16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

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彼方、その先へ…

 自分が特別だということには、物心つくころには気付いていた。

 国語、数学、科学、化学、物理、生物、エトセトラ、エトセトラ――

 幼くして、膨大な量のあらゆる知識を、スポンジのように吸収して。

 幼稚園児でありながら、何年も先の物事を理解していた。

 

 神童。

 天才。

 

 大人たちは、私のことをそう持て囃した。

 きっと素晴らしい子になる――誰もがそう信じて疑わなかった。

 

 だからこそ、自己研鑽を、ひと時も怠ったことはなかった。

 それはもちろん、運動も同じで。

 どんなものでも一番だったし、最強だった。

 私に敵はなかったし。

 だからこそ。

 味方も、そういなかった。

 

「……ねー、スレイちゃーん」

 

 運動は、それほど自分の身になるものではない、と考えていた。

 そんなものにかまけるくらいなら、勉強して、知識を修めよう。

 自身の種族を考えたら変わっているけれど、悪気があったわけじゃないし、誰かと付き合うのが面倒だったわけでもない。けれど、周囲にはそうは映らなかったようだった。

 

「ねーってばー」

「いーよ、いこ。どーせ付き合ってくれないんだから」

「つまんない。がりべん。どーせまけるのがこわいんだよ」

 

 

 

「――おくびょーもの」

 

 

 

「……」

 

 ……誰かを見下したことはない。

 バカにしたこともない。

 自分にはやることがある。

 だから、一心にやり続けただけなんだ。

 

「――おとうさま」

 

 なのに。

 

「ん? どうしたスレイちゃん」

 

 なのに……

 

「……スレイちゃん?」

「わたし……おくびょうじゃないよ」

 

 どうして。

 

「わたし……にげてないもの。みんなのために、このよのために、みんながしないようなこともやってるの」

 

 どうして……

 

「にげてないよ。みんなのために、いっぱい、いっぱい、がんばってるんだよ……

 

 なのに……なんで……

 なんで、あんなこといわれなくちゃ、いけないの……?」

 

「……スレイ……」

 

 ……号泣する私を見かねて。

 父は引っ越しを決意した。

 それは療養を目的とした一時的なもの。

 都心の喧騒から遠く離れた、自然に恵まれた田舎町。

 そこの、寂れた学校に、私は通い始めた。

 

「……」

 

 雑音とも。

 騒音とも。

 ……嘲笑とも。

 無縁の、新しい世界。

 そこでも私は、しかし、何にも邪魔されずに。

 相変わらず、勉学に励んでいたのだけれど。

 

「――っ」

 

 外。

 あまりにも室内が暑いものだから、まだ風の吹きつける外のがマシだ――と、木陰で読書をしていたら。

 突然、ボールが飛んできて、頭に当たっていた。

 

「――あ、わりーわりー!」

 

 真っ赤な髪をしたそいつは。

 悪びれもせず、笑いながら言った。

 

「ちょっと手元が狂っちまって……あ、ってかちょうどいいや! 今ちょうど人が足りないんだよ。付き合ってくんね?」

「……」

「ん? あれ聞こえてるよな? おーい、もしもし? ドッヂボール付き合ってほしいんですけども。キコエテマスカー?」

「……興味ありません」

「はぁ?」

 

 そう返して、ボールを投げ返すと。

 その子は不機嫌そうに舌を鳴らす。

 するとそこに、栗色のポニーテルの子もやってきて。

 そこで、話し出す。

 

「……ったく。付き合い悪いな」

「どうしたの、フェアちゃん」

「あー、なんでもねー。いいや別に。『がり勉』はずーっとそこで本読んでろってんだ」

 

 

 

「――この臆病者」

 

 

 

『おくびょうもの』

 

「――っ」

 

 ……その頃の私には。

 既にその単語は、禁句と化していた。

 

「――貸しなさい」

「あ?」

「叩きのめしてやるから、貸しなさいと言ってるんです」

 

 まぁそんなわけで、ドッヂボールに参加して。

 本当に滅茶苦茶に叩きのめしてやったわけだが。

 

「――!」

「――……」

「――……!」

「――」

 

 そんな風に、奇妙な繫がりが出来て。

 たびたび煽られてはアツくなり、ボコボコにし……なんて日々が、続いたのだけれど。

 ――もう、そんな風にアツくなるなんて。

 二度とないだろうと、そう、思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 でも、そんな日々は。

 そんなあれこれは――確かに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 確かに。

 楽しかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さてどうしたものか、とイクノディクタスは考えていた。

 今回のレース、手を抜いて臨むつもりはなかったが、その展開は、自身の想像していたものからは大きく逸脱していた。

 ここのところのトレーニングの成果を確認するいい機会になるだろう――カノープスの面々は、始まる前こそ和気藹々としてすらいたというのに。

 ……今となっては。

 

「うおぉぉぉぉッ!! 譲らない!! 譲ってたまるかぁー!!」

 

 ツインターボは、決死の表情で3位を守り続けており。

 

「ほらほらどーしたの!? 逃げウマがそんなんで務まるのかなぁ!?」

「ちょっと、黙っててくれませんかねぇ……!!」

 

 ナイスネイチャは、柄にもなく後輩を挑発している。

 

「あははははははっ!!」

 

 マチカネタンホイザに至っては、心底楽しそうに哄笑を続けるばかりだ。

 

 やれやれ、とイクノディクタスは、自身の眼鏡を指で押し上げる。

 こうなってしまっては、一歩引いて冷静になっている方が恥ずかしいというものだ。

 もはやほどほど、などという手加減は無用――

 

 本気になるか。

 やる気になるか。

 そう考えて、本腰を入れようとした――

 

 ――その時だった。

 

「――ッ!?」

 

 ぞくり、と、背筋をなぞられるような悪寒と共に――

 背後へと振り返った――と共に。

 何かが、自分の傍らを通り過ぎる。

 

 ひとつながりに成ったように。

 メジロブライトとスレイエメラルドが、イクノディクタスを追い抜いていた。

 

 

↑UP! 14th メジロブライト

↑UP! 14th スレイエメラルド

↓DOWN… 16th イクノディクタス

 

 

「……」

 

 イクノディクタスは、その光景をしばし呆然と見つめていたが。

 

「……はは」

 

 ひとつ、小さく笑うと。

 

「そうこなくては!」

 

 引っ張られたように――改めて、そこから走り出す。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 後方から状況を見守っていたルビーフェアは、そろそろ頃合いか、と考え始めていた。

 レースも直に終盤戦、そして自分は追込戦術。一瞬の判断で一気に勝利が遠のいてしまうということは、曲がりなりにもレースを走ってきた分、自覚出来ていた。

 ここで仕掛けなければ、このレースで勝つことは愚か、上位に食い込むことも難しくなるだろう、と。

 

 しかしコース取りには注意しなくてはならない、と冷静に考えてもいた。

 なぜなら、今回のレースは2周半。

 同じ道を、二度も走る関係上――

 どうしても、誰もが走りやすい『内側』は、コースが荒れ気味になるからだ。

 

 実際、最適解であるルートは、元の形など見る影もなくなっている。

 無理矢理押し通ることは出来るだろうが、それが勝利を確約するものでもない。

 荒れたコースを走るのには慣れているが――敢えてそれを選ぶ理由としては弱かった。

 

「……、」

 

 大丈夫。

 体力は残っている。やる気もある。『外側』からでも十分に切り裂けるはずだ。

 自分を鼓舞するように。言い聞かせるように考えたフェアは、ルートを再度確認し。

 そこから、力を入れようとする――

 

「――いい目をしてんな」

 

 そんな思考に――

 勝気な声が割り込んだ。

 方角は自身の傍。

 揺れ動く、長く綺麗な芦毛――

 

「お利巧さん、って言うべきか? それで中央生じゃねーなんて、もったいねーぜ」

 

 ゴールドシップは――

 皮肉るようでもなく、嘲るようでもなく、本心からそう思っているかのように、彼女に言う。

 フェアは、その突然の称賛の言葉に、やや動揺してしまったが――

 

「けど、レースってのは真剣勝負だ」

 

 ゴールドシップは言う――真剣勝負だからこそ。

 お利巧だから勝てる、というわけではないのだと。

 

「教えてやるよ、」

 

 だから――と。

 その口元を、楽しげに歪めた。

 

『追込』(アタシら)の、何たるかってのをな!」

 

 そして――

 走り出す。

 力強く、飛び出すように、向かう先は――

 

 内側。

 一周目にて、既に荒れに荒れてしまった、無謀にも見えるコースだった。

 

「――!?」

 

 フェアは、その選択に目を見開く。

 何をしてんだ、とすら考える。

 そんなコース取りをしてしまったら――

 取り返しのつかないことに、と思うが。

 

 ゴールドシップは、行く。

 止まらずに、悪路を突き進んでいく。

 そこに恐れは見られず、減速もほとんどしない。

 普段からそういう道を走っている――と言わんばかりの姿に。

 

「――、」

 

 あぁ、そうだ、とフェアは思い至った。

 

 ブラックレースの時も、思えばそうだったと。

 セオリー通りに。計画通りに。そういう考え方は美しいが。

 かのレースでも、そんな考え方に囚われたものは、簡単に喰われていたと。

 

 いつだって、勝利をもぎ取っていたのは。

 そんな『常識』に囚われない、『自由』な奴だった――と。

 

「――っ」

 

 だから、彼女は改める。

 考え方を変え、その背中を見つめる。

 いいだろう、と脚に力を籠め――

 前方へ駆け出した――

 

 ほかならぬ――

 ゴールドシップの背を追って――!

 

「――!」

 

 その動きは、彼女にとっても想定外だったのか。

 その目が、軽く見開かれる。

 しかし、もう一瞬で、いつもの表情を取り戻すと、

 

「いいぜ、」

 

 言った。

 

「しっかり着いてこい!!」

 

 斯くして――

 二つの赤い影は、荒れ果てたコースを突き進む。

 当然ながら、先団はそのような動きまで予想できておらず――

 特に、トウカイテイオー、メジロドーベル、マチカネタンホイザ、ライスシャワー、そしてサファイアアリオンが構成している集団に、若干の動揺が走った。

 

 かつて、ゴールドシップが、公式レースで披露した『ワープ』の単語が脳裏をよぎり――

 誰もがそれへの対策に、思考のリソースを割く。

 そうなれば当然、その分、現状への対応は疎かになってしまい――

 

「――っ、」

 

 その隙を。

『彼女』は、見逃さなかった。

 

「――見えた」

 

 サファイアアリオンは――

 そうして、本当にほんの少しだけ、足並みが乱れたマチカネタンホイザを、冷静に、追い抜いていた。

 

 

↑UP! 8th サファイアアリオン

↓DOWN… 10th マチカネタンホイザ

 

 

「――あっ!」

「あはっ、油断してるからですよっ!」

「ははっ、言うようになったじゃん!」

 

 マチカネタンホイザの声を背に、アリオンは更に加速する。よし、ともあれよし、と。

 先は長い、前にも何人も人がいる。にも関わらず、レースは終盤。

 ここから一着は難しそうだし、何ならほぼ無理だとすら思う――それでも。

 

 行けると。

 少なくとも、『三着以上』は。

 このまま行ければ、十分に届く――……

 

 

 

「――ダメだよ、アリオンちゃん?」

 

 

 

 ――その時だった。

 そんな、前向きになりかけた思考が、無情に遮られていたのは。

 

「――……」

 

 黒い、青薔薇を携えた影が。

 彼女の傍に、追い縋っていた。

 

「抜けガけは」

「――ッ」

 

 ライスシャワーは。

 レース前の、おどおどとした様子とは似ても似つかない、冷徹な笑顔を浮かべていた。

 

 

→KEEP 8th サファイアアリオン

→KEEP 8th ライスシャワー

 

 

 ――っだあぁぁぁぁッ、もぉッ!!

 

 と、アリオンは心の中で毒づく。

 

 同時に脳裏をよぎるのは、数年前の、ライスシャワーの『下克上』だ。

 当時のレース界隈の盛り上がりには、未だ賛否両論あるものの、どちらにしても、その一件は、彼女の名を広く世間に知らしめた。

 

 今、その張本人に張り付かれているという事実に、アリオンは怖気を抱くと共に――

 少し、嬉しくもなっていた。

 

「――こ」

 

 なんとも。

 これはまた、なんとも、と。

 

「光栄ですねっ、偉大な『悪役』に付け回されるとはっ!」

「お褒めいただき光栄だよ――『悪役』さん」

 

 だがまずい、これはまずい。

 上向いていた彼女の思考に、焦燥が割り込む。

 既に引退した身とは言え、実力の上では、未だライスシャワーの方が上であることは疑いようがない。

 このまま競り合っても、いい結果に繋がるとは考え難い。

 さっさと勝負から降りるべき局面かもしれないが――マチカネタンホイザや後団が迫る中で、そのような選択も安易には出来ない。

 かといってこのまま走り続ければ、いずれは限界が来て抜かされてしまうだろう。

 そうなれば、勝負は目も当てられない結果に――

 

「――っ」

 

 くそ。

 どうすればいい。

 こんな時、どう対応するのが、正解なんだ――

 究極の選択を突き付けられる最中――

 不意に、先団に変化が生じた。

 

「――、」

 

 それは、彼女らの少し前。

 それまで、順調にはためいていた純白のマントが――

 トウカイテイオーが。

 

「……っ、」

 

 急激に、減速したのだ。

 

「!」

 

 突然の出来事だったものの、本人が内ラチに寄ったことで、大事故には繋がらなかった。

 だがその事態に、驚かないわけにもいかない。

 アリオンは思わず、通り過ぎ様、視線を向けていた――

 テイオーさん!? ――と。

 

「――」

 

 刹那――

 彼女と、目が合う。

 その表情は、苦痛と悔しさに滲んでいながらも――

 闘争の火は消えておらず。

 

 ――行って。

 

 そう、言外に訴えていた。

 

「……」

 

 一瞬の思考――

 アリオンは、追い込まれた状況に。

 困惑していた自分を恥じていた。

 

 そうだ、困惑する必要などない。

 躊躇することもない。

 手を抜いて、中途半端にやって、無様に負けるのが一番ダサいのだ。

 

 真剣勝負。

 真っ向勝負。

 どうせ失うものはないのなら――

 

 全力で、

 ぶつける――!!

 

「――ッ!!」

 

 行く。

 黒い刺客の突き付けた試練に、果敢に立ち向かう。

 

 そして――その後方。

 

「――!」

 

 事態を把握したゴールドシップは、緩やかに減速する。

 それを察知し、追い抜いたルビーフェアも、アリオンと同じように視線を向けていたが。

 ゴールドシップもまた、テイオーと同じように、目にメッセージを乗せた。

 

 先に行け。

 こっちは気にするな、と。

 

「――オーケー」

 

 アリオンと比較すると――

 フェアは、些かさっぱりしていた。

 彼女の思考を読み切ったわけではないものの。

 ゴールドシップからの想いのバトンを受け取り――

 先へ、先へと進む。

 

 入れ違いに、後方へ下がってきたテイオーを。

 減速したゴールドシップが、優しく受け止めていた。

 

「お疲れ」

「……、ゴルシ……」

「だーから無茶すんなっつったのに」

 

 疾走は、やがて徒歩になる。

 声掛けにテイオーは悔しげに唇を結ぶが、ゴールドシップは、それを呆れることも責めることもない。

 

 ただ、彼女の身体に手を伸ばすと――

 

「――よっ」

「ひゃわっ!?」

 

 軽々と――いわゆる、『お姫様抱っこ』をしたことで。

 テイオーの口からは、頓狂な声が飛び出す。

 更に器用にも、そのまま素早くコースの外まで離脱してみせていた。

 

「ち、ちょっとゴルシ! 大丈夫だって! そこまでしなくても……!!」

「悪いけど、その言葉は聞けねーなぁ」

 

 暴れるテイオーを、ゴールドシップは言葉で制する。その目は、高速で走り去っていく集団に向けられており、口端も、楽しそうに緩んでいた。

 

「病み上がりなんだから、大人しく運ばれとけ」

「……」

 

 その真っ直ぐで、男勝りな優しさに、テイオーも観念する。

 

「……ん」

 

 頬を赤らめながらも――

 小さく返事をした。

 

 

×RETIRE トウカイテイオー

×RETIRE ゴールドシップ

 

 

「そんじゃ、ゆるっと戻るとするかぁ」

 

 ゴールドシップは言う。

 どうせ急いだところで、レース中の同輩たちに追いつくことはない。

 それに今、棄権者を扱っているのだ。手荒に進むわけにもいかない。

 

「誰が一着になるか、予想しながら行くか!」

「……まぁ、そうだねぇ」

 

 小さく息を吐いたテイオーは、まぁ、何もしないよりはいいだろうとそれに同意する。

 

「ボクからしたら――」

 

 だから。

 早速とばかりに、自身の予想を口にしようとした。

 

『――!?』

 

 その時だった。

 

 そんな彼女らの傍を、三つの影が――高速で通り抜けたのは。

 

 呆然とそれを見送った、二人分の視線。

 その果てには――

 

 緑がかった黒髪が、踊る。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 異常を感じていた。

 いや、何か大きな動きが起きている、とは、メジロドーベルは、肌で感じてはいた。

 しかしそれは特筆すべきことではない。レースは常に動くもので、ひとつひとつの動きに反応していてはキリがない。

 だから誰もが、その場その場で、対応すべき事柄を、対処すべき事態を、一秒一秒選択していくのである。それが勝負というものだ。

 

 だがその時、ドーベルの直感を駆り立てたのは、尋常ならざる本能からだった。

 後方――

 トウカイテイオーが脱落し。

 サファイアアリオンが、ライスシャワーと競り合いながら迫る。

 マチカネタンホイザが、それを追い立て。

 すぐ傍にはルビーフェア。

 

 誰もが相当の走りを以て、一歩でも先へ、半歩でも前へ進もうと、全力を尽くしている。

 それでも、ドーベルの本能が警告したのは、彼女らのことではなかった。

 

 その方角は、更に、後方――

 急速に迫る、また別の影にあった。

 

 アリオンは競る。ライスシャワーと。

 マチカネタンホイザは追う。先の屈辱を晴らそうと。

 ルビーフェアは探る。ここから更に前へ出るには、どうするべきかと。

 

 そのように。

 交錯する、いくつもの思惑を――

 

 

「――退け」

 

 

『彼女』は。

 無情なまでに、切り裂いていた。

 

 

 

「私が通る――!!」

 

 

 

 その場に居合わせた全員が。

 一斉にそちらに振り向いた。

 示し合わせたように――なぜなら、その時感じた威圧感は。

 明らかに無視できないほど――尋常ではないものだったからだ。

 

「ちょ――はぁ!?」

 

 メジロドーベルが。

 

「ちょ、ちょいちょいちょいちょい……!!」

 

 マチカネタンホイザが。

 

「……!!」

 

 ライスシャワーが。

 

「――……」

 

 ルビーフェアが。

 サファイアアリオンが。

 

 誰もが、目を見開く。

 その走りは。

 そう、突如追い上げてきた――『彼女』の走りは。

 

 スレイエメラルドの走りは。

 

 あまりにも――常識破りだったからだ。

 ……彼女は。

 

「……」

 

 迫ってくる。

 

「……っ」

 

 迫ってくる。

 

「……!!」

 

 迫ってくる――!!

 

 彼女ら目がけて、大外を走るでもなく、避けるでもなく――

 

 一直線に。

 一切、

 減速せずに――!!

 

「――ま」

 

 アリオンは、思わず口走る。

 

 待て。

 ちょっと待て、と。

 

 確かに、集団を迂回せずに走れれば、それが最適解だ。実際、名だたるウマ娘の中には、そうした走りを売りにする者もいるだろう。

 

 だがそれらは、特別体格が小さいから出来る事。

 特別体格が小さく、身のこなしに熟達しているからこそ、成せる業なのだ。

 

 それを、スレイエメラルドが。

 小柄とされるウマ娘よりも、一回りは大きい彼女が。

 そのような走りを試みたなら――!!

 

 ――避けるしか。

 ないではないか!

 

「――ッ!!」

 

 あわや接触。

 あわや大事故。

 首の皮一枚で避けた彼女らを尻目に、スレイは走る。

 まだまだ、止まらない。

 

「――すみません、」

 

 ……そして。

 そんな彼女に、付き従うように。

 

「便乗させていただきますわー!」

「失礼しますっ!」

 

 メジロブライト、イクノディクタスが――

 文字通り便乗して、通り抜けていた。

 

 

↑UP! 6th スレイエメラルド

↑UP! 7th メジロブライト

↑UP! 8th イクノディクタス

↓DOWN… 9th メジロドーベル

↓DOWN… 10th ライスシャワー

↓DOWN… 10th サファイアアリオン

↓DOWN… 12th マチカネタンホイザ

↓DOWN… 13th ルビーフェア

 

 

「――んなっ」

 

 その背中を見つめながら、真っ先に声を上げるのはメジロドーベルだ。

 

「何よ、あの滅茶苦茶な走り方……!!」

 

 その内容は――

 抜き去られた誰もの心情を、何よりも如実に代弁していた。

 

 そんな彼女らの想いもいざ知らず――

 スレイエメラルドは、走る。

 

「!」

「ん!?」

 

 競り合うナイスネイチャと、セイウンスカイを。

 

 

↑UP! 4th スレイエメラルド

↓DOWN… 5th ナイスネイチャ

↓DOWN… 6th セイウンスカイ

 

 

 息も絶え絶えのツインターボを。

 

「っ……!!」

 

 

↑UP! 3rd スレイエメラルド

↓DOWN… 4th ツインターボ

 

 

 抜き去り。

 とうとう、先頭を走る二人をも、射程に収めた。

 

 そして――

 そんな彼女を。

 

「――ふふっ」

 

 楽しげに追うのが――メジロブライトだ。

 

 

→KEEP 3rd スレイエメラルド

→KEEP 3rd メジロブライト

 

 

 イクノディクタスは、ツインターボに追い縋った辺りで降り――

 傍を走るのは、今や彼女だけ。

 尋常ではない追い上げ方にも関わらず――

 彼女はなおも、優雅なまでに笑っていた。

 

「さぁ、クソガキさんっ」

 

 ふわふわとした声で――

 呼びかける。

 

「ご気分はどうですか!?」

 

 スレイは答えられない。

 いや――答えない、という表現の方が正しいか。

 彼女の頭には、今や走ることしかない。

 その瞳には、今や目の前のウマ娘しかない。

 耳に入り得る情報なぞ――

 それに関連するものしか有り得ない――

 

 だがブライトは良かった。

 その振る舞いだけで、答え足り得ることを知っていた。

 そんな風に、ある種のトランス状態に至れるほど、一身に走れるということは――

 

 楽しんでいる、

 ことと、同義ではないか。

 

「わかりましたわ、」

 

 だから、言う。

 彼女に、言う。

 

「思う存分――走りましょう!」

 

 自身もまた、それに駆り立てられるように、走っていく。

 

 そして、スレイエメラルド当人は――

 複雑な感情に、晒されていた。

 

 自分は特別な存在。

 使命を請け負った存在。

 それを早くから自覚していたから、自我を抑え込み、やるべきことを特定して、それだけに専心してきた。

 レースも、トレーニングも、通過点でしかなく――

 本気で臨むべきものではないと、考えていた。

 

 ――だが、考えてみれば。

 全て、メジロブライトの、予想した通りだった。

 

 あの日。

 街で彼女に連れ回された、あの日。

 交わした言葉を、思い出す。

 

『あなたは、何に縛られているのですか?』

 

 ……あぁ、そうだ。

 わかっていた。最初から、わかっていたのだ。

 

 自分は何にも縛られていない。何物も、縛ろうとも考えていない。牢獄の扉は開け放たれていて、井戸の外へと続く梯子は常に目の前にあった。

 

 ただ、かつて心に刻んだ誓いが、自分を捕らえてやまなかった。

 長い年月の中で、誓いは使命に変わり。

 やがては信仰じみた呪いとなった。

 自分は何物にも縛られていない。

 自分を縛っていたのは――

 

 ほかならぬ、

 自分自身だった。

 

「……、」

 

 抑え込んでいた本能が、奔流のように溢れ出し、もはや止まらない。

 それまでの抑圧の反動のように、明滅する照明の如く繰り返し訴えかけてきていた。

 

 競いたい。

 戦いたい。

 走りたい――

 

 ――勝ちたい、

 と。

 

 忘れていた感情だった。

 捨て去ったはずの激情だった。

 だが思い出してしまった。触れてしまった。全て、全て――『彼女』が、自分に関わってきたから。

 

 サファイアアリオンが。

 自分の目の前に、再び、姿を現したから――

 

 ……あなたのせいだ。

 あなたのせいですよ、アリオンさん。

 

 あれだけ打ちのめしたのに。

 あれだけ突き放したのに。

 

 それでも恐れず、

 我慢せず、

 諦めず、

 自分に、関わってきたから――

 自分は。

 

 

 

『本能』(自由)という『自由』(痛み)と、

 向き合わなくては、ならなくなった――!!

 

 

 

「……クソ」

 

 憤怒、困惑、後悔、高揚――

 混沌とした感情の激流の中で、それでもスレイは、無意識に言葉を紡いでいた。

 

「クソ、感謝……」

 

 何にしても、本能のままに走るその感覚は――

 彼女が、これまで、感じたことのないものだった。

 

 ――『爽快』、だった。

 

「――っ」

 

 そんなスレイたちの、後方。

 

「ターボはッ、」

 

抜き去られた彼女らも、また。

 

「ターボはッ、諦めなぁーいッ!!」

 

 そのままで、終わるつもりはなかった。

 もはや気力だけで走っている、と言われても仕方がないほど、それでも走り続けることを選んだターボの咆哮を皮切りに――

 

「あはっ、その意気だよターボちゃん!!」

 

 マチカネタンホイザが。

 

「こんな終わり、認めないわっ!!」

 

 メジロドーベルが。

 

「あーもー!! メチャクチャだよっ!!」

 

 サファイアアリオンが。

 

 同調し。速度を上げる――

 

 このまま終わるまいと。

 必死に、追い縋る――

 

「――」

 

 悠然と走っていたメジロマックイーンは、そんな怒涛の展開に。

 思わず青ざめていた。

 その光景は、まるで。

 

 スレイエメラルドが、

 後続全体を、率いているかのようだった。

 

「――っ」

 

 ――ふざけるな。

 

 メジロマックイーンは、心の中で叫ぶ。

 

 ――ふざけるなっ――抜かせませんわよ!!

 

 なんだこいつは。なんなんだこいつは――と焦りながら、スパートをかけ始める。

 さっきまで、あんな走りをしていたというのに。

 取るに足らないと、早々に切り捨てたはずなのに。

 気が付いてみれば――その牙は、自身のすぐ背後にまで迫っている。

 

 尋常ならざる気迫、異常なまでの闘争心。

 殺意にも似た闘志を剥き出しに、ただただ前へと走り続けるその姿は――まるで。

 まるで――

 

 

 

 ――『草食動物』(えもの)を追う、

 ――『肉食動物』(レグルス)――!!

 

 

 

 ――ラモーヌさん……!?

 

 縋るように、マックイーンは目を向ける。

 あなたはどうなんだ、と。

 こうまでなったことのきっかけを作ったのはあなただ、あなたは予想していたのか。

 今のこの状況に。

 一体、何を思っているのか――

 視線を以て。その後ろ姿に、無言の問いかけを飛ばした――

 

「――……」

 

 その思いが伝わったのか。

 ラモーヌは、ほんの少しだけ、顔を背後へと向けていた。

 辛うじてマックイーンが確認できた、その口端は――

 

 

 妖艶なまでに。

 吊り上がっていた。

 

 

「――!!」

 

 ――レースには限りがある。

 前代未聞、とも言うべきその時間は、永遠にも近いように感じられたが――

 それでも、確かに、終わりを告げていた。

 

『――終了ー!!』

 

 再びの空砲。

 そして、間髪入れない、メガホンを通じた西崎の声により。

 誰もがそれを感じた。

 ゴールラインに立った彼の目の前を、参加者たちが通り抜ける。

 

『1着は、メジロラモーヌ! おめでとう! 2着はメジロマックイーン! 3着は……なんと、外部生のスレイエメラルドだ! よくやったぞー!』

 

 西崎は、次々と順位を口にし。場を盛り上げようとするが。

 それは、彼の思うように上手くはいかない。

 

 全員分の順位を告げ終えても――

 観客席共々、場は、パラパラと拍手が上がるだけの、異様な空気に包まれていた。

 

 西崎は――先のレースを、しっかりと見守っていた。

 その身で、どうしてこんな空気なのか……を問うほど、鈍感でもない。

 

「い、いやー!」

 

 それでも、そんな空気を追い払いたい一心で。

 主に観客席に向け、呼び掛けていた。

 

「すっごいレースだったな! みんなも、いい経験になったろ! な!」

『……』

 

 が――同調までもはしない。

 誰もが顔を見合わせ、気まずく笑うだけである。

 観客からしても、それだけ衝撃的だったのだ。

 実際に走っていたものからしたら、その程は、測り知れない。

 

「あはははっ……」

 

 走り終えて――

 尻もちをついたマチカネタンホイザは、息も絶え絶えながら、笑っていた。

 

「いやはやぁ……とんでもないもん見せられちゃいましたねぇ……」

「全くね……レースのセオリーとか、知らないのかっての」

 

 それに呆れたように同調するのは、トウカイテイオー。

 ゴールドシップの腕から開放された彼女は、普通に立ち、歩く分には、支障が無いようだった。

 

「勝つためなら、セオリーもルールもまとめて喰らう『百獣の王』……ね」

 

 結果は残念なものだったが――

 その瞳は、鋭く光る。

 

「……いいね。面白いじゃん」

「……」

 

 付き添うゴールドシップは、そんな彼女に微笑を浮かべる。

 百獣の王――それは攻撃的で、的を射た例えであったが。

 肉食という意味じゃ――お前もそう変わらないぞ、と。

 

「……あの」

 

 そんなゴールドシップに――

 どこか遠慮がちに声を掛ける影がひとつ。

 

「おぉ……ルビーフェア、だったか?」

 

 特徴的な赤髪――

 気付けば傍に立っていたルビーフェアに、ゴールドシップは男前に応じる。

 

「どしたー? もしかしてサインか? あー、悪いな、そういうのは事務所を通してくんねーと」

「いえ……そうじゃなくて」

 

 いつものようにジョークを口にするゴールドシップだったが、ルビーフェアは動じず、冷静なまでに否定する。

 まぁそうだろう、とゴールドシップは納得するものの、確かな答えについては考え至らなかった。

 何の用なのだろうか?

 疑問のままに、小首を傾げた彼女に。

 

「……その」

 

 ルビーフェアは、言った。

 

「実は、お願いがあって」

 

 その一方――

 

「ぜぇー、ぜぇー、ぜぇー……」

 

 そこから、少し離れた場所で。

 ツインターボは仰向けに寝転がり、イクノディクタスの手によって、足を延ばされていた。

 

「ひぃ、ど、どぉだぁ……見たか、ターボの、底力ぁ……」

「見ましたよ。見ましたけど、くれぐれも故障しない程度に頑張ってくださいね」

「ひぃ~~……」

「はい、のびーるのびーるー」

 

 また別の場所では。

 

「……いやぁ、ネイチャさんびっくりしたよ。キミ、案外アツいんだね」

「本当はそうなりたくないんですけどね~、セイちゃんは省エネなんで……」

 

 ナイスネイチャと、セイウンスカイが話し。

 

「……」

 

 また更に別の場所で――

 サファイアアリオンは、悔しそうに座り込んでいた。

 結果的に、下から数えた方が早いくらいの順位に終わってしまった事実に――意気消沈する。

 

「……!」

 

 そんな彼女に、小さな手が差し伸べられた。

 見上げた先には――黒色のミニハットと、鮮やかな青薔薇。

 

「……どうだった?」

 

 ライスシャワーは、可憐に微笑みながら、言った。

 

「ライスの『追跡』(チェイス)は」

「……、あー」

 

 それに煽られたように。

 アリオンは、口端を緩める。

 

「死ぬほどウザかった」

 

 率直な感想に――しかし、ライスシャワーは機嫌を害さない。

 むしろ、なおさらに楽しそうに、笑みを深めていた。

 それを見届けながら、アリオンは彼女の手を取り、立ち上がる。

 

「『刺客』の名は伊達じゃないですね」

「えへへ。ライスの走り方が、あなたの力になればいいけど」

「なりましたよ、実際。……せいぜい参考にします。もっといい『悪役』になれるように」

「期待してる」

 

 お互い、視線を交わし――

 程なくライスが、それを別の方向へと向けた。

 釣られるように、アリオンもまた、視線を振ると――

 そこには、緑がかった黒髪。

 

 スレイエメラルドは……

 明後日の方向を見て、ひとり、立ち尽くしていた。

 

「……」

「……」

 

 再度、視線を合わせる二人。

 アリオンは、ライスの視線から、意志を汲み取った。

 

 行ってきて。

 あなたの役目だよ。

 

 だから、浅く頷いて。

 彼女の元へと、歩み寄る。

 

 ただ、まず脳裏に描くのは、このレースの条件だ。

 もちろん、曲がりなりにも勝負なのだ。

 勝負を始める前に、しっかりと確認し合った――

 

 勝てばどうなるか。

 負けたら、どうするのかを。

 

「……スレイちゃん」

 

 スレイエメラルドは答えない。

 いつものことだ、とアリオンは、彼女が振り返るのを待たない。

 

「……すごいね。びっくりしたよ。あそこから捲るなんて」

 

 それは、嘘偽りない感想だった。

 アリオンも、少なくない公式のレースを走ってきたものの、あそこまで苛烈な逆転劇はそうない。

 名だたる名バでも、ひとつふたつあるかどうか。

 

「正直……ちゃんと知識を付けて、経験を積めば、凄い名ウマ娘になれるんじゃないかって思う」

 

 悔しいが。

 それもまた、正直な話だった。

 

 確かな地力を支える知識と経験――それさえあれば、きっと彼女は、今とは比べ物にならないくらいの実力を手に出来るだろうと。

 

 ……夢を叶えるのだって。

 そう難しくもないだろう、と。

 

 だが――アリオンが脳裏に描くのは。

 飽くまで、勝負の条件。

 

「……でも、しょうがないよね」

 

『それ』が、条件だったのだから。

 もし負けたなら――

『きっぱり諦める』と、言ってしまったのだから。

 

「……、」

 

 後ろ髪引かれる思いで――

 アリオンは、改めて、スレイの背中を見る。

 相も変わらず、目を合わせようともしない彼女に。

 

「……私は私で頑張る。だから、スレイちゃんもスレイちゃんで、頑張って」

 

 言った。

 

「……応援してる」

「……」

 

 そこで――

 ようやく、スレイに動きが生じる。

 ゆっくりと、アリオンの方へと振り返った。

 その瞳は――いつかの侮蔑的なそれではなく。

 かといって、期待している風でもない。

 どこか迷いを思わせる、混沌とした色。

 

「……」

「……?」

 

 アリオンは――

 スレイから、何を言われても受け入れるつもりだった。

 以前のように、罵倒されようが。

 特に何も言わず立ち去ろうが、気にしないつもりでいた。

 が――いざその時になってみれば、スレイが起こした行動は、そのどちらとも言えないもの。

 拒むとも、受け入れるとも取れない、微妙な反応。

 一体どうしたのか。言葉なしには汲み取れず、思わずアリオンは。

 

「……スレイちゃん?」

 

 彼女の名を、再び口にした。

 するとスレイは、顔を俯かせる。

 何かを恐れているようにも、何かに怯えているようにも見える、その様子で。

 

「……アリオンさん」

 

 彼女は、言った。

 

「私は……」

 

 どうすれば、

 いいのでしょうか――と。

 

「……え?」

「私には、やらねばならないことがあります」

 

 遠い昔、自分の心に決めた使命。

 誰に言われるでもなく、自分に課した責務。

 

「それを苦に思ったことはありません。それを果たすために、何もかもをかなぐり捨てられる覚悟が、私にはあります。いえ……」

 

 それだけの覚悟を。

 決めてきた――つもりだった。

 

「……でも」

 

 今日走って――

 あなた達と、競って、思ってしまった。

 考えてしまった。

 

「そうでない未来も……もしかしたら、あるのではないかと」

 

 ……思うがままに走る未来も。

 悪くないのではないかと。思ってしまったのだ。

 

「でも……でも」

 

 でも。

 それでも、同時に、考えてしまうのである。

 

「そんな浮ついた未来の保障を、誰がしてくれるのですか。やるべきことを棄てた補填を、誰が負ってくれるというのですか」

 

 そんな夢を追ってしまって。

 平気でいられると、一体、誰が、断言できるというのか。

 

「……どうして」

 

 夢ばかりを。

 真っ直ぐに、追ってばかりいられるというのか?

 

「それでも……それでも、私は、私の本能は。それを叫んで止まない」

 

 競えと言う。

 戦えと言う。

 走れと言う。

 

 ――勝て、と言う――

 

「もうそれは……私が、一人で抑え込めるようなものではなくて……」

 

 もう無視出来るほど。

 小さなものでは、なくて。

 

「……もう」

 

 どうすればいいか。

 わからない――

 

「……」

「……」

 

 アリオンの目には――

 スレイの姿は、ひどく小さく見えた。

 自分とは次元が違うと思っていた優等生。

 周囲から持て囃されて、それに応えてきた天才。

 優秀な幼馴染の、その姿が。

 

 ――いつかに見た。

『優等生』の姿と、重なっていた。

 

「――」

 

 それを思って。

 アリオンは、思わず――

 

 

 

 ――吹き出していた。

 

 

 

「――は」

 

 スレイは、俯かせていた顔を上げる。

 予想だにしない反応に、自身がそれに値するような言動をしたことを想像して。

 みるみる、顔を紅潮させていた。

 

「な――なにを、笑って……!!」

「あ、いや、いや、ごめん。別に、バカにしたかったわけじゃなくて……」

 

 口を片手で覆ったアリオンは、スレイと改めて目を合わせる。

 無邪気で、悪戯っぽい笑み。

 

「スレイちゃんって……」

 

 案外、

『子供』なんだね。

 

 ……と、そう続けていた。

 

「は……」

 

 それに。

 彼女は、言葉を失った。

 

「はぁ……?」

「だってさ。その……何? 社長を継ぐとか、そのために下積みするとか、お父さんに絶対やれ! って命令されたわけじゃないでしょ?」

「い、いえ……まぁ、そうですが……」

「だったらいいじゃん! 自分がやりたいことをやったら!」

 

 アリオンが主張したことは――

『あの日』。メジロブライトが語ったことと重なっていた。

 

「も~~!! 本当に真面目なんだからスレイちゃんはー!!」

「ちょ――痛い! 痛いですよ! 叩かないでください!!」

 

 バシバシとスレイの背中を叩くアリオンは、しかし訴えにも関わらず、一歩も引かず――

 

「大丈夫、遠慮することなんかないよ!」

 

 言うのである。

 

「わかるでしょ? 頭のいいあなたになら。私たちには……『今』しかないってこと」

 

 そして、そこから続く言葉は――

 自身が、担当から受け取った想いでもあった。

 

「今だからこそ出来ることが、あるってこと。今しか出来ないことが、あるってこと」

 

 そしてそれらは、機会を逃せば。

 二度と、手には戻らないということも――

 

「……もしダメだって言われたら、私も一緒に説得する!」

 

 だから、

 だから。

 

「だから、やろうよ、スレイちゃん」

 

 だから、言う。

 引き込むように、手を差し伸べる。

 

「自分のやりたいこと。やりたいように、やっちゃおうよ」

 

 かつてのように。

 以前のように。

 昔のように――

 

 ――『子供』のように。

 

「思いっきり――バカをやろうよ!」

 

 私たちと、

 一緒に――

 

「……」

 

 スレイは目を見開く。

 それは、真理に気が付いたかのような行動だった。

 覚醒したように。目が覚めたかのように。

 しばし無言で、差し出されたアリオンの手を見つめ――

 

「――どういうこと?」

 

 刹那だった。

 彼女らの間に、別の声が割って入ったのは。

 

「まさかあんた……勝ち逃げする気?」

 

 一連の話を、少し離れた場所で聞いていた、もう一人――

 メジロドーベルは。

 いかにも不満そうに、眉を顰めていた。

 

「レースをあんな引っ掻き回しといて……そのまま帰るつもりなの?」

「ど、……ドーベルさん……?」

「――認めないわよ、そんなの」

 

 困惑するアリオンをよそに――

 ドーベルは、スレイへと詰め寄る。

 スレイの浮かべていた驚愕は、また別のベクトルへ。

 二つの視線が、交錯する。

 

「アタシは決めた」

 

 ドーベルは言う。

 

「模擬だろうがなんだろうが、あんな負け方をするなんて許せない」

 

 だから。

 だから――

 

「だから……公式の舞台で、あんたを倒す」

 

 スレイエメラルドを倒して。

 正式な場で、彼女に勝利して――

 

「あんたを倒して、

 『名家』(メジロ)『名』()を、証明する!」

 

 ドーベルは指差す。

 微動だにしないスレイに向けて。

 

 ――だから、辞めるなんて許さない。

 

 一連のその言葉は――

 真正面からの、嘘偽りない、

 宣戦布告、であった。

 

「アタシと――『ちゃんとした』舞台で、勝負しなさい!!」

「……」

 

 それに。

 スレイは硬直する。

 怒涛のように押し寄せた情報を、処理し切れていないようにも見えたが。

 間もなくその目は、周囲へと向けられる。

 

「……」

 

 当たり前だが、そこでは、様々なウマ娘たちが、各々時間を過ごしている。

 

 ゴールドシップ。

 トウカイテイオー。

 メジロマックイーン。

 メジロラモーヌ。

 そして――

 

 メジロブライト。

 

「……」

 

 一通り、それらを見終えて――

 その目は、彼女自身の手へと落ちていた。

 汗ばんだ掌を見つめて。

 ゆっくりと握る。

 

「……アリオンさん」

「え――はいっ」

 

 そこで呼ばれるとは思っていなかったのだろう。

 頓狂な声で応じたアリオンに、スレイは続ける。

 

「いいでしょう」

「……え」

 

 表情は、元の『無』に戻り。

 アリオンの瞳を、真っ直ぐに見つめていた。

 

「あなたのその『夢』――付き合ってあげます」

「……!」

「こうまであからさまに挑発されて」

 

 それから、動く視線はドーベルへ。

 

「……応えないというのも、寝覚めが悪いですからね」

「スレイちゃん……!」

「ただし!」

 

 歓喜に満ち、今にもスレイに飛び掛からんばかりにそわそわとするアリオンを――

 制するように、スレイは指差す。

 

「……いいですか。私は『未来』に『先行』する」

 

 跳ねっかえりの貴女に――先頭を任せるわけにはいかない、と。

 

「故に――私が、あなたに付き合うのではありません」

 

『あなたが』。

『私に付き合うのですよ』、と――

 

「……肝に銘じることです」

 

 そして――

 スレイは、歩き出す。

 

「着いていけなくなったら……容赦なく、置いていきますからね」

「……おぉ」

「はっ。ずいぶん威勢のいい『女王様』じゃない」

 

 目標は達したが故だろう。

 明らかに帰路を歩み始めたその背中に。

 若干引くアリオンと。

 どこか楽しそうに身を乗り出すドーベル。

 

「いいじゃない。せいぜい『平民』は、マイペースに行かせてもらいましょ?」

「……、」

 

 その展開に、アリオンは、思わず思考停止に陥りかけたが。

 それでも理性を寸でのところで保ち……

 ドーベルに笑っていた。

 

「……だね」

「……まぁ、一件落着ってとこか」

 

 それまで無言で見守っていたフェアも、肩の荷が下りたかのように言う。

 

「お話は終わった~?」

 

 そして、そんなスレイと入れ違いに歩み寄ってくるのは――二人。

 セイウンスカイと――メジロブライト。

 

「なーんかバチバチだったけど、大丈夫そう~?」

「あはは……うん。なんとかね」

「ブライト……あんた、後ろで何か炊きつけてたでしょ?」

「あらあら、人聞きの悪いことを、言わないでほしいですわ~」

「……」

 

 レース前の雰囲気など、既になく。

 ドーベルとブライトも、いつも通りに話している。

 スレイも目標に協力してくれることとなり。

 結果は振るわなかったものの――

 全ては、上手くいった――

 

「……」

 

 ……メジロマックイーンは。

 彼女らの姿を見て、そう感じていた。

 

「全て、あなたの筋書き通りですか?」

 

 そして、言うのである。

 独り言のような、その言葉には――

 

「何の話かしら」

「ご冗談を」

 

 メジロラモーヌが応じ。

 くすり、とマックイーンは笑った。

 

「……何はともあれ、ラモーヌさんのお陰ですわ。あなたが一肌脱いでくれなくては、こんな展開にはならなかったでしょうし」

「……私は私のやりたいようにやっただけよ。相応の結果を、あの子たちが呼び寄せただけ。それ以上も、それ以下もないわ」

「……、ラモーヌさん」

 

 クールに、何のことも無いように否定するラモーヌに。

 マックイーンは、呆れたように浅く息を吐き、言った。

 

「あなたは、ご自分を厳格なウマ娘と思っている節がありますけれど」

 

 やっぱりあなたは、

 お人好しですよ、と。

 

「……」

 

 ラモーヌは何も言わない。

 何も答えず、その場から立ち去る。

 マックイーンは、その背中に対し、深めの一礼をし――

 

「……?」

 

 何ともなしに、振った視線の先。

 そこに、一人の少女の姿を見ていた。

 

 サクラチヨノオーは。

 明らかに、アリオンたちの輪から外れた位置で、立ち尽くしており。

 そこに、ざわざわと、予感じみた不安を覚えたマックイーンは、歩み寄ろうと足を向けたが。

 

「あ……」

 

 それを察したかのように、彼女は動き出す。

 結果として、マックイーンは、所在なくそこに留まることとなってしまい――

 そのチヨノオーは。

 

「――お嬢。お疲れ様です」

 

 やがて、彼女のトレーナーの元へと辿り着き、声を掛けられていた。

「……最下位に終わってしめぇましたが、悪くねぇれぇすでした」

 

 黒いサングラスに、オールバックの黒髪。シックな黒いスーツは、正直堅気には見えない。

 だが正真正銘のトレーナー、チヨノオーの相方である彼は、明らかに意気消沈している彼女を労わりながらも、自身の考えを伝える。

 

 現実をぼかしても意味がない。

 それより、それをどう次に生かすかである。

 彼の言葉は、そういう含意があった。

 

「すぐに研究して、ふぃぃどばっくいたしやす。あっしが思うに、やはりすたみなの底上げをする練習を――」

「……トレーナーさん」

 

 が。

 チヨノオーは、それを遮っていた。

 

「――押忍!」

 

 その声に、彼は中腰になり、膝に手を当てて応じる。

 

「なんでございやしょう!」

「……実は、お願いがあるの」

「押忍! お願いでございやすか!」

 

 威勢のいい返事に――

 チヨノオーは、胸の辺りで、拳を握る。

 意を決したように、それから顔を上げ。

 

「――っ、」

 

 言っていた。

 

「私――……」

 

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