トレセン学園のグラウンドには、そこを一望出来るような、広めの、簡素な観客席がある。
主にトレーニングや、ちょっとした催しの見学・見物のために設けられているそれの
しかし、その観客席には今――溢れんばかりの生徒の姿がある。
いや、実際溢れ返り、少し離れた場所にさえ、人集りが出来てしまっている始末だ。
見るからに誰もが楽しげで、明らかに誰もが浮かれている。お祭りのメインイベントを待ちわびる様子宛らだ。なぜそんなことになっているのか、というと。
文字通り、それだけの『イベント』が、目の前で始まろうとしているからに他ならない。
「……大人数には慣れてるつもりだったんだけどな」
隣から聞こえるのは、どこかそわそわした声。
「ん?」
私が、返事をしながら目を向けた先──
そこには、赤色の短髪に、鋭い目がある。
「なんか、これはこれで、緊張すんな……って」
私の、旧来の親友は──
フェアちゃんは。
現状に、どうにも落ち着けないでいるみたいだった。
「まぁー、大丈夫だよ。みんないい子だから。取って食ったりしないって」
しかし、そんな借りてきた猫みたいな言動することもない。ここの生徒は、いい子ばかりだから。……変な人はちょくちょくいるけど。
フェアちゃんを奇異の目で見ることは無いだろう――そう。
彼女が。
部外者である、としたって。
「……」
まぁ、そう言われたところで、手放しで受け入れられるとも限らない。
フェアちゃんは、いかにも半信半疑、という目で私を見つめ返していた。
「……なんであたしを呼んだんだ?」
それから、尤もな問いかけを飛ばす。
「お前の夢には関係あるかもしれないけど、あたしを巻き込むことはないだろ」
「だって暇でしょ?」
「暇じゃねーよ……いや、人並みには暇だけど」
まぁ、それは冗談だ。彼女が暇じゃないってことは知っている。
それでも、その僅かな『暇』を縫ってまで、彼女をここに招いたのは――他でもない。
「……本場の子たちの強さ。肌で感じておきたくない?」
「……」
不敵に笑うフェアちゃん。それ以上の言葉はなかったけれど――つまりは、それが全てだった。
……そんな感じで。
トレーナーさんと仲直りしてから、早一週間。
私の夢のための、壮大な『足掛かり』は――今日、無事に『開催』と相成った。
スレイちゃんを引き込むための、最後の手段――
大規模な『模擬レース』、である。
メンバーについては、方々に頭を下げて集めて回った。その中で――ほぼ思い付きみたいに声を掛けた一人が、他でもないフェアちゃんで。
最初は、難色を示していた彼女も――
結局、こうしてここに来てくれた。
「あとは変に浮かないことだな」
「大丈夫だよ、そのために私のジャージ貸したんだしさ」
「返す時は洗濯だけでいいか? クリーニングは?」
「いやいや。そこまでしなくていいよ……」
そうか、と返すフェアちゃん。ジャージ……ごとき、とも言えないけど。そこまで気にしなくても……
「――おーい、お二人さーん」
と、そんな私たちに、のんびりした声が飛んできていた。
振り向いた先には――まず、短めの芦毛。
「スカイさん」
「久しぶり~、元気そうで何よりだよ~」
「あ、あー……あはは……」
……そう言われると痛い。悪気は無いのかもしれないけれど。ここのことろ、チームとしては不完全な状態での活動だったろうからなぁ。
私がいなかったせいで。
私の、自分勝手のせいで……
「――一時は、どうなるかと思いましたの~」
そして、更に続く声は――
スカイさんの隣。彼女とはまた別種の、柔らかな声。
「仮加入早々、解散なども考えたのですが……杞憂に終わって、よかったですわ~」
「……」
「……?」
「あ、うん」
あぁ、まずい。ちょっと挙動不審になってしまったか。……でも、仕方がない。あの時、ドーベルさんと、あんなやり取りをしたものだから。
目の前のブライトさんは、いつもと何ら変わらない立ち居振る舞いをしているように見える。ただ、思い返してみれば、彼女はいつだって我を失わずに振舞う子だ。それだけで事実を断定することは難しい。
……ドーベルさんとは。
仲直り、出来たのかな。
「……君も、元気そうでよかったよ」
「……おう」
スカイさんの目が、私の隣に向く。フェアちゃんは、平静を保っていた。
「一緒に走るんだってね~。お手柔らかによろしくねん」
「……胸を借りるつもりでやらせてもらう」
「いやいや、フェアちゃん。同い年だからね……」
「ふふっ、殊勝な心掛けですわ~」
……ともあれそんな感じで、他愛のない会話を交わす私たちに。
「――お、あれじゃないか? おーい!」
遠めの位置から呼びかけながら、走ってくる複数の人影――
否が応でも目に入るのは――まるで生き物のように騒がしく踊る青髪。
「みんな早いな! ターボも負けてらんないぞ!」
「アタシらも、これで急いだ方なんだけどねぇ」
「今日はよろしくお願いします」
「うおー! 頑張っちゃいますよーっ!」
ターボさん、ネイチャさん。イクノさん、そしてマチタンさん。
私たちが声を掛けたチームの一つ――チームカノープスの面々、だった。
「おつ〜、みんな〜。今日はよろしくね〜」
「こうして話すのも久々ですね。お元気でしたか?」
「まぁぼちぼちね〜」
イクノさんとスカイさん。
「おぉ〜!髪が真っ赤だぞ! すごい! かっこいい!」
「青髪の奴に言われてもな……」
「これって地毛なんですかー? 綺麗な赤色ですね〜!」
「お、おい、気安く触んな!」
フェアちゃんは、ターボさんとマチタンさんと。
「聞いたよ、次のお友だちを籠絡するんだって?」
残るネイチャさんは……
私に、話しかけてきていた。
「そのために巻き込んで来たわけだ。さてさて、今度は何企んでんのかな〜?」
「人聞き悪いこと言わないでください……これ以上は何もないですよ」
あと、籠絡って言い方も角が立ちそうだ……が、ネイチャさんは、その顔に貼り付けたイヤ〜な笑みを、なかなか剥がしてくれなかった。
「まぁそういうことにしといてあげるよ。こっちも『いい経験』になりそうだし」
「……お手柔らかにどうぞ」
「で、さ」
とそこで、ネイチャさんは話題転換を図ってきた。私が小首を傾げると、彼女は指先だけで示す。
その果てには──
ブライトさんがいた。
「大丈夫そう?」
「……」
蚊帳の外だけど──という意味ではないだろう。いくらなんでも。そう思うなら、それこそ巻き込めばいいだけの話だ──そうしないのは。
それを軽率に選べないほど、彼女の様子がおかしいからだ。
他チームの面々が見えたからだろうか。
明らかに先程より──雰囲気が、ピリピリしていた。
「『あの子』も来るんだよね」
「はい……予定では」
「そっか。まぁ……落ち着くとこに落ち着けば、いいけどね」
全くです──私がそう返した先。
観客として集まっていた生徒たちの、俄に大きくなり始めていた騒がしさが、突然に色めき立つ。
どうやら──次なる『選手』が、到着したらしかった。
「──おお、勢揃いだね。いいことだぁ」
鹿毛のポニーテール。
「一番乗りは逃したか〜。全く、マックちゃんがサーフィンから帰るのが、もう少し早けりゃなぁ」
長い芦毛。
「意味分かりませんわよ。サーフィンなんて、縁もゆかりもありませんわ」
薄紫の長髪に。
「あ、あははは……」
困ったように笑う、鹿毛のボブカット。
……錚々たる面々。私が一般客なら、同じように浮き足立っていただろう。
けれど、今回ばかりは、緊張に姿勢を正さずにはいられなかった──なぜなら。
その人たちと、これから、
テイオーさん。
ゴールドシップさん。
メジロマックイーンさん。
そして……チヨちゃん。
前三人は、既に競レース史に名を刻んでいる名ウマ娘だ。チヨちゃんだけが浮いて見えるのは……致し方ないことだった。
「お出ましだねぇ」
ネイチャさんは慣れたもので。
彼女らに歩み寄ると、その筆頭──テイオーさんと、軽快にハイタッチしていた。
「おっす。まだ調整中なのに、しゃしゃり出て来て大丈夫? カイチョーさん?」
「むぅ! ボクが本気出せないからって調子乗ってー!」
「そうだぞネイチャ! ここは気前よく肩車からのバク転3回転捻りで喜ばせるとこだろ!」
「もー、相変わらず意味わからんこと言うんだから」
「リオンさぁん……」
チヨちゃんが、早々に会話の輪から外れ、私に縋りついてくる。まだレースは始まってもいないのに、既にへとへとみたいだった。
「チヨちゃん……おつかれ」
「おつかれさまです……もう……なんであんな有名人に囲まれて来なきゃいけないんですかぁ……」
「不満だった?」
「不満じゃないですけど! あぁ……精神すり減るかと思いました……」
むしろすり減りました──と、肩を落とすチヨちゃん。決して嫌だったわけじゃないんだろうけど。うん。まぁ、同情するよ……
「──初めまして、ですわね?」
そんな私たちの耳を──
凛とした声が、ノックしていた。
「『悪役』さん、とお呼びするべきですか?」
「……あはは。お、お好きにどうぞ」
……一瞬思考停止に陥った。
マックイーンさんに、しどろもどろながら返すと。彼女は、柔らかく微笑んでいた。
「かねがね噂は聞いていますわ。実は一度、こうして走ってみたいと思っていましたの」
「こ、光栄です……」
「もちろん、手を抜く気はありませんが……世界が終わるわけではないのですから。そう怯えないでくださいませ?」
委縮していることを、あっさりと見抜かれてしまった。今の私、きっと借りてきた猫みたくなっていることだろう。けれど……相手はあのメジロマックイーン。かのメジロラモーヌに並ぶともされる、ターフの名優、メジロ家の誇り。
競レース界屈指の有名人を相手にして、緊張するなというのが無理な話なのである。
……チヨちゃん共々、だ。
「……それに、私ごときで怯えていては、この先心臓が持ちませんわよ?」
それを知ってか知らずか、マックイーンさんは言う。
「これから、更なる『大物』がいらっしゃるのですから」
分かっていても、不穏極まりないその発言の直後――
ざわめきの色めきが、更にもう一回り大きくなった。
「――噂をすれば、ですわ」
マックイーンさんの瞳が、妖艶な色を帯びる。
ちょうど彼女らが通ってきた道筋をなぞるように――
こちらに向かってくる集団が、もうひとつ。
それを認識した時。
私は……いや、恐らくこの場に居合わせた、誰もが。固唾を呑んでいた。
「お〜、もうほぼ揃ってんじゃねーか。真面目で何よりだな」
「そっすね〜」
先頭を歩いているのは、私のトレーナーさんと、確か……チームスピカのトレーナーの、西崎さん。
ドーベルさんのトレーナーさんに、チヨちゃんのトレーナーさん……まぁ早い話が、各々のトレーナーさん。
「――で、でもいいのかな。ライスなんかが、本当に参加して……」
まるで獲物に狙われているみたいな、怯え切った声は――
最後尾を歩く、クセのある黒髪の少女によるもの。
トレーナーさんの尽力で、今回協力してくれることになった『上級生』――ライスシャワーさん。
「……」
その少し前、浮かない顔で歩くのは、ドーベルさん。
……そして。
「平気よ。依頼してきたのはあちらだもの」
そして。
そんな彼女らを率いるように歩きながら、返事をしているのは……
ウェーブのかかった横髪と、シニヨンの髪型──
一目見ただけでそれと分かるほどの、威厳ある空気と佇まい。
「胸を張って、堂々としていなさい」
「……」
まだ距離があるはずなのに、既にぴりぴりと、その風格を肌に感じる。
……メジロ家、次期当主筆頭。
『魔性の青鹿毛』、『メジロ家の至宝』。
……この人が。
この人が――
メジロラモーヌさん、か──……
「……っ」
あぁ、やばい。
テレビ越しに観るだけでも、すごい人なんだろうなとは思ってたけど、まさか、ここまでとは……
あのドーベルさんですら、そういう形をした置物のように見えてしまう。
ただ物言わず付き添うだけの、従者のようにも。
場が、敬意とも、畏怖とも取れる、異様な空気に支配される中──
しかし、マックイーンさんだけは、平常運転だった。
「お疲れ様です。ラモーヌさん」
ラモーヌさんに近付きつつ、声を掛ける。
「こうして共に走れること、光栄に思いますわ」
「私もよ。マックイーン。……今日は、メジロの名に恥じないレースをしましょう」
気さくに話す二人だけど、同じ家族のはずのドーベルさんは、いまいち乗り切れていない風だ。萎縮しているのか……それとも。
やはり未だに……あのことが、尾を引いているのか。
「ライスさんも。お元気そうで何よりですわ。……ブルボンさんはいらっしゃらないのですか? 声をかけると聞いたのですが」
「あ、うん……忙しくて来れないんだって。仕方ないよね……」
傍に到着した彼女らが、先輩たちに混じり、思い思いに話す中。
「アリオン」
「トレーナーさん」
私に声を掛けるトレーナーさん。いつもと同じ、朴訥としたその顔に──私は、頭を下げた。
「……ありがとうございます。やっぱり、トレーナーさんは頼りになりますね」
「……うるせぇな」
「も〜、照れないでくださいよ〜。貶してるわけじゃないんですから〜」
「トレーナーさんがお声がけしたんですか?」
と、そこで訊ねるのはチヨちゃんだ。
「てっきり、先生が集めたのかと……」
「まぁ、厳密にはトレーナーさんだけが集めたわけじゃないけどね。方々に頭下げて回ったのはトレーナーさんだから──痛ぁっ!!」
ちょっ──蹴ることないじゃん!!いや、なんか前もやったなこんなやり取り! もう! 照れ隠しにしてももっと穏やかなやつにしてよ……!!
「あ、あははは……でも、本当にすごい面子ですね」
苦笑いしながら、チヨちゃんは言った。
その目が、場全体を一瞥する。
「まるでG1、ですよ」
「……だね」
そして、それに同意する。正直、その通りであったとしても、違和感ない状況ではあった。
……むしろ、これが模擬レースだと、誰が安易に信じるのかって話だ。
『不屈の帝王』に──
『ターフの名優』。『黒い刺客』。
そして……『魔性の青鹿毛』。
最初は人が集まるのか、って心配をしていたのに。気付いてみれば……全く。
どいつもこいつも。
一世を風靡した、
……そんな人たちと、これから走れるなんて。
はは。今から、楽しくなってきた……
「あれ。でも……」
と、そこでチヨちゃんはきょろきょろと視線を泳がせた。
「例の『主役さん』がいなくないですか?遅刻でしょうか……」
「いや……有り得ないよ。あの子は時間厳守だからね。いっつもぴったりに来るんだよ」
答えた瞬間。
私は、思わず、にやりと笑っていた。
「……ほら」
なぜなら──言葉の先。
すっかり道と成った、観客の生徒たちの間。
たづなさんに着いて歩く、緑がかった黒髪が見えたからだ。
──スレイちゃんが。
やはり、時間ちょうどに、姿を現していた。
ホントに。
何にも変わってないな……この子は。
「お出ましか」
会話がひと段落したのか、ずい、と身を乗り出してきたのはフェアちゃん。
それから間もなく、彼女らは、私たちの元に辿り着いていた。
向けられる、氷みたいな視線。
「……案内、ありがとうございます。たづなさん」
何はともあれ。
まずは、お礼を述べる。たづなさんは、にこりと笑ってくれた。
「お易い御用です。外部のお客様をお連れするのも、私の仕事ですからね」
「いやいや、それでも忙しい中をわざわざ──」
「アリオンさん」
と。
押し問答、もといお礼の述べ合いが始まりかけた時。
私の名を呼んだのは、スレイちゃん。
「ん?」
「あなたは『遊び』にかまけ過ぎて、理解力も下がったようですね」
散々な言い草だった。確かに私、あなたに比べたらバカだろうけどさぁ。
もう少し言い方ってもんを──
「もう二度と関わるなと、言ったはずですが」
「……」
……彼女の瞳は、憤怒の炎に揺れているように見える。
けれど、恐怖しなかった。むしろ……それに煽られたように、私の中の情熱も、燃えていた。
「……、え?」
だから。
返す言葉は──
「そんなこと、言ったっけ?」
……まるでクソガキみたいに。
挑発的だった。
「……」
その証拠とばかりに、スレイちゃんの眉が歪む。
ただ、それ以上はムダだと判断したのか、嘆くように息を吐くと。
「いいでしょう」
私に。
歩み寄りながら。
「ならば……もう二度と、そんな生意気な口を利けなくなるように」
……言っていた。
「ぐちゃぐちゃにしてあげます」
「……」
……どうでもいいけど、私とスレイちゃんは、頭半個分くらい身長差がある。
見下ろす彼女の瞳には、重い威圧感を覚えたけど……
私は、引かずに。
その瞳を、見つめ返した――不敵な笑みと、共に。
「はいはい、」
そんな感じで、バチバチな私に──
声を掛けたのは、男前な刈り上げスタイルの男性。
「続きはレースでな。……ルール説明するぞ」
「はいっ」
西崎さんの言葉に応じて、たづなさんが一礼し、その場から立ち去る。それを見送ってから、私たちは移動する。
フェアちゃんは……そうでもなさそうだけど。チヨちゃんが、見るからに不安そうというか、そわそわしているように見えたのは、気のせいじゃないだろう。
その原因は言わずもがなだ。友だちの目の前ってこと、すっかり失念してたな……
もっと、抑えるべきだったかもしれない……
「よーし、お前ら注目!」
何にしても──
その時は来る。西崎さんと共にみんなの輪へと戻ると、彼は全体に向けて呼び掛けていた。
「今回のレースの説明をするぞ! まずは発起人の新人ちゃんから、ひと言よろしく!」
「……あいっす」
で、話のバトンを渡されるトレーナーさん。どこか不服そうだったけど、反発するのもどうかと思ったのか、諦めたように前に出ていた。
「出走者……並びに集まってくれた観客のみんな。今日は忙しい中、この模擬レースに協力してくれて感謝する」
そして、話し始める。
「このレースは、主に下級生たちのクラシック戦線を見据えた、実力向上を図るためのものだ。卒業生や上級生には、多忙な中、下級生の練習に付き合ってもらう構図になるが……皆の将来のために、本気で打ちのめしてやってくれ。よろしく頼む」
「あはは。物騒な言い方だなぁ」
気さくに笑うテイオーさん。ただ、その裏側には、先人としての矜持みたいなものをほんのり感じられた。
ちなみにもちろん、クラシック戦線を見据えた云々の話は建前だ。そこに隠された真意を知る子は……結構いるかもしれない。
「また、今日は体験として……2人の外部生が参加している。片方は既に入学希望、もう片方は不明だが……今日はそのためのいい判断材料になるはずだ。存分に走ってくれ」
「……別に、勝っちまっても構わねぇんだろ?」
「お好きにどうぞ。……出来るならな」
おぉ……フェアちゃん、なかなか火力の高い返しだ。トレーナーさんもバチバチに言い返してるし。これはやはり、なかなか、面白い戦いになりそうだぞ……!
「各々、実りある時間にするように。じゃ、西崎さん」
「おし。じゃあ、こっからはルール説明な」
そこで、話が引き継がれる。一歩下がったトレーナーさんに代わり、西崎さんは、片手にクリップボードを抱えながら、前に出ていた。
「見ての通り、使用コースは1,000mの芝コースだ。スタートは号砲を用いたトリガースタート方式で、おおよそ二周半、距離にして2,500mを走ってもらう。バ場の状態は良好、出走数は16名だ。
出走順はこっちであらかじめ選定した。今から名前を呼ぶから、呼ばれたら返事をしてくれ――
1番、ツインターボ」
「おぉ、ターボが一番か!」
「2番、セイウンスカイ」
「はいよ~」
「3番、ナイスネイチャ」
「ここでも3番かぁ……」
「4番、メジロラモーヌ」
「えぇ」
「5番、ゴールドシップ」
「おう、いるぜ!」
「6番、メジロマックイーン」
「ゴルシさんの隣ですか……」
「え、なんでそんな顔すんの? さすがのゴルシちゃんも傷つくぜ?」
「7番、マチカネタンホイザ」
「はーい!」
「8番、トウカイテイオー」
「ん、いるよー」
「9番、メジロブライト」
「はい~」
「10番、サファイアアリオン」
「あ、はい!」
「11番、ルビーフェア」
「はい!」
「12番、ライスシャワー」
「は、はいっ」
「13番、スレイエメラルド」
「はい」
「14番、イクノディクタス」
「はい、います」
「15番、サクラチヨノオー」
「はい!」
「16番、メジロドーベル」
「……はい」
「以上、16名だ。呼ばれてない選手はいないな?」
西崎さんの呼びかけに、反応する人はいない。全員が無事に呼ばれたことの証左に、彼は頷いた。
「おし、それじゃあ出走は十分後! 各々ウォームアップを「あなた」
で――締めとばかりに続けた言葉を。
遮っていたのは、凛とした女声。
「……はい?」
メジロラモーヌさんに――
彼の声は、コメディみたいに上擦っていた。
対する彼女は、無表情だけれど。
……なんだかどことなく、不機嫌なような。
「まさか……このまま走らせるつもりかしら」
「え……へ? いや、このままも何も、他に捻りようが――」
「模擬とは言え、レースのつくものに、手を抜くことは許さないわ」
「……そ、」
……一応断っておくと、ラモーヌさんは年下で、西崎さんは年上。
敬意を払うべきはラモーヌさんの方のはずなんだけど、その圧倒的な空気に気圧されてか、西崎さんの方が下手に出ていた。
「それは、どういうことでせうか……?」
「――、」
そんな彼に。
ラモーヌさんは、嘆くように息を吐き、言っていた。
「――勝負服で、
レースをさせなさい」
『――!?』
……私たちの間に衝撃が走る。
ラモーヌさんのその提案は、全くもって誰もが、織り込むどころか、想像すらしていなかったものだったからだ。
勝負服。本来なら、G1レースでしかお目にかかることの出来ない、ウマ娘としての『正装』を――
なんだって?
着ろ、だって?
飽くまで、模擬と定義されているレースで。
「……そうでなくては、私は参加しないわ――いえ。メジロ家は、参加を辞退するわ」
「は……!? いやいや、ちょっと待ってくれ!」
不遜ですらある彼女の物言いに、西崎さんも我慢ならなかったのだろうか。途端に慌てて反論する。
「今この場には、まだ勝負服を仕立ててすらいない下級生もいるんだぞ! 『本格化』もろくに迎えてないのに、上級生が勝負服着て走っちゃ、ただの弱い者いじめに――」
「……聞き捨てならないなぁ」
――その。
尤もな発言に食いついたのは、意外にも――短めに切り揃えられた芦毛。
スカイさんだった。
「じゃ、トレーナーさんには、セイちゃんたちはそれだけひ弱に映ってるってわけだ」
「は!? い、いやいや、別にそういうわけじゃ……!」
「ではどういうわけかしら。生徒を思いやる気持ちはわかるけれど、それは同時に、彼女らの力を見くびることに繋がるのよ」
「そ、そうかもしれないけどさぁ……」
「あなたはどうかしら、マックイーン?」
話の矛先が向けられたのは、マックイーンさんだ。突然のそれにも関わらず、彼女は特に動じるそぶりも見せず、私たち――とりわけ下級生組を一瞥すると、
「……、トレーナーさんの言うことにも、一理ありますが」
答えた。
「どうせいつかは、『本気』の同輩を相手にしなくてはなりませんの。……でしたらこれも、いい経験になるのではなくて?」
「そ、そんなこと言われてもな……!」
「まぁまぁ、心配すんのは分かるけどよ、トレーナー」
困惑の頂点に達してそうな西崎さんに、今度はゴールドシップさんが声を掛ける。
「アイツの言う通り、あたしらはそんなにひ弱じゃねーって。大丈夫、なんとかなるぜ!」
で……提案に乗っかり。
「まぁ、どうせやるなら、ボクも
テイオーさんが。
「会長さんが言うなら、従うしかないかなぁ」
ネイチャさんが。
「じゃ、じゃあ、ライスもそれで!」
ライスシャワーさんが、次々乗っかり……
『――!!』
観衆からの熱視線もあり。
場に居合わせた誰もが、ラモーヌさんの提案を受け入れる方向になっていた。
多勢に無勢、私のトレーナーさんも、さりげなく西崎さんから距離を取っている辺り、もはや彼の取れる選択肢は、一つしかなかった。
「……はぁ。わかったよ……」
観念したように。彼は言っていた。
「それじゃ、用意の出来る子は、速やかに用意してきてくれ」
そして――
「ほい、スタート――」
と。
彼が、手を叩くと同時。
該当する生徒のみんなは、ほぼ一斉に、ドドドドド……と、一斉に走り出していた。
残されたのは。
私たち、下級生と、『賓客』だけ……
「――にははは~。みんなやる気があってよろしいですな~」
「なんか……思ってたより大ごとになってきたね……」
そう思う。想定とは違う展開に……口にした言葉に。スカイさんは、悪戯っぽく笑っていた。
「その割にさっき、楽しそうな顔してたけど~?」
「い、いやー? 別に、そんなことないですヨ?」
「声裏返ってんぞ」
「あはは……」
半目で語るフェアちゃんに、苦笑いするチヨちゃん……あれ。でも。おかしいな。私の記憶が正しければ……
「……チヨちゃんも勝負服なかったっけ……?」
「え、えっと……着てきた方が、いいですかね……?」
あぁ、間違いじゃなかった。そうだ、チヨちゃんは……既に去年の暮れにG1に出走していたはず。*1
勝負服も仕立ててもらってるはずだけど……行かなくていいのかな。
「……その方がいいと思うけど。ラモーヌさんに怒られちゃうよ?」
「あの人、基本はいい人だけど……ホントにレースに対しては容赦ないからね~」
「そ、そうですよね……わかりました。行ってきます……」
私たちに促され、そそくさと立ち去るチヨちゃん。……なんだろ。レースに自信がないにしても、なんか不審な言動だったような……どうしたのかな。
「……ん」
そう思いつつ、視線を振った先――
留まったのは、ふわふわとボリュームのある鹿毛。
……ブライトさんの視線は。
私たちの誰にも向けられておらず。
それとはまた別の方向。
……ドーベルさんが。
いるみたいだった。
彼女は、どこか気まずそうに立ち尽くしている。あの子も確か……勝負服を持っているはずだけれど。ああして歩き出そうともしていないのは、チヨちゃんと似たような心境にあるからなのだろうか。
ブライトさんがそれを無言で見つめているのは、それをどうにかして伝えようとしているからなのかな。
……三人分の視線が、そちらに集中したのを感じる。
ただ、それ以上は何も出来ず。ただただ、無言で見守り続ける中――
「……あ」
ブライトさんは――
徐に、ドーベルさんの方へと、歩み寄り始めていた。
もちろん、ある程度事情を知っているとはいえ、私は外野でしかない。
彼女らが何を話すにしろ、ちょっかいを出す権利は無いだろう。
けれど、そこはかとなく感じた不安に……私も、気付けば足を動かしていた。
スカイさんとフェアちゃんが動いた感じはない。特に私を制さなかったのは、それが最善と思ってくれたからか。
何にしても――程なくして。
ブライトさんが、ドーベルさんの、すぐ傍に辿り着く。
「――、」
それに気付いたのだろう。俯いてばかりいたドーベルさんが、ハッと顔を上げていた。
生憎と背後からでは、ブライトさんがどんな表情をしているのかはわからない。
ただ気まずさからか。ドーベルさんは、すぐに先ほどと同じように、顔を俯かせてしまって。
もじもじと、何かを言いたげにする。
「……、」
やがて。
ブライトさんが、息を吸ったのがわかった。
「――ドーベル」
「……」
「向こうを」
「……?」
果たして、それに上目遣いで応じたドーベルさん。
「向こうを、向いてくださいませ?」
「え……?」
「いいから」
それは彼女の想定外だったのだろう。呆然と声を漏らす彼女に、ブライトさんは続けて。
ドーベルさんは。
半信半疑、とばかりに戦々恐々と、こちらに背を向けていた。
どこか、妙に小さく見えてしまう背中。
ブライトさんは。
それに、一歩踏み出したかと思うと、提げていたポーチから何かを取り出す。
たった一瞬だったうえに、後ろからだったから、それが何だったのかはわからない。
ただ、首周りに、背後から手を回して、何かを付けさせるような、その動作は――
……その人に。
ネックレスを着けさせる、それ。
「……」
ブライトさんは、その一連の動作を終えると、ドーベルさんの両肩にそっと手を添え、優しくこちら側に向けさせ直す。
彼女は呆然と目を丸くしていたけれど。
姿を一瞥したブライトさんは、満足そうに頷いていた。
「……えぇ、いいですわ」
ドーベルさんの首元には。
それまでは無かった――ネックレスが、掛けられていた。
鮮やかな銀色が基調の、緑色の宝石が光る、高価そうで――
とても。
とても――綺麗な、ネックレス。
「よく似合っています」
「…………」
……ドーベルさんの顔が。
くしゃりと歪む。
それから、即座に顔を俯かせると。
「……ひ、」
嗚咽交じりの声で――言った。
「卑怯だよ……」
「……」
「卑怯だよっ、こんなのっ……」
「えぇ」
ブライトさんの声は、慈しむ母のようだ。
「アタシもっ、アタシも今までっ、どうすれば仲直りできるかなって、ずっと、考えてたのにっ……」
「えぇ」
「それなのに、それなのにアンタはっ、ブライトはっ……こんなに、こんなに簡単に、やっちゃうなんてっ……」
「えぇ」
「卑怯だよ……卑怯だよっ、こんなのっ……」
「……えぇ」
それでも、ブライトさんの声も。
やがて、涙声に近くなる。
……傍から見る私も。
もらい泣きしそうになってしまった。
「――っ」
その時――
ドーベルさんが、顔を上げる。
「……ブライト」
そして――言う。
「お互い、悔いのないレースを、しよう」
その瞳は、未だに潤んでいたけれど。
それを隠さず。逸らすこともなく。
真っ直ぐに、ブライトさんへと向けていた。
「……謝罪も感謝も、それからね」
「……はい」
それを受けて――
ブライトさんもまた、返していた。
「望むところですわ」
お互い、握手を交わして。
しばし見つめ合うと。
ドーベルさんは、私たちの脇を通って、走り出していた。
最後に見えたその表情は――
強く。
決意に満ちているように見えた。
「……ありがとうございます」
それを見送って、間もなく。
ブライトさんは、こちらに振り返っていた。
その表情は、いつも通りの、柔らかな微笑みだったけれど。
……心なしか、目元が、腫れているように見えた。
「見守って下さって」
「……うぅん」
私は、それに、首を横に振る。実際、私は傍にいただけだ。
お礼を言われるようなことは……していない。
「――、さ、参りましょうか」
でも、それでも。
知らず知らず、力になっていたのかもしれない。
先ほどよりも、活力に満ちているように見える彼女は、私の傍に歩み寄りながら。
「次は……あなたの番ですわ」
「……」
掛けられた声に。
「……うん」
私もまた、意志を新たに、頷きを返した。
さて、そんな感じで、十数分。
果たして、コースには……先の面々が、戻ってきていた。
『――!!』
それを見てか、観客席の盛り上がりもひときわ大きくなる。ただ、それとは相反して、西崎さんは既に憔悴している風だ。どうして、なんて問うべくもない。
……同情するし、申し訳なさもあるけれど。私にもまた、遠慮するつもりはなかった。
揃った面々は凄まじいけれど、それは私が全く対抗出来ないことにはならないのだ。
――食らいついてやる。
たとえ到底勝てないとしても――
みんなに、目に物を、見せてやるんだ……!
「おし、それじゃあ始めるぞー……」
西崎さんが呼びかける。私たちは、それぞれに返事をして、スタートラインへと向かう。
その時、スレイちゃんと一瞬だけ、目が合ったけれど――
もう一瞬で視線を外し、自身のスタート位置へと歩いていってしまった。
……私もそれに、不敵に口端が上がるのを感じつつ、位置に着く。
正直なところ――
西崎は、今回のレースを、『たかが』模擬とタカを括っていた。
白熱はするだろうが、いつもの『練習』の一環として終わるだろうと。
……思ってもみなかったのである。
まさかその『たかが』が、このような事態にまで発展するなど。
「……」
熱気に包まれる観客席と、闘志に溢れる生徒たち、ならびに元・生徒たち。ガチでG1の出走前じゃねぇか――西崎は当初の心構えを反省しながら、自身の立つべき場所、スタートラインの端に立った。……
1番――『全力爆逃げ娘』、ツインターボ
2番――セイウンスカイ
3番――『愛しき名脇役』、ナイスネイチャ
4番――『魔性の青鹿毛』、メジロラモーヌ
5番――『不沈艦』、ゴールドシップ
6番――『ターフの名優』、メジロマックイーン
7番――『眠れる才女』、マチカネタンホイザ
8番――『不屈の帝王』、トウカイテイオー
9番――メジロブライト
10番――サファイアアリオン
11番――『紅い閃光』、ルビーフェア
12番――『黒い刺客』、ライスシャワー
13番――スレイエメラルド
14番――『鉄の女』、イクノディクタス
15番――『桜花の舞姫』、サクラチヨノオー
16番――『女王の後継者』、メジロドーベル
「――それじゃあ、位置についてー!」
西崎は、スターターピストルを掲げる。
選手たちは、姿勢を整える。
「よーい――」
そして、続けられた、高らかな宣言と――
『――!!』
軽快で、豪快な号砲に。
彼女らは、一斉に、走り出していた。