レースの開始と同時、先頭に躍り出たのは、メジロラモーヌとスレイエメラルド。
その少し離れた背後に、メジロマックイーンとセイウンスカイが続いた。
「……」
スレイエメラルドにとって――
レースとは、遊びでしかない。
だがそれでも、その激しさと、興行としての有能さに関しては認めるところであり。
今日、歴戦の猛者と言うべきメンバーの集うレースに誘われた、ということもあり、簡単には――
少なくとも、サファイアアリオンとのそれとは比較にならない競争になるだろうと、覚悟していた。
これまでに経験したことのない勝負となることだろうと、想定してきた。
ただ、どんな困難が待ち受けようが。
どんな強敵が立ちはだかろうが。
必ず跳ね除け、さっさと『やるべきこと』に戻ると。強く心に決めてきたのだ。
……だが。
こうしていざ、レースが始まって――スレイは思う。
なんということはなかった。
覚悟するまでもなかった、と。
それは予想に反し、非常に穏やかな立ち上がりだった。
抱いた決意と覚悟、想定と予想から大きく逸脱したその現実に、彼女は怒りすら覚える。
こんなものなのかと。
こんな程度で、この国のトップの座を語っているのかと。
彼女は、先頭に立つことに並々ならぬ思い入れがある。
それがどんな分野にせよ、同じような立場にいる者に対して、彼女は容赦しない。
今現在臨んでいることは、その目にどうしても適ってはいなかった。
怠慢だ、とすら感じた。
その怒りに炊きつけられたように、速度はさらに速まっていく。
くだらない。
本当に、くだらない。
ならば早々に終わらせてやる、と。
脚を動かし続ける――
「……」
――さなかで。
すぐ傍を走るメジロラモーヌは、彼女にちらと視線をやっていた。
その瞳の色は、レースのさなかとは思えないほど、落ち着きに透き通っていたが――
「――、」
口が動き――
「――あなた、」
言葉を紡いだ。
疾走の中でも、不思議とその言葉は、スレイの耳に良く届いた。
「――っ?」
困惑する彼女をよそに、ラモーヌは続ける。
「あなたは……どうして走っているの?」
「……?」
「あなたは――なぜこうして、レースに臨んでいるの?」
「……言っている意味が分かりませんが」
本当にその通りだった。
そうでなくとも、レースとは一瞬で過ぎ去るものなのだ。
そんな哲学的な問答に、付き合ってなどいられない。
「私はレースになぞ――何も期待していません」
だから――
忌憚なく、躊躇もなく、それに応じる。
「私にとっては、ただの遊びです。ただの、無意味な『じゃれ合い』です。時間の無駄なんです。だから――こんなもの、さっさとケリをつけて」
忌々しげにすら聞こえる声色を、伴って。
「……やるべきことへ戻る。それだけです」
返された、その言葉に。
「……」
果たしてラモーヌは、刹那の間、黙り込む。
もうすぐ1コーナーにさしかかる、というタイミング――
「……そう」
彼女は、言った。
それに、答えていた。
「――つまらないのね」
無慈悲なまでに、冷え切った声で、応じた――
――刹那。
「――!?」
その姿が。
一気に、前へと、飛び出していた。
スレイエメラルドは、思考停止に陥っていた。
メジロラモーヌは、つい先ほど、自分のすぐそばを走っていたはずだった。
その速さに、特筆すべき点は無かった。自分が追いつけない道理もなかった。
だから、その――意味不明な問答の末に、追い抜いて、終わらせてやろうとすら考えていたというのに。
一瞬。
本当に、ほんの一瞬だった。
メジロラモーヌの姿は、ほんの一瞬で――
彼女から、大きく離れた前方に達していた。
「――!」
何が、と思う暇もなく。
状況はさらに動く。
困惑する彼女の横を――薄紫の髪が通り抜ける。
メジロマックイーンが。
今や、先頭に単独で躍り出たメジロラモーヌに追いついていた。
→KEEP 1st メジロラモーヌ
↑UP! 2nd メジロマックイーン
↓DOWN… 3rd スレイエメラルド
「――遅いわよマックイーン」
客観的に観れば、その反応は決して遅くない。
だが、ラモーヌの言葉は、あくまでも厳格だった。
「本当の試合なら、勝負が決まっていたと心得なさい」
「肝に、銘じますわ……!」
「……、……!」
未だ当惑から抜け出せないスレイを、状況は待ってはくれない。
「!」
それを皮切りに――
次々と。
「っ!」
↑UP! 3rd セイウンスカイ
↓DOWN… 4th スレイエメラルド
「うおぉーッ! 負けるかぁーッ!!」
後続が。
↑UP! 4th ツインターボ
↓DOWN… 5th スレイエメラルド
「まーまー、そんな焦らずともよいでしょうに!」
抜き去っていく――
↑UP! 5th ナイスネイチャ
↓DOWN… 6th スレイエメラルド
「――……」
先ほどまでの余裕はどこへやら。
彼女の胸中に、混沌とした感情が渦巻き始める。
困惑と、焦燥と――疑問。
もちろん、その疑問に応じてくれる同志など、今、その場にはいなかったが――
「……」
レースを見守っているトレーナー陣――
とりわけ、サファイアアリオンの担当は、図らずもその疑問に、頭の中で答えていた。
立ち上がり――メジロラモーヌとスレイエメラルドが、並走のごとく先頭を切っており、追い抜くには少しばかりリスクが伴う状況だった。
況してや序盤も序盤、無理をして体力を浪費することもない。
穏やかな展開に見えたのは――誰もがタイミングを見計らっていただけの話だったのである。
それを、ラモーヌが一人抜け出したことで崩していた。
『壁』が一枚となり、抜きやすくなったのを見て――
誰もが一斉に動き出した。ただそれだけのこと。
――レースに慣れていない彼女では。
それにすらも理解が及ばないのだ。
担当は、頭の中で、彼女に語り掛ける。
スレイエメラルド――お前のことは事前に色々調べたが。
なるほど確かに優秀だ、と。
個の力だけで見れば、中央の中にあったとしても、間違いなくトップクラスに食い込めるほどの優等生だ、と。
だがそれは、飽くまで『能力』という物差しで見た場合の話。
レースという『競技』で見た場合は――また、話が違ってくる。
『バカウマ、』
担当は、あの日。ファミリーレストランで、アリオンと話したことを思い出す。
『
『へ?』
『お前の言う通り、素の
レースに絶対はない、とは言うし、事実現実はその通りだ。下克上――明らかな格上の存在が、格下の存在に負けることはよくあること。
ならば、その根幹たる理由とは何なのか。
『答えは
担当は、程なくそれを言った。
『レースは――
競レースは――
まず、1対1で催されることはない。
以前のトウカイテイオーとの決闘のように、特殊な形式でなければ有り得ない。
対戦する相手が何人、十何人もいるのが普通だ。
ともすれば、生じる状況は多様。
全く同じ内容など、ひとつとして無い。
確実に予想出来ることも――無い。
『何人もの選手の思惑や戦術に加えて、バ場の状態、天候、運までもが複雑に絡み合い、無限の選択肢を、常にあたしたちに突き付けてくる』
だからこそ、強者も、絶対を証明できない。
だからこそ、常に勝ち続けることは――
この上ない困難が伴う。
『レースっていうのは、そういうもんだ』
決して。
『遊び』などではないのだ。
『そんな極限の状況の中でも、最速で、最善の選択をし続けられる、イカれた連中のことを――
あたしは、
『プロフェッショナル』と呼ぶ』
……担当は、頭の中で語りかける。
スレイエメラルド――お前のことは事前に色々調べたが。
なるほど確かに優秀だ、と。
個の力だけで見れば、中央の中にあったとしても、間違いなくトップクラスに食い込めるほどの優等生だ、と――
――
「――そら」
その証拠とばかりに。
彼女は、誰にともなく呟いた。
「抜かれるぞ」
瞬間――
サファイアアリオンが。
スレイエメラルドを、追い抜いていた。
以前、簡単に、叩き伏せたはずの相手が。
逆に簡単に、追い抜いていた。
「――……」
その状況に――
スレイは、目を見開く。
背後へと、肩越しに視線をやったアリオンは。
その時、含み笑いを見せ――
「――、」
『べ』、と。
舌を突き出していた。
そしてそのまま――
彼女を置いてきぼりに、前へと突き進んでいた。
↑UP! 8th サファイアアリオン
↓DOWN... 9th スレイエメラルド
「――くそ」
その現実に。
スレイエメラルドは、奥歯を噛み締め。
「――くそおぉぉぉぉぉぉッ!!」
悔しげな慟哭は――
無残にも、バ群の中へと埋もれていった。
すごい、と思った。
本当に、トレーナーさんの言う通りになった、と。
『そういうわけだから、今回、たぶんスレイエメラルドは問題にならない』
今日のレースの前日――
ミーティングで、彼女はそんなことを言っていた。
『奴の経歴を見たが、最後にまともなレースに参加したのは初等部だ。たぶんアシカガトレセンでの授業の一環だろう。嘗めてるわけじゃないが……プロでも通用するようなノウハウを、そこで教わったとは思えない』
『毎度思うんですけど、トレーナーさんってどこからそういう情報仕入れるんですか』
『だから、お前が意識すべきなのは、他の先輩や同輩の方だ』
清々しいまでの無視、懐かしさすら感じるその対応に、私は思わず肩を竦めた。
『全体的に戦術傾向は『前寄り』だ。後方戦術は、お前も含めて五人ほどしかいない。……そしてその内訳も、歴史に名を残している名バ揃いと来てる』
メジロマックイーンとミホノブルボンに、辛酸を舐めさせた『黒い刺客』。
大胆な戦術を『ワープ』とまで称された『不沈艦』。
そして、期待の『女王の後継者』と目される『新鋭』。
『選手層を意識しているのは向こうも同じだ。それだけに、あっちも動くことに慎重になるだろう。レースが本格的に動くのは、終盤になる可能性が高い』
……裏を返せば。
『レースが動いた頃には、手遅れになっている可能性が高い』。
だから、と彼女は言った。
『今回は――早めに仕掛けろ』
『もちろん、それだけで勝てるほど、先輩連中は甘くないだろうが――』
『試みとしては、悪くないはずだ――』
「……」
具体的にどれくらいのタイミングかは教えてくれなかった。いつもの『教えなーい』、だ。ただ私も、いくつものレースを経て、それなりに戦術眼が磨かれてきたと自負してる。
仕掛けるべきタイミングくらいは――もう、見極めることは出来る。
……レースは1コーナーに差し掛かる。
そう、レースで順位が変動しやすいのは、何よりもコーナー。
早めに仕掛けるなら。そうでないと、手遅れになるのなら――
「――ッ!!」
――ここ。
2コーナーしか、ない!
もちろん、それは私の考えの一つでしかない。もしかしたら、大外れの場合だってある。ただ、それだって試行のひとつだ。
出来るか出来ないか、を考えるよりも。
まずは、とりあえずやってみることから――!!
だから、脚に力を入れる。だから、行くべき道を見極める。
ちょうど先団に偏りが見られ、外側に隙を見つけた。
光の筋のように見えた、その道へと――
一気に、飛び出した――!!
――その。
瞬間だった。
「――!?」
私とちょうど同じタイミングで、漆黒の影が動き出す。
近くを走っていたライスシャワーさんが、
私の隣に、並んでいた。
→KEEP 8th サファイアアリオン
→KEEP 8th ライスシャワー
「え!?」
「へっ……!?」
頓狂な声と、戸惑いの目線が、ほんの一瞬だけ交錯した。
……そう、見間違いでも、勘違いでもない。
私が飛び出した瞬間――ライスシャワーさんもまた、飛び出していたのだ!
あんな声を上げるのだ、たぶん狙ってのことじゃないだろう。そして私もまた、そんな展開など狙っていない。
偶然にも――かの大先輩と、進路が重複してしまったのだ!
その事実を認識した時、永遠の刹那の中で、いくつもの思考が巡る。
まさか被るだなんて、とか。
ある意味いい兆候かもしれないな、とか。
――このまま行けば、接触しかねない。
ここは一旦、道を譲るべきなのか、とか――
ライスさんも同じ気持ちだったのか、その顔が、驚愕と、困惑、そして躊躇に染まる。なんとなく、私と同じ結論に達したように思えたけれど――
……それもまた、一瞬だった。
「!」
彼女の瞳が、鋭く光る。
闘志に溢れた瞳で、私に、言外に、強く訴えかけてくる――
――そこを退け、と。
――私が先に見つけた道だ、と。
「……」
もしかしたら、それこそ勘違いだったのかもしれない。
高揚した私の精神が、拡大解釈した結果だったのかもしれない。
それでも、そんな話は関係なくて……拒否とか承諾とか、そういう選択よりも先に、私は口角が上がるのを感じていた。
そうだよね、って。
そうなるよね、って。
だって、これはレースだ。
模擬でも何でも――簡単に譲っていいはずのない、『勝負』なのだ。
景品なんてなくても、賞品なんてなくても。危険を恐れるあまり、手を拱く奴がどこへ行けるのか、って話なのだ――
……そうだ。退くとしたら、私じゃない。
あなたは、そう思っているのかもしれないけれど。
私こそ、だ。
それは、
こっちの台詞、ってやつだ。
――嘗めるなよ。
先に見つけたのは――私の方だ。
退くのは――
オマエの方だ――!!
「――ッ!!」
だから――行く。
退くことなく、躊躇うこともなく。
私は、フルスロットルで、その道を行く。
そして、それに呼応するように。
ライスさんもまた、似た位置取りで、私に肉薄してくる――!!
「……ははっ」
……あぁ、やばい。
思わず、笑っちゃった。
そうだ、そうだよ。『勝負』ってのは、こういうものだ。
こうでなくちゃ、
何にも、面白くない――!!
「――あはっ」
……などという、浮かれかけた思考を。
「楽しそうだねっ、二人とも!」
人懐っこい声が、切り裂いていた。
「――マチタンも混ぜてよっ!」
「!」
我先に走る私たちに――
マチタンさんが、追い縋っていた。
→KEEP 8th サファイアアリオン
→KEEP 8th ライスシャワー
↑UP! 8th マチカネタンホイザ
「……ははっ、そんなにトばして大丈夫ですか、先輩!」
「いやいや! こんなに楽しいレース――全力でトばさずにどうしますかぁ!」
本当に心底に楽しげに言うマチタンさん。
私の印象としては、彼女は朗らかで愛らしい子。
闘志とは無縁そうに見えたんだけど――やはりそこは、同じウマ娘ってことか……!
「――楽しいとか楽しくないとか、」
そして――そして、状況の変化は、それだけで終わらない。
「もっと真面目にやりなよ――」
冷徹なまでにクールな声は、私たちの間をすり抜ける――
「――これは、レースなんだから!」
「!」
――ほぼ一丸となっていた私たちを。
メジロドーベルさんが、追い抜いていた。
↑UP! 7th メジロドーベル
↓DOWN... 10th サファイアアリオン
↓DOWN... 10th ライスシャワー
↓DOWN... 10th マチカネタンホイザ
「お~! さすがは期待の新人! 鮮やかな抜きっぷり!」
「そんな見え透いたお世辞――聞き飽きたわ!」
「……、」
……すごいな、ドーベルさん。
レース前の、消沈した姿が嘘みたいだ。こうして一緒に走るのは初めてだけど……『後継ぎ』の名は伊達じゃない――!
――はは。私だって、
私だって――!
「――そーそー、全くもってその通り」
なんて、意気込みかけた私の思考に――
更に別の声が、割り込む――!
ドーベルさんをも含んだ、四人の間を。
白い閃光が迸った。
「模擬でも何でも――れっきとした勝負だよ!」
眩く映える白い衣装――
テイオーさんだった。
↑UP! 7th トウカイテイオー
↓DOWN... 8th メジロドーベル
↓DOWN... 11th サファイアアリオン
↓DOWN... 11th ライスシャワー
↓DOWN... 11th マチカネタンホイザ
突然に生じ始めたその変化に、サクラチヨノオーは戸惑いを隠せなかった。
「……!」
五人もの選手が、我先と争いながら迫るその様子は、もはや恐怖ですらある。
ただ、だからといって、簡単に前を譲るわけにはいかない。だから彼女も、必死に足を動かし続けるが――
元々が中距離向けの彼女だ。ペース配分、という概念が、そこまでの疾走を阻んでしまう。
「――っ」
結果として――
まんまとその五人へ、前を明け渡してしまった。
↑UP! 6th トウカイテイオー
↑UP! 7th メジロドーベル
↑UP! 10th サファイアアリオン
↑UP! 10th ライスシャワー
↑UP! 10th マチカネタンホイザ
↓DOWN… 11th サクラチヨノオー
「……、……」
サファイアアリオンは――
今回集まった面子の中でも、とりわけ仲がいいはずの彼女は、チヨノオーに目もくれなかった。
正確には、あまりに激しい競争に、目をくれる余裕がなかったのだが――
彼女の目には、そんな風に映ってしまう。
どうして。
最初に思ったのは、それだった。
模擬レースだからと言って、手を抜かない。それはトレーナーと事前に示し合わせた。
その通りに自分だって、全力で、全霊で、このレースに臨んだつもりだった。
だというのに――始まってみれば、展開はこんなもの。
未来を約束したはずのライバルは、今やはるか遠くを走っていて――
どうして。
ただ、行く宛てのない問いかけだけが、ふわふわと宙に浮かぶ。
どうやって。
ただ、答える者のない疑問だけが、ふわふわと宙を漂う。
「……!」
その末に――
チヨノオーは、気付いていた。
彼女の想いに。彼女の願いに。
その、彼女の全力の先にある――
大きな夢の、存在に。
そして、その気づきが。
じわりと、滲むように、彼女の心を侵していた。
「――、」
一方――
そんな彼女らの、さらに後方。
激化するレースを、冷静に見守っているのはルビーフェアだ。
『普通』のレースに参加するのが初めての彼女ではあったが、『同じ』レースであることに変わりはない。
むしろ、ダーティな手が使われない分、楽に感じてすらいる。
ただ、そうは言っても、相手は自分では及びもつかないほどの熟練者たち。
素直な手だけでは、食らいつくにも限界があるだろう。
特に――自分よりも少し前を走る、赤色の衣装。
ゴールドシップの動きからは、目が離せないと感じていた。
彼女の強さに関しては、よく知り及んでいる。
熟達した選手でも予測の難しい走りに、簡単に対応出来るとは思えない。
何があってもいいように。どんな走りをされても構わないように。
常に、警戒を怠らないようにするのだ――と、自分に言い聞かせる。
そして――そんな彼女の、真反対。
なんとか先団に食らいついているのは、セイウンスカイだ。
いつでも省エネ、尻尾の向くまま過ごす彼女でさえ、このレースには真面目に臨んでいた──少なくとも、開始直後までは。
しかし2コーナーを抜けて今、レースは進み、先輩たちが本領を発揮し出すと、途端に闘志が萎縮し始めるのを感じた。
彼女の中の、卓越して冷静な思考が、諭すように語りかける。
──本気でやって、意味があるのかと。
──そもそも元々、勝ち目のない試合だろうと。
勝負服。ウマ娘の魂の再現たるその衣装は、着用者の潜在能力を引き出すことで知られる。
そもそも、学校指定のジャージを着ているだけの自分たちに、勝てるような条件は揃っていないのだ。
……体力の浪費だ。
そこまで死力を尽くすこともない。
ならばいつも通り、いい具合に手を抜いて。
それなりの結果で「とかって」
「頭痛いこと考えてんじゃないの?」
「!」
そんな彼女の思考を切り裂いたのは。
隣に並んだ、ナイスネイチャの声だった。
→KEEP 4th セイウンスカイ
→KEEP 4th ナイスネイチャ
「わかるよ、聡明な君のことだからね。こんなとこで全力出しても……って考えたくなる気持ち」
大筋で彼女の考えに同意しながらも──
ネイチャは言う。
「でもさ。これは模擬レースで──勝っても何も無いけど、負けても何も無いってこと」
だから、手を抜かなかったところで。
ダメなことなど、何も無いということ。
「──全力で来な」
だから──
ネイチャは言った。
「胸、貸したげる」
挑発するように。
人差し指を、前後させながら。
「……」
そうして、いとも簡単に前に出たナイスネイチャを見て、スカイはほんの少しだけ呆然とする。
悠然なまでに走り去ろうとする背中に──
「──上等ッ……!」
眠りかけていた闘志が擽られ。
文字通りに、脚に全力を込めていた。
そうして、レースは白熱する。
模擬という形式もどこへやら。
選手のやる気も、観客の熱気も、公式のレースと遜色ないものへと変貌していく中で──
スレイエメラルドは。
現状に、顔を顰めていた。
↓DOWN… 14th スレイエメラルド
もはやその状況は、自身の状態だけでは説明がつかない。
勝負服という『バフ装備』を身に付けた先人が同席しているにも関わらず、それ以外の生徒──とりわけ、よく見知った親友は、恐れることなく食らいついている。
それどころか、彼女らに肉薄出来るほどに、『ちゃんと』競り合えている。
それだけ常識外れな走りが出来るのも、ひとえに相応の目的を持っているからだろう。
壮大な夢を。
途方もない、例の目標を──
「っ……!!」
ふざけるな、とスレイは気を入れ直す。
こんな展開、簡単に認める訳にはいかない、と。
以前のように。あの時のように。今度こそ彼女の意志を挫くために、こうして忙しい間を縫ってやって来たのだ。
何も成せない、何も果たせない。それどころか、自分の今後が不利になる条件を呑む結果に終わる訳には──
──いかない。だから、脚に力を込めようとした。
とにかく前へ出ようと、今一度、真剣に走ろうとした。
──そんなに必死になって、どうする?
その時──
頭に帯び始めた熱を覚ますように、色のない声が聞こえた。
いや──実際には、そのような声は、誰からも発されていない。水を打ったように澄んだ、はっきりとしたその声は、彼女の頭の中にだけ響くものだった。
つまりは、スレイの中の、冷静な部分からの呼び声だった。
それに影響され、彼女は急速に冷静になる。
そうだ、と、言い聞かせるように納得する。
こんなことに必死になってどうする。
負けたっていいじゃないか、と。
例の夢だって、自分が学園に入ってレースに付き合えばいいだけ。
何もそこで優勝しろ、と言っている訳では無い。
それに、トレセン学園は、レースに対して厳格であると聞く。
適当にやって退学するように仕向ければ、そのくだらない夢からも離脱出来る。
如何様にも、やりようはある。今日のレースなど、単なる儀式でしかないのだ。
ならば――
……今負けたって、いいじゃないか。
放棄したって、いいじゃないか。
そこまで熱くなる理由なんか、
ないじゃないか──
「……、」
そうだ。
こだわることは無い。
既に夢なぞ棄てた、縋らずに、自分は大人になる道を選んだのだ。
何を躊躇う必要がある。
何を慮る余地がある。
何も躊躇う必要は無い。
何も慮る余地は無い。
自分の使命のために。課せられた責務のために。夢など見ずに、現実を生きよう。
こんな浮ついたお遊びなど。
もう、終わりにしてしまおう──
──
──、
そうなのに。
それ、なのに。
「……ッ」
……私は。
どうして私は。
どうして、私は。
今になってもなお、
こんなにも──
「──ごきげんよう」
その時。
そんな彼女の思考を、やんわりと遮る声が聞こえる。
ふわりと揺れる、長く豊かな鹿毛。
メジロブライトだった。
「ふふっ、皆さま、やる気に満ち溢れていて、よろしいですわ~」
メジロブライトは、それまでと変わらぬ調子で走りながらも、マイペースに柔和な声で語っていた。
「たかが模擬レース、されど模擬レース――私たちは、やはり生来競うことに真っ直ぐでありますの。得るものがなかろうと、失うものも無かろうと、こうして本気で競ってしまうのは、運命みたいなものなのでしょうね~」
その優しげな瞳が――
緩く、スレイエメラルドを貫いていた。
「……ですが、あなたは、そうでないように見えますわ」
どこか達観したように──
息を吐き、彼女に続ける。
「難儀なものですわ。難しいことなどかなぐり捨てて、目の前のことに全力を注いでしまえばいいといいますのに」
「……どういうことですか」
そんなブライトに――
スレイは、苛立たしげに言った。
「私が……我慢しているとでも、言いたいのですか」
対してブライトは、微笑むだけ。ただ、答えとしては、それだけで十分だった。
その間にも、レースは進み。
熱気は高まっていく。
「──ふざけるな」
途端発されたスレイの言葉は──
高まった熱に、当てられたようにも思えた。
「なんだそれは、ふざけるな!」
ブライトのその推測は、スレイにとって不愉快でしか無かった。
感情の向くまま激昂し、正面から否定に走る。
ふざけるな。
ふざけるな、と。
こんなもののために、自分がムキになっていることを──
彼女は、認めたがらなかった。
なぜなら、そのような浮ついた心など。
持ってはならないからだ。
そんな『子供じみた』考えなど。
既に、棄てたはずだからだ――
「……ふざけてなどいませんわ」
知ったような言葉を投げかけたブライトに対して、
噛み付くように反論した、スレイに――対して。
「ふざけているのは──あなたです」
ブライトは。
飽くまで、冷静に、応じる。
「可愛くありませんわね〜。素直に認めれば、こんなにも苦しむことは、ありませんのに〜」
「知ったような口を叩くな! 私は元よりこんな遊びは─」
「では、お聞きしますが」
いつも通りの、人懐っこい声で。
ふわふわと、やんわりとした様子で。
「──あなたはなぜ、まだ走っているのです?」
しかし──先鋭な言葉は。
スレイの胸を、音もなく貫いていた。
「レースをお遊びだと仰るなら」
最初から、
受けなければいいのに、と。
「……往生際が悪いお方ですわ」
それを皮切りに。
火がついたように、ブライトの声から、いつもの調子が失われる。
「結局のところ、突き詰めればこんなものは──ガキの喧嘩なのですわ」
普段の振る舞いなど、まるで嘘のように。
声を。
言葉を──
連ね始める――
「だから、ターフの上では誰もがガキになるのですよ。私も──あなたも。闘争の本質ですわ。
『それを倒さなくては自分になれない』。そのために何もかもをひっくり返して叩き売りですわ。
『皇帝』も。『ターフの演出家』も。あの『怪物』でさえも!
闘いたかったのでしょう? でなければ、一歩も進めなくなったのでしょう? 進む術も知らないのでしょう?
──無用者になるのが怖いか!! 衰えが怖いか!! 忘れ去られるのが怖いのか!! 使命? ――ふざけるな!! ふざけているのはあなただ!! 私はガキだ。あなたもガキだ。生まれてこの方、何ひとつとして変わらない、痩せっぽちのガキだ!
さぁッ!! おいでクソガキッ!!」
銃弾の雨のような言葉の数々を受けて、スレイは呆然とする。
そんな彼女が正気に戻るのを待たずして、ブライトは速度を上げる。
遠ざかる背中を見て――
あからさまに挑発されて――
彼女もまた、何もしない、ではいられなかった。
――目の前には、多くのウマ娘がいる。
自分の使命を思い出す。
――彼女らは、スレイには目もくれずに、前へ、前へと走っている。
自分の責務を思い出す。
――一切振り向かず、ただ前だけを向いている。
何をするべきなのか、
何をしたかったのかを、思い出す――
情けない現状を鑑みると、ふつふつと、怒りと悔しさの入り混じった感情が湧き上がってきていた。
こんな遊びに本気になることはない。
こんな夢に付き合う必要などない。
頭ではわかっていても。冷静に分析出来ていても。本能はそれを否定してやまなかった。
冷徹になろうとする彼女に――
強く、強く、望んでいた。
――走れ、と。
行け、と――
「……けるな」
彼女は口にする。
そう――自分の使命は。果たすべき責務とは。
誰よりも、『先行』すること。
未来へと向けて、誰よりも先頭に立ち、走ること。
……なのに、この様はなんだ。
「ふざけるなっ……」
もうなんでもいい。
もうどうでもいい。
ただ、ただ、頭の痛い冷静さのために、敗北の屈辱を受け入れてたまるか。
私は、
私は――
一番でなくては、
ならないのだ――……!!
「私の前にッ
立つなあぁぁぁぁぁッ!!」
少女は咆哮する。
激昂するように、絶叫する。
そして、脚に強く力を籠め、疾走を始めた。
……喰らってやる。
コイツら全員――
喰らってやる、と。