16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

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一輪の勇気

 大樹のウロ、というスポットがある。

 学園の隅にひっそりと存在する大きな切り株で、よく様々な生徒が、様々な思いの丈をその中に向かって叫んでいる。

 私は風の噂に聞く程度で、実際にそこを覗いてみたことは無かったし。

 況して、叫びに行こうなどとは、考えたことすらも無かった。

 ……これまでは。

 

 思いもしなかった。

 まさかそこに――自らの意志で赴く日が来るだなんて。

 

「……」

 

 河川敷のコースにて。

 スレイちゃんとの一騎打ちに臨み……見事に打ちのめされた、その翌日。

 私は、件の大樹のウロを、目の前にしていた。

 

 ぽっかりと空いた穴は、見ているだけで吸い込まれてしまいそうだ。

 それとも、何にも代えがたい絶望、なんていう意味で、親近感でも覚えているのだろうか。

 胸の中では、執拗に、ぐるぐると、吐き気にも似た暗い感情が渦巻いている。

 

 自分への苛立ち。

 現状への不平、不満。

 どうにかしなければならないのに、どうにもならないことへの、無力感――

 ……私は、ウロの両端に両手を添えて。

 

「――、」

 

 深く、深く息を吸って。

 そのまま。

 

「――あぁーッ、もぉーッ!!」

 

 それら、後ろ暗い感情を、吐き出すように。

 ウロの中に、絶叫をかましていた。

 

「スレイちゃんのバカー!! 分からず屋ー!! オタンコナスー!!」

 

 

 親友に対しての。

 

「トレーナーのあほんだらー!! 頭でっかちー!! うんこたれー!!」

 

 

 トレーナーさんに対しての。

 

「ばかやろー!! ばかやろー……!!」

 

 ……そして、何より。

 自分に対しての。

 

「ばか……やろー……」

 

 思いの丈を。

 どこにも捨てがたい、如何ともしがたい。

 理不尽なまでの、……怒りを。

 

「……、……」

 

 ……あぁー。

 頑張ってるのにな、これでも。

 精一杯やってるんだけどな、これでも。

 

 もちろん、頑張りが報われるとは限らない。努力が実らないことだってある。私の向いている方向は間違っているかもしれなくて、正しいと信じて続けていることこそ、実は何よりも時間のムダなのかもしれない。

 

 でも、それでも、本当にダメだってわかるまで、思い知るまで、やり尽くしてみないと、諦め切れない。

 それを試す機会すらも与えられないまま、ただ運命の言いつけるままに終わるだなんて、絶対に嫌だ。

 だから……だから、無様でも、みっともなくても、こうして、頑張り続けているのに。

 なんで……

 

 なんで、何もかも。

 こんなにも、うまく、いかないんだろ……

 

「……」

 

 目頭が熱くなる。

 怒りとはまた別の激情が、込み上げてくる。

 それは最初、鼻水という形で溢れそうになってしまった。それを乱暴に啜ることで引き戻し、目を力強く閉じることで無理矢理に抑え込む。

 私の絶叫を嘲笑うみたいに、辺りはいつも通りだった。

 

 木々が揺らめき。

 鳥が鳴き。

 遠くからは、生徒の声が届く。

 

「……、」

 

 ……叫んでも、何も変わらず。

 思いのほか、胸もすっきりしない。

 縋るようにやって来たこの場所だったけれど……

 結局、ムダ足だった。

 

 帰ろう。

 浅く息を吐いて、踵を返す。

 そうだ、気まずくとも、時は過ぎる。勇気を出して、トレーナーさんに話し掛けないと。

 トレーニングは、どうするのかって。

 私の夢のこと。その関連で引っ張り出されたら……

 

 ……最悪の選択をすることも。

 ちゃんと、考えながら……

 

「……」

 

 意気消沈しながら。

 そんな、ネガティブなあれこれを考えつつ。

 歩くために、俯かせていた顔を上げた。

 

 

 

 ……人が、そこに立っていた。

 

 

 

「……」

「……」

 

 ……いや。それは、正確には人じゃない。

 正確には、生徒。

 

 より正確には、ウマ娘。

 

 より、より正確には――

 

 ……かの名門の出、周囲の憧れの的。

 

 

 メジロドーベルさんが、そこにいた。

 

 

「……」

「……」

 

 どこか複雑な表情が、この場における状況を如実に物語っている。

 さしもの私も、それを瞬時に理解していた。

 ……そして、顔が急速に紅潮するのを感じた。……

 

 ……み。

 見られてたぁーッ!?

 

 気付かなかった。全・然、気付かなかった!! しっかり放課後、みんながここにはそうそう寄り付かないであろう時間帯を選んだはずなのに……!!

 

 それも、スカイさんやチヨちゃんみたいな、まだ知れている顔ならまだしも。

 

 よりにもよって、初対面も同然なに、見られてしまうなんて……!!

 

 顔から。

 顔から、火が噴き出そう……

 

「……あの」

「はひっ!!」

 

 そんな私の心情を知ってか知らずか、恐る恐る話しかけてくる彼女――ドーベルさん。ただ、出てきた私の声は素っ頓狂。それに弾かれたみたいに、ドーベルさんはびくり、と身体を震わせていた。

 

 ……あぁ、ごめんなさい。動揺しただけなんです。

 驚かせるつもりは、毛頭、なかったんです……

 

「……えっと、ごめん。邪魔しちゃって……」

 

 気を取り直し、言い直すドーベルさん。そんな、ごめんだなんて。

 私の方こそ、無様な姿を見せて、ごめんというか……

 

「……?」

 

 あれ。

 でも、待てよ。この状況。あまりに予想外だったから、失念していたけれど……

 ドーベルさん。

 

「……どうしてここに?」

 

 あなたは。

 どうして、ここに?

 個人的な印象だと――

 こういう場所には、最も縁遠そうに見えるんだけれど……

 

「……ま、まぁ」

 

 問いかけに、彼女は頬を掻きながら、視線を逸らしていた。

 

「アタシも、なんていうか。そのー……あなたと同じ……っていうか」

「え……?」

「……」

 

 小首を傾げると、彼女は視線を戻す。それから、どこか自虐的に口元を緩めると、私を導くように、踵を半分だけ返す。

 

「……少し、話さない?」

 

 そして――呆気にとられる私に。彼女は、そう続けていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 メジロの名と言えば、中央校に来る前からたびたび聞き及んでいた。

 というか、現代で生きる者としては、その名を聞かずに過ごすことの方が難しいだろう。

 私にとっては正しく雲の上の存在、特に学園きっての優等生、という印象のドーベルさんともなれば、夏合宿で顔を合わせることは合っても、そこまで親しくなることは無いのだろうと根拠なく感じていた。

 

 ……かつての私が、もしも今この場に居合わせていたなら、きっと驚きで飛び上がってしまうことだろう。

 

 まさか、そのドーベルさんと私が。

 ベンチに隣り合って座り、話をしているだなんて。

 内容こそ――明るいもの、とは言えないけれど。

 

 冷静に考えてみれば。

 今の状況、もしかしなくても、とんでもないのでは……?

 

「そっか……そんなことがあったんだ」

 

 ともあれと、一連の話を話し終えると。ドーベルさんは、深刻そうに言ってくれていた。

 

「それであそこで叫んでたわけね……」

「やっぱしっかり見られてたんだ……」

「あ、いや。内容は聞こえてないから大丈夫」

 

 内容は、ね。つまり叫び自体は聞こえていたわけだ。あぁもう……恥ずかしい……

 

「……そう言うドーベルさんは、どうしたの?」

 

 嘆息と共に、彼女に問い返す。

 そうだった。大樹のウロ――誰もが秘めたる思いを吐き出しに訪れるあの場所へ。

 

 ドーベルさんともあろう子が、何の用もなく立ち寄ることはないはずだ。

 たまたま通りかかった……みたいな体勢でも無かったし……

 

「もしかして、そっちも叫びに来たとか?」

「……」

「……え」

 

 正直――

 半分はかまかけ、というか、冗談みたいに呼びかけた。

 まさか、ドーベルさんがこんなとこに叫びになんて来ないだろうとばかり思っていたから。

 ……なのに、私の問いを受けた彼女の顔は、硬直一色。

 

 とんでもなく気まずそうに――

 そっと、視線を逸らすというものだった。

 

 ……まさか。

 図星、なのか。

 

「……」

 

 いや、でも――

 有り得ない話でもない。考えてみれば。

 だって今、ドーベルさんは……

 

「……ブライトさんのこと?」

 

 当てずっぽうに口にしてみると、ドーベルさんの纏う空気が固くなったように感じた。

 重ねて図星――らしかった。

 

「……そっか」

「……なんか恥ずかしいね。ほとんど内輪もめなのに、みんなに知られてるなんて」

「あー、えーっと……」

「でも、それだけ期待してくれてるってことだよね」

 

 どう返したものか。そうした思考に重ねるように、ドーベルさんは続ける。視線はこちらには向いていないけれど。瞳は悲痛そうに翳っていた。

 

「情けないよね。みんなが期待してくれてるのに、こんなくだらないことで一人で落ち込んでるんだから」

「い、いや。そんなこと……」

「もっと、しっかりしなくちゃ」

「……」

 

 ドーベルさんの肩が、小刻みに震える。まるでそれは、形のない怪物に怯えている小動物。いつもよりも、ずっと小さく見えるその姿が、見覚えのある姿と重なる。

 

 ……トレーナーさんの姿と。

 ぶれて、重なる。

 

「…………」

 

 ……考えてみれば。

 トレーナーさんも、何かに怯えているようだった。

 仲違いしてから早三日目。何となくトレーナー室……ならぬチーム室にも顔を出せていないせいで――つまりは実質的に、トレーニングをサボってしまっているせいで。そしてそれを……全く咎められていないせいで。ろくにトレーナーさんと話せていないのだけれど。

 

 あの人は……何に怯えていたんだろう。

 何を恐れていたんだろう。

 何で……ビビっていたんだろう。

 スレイちゃんの企業にだけ怯えている、にしても……あまりにも、怯え過ぎていたような。

 

 ……いや、でもさ。

 でも、それにしたって、もう少し頑張ってくれても良かったんじゃないか。

 もう少し、私の話を聞いてさ。一緒に足掻いてくれても良かったんじゃないか!

 そうすれば、お互いわかることもあったろう。仲違いせずに済んだかもしれないだろう。なんであんなに急に、一方的に決めたりして……!!

 

 あぁもう。

 なんか、思い出したらムカついてきた……!!

 

「だ、大丈夫……?」

「え」

 

 なんて、私の怒りが抑えられてなかったらしい。

 気付けば、ドーベルさんは、心配そうに私の方を見ていた。

 恥ずかしさで再三、顔が紅潮するのを感じつつ――ふと、ひとつの考えが浮かぶ。

 

 ドーベルさんも、私も。

 方向性は違えど、感情を溜め込んでしまっている状態に思う。

 もしもそれが、私たちに良くない影響を及ぼしているのであれば……

 ……それならば。

 

「……ドーベルさん」

 

 愚痴大会、しない?

 

「へ……?」

 

 きっとドーベルさんは、これまでそんな話など聞いたことが無かったんだろう。きょとんと、呆気にとられた風だった。

 

「お互い、溜め込んでる不平不満を言い合うの。ただ単に」

「い、言い合うって……」

「そう。今の問題じゃなくてもいいよ。なんかこう、社会問題についてでもいいし」

「スケールが大きいね……」

「私はさ、もうトレーナーさんがホントに自分勝手でさ!」

「……」

 

 ちょっと引き気味なドーベルさんだけど、私も私で、それで止まれるほど器用でもない。

 堰を切ったように、言葉が次々と飛び出してくる。

 

 私とトレーナーさんとの出会いに始まり……

 例の事件に至るまでの経緯。

 その時に交わした会話、顛末。

 フェアちゃんの件、そして……最近の口論。

 

 ウロに向けて、思い切り叫んだ端の話だった。効果があるのかどうか疑問だったけれど。やはり人に聞かせるのと、一人で叫ぶのとじゃ違う。

 胸の中に居座っていた、ぐるぐるした気持ちを吐き出したみたいに、一転して晴れやかな気分になる。

 完全――とまではいかないけれど。

 後ろを向き続けていた気持ちが、少しは、前を向いてくれたように感じる。

 

「……なんか、意外な裏側を聞いちゃったかも」

「あんな事件起こすんだもん。そりゃ、込み入ったことも色々あるよー」

 

 そもそも、出会い方からして、奇異そのものだったからなぁ。

 本当にあの時、私が見つけてなかったなら、彼女は今頃どうなってたんだろう。

 自分は今頃――どうなっていたのだろう。

 運命。人はこれを、そんな風に呼ぶのだろうか。

 

「何考えてるかわかんなくて、狡賢くて、傲慢で……口も悪いし粗暴だし」

「……でも、信頼に値する人だった」

 

 ドーベルさんの言葉に、私は答えられない。恥ずかしいというよりかは、その感覚は、罪深さに似ていた。

 

「ドーベルさんは?」

 

 話題転換――というよりも。

 一方的に愚痴を聞いてもらったじゃ、意味がないと思った。

 

「え?」

「ドーベルさんは、どう? 言いたいこと、溜め込んでること……ある?」

 

 彼女を導くみたいに、問いかける。

 今度はあなたの番だと、その先を促す。

 

「生活の事とか、家族の事とか……なんでもいいよ。全部聞くから」

「……家族」

 

 ドーベルさんは、躊躇っている、というより、戸惑っているように見える。

 本当に今まで、そんなものとは無縁の生活を送ってきたんだろう。きっと。

 

「大丈夫、」

 

 でも、大丈夫。

 

「誰かに告げ口とか、しないから。ここで言ったことは、私たち二人だけの秘密」

 

 今日のことは、二人だけの秘密。

 ここで話したことは、聞いたことの全ては、私たちだけが知る、他の誰かが知る必要のない、秘密。

 糾弾されることも。

 非難されることだって、ない。

 

「気が済むまで、吐き出しちゃいなよ」

 

 そう。

 背負いこみ過ぎることは、良いことではないはずだから。

 

「……ね?」

 

 全部。聞くから。

 受け止めるから。

 

「話してよ」

 

 話してよ。

 話して、しまおうよ。

 言って、しまおうよ。

 全部。

 全部――

 

「……」

 

 ドーベルさんは、無言になる。

 私から視線を外し、俯いてしまう。

 それは拒絶だとか、失望だとか。そういう後ろ暗い感情とかじゃなくて。

 見るからに明らかに、自分の中に言葉を、言うべきことを、探しているみたいで。

 

「……」

「……」

 

 私は待ち続け。

 彼女は黙り続け。

 遠くに聞こえていた喧騒も消え。

 耳に痛いくらいの静寂が、しばし辺りを支配した。

 

「……、」

 

 ドーベルさんが。

 息を吸ったのが分かった。

 

「……ない」

「?」

 

 そして。

 ぽつりと、言っていた。

 

「アタシ……無い」

「……無い?」

 

 復唱すると。

 彼女は、視線を向けずに、頷いた。

 

「『あの子』に……不満なんか、無い」

 

 そして。

 続けるのである。

 

「あの子は……凄い子なの。傍から見たら、そうには見えないかもしれないけれど。能力も、性格も、気配りだって上手で……」

 

 それが誰なのかなんて。

 今更、言及する意味もなく。

 

「いつだって、アタシの傍にいてくれた。いつだって、アタシを支えてくれた。あの子がいたから。あの子が、傍で笑っていてくれたから。アタシだって、ここまで頑張ってこられた、はず、なのに……」

 

 その声は。

 続くにつれて、震え、滲んでいき。

 

「……なんで」

 

 やがて、鼻を啜る音すらも、混じり。

 

「なんで、アタシッ……」

 

 そして。

 

「あんなことっ……言っちゃったんだろっ……」

 

 遂には、それは。

 

「――う、」

 

 ……ただただ悲痛な。

 悲嘆の声に、変わっていた。

 

「うぇ~~~ッ……」

 

 ……ドーベルさんは。

 誰もが憧れる、才色兼備の優等生は。

 顔を隠すのも忘れたまま、俯いて。

 号泣していた。

 

 予想だにしない展開に。

 今度は、私が呆気にとられる番。

 そこまでいくのか、とも一瞬思ったけれど。その反応は、むしろ当然のことでもあった。

 

 ……ウマ娘の精神というのは。

 幼い頃から『競技』に携わっていることが多いこともあり、中等部の時点ですでに、成熟している場合が多い。

『皇帝』(シンボリルドルフ)とか、『魁星』(シリウスシンボリ)なんかがその最たる例だ。

 

 けれどそれでも、私たちは、人間のスケールで言ったら、年端も行かない女の子でしかない。

 そんな子が、数え切れぬ大衆の期待と、名誉ある賞の威厳、その両方の重みを双肩に担いで。

 

 ……平気でいられるはずが。

 ないんだ……

 

「……」

 

 ……あぁ、そっか。

 そうだったんだね。ドーベルさん。

 あなたも……やっぱり。

 

 やっぱり、

 辛かったんだね。

 

 何としてでも応えたい、何をしてでも、成果を上げたい。そんな『使命感』に急かされるままに。

 ほんの少し。

 間違えてしまった、だけなんだね……

 

「……、」

 

 ……すぐ傍で、さめざめと泣く少女に対し、どう声を掛ければいいのかなんてわからない。

 彼女の前では、どんな暖かみある言葉も、酷く薄っぺらいもののように思えた。

 それでも、どうにかしてあげなくては、という使命感に駆られた身体は、無意識的に動き――

 

 気付けば、ドーベルさんの肩に手を回して。

 こちらに抱き寄せた上で。

 その頭を、そっと、撫でていた。

 

 ……彼女は拒まなかった。

 むしろ、そうされたことで感極まったのか、号泣はさらに激しいものになっていた。

 余りの泣きっぷりに、私までもらい泣きしてしまう。

 

 ……同時に。

 ちょっと、恥ずかしくなっていた。

 

 もちろん、人の悲しみなんて、比較するもんじゃない。

 苦しいものは苦しいし、悲しいものは悲しい。優劣付けられるもんでもない。

 それでも、彼女の直面する苦悩に比べると、私の問題なんて、酷く些細なもののように思えて……

 

 ……

 

 なんていうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪い事、

 しちゃったな……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――おぉーい大将ぉー! もういっぱぁーい!」

「……おいおい『ななちゃん』、いくら何でも飲み過ぎだって」

 

 とある居酒屋のカウンター席。

 ジョッキを掲げたサファイアアリオンの担当に、カウンターの奥、店主であるスキンヘッドの男性が、いかにも心配そうな声で返す。

 彼女がその席に着いてから、かれこれ二時間近くが経とうとしている。週末の夜更けとは言え、その間ほぼ飲み通し、ともなれば、採算度外視でそのような声を掛けてしまうのは、当然の配慮とも言えた。

 

「あぁん!? あたしがぁ、あたしの金でいくら飲もうがぁ、勝手だろうがぁ!」

 

 しかし、そんな彼の心遣いもいざ知らず、担当は周囲の目も憚らず、大声で訴える。

 

「いーぃから持ってこいよぉ! 持ってこねぇーと訴えるぞぉ!!」

「はいはい……わかったわかった」

 

 ただ、その居酒屋はそこそこに混んでいる。混雑を理由にして提供を遅らせるか――などと店主が考える中、担当は席に蹲る。

 

「うぅ~……」

 

 それは飲み過ぎによる気分の悪さが祟ってでもあったが――

 それ以上に、そうして落ち着かなければならないほどに、気兼ねがあったからだった。

 朦朧とする頭の中に、見慣れた『少女』の顔がぽつりと浮かんでくる。

 

「――おぉ、今日は随分荒れてんじゃねぇか」

 

 そんな彼女の肩を――

 何者かが、ぽん、と優しめに叩いていた。

 ずんぐりとした動きで担当が振り返ると――

 そこには、一人の長身の男性が立っている。

 

 片側だけ刈り上げた特徴的な髪型に、男らしい笑み。口には、飴玉の棒。

 

「……」

 

 担当は、その(飲み仲間)のことを、よく知っていた。

 

「……西崎さん」*1

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 担当の隣に座った西崎は、聞いたぜ、と話の口火を切っていた。

 

「担当ちゃんと喧嘩したんだってな?」

 

 どこか茶化すように言う彼に、しかし担当は無言で俯く。傍には新たなジョッキが鎮座しており、量は減っているが――先ほどとは違い、その中身は透明な冷水だった。

 見るからに落ち込んでいる風だが――

 西崎は、悪びれることもなく、手元の徳利を傾けていた。

 

「……かわいいなぁ。お前でもそういうとこがあるんだな」

「……セクハラっすよ、それ」

「えぇ~……これもアウトかよ~」

 

 世知辛いなぁ、と西崎は軽快に笑う。担当の目が空になった皿に向く。ジョッキの中の氷が、からん、と音を立てる。

 

「まぁ喧嘩するってのは悪い事じゃねぇよ。それだけお互い、腹割って話せるようになったってことだろ?」

「……モノは言いようっすね」

「同じくらい、捉えようでもある。お互い、未来に対して真摯じゃなきゃ、衝突だって生まれねぇさ」

「……」

 

 担当は、しばし黙り込む。双方の耳に、周囲を包む喧騒が、見かけ以上に大きく聞こえる。

 

「……西崎さんは、あいつの『夢』のこと、知ってますか」

「ん? あー、なんとなくな。うちでもテイオーがちょくちょく話すからな」

「実際あたしは、あいつの夢を、頭から否定したいとは思ってないっす」

 

 担当の言葉に、西崎は、ほぉ、と意外そうな声を上げた。

 

「てっきり、猛反対して大喧嘩だと思ってたんだが」

「あたしはあいつに救われた。あいつが身を挺してくれたから、あたしはこうして今も普通に生活出来てる。あいつの期待に応えてやりたいし、夢を叶えてやりたい、と思ってるのは事実っすよ」

 

 だがそれは――

 それが実現可能か、という問題とは、また別の話だった。

 

「……あたしは」

 

 ――怖いんすよ。

 彼女は、今にも崩れ落ちそうな声で続けていた。

 

「あいつが……頑張り過ぎて、どこかで壊れちまうんじゃないかって」

「……ほぉ」

「だって有マっすよ、有マ!! あんなん、出れるだけでもすげーのに、それにお友だちと手を繋いで入って、その上でトップ獲ろうなんて……」

 

 同意こそした。

 だが、実際目の当たりにした問題は、あまりにも難題ばかりだった。

 

 あまりにも――

 あまりにも、イカレすぎていた。

 

 それが、故に。

 

「……あたし、知らなかったっす」

 

 担当は、再び蹲る。

 閉ざされた視界の中、周囲は相変わらず騒がしいのに、自分だけが、世界から切り離されたかのような感覚だった。

 さなかで、彼女は言った。

 

「……人って」

 

 ――守るものが出来ると。

 こんなにも、弱くなるんすね――

 

「……」

 

 今度は、それを聞いた西崎が黙り込む。

 彼は、お猪口を口につけ、傾ける。

 思案するように、それを目の前に掲げ、しばし見つめると。

 

「……だが、それくらい、強くもなれる」

 

 昔を思い出すように。

 はにかみ、応じていた。

 

「……」

 

 それを聞いた担当は、身体を起こす。

 

「確かに、担当ちゃんのやろうとしてることは無謀だ。けどよ……本人が諦めたくないって考える限りは、それを諦めさせるように誘導するのは違うだろ」

 

 西崎は続ける。

 

「お前は気付いてねぇかもしれねぇけど、あいつらってな。あぁ見えて結構タフなんだぜ。レースやった後にライブするような奴らなんだから、そもそもの体力からしてまず桁違いなんだけどな」

 

 いちアスリートとして見ても。

 その精神力の強靭さは、正直常軌を逸している。

 

「……けどそれでも」

 

 それでも確かに――

 折れてしまう時はある。

 

「ヒトのスケールで考えりゃ、あいつらはまだ年端も行かない女の子だ。ふとした拍子に、その芯が折れちまうこともある。それはトレーニングのやり過ぎでもあるし……悩みや不安を抱え込み過ぎってことでもある」

 

 ならば、自分たちのするべきことは。

 当然、決まっているのだ。

 

「俺たちがやるべきなのは、そうならないよう、道を閉ざすことじゃねぇ」

 

 そうではなく。

 

「そうならないよう――『導いて』やることじゃねぇか?」

「……」

「元より大人ってのは、そういうもんだ」

 

 子供の成長を見守り。

 道を踏み間違えそうになったら、正してやる。

 自分の思い通りに『作る』のではなく。

 彼らが思い通りに『成れる』よう、『導く』ものなのだ――

 

「……ま、とはいえ、お前のしたことが間違ってた、とは言わねぇよ。俺からしてみりゃ、お前もまだまだ子供だからな。みんな、そうして足掻いて、もがいて、苦しんで……大人になってくもんだ」

「……西崎さん」

「だから、まぁなんだ。気負い過ぎずにやっていこうぜ」

 

 西崎は、そこで立ち上がる。

 机上に、自身の分と思われる勘定を置き。

 

「……期待してるぜ、新人ちゃん」

 

 すれ違いざま、担当の肩を叩きながら――

 颯爽と、立ち去っていた。

 

「……」

 

 担当は、彼の勘定を引き寄せる。

 一枚の札束と、数枚の硬貨。彼女はそれと、彼の残した皿や徳利とを照らし合わせるが……

 

「……、」

 

 行きつけであるだけに、彼女には、それだけで『その事実』がわかっていた。

 

「……西崎さん」

 

 だから、ぽつりと独り言ちていた。

 

「勘定……足りてないっすよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファミレスは、今日も多くの人で賑わっている。

 その片隅の席、あまり目立たないところを取れたのは幸運だった。

 テーブルの上には、ドリンクバーで注文したジュースが一杯だけ。

 他に注視すべきものは、特別ない。

 

「……」

 

 私は、浅めに視線を落とし――

 注文を取るでもなく、ひたすらに座り続けている。

 もちろん、そうするのが趣味とかじゃない。それが趣味だったら、はた迷惑な事この上ない。

 ただ今日、この場所で、話さなくてはならない人を。

 何を隠そう、私から誘った人を――

 待っている、だけの話である。

 

「…………」

 

 しきりにLANEを確認する。

 メッセージに既読はついているけれど、以降の返信は無い。

 

 ――『明日、10時くらいに、██のファミレスで』

 

 ……なんていう内容は、いくらなんでも、気取り過ぎていただろうか。

 

 でも仕方ない。喧嘩の発端が私なのに、今更普通に誘うっていうのも憚れたから。

 ……いけしゃあしゃあと。

 トレーナーさんに連絡を取る、というのが、なんだか、罪深いことのように思えたから。

 

 ドーベルさんとは、落ち着いた後、解散となった。

 泣き腫らした目で感謝を述べた彼女が、しっかり前を向けたかはわからない。勇気を出して踏み出してほしいけれど、そこから先は、私がしゃしゃり出るとこじゃないだろう。

 その問題は、彼女本人にしか解決できないことだろうし。

 

 ……私だって。

 似たような問題に、直面しているのだから。

 

 だから、連絡を取ることにした。トレーナーさんへと。

 だから、ちゃんと、話すことにした。実に、三日ぶりに――

 

 ……傍に置いた鞄。

 その中に、私の()()()()()を忍ばせて……

 

「……」

 

 彼女が応じてくれるのか、わからない。

 反応が一切ないから、本当は、バックレるつもりなのかもしれない。

 それでも……待つ。少なくとも、お昼を過ぎるくらいまでは。

 それでもしも……店員さんに怒られたり。どうしても、連絡がつかないのなら……

 ……その時は。

 

「……?」

 

 そんな風に色々を考えながら――

 見つめていた、テーブルの上に。

 不意に、薄めの黒い影が落ちる。

 ゆっくりと――そちらに、目を向けてみると。

 

「……ぁ」

「……」

 

 長めの黒髪の中に、メッシュの入った前髪が光る。

 

 トレーナーさんが、無表情に、そこに立っていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 私の向かい側の席に落ち着いた彼女は、腕を組んで窓の外を見つめている。

 彼女も彼女で、私とちゃんと目を合わせるのが気まずいんだろう。

 斯く言う私も、視線を向け続けることが叶わず、視界には組まれた彼女の両腕が映りがちだ。

 

 誰かからの介入もなく。

 どちらかが話を始めるでもなく。

 ただ重い沈黙だけが、執拗なまでに漂い続ける。

 

「……、」

 

 けれど、そんな時間を過ごし続けるわけにもいかない。

 時間だけに、解決を任せるわけもない。

 そうでなければ、今日、わざわざ彼女を呼び出した意味も無くなってしまう。

 

 正直――

 恐い。

 つい一週間前までは、極々当然に話していたはずなのに。

 

 いざ今日、改めて彼女と向かい合うと、有り触れた挨拶の一つすらも、喉元で突っかかって出てきてくれない。

 居座る沈黙に押され。

 纏わりつく静寂に抑え込まれ。

 普通にレースしてる方が、まだ楽だとすら思う。

 

「……と、」

 

 それでも。

 沈黙と静寂を、振り払い。

 

「……とれーなー……」

 

 消え入りそうな声で。

 私は――

 

「……さん、」

 

 言葉を、紡いだ。

 

「――っ」

 

 刹那――

 

「――ごめんなさいっ」

 

 私は。

 頭を、下げていた。

 

「生意気な事言って、ごめんなさい……」

 

 言い終えて、頭を上げるけれど。

 彼女は、相変わらず窓の外を見ている。

 届いたかどうかはわからないけれど――

 ――構わない。私は続けることにした。

 

「……トレーナーさんの言うことも、わかってるんです」

 

 そう。

 よくわかっていた。

 

「自分でも、無理ある目標だなってことは、よく、よく、わかってるんです」

 

 そう。

 よく、よく……わかっていた。

 

「……本当は、諦めた方がいいって」

 

 棄てた方がいいって。

 よく――わかってるんだ。

 

「……でも」

 

 でも。

 安易に――そうしたくなかった。

 

「だって、私が今、ここにいるのだって、私の色んな挑戦があったからだって。勇気を振り絞って、踏み出せたからだって、よく知ってるから」

 

 あの日、走っていなければ。

 あの日、諦めていれば。

 今のこの時間は、ここにはない。

 

 今感じているこの痛みだって――

 きっと、感じていなかった。

 それくらいに真剣に。

 自分の夢と、向き合えて、いなかった。

 

「……それなら、やれることはやりたい。自分に出来ることは、全部、やり尽くしたい」

 

 やれることもやらずに。

 出来ることも、尽くさずに。難しいから、無理だからって――諦めるのなんて、もう嫌だ。

 

「本当にダメなんだって。絶対に出来ないんだって。確信が持てるまで、足掻き続けたい!」

 

 本当に、諦めしか選べなくなるまで。

 足掻いてみたいんだ――私は。

 

「……」

 

 ……でも。

 時間は有限だ。

 私の望むことを、完全に叶うまで待ってくれるまで、呑気でもない。

 

「……でも」

 

 だから。

 だから、言う。

 

「でも、それでももし、トレーナーさんが、ダメだっていうなら。諦めろっていうなら。私も……私も、あなたに見せます」

 

 だから、告げる。

 だから、示す――

 

「……私が、どれだけ本気かを」

 

 だから――

 徐に、鞄の中を弄る。

 手にしたそれを、見つめ、一瞬だけ躊躇い、取り出して――

 

「……トレーナーさん」

 

 意を決して。

 テーブルの上に、置いた。

 

「これが私の――覚悟です」

 

 それは、一通の茶封筒。

 一見すると、何が同封されているかなんてわからないだろう。

 けれどその表面に、私は直筆で認めておいた――わかるように。

 一目で、伝わるように。

 

 

 ――『契約解除届 御中』

 

 と。

 私にできるだけの、丁寧な、字で。

 

 

「……この夢は」

 

 トレーナーさんは、相変わらず目を逸らしている。

 でもたぶん、窓の反射で、状況はわかっているはずだ。

 ……私は、続ける。

 

「この夢は、私一人だけじゃ、どうにもならない」

 

 一人で叶えようとするには。

 あまりに困難――それを、思い知った。

 

「何よりも信用出来る人が。誰よりも信頼出来る相棒(パートナー)が……私には、必要です」

 

 こんなの、虫がいいと思うけど。

 あまりに身勝手だとも思うけど。

 それでもいい。

 それでも、構わない。

 

「……だから」

 

 だから。

 お願いします――トレーナーさん。

 

「私に、

 

 私に、

 力を、貸してください……!!」

 

「……」

 

 ……時間が過ぎる。

 トレーナーさんは、同じ体勢のまま、動かない。

 肌が傷つくんじゃないかってくらいの、鋭利なまでの緊張が張りつめる中。

 

「……、」

 

 彼女は。

 ひとつ、深呼吸をしたみたいだった。

 

「……この三日間」

 

 そして――

 遂に、発された声に。

 まるで、数世紀ぶりに聞いたみたいな、懐かしさを感じた。

 

「夢ってのは……何なんだろう、って考えてた」

 

 私は、答えない。

 

「そいつは元来、浮ついたものだ。現実を生きるには、あまりに鬱陶しい。それのために、安定した道を投げ捨てる奴もいる。夢は……叶えるもんじゃなく、覚めるもんだ、なんていう奴もいる」

 

 私は、答えない。

 答えずに、耳を傾ける。

 

「そしてそれは事実だ。あたしらは……いずれ、夢から覚めなきゃいけない。このクソみてぇな現実と向き合い、生きていかなくちゃいけない」

 

 彼女は、言う。

 けど、と、言葉を繋ぐ。

 

「それは……お前らガキが、背負うべきことじゃない」

 

 それは、大人が背負うべきもので。

 ガキが背負うには――まだまだ、早い。

 

「どうせクソみたいな現実なのは変わらねぇんだ。だったら、ガキの時くらい……自由に夢を見させてやるのが、大人の務めだよな、って思ってな」

 

 そうでなければ――文字通りに。

 夢も希望も。

 この世界のどこからも――消え去ってしまうだろうからな。

 

「だとしたら、その、あたしの言ったことは……少し、強かったっていうか」

 

 ……そこで。

 トレーナーさんの声は、徐々に浮ついてきて。

 

「もう少し、言葉を選べばよかったな、っていうか……」

 

 やがては、しどろもどろになり。

 

「だから、まぁ……なんだ。あー……その……」

 

 ……

 そして。

 

「……わ、」

 

 言っていた。

 

 

「……悪かったよ……」

 

 

「……」

 

 ……

 ……トレーナーさんは。

 最後の最後まで、目を逸らしていた。

 その瞳が、どんな色を灯しているかなんて、わからない。

 

 でも、想像には難くなくて。

 その心中すらも、今の私には、手に取るようにわかるようで。

 ……思わず。

 

「――っ」

 

 思わず。

 吹き出してしまっていた。

 

「――な」

 

 で、それに反応したトレーナーさん。

 ばっと振り向いたと思うと、まぁ、予想通り。

 顔をほんのり赤らめながら、ずいと、身を乗り出していた。

 

「なん、で笑うんだよ! オメー人が恥を忍んで……!!」

「――い、いや、いやいや。ごめんなさい。バカにしたわけじゃなくて。なんかその、意外だったっていうか、なんていうか」

「それをバカにしたって世間では言うんだろ! あぁー、くそ! 素直になったと思ったあたしがバカだった!」

「え~? そうですか~? むしろ今の状況だと、素直になったのはそっちだと思いますけど~?」

「オメーぶっ飛ばしてやる! 表出ろ!」

 

 ……まぁ、そんな感じで。

 あれやこれやと、続く口論。

 でも、あの日みたいな緊迫感は無くて。

 仲のいい友だちが、じゃれ合ってるみたいな感覚に近かった。

 

 ……あぁ。

 そうだな。私たちって、こうして、誰しもが不器用で。

 

 時に言葉を間違って、時に選択を誤って……それがきっかけに衝突したりして、仲違いしたりしならがも。

 

 ……結局は。

 結局はこうして、仲直りして、再び、手を繋ぎ合って。

 

 

 

 少しずつ、少しずつ。

 

 生きていくんだろうな。

 

 ……きっと。

 

 

 

「はぁ……それで?」

 

 ひとしきり口論……いや、じゃれ合って。

 トレーナーさんの瞳が、真剣な色を帯びる。

 

「現状は?」

「……」

 

 私は。

 目の前の契約解除届を鞄に仕舞い――

 

 言われるまま。この三日間、あったことを、話した。……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……聞き終えて。

 トレーナーさんは、なるほどな、とココアシガレットを口に咥えていた。

 

「まぁ、お前にしちゃ知恵を絞った方だな」

「……そりゃどうも」

 

 そして、この一言である。顔は朴訥としていて、もうすっかりいつもの調子に戻ったみたいだけれど。この人は、ついさっきまで喧嘩してた事実を忘れてしまったのだろうか。

 

「それで……どうしましょうかね」

 

 ともあれ、意見を乞う。私の『貧弱な』頭じゃ、現状を打開する有効な案は思いつかない。

 

「何か……いい方法とか、あるでしょうか」

「んー……」

 

 そうだな、と思案したトレーナーさんは、やがて言う。

 

「……バカウマ」

 

 その呼び名も、久々に聞いたな――という懐かしみの隙間を縫って。

 

「――、」

 

 私に、話し出した。

 

「――、――」

 

 そうして、私たちは。

 

「……――、――?」

 

 この三日の『ムダ』を、埋め合わせるように。

 

「――、――……」

 

 話し続けて……

 果たして。

 

「……でも、どうするんです?」

 

 私は、そう訊ねた。

 

「今のままじゃ、『メンバーが』足りないですよね」

「なに……心配すんな。宛てはある」

「え……?」

 

 そんな私に。

 彼女は、不敵に笑った。

 

「――あぁー、そういえば。似た感じで喧嘩して、ビミョーな関係になってる奴が、二人ほどいたよなぁ」

 

 そして、わざとらしく言う。

 

「しかも、『たまたま』名門の出身と来た。……これを利用しない手はないんじゃねぇか?」

 

 その末に――

 目が合う。

 妖しい光を宿す瞳から、考えが伝わってくる。

 それを咀嚼し、反芻し、理解した時――私もまた、自然と、口元が動く感覚を覚えた。

 

 同じように、無意識に。

 笑ってしまっていた。

 

「さぁ、『覚悟』を決めろバカウマ」

 

 そんな私を見てか。彼女は、席を立ちながら――言った。

 

「――『悪巧み』、するぞ」

 

*1
沖野T。他作品ではそちらの採用が多いですが、本作ではこちらを採用しています。

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