16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

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迫りくる宵闇

 サイレンススズカは、緊張していた。

 

「……」

 

 トレセン学園有数の名チーム――チームスピカのチーム室。彫像のように硬く直立する彼女に注がれる視線は、3人分。

 鹿毛のポニーテールに、芦毛の長髪。そして薄紫のロングヘア。いずれも、昨今の競レースを語るに欠かせない逸材。

 トウカイテイオーに、ゴールドシップ、そしてメジロマックイーンだった。

 

「おし、」

 

 男前な声は、隣から。

 チーフトレーナー──西崎が、そんな彼女に声を掛ける。

 

「それじゃ、自己紹介から」

「え、えぇ」

 

 びくりと身体を震わせ、か細く声を漏らしたのも束の間。

 促されて、気弱に言うわけにもいかない、と思い直した彼女は、逃げ出したくなる衝動を抑え込んで、息を吸った。

 

「は、はじめまして!」

 

 そして、出せる限りの声で言った。

 

「ほ、本日から、こちらのチームに入らせてもらうことになりました、サイレンススズカと申します! よろしくお願いしますっ」

 

 それに応じて、チームスピカの面々は拍手をする。トウカイテイオーはごく普通。メジロマックイーンの所作は優雅。ゴールドシップは──

 拍手のみならず、口笛を吹き鳴らし、机と手近な壁と床を叩くという、騒がしいことこの上ない動作だった。

 

「ゴルシうるせぇ」

 

 西崎の尤もな苦情に、しかしゴールドシップは、楽しげに笑うばかりだった。

 

「……まぁなんだ、ウチはウマ娘チーム筆頭とか言われてるけど、見ての通りの少数精鋭だし、取って食うつもりもない」

 

 そんなゴールドシップの振る舞いを傍目に、西崎は、サイレンススズカに言う。

 

「だから、そんな緊張すんな」

「……」

 

 もちろん、サイレンススズカとて、彼女らが陰険な性格をしているとは思っていない。むしろ3人とも、それぞれにユニークな性格をしてはいるものの、どちらかといえば善人にあたる、素晴らしいウマ娘だとすら思う。

 ……が、いくら性格がいいところで、萎縮しない理由にはならない。

 

『不沈艦』。

『ターフの名優』。

 そして──『不屈の帝王』。

 彼女らを前にして、緊張しない方法を逆に聞きたいくらいだった。

 

「……おし、それじゃあ自己紹介も終わったことだし」

 

そんな彼女の様子を見かねて、西崎はひとつ、手を叩いた。

 

「恒例のアレ、やるか!」

「おぉ! アレな! いいよなアレ! いっちょやるか!」

 

 漠然とした単語に、即座に反応したのはゴールドシップのみ。

 スズカはもちろんのこと、テイオーも、マックイーンでさえも困惑し、目を合わせるばかりだった。

 

「……? なんかあったっけ?」

「さぁ……存じ上げませんが」

「おいおい、なんだよお前らー、こういうのはわかってなくてもノリで応じるもんだろ?」

「いやあなたも分かってないんじゃないですか……」

 

 同意と確信は別のものだ。ゴールドシップは言葉通り、ノリで西崎に合わせただけ。内容を理解出来ていないのは、2人と同じだった。

 

「おいおいお前ら。新人が来た、ってなったら、やることは一つだけだろ」

 

 対して、西崎は薄く目を閉じ、くつくつと笑う。それから自信満々に目を開けると、派手な動作で手を掲げ、言い放っていた。

 

「歓迎会だッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──というわけで!」

 

 というわけで。

 ファミリーレストランにて、ゴールドシップの溌剌とした音頭が響いた。

 

「サイレンススズカのチーム加入を祝して! カンパーイっ!」

『かんぱーいっ!』

 

 各々のグラスがかち合い、かしゃん、と軽い音を鳴らす。トウカイテイオーとメジロマックイーンはノリノリでゴールドシップの音頭に共鳴していたが、サイレンススズカはおずおずとグラスを差し出すだけに終わる。

 西崎は同席していない。用事があるからと、発案者でありながらさっさと帰ってしまっていた。

 

「いやぁ~、しかし驚いたなぁ」

 

 どうせなら残ってほしかった、というスズカの思いを知ってか知らずか、ゴールドシップは言った。

 

「あの期待の新人ちゃんが、アタシたちのチームに入ってくれるなんてよ」

「……買い被りですよ」

 

 期待。

 方々でそう呼ばれていることを、スズカも良く知っている。しかし彼女としては、その称号は分不相応だと感じていた。

 確かに、滑り出しこそ順調ではあったが――

 直近の戦績を、そう評するのは難しい。

 

「またまた~、謙遜すんなって! オマエの戦績にはあのマックちゃんすら目ん玉ひん剥いて卒倒してたくらいなんだからな!」

「……しかし実際、なぜここを選んだのです?」

 

 ゴールドシップの言葉を無視し、マックイーンは問いかけた。

 

「こう言っては何ですが、他にも選択肢はあったのではありませんか?」

「……曲がりなりにも、筆頭と呼ばれるくらいのチームですから」

 

 それにスズカは、慎重に言葉を選びながら答える。

 

「やっぱり、レベルの高いチームの方が、得られるものは多いと思って」

「ふふっ、ありがたい話ですわ。尤も……廃部寸前の、が語頭に着きますけどね」

「そうそう。それこそ周りが、アタシたちのことを買い被り過ぎなんだよな。なんか距離置かれてるっつーか……こちとら新入生なんて誰でもウェルカム! だってのによ~」

「一回ボクらで新入生を誘拐しかけたことあったよね。さすがに理事長に怒られて出来なくなっちゃったけど」

「あ~、アレに関しちゃアタシも反省してるぜ……マックちゃんに脅されて仕方なくな……」

「微妙に在りそうな嘘言うのやめてくださいませ!?」

「……、」

 

 どこかほんわかとしたやり取りに、スズカの緊張も自然、解れる。

 それがマックイーンにも見て取れたのだろう。くすり、と柔らかく笑っていた。

 

「……スズカさんも、色々と難しい時期でしょうけれど、その一助になれればと思いますわ」

「お手柔らかに、お願いします」

「そうだぜ、ボーリングに困ったら迷わずゴルシちゃんを頼れよ! いつでも由比ヶ浜まで連れてってやるからな!」

「……へ? ボーリング? 由比ヶ浜……?」

「ゴルシ……真に受けちゃうからほどほどにしてあげてね」

「……??」

 

 ともあれそんな風に、四人はあれこれと雑談する。レースに関する真面目な話から、知り合いに関する少しおかしな話まで。その時間、一時間ほど。

 すっかり打ち解けた雰囲気の中、話のネタも少なくなると、自然、普段は話さないようなことに話題の照準は向けられる。

 

「そういえばさぁ」

 

 中空に視線を向けたゴールドシップは、そんな言葉で話の口火を切っていた。

 

「どうなんだろうな。例の転入生って」

「転入生……あぁ。『あの子』のお友だちのね」

「……」

 

 一見その内容は、少し漠然とし過ぎているように聞こえる。が、それに該当するようなことを、彼女も風の噂程度に聞き及んでいた。

 なんでも、外部からウマ娘を引き取るというらしい。名前は――

 ――ダイヤアールヴァク。

 

「驚いたよね~、まさか『最後の一人』が、向こうからやって来るなんて」

「なんつーかこう、妙な運命じみたもんを感じるよな。出来過ぎてるっつーかなんていうか」

「手間が省けた、と言ったらそれまでですけれどね」

 

 生憎と、三人が何を主題に話しているかまでは汲み取れない。たぶん、そのウマ娘の関係者に関する話なのだろう、とまでは察する。

 そしてそうして、理論的に話題の空欄を埋めた時、総体として彼女の中に湧き上がるのは、如何ともしがたい違和感だった。

 

 もやもやとした感覚。

 自覚するだけで、何か、気持ちの悪い感覚。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 それに気づいたマックイーンが、スズカに声を掛ける。それを聞き、湧き上がった不穏な感情も少しは霧散するものの、それでも多くは居座り続けるばかりだった。

 

「……ごめんなさい。その……」

 

 それを発散するように、スズカは口を開いていた。

 

「なんだか、嫌な予感がして……」

 

 そして――おそらく、それを感じていたのは、彼女だけではなかったのだろう。彼女が言葉を紡いだ途端、三人も一様に黙り込む。

 

 近くを、料理を持ったウェイターが通り過ぎた。周囲は相変わらず楽しげな話し声に包まれており、その瞬間、彼女らだけが、別の世界に隔離されたかのようだった。

 

「――あー、悪り」

 

 やがて、発端が自分にあることを察してか、ゴールドシップは、申し訳なさそうに後頭部を掻いた。

 

「辛気臭い話になっちまったな。はい、ここでこの話は終わり! さーさー、遠慮なく頼め頼めー!」

「あ……はい」

 

 メニューを差し出されたことで、スズカもまた、我に返る。嫌な感覚を振り払いきれたとは思わないが――

 気にしても、しょうがない。だからメニューを受け取り、その内容に目を通し始めた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 その日の放課後。

 息を切らして『そこ』に近付いた時、私は見知ったいくつかの人影を認めていた。

 

「トレーナーさん!」

 

 普段は空のトレーナー室前――

 そのうちの一人のことを、私は声高に呼ぶ。

 

「おう」

 

 壁に背を預けていたトレーナーさんは、壁から背を離しながら応じてくれた。

 

「来たな。オーケー、まずは落ち着け。焦っても向こうは逃げたりしない」

「あ、え、はいっ」

 

 私としては、努めて平静を保って話しかけたつもりだったんだけれど。向こうからしたらそうは見えなかったらしい。胸に手を当て、一つ深呼吸。上がりかけていた体温が、急速に下がっていくのを感じる。

 

「……その分だと、授業もろくに聞いてなかったんじゃない?」

 

 そんな私に、呆れ気味に言うのは別の人影。すっかり見慣れた鹿毛のツインテールだ。

 

「ダメだぞー、ちゃんと勉強もしないと。それもウマ娘の本分なんだからね」

「……面目ないです」

「まぁ、気持ちはわかりますけれどね。このようなことが起きては……」

 

 それにもうひとつ、すらりとした緑色の衣装の影も言った。ネイチャさんに、たづなさん。以上、計三人。

 トレーナーに、副会長に、理事長秘書。肩書だけ見ればだいぶ豪華なメンバーが一堂に会したのは、無論、それだけの理由があるからだ。

 

「……その。それで、どうなんでしょうか」

 

 私は、遠慮がちに彼女らに問うた。

 

「アルちゃんの様子は……」

 

 ――ダイヤアールヴァクが保護された。

 そんな連絡を受け取ったのが、今日の朝早く。

 ひとまず放課後に、保護されてる場所まで来い――ということで、今こうして、ここまでやって来たわけなのだけれど。

 

 どういうわけか、三人は複雑な表情。

 難しそうに目を合わせ、いかにも困り果てている様子だ。

 

「……あの?」

「アリオン、」

 

 不穏な仕草に、思わず重ねて問いかけると。一歩前に出るのはネイチャさんだ。

 

「面会は正直、今すぐにでも出来るよ。けどその……アタシたちにも、それで何が起きるのか、いまいち断言出来なくてさ」

「へ……?」

 

 それから続けられた言葉が、あまりに予想外のもので……

 私もまた、困惑の声を上げてしまう。

 

「だから、何を目にしても、あんまり騒がないこと。……約束してくれる?」

「……えと」

「もちろん何が起きても、アタシたちが全力で守るけどね。万が一ってことで」

「……」

 

 ……い。

 一体、何を話されているのだろうか、私は。

 あれ? 私、今から、旧友とお話をするんだよね。なのにどうしてそんな、不穏極まりない警告をされているのだろう。

 

 それではまるで……

 それではまるで。

 今の彼女が、

 普通の状態ではない、みたいじゃないか。

 

「……、」

 

 正直その前置きで、少し躊躇ってしまった。ネイチャさんが、考えなしに脅しているのではないということは、彼女の醸し出す雰囲気で何となく察せられた。

 だけど――やると決めたんだ。それでも進むと、決めたんだ。そうだ。ここで諦めたら、何のために今までやって来たんだ……

 

 大丈夫。きっと、大丈夫。

 何を目にしても。きっと、約束は、守れる……

 

「……わかりました」

 

 私の返事を受けたネイチャさんの顔には、不安の色が濃く残っていた。けれどそれを振り払うみたいに、たづなさんの方へと目を向ける。すると彼女は、おもむろにトレーナー室の扉を開けていた。

 私はネイチャさんの顔を見る。彼女は頷く。依然深刻そう、けれどあっさりとしたその許可に、躊躇いがちになりながらも、私は部屋へと踏み入る。

背後に続くのはネイチャさん。トレーナーさんとたづなさんは、外で待つらしかった。

 

 ……果たして、そうして。

 私は、実に五年以上ぶりの、親友の姿を目の当たりにした――

 

「――……」

 

 ……それに。

 私は、言葉を失っていた。

 

「……送られてきた時点で『こう』だったらしいよ。アタシたちにも、理由はわからない」

 

 ネイチャさんは、声を潜めて言う。

 

「もちろん送り手もいたけど、何も答えてくれなかったんだって。『それにはお答え出来ません』の一点張りで……結局このままで、ここに連れてきたみたいなんだけど……」

「……」

 

 私は。

 ネイチャさんの言葉に、何も返すことが出来ない。

 なぜなら――目の前の彼女は。親友は。

 

 ……アルちゃんは。

 

 白い衣服に、

 胸の下あたりで組まれた腕を、

 揃えられた脚を、

 胴体を――

 

 

 

 ベルトで、

 縛られていたから。

 

 

 

 いわゆる――

『拘束服』、と呼ばれる服を着て。

 車椅子に、固定されていたから。

 

「…………」

 

 ……体格は、ほとんど変わっていないように見える。

 昔と変わらず、小柄で、髪は長い芦毛。

 ただ、俯いてしまっているのと、前髪が垂れてしまっているのとで、表情は見て取れない。

 微動だにせず――

 私たちが目の前にいる、という事実すらも、認識していなさそうだった。

 

 ……様々な疑問が、浮かび上がっては消える。

 

 なぜこんな服を着ているのか。

 今まで、どこにいたのか。

 何をしていたのか。

 なぜ。俯いて、こちらを、見向きもしないのか。

 ……なぜ。

 こんな状態、なのか……

 

「……たづなさんの話だと、送り手は、こんなものを渡してきたらしいよ」

 

 そんな言葉と共に、手渡されるのは……一冊の、小さな手帳。

 そろりと視界に差し入れられたそれを、私は数瞬遅れて受け取る。

 ネイチャさんは、それ以上は何も言わなかった。私は……ひとまず深呼吸をして、気を取り直す。

 動揺していた心が、なんとか落ち着きを取り戻したのを感じて……手渡された手帳に、目を落とした。

 

 ……表紙には。

 無機質な明朝体で、こう書かれている。

 

 ――『取り扱い方』。

 

「……取り扱い方……?」

「アタシらも中身を確認したけど、まぁ……あんまり、感じのいいものじゃなかったよ」

「読んでも……?」

 

 ネイチャさんは頷く。その顔には、普段ではあまり見られない、不愉快という感情を凝縮したかのようなしかめっ面が浮かんでいた。

 恐る恐る、手帳を開いてみる。

 どうやら正式な物ではないらしく、市販の手帳に自ら書き記したものらしかった。

 そして、その内容は……

 

 

 

 

 

拝啓

 

トレセン学園 理事長 秋川やよい様

 

この度は、貴女の大赦の元、当個体をお引き取りいただきまして、誠にありがとうございます。

それに当たりまして、いくつか取り扱い上の注意点がございますので、以下に列挙させていただきます。

 

一、個体には一日三食の食事を与えてください。困難な場合は二食でも問題はありません。個体は口元から最低5cmの距離からの食器での経口摂取で摂食が可能です。摂食量は標準的な十代のウマ娘の同等の量となりますが、半分を満たした状態でも問題がないことが確認されております。

 

一、個体は排泄の際に言葉によるコミュニケーションを試みます。実行する際は必然的に拘束服を解くことになりますが、この際、日本国ウマ娘鎮静基準においてAランク以上の評点を獲得している各種鎮静剤を装填した対ウマ娘用鎮圧装備を携行した人物を最低二人同行させるようにしてください。行為を終了した場合は、個体を速やかに再度拘束するようにしてください。

 

一、個体とのコミュニケーションは最低限にしてください。個体は上記排泄の際にのみ能動的なコミュニケーションを試みます。それ以外の場合で対象がコミュニケーションを試みた場合、それらのコミュニケーションは無視することが望ましいです。

 

上記の注意点をお守りいただけない場合、対象は暴走状態に陥る可能性がございますので、くれぐれもご注意ください。どのような原因であれ、個体によってもたらされたいかなる損害も、当方では責任を負いかねます。

 

よろしくお願いいたします。

 

敬具

 

 

 

 

 

「……」

 

 ……

 ……なんだこれ、というのが、率直な感想だった。

 

「……まるでモノを扱うみたいでしょ」

 

 苦虫を噛み潰したように、ネイチャさんは言っていた。

 

「アタシも、これで色んな本を読んできたつもりだけどさ……ここまで不快になる文面も、そうないよね」

「……え。で、でも……え? なんなんですかこれ……え? 暴走……って……?」

「アンタにも、聞き覚えはない感じか」

 

 どうやら彼女は、私に『それ』を期待していたらしい。けれど残念ながら、応えることは出来なかった。ただただ……私も、困惑するしかなかった。

 

 ……暴走?

 なんだそれ。

 確かにアルちゃんは不思議ちゃんで、周囲がすぐには理解出来ないような行動を、何度も取ってきた。

 けれどそのどれも、こちらがちょっと困ったり、時に笑っちゃったりするものばかりで。

 暴走、だなんて言える行動なんて……

 今まで、ひとつも……

 

「……」

 

 私は、勇気を振り絞って、一歩前に出る。

 それから、未だ顔を俯かせ、目を合わせようともしない彼女の目の前に――しゃがみ込んだ。

 

「……アルちゃん」

「……」

 

 そして、呼び掛けるけれど。

 彼女は、答えない。

 

「ねぇ、私だよ。わかる? 私。サファイアアリオン。五年くらい前、アシカガトレセンで一緒だった……」

「……」

 

 彼女は。

 答えない。

 

「覚えてないの? 覚えてないならそれでいいよ。遠慮しないで……言って。私、傷つかないから。気にしないから。だから……だから」

「……」

 

 彼女は。

 彼女は。

 答えない……

 

「……お願い。返事を、して」

「……」

 

 ……耳も動かない。

 何の反応もない。

 まるで、こちらの声が――一切、届いてないみたいだった。

 

「……」

「……」

 

 重苦しい沈黙が漂う。

 何をするべきなのか。何を言うべきなのか。考えたけれど。結局それらも、押さえつけられたみたいに、実行には移せなかった。

 

「……一旦出よ」

 

 果たして、ネイチャさんに促されて……浅くため息を吐きながら、その場に立ち上がる。

 後ろ髪引かれながらも、外へと出ると。たづなさんが、真っ先にこちらに歩み寄ってきていた。

 

「ど、どうでしたか?」

「いえ。ダメでした。色々話しかけてくれたけど、一切反応ナシです」

「……お前でダメ、ってんなら、いよいよ詰みだな」

 

 トレーナーさんもまた、残念そうに言う。なんだか責任を感じてしまって、申し訳ない気持ちになった。

 

「……あの。他の方だと、どうなんでしょう……?」

「あの状態だ。下手に他人と接触させたら、何が起きるのか読めん。旧友のお前なら、何かしら反応くらいはしてくれると思ってたんだけどな」

「……」

 

 私も、出来る限りのことはしたつもりだ。彼女の心に届くように、掛けられるだけの声は掛けたつもりだ。けれどそれらは、結局何にもならなかった。

 

 暗闇の中に、石を投げ込むみたいに……

 まるで、手応えがなかった。

 

「……何が」

 

 あったんだろう。

 私たちの知らないうちに。

 あの子は……どうしてしまったのだろう。

 

「……もう少し、アイツのことを話してくれねーか」

 

 トレーナーさんは言う。

 

「手がかりにはならなくても、考えるきっかけくらいは欲しい」

「……なら」

「っと、ちょっと待って。それなら場所替えよ」

 

 と、話そうとした時。ネイチャさんが止めていた。

 

「たづなさん。あとはお願いしていいですか?」

「えぇ。お任せください」

 

 たづなさんは、その言葉ににこりと応じてくれる。その気品ある笑みも、いつもより苦しそうに見えた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 食堂はほとんどガラガラで、広大な空間に、数えるくらいの人影しかない。

 その隅の方、あまり目立たないテーブル席に、私たちは落ち着いていた。

 

「……あの子は、私たちの中では、最後に知り合いました」

 

 目の前のコップの、凪いだ水面を見つめながら、私はゆっくりと二人に話す。

 

「フェアちゃんとかスレイちゃんとは、私がアシカガトレセンに入学した時から一緒だったんですけど、アルちゃんは一年遅れて入学してきたんです。あの時、あの子が引っ越ししてきたんだっていうのは、誰の目にも明らかでした……まぁ、結局フェアちゃんもスレイちゃんも引っ越してきてたわけですから、境遇自体は同じだったかもしれませんけど」

 

 振り返ってみれば、あの町で生まれ育ったのは私だけ。つくづく奇妙な縁だな、と思う。

 

「ただあの子は……最初の頃は、あんまり喋らない子でした。私たちからしたら、引っ越してくる人自体が珍しかったから、みんなで質問責めにしたんですけど。それでも、あうあうあーって感じで、ろくに答えられなくって」

「入学したての頃は、あんな感じだったってことか」

「コミュニケーションは取り辛かったですけど。それでも、何の反応もしないってことはなかったです」

 

 思い出す。入学からまだ日が浅かった頃を。あの頃のあの子は……矢継ぎ早の質問に、戸惑うことはあっても。コミュニケーションそのものを拒絶することはなかった。

 今日のように、何も返事をしないことはなかった。

 

「みんなと過ごすうちに、心も開いてくれて、色々話してくれるようになって……」

「でも、過去のことは話さなかったんだ」

「……言いたくない、の一点張りでしたね」

「つまり、言いたくないようなことがあったってわけね」

 

 ネイチャさんの言う通りではあった。フェアちゃんがそうであったように。スレイちゃんがそうであったように。彼女にもまた……浅からぬ事情があるとしても、不思議じゃない。

 

「それじゃあ、家族のことも?」

「はい……ほとんど何も」

「授業参観とかはなかったのか? 高等部ならまだしも、初等部ならそういうものがありそうじゃねーか」

「……あ」

 

 ネイチャさんに続くトレーナーさんからの問いかけで、フラッシュバックのように記憶が蘇っていた。そういえば……そうだ。授業参観。

 確かにあった。そして……確かに、私は見ていた。

 彼女の親御さんと思しき人物が、訪れていたのを……!

 

「いました……いました! そういえば! あの子の親御さんみたいな人! その、実際に話したわけじゃないですけど、眼鏡をかけた、凄い優しそうな見た目の方で……アルちゃんも、あの人に対しては、不思議ちゃんっぽい感じじゃなくて。ごく普通の女の子、って感じで話してました!」

「だとしたら、その親御さんが何か知ってるかもね」

 

 ネイチャさんの言う通りだと思う。けれど残念ながら、その行方は……

 

「なら、その人が今何してるかは……」

「……ごめんなさい。それは……」

「そっか」

 

 彼女も想像が着いていたのか、そこまで残念そうではなかった。すぐ手前まで近付いたあの子の正体が、また遠のいたような気がした。

 

「……そうだな。あとは、普段何をしていた子だったの?」

「う、うーん……私生活は謎そのものですけれど、少なくとも、私たちの前にいる分には、変なことばっかりしてる子でした」

「変なこと」

「はい……蝶を追いかけて、ドブに嵌まるのは日常茶飯事でしたね」

「なるほどね。楽しそうで何より」

 

 ただ、そんな楽しそうな姿など、見る影もない。

 今のあの子は……それとは対照的。

 そのような過去など、全て嘘だった、とでも言いたげだった。

 

「……うん。現状じゃあ、これ以上は何かわかりそうにはないね」

「ですよね……ごめんなさい」

「謝ることないよ。事情を話さない向こうの責任なんだからさ」

 

 ネイチャさんは、どこか苛立たしげに言った。

 

「育児放棄か、止むを得ないことなのか……どちらにしても、『捨てられる』方の身にもなってあげてほしいもんだよ」

「……全くです」

「バカウマ」

 

 その時――

 しばし黙りこくっていたトレーナーさんが、口を開く。

 私は、それにはい、と反応した。

 

 

 

「……お前、帰省しろ」

 

 

 

 彼女は。

 唐突に、そんな提案をしていた。

 

「……」

 

 それに、一瞬、思考が止まる。

 

「……は?」

 

 ……はい?

 帰省?

 

「い、いやいや、ちょっと待ってくださいよ」

 

 私は気を取り直し、両手を振って言った。

 

「帰省してどうすんですか。何もないと思いますよ。私のお父さんが何か知ってるわけでも……」

「バカ、お前の今の実家に帰省しろってんじゃねーよ」

 

 が。どうやら彼女は、そういう意味で言ったわけじゃないらしかった。

 

「お前の『生まれ故郷』に行けっつったんだ」

 

 トレーナーさんは言った。

 

「アシカガトレセンのあった、その町に行って――出来る限り集めてこい」

 

 ――なんでもいい。

 

 ダイヤアールヴァクの過去を。現状を打開するための断片を。

 見つけ出してこい、と。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 緑豊かな田舎町に、一陣の風が吹く。

 昔ながらの、大きな平屋の一軒家の前。

 それは。竹箒で地面を掃いていた、壮年の女性の頬を乱暴に撫でていく。

 短めの白髪を靡かせた彼女は、それに目を細めながら、手を止め、空を見上げていた。

 

「……嫌な風ねぇ」

 

 そして――誰にともなく、呟いていた。

 

「何か……起きるのかしらねぇ……」

 




ダイヤアールヴァク
アシカガトレセン学園16年度の卒業生四人組、最後の一人。『夢を恐れる者』。
例によって名前は『コハク(宝石)』+『ダブルスター(星)』から、
『ダイヤ(四大宝石の『白』)』+『アールヴァク』に変更となっています。
アールヴァクは、北欧神話における太陽の女神、ソールの駆る車を引く二頭一対の馬のことで、『早起き』を意味するそうです。相方のアルスヴィズは『あらゆる力の要求にこたえる者』。
四人の中でも特に変更の無い彼女ではありますが、彼女を巡る今回の物語は、第一版よりも大きな事件になる予定です。ワンチャンサイゲに怒られます。
音もなく消えたり更新が停止したりしたら……そういうことだと思ってください。

サイレンススズカ
学年は中等部二年、キャリアは一年目(二年目)。キャリアから想像がつくかと思いますが、あの『事件』はまだ起きていません。それどころか、まだ『逃げ』戦術の才能にも目覚めていません。
本家から大きく乖離した立ち位置なので、言動にだいぶ誇張や自己解釈が含まれます。それはさすがに……と思ったら遠慮なく感想でご指摘くださいませ。
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