16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

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ウママニア

 トレセン学園のグラウンドには、そこを一望出来るような、広めの、簡素な観客席がある。

 主にトレーニングや、ちょっとした催しの見学・見物のために設けられているそれの収容力(キャパシティ)は、そう多くは無い。正確に測ったことはないけれど、数千どころか、数百も入れないだろう。

 しかし、その観客席には今――溢れんばかりの生徒の姿がある。

 いや、実際溢れ返り、少し離れた場所にさえ、人集りが出来てしまっている始末だ。

 

 見るからに誰もが楽しげで、明らかに誰もが浮かれている。お祭りのメインイベントを待ちわびる様子宛らだ。なぜそんなことになっているのか、というと。

 

 文字通り、それだけの『イベント』が、目の前で始まろうとしているからに他ならない。

 

「……大人数には慣れてるつもりだったんだけどな」

 

 隣から聞こえるのは、どこかそわそわした声。

 

「ん?」

 

 私が、返事をしながら目を向けた先──

 そこには、赤色の短髪に、鋭い目がある。

 

「なんか、これはこれで、緊張すんな……って」

 

 私の、旧来の親友は──

 フェアちゃんは。

 現状に、どうにも落ち着けないでいるみたいだった。

 

「まぁー、大丈夫だよ。みんないい子だから。取って食ったりしないって」

 

 しかし、そんな借りてきた猫みたいな言動することもない。ここの生徒は、いい子ばかりだから。……変な人はちょくちょくいるけど。

 フェアちゃんを奇異の目で見ることは無いだろう――そう。

 

 彼女が。

 部外者である、としたって。

 

「……」

 

 まぁ、そう言われたところで、手放しで受け入れられるとも限らない。

 フェアちゃんは、いかにも半信半疑、という目で私を見つめ返していた。

 

「……なんであたしを呼んだんだ?」

 

 それから、尤もな問いかけを飛ばす。

 

「お前の夢には関係あるかもしれないけど、あたしを巻き込むことはないだろ」

「だって暇でしょ?」

暇じゃねーよ……いや、人並みには暇だけど」

 

 まぁ、それは冗談だ。彼女が暇じゃないってことは知っている。

 それでも、その僅かな『暇』を縫ってまで、彼女をここに招いたのは――他でもない。

 

「……本場の子たちの強さ。肌で感じておきたくない?」

「……」

 

 不敵に笑うフェアちゃん。それ以上の言葉はなかったけれど――つまりは、それが全てだった。

 

 ……そんな感じで。

 トレーナーさんと仲直りしてから、早一週間。

 私の夢のための、壮大な『足掛かり』は――今日、無事に『開催』と相成った。

 

 スレイちゃんを引き込むための、最後の手段――

 大規模な『模擬レース』、である。

 

 メンバーについては、方々に頭を下げて集めて回った。その中で――ほぼ思い付きみたいに声を掛けた一人が、他でもないフェアちゃんで。

 

 最初は、難色を示していた彼女も――

 結局、こうしてここに来てくれた。

 

「あとは変に浮かないことだな」

「大丈夫だよ、そのために私のジャージ貸したんだしさ」

「返す時は洗濯だけでいいか? クリーニングは?」

「いやいや。そこまでしなくていいよ……」

 

 そうか、と返すフェアちゃん。ジャージ……ごとき、とも言えないけど。そこまで気にしなくても……

 

「――おーい、お二人さーん」

 

 と、そんな私たちに、のんびりした声が飛んできていた。

 振り向いた先には――まず、短めの芦毛。

 

「スカイさん」

「久しぶり~、元気そうで何よりだよ~」

「あ、あー……あはは……」

 

 ……そう言われると痛い。悪気は無いのかもしれないけれど。ここのことろ、チームとしては不完全な状態での活動だったろうからなぁ。

 私がいなかったせいで。

 私の、自分勝手のせいで……

 

「――一時は、どうなるかと思いましたの~」

 

 そして、更に続く声は――

 スカイさんの隣。彼女とはまた別種の、柔らかな声。

 

「仮加入早々、解散なども考えたのですが……杞憂に終わって、よかったですわ~」

「……」

「……?」

「あ、うん」

 

 あぁ、まずい。ちょっと挙動不審になってしまったか。……でも、仕方がない。あの時、ドーベルさんと、あんなやり取りをしたものだから。

 目の前のブライトさんは、いつもと何ら変わらない立ち居振る舞いをしているように見える。ただ、思い返してみれば、彼女はいつだって我を失わずに振舞う子だ。それだけで事実を断定することは難しい。

 ……ドーベルさんとは。

 仲直り、出来たのかな。

 

「……君も、元気そうでよかったよ」

「……おう」

 

 スカイさんの目が、私の隣に向く。フェアちゃんは、平静を保っていた。

 

「一緒に走るんだってね~。お手柔らかによろしくねん」

「……胸を借りるつもりでやらせてもらう」

「いやいや、フェアちゃん。同い年だからね……」

「ふふっ、殊勝な心掛けですわ~」

 

 ……ともあれそんな感じで、他愛のない会話を交わす私たちに。

 

「――お、あれじゃないか? おーい!

 

 遠めの位置から呼びかけながら、走ってくる複数の人影――

 否が応でも目に入るのは――まるで生き物のように騒がしく踊る青髪。

 

「みんな早いな! ターボも負けてらんないぞ!」

「アタシらも、これで急いだ方なんだけどねぇ」

「今日はよろしくお願いします」

「うおー! 頑張っちゃいますよーっ!」

 

 ターボさん、ネイチャさん。イクノさん、そしてマチタンさん。

 私たちが声を掛けたチームの一つ――チームカノープスの面々、だった。

 

「おつ〜、みんな〜。今日はよろしくね〜」

「こうして話すのも久々ですね。お元気でしたか?」

「まぁぼちぼちね〜」

 

 イクノさんとスカイさん。

 

「おぉ〜!髪が真っ赤だぞ! すごい! かっこいい!」

「青髪の奴に言われてもな……」

「これって地毛なんですかー? 綺麗な赤色ですね〜!」

「お、おい、気安く触んな!」

 

 フェアちゃんは、ターボさんとマチタンさんと。

 

「聞いたよ、次のお友だちを籠絡するんだって?」

 

 残るネイチャさんは……

 私に、話しかけてきていた。

 

「そのために巻き込んで来たわけだ。さてさて、今度は何企んでんのかな〜?」

「人聞き悪いこと言わないでください……これ以上は何もないですよ」

 

 あと、籠絡って言い方も角が立ちそうだ……が、ネイチャさんは、その顔に貼り付けたイヤ〜な笑みを、なかなか剥がしてくれなかった。

 

「まぁそういうことにしといてあげるよ。こっちも『いい経験』になりそうだし」

「……お手柔らかにどうぞ」

「で、さ」

 

 とそこで、ネイチャさんは話題転換を図ってきた。私が小首を傾げると、彼女は指先だけで示す。

 

 その果てには──

 ブライトさんがいた。

 

「大丈夫そう?」

「……」

 

 蚊帳の外だけど──という意味ではないだろう。いくらなんでも。そう思うなら、それこそ巻き込めばいいだけの話だ──そうしないのは。

 それを軽率に選べないほど、彼女の様子がおかしいからだ。

 

 他チームの面々が見えたからだろうか。

 明らかに先程より──雰囲気が、ピリピリしていた。

 

「『あの子』も来るんだよね」

「はい……予定では」

「そっか。まぁ……落ち着くとこに落ち着けば、いいけどね」

 

 全くです──私がそう返した先。

 観客として集まっていた生徒たちの、俄に大きくなり始めていた騒がしさが、突然に色めき立つ。

 どうやら──次なる『選手』が、到着したらしかった。

 

「──おお、勢揃いだね。いいことだぁ」

 

 鹿毛のポニーテール。

 

「一番乗りは逃したか〜。全く、マックちゃんがサーフィンから帰るのが、もう少し早けりゃなぁ」

 

 長い芦毛。

 

「意味分かりませんわよ。サーフィンなんて、縁もゆかりもありませんわ」

 

 薄紫の長髪に。

 

「あ、あははは……」

 

 困ったように笑う、鹿毛のボブカット。

 

 ……錚々たる面々。私が一般客なら、同じように浮き足立っていただろう。

 けれど、今回ばかりは、緊張に姿勢を正さずにはいられなかった──なぜなら。

 その人たちと、これから、()り合うのだから。

 

 テイオーさん。

 ゴールドシップさん。

 メジロマックイーンさん。

 そして……チヨちゃん。

 

 前三人は、既に競レース史に名を刻んでいる名ウマ娘だ。チヨちゃんだけが浮いて見えるのは……致し方ないことだった。

 

「お出ましだねぇ」

 

 ネイチャさんは慣れたもので。

 彼女らに歩み寄ると、その筆頭──テイオーさんと、軽快にハイタッチしていた。

 

「おっす。まだ調整中なのに、しゃしゃり出て来て大丈夫? カイチョーさん?」

「むぅ! ボクが本気出せないからって調子乗ってー!」

「そうだぞネイチャ! ここは気前よく肩車からのバク転3回転捻りで喜ばせるとこだろ!」

「もー、相変わらず意味わからんこと言うんだから」

「リオンさぁん……」

 

 チヨちゃんが、早々に会話の輪から外れ、私に縋りついてくる。まだレースは始まってもいないのに、既にへとへとみたいだった。

 

「チヨちゃん……おつかれ」

「おつかれさまです……もう……なんであんな有名人に囲まれて来なきゃいけないんですかぁ……」

「不満だった?」

「不満じゃないですけど! あぁ……精神すり減るかと思いました……」

 

 むしろすり減りました──と、肩を落とすチヨちゃん。決して嫌だったわけじゃないんだろうけど。うん。まぁ、同情するよ……

 

「──初めまして、ですわね?」

 

 そんな私たちの耳を──

 凛とした声が、ノックしていた。

 

「『悪役』さん、とお呼びするべきですか?」

「……あはは。お、お好きにどうぞ」

 

 ……一瞬思考停止に陥った。

 マックイーンさんに、しどろもどろながら返すと。彼女は、柔らかく微笑んでいた。

 

「かねがね噂は聞いていますわ。実は一度、こうして走ってみたいと思っていましたの」

「こ、光栄です……」

「もちろん、手を抜く気はありませんが……世界が終わるわけではないのですから。そう怯えないでくださいませ?」

 

 委縮していることを、あっさりと見抜かれてしまった。今の私、きっと借りてきた猫みたくなっていることだろう。けれど……相手はあのメジロマックイーン。かのメジロラモーヌに並ぶともされる、ターフの名優、メジロ家の誇り。

 競レース界屈指の有名人を相手にして、緊張するなというのが無理な話なのである。

 

 ……チヨちゃん共々、だ。

 

「……それに、私ごときで怯えていては、この先心臓が持ちませんわよ?」

 

 それを知ってか知らずか、マックイーンさんは言う。

 

「これから、更なる『大物』がいらっしゃるのですから」

 

 分かっていても、不穏極まりないその発言の直後――

 ざわめきの色めきが、更にもう一回り大きくなった。

 

「――噂をすれば、ですわ」

 

 マックイーンさんの瞳が、妖艶な色を帯びる。

 ちょうど彼女らが通ってきた道筋をなぞるように――

 こちらに向かってくる集団が、もうひとつ。

 

 それを認識した時。

 私は……いや、恐らくこの場に居合わせた、誰もが。固唾を呑んでいた。

 

「お〜、もうほぼ揃ってんじゃねーか。真面目で何よりだな」

「そっすね〜」

 

 先頭を歩いているのは、私のトレーナーさんと、確か……チームスピカのトレーナーの、西崎さん。

 ドーベルさんのトレーナーさんに、チヨちゃんのトレーナーさん……まぁ早い話が、各々のトレーナーさん。

 

「――で、でもいいのかな。ライスなんかが、本当に参加して……」

 

 まるで獲物に狙われているみたいな、怯え切った声は――

 最後尾を歩く、クセのある黒髪の少女によるもの。

 トレーナーさんの尽力で、今回協力してくれることになった『上級生』――ライスシャワーさん。

 

「……」

 

 その少し前、浮かない顔で歩くのは、ドーベルさん。

 ……そして。

 

「平気よ。依頼してきたのはあちらだもの」

 

 そして。

 そんな彼女らを率いるように歩きながら、返事をしているのは……

 

 ウェーブのかかった横髪と、シニヨンの髪型──

 一目見ただけでそれと分かるほどの、威厳ある空気と佇まい。

 

「胸を張って、堂々としていなさい」

「……」

 

 まだ距離があるはずなのに、既にぴりぴりと、その風格を肌に感じる。

 ……メジロ家、次期当主筆頭。

『魔性の青鹿毛』、『メジロ家の至宝』。

 

 ……この人が。

 この人が――

 

 メジロラモーヌさん、か──……

 

「……っ」

 

 あぁ、やばい。

 テレビ越しに観るだけでも、すごい人なんだろうなとは思ってたけど、まさか、ここまでとは……

 

 あのドーベルさんですら、そういう形をした置物のように見えてしまう。

 ただ物言わず付き添うだけの、従者のようにも。

 

 場が、敬意とも、畏怖とも取れる、異様な空気に支配される中──

 しかし、マックイーンさんだけは、平常運転だった。

 

「お疲れ様です。ラモーヌさん」

 

 ラモーヌさんに近付きつつ、声を掛ける。

 

「こうして共に走れること、光栄に思いますわ」

「私もよ。マックイーン。……今日は、メジロの名に恥じないレースをしましょう」

 

 気さくに話す二人だけど、同じ家族のはずのドーベルさんは、いまいち乗り切れていない風だ。萎縮しているのか……それとも。

 やはり未だに……あのことが、尾を引いているのか。

 

「ライスさんも。お元気そうで何よりですわ。……ブルボンさんはいらっしゃらないのですか?  声をかけると聞いたのですが」

「あ、うん……忙しくて来れないんだって。仕方ないよね……」

 

 傍に到着した彼女らが、先輩たちに混じり、思い思いに話す中。

 

「アリオン」

「トレーナーさん」

 

 私に声を掛けるトレーナーさん。いつもと同じ、朴訥としたその顔に──私は、頭を下げた。

 

「……ありがとうございます。やっぱり、トレーナーさんは頼りになりますね」

「……うるせぇな」

「も〜、照れないでくださいよ〜。貶してるわけじゃないんですから〜」

「トレーナーさんがお声がけしたんですか?」

 

 と、そこで訊ねるのはチヨちゃんだ。

 

「てっきり、先生が集めたのかと……」

「まぁ、厳密にはトレーナーさんだけが集めたわけじゃないけどね。方々に頭下げて回ったのはトレーナーさんだから──痛ぁっ!!

 

 ちょっ──蹴ることないじゃん!!いや、なんか前もやったなこんなやり取り! もう! 照れ隠しにしてももっと穏やかなやつにしてよ……!!

 

「あ、あははは……でも、本当にすごい面子ですね」

 

 苦笑いしながら、チヨちゃんは言った。

 その目が、場全体を一瞥する。

 

「まるでG1、ですよ」

「……だね」

 

 そして、それに同意する。正直、その通りであったとしても、違和感ない状況ではあった。

 

 ……むしろ、これが模擬レースだと、誰が安易に信じるのかって話だ。

 

『不屈の帝王』に──

『ターフの名優』。『黒い刺客』。

 そして……『魔性の青鹿毛』。

 

 最初は人が集まるのか、って心配をしていたのに。気付いてみれば……全く。

 

 どいつもこいつも。

 一世を風靡した、『怪物』(モンスター)ばかり──!

 

 ……そんな人たちと、これから走れるなんて。

 はは。今から、楽しくなってきた……

 

「あれ。でも……」

 

 と、そこでチヨちゃんはきょろきょろと視線を泳がせた。

 

「例の『主役さん』がいなくないですか?遅刻でしょうか……」

「いや……有り得ないよ。あの子は時間厳守だからね。いっつもぴったりに来るんだよ」

 

 答えた瞬間。

 私は、思わず、にやりと笑っていた。

 

「……ほら」

 

 なぜなら──言葉の先。

 すっかり道と成った、観客の生徒たちの間。

 たづなさんに着いて歩く、緑がかった黒髪が見えたからだ。

 

 ──スレイちゃんが。

 やはり、時間ちょうどに、姿を現していた。

 ホントに。

 何にも変わってないな……この子は。

 

「お出ましか」

 

 会話がひと段落したのか、ずい、と身を乗り出してきたのはフェアちゃん。

 それから間もなく、彼女らは、私たちの元に辿り着いていた。

 向けられる、氷みたいな視線。

 

「……案内、ありがとうございます。たづなさん」

 

 何はともあれ。

 まずは、お礼を述べる。たづなさんは、にこりと笑ってくれた。

 

「お易い御用です。外部のお客様をお連れするのも、私の仕事ですからね」

「いやいや、それでも忙しい中をわざわざ──」

「アリオンさん」

 

 と。

 押し問答、もといお礼の述べ合いが始まりかけた時。

 私の名を呼んだのは、スレイちゃん。

 

「ん?」

「あなたは『遊び』にかまけ過ぎて、理解力も下がったようですね」

 

 散々な言い草だった。確かに私、あなたに比べたらバカだろうけどさぁ。

 もう少し言い方ってもんを──

 

「もう二度と関わるなと、言ったはずですが」

「……」

 

 ……彼女の瞳は、憤怒の炎に揺れているように見える。

 けれど、恐怖しなかった。むしろ……それに煽られたように、私の中の情熱も、燃えていた。

 

「……、え?」

 

 だから。

 返す言葉は──

 

「そんなこと、言ったっけ?」

 

 ……まるでクソガキみたいに。

 挑発的だった。

 

「……」

 

 その証拠とばかりに、スレイちゃんの眉が歪む。

 ただ、それ以上はムダだと判断したのか、嘆くように息を吐くと。

 

「いいでしょう」

 

 私に。

 歩み寄りながら。

 

「ならば……もう二度と、そんな生意気な口を利けなくなるように」

 

 ……言っていた。

 

「ぐちゃぐちゃにしてあげます」

「……」

 

 ……どうでもいいけど、私とスレイちゃんは、頭半個分くらい身長差がある。

 見下ろす彼女の瞳には、重い威圧感を覚えたけど……

 私は、引かずに。

 その瞳を、見つめ返した――不敵な笑みと、共に。

 

「はいはい、」

 

 そんな感じで、バチバチな私に──

 声を掛けたのは、男前な刈り上げスタイルの男性。

 

「続きはレースでな。……ルール説明するぞ」

「はいっ」

 

 西崎さんの言葉に応じて、たづなさんが一礼し、その場から立ち去る。それを見送ってから、私たちは移動する。

 フェアちゃんは……そうでもなさそうだけど。チヨちゃんが、見るからに不安そうというか、そわそわしているように見えたのは、気のせいじゃないだろう。

 その原因は言わずもがなだ。友だちの目の前ってこと、すっかり失念してたな……

 もっと、抑えるべきだったかもしれない……

 

「よーし、お前ら注目!」

 

 何にしても──

 その時は来る。西崎さんと共にみんなの輪へと戻ると、彼は全体に向けて呼び掛けていた。

 

「今回のレースの説明をするぞ! まずは発起人の新人ちゃんから、ひと言よろしく!」

「……あいっす」

 

 で、話のバトンを渡されるトレーナーさん。どこか不服そうだったけど、反発するのもどうかと思ったのか、諦めたように前に出ていた。

 

「出走者……並びに集まってくれた観客のみんな。今日は忙しい中、この模擬レースに協力してくれて感謝する」

 

 そして、話し始める。

 

「このレースは、主に下級生たちのクラシック戦線を見据えた、実力向上を図るためのものだ。卒業生や上級生には、多忙な中、下級生の練習に付き合ってもらう構図になるが……皆の将来のために、本気で打ちのめしてやってくれ。よろしく頼む」

「あはは。物騒な言い方だなぁ」

 

 気さくに笑うテイオーさん。ただ、その裏側には、先人としての矜持みたいなものをほんのり感じられた。

 ちなみにもちろん、クラシック戦線を見据えた云々の話は建前だ。そこに隠された真意を知る子は……結構いるかもしれない。

 

「また、今日は体験として……2人の外部生が参加している。片方は既に入学希望、もう片方は不明だが……今日はそのためのいい判断材料になるはずだ。存分に走ってくれ」

「……別に、勝っちまっても構わねぇんだろ?」

「お好きにどうぞ。……出来るならな」

 

 おぉ……フェアちゃん、なかなか火力の高い返しだ。トレーナーさんもバチバチに言い返してるし。これはやはり、なかなか、面白い戦いになりそうだぞ……!

 

「各々、実りある時間にするように。じゃ、西崎さん」

「おし。じゃあ、こっからはルール説明な」

 

 そこで、話が引き継がれる。一歩下がったトレーナーさんに代わり、西崎さんは、片手にクリップボードを抱えながら、前に出ていた。

 

「見ての通り、使用コースは1,000mの芝コースだ。スタートは号砲を用いたトリガースタート方式で、おおよそ二周半、距離にして2,500mを走ってもらう。バ場の状態は良好、出走数は16名だ。

 出走順はこっちであらかじめ選定した。今から名前を呼ぶから、呼ばれたら返事をしてくれ――

 1番、ツインターボ」

「おぉ、ターボが一番か!」

「2番、セイウンスカイ」

「はいよ~」

「3番、ナイスネイチャ」

「ここでも3番かぁ……」

「4番、メジロラモーヌ」

「えぇ」

「5番、ゴールドシップ」

「おう、いるぜ!」

「6番、メジロマックイーン」

「ゴルシさんの隣ですか……」

「え、なんでそんな顔すんの? さすがのゴルシちゃんも傷つくぜ?」

「7番、マチカネタンホイザ」

「はーい!」

「8番、トウカイテイオー」

「ん、いるよー」

「9番、メジロブライト」

「はい~」

「10番、サファイアアリオン」

「あ、はい!」

「11番、ルビーフェア」

「はい!」

「12番、ライスシャワー」

「は、はいっ」

「13番、スレイエメラルド」

「はい」

「14番、イクノディクタス」

「はい、います」

「15番、サクラチヨノオー」

「はい!」

「16番、メジロドーベル」

「……はい」

「以上、16名だ。呼ばれてない選手はいないな?」

 

 西崎さんの呼びかけに、反応する人はいない。全員が無事に呼ばれたことの証左に、彼は頷いた。

 

「おし、それじゃあ出走は十分後! 各々ウォームアップを「あなた」

 

 で――締めとばかりに続けた言葉を。

 遮っていたのは、凛とした女声。

 

「……はい?」

 

 メジロラモーヌさんに――

 彼の声は、コメディみたいに上擦っていた。

 

 対する彼女は、無表情だけれど。

 ……なんだかどことなく、不機嫌なような。

 

「まさか……このまま走らせるつもりかしら」

「え……へ? いや、このままも何も、他に捻りようが――」

「模擬とは言え、レースのつくものに、手を抜くことは許さないわ」

「……そ、」

 

 ……一応断っておくと、ラモーヌさんは年下で、西崎さんは年上。

 敬意を払うべきはラモーヌさんの方のはずなんだけど、その圧倒的な空気に気圧されてか、西崎さんの方が下手に出ていた。

 

「それは、どういうことでせうか……?」

「――、」

 

 そんな彼に。

 ラモーヌさんは、嘆くように息を吐き、言っていた。

 

 

 

「――勝負服で、

 レースをさせなさい」

 

 

 

『――!?』

 

 ……私たちの間に衝撃が走る。

 ラモーヌさんのその提案は、全くもって誰もが、織り込むどころか、想像すらしていなかったものだったからだ。

 

 勝負服。本来なら、G1レースでしかお目にかかることの出来ない、ウマ娘としての『正装』を――

 

 なんだって?

 着ろ、だって?

 

 飽くまで、模擬と定義されているレースで。

 ()()()走らせろ、だって――!?

 

「……そうでなくては、私は参加しないわ――いえ。メジロ家は、参加を辞退するわ」

「は……!? いやいや、ちょっと待ってくれ!

 

 不遜ですらある彼女の物言いに、西崎さんも我慢ならなかったのだろうか。途端に慌てて反論する。

 

「今この場には、まだ勝負服を仕立ててすらいない下級生もいるんだぞ! 『本格化』もろくに迎えてないのに、上級生が勝負服着て走っちゃ、ただの弱い者いじめに――」

「……聞き捨てならないなぁ」

 

 ――その。

 尤もな発言に食いついたのは、意外にも――短めに切り揃えられた芦毛。

 スカイさんだった。

 

「じゃ、トレーナーさんには、セイちゃんたちはそれだけひ弱に映ってるってわけだ」

「は!? い、いやいや、別にそういうわけじゃ……!」

「ではどういうわけかしら。生徒を思いやる気持ちはわかるけれど、それは同時に、彼女らの力を見くびることに繋がるのよ」

「そ、そうかもしれないけどさぁ……」

「あなたはどうかしら、マックイーン?」

 

 話の矛先が向けられたのは、マックイーンさんだ。突然のそれにも関わらず、彼女は特に動じるそぶりも見せず、私たち――とりわけ下級生組を一瞥すると、

 

「……、トレーナーさんの言うことにも、一理ありますが」

 

 答えた。

 

「どうせいつかは、『本気』の同輩を相手にしなくてはなりませんの。……でしたらこれも、いい経験になるのではなくて?」

「そ、そんなこと言われてもな……!」

「まぁまぁ、心配すんのは分かるけどよ、トレーナー」

 

 困惑の頂点に達してそうな西崎さんに、今度はゴールドシップさんが声を掛ける。

 

「アイツの言う通り、あたしらはそんなにひ弱じゃねーって。大丈夫、なんとかなるぜ!

 

 で……提案に乗っかり。

 

「まぁ、どうせやるなら、ボクも()()()()やりたいしね」

 

 テイオーさんが。

 

「会長さんが言うなら、従うしかないかなぁ」

 

 ネイチャさんが。

 

「じゃ、じゃあ、ライスもそれで!」

 

 ライスシャワーさんが、次々乗っかり……

 

『――!!』

 

 観衆からの熱視線もあり。

 場に居合わせた誰もが、ラモーヌさんの提案を受け入れる方向になっていた。

 多勢に無勢、私のトレーナーさんも、さりげなく西崎さんから距離を取っている辺り、もはや彼の取れる選択肢は、一つしかなかった。

 

「……はぁ。わかったよ……」

 

 観念したように。彼は言っていた。

 

「それじゃ、用意の出来る子は、速やかに用意してきてくれ」

 

 そして――

 

「ほい、スタート――」

 

 と。

 彼が、手を叩くと同時。

 該当する生徒のみんなは、ほぼ一斉に、ドドドドド……と、一斉に走り出していた。

 

 残されたのは。

 私たち、下級生と、『賓客』だけ……

 

「――にははは~。みんなやる気があってよろしいですな~」

「なんか……思ってたより大ごとになってきたね……」

 

 そう思う。想定とは違う展開に……口にした言葉に。スカイさんは、悪戯っぽく笑っていた。

 

「その割にさっき、楽しそうな顔してたけど~?」

「い、いやー? 別に、そんなことないですヨ?」

「声裏返ってんぞ」

「あはは……」

 

 半目で語るフェアちゃんに、苦笑いするチヨちゃん……あれ。でも。おかしいな。私の記憶が正しければ……

 

「……チヨちゃんも勝負服なかったっけ……?」

「え、えっと……着てきた方が、いいですかね……?」

 

 あぁ、間違いじゃなかった。そうだ、チヨちゃんは……既に去年の暮れにG1に出走していたはず。*1

 勝負服も仕立ててもらってるはずだけど……行かなくていいのかな。

 

「……その方がいいと思うけど。ラモーヌさんに怒られちゃうよ?」

「あの人、基本はいい人だけど……ホントにレースに対しては容赦ないからね~」

「そ、そうですよね……わかりました。行ってきます……」

 

 私たちに促され、そそくさと立ち去るチヨちゃん。……なんだろ。レースに自信がないにしても、なんか不審な言動だったような……どうしたのかな。

 

「……ん」

 

 そう思いつつ、視線を振った先――

 留まったのは、ふわふわとボリュームのある鹿毛。

 ……ブライトさんの視線は。

 私たちの誰にも向けられておらず。

 それとはまた別の方向。

 

 ……ドーベルさんが。

 いるみたいだった。

 

 彼女は、どこか気まずそうに立ち尽くしている。あの子も確か……勝負服を持っているはずだけれど。ああして歩き出そうともしていないのは、チヨちゃんと似たような心境にあるからなのだろうか。

 ブライトさんがそれを無言で見つめているのは、それをどうにかして伝えようとしているからなのかな。

 

 ……三人分の視線が、そちらに集中したのを感じる。

 ただ、それ以上は何も出来ず。ただただ、無言で見守り続ける中――

 

「……あ」

 

 ブライトさんは――

 徐に、ドーベルさんの方へと、歩み寄り始めていた。

 もちろん、ある程度事情を知っているとはいえ、私は外野でしかない。

 彼女らが何を話すにしろ、ちょっかいを出す権利は無いだろう。

 

 けれど、そこはかとなく感じた不安に……私も、気付けば足を動かしていた。

 スカイさんとフェアちゃんが動いた感じはない。特に私を制さなかったのは、それが最善と思ってくれたからか。

 

 何にしても――程なくして。

 ブライトさんが、ドーベルさんの、すぐ傍に辿り着く。

 

「――、」

 

 それに気付いたのだろう。俯いてばかりいたドーベルさんが、ハッと顔を上げていた。

 生憎と背後からでは、ブライトさんがどんな表情をしているのかはわからない。

 ただ気まずさからか。ドーベルさんは、すぐに先ほどと同じように、顔を俯かせてしまって。

 もじもじと、何かを言いたげにする。

 

「……、」

 

 やがて。

 ブライトさんが、息を吸ったのがわかった。

 

「――ドーベル」

「……」

「向こうを」

「……?」

 

 果たして、それに上目遣いで応じたドーベルさん。

 

「向こうを、向いてくださいませ?」

「え……?」

「いいから」

 

 それは彼女の想定外だったのだろう。呆然と声を漏らす彼女に、ブライトさんは続けて。

 ドーベルさんは。

 半信半疑、とばかりに戦々恐々と、こちらに背を向けていた。

 どこか、妙に小さく見えてしまう背中。

 

 ブライトさんは。

 それに、一歩踏み出したかと思うと、提げていたポーチから何かを取り出す。

 たった一瞬だったうえに、後ろからだったから、それが何だったのかはわからない。

 ただ、首周りに、背後から手を回して、何かを付けさせるような、その動作は――

 

 ……その人に。

 ネックレスを着けさせる、それ。

 

「……」

 

 ブライトさんは、その一連の動作を終えると、ドーベルさんの両肩にそっと手を添え、優しくこちら側に向けさせ直す。

 彼女は呆然と目を丸くしていたけれど。

 姿を一瞥したブライトさんは、満足そうに頷いていた。

 

「……えぇ、いいですわ」

 

 ドーベルさんの首元には。

 それまでは無かった――ネックレスが、掛けられていた。

 鮮やかな銀色が基調の、緑色の宝石が光る、高価そうで――

 

 とても。

 とても――綺麗な、ネックレス。

 

「よく似合っています」

「…………」

 

 ……ドーベルさんの顔が。

 くしゃりと歪む。

 それから、即座に顔を俯かせると。

 

「……ひ、」

 

 嗚咽交じりの声で――言った。

 

「卑怯だよ……」

「……」

「卑怯だよっ、こんなのっ……」

「えぇ」

 

 ブライトさんの声は、慈しむ母のようだ。

 

「アタシもっ、アタシも今までっ、どうすれば仲直りできるかなって、ずっと、考えてたのにっ……」

「えぇ」

「それなのに、それなのにアンタはっ、ブライトはっ……こんなに、こんなに簡単に、やっちゃうなんてっ……」

「えぇ」

「卑怯だよ……卑怯だよっ、こんなのっ……」

「……えぇ」

 

 それでも、ブライトさんの声も。

 やがて、涙声に近くなる。

 ……傍から見る私も。

 もらい泣きしそうになってしまった。

 

「――っ」

 

 その時――

 ドーベルさんが、顔を上げる。

 

「……ブライト」

 

 そして――言う。

 

「お互い、悔いのないレースを、しよう」

 

 その瞳は、未だに潤んでいたけれど。

 それを隠さず。逸らすこともなく。

 真っ直ぐに、ブライトさんへと向けていた。

 

「……謝罪も感謝も、それからね」

「……はい」

 

 それを受けて――

 ブライトさんもまた、返していた。

 

「望むところですわ」

 

 お互い、握手を交わして。

 しばし見つめ合うと。

 ドーベルさんは、私たちの脇を通って、走り出していた。

 最後に見えたその表情は――

 

 強く。

 決意に満ちているように見えた。

 

「……ありがとうございます」

 

 それを見送って、間もなく。

 ブライトさんは、こちらに振り返っていた。

 その表情は、いつも通りの、柔らかな微笑みだったけれど。

 ……心なしか、目元が、腫れているように見えた。

 

「見守って下さって」

「……うぅん」

 

 私は、それに、首を横に振る。実際、私は傍にいただけだ。

 お礼を言われるようなことは……していない。

 

「――、さ、参りましょうか」

 

 でも、それでも。

 知らず知らず、力になっていたのかもしれない。

 先ほどよりも、活力に満ちているように見える彼女は、私の傍に歩み寄りながら。

 

「次は……あなたの番ですわ」

「……」

 

 掛けられた声に。

 

「……うん」

 

 私もまた、意志を新たに、頷きを返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、そんな感じで、十数分。

 果たして、コースには……先の面々が、戻ってきていた。

 

『――!!』

 

 それを見てか、観客席の盛り上がりもひときわ大きくなる。ただ、それとは相反して、西崎さんは既に憔悴している風だ。どうして、なんて問うべくもない。

 

 ……同情するし、申し訳なさもあるけれど。私にもまた、遠慮するつもりはなかった。

 揃った面々は凄まじいけれど、それは私が全く対抗出来ないことにはならないのだ。

 ――食らいついてやる。

 たとえ到底勝てないとしても――

 みんなに、目に物を、見せてやるんだ……!

 

「おし、それじゃあ始めるぞー……」

 

 西崎さんが呼びかける。私たちは、それぞれに返事をして、スタートラインへと向かう。

 その時、スレイちゃんと一瞬だけ、目が合ったけれど――

 もう一瞬で視線を外し、自身のスタート位置へと歩いていってしまった。

 ……私もそれに、不敵に口端が上がるのを感じつつ、位置に着く。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 正直なところ――

 西崎は、今回のレースを、『たかが』模擬とタカを括っていた。

 白熱はするだろうが、いつもの『練習』の一環として終わるだろうと。

 ……思ってもみなかったのである。

 まさかその『たかが』が、このような事態にまで発展するなど。

 

「……」

 

 熱気に包まれる観客席と、闘志に溢れる生徒たち、ならびに元・生徒たち。ガチでG1の出走前じゃねぇか――西崎は当初の心構えを反省しながら、自身の立つべき場所、スタートラインの端に立った。……

 

1番――『全力爆逃げ娘』、ツインターボ

2番――セイウンスカイ

3番――『愛しき名脇役』、ナイスネイチャ

4番――『魔性の青鹿毛』、メジロラモーヌ

5番――『不沈艦』、ゴールドシップ

6番――『ターフの名優』、メジロマックイーン

7番――『眠れる才女』、マチカネタンホイザ

8番――『不屈の帝王』、トウカイテイオー

9番――メジロブライト

10番――サファイアアリオン

11番――『紅い閃光』、ルビーフェア

12番――『黒い刺客』、ライスシャワー

13番――スレイエメラルド

14番――『鉄の女』、イクノディクタス

15番――『桜花の舞姫』、サクラチヨノオー

16番――『女王の後継者』、メジロドーベル

*2

 

「――それじゃあ、位置についてー!」

 

 西崎は、スターターピストルを掲げる。

 選手たちは、姿勢を整える。

 

「よーい――」

 

 そして、続けられた、高らかな宣言と――

 

『――!!』

 

 軽快で、豪快な号砲に。

 

 彼女らは、一斉に、走り出していた。

 

*1
朝日杯フューチュリティステークス。

*2
セイウンスカイはじめ、実在の競走馬には異名がありますが、まだクラシックも最初の彼女らなので付けられていないことにしています。

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