Graduate of 16
Act.1
the Fool and the Idiot
ばか者と大ばか者
-Act Out-
千里の道
自己紹介します。
サファイアアリオン、ウマ娘。愛称はリオンとか、リオとか。フルネームで呼ばれることは滅多にない。格式高い場でなければ当たり前の話ではあるんだけれど、私の親友によって曰く、
「死ぬほど呼びづらい名前だよな」
ということだそう。一応、これが私の魂名*1なので、文句を言われても困る。言うなら神様に言ってほしい。
学校は██中学校。学年は二年。何の変哲もない、ただの中学校です。
ウマ娘でありながら、トレセン学園に分類されるところには通っていません。今はもう。――なぜかって?
自分の才能が及ばないことを知ってしまったからです。
「中央は諦めなさい」
そんな無情な言葉は、お父さんによるもの。
「お前じゃ、どう足掻いても引き立て役になる」
そこから軽く口喧嘩をしたんだけれど、最終的には説き伏せられていた。自分でもそれをよくわかっていた、ということの裏返しだろう。
私も昔は、無邪気で壮大な夢を語っていた気がするけれど、今ではもう曖昧になってしまった。
いや、痛みから目を逸らすために、曖昧にして自衛しているだけなのかもしれない。
トゥインクルシリーズ――
言わずと知れた一大レースエンターテインメント。
あらゆるウマ娘の憧れであり、目標。
可憐な少女たちが青々としたターフを疾走する姿を見て、絢爛豪華な花道を想像する者は多いけれど、その実態は、屈強な心身と無類の才能を持つ者のみが生き残れる、弱肉強食の世界。
理想と現実のギャップに耐え兼ねて、道を諦めてしまうウマ娘の数は知れない。
私もまた……そんな『あぶれた』子の一人だった、というだけの話。
ただ、自分の性質だけは、如何にしても変え難い。
原初の精神に刻み込まれた、ウマ娘としての本能までもは、そんな理論では説き伏せられなかった。
だからこうして――
時たま、近所の公園に来ては、気が済むまで走っているのである。
「――……」
……サファイアアリオン、ウマ娘。██中学校二年生。
趣味――走ること。
走るのは好きだ。他に何も考えないで済むから。
この時、この瞬間だけ、自分は何物にも縛られずに自由でいることが出来る。
勝敗も記録も気に掛けることなく、あるがままに立ち居振舞うことが出来る。
許されないことだらけの世界で、何もかもを許されたような気持ちになれる。
無論これは単なる現実逃避だ。
私がこの場所をいくら全力で駆け回ったところで、変わることなんて何もない。
天才に変われるわけがないし。
才能が開花することもない。
現実が変わるわけではないし。
運命が変化することもない……
……でもいいじゃないか。好きに走ったって。
いいじゃないか。思うがままに振舞ったって。
いいじゃないか――この時くらい。
この瞬間くらい。
必死に、純粋に、夢中に、なったって――
「――、……」
ただ今日は、気分が晴れるのに時間がかかった。
気が付けば、辺りは薄暗い。
ちょくちょく見えていた人の姿も、既に疎らになっている。
息を整え切った時、カアカアとカラスが鳴く。
何故だか、それに少しだけムッとしてしまった。
その場から離れる。
いつも通りに、家路を歩く。
途中、向かい側から歩いてきた、学生と見られるウマ娘の、小規模な集団とすれ違い。
楽しげな雰囲気に、思わず、振り返っていた。
……数秒にも満たない間。
その背が、更け始めた夜の中に溶けていくのを見届けて。
また前を向いて歩き出す。
特別なことはない。
いつも通りの歩道。
表通りから、近道である裏通りへ。
数店の居酒屋で、ひっそりとざわめく道を進んでいく。
……人が、そこに倒れていた。
「……」
……そう。
ごくごく普通の人間が、そこに、うつ伏せで倒れていた。
「…………」
……うん。
聞く人が聞けば、何言ってんだいきなりこいつは、と思うこと請け合いだろう。
でもしょうがない。実際本当に目の前に、倒れているのだから。
しかも道端でじゃない。道のど真ん中で。ここがとても車両の取れない細道でなかったなら、今頃凄惨な轢死体と化していたに違いない。
……今しがた触れたけれど、ここはひっそりと居酒屋の並ぶ裏路地。
そんな場所でこんな倒れ方をしているとなれば、その原因はひとつだけだ。
行き倒れだ。
酔っぱらって、行き倒れちゃった人だ、この人は。
無論、そんなもんを相手にする筋合いはない。
見なかった振りをしてスルーするか、警察に粛々と連絡するのが普通だろう。
ただ、心の中の僅かな羞恥心と、困っている人を放っておけない甲斐性は、私をそのどちらの行動をもとらせなかった。
結果として――
「……あのー」
その傍にしゃがみ込み。
呼びかけることにしていた。
「大丈夫ですかー……?」
「……~~……」
その人は、呻き声を上げながらもぞもぞと動く。
「……なんだよぉ……」
中性的な声色。黒いミディアムロングの髪から、女性だと思うんだけど。これだけだとまだ判別しがたいな。
「アイスにニンジン刺しただけじゃ……パフェとは言えねぇよぉ……」
……気持ちはわからないでもないけれど、行き倒れてなおそんなことを呻きつつ言うとは。パフェに何か特別な思い入れでもあるんだろうか。
「えっと……」
まぁ、そのような文言にまともに取り合うこともない。
背中を擦り、再度呼びかける。
「今、どこにいるかわかりますかー? 裏路地のど真ん中ですよー……危ないんで起きてくださーい……」
「……」
難航するか、と思われたけれど。その人は案外と早く応じてくれていた。のっそりと上半身を起こし、その場に座り込む。
前髪の、黄色いメッシュが目を引く。
改めて見ると、体躯は結構小柄だった。とてもお酒が飲める年齢には見えない。ただ、顔はしっかり赤く染まっていて、すっかり出来上がっているのがよくわかる。
ジャンパーともパーカーとも取れないオーバーサイズの上着に、足には黒タイツ。胸の辺りに膨らみが見られることから、どうやら女性らしい。
長いまつ毛の下から覗く瞳が、こちらに向けられる。その色が淀んでいるのは、酔っ払ってしまっているからか、淀んでしまうような何かを経験しているからか。
「ぁん……?」
いずれにせよ、果たして彼女は、朦朧とした声を発して小首を傾げていた。
「あんだ……? 長い耳に尻尾……人間じゃねぇ……? 異世界に迷い込んじまったのか……?」
「あの……しっかりしてください。私はウマ娘です……」
「ウマ娘ぇ……? 学生がこんなとこうろついてちゃ駄目だろぉ!」
「道のど真ん中で倒れてた人に言われたくないです」
何なら、今も道のど真ん中である。
「あぁん!? 道はぁ、公共の場所だろうがぁ! あたしが寝てようが歌ってようが勝手だろうがよぉ!」
何言ってんのかよくわかんないけど、とにかく話すなら移動させてあげたい。何が起こるかわかったもんじゃないし。もう起きてるけど。
「あぁー、はいはい。わかりましたわかりました。とりあえず場所移動しましょうね~、ここじゃ何なので」
「おぉ~!? 身体が勝手にぃ! こりゃタクシーかぁ!? へいタクシー! ████の███までいっちょよろしくぅ!」
「大声で個人情報言わないでください! 公共の場じゃなかったんですか!」
とにかく女性を負ぶって、どこか別の場所に運ぶことにする。さっきの公園……はちょっと遠かったので、少し家路を歩いたところにある広場まで。
程なくそこに辿り着き、女性をベンチに座らせる。
その間に酔いも少しは覚めたのか、彼女は数枚の硬貨を私に差し出すと、水、と短く呟いていた。
250mlの飲料水。
彼女はそれのキャップを開け放つなり、ぐびぐびと派手にラッパ飲みする。
「――かぁーっ!!」
で、およそ女性とは思えない豪快な声を上げていた。
「はぁ~、よーやく頭はっきりしてきたわ……いやぁ、悪いなお嬢ちゃん。あたし、お前に何か変なこと言ってなかった?」
「あー……まぁ。えぇ。言ってなかったですよ」
気を遣う筋合いももちろんないけれど。守れる名誉は守ってあげることにする。
「悪いなぁ。知り合いからもほどほどにしろって言われてんだけど、嫌なことがあるとどーも我慢し切れなくてさぁ」
「でも倒れるとこくらいは選んでほしいですね」
「え? んなやべーとこに倒れてたあたし?」
「歩道のど真ん中にぶっ倒れてましたよ。うつ伏せで」
「っべー全然記憶ないわ。ベッドにしちゃ硬いなぁとは思った気がするけど」
……とにかく、こうして普通(?)に会話出来てる辺り、体調は大丈夫そうだ。全く。どうして平日の夕方に、酔っ払いの介抱なんぞしなくちゃいけないんだか。
「あれ? どこ行くんだ?」
「どこって……帰るんですよ。タクシーくらい呼べるでしょうその分じゃ」
「え~~なんでだよぉ。もう少し付き合ってくれよ~~寂しい酔っ払いの戯言によ~~」
「意味わかりません! なら警察にでも相手してもらってください!」
縋りついてくるな! 私だって忙しい……わけじゃないけど! 酔っ払いと戯れられるほど暇じゃないんだよっ!
「い~じゃね~かよ~~、そう言うお前だって、構ってもらう相手が欲しかったんだろ~~?」
「意味わかりませんって! 何を根拠に――」
「こんな時間にウマ娘が、外で自主トレなんて不自然だろうがぁ」
依然として。
彼女の声は、いかにも酔っ払いという風にふにゃふにゃだ。
それでも、そこから紡がれた言葉は、現状の真理を突いていた。
「『中央』の生徒なら、何にしても普通は学園の施設だろぉ。そこを敢えて外部に頼ってるってことは、そう出来ない事情があるんだろぉ? 人間関係か学校のことかは知らねぇけどよ~。一応お前よりかは長生きしてんだから、相談に乗ることくらいは出来ると思うぜ~?」
女性は言い終えると、どこからか缶を取り出す。
カシュッとプルタブを開けると、ぐびぐびとその中身を飲み干し始めた。……
……ん?
カシュッ、ぐびぐび……?
「――って、何自然な流れでお酒飲んでんですか!! 頭はっきりしてきたって言ってたじゃないですか!!」
「だいじょーぶだいじょーぶ。あたしにとってのお酒は水みてーなもんだから……うぷっ」
「いやいやいや吐きそうになってるじゃないですか!! さすがにそんなとこまで面倒見切れませんよ!?」
「オメーが『助け』を必要としてるってんなら、」
一転して私が縋り付くようになると、彼女は上着の懐に手を滑らせる。
再び姿を見せたその手の指先には――一枚の白いカードが挟まっていた。
「力になれるかも、しれねーぞぉ」
「……」
恐る恐る。
そのカードを受け取る。
どうやら、名刺らしかった。
その表面には、あまり目にしない珍しげな名前が印字されている。
「んじゃーな~」
あれだけ駄々をこねていたのに、いざ去る時が来ると一瞬だった。
彼女はあっさりとそう告げると、ベンチから立ち上がり、手を振りながら立ち去っていく。
それまでぶっ倒れていたとは思えないような、軽快で普通な足取り。
「……」
私は。
闇が本格的な黒さを纏うまで、呆とその場に立ち尽くしていた。
翌日。
昼前の、公園入り口付近。
「――おぉ、やっぱり来たな」
呼んでいない。
私が最初に考えたのは、それだった。
「張り込んでれば来るとは思ってたけど、まさか一日目でとは。どうやら運に恵まれてるらしい」
ベンチに座る『彼女』の服装は、昨日とほとんど変わっていない。上着の色が若干異なるくらいだろうか。
顔はさすがに赤らんでおらず、素面であることが一目でよくわかる。その背丈に不釣り合いなほど、瞳には妖艶な光が灯っている。
そしてその傍らには、自転車。
「……何してんですかこんなとこで」
それはあちらの台詞なのかもしれない。この場所に住んでいる時間の長さに依れば。ただ、それは彼女の口からは紡がれない。にやり、と口角が嫌な感じに吊り上がる。
「そりゃ、あんなくべ損ねた薪みたいな顔されたら、嫌でも気になるだろ。あたしこれでも、『指導』の経験はあるんだぜ?」
「お引き取り下さい」
「え~? 釣れねーなぁ。どうせお前だって、『今のまま』じゃどうにもならないって自覚出来てるんだろ?」
「……意味わかんないです」
「行動は想いに伴うもんだ」
女性は、懐から何かを取り出す。指に挟まれていたのは名刺――ではなく、一本の細い棒のようなもの。
「で、我武者羅に走ることが、単なるストレス発散
「……」
「あ、これタバコじゃねーぞ。ココアシガレットな」
心底どうでもいい情報を語尾に附して、彼女はそれを口に咥える。息を吐くと、その場に立ち上がっていた。
「いーから一回走ってみろよ。騙されたと思って。別に金とろうってわけじゃねーんだから」
「……一回だけですよ」
「あ、でもちょっと手は抜いてくれよ。自転車で追いつけるくらいで」
「……」
ただ、彼女の言うことにも一理はあった。勝手にしろ、と私は、いつも通りにすることにした。
――律儀に、手を抜いて。
走り始める。公園の外周を。
駆け出す。変わらぬ既定路線を。
ペースを落としているのだから、一周するのにも時間がかかる。望んでいない鎖を引きずっているみたいな感覚に襲われ、なんでこんなことになってるんだか――なんて、誰にともなく恨み言は、胸の中に山積する。
すぐに満足してもらえる。
直にどこかに行ってくれる。
憂鬱な気分を振り払うように、何も考えずに、ただひたすら前にだけ進む。
「――60点ってとこだなー」
さなかで――
併走する『彼女』は、妙にはっきりとした声で言っていた。
「お前、いつもそんな走り方してんの?」
「……何か悪いですか」
「身体に力が入りすぎ」
余計なお世話――と刺々しく言ったつもりだけれど、彼女は意に介さない様子で言う。
「そんなんじゃすぐばてちまうぞー。まだ1,000mも走ってないのに、重賞なんてとても無理だな。オープンも勝てるかどうか」
「うっさいな……」
「あたしの言う通りに走ってみな、――」
口から紡がれたのは、難しい話ではなかった。
力の入り辛いフォーム、楽に走れる脚運び――そういう理論の超簡略バージョン。
基礎の基礎だ、と彼女は蛇足を口にしていた。
もやっと気分の悪い感覚に襲われながらも、それを実行してやろう――と思っちゃうのは、偽善的な律義さゆえか。
言わせてみれば、それも単なる気まぐれ。
そう。お金を寄こせ、というわけじゃない。
実行するだけならタダだ――だから。
だから、頭で試行錯誤しながら、出来るだけ言われた通りに走り方を寄せてみる――
「……」
――半信半疑。言うなればそれだ。
こんな、どこのウマの骨とも知れない*2誰かの言葉が、信頼あるものだと手放しに思える者はそういない。
私もそんな大多数の者のうちの一人で、どうせそこまで変わらないだろう――と、諦観じみた感情を抱いていた。
――けれど。
「――……」
目を見開いていたのは、驚きが胸を満たしたから。
身体が格段に軽くなり、
纏っていた鎖を砕き捨てたみたいな感覚になったから。
前のめりに走っていた意志に、
身体が追いつき始めたような気さえする。
「……、……!」
先ほどまでの気遣いも忘れ。
走り始めの律義さも捨て。
身体はどんどんと加速する、加速する。
「……はははっ」
……ここはターフじゃない。
草原の上ですらも、ない。
それでも、肌に感じる爽やかな風は、私の全てを肯定して通り抜けていく。
全てを許されたような気がして。
全てを受け入れてもらえたような感覚がして。
ただただ一心に走る、そこにはもはやそれだけしかない。他のどんな感情もそこには要らない。
――今なら、どこまででも行ける。
そんなバカげた妄想すらも、現実のものと信じて疑わなかった。
「――止まれやバカウマーッ!!」
そんな、悲愴じみた絶叫は背後から。
我に返って振り返ってみると、遥か背後に『彼女』の姿がある。
辛うじて確認出来るその表情は、まるで親の仇を追うかのような死に物狂いのそれだ。
……あぁ、しまった。
同伴がいること、すっかり忘れていた。
「えっと……ごめんなさい……?」
語尾が疑問形になったのは、それが正しいかどうか自分でもわからなくなったからである。
置いてきぼりにしたのは申し訳ないけれど。
……勝手に待ち伏せして、勝手に追ってきて、勝手に指導したのはこの人だしなぁ。
「大丈夫ですかー……?」
「心配するならちゃんと手ぇ抜けよ! こちとら普通の人間だぞ!」
ぜえぜえと息を切らして膝に手を突く彼女は、確かにどこからどう見ても人間だ。ただ、普通かどうかは疑わしかった。
「けど、これでお前もわかったろ……」
それでも、彼女は言うのだ。
「ウマ娘のレースは
とん、と彼女は側頭部の辺りを指で突いた。
「『自由の申し子』、『怪物』、『皇帝』……レースはウマ娘の栄華の歴史だが、それは彼女らに歯が立たないことの反証じゃない。元々『才能』なんて煙たい言葉も、『凡人』が及べないことを正当化するために作った言い訳みたいなもんだろ。要は――頑張りたくないのさ。『努力』は疲れるからな」
でもいいのか?
「もしかしたら、お前が目の当たりにしたその壁の向こうに、光り輝く世界があるかもしれないってのに」
「……」
「ま、無いかもしれねーけど」
くつくつと笑い、彼女は続けた。
「どうする、『サファイアアリオン』」
「……何がですか」
「あたしなら、燻っているお前を『生かす』ことが出来る」
どくん、と胸が高鳴っていた。
「確約は出来ねーけどな。これでもあたし、『公認トレーナー』の資格持ってるし。『それなりの』ウマ娘にすることは出来ると思うぞ」
「……大口叩くんですね。道端で行き倒れてたくせに」
「酔っ払いと指導の腕は相関しねーだろ。反論に困ったからって事実を無理矢理に繋げようとすんじゃねー。名誉棄損だぞー?」
「勘違いしてるかもしれないですけど」
ただ、それでも頭は冷静に。
彼女が勘違いしているであろう事実を、訂正することに向く。
「私。そもそも中央の生徒ですらないんですよ。そんなの……」
「なんだよ。そうなのか? ならなおさら燃えるじゃねーかよ」
漫画みたいな下克上だ。彼女は言う。
何も、外部の生徒が中央に入れないわけじゃない、と。
「あそこは懐が深いからな。優秀であれば誰でもウェルカムだ。努力に挫けて絶望してようが、転校前にいざこざを起こしてようが、何者にもなれずに燻ってようが関係ない」
過酷であるがゆえに。
それを乗り越えられるのなら、英雄になるのは誰でもいい。
「……結果だ。結果こそが全てだ。結果が出せれば、全てをひっくり返せる。そうでなければ、何も変えられない」
簡単な話だろ?
「手を組んでみようぜ、『お嬢ちゃん』。きっと楽しいぞ。誰も知らない景色が待ってる。お前と同じように、才能どうこうとぶちぶち喚いている連中に、示してやろうじゃねーか。あたしたちはここにいるんだと。
この世の常識を、
ぶち壊してやろうぜ。
……どうだ? 伸るかい、反るかい」
「……」
蛇のように見えた。
私には、その人のことが。
甘言で私をあらぬ世界へ連れ込もうとしている、悪魔のように見えた。
ただ、いや、だからこそか、彼女の発言は私の真理を擽って。
絶対に良くないことだ、とわかっていながらも、
その言葉の方に反論しよう、という気も失せていく。
まだ見ぬ世界。届かぬ理想。
眠りの中でだけみた夢の幻を。
もし、叶えることが出来るのなら――と思うと。
再び、胸の高鳴る感覚がした。
――あぁ、それが地獄への片道切符なのだとしても。
私の頭は、それを求めて仕方がなかった。
諦めたくないと。
やかましく喚いて、仕方がなかった。
「……」
吹く風に木々がざわめく。攫われた木の葉が、宙に不穏な渦を巻く。それを平静に見届けてから、私は彼女と目を合わせた。
「……」
「……」
「……、」
「……」
「……条件がある」
私がぽつりと言うと、彼女はおう、と言う。
それは、私がまず越えなければならない壁。
打ち倒さなければならない、障害。
「お父さんを説得して」
続けた条件に。
女性は、お安い御用だ、と笑っていた。
蛇のようだ、と彼女を例えたけれど。
その時の彼女は、もはや蛇そのものだった。
巧みな言葉遣いと有無を言わせぬ迫力。
いつもなら頑ななお父さんも、彼女の前では簡単に言い包められていた。
お金という現実的な話も、問題にならなかった。
なんと、全部あちらで工面するというのである。
……さすがにそれではメンツが立たないと考えたのだろう。
話し合いの末、折半するということにはなったが。
なぜ彼女がそこまでするのか、というところまでは測り知れなかった。
それだけ私に期待してくれていることへの裏返しか。
「わかってると思うが、中央に入るったって簡単な話じゃねー」
例の公園にて、彼女は話す。
「文武両道のかの学園じゃ、身体能力はもちろん、頭の能力も問われる。しっかり対策するこった」
ちなみに、転入テストまでは残り数か月ほど。
対策と練習は急ピッチで行われた。
あまりにやることが多過ぎるために、筋肉痛に襲われるのなんて日常茶飯事だったし。
知恵熱出してぶっ倒れることもあった。
けれどその、スパルタという言葉でも生易しいような、血の滲むような努力は、どうやら正しい方を向いていてくれたらしい。
――書面で言い渡された合格通知に。
ひとまず、胸を撫で下ろしていたっけ。
「……」
紫色を基調とした、セーラー服のようなデザインの制服に、まさか自分が袖を通すことになるとは。
様子を見に来てくれた彼女は――トレーナーさんは。私のその容姿を見て、満足そうに頷く。
「『マ子にも衣裳』ってやつだな」
「……なんか皮肉られてるような気が」
「気のせいだろ。あたしが一度でも、お前に嘘ついたことがあったか?」
嘘ついたことはないかもしれないけれど。本心は言ってない気がするが。まぁ、黙っておく。
「前にも言ったが、『中央』は弱肉強食。結果が全ての世界だ」
二位以下に価値はない。
「そのために血反吐吐くほどの努力を積むことになる。この短期の詰め込み学習なんて比にならねーぞ。弱音を吐くなら今のうちだ。まぁ、吐いたとこでどうにもならねーけどな」
ただ、そこには覚悟を問うという意味があった。
「どうだ? お前――あたしと死ぬ準備、出来てるか?」
「……死ぬのはごめんですけど」
実際、死に至るような事故もあるかもしれない。
でもそれは事故であって、偶然の産物だ。
まさか自分から、そのための引き金を引こうとは思わない。
「死に物狂いになら、なってやりますよ」
にやり、と彼女は笑う。男前の笑みは心強かったけれど。蛇のような狡猾さは、相変わらず根底に見えた。
「なら行ってこい」
それでも彼女は、そう言うと。私に拳を差し出していた。
「――『反逆』開始だ」
「……」
それに私も。
自身の拳を軽く打ち付けることで、応える。
春は、すぐそこまで来ている。
ただ、それに似つかわしくない肌寒さは、纏わりつくように、残り続けていた。