16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

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心弾んで

 

 シンボリルドルフの表情は曇っていた。

 

「申し訳ありません、」

 

 朝早くのトレセン学園、正門前にて。

 駆け足で戻ってきた駿川たづなは、彼女の元に辿り着くなり、謝罪を口にする。

 

「話は行っているはずなのですが、その、会うことが出来ないと」

「……はは。面会謝絶か」

 

 たづなの顔もまた、その返事を受けて曇る。ルドルフは、口元に自虐的な笑みを灯す。

 眼鏡の奥の瞳が、どこか悲しげに揺らいだ。

 

「もう『怪我』からは復帰したと聞いたけれど、思っていた以上にダメージが大きいようだね」

「『貴女』が『会いに来た』となれば、喜び勇んで飛んでくると思っていたのですけれどね」

「でもそうではなかった。なるほど。未だに縛られてしまっているのだな。『私』という『影』に」

 

 ルドルフは、相も変わらず巨大な校舎を見やる。東京ドーム数個分の超広大な敷地。一人で抱えるには、あまりにも大きすぎる存在。

 それでも、『かつて』自分が確かに『捌いて』いた――二つとない、『母校』。

 

「……悪いことをしてしまったな」

「そんなことを言わないでください。あなたの存在は、少なくとも光ではあったはずです」

「それでもあの子を、『あの席』に縛り付けてしまったのは私だ。もったいない。あの子には、もっと多くの可能性があるというのに」

 

 脳裏に思い描くのは、無邪気で、底抜けの明るさの笑顔。

 忙しなく揺れる、鹿毛のポニーテール。

 

「……どうにか、『自由』になってほしいものだ」

「……」

 

 たづなは黙り込み。

 二人の間に、重苦しい空気が漂う。

 ルドルフは、それならば、とばかりに口を開きかけたが。

 

「――もうっ、信じらんないっ!!」

 

 それを遮るように、別の声が遠くから聞こえてきていた。

 

『大事なハレの日だからな……遅刻だけはすんなよキリッ』とか言っておいて酔い潰れて寝過ごすバカがどこの世界にいんの!?」

「オメーあんま人を小バカにすんなよ……そんな変人がいるわけねぇだろうがよぉ」

「今正に背中にいるから言ってるんですけどねぇ!?」

「っつーかもうちょっと丁寧に運べよ……頭痛くなるだろうがぁ。二日酔いをもっと労われよぉ~」

「何なら今ここで落としちゃってもいいんだけどなぁ!?」

 

 騒がしく言い合いをしながら現れるのは、栗毛のポニーテールのウマ娘と、その背中に負ぶさられた小柄な女性。

 彼女らは先を急いでいるらしく、普通なら圧倒されるであろう理事長秘書と『元』生徒会長という存在に一瞥もくれず、

 

「っはよーございまーすっ!!」

「あっ、お、おはようございます」

 

 挨拶もほどほどに。

 正門を、高速で通り抜けていった。

 小型の嵐のような二人組を見届けて、ルドルフは顎に指を添える。

 ふむ、と脳内の辞書を索引するが、あのような人物は引っかからなかった。

 

「……また珍妙な二人組だね」

「えぇと。あれは今年からの編入生ですね」

 

 ただ、たづなの頭にはその情報が入っており、ルドルフの言葉にそう反応する。対して彼女は、感心するような声を漏らすと、すっかり小さくなったその背中に、興味深そうな視線を注いでいた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 ナイスネイチャは、生徒会室に入室するなり、会長席に蹲って眠りこけている人影を認めていた。

 

 後ろ手に扉を閉め、ごそごそとポケットを弄り、手にするのは自身の携帯電話。

 慣れた手つきでその画面に指を滑らせると、ある動画をそこに表示させる。

 

 穏やかな寝息を立てる姿は、それに合わせてゆっくりと上下する。

 愛らしいまでのその様子に、しかし彼女は容赦しない。

 

 白く細い指が。

 動画の再生マークをタップする。

 

『♪♪♪♪♪♪♪♪』

「――!?!?」

 

 流れ出すのは。

 絶妙に生物の不安を駆り立てるような、協和音とも、不協和音ともつかない音楽。

もはや騒音に相違ない音の羅列に、眠りこけていた『彼女』は、ほとんど冗談みたいに飛び起きていた。

 

「な――なになにっ!? 地震!? 空襲!? 火事オヤジ!?」

「会長さんや」

 

 それを確認したネイチャは、動画の再生をストップする。

 朴訥とした声で呼びかけると、彼女は――トウカイテイオーは、狼狽と動揺に塗れていた瞳を徐々に引っ込めていた。

 口から漏れる、重めの吐息。

 

「……元・『会長』さんが来てたみたいだけど」

 

 ネイチャが言うと、テイオーはそっか、と素っ気なく答える。そこに、いつもの明るさは欠片もない。

 

「良かったの? 会わなくて」

「会ってどーすんのさ」

 

 声にも色はなく。

 冷徹なまでの無感情で、それに応じていた。

 

「失望するだけだよ。……今のボクに会っても」

 

 虚空を見つめる目が、実際何を見つめていたのかはわからない。

それでもネイチャは、彼女がそこに見果てぬ残像を見ているような気がして、自身もまた、小さく重苦しい息を吐いていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 普通、ウマ娘の登校に、トレーナーは同伴しない。

 当たり前だ。まだ中等部の2年とは言え、親御さん同伴で登校する生徒なんかがいるわけがない。

 今日彼女が付き添ってくれたのは、それだけの用事があるからだ――曰く、理事長さんと直接話すことがある、と。

 だからこうして早起きして、理事長さんと面会するための準備を整えてきたっていうのに……

 なんとこの人ときたら、前日に酔い潰れて当日に寝過ごしやがったのである。

 

 まぁ、寝過ごすと言っても、そこまで壊滅的な時間じゃなかった。

 一応、約束の時間に間に合わせることは出来たけどさ。

 

「いやー、はっはっはぁ」

 

 控えめに高笑いする彼女は、酔いが覚めたのか覚めてないのかよくわからない。

 

「ウマ娘の背中って案外乗り心地いいんだな」

「ぶっ飛ばすよ?」

「ん? あれでも確かウマ娘って車道走れるよな。だったら人背負って走ればトレーニングも出来て一石二鳥じゃね? おし、早速試してみるか!」

 

 よし、完全にラリっている。

 

「……いいから行くよ。始業まで時間ないんだから」

「あ? おぉ、そういやそうだったな」

 

 どうやら目的を忘れかけていたらしい。この人……

 

 ともあれ、目の前の高級な木製観音扉をノックする。すると中から、幼げながら力強い声が聞こえてきた。

 失礼します、とだけ返し、扉を開ける。

 

「歓迎ッ!! 朝早くからご苦労様、だな!!」

 

 ――話は既に通っている。

 トレセン学園理事長――秋川やよいさんは、『歓迎』と筆文字で書かれた扇子を開いて、豪快に笑ってみせていた。

 

「編入学ということであいさつに、ということだったな! うむ! 殊勝な心掛けだ! 環境が変わって困ることもあるだろうが、無理のない範囲で頑張るのだぞ!!」

「あはは……はい。それはもう、お手柔らかにご指導ご鞭撻のほどをお願いしたいというか」

「んぁー……」

「んぁーじゃないの!! あなたが挨拶するって言ったんだよ!? しゃきっとしてよ!!」

「おぉ、」

「……?」

 

 二日酔いが抜けないのか、微睡から抜け出せないのか。

 トレーナーさんが顔を上げつつ曖昧な返事をすると、理事長さんは軽く目を見開く。

 まるで、意外な事実に気が付いたように。

 

「……君、もしや……」

「――お久しぶりですね、理事長様」

 

 目を擦ったトレーナーさんは、それまでとは打って変わって、極めて真剣な声色でそう言っていた。

 顔を上げる。

 酔いに侵されてるとは思えない、真っ直ぐで、綺麗な声。

 

「十年ぶりでしょうか」

「……あぁ。君も元気そうで何よりだ」

 

 対する理事長さんは、扇子を裏返して口元を隠す。その表面には、今や何も書かれていない。

 

「てっきり、学園からは手を引いたと思っていたよ」

「まさか。やりたいこともやれることもやり尽くしていないのに、そうそう手を引けるわけがないではないですか」

「……え、トレーナーさん」

 

 どこか不穏な空気を纏いながら話す二人。当然、私は置いてきぼりだ。

 彼女らに面識がある、なんて聞いてないのだから。

 

「知ってるんですか? 理事長さんのこと……」

「後で言う」

「ならば、ここには何もかもをやり尽くすために来たというわけか」

 

 淡白に返すトレーナーさんに、理事長さんは続けた。

 

「こうして、『担当』を連れて『挨拶』にまで来るのだ。さぞ面白いことなのだろうな?」

「えぇ。とっても。面白いことですよ」

「……」

「……」

 

 ……どうしてだろう。会話の内容的には、特に不穏になるような要素は無いはずなのに。

 場に漂う空気は、どうしようもなく不穏そのものだ。今にも、お互いが口汚い口論を始めてしまうのではないかと疑ってしまうくらいに。

 

 自然と固唾を呑む。けれど結果的に、その心配は杞憂に終わっていた。

 

「ま、そういうわけですので、うちの担当を、どうぞよろしくお願いします」

「――うむ。健全に学ぶ分には、拒む理由はない。精進せよ」

「……えと。よろしくお願いします」

 

 ――結局、何をしにここまで来たんだろうか。

 不必要にぴりついた空気を肌に感じるだけ感じて、理事長室から出る。

 トレーナーさんは、さっきまでのことが何でもなかったかのように、ぐーっと背伸びをしていた。

 

「――よし、一仕事終えたし、朝飲みにでも行くかぁ」

「はぁ!? 何言ってんの!?」

「冗談だよ。落ち着けって」

 

 口にする冗談は選んでほしいものである。

 

「……秋川やよいとは知己だ」

「え、えぇ……そんなのとても……」

「まぁーそれ以上もそれ以下もねーよ」

 

 言いたいことは言った、とばかりに彼女は懐に手を忍ばせる。その指には、例のココアシガレット。

 

「それじゃ、放課後はトレーナー室で作戦会議な。今後の動きと『注意事項』を話す」

「……今度はすっぽかさないでくださいよ」

「おいおい、あたしがそんな人でなしに見えるか?」

「今日正しくすっぽかしかけましたよねぇ!?」

 

 私が絶叫しても、彼女ははっはっはと磊落に笑うだけだった。それに苛立ったところで、発散のしようもない。だから代わりに、深く、深くため息を吐いていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 生徒数数千を誇る超マンモス校ともなれば、外部生の転校なんぞ何のその、とばかり思っていたのだけれど、どうやらそういうわけではなかったらしい。

 

 記念すべき転校初日、私は見事にクラス中の注目の的となっていた。

 転校生なら避けられないカオスイベント、在校生からの質問責め。

 どこから来たのか、何を目標としているか。趣味は何か、レースの実力は……

 捌いても捌いてもやって来る質問の波は、授業合間の休憩時間すらも平気で侵食する。

 お陰様で何人か知り合いも出来たものの、そうこうしているうちに放課後となってしまった。

 

「はぁー……」

 

 ……勉学が後回し、というわけではないけれど、ウマ娘にとっての本番は放課後から、みたいなところはある。

 それなのに、心身は既に疲弊し切っている。まるで人混みの中を全力疾走したみたいだ。

 

 ――そんな気持ちだったからだろうか。

 

「――うわっ!」

「っ!?」

 

 トレーナー室へ向かう道中――

 階段を上るため、角を曲がった時。どーん――と、そこから現れた人と、出会い頭に衝突してしまっていた。

 漫画みたいに後方に弾き飛ばされ、無様にもしりもちをついてしまう。

 

 痛みに眉間が歪むのを感じながら前を見ると、そこには同じように座り込んでいる生徒がいる。ついでに周囲には無数の紙が散乱しており……どうやら衝突の拍子に、運搬していた何かの用紙が散らばってしまったらしい。

 ……悪いことをしてしまった。やっぱり、疲弊している状況で急ぐもんじゃない……

 

「ったたたた……」

 

 鹿毛のツインテールが目を引く。

 耳には緑のリボンの映える赤い耳カバー。

 顔を顰めながら、片手でお尻の辺りを擦っている。

 ……半分パニックになってたから気が付かなかったけど、その姿に、私は見覚えがあった。

 

「……ナイスネイチャさん?」

「え?」

「――じゃないっ、大丈夫ですか!? すみません!」

 

 かといってその記憶の答え合わせをしている間でもない。急いで立ち上がって駆け寄る。

 

「あー、うん。大丈夫」

 

手を差し伸べると、彼女は一瞬だけ目を丸くしてから、手を重ねていた。

 

「アタシも不注意だったから……ははは。障害競走には自信あったんですけどねぇこれでも」

 

 立ち上がった彼女は、恥ずかしそうに後頭部を掻きながら笑う。

 

「あちゃー……資料も散らばっちゃった。テイオーのとこまで持ってかなきゃいけないのに」

「ごめんなさい。拾うの手伝います」

「ん。ごめんね。お言葉に甘えさせてもらいます」

 

 お互い様だ。それも資料とやらの数も相当ある。順番通りに揃えるのも骨が折れそうだ。

 

「……アタシのこと知ってるの?」

 

 そういうわけで拾い始めると、彼女は散らばる資料に目を落としつつ言う。

 

「さっき、アタシの名前言ってたけど」

「あー……えー……っと、まぁ」

 

 ちょっと気まずくなる。そう言う、ということは、私の推測は正しかったということだ。

 

 ナイスネイチャ――『愛しき名脇役』。名誉なのか不名誉なのかよくわからない異名で知られる彼女のことを、知らない私じゃない。

 今年でシニア級を迎えたことは知っていたけれど、まさかこんなところで出会うだなんて。

 

「そっか。キミも変わってるねぇ。アタシなんかより、キラキラしてる子はいるでしょうに」

「い、いやいやそんな。その、なんか、親しみやすいっていうか。関わりやすそうっていうか」

「悪口に聞こえるなぁ」

「へ!? い、いやいやいや! すみません! そういうつもりじゃ……!!」

「あはは。冗談冗談。そんな本気にしないでくださいよー」

 

 ネイチャさんは、飄々と笑ってみせていた。

 

「でもま、辞めといた方がいいですよ。会長の腰巾着なんて、七光りにもあやかれないんだから」

「そんな卑屈にならなくても……」

 

 生徒会副会長。

 それが名誉ある職務だということを、私は良く知っている。そんな風に言わなくてもいいと思うんだけどな。

 

「んー……まぁそうなんだけど。事実だしね」

 

 資料はまだ散らばっている。話しながら回収しているから、当たり前ではある。

 

「特に今のテイオーは……」

「……?」

「……、ま、そんな愚痴みたいな話、聞きたくないでしょ」

「……」

 

 拾った資料が、かさかさと音を立てる。ネイチャさんは、集めた資料の端を床に軽く叩き、並びを整えていた。

 

「……私は」

 

 私は、聞きたいですけどね。

 ほぼ無意識に、そんな言葉を紡ぐ。

 

「……」

 

 ネイチャさんは手を止めて、丸くした目で私を見つめる。しばし、そんな時間が流れてから、

 

「……そっか」

 

 じゃ、少しだけ。

 そう言って、ネイチャさんは話し始めた。

 

 

 

 ――トウカイテイオー。言わずと知れた、『天才』との呼び声高いウマ娘。

 後続に4バ身差をつける鮮烈な新バ戦を皮切りに、続く若駒ステークス、弥生賞を制覇。

 更には皐月賞、日本ダービーをも危なげなく制覇し、かの『皇帝』シンボリルドルフ以来四年ぶりとなる無敗でのクラシック三冠が期待されていた。

 

 しかし、その日本ダービー直後に左足の骨折が判明し、止む無く休養――

 偉業の達成は、泡沫と化してしまった。

 

「……一応、もう怪我からは復帰してるんだけどね。それ以来、あの子は腑抜けちゃったんだ」

 

 散らばった資料を回収し終えて、ネイチャさんは立ち上がった。

 

「会長……って、この言い方は紛らわしいか……ルドルフさんをいたく慕っていて、期待されてもいた。期待を裏切っちゃった――っていう風に感じちゃってるのかもしれない。

 もうクラシック級での覇気は失われちゃって……トレーニングも模擬レースもそつなくこなすのに、何か抜けてる気がするっていうか。一応、来月の春天*1から復帰する予定なんだけど……あんなんで大丈夫なのかなーって思っちゃうっていうかなんていうか」*2

 

 シンボリルドルフは偉大だ。

 そんな偉人に憧れ、期待されたのならば、それに応えようとするのは間違っていないかもしれない。

 ただ実際、本当にそうだったのかはわからない。

 期待していたかもしれないし、していなかったかもしれない。

 

「自分の思うがままに走ってほしいなーって、ネイチャさんは思うんですけどね」

 

 彼女はあの人じゃないのだから。

 あの人は彼女じゃないのだから。

 

「……あんがとね。付き合ってくれて」

 

 照れ隠しみたいに、ネイチャさんは笑った。

 

「廊下は静かに、安全に走るように! じゃね」

「あ……はい。また」

 

 そして、踵を返すと、私の元から立ち去っていた。

 

 ……トウカイテイオー。トレセン学園生徒会長の座をも受け継いだ、今や誰もが認める名ウマ娘。

 さぞ近寄りがたい雰囲気の人なんだろう、とか勝手に思ってたんだけど、まさかそんなことになってるなんて、思ってもみなかった。

 春天から始動――か。別に私は、特別あの人のファンってわけじゃないし、熱狂とも縁遠いんだけど。

 無様な結果にだけは……ならないでほしいな。

 

 ネイチャさんの先の笑顔が、妙に痛々しく脳裏をよぎる。

 

「――っと、いけないいけない」

 

 ともあれ私も、ボーっとしてもいられない。だいぶ時間を食ってしまったので、速足以上駆足以下、言われた通りの安全な走りで、トレーナー室へと急ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――それじゃあ、今後の予定から話すぞー」

 

 トレーナー室にて。

 予定より数分遅れたことに、嫌らしい笑顔でちくちくぼやかれた末、その話は始まる。

 

「トレセン学園に入学したウマ娘は、普通は選抜レースに出走してトレーナーとの契約を目指す。けど見ての通り、お前には既にあたしがいる。だからお前がこれから目指すのは、その次の段階だ」

「……新バ戦ですね」

 

 彼女は、そうだ、と首肯した。

 

「正規ウマ娘*3が最初にぶち当たる壁だな。競レースは普通、一着以外は勝利に数えられない。ここで一着を取れなくちゃ、どんだけ優秀だろうがオープン戦にも挑めない。お前も散々勉強したろうが――

 一勝すれば『pre-OP戦』に。二勝で『OP戦』に。そして三勝すれば『重賞』に挑めるようになる。実際にはファン数が規定に達してりゃ、勝利数は関係ないんだけどな。*4それで『新バ戦』をすっ飛ばして先へ進めるやつなんて稀有だろう」

 

 過去に数例だけあったみたいだけどな、と彼女は付け足した。

 

「新バ戦は六月末にある。あと二ヶ月と少し。それまでみっちり練習してくから、そのつもりでな」

「……行けると思います? 実際」

「行けると信じなきゃ始まらねーだろ」

 

 信じるのはタダなんだからよ。

 

「『未勝利戦』も以降、週に二回実施される。負けたところで死ぬわけじゃねーんだ。軽薄に、軽率に行った方が楽だぜ?」

「たまに、あなたのその軽い思考が羨ましくなります」

「同情するよ」

 

 トレーナーさんは肩を竦めた。

 

「ともかく、これからの方針の話はそんな感じだ。ここからは『注意事項』な」

「……そういえばそんなこと言ってましたね」

 

 今朝の話を思い出す。ちょろっと言っていたと思うけれど、なんだろ注意事項って。連絡でもなく――注意。

 学園生活に対しての? それとも、トレーニングに対しての?

 

「なんですか? 注意事項って」

「……トレーニングに関してなんだけどな」

 

 どうやら後者だったらしい。私の問いに、彼女は答えた。

 

「学園内の設備は――」

 

 

 

 一切、

 使うな。

 

 

 

「……」

 

 空隙を埋めるように、チャイムが鳴る。

 

「……はい?」

 

 それが鳴り終えた時、私は、呆然と声を漏らす。

 トレーナーさんの口端は――

 嫌らしく、そして艶やかに、吊り上がっていた。

 

*1
天皇賞(春)

*2
史実のトウカイテイオーは、その少し前の産経大阪杯から復帰します。そして春天で再び故障し、秋の天皇賞で再復帰を果たしますが…

*3
専属トレーナーが着いているか、公認チームに所属しているウマ娘の俗称。

*4
実際の競馬では複雑に規定がありますが、この作品では簡略化しています。




サファイアアリオン
アシカガトレセン学園16年度の卒業生四人組のうちの一人。『夢を諦めた者』。
前作は『サファイア(宝石)』+『ミザール(星の名前)』というネーミングでしたが、
今作では『サファイア(四大宝石の青)』+『アリオン(ギリシャ神話に登場する名馬)』という組み合わせに。前々からミザールって名前がパッとしなくて気に入ってなかったんですよね
直情的で前のめりな性格はそのままに、どこか達観じみた諦念を根底に持っているキャラクター性になっています。

担当
どうして女性にしたかって? 男性だと感情移入出来なくてキャラクター性の厚みを持たせられないからです(!?)。作者も男性なのにね(!?!?)
名前は七名瀬ななせといいますが、前作同様、作中で描写するつもりはありません。また担当のキャラクターを一から作り直すにあたり、彼女やトレセン学園の過去にまつわるあれこれも丸ごと変更しています。彼女の過去が、因縁が、第2版ではどのように解決されるのでしょうか。お楽しみに。

シンボリルドルフ
お馴染みルドルフ。卒業済み。キャリアは四年。
前作では会長として物語に深く関わってきましたが、今作では卒業生として遠巻きに物語を見守る立場です。

トウカイテイオー
お馴染みテイオー。学年は中等部3年、キャリアは3年目(シニア級)。
第1版では端役でありながらラスボスでもあるという特殊な立ち位置だった彼女。今作ではルドルフに代わって会長を務めてもらいます。ラスボスになる予定でもあります。登場早々曇ってますが。

ナイスネイチャ
お馴染みネイチャ。学年は中等部3年、キャリアは3年目(シニア級)。
前作では文字通りの端役でしたが、今作ではメインキャラクターをお願いします。彼女を副会長に据える発想は、二次創作品『その『紙きれ』で救えますか?』からお借りしました。尊敬&感謝。
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