取り囲まれて大変な頭
でも外側の世界では
誰も一人じゃ生きて行けないみたい
Graduate of 16
Act.3
Top of the Light
光芒の頂点より
-Act Out-
眠れる獅子
その少女の一日は早い。
午前五時。機械的な電子音によって目覚める。
そのまま洗面台へと向かい、身支度を整え、日課のランニングへ。
午前六時。帰宅して朝食を取り、食後はコーヒーを飲みながら新聞に目を通す。
午前七時。新聞の読み終わりと同時に『出勤時間』を迎え、家を出る。
これらのルーティーンは、彼女が一人暮らしを始めてからの一年間、崩れたことはない。
午前七時二十五分。『会社』に出勤する。
すれ違う社員とあいさつを交わしながら、ロビーを通り抜ける。
そして、午前七時半――社長室。
「……」
ベッドでいびきをかく『社長』を――
自身の『父親』を。
――起こす。
「――起きてくださいお父様」
「ぉごぉっ!?」
冷静な声と相反する、猛烈な叫び声が響いたのは――
『彼女』が、その男性の腹部へと、側面から倒れ込みながら、自身の『肘』を打ち込んだからに他ならない。
腹部を抱えながら、人ならざる呻き声を上げながら、ベッドの上でのたうち回る彼に、彼女は長い『耳』を捻じるように動かす。
「――おっ、おま、ちょっ……はらっ、はらは、だっ……し、しぬっ、しっ……!!」
「……二分遅刻ですお父様」
息も絶え絶えに訴えかける男に、彼女は無慈悲なまでに語り掛ける。
「とっとと準備をなさってください」
「は……へ? あれ、もうそんな時間……?」
「もうそんな時間です。さっさと起きてください。三分遅刻です」
「目の前でタイムキープはやめてくんない? 威圧感凄いよ?」
そう言いながらも、男性は急ぐ素振りを見せない。腹部を擦りながら上半身を起こし、マイペースに周囲を見回す。
「……あれ。でもおかしいな。アラーム付けたはずなんだけど」
「アラームですか、」
不思議そうに言う彼に、少女は答えた。
「それならつい先ほどまで、二分おきに三十回ほど鳴り続いていましたが」
「なんでその時点で起こしてくんないの!? そんなにお父さんのお腹にエルボーかましたかった!?」
「あれだけ鳴れば起きると信用してのことです。恨むならご自身を恨んでください。十分遅刻です」
「流れるようにタイムキープしないでくんない? 語尾みたいになってるよ?」
「お父様が手早く準備をしてくださるのであれば語尾にするのも吝かではありません十一分遅刻です」
「あー、もう。わかったわかった」
男性はとうとう観念し、ベッドから立ち上がる。なおも少女が執拗に時間を告げる中、のそのそと身支度を整えた。寝間着として彼の使用する浴衣姿から、荘厳さすら感じられる古風な和装へ。
果たしてその顔は、自信満々に誇らしげだった。
「ふっふ……どうだ? 似合うか『スレイ』ちゃん」
「お似合いです。さぁ行きますよ」
「もうちょっと褒めてくれてもいいんじゃないかなー……」
「素晴らしい。誇らしい。びゅーてぃふぉー」
「あぁうん。わかったよ。行けばいいんでしょ行けば……」
がっくりと肩を落としながら、男性は部屋から出る。少女もそれに続き、二人、高級感の溢れる廊下を歩き始めた。
「本日の予定ですが……」
そうして――午前七時半から七時四十五分。
自身の父であり、『勤める』会社の社長である彼に、その日の予定を伝達する。
「――あぁ、そういえば」
いつもなら、生返事とそれに対する辛辣な言葉とで、その時間は終わるところであるが。
その日は違っていた。少女――スレイからの言葉の切れ目を縫うように、彼は言っていた。
「今朝の新聞、読んだ?」
「読みました」
「お! どう思った?」
「そうですね」
子供のように期待に輝かせた瞳で見た彼に、少女は年不相応の、抑揚のない声で答える。
「――やはり、最近の逼迫した世界情勢は無視出来ません。我々も、国内大企業の草分けとして出来ることを――」
「いやそうじゃなくて。いやそうなんだけどね?」
返ってきた答えに、男性は深いため息を吐く。その答えが、彼の期待していたものではなかったからである。
「もっと、こう、あるだろ? ほら。スポーツ誌とか。……見ないの普段?」
「見ません。見る必要がありませんので」
「あぁ~……年頃の女の子がそんなんじゃ、お父さん心配になっちゃうよ……」
「余計なお世話です十八分遅刻です」
「あ、忘れてなかったんだ、語尾」
やがて二人は、エレベーターに乗り込む。少女は、後続がいないことを確認し、エレベーターを稼働させた。
微振動と、低い音が響き始める。
「……ほら。君の昔の『同級生』。また特集組まれてたでしょ。何か思うこととかないの?」
「ありませんが」
「本当に?」
「はい」
「……話終わっちゃうんだけど」
「この移動時間も終わりますね」
スレイが口にしたと同時、エレベーターが停止する。扉が開くと、目の前に広大なロビーが広がった。
若い男性が、ちょうどその時通りがかる。瞬間、彼は目を丸くすると、姿勢を正し、深く一礼した。
「――社長!! おはようございますっ」
「うむ。おはよう。……そっか。もうご友人の夢にも興味はない……か」
「お父様」
見るからに残念そうに言う男性に、少女はぴしゃりと口にする。
その瞳は依然として真っ直ぐで――
しかし、冷徹なまでに、温度が感じられなかった。
「先週も申し上げたはずです」
そして更に続く声もまた――
冷酷なまでに、感情がなかった。
「
「……」
男性は、複雑な表情を浮かべる。
何を言うべきか、言わないべきか、しばし葛藤に苛まれていたようだが――
「……そうか」
無理矢理に振り払うように言って、以降は、その話を持ち出さなかった。
――そうして、少女の時間は進む。
午前十二時。昼食を取る。
午後十三時。昼寝に興じている父を叩き起こす。
午後十七時。退社し、近所のジムで身体を動かす。
午後十八時。帰宅し、夕食を取る。
午後十九時。入浴を済ませ、持ち帰った仕事を済ませる。
無い場合は、読書に興じる。
午後二十一時。就寝の準備に入り――
午後二十二時。就寝する。
「……」
これらのルーティーンは。
彼女が、一人暮らしを始めてからの一年間、崩れたことはない。
その日をいつも通りに終えた彼女は、明日もまた過不足ない一日を過ごせるよう、余計な考え事を追い出して眠る。
夢を見るのではなく。
現実を見るために、眠る。
眠る。
眠る。
眠る。
忙しなく揺れる芦色の尻尾を追いかける。
トレセン学園のグラウンド、併走は終盤に差し掛かり、お互いにスパートをかけてもおかしくないタイミングになった。
けれど、前方を走っている彼女に、速度を上げるような気配はない。それまでと変わらない調子で、足を動かすばかりだ。
マイペースに、まるでこちらを嘲笑うかのように。それが『彼女』の戦略であることはわかっていながらも、追う側であるこちらは、脚を動かさないわけにはいかない。
うかうかしていれば勝負は終わる。その前に――
仕掛ける――!
「――甘いなぁ」
そんな私の思いを見抜いたみたいに、『彼女』は言う。
――スカイさんは言う。
こちらからは表情を伺えないけれど。
にやり、と悪い笑みを浮かべたような気がした。
「甘いよ、アリオンちゃん」
そして――
加速する。
それまで溜めていた力を解き放つように――
私を、突き放していた。
「――っ」
……残念ながら。
私は、それに追いつけない。
追い縋る、までに留まって――
程なく、既定の距離を走り切っていた。
「――っ、っはぁ、はぁ、はぁ……」
「にははは~、悪いね~、アリオンちゃん」
飄々と笑うスカイさんだけど、疲労はあるらしい。顔は紅潮し、汗も滲み出ている。
ただ結果は結果だ。抜かなければならないタイミングだったとはいえ――彼女に、まんまんと、してやられてしまった……
「……ちくしょー」
「いやいや~、アリオンちゃんの気迫も凄かったよ~。もうちょっと走らされてたら垂れてたかも」
「もう少し様子見するべきだったね……」
差し。頭を使う戦術。冷静さを保つのは重要なことだ。少し『掛かって』しまったというところか。
相手のペースに惑わされないこと、いい加減身につけないとなぁ……
『――チームセレネー集合ー』
メガホン越しの声が響く。私たちは一瞬だけお互いの顔を見合わせて、その声の元に向かった。
「おつかれお前ら。じゃ、いつも通り改善点伝えまーす」
トレーナーさんは、膝の上に開いたノートパソコンをカタカタやりながら、私たちに告げる。
「スカイ。ハナを切りたくて飛び出す気持ちはわかるが、今日は少しやり過ぎだ。お陰で最初のコーナー膨らんでたろ。もっと繊細にペースコントロールする意識を持て。
で、バカウマはスカイにペースを合わせ過ぎ。バ群に合わせろとは言ったが、合わないと思ったら早々に前に出てもいい。時には、自分自身がペースメーカーになる選択肢もあることを忘れるな」
とはいえ。
「二人とも、基礎能力は確実についてきてる。このまま行けば、G1入賞も冗談じゃなくなってくるだろう。……だからこそ、これからはいっそう気を引き締めてトレーニングに臨むこと。怠けた分だけ負けに近付くと考えろ。いいな?」
「はいっ!」「は~い」
おぉ、スカイさんと声が重なった。彼女もそれだけやる気、ということだ。……私も負けてらんないな。
フェアちゃんの一件でも、今の併走でも。なんだかんだ負けを喫したけれど。
次やり合う時は……そうはいかないぞ。
「それで……何か質問あるか?」
「……特には」
「私も無いよ~」
「よし」
私たちの返事を確認すると、トレーナーさんは頷き、ノートパソコンを閉じていた。
「じゃ……今日はこれで解散だ。あとは各々好きにしてくれ。以上だ」
「――ふっふーん」
で……スカイさんは。
話が終るなり、何故か誇らしげに笑っていた。
「そうはいかないよって言っても、セイちゃんも簡単には譲らないからね~?」
「さらっと心読むのやめてもらえるかな……」
「だってアリオンちゃん、顔に出やすいんだもん」
「えっ、うそっ!」
「ありゃ~、自覚無しか~」
思わず両の手で頬を挟んでいた。なんと……なんと。私って、そんなに分かりやすい性格だったのか。
確かに昔から、よく考えとか感情とか言い当てられてたけれど。あれって、単純に外から見てわかりやすかったってだけか……!!
「まぁ~、いいと思うよ~。別に誰か不幸になるわけでもないし。そのままのきみでいてよ~、アリオンちゃん」
「絶対勝負で有利に立てるって思ってるでしょ」
「あははは~」
「あははは~じゃないよ!!」
そして……軽薄なまでに笑うスカイさん。その、真意を意地でも悟らせないコツ。あるのなら、是非とも教えてほしいところだった。
アリオンの担当は、いつものようにココアシガレットを咥える。
年頃の少女らしく話す二人を見て、以前の彼女の姿と重ねていた。
立場関係なく仲良くなれるのはガキの特権――その光景にほんのりと羨ましさを覚えながら、思考を巡らせる。
――二人がチームを組んでから数日。
やはり競争相手がいると、その伸びの良さにも変化が現れる。
セイウンスカイの、卓越したレースIQも。
サファイアアリオンの、勝負への執念と周辺への観察力も。
見違えるほどに成長している。
しかも彼女らは――おそらくまだ、『本格化』を迎えていない。
時期が来れば、これよりもさらに能力が伸びる、と考えると……担当としては、嬉しさ半分、恐ろしさ半分といったところ。
スカイにしろ。
アリオンにしろ。
どんな方向性にせよ――歴史に名を刻むことになるだろうな――
そう思い、思わず苦笑いした。
「トレーナーさん!」
そんな彼女に、アリオンは前のめり気味に言う。
「自主練してもいいですか!」
「……んー」
大方、スカイに心情を読まれたことに加え、併走に負けたことが影響しているのだろう。
いかにも興奮している面持ちの彼女は、なるほど確かに、見てくれだけでよく考えを読み取れた。
担当はココアシガレットを口先で上下させる。
本人の、その溢れんばかりのやる気に応えてやることは出来たが。
「……やめとけ」
指導者として、教育者として。応えないこともまた必要だった。
「えっ、どうして……」
「追い込み過ぎてもいいことはねぇ。はやる気持ちはわかるけど、ゆっくり休むのも必要だ」
「で、でも……」
「どうしても、っていうならやってもいいけど」
食い下がるアリオンに、担当は、諭すように言った。
「その代わり、明日のトレーニングに疲れ残すなよ」
「……」
「返事は?」
「……ゆっくり休みます」
賢明だ、と担当は返す。スカイはというと、その背後でにやにやと笑うばかりだった。
「それじゃあ、今日のとこはこれで……」
それを知ってか知らずか、一転してアリオンは、どこかしおらしく言って、その場から立ち去ろうとした。
刹那――
「――ごきげんよう、ですわ~」
別の声が、やんわりと割り込んできていた。
三人の視線が、ほぼ同時にそちらへと向けられる。
交点に、ボリュームのある鹿毛が揺れた。
「お話は、終わりましたか~?」
メジロブライトは、たじろぐことなく問いかける。自分がここにいることは当然のことである、と言わんばかりだが、三人は困惑を隠せなかった。
「……えと」
それでもアリオンは、超然的なまでに微笑んでいる彼女に、口を開く。
「終わった……かな。一応は」
「そうですか。何よりですわ~」
「……どしたの? また急に」
スカイの声色は訝しげだ。彼女とて、ブライトが何か悪巧みをする手合いではないことはよく理解している。それでも、あまりに場違いなその姿には、どうしても不信感を拭えなかった。
あまりに不自然過ぎて。
あまりに不思議過ぎて。
「敵情視察なら、ワンテンポ遅いよ~?」
「いえいえ、そんな。確かに、少々拝見させていただきましたが、そのような意図は、毛頭ございませんわ~」
が、そんな彼女の内情などいざ知らず、ブライトはマイペースに続ける。
「ただ……」
マイペースに――
言う。
「……わたくしを、しばらくの間、皆さまのチームに、置いていただけないかと思いまして~」
「チームに……?」
アリオンの返事に、ブライトはそうですわ~……とほほ笑む。三人は、それに顔を見合わせた。言っている意味は分かったが――
言っていることの意図は、わからなかったからだ。
この、出来立ての小さなチームに――
置いてほしい、と?
「もちろん、無理にとは言いませんわ~。難しいのでしたら、断って下さって構いませんので~」
「……、でも、どうして?」
アリオンが、それに訊ね返す。するとブライトは、視線を少し落としていた。
微風が辺りに到来する。彼女の、鮮やかで流麗な鹿毛が、どこか寂しげに揺れ動く。
「まぁ、なんといいますか。わたくしも、頭を冷やさないといけない、と思いまして~」
「まるで誰かと喧嘩した、みたいな口ぶりだねぇ」
「えぇ、そうですわ~」
茶化すようにスカイが言うが。
ブライトは、当たり前のことのように答えていた。
予想外の答えにスカイ、のみならず、三人が目を丸くする。
悪戯が成功したかのように――
ブライトは、笑っていた。
「わたくし、」
そしてそのままに。
彼女は、続けていた。
「ドーベルと、喧嘩したんです~」
『……』
風が止み、しばしの沈黙が訪れる。
『……は?』
居座りかけたそれを上書きした声は――
そんな、頓狂な色を伴っていた。