る展開となった。

 背後の五人を率いるように、先頭を駆けていく。

 トウチュウエイは、そのすぐ背後にピタリとくっ付いた。

 その事実を、スカイはちらりと背後に目をやることで確認する。

 表情が、くしゃりと、困ったように綻ぶ。

 

「いや~、そんなに迫られてもセイちゃん応えられませんよ~」

「そう言うな。優しくしてヤるからよッ!!」

 

 軽口を叩きながらも、彼女は簡単には前を譲らない。

 二人、熾烈に競い合いながら、先へと進んでいく。

 その背後に、トウの同志である二人のウマ娘が続き――

 その更に背後に続くのは、サファイアアリオンと、ルビーフェアの二人だ。

 フェアに至っては――今現在、最後尾。

 

 トウチュウエイは――内心ほくそ笑みながらも、まさかこれで終わるわけでもあるまい、と思う。

 仮にも中央で走っているウマ娘が、何の考えもなしに背後に控えるわけもない。

 きっと何かを狙っているだろう――と、決して警戒を解かない。

 

 相手を徹底的に叩き潰すために、確実に勝利を手にするために。

 見下しはすれど、油断はしない。彼女はそういう考え方をする。

 ただ、肩透かし気味であることも、また事実だった。

 

 彼女も、曲がりなりにも競争ウマ娘だ。

 中央の競技レベルの高さは良く知っている。

 だから今日、どんなレベルの走り(戦い)が出来るのか、胸が高鳴っていたのだ。

 だが蓋を開けてみれば、目の当たりにしたのは平々凡々なレース。

 その現実に、失望すらする。

 

 それでいいのか、と。

 自分は、お前たちに勝ってしまうぞと。

 

 ――何せ今日の自分は。

 今までにないくらい調子がいいぞ――と。

 

 セイウンスカイのすぐ背後で――

 経験したことがないほどに、身体が軽い。

 今なら誰をも、ぶっちぎって行ける――と。

 

 ただ、彼女はすぐには追い抜かない。

 獲物を喰らうのは、存分に追い詰めてからだ。

 狩りを楽しむ肉食獣のように、執拗に追い立て続ける。

 その背中に――

 食らいつき続ける――

 

 レースは2,000m。

 ウマ娘のスピードをもってすれば、数分も費やさずに走り切ることが出来る。

 つまりは、一瞬にして終わる勝負だ。

 もたもたしている暇などない。

 

「……?」

 

 だが、中盤まで差し掛かっても――

 レースは、大きくは動かなかった。

 何かしら動きを見せるだろう、と思っていた中央勢でさえ――

 最初の位置を保ったまま、レースを走り続けている。

 

 何か思惑があるのか、動けない他の理由があるのか。

 どちらにせよ、このまま普通にレースを終える気など、トウチュウエイにはなかった。

 

「――、」

 

 彼女は、ちらと背後へと目をやる。

 それは合図であり――

 目を合わせた彼女の仲間は、お互いに顔を見合わせていた。

 

 このレースは、形式上は公式のレースだ。

『いつもの』違法行為は、本来であれば許されない。

 だが言い訳などどうとでもつくし、バレなければいい――そもそも、自分は経営者とは『仲良し』なのだ。

 何より――

 このような舞台で、『良い子』で戦う理由なぞ、どこにもないのだ。

 

 だから、動き始める。

 リーダーの指示に従って。

 彼女らは、自身らの背後。

 サファイアアリオンの近くへと、位置取ろうとして――

 

「――プラン!!」

『――!?』

 

 刹那だった。

 アリオンが、高らかに叫んだのは。

 

「B!!」

「……!!」

 

 ぞくり、と寒気を覚えるトウ。

 同時、やはり仕掛けてきたか、と納得もする。

 だが恐れはしなかった――何せ体制は万全だ。

 警戒は敷き、油断もしていなかった。

 何が来ても、何をされても、動じずに対応出来る自信があった――

 

「……?」

 

 ……が。

 

 それからしばし、時が過ぎるも。

 

「……、……??」

 

 何も起きない。

 彼女らは、依然として走っているだけ。

 

「――っ」

 

 ふざけやがって。

 真剣勝負に水を差されたかのような気になった彼女は、再度仲間に目配せする。

 彼女らもまた、困惑の表情を浮かべていたが。それを受けて、再びアリオンの元へ「プロジェクト、

 ポセイドン!!」

 

『!?!?』

 

 ただ、更にアリオンがそのように叫ぶ。

 それに釘を刺されたように、彼女らは再びつんのめる。

 それまで平静を保っていたトウも、いよいよ困惑を示し始めていた。

 

 なんだ、なんだ、なんだ。

 何をする気だ。一体何の作戦だ。

 再度身構え、それに対応しようとするも――

 

「――、」

 

 何も起きない。

 やはり、何も起きない。

 しいて言えば、アリオンが少し位置取りを修正したくらいだが。

 それ以上、大きな動きはない――

 

 そうこうしているうちに、最初の1,000mが終わりかける。

 相手がどうするつもりなのかは何一つわからない。

 だがもたもたしていれば、何も出来ずに終わるのはこちらの方だ。

 

「――っ!!」

 

 だからトウは、再三視線を飛ばす。

 彼女の仲間らは、もはやこんな行動に意味があるのか、言外にそう問うているかのようだった。

 それでも彼女らは、自身のリーダーに逆らうわけにはいかず――

 

「フォーメーション、デルターっ!!」

『――っ』

 

 動こうとして。

 重ねられる言葉に、やはり止まってしまう。

 相手が実力者だ、とわかっているからこそ、下手に動くことが出来ない。

 その考えはトウも汲むことが出来るからこそ――

 

「――、――……!」

 

 内心にはイライラが募り。

 見るからに、その走りは乱れ、冷静さが失われ始める。

 追走する仲間たちも――

 果たして自分たちは、どうするのが正解なのか。わかりかね、足取りに迷いが表れ始めた。

 その時だった。

 

「――!!」

 

 その隙を突いたかのように――

 栗毛のポニーテールが、前へと疾走する。

 サファイアアリオンが――

 当惑する彼女らを、一気に追い抜いていたのだ。

 

「――来たね」

 

 あっという間に並んだアリオンに、スカイはにやりと笑いながら呼びかける。

 彼女には言葉を紡ぐ余裕が無いのか、浅く頷きを返すだけだった。

 それでも、スカイにとっては、応答としては十分だった。

 

「ちゃんと着いてきなよ!」

 

 だから――

 彼女は、ペースを上げる。

 後続の選手を突き放すように――

 一気に、速度を上げ始める。

 

「……!!」

 

 それを目撃したトウは、奥歯を噛み締める。

 やはり――策略だったのか、と。

 あのようにそれらしく呼びかけることで、自分たちを油断させ、追い抜くための隙を作るための作戦だったのかと。

 発した言葉は全てでたらめ、所詮は油断させるための布石でしかなかった。

 あまりにも見下し切った、あまりにも嘲笑うかのようなその作戦に、彼女は憤慨する。

 

 同時に――

 自分の仲間の、使えなさにも。

 

「――ッ!!」

 

 その怒りをぶつけるように、彼女は脚に力を籠める。

 嘗めるな、と。

 今日の自分は違うのだと。

 すぐに追いついてみせると、速度を上げる二つの背中を、猛然と追い始め――

 

「……!?」

 

 しかし、すぐに異変を感じた。

 いつも通り、彼女はスパートをかけ始めたつもりだった。

 が――

 

 動かない。

 脚が、思うように動かない。

 やもすれば、先ほどよりも体が重く、それまでのペースを維持することすらも苦しくなる。

 このような距離など、苦に思ったことはないというのに。

 何も問題がない長さのはずなのに――

 

「――っ、」

 

 一体、何故――

 そんな彼女が、疑問を解消する余裕を。

 状況は、与えてくれなかった。

 

「――!!」

 

 困惑する彼女の傍を、深紅の影が通り抜ける。

 それまで、最後方で控えていたルビーフェアが――

 彼女を、無慈悲に追い抜いていたのだ。

 

 その光景に、トウチュウエイは呆気にとられる。

 なぜこんなことになっているのか。

 なぜ簡単に追い抜かれたのか。

 なぜ身体が思うように動かないのか――

 

 術中に嵌まったとして。

 なぜ嵌まってしまったのか。

 いつ嵌められたのか。

 何をされたのか――

 短時間で、いくつもの疑問が頭の中を飛び交う。

 さなかで――

 

「……」

 

 観客席から様子を見守っていた、サファイアアリオンの担当は――

 トウの悪意を奪ったかのように、その口端を、深々と歪めていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「――そういうわけで、当日の作戦だけど」

 

『義兄さん』と話を付けた翌日――

 トレーナー室にて、トレーナーさんは、その作戦を説明し始める。

 

「レースが始まったら……まずスカイ。お前がハナを切れ。バカウマは相手三人を挟んで後方、最後方はルビーフェアだ。……あいつは追込戦術が得意みたいだからな。無理に先団に乗じる必要はない……で、スカイ。ハナを切ったなら、トウチュウエイが追い付けるか追い付けないかくらいの速度でペースメイクしろ」

「……ん? 置いてっちゃうんじゃないの?」

「まぁ、そこで『普通に』走れるに越したことはない。仮に『何も起きずに』レースが進むなら、特別これ以上指示することはない。……流れで走れ」

「……『流れ』で」

「流れで」

 

 復唱するけれど、トレーナーさんはそれに関して何も思ってなさそうだ。いや、流れで、じゃなくて。もっと具体的な指示が欲しいんですけども。

 

「まぁ心配せずとも、素の実力で言えば、お前らの方が明らかに上だ。『普通に』走る分には、惨敗するなんてことは無いだろう」

 

 あるとしたら大勝か辛勝だ――彼女は言う。

 

「ただ、今回臨むのはブラックレース。公式レースとは勝手の違う『違法レース』だ……『まともな』観衆の目があるからと言って、あの『悪役』が、『普通の』レースをするとは思えない」

 

 何かしら仕掛けてくるのは、目に見えている。

 

「ここ数日で、トウチュウエイのことは一通り調べた――奴は警戒心が強く、油断もなかなかしない。相手を徹底的に追込み、追い詰めた上で刈り取ろうとする。このレースも同じような戦い方をするだろうさ。……だからあたしたちは、その思考を逆手に取る」

 

 トレーナーさんの目が、スカイさんの方を見ていた。

 

「スカイ。トウチュウエイは、きっとお前のすぐ背後に着く。お前にプレッシャーをかけて、体力を浪費させるためだ……だが『それでいい』。お前は位置と速度を調整して、常にトウチュウエイを背後に控えさせろ。そうすることで……奴に速度を『誤認』させる」

「誤認……っていうと?」

「スリップストリームだ」

 

 お前らも知っているだろう? 言葉に、頭の引き出しにしまってあった知識を引っ張り出した。

 

「あいつは走っている最中、こう感じるはずだ――いつもより身体が楽だと。当然だ。そしてそれは錯覚じゃない――あいつがそれを知っているかどうかはわからんが、どちらにせよ、それを有利な状況だと錯覚するだろう。その感覚に身を任せるまま……お前を追い詰める一心で、ペースを落とさないまま走り続ける」

 

 ――そう、たとえ。

『いつもよりも、速いペースで走っていたとしても』。

 

「……そうだな。そのまま1,000mを切るまで同じ状況が続いたなら、バカウマ。いつも通りに追い抜いちまっていい。けどたぶんそうはならない……痺れを切らした『悪役』サマは、『手下』を使うなり何なりして、『妨害工作』を働くだろう」

 

 そこでお前だ――その視線が、私に向けられた。

 

「バカウマ。お前は後方から連中の様子を監視して、不審な動きが少しでも見られたら……なんでもいい。『テキトーな言葉を叫べ』。何かしら作戦名っぽい単語だ。『プランB』だとか『オペレーションなんちゃか』とか……そういうのでいい。重要なのは内容じゃなくて、そう宣言すること自体だ。

 警戒心をむき出しにしているあいつは、それがどんな意味を持っているにしろ、行動を中断するはずだ。あたしらを認めているからこそ、油断していないからこそ、意味のありそうな言動をも聞き逃せない……実際、そこに意味はないっていうのにな」

 

 で……彼女は、悪そうに笑った。こりゃ、どっちが悪役かわからんな。

 

「そうなれば、奴らは行動を中断するだろう。もしかしたら、それでも諦めずに何かをしようとするかもしれない。ただ一度気にしてしまえば、もう二度と気にしないわけにはいかないさ。そうだな……三回くらいだ。たぶんそれくらいで、連中の混乱はピークになる。とても、不正を働く余裕なんざなくなる。逆にそこを越えたら、落ち着きを取り戻しちまうだろうな」

 

 だから、そうなったなら――

 落ち着きを取り戻す前に。

 

「バカウマ。連中を追い抜いてやれ。スカイ。お前も、バカウマが追いついたのを確認したら、ペースを『戻して』いい。そして……ルビーフェアも。これだけお膳立てしてやれば、容易く先団に追い付けるだろうよ」

 

 そこまで来たら、相手は作戦に気付くかもしれない。

 術中に嵌まったことに気付き、巻き返してくるかもしれない。

 

「……だが、もう遅い」

 

 そう、でも、遅い。

 もう、『何もかも』遅い。

 

「スリップストリームから抜けた直後も、しばらくは高速を維持出来るだろうが、元々自分の身の丈に合わない速度だ。そう長くは続かない。そうなれば――もう奴は、本気のお前らには追い付けない。身体はいつもより重く、脚も思うように動かないまま、遠ざかっていくお前らを見届けるしかない。……そうなったら、『試合終了』(ゲームエンド)だ」

 

 それ以上は、あたしから言うことはない。

 

「あとは――好きに()れ」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 なぜやる気を出さないのか。

 と言われても、とスカイは思う。

 そこに、特別な理由などない。

 いくら叱られても、呆れられても――やる気が出ないもんは出ないのである。

 

 我慢しないで生きてきた。自重しないでやってきた。気の赴くまま、尻尾の向くまま、自由気ままに生きてきた。無知の井戸の中で、大海など知る由もなく、そしてそれでいいとずっと思ってきたのだ。

 ――しかし、いざ漕ぎ出した先で見つけたものは、自分が予想だにしないものだった。

 

 今、自分のすぐ傍には、この一件において、苦楽を共にしてきた仲間がいる。彼女は今や、親の仇を見るかのような形相で、自分を追い越そうとしている。

 気迫が伝わってきて、びりびりと本能が駆り立てられているようだ。それに呼応するように、自分の中で眠っていた何かが、重い瞼を開き始めたのを感じる。

 

「……」

 

 ウマ娘の本能は、走ることに紐づけられている。それになかなか本気で臨めない自分は、どこかオカシイのかもしれないと考えたことすらあった。

 だが何のことは無かった――ただ知ろうとすればいいだけの話だった。

 目の前の井戸の壁を、少し這い上がってしまえばいいだけの話だった。

 

「……、……、、、」

 

 苦労と苦難、少しばかりの我慢の末に見つけたものは、眩い光を以て自分の中に新たな気付きを齎す。夜明けのように広がる閃きが、これまでの時間を僅かばかりの後悔と共に攫っていく。

 

「――っ」

 

 あぁ、どうして今までそうしなかったのか。

 あぁ、どうしてこれまで、こうしようとしなかったのか。

 

 気の赴くままに生きていくのは。尻尾のままに動くのは。自分の精神衛生という意味でも大切なことではあった。それでも――その先に。

 

「――はは」

 

 ほんの少し、我慢してみた、その先に。

 

「は、は、は――……」

 

 こんなにも。

 こんなにも、楽しいコトが、あっただなんて――!!

 

「――はははははははッ!!」

 

 笑っていた。

 セイウンスカイは、笑っていた。

 好敵手と力をぶつけ合う楽しさに、笑っていた。

 翻弄してきた運命の厭らしさに、笑っていた。

 結局、このように簡単に絆されてしまう――自分の可笑しさに、笑っていた。

 哄笑の如きその感情の発露に――

 更に鞭打たれたように、彼女は速度を上げていた。

 呼応して、アリオンも速度を上げていく。

 

 ルビーフェアもまた。

 その様子を見て、笑っていた。

 

「……っ」

 

 中央の住む世界は、自分たちと異なるとはわかっていた。

 だからこそこれまで、なるだけ関わらずにこうしてやってきたのだ。

 見くびっていたわけではない。侮っていたわけでもない――それでも、疑わしく思うところはあった。

 そこまで明確な線引きが必要なのかと。

 本質的には同じ種族なのだ。

 実際、それほどの違いはないのではないか――と。

 

 だが、今、目の当たりにした。

 その認識が、間違っていたと、感じていた。

 中央という舞台で戦う二人を見て――明らかな開きがあることを、突き付けられていた。

 

 自分は走っている。

 全力で、走っている。

 しかし、追い抜こうという発想にまでなれない。必死に決死に走って、追い付いていくのがやっとだ。

 その姿を前に、その気迫を前に、ただただ、圧倒されるばかりだ――

 

 そして――実感していたのだ。

 

「……ははっ」

 

 ――これが。

 これが――中央レベル――!

 

「――おぉぉぉぉぉッ!!」

「!」

 

 驚愕する彼女の背後。

 その思考を、絶叫が、空間事切り裂いていた。

 

「待て……待てフェアァ!!」

 

 トウチュウエイが。

 一度は大きく置いていかれた彼女が。

 ルビーフェアのすぐ背後に、猛然と追い縋る。

 

「認めねぇ、こんな終わり認めねぇ!!」

 

 視線だけで振り向いた彼女に。

 死に物狂いで、訴えかける。

 

「あたしが最強だ、あたしが最速だ! 負けるわけがねぇ、お前なんぞに負けるわけがねぇ!!」

 

 レースは既に終盤に入り。

 訴えかける中でも、確実に終わりへと近づいていく。

 

「お前を潰すと決めた、ぐちゃぐちゃにすると決めた!! あの二人に負けるのは構わねぇ、だがお前には、お前には――!!」

 

 激しい歯軋りと共に。

 彼女は、大口を開いた。

 

「お前にだけは、負けられねぇんだよぉぉぉぉッ!!」

「……」

 

 ルビーフェアは。

 それを、哀れむように見つめていた。

 

「……トウ、」

 

 その声色は、

 諭すように柔らかくなる。

 

「お前は、哀れだよ」

「あぁ!?」

「あたしを倒す、あたしを倒すっつって……お前は今まで、何をして来た?」

 

 彼女の振る舞いを知らないフェアではない。

 彼女が何をして来たか、見ていないフェアではない。

 彼女はその悪名を高め、狡猾な知恵を身に着けてきたかもしれないが。

 レースに勝つために、最も力を入れるべきことをしてこなかった。

 

 ――そう。

 真っ当なトレーニングを、ほとんどしてこなかったのだ。

 

「……あたしらはやってきた。いつも、この世の片隅で走ってきた。いつか前へ進めるように、その時が来ても、恥じなく戦えるように。やれることは、全部やって来た」

 

 ある日は公園で。

 ある日は道端で。

 ある日は河川敷で。

 場所を見つけては、『真っ当に』努力を重ねた。

 暗闇の中で。

 どこよりも深い、闇の底で――

 

「……よぉ、覚えてるか。お前とあたしが、引き分けた時」

 

 それは、彼女にとっての苦い記憶。

 フェアにとっての、唯一とも言うべき、『勝てなかった』記録。

 

「あたしは悔しくて悔しくて……無様に地道に、泥臭く練習を続けてきた。お前が……『クソ』みたいな手を磨いてる最中」

 

 一度は切った視線を、再びトウへと向ける。

 そこから伝わる眼光は――

 獣のように、獰猛だった。

 

「一秒縮めるのに――

 一年かかったぜ」

 

 フェアは行く。

 まだ見ぬ運命の先へと。

 

「――……」

 

 縋るように、伸ばす。

 トウチュウエイの手を、振り切って――

 

『――!!』

 

 歓声が巻き起こる。

 レースの決着がつく。

 彼女ら、中央校率いる面々は――

 見事に、1着から3着を独占していた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 ルビーフェアにとって、そのレースは経験のないものだった。

 作戦を立てて走ることはあれど、暴力に頼らなかったことなどなかったし、

 乱れた呼吸を整えざるを得ないほどに、精根尽き果てるほどに──

 走り尽くしたことなど、なかった。

 

「スカイさん……今本気で走ったでしょ」

「そりゃそうでしょ〜。セイちゃんはいつでも本気ですよ〜」

「トレーニング平気でサボっといてよくもまぁ……」

「……」

 

 だが結局、自分は3着。

 仲間の中では、最も下の順位だ。

 けらけらと笑う彼女らの、足元くらいにしか及んでいない。

 片や幼なじみ。

 片や不思議な縁で知り合った、底の見えないウマ娘。

 こんなにも近い距離にいるのに。

 手を伸ばせば届きそうなのに。

 実際は──届かない。確実な実力の隔たりを見せつけた二人に──

 

 悔しい。

 勝ちたい。

 

 ルビーフェアは、そう感じていた。

 

「……」

 

 ただ。

 瞬間、脳裏を過ぎるのは、あの『四人』の姿。

 彼女らの言う『大事な物』を奪われたことで、打ちのめされた姿。

 一度は鳴りを潜めた怒りが、再び湧き上がり――

 その瞳が、膝に手を突いているトウを捉えていた。

 

「……おい」

 

 それに近付き、声を掛ける。

 トウは、ゆっくりと顔を上げる。

 悔しさと不満に染まった表情。

 フェアはその表情を、侮蔑の籠もった色で見下ろす。

 

「……返せ」

 

 そしてその色を、声色に変え――

 静かに、叩きつけるように、言う。

 

「あいつらの言ってた『アタッシュ』……返せよ」

「……」

「そういう『契約』だろ」

「……っ」

 

 それにトウは、歯を食いしばる。

 そんな要求になど応えてやるか、と言いたげだったが――

 自分の中の、せめてもの矜持とは引き換えに出来なかったのだろう。

 

「……おい」

 

 同じように意気消沈している仲間へと振り返り、短く呼びかける。

 彼女らも顔を見合わせるものの、その意図を汲み取り。

 一度は姿を消し、再び現れる。

 持ってきたのは、くすんだ銀色に光る直方体の箱――

 アタッシュケースだった。

 

『大事な物』。アリオンは、フェアからはそうとしか聞かされていなかった。なんだかんだ、当日になるまで聞けていなかったが。

 あれが、あの子たちの、大事な物。想像とは違う見てくれに、彼女は目を丸くする。

 

「――、」

 

 それを傍目に、トウは、苛立たしげに受け取ったケースを、フェアに手渡す。

 フェアが受け取ったのを認めると、なおも悔しそうに顔を歪めていた。

 殺意すら感じられる、凶器のような目。

 

「……覚えてろ」

 

 吐き捨てるように。

 彼女は口にした。

 

「次は……こうはいかねぇ」

 

 そして――

 荒々しく背中を向け、仲間を引き連れて、立ち去っていく。

 フェアはしばらく、その背中を見守り――

 

「……へっ」

 

 べ、と。

 赤い舌を出していた。

 

「ヤだね」

 

 悪戯心の見え隠れするその言葉が、トウに届いたかどうかは定かではない。

 

「――フェア姉!」

 

 どちらにせよ――

 彼女へと飛んでくる声と、駆け寄ってくる姿。

 

 今日、共に走った二人の仲間と。

 一人のトレーナー。

 そして、四人の『家族』――

 

「おつかれ、フェアちゃん」

「いい『追込』だったよ~」

「そりゃどうも……」

「……フェア姉」

 

 三人で話す中――

 ガゲキホーセンは、どこか気まずそうにもじもじしている。

 それを可笑しそうに笑ったフェアは、トウから取り返したケースを差し出していた。

 

「ほら」

 

 取り返したぞ。

 お前らの、大切なものを。

 

「……」

 

 確かにそれを受け取ったセンは。

 手早く中身を確認し、他三人と頷き合う。

 どうやら、中身も無事らしかった。

 

「……一件落着か?」

「……はい。ひとまずは」

 

 アリオンの担当が言うと、フェアは仰々しく応じる。担当はそれに、そうか、と息を吐いた。

 背負っていた荷を、ようやく下ろしたかのよう。

 

「あの……フェア姉」

 

 それでもなお、ガゲキホーセンの様子は変わらなかった。

 依然として、何かに悩んでいるかのような、複雑な表情を浮かべるだけ。

 フェアはそれを見て、疑問に首を捻った。

 

 大事なものは取り返した。

 今、確かに持ち主へと渡した。

 言ってしまえば、あとは住処に帰るだけだ。

 実際、集まった観客にも、そのようなアナウンスが流されている。

 

 特別悩むことがあるようには思えない。

 何故、そのような反応を見せているのか。

 

「おイ」

 

 そんな彼女の脇を肘で突くのは、ダイトウカンショーだ。

 

「言うっテ決めただロ」

「……」

 

 センが彼女を見る。

 その瞳は、未だ迷いに満ちていたが。

 言葉に背を押され――決心したのだろう。

 

「……フェア姉」

 

 改めて、ルビーフェアと目を合わせると。

 手にしていたケースを、彼女に突き出していた。

 

「――これ、」

 

 そして。

 言った。

 

「受け取ってくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 元々このレースは……

 センちゃんたち、四人組の大事なものを奪い返すため、って話だった。

 トウチュウエイさんとも事前にそういった契約が交わされて、実際、こうして私たちは、目標を達成することが出来た。

 彼女らの大切にしていた何かを、見事に取り戻すことが出来たのだ。

 

「……?」

 

 おかしな話だった。

 後はもう、適当に流れ解散、みたいな感じになるのかなーって思ってたのに。

 取り返したはずの大事なものを。

 アタッシュケースを。

 それは、彼女らのもののはずなのに。

 

 ……フェアちゃんに渡す?

 なんで?

 

「……何、言ってんだ?」

 

 同じような疑問に思い至ったらしいフェアちゃんが、怪訝そうに問う。

 ただそれでも、センちゃんの瞳は真剣なままだ。

 

「それ、お前らの、大事なものなんだろ。なんであたしに……」

「いいから」

 

 困惑する彼女に。

 センちゃんは、いつになく強い押しで再度訴える。

 

「受け取ってよ」

「……」

 

 フェアちゃんは、救いを求めるかのように私たちに目を向ける。

 ……ただ正直、目を向けられても困る。私たちも私たちで、困惑するしかないのだ。

 急に、そんな行動に出られて。

 戸惑う以外に、出来ないのだ。

 

「……、」

 

 その意図を理解したのか――

 フェアちゃんは、やがて視線をケースへと戻す。

 それを受け取ると――

 

「中、」

 

 見てみてくれ。

 促され、再び私たちと目を合わせる。

 従うしかない、と視線を応じると、彼女はケースを地面に置き。

 ゆっくりと、蓋を開けた――

 

「――え」

 

 ……果たして。

 そこに、収められていたモノに。

 私は、声を漏らし。

 

「わお」

 

 スカイさんが、驚きの声を上げ。

 

「……」

 

 トレーナーさんは、目を見開き。

 

「……これ」

 

 フェアちゃんもまた。

 呆然と、口にしていた。

 そこにあったのは。

 そこに、あったのは――……

 

 

 

 

 

 ――金、だった。

 

 

 

 

 

 何枚も、何十枚も。いや、ことによっては何百枚も――ぎちぎちに、詰め込まれた。

 一万円札、だった。

 

「――っ!!」

 

 ばちん、と蓋が勢いよく閉められる。

 再三向けられる目は、さっきとは明らかに違う。

 

 見たよな。

 見間違いじゃないよな。

 

 視線に乗って、そういった確認の感情が伝わってくる。

 

 ……私は。

 私たちは、それに、同じように、目で返した。

 

 見ました。

 見間違いじゃないです。

 確かに――そこにあった。

 

 目が眩むような。

 札束の、山が――

 

「……正確には数えてないけど」

 

 口を開くのは、センちゃんだった。

 

「一千万は……あるはずだ」

「!? いっせ……!!」

「え。なになにどゆこと? お礼にしちゃあちょっと多過ぎない……?」

「……今のレースを観て」

 

 確信したんだ。

 狼狽する私とスカイさんをよそに、彼女は、続ける。

 

「フェア姉は、やっぱり、『持ってる』ってこと。こんなとこで、燻ってるタマじゃないってこと。きっと……大きくなれるってこと」

 

 今よりもっと。

 もっと、活躍出来るってこと。

 

「選ばれた……ウマ娘なんだって、こと」

「……何言って」

「だから、フェア姉」

 

 センちゃんは、フェアちゃんと目を合わせる。

 もはやそこに、迷いはない。

 気まずさもない。

 真っ直ぐで、透き通った瞳が、彼女を――あるいは、私たちを。

 確かに、捉えていた。

 

「お願いだよ」

 

 そして。

 言っていた――

 

 どうか、この金で。

 

 

 

「この金で、

『中央』に行ってほしいんだ!!」

 

 

 

 絶句する私たちに――

 彼女は、続ける。

 

「……本当は」

 

 本当は。

 分かっていたんだ、と。

 

「このままじゃいけないってこと。こんなんじゃ、ダメなんだってこと。あたしたちのせいで、フェア姉はどこにも行けないし、あたしたちだって、いつまでも変われない。いつかは……お互いのために、手放さなくちゃって思ってたんだ。そのためにずっと……ずっと、貯めてきた。ブラックレースでもらってきた賞金、8割……いや、9割くらいかな……それくらい」

「そんなの、いつから」

「わかんない。半年くらい前からかな……」

 

 そ。

 そんなに、前から。

 この子たちは、あんなにバカやって、気丈に振舞いながら。

 準備してきたっていうのか。

 

「ただ……いつ言い出すかは、決めてなかった。いつかは言おう、と決めてたけど……言えなかった。たぶんそれは……怖かったから。今の生活を失うのが、嫌だったから」

 

 ……でも、永遠に続くものなんてない。

 幸せで楽しい時間こそ――あっけなく、なくなってしまうものなのだ。

 

「でも……金がこれだけ貯まったことと、同じタイミングで、中央のあんたたちと出会ったことは、偶然じゃないと思ってる。ここ数日のごたごたで、思ったんだ。あぁ、その時が来たんだなって」

 

 エンゲツちゃんは、俯いて肩を震わせている。きっと泣いているのだろう。

 ショーちゃんもまた、俯いているけれど、肩は震えていない。でもそこに、いつもの達観したような空気はない。

 リョホーちゃんは、頑張って前を向いている。でも、その顔は今にも崩れ落ちてしまいそうだ。

 

 それぞれが。

 それぞれの思いを胸に。

 センちゃんが語るところを、口を結んで、見守っている。

 

「だから……だから、フェア姉」

 

 それに応えるように。

 彼女もまた、言った。

 

「どうか、中央に――」

「……けんな」

 

 一方のフェアちゃんが。

 震わせていたのは――肩じゃなかった。

 その出所は――下。

 

「……」

 

 固く握りしめた。

 彼女の、拳――

 

「――ふざけんなっ!!」

 

 ――間もなくして。

 彼女は、その震えを発散するかのように、怒鳴っていた。

 

「お前らが何かしてることは気付いてたけどな、そんなことのためにずっとこそこそしてたのか!」

 

 目に見えるほどに、明らかに――

 激昂していた。

 

「あたしはお前らを助けた。ここまでお前らを守ってやった、でもそれはこんなことのためじゃねぇ!! お前らを放っておけなかったから、あたしと同じ道を辿ってほしくなかったから、善意でやってたことだ!!」

「……」

 

 ……彼女が。

 どうしてここまで四人を気にかけるのか、は気になっていたところではあった。

 トレーナーさんの考えは、遠からず近からずだったということだろう。

 

 ……そっか。

 そこには、そんな真意が……

 

「あたしがいつお前らに教えた、」

 

 彼女の怒りは、収まる気配がない。

 

「あたしがいつお前らに頼んだ、」

 

 むしろ、言葉を口にするごとに。

 

「助けてくれなんて、頼んでねぇだろうが!!」

 

 その憤怒は、燃え盛り続け。

 

「それなのに、それなのにお前は、お前らはっ……!!」

「……」

 

 そんな、鬼の形相で怒り続けるフェアちゃんに。

 

「……、」

 

 センちゃんは。

 ガゲキホーセンは。

 

「……あたしだって、」

 

 ――、

 引いてなかった。

 

 

 

「――あたしだって、

 助けてくれなんて頼んでないッ!!」

 

 

 

「――……」

 

 きっとフェアちゃんは、そこで彼女が引き下がると思ったのだろう。

 面食らったように目を見開き、言葉を失う。

 

「でもあんたは――あたしたちを、助けてくれたじゃねぇか」

 

 先ほどまでの弱々しさは、どこへやら。

 

「自分の貴重な時間を引き換えにして、あたしたちをここまで導いてくれたじゃねぇか」

 

 まるで、フェアちゃんの怒りの炎を受け継いだかのように。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「……お前」

「だからこれは、押し付けでも、無理強いでもない」

 

 情念の揺らめきを。

 その瞳に宿して。

 ……改めて。

 ケースを、フェアちゃんに差し出していた。

 

「あんたが受け取るべき――正当な、対価なんだ」

「……」

「……フェア姉」

 

 そして、続けるのだ。

 

「あんたは、あたしらの、憧れなんだよ」

 

 いつも、先頭を走っていた。

 

「あたしらの希望で……目指すべき、目標なんだよ」

 

 夢。

 そのものなんだよ。

 

「そんなあんたが、中央で、あの舞台(ターフ)で走ってるのを、夢を叶えてるところを、あたしらは、観てみたいんだよ」

 

 気付けば、みんな、フェアちゃんを見つめていた。

 エンゲツセイリュウ。ダイトウカンショー。リョホーテンゲキ――

 全員が、迷いのない瞳で、真っ直ぐに、見つめていた。

 

「あんたが、『自由』になったところを、観てみたいんだよ!!」

 だから。

 だから――

 

「……だから、行ってくれよ、フェア姉」

 

 こんなどん底からでも、這い上がれるんだって教えてくれよ。

 

「負け犬でも、弱虫でも、変われるんだって思わせてくれよ」

 

 どこへでも行けるんだって言ってくれよ。

 

「あたしらみたいな『クソ』でもッ、夢見ていいんだって!! 信じさせてくれよッ!!」

「…………」

 

 ……フェアちゃんは。

 とうとう、肩を震わせていた。

 そこにいたのは。

 目の前にいたのは。

 いつもいつも、バカバカしい喧嘩を続ける、子供みたいな四人じゃない。

 

 旅立つ準備を終えた。

 巣立つ覚悟を決めた。

 四人の――ウマ娘、だった。

 

「……、」

 

 どれだけ時間が経ったのか、わからない。

 それまで、なおも何かを我慢するかのように、立ち尽くしていたフェアちゃんだったけれど。

 

 やがて。

 その手が、伸びる。

 

「……」

 

 差し出された、ケースを。

 くすんだ、まばゆい銀の光を反射する、ケースを。

 大切そうに。

 受け取っていた。

 

「……っ」

 

 それを両腕で。抱え込んだ彼女は。

 その場に、座り込む。

 それに応じて、四人もまた彼女に駆け寄り。何事か、小声で話し合う。

 

 涙声で。

 それでもどこか。

 明るく。

 楽しそうに――

 

「……、」

 

 私たちは。

 それを見て、目を合わせる。

 普段、陰鬱としているレース場は――今日ばかりは。

 

 柔らかな温もりに、満たされたような気がした。

 

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