16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

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可能性の徒

 おそら

 あおい あおいおそらをはいけいに あかいかみが みえました

 

「……オメー……直前まで、何してたんだ?」

 

 なぜか とってもふしぎそうなかおをした ふぇあちゃんに

 きかれたので わたしは こたえました

 ちょうちょをおいかけてたの と

 

「――それでなんで溝に嵌まるんだよ! あたしがここに来なきゃ、お前やばいことになってたぞ!」

 

 ふぇあちゃんが どうしてそこまであわてるのか わたしはよくわかりませんでしたが

 ふぇあちゃんにてつだってもらって わたしは どぶからでることができました

 

「お前さぁ」

 

 するとふぇあちゃんは おうちにかえりながら いうのです

 

「なんでそんな、蝶追いかけてばっかいるんだ?」

 

 わたしは それに すこしだけかんがえて こたえました

 それでどこまでもいけるきがするから

 おいかけることが とってもたのしいから と

 

「……よくわかんねーけど」

 

 ふぇあちゃんは いいました

 

「あんまみんなを心配させんなよ」

 

 おまえは ひとりじゃないんだからさ と

 でも わたしには そのいみが よくわかりませんでした

 ふぇあちゃんは それがなんとなくわかったのか

 すこし あきれたようなかおをして

 まぁなんでもいいけど と さいごに いいました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 めをさますと そこは みおぼえのない へやでした

 かたいべっどから からだをおこすと それまでのことを すこしずつおもいだします

 

 わたしは

 じぶんが なにをやってしまったのか すぐにわかって

 

「…………」

 

 みみをふさぎ ちぢこまりながら

 べっどのうえで うずくまりました ……

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 すごい面子だった。

 

「おつかれ」

「……」

 

 時刻は夕刻を通り過ぎ、夜と言ってしまって差し支えない。

 チームセレネーのチーム室にて、トレーナーさんになんとなしに出迎えられるけれど、私は入室するための一歩を躊躇ってしまった。それくらい、部屋に集まっていたのは、錚々たる面々だった。

 

 トレーナーさんに、理事長さん、たづなさん。

 テイオーさん、ゴールドシップさん、マックイーンさん。

 部外者のはずのフェアちゃんにスレイちゃんに加えて。

 隅の方、明るい鹿毛は……確か、サイレンススズカさん。

 

 私たちも含めれば、11人。関係者が集められたのだろうけれど、その人数を見ただけで、これから始まる『話し合い』が、一筋縄ではいかないことを察せられた。

 

「どうした」

「あ、いえ」

 

 トレーナーさんに慌てて返し、中へと入る。私は、スズカさんの近くの席に落ち着いたけれど、ネイチャさんはテイオーさんの傍、座らず、壁に背を預けるだけだった。

 

「これで、関係者は全員か」

「ですね。あー、そうだな。とりあえず……」

 

 理事長さんの言葉に応じたトレーナーさんは、全員を一瞥する。明らかな大人数を相手取るのとはわけが違うのか、ちょっとだけ緊張しているように見えた。

 

「みんな、下校時刻も過ぎているのに、集めてすまない。特に『外部』の二人は、急に見つけ出されて呼びつけられたから驚いたろ。悪かったな」

「あ、いえ、全然」

「代わりと言ってはなんですが、ひとついいでしょうか」

 

 両手をぶんぶんと振るフェアちゃんとは対照的に、スレイちゃんは優雅に挙手して言った。

 

「当事者……アールヴァクさんはどちらに?」

「旧折檻部屋っていう、まぁ……『VIP席』に落ち着いてもらってる。安心しろ、ただ居てもらってるだけだ」

 

 ……適切な処置だと思った。今回の『事』の当事者なのだ。下手に野放し……というか『外』に出ていたら、また同じことが起きるとも限らない。

 ちょっと心は痛むけど……しょうがない。

 

「ただあの部屋も、普通の部屋より『少し』堅牢なだけに過ぎない。同じ事態に耐え切ってくれるかもわからん……何かしらの手を打たなきゃいけないんだけど、まずは状況の整理からだ」

 

 彼女の目が、私たちの方へ向く。

 

「お前らはどこまで把握してる?」

「……えっと」

「全然。寝耳に水もいいとこだったから」

 

 口籠る私を追い越し、ネイチャさんが答えていた。

 

「暴走って単語が断片的に伝わっただけ。個人的に連絡も取ったけど、みんなしどろもどろで何が何だか」

「オーケイ。別に責めようってわけじゃない。むしろあんな状況で、的確に事態を把握出来てる方が凄いだろう。……だからそんな縮こまるな、『アリオン』」

 

 う。見抜かれてた。でも、それこそしょうがない気がする。事態が事態だし、面子が面子だし。

 

「ことの次第はこんな感じだ」

 

 しかし、話し合いは止まるはずもない。私は努めて、トレーナーさんの話に耳を傾ける。

 

「まず……ダイヤアールヴァクは拘束服を着ていたはずだけど、何かのきっかけでそこから抜け出した。その時にはたづなさんが見ていたはずですけど、何かあったんすか」

「髪がぼさぼさでしたから。せめて整えて差し上げようと思ったのです。……コレで」

 

 たづなさんは何かを取り出していた。複数の、針のような構造の並ぶそれは……

 

「……櫛、ですか?」

「はい。善意でやったつもりだったのですが……彼女の癇に障ってしまったのでしょうか」

「アイツと食堂でやり合ったけど、守ってやるとかなんとか呟いてたぜ」

 

 しゅんとするたづなさんに、ゴールドシップさんが言った。

 

「ってことは、たづなさんから攻撃されるって思ったんじゃねーか?」

「でも櫛だよ? 櫛を武器だって思う子なんているかな」

「……ですが確かに、あの子は怯えたような素振りをしていました」

 

 ゴールドシップさんの推測に、テイオーさんが返し、たづなさんが更に返す。

 

「『そういうのはダメ』、『あの子が怒っちゃう』、と」

「……『あの子』」

「暴走中の別の人格……ですか?」

「あー、すまん。ちょっと込み入った話になりそうだな、そこも」

 

 拡大しかけた推察を、トレーナーさんはどこか申し訳なさそうに止める。『今の状態』で『そうなる』のは良くないと感じたのだろう。

 

「まずは全体の総括をしよう」

 

 そして、それにみんなも同意みたいだった。全体が、改めて彼女の話に注意を向ける。

 

「……拘束から抜け出したアールヴァクは、不意打ちでたづなさんを無力化し、学校の中を徘徊し始めた。その時の騒音でかけ付けた生徒や教師の通報で、事態が理事長にまで伝わって、学園は緊急事態宣言を発令する。生徒たちは指示に従って避難するが、アールヴァクはその真っただ中だった中等部二年フロアを襲おうとした。……それを止めたのがサイレンススズカだ」

「!」

 

 思わず、隣へ振り向く。スズカさんは、身体をこわばらせたみたいだった。

 

「アールヴァクの注意を引いたスズカは、そのまま食堂まで逃走した。やがてはそこにテイオー、ゴールドシップ、マックイーンが合流して時間を稼ぎ、最後に合流した理事長たちによって無力化、旧折檻部屋に収容された……って感じだな。ここまで質問は?」

 

 自然、ネイチャさんと視線を交わす。お互い、特に無いことを確認し、首を横に振ることで応じた。

 

「よし。それじゃ、理事長」

「うむ。では、皆の者……今後の、ダイヤアールヴァクの処遇についてなんだが」

 

 話を引き継いだ理事長さんが前に出る。が、その顔は、一目見ればわかるくらい、難しそうに曇っていた。

 

「正直学園でも、このような事態は前例がなくてな。どうしたものか困惑している……通例ならば謹慎とか、退学とかが適用されるのだろうが……」

 

 理事長さんは言い淀む。謹慎に退学、そういった処分は、『家』や『保護者』がいるからこそ成立するものだ――でもアルちゃんは。

 

 保護者のない者。

 

 況して、名前もわからない何者かから託された子を――一体、どう処分しろというのだろうか。

 

「せめて、ここで『普通』に過ごせるように取り計らいたい……そこで、君たちに訊きたい」

 

 君たち。言うまでもなく、同級生たる私たちだろう。ただ、理事長さんの目は、まだ困惑から脱し切れていないようだった。

 

「その……君たちは、あの子と、これまでどうやって付き合ってきたのだ? あのような……その……危険、と、隣り合わせなのは……」

 

 理事長さんの、しどろもどろなそのお話は尤もだった。そして、その気遣いも痛み入った。追い出すのではなく、保護する方向で考えてくれるのは、願ってもみない厚意だ。だけれど……

 だけれど。

 

「……って、言われても……」

「あぁ……」

「……」

 

 私たちも。目を合わせるほかなかった。理事長さんは、アルちゃんが元からあんな子だった、という前提でお話しているけれど……

 

「うん? どうした?」

「いえ、その……」

「在学中、あの子があのようなことになったことは、なかったのです」

 

 言葉を探す私を追い越し、答えたのはスレイちゃんだった。……なんかさっきから、代弁されてばっかりだな、私……

 

「変わった言動で周囲を困らせることはあっても、誰かを傷つけることなど、一度も……」

「……君たちが卒業してから、どれくらい経ったと言っていたか?」

「えと。だいたい6年くらいです」

「ならばその間に、そうならざるを得ない何かが起きた、ということだな……」

 

 ――あるいは、在学中に、たまたま引き金を引かなかっただけか。

 

「……なら、収穫は?」

 

 テイオーさんが言った。

 

「元々、あの子のことを調べるために、『向こう』に行ったって話だったでしょ」

「あ、はい。一応はありました。役に立つかわかりませんけど……」

「今は猫の手も借りたいくらいだ。話してくれ」

「……わかりました」

 

 テイオーさんと理事長さんに促されるまま、私は、ネイチャさんに協力してもらいながら話す。

 ひとつひとつ。特に――教頭先生が最後に教えてくれた、『保護者』のことを。

 

「……ふむ」

 

 一通り話し終えると、理事長さんが言った。

 

「その『犠牲者』がカギを握っているのは確かだな」

 

 何かを考えるように腕を組み、視線を落とした理事長さんは……

 

「しかし……確か、その一族は……」

 

 どこか、苦虫を嚙み潰したようだった。

 

「……な、何か……?」

「……」

「……」

 

 問いかけると、理事長さんはたづなさんと目を合わせる。そういえばネイチャさんも、何か妙な反応をしていたな。この名前に……

 二人は……言うべきか言わざるべきか、無言で話し合っているように見えたけれど、

 

「……まぁ、褒められたような一家ではなかった、ということですわ」

 

 代わりに、とばかりに答えていたのは、マックイーンさんだった。

 

「競レースは、今や巨大な利権の動く一大興業と化しています。それゆえに、『バ主』として、富や名声を手にしようとする者は未だに多い。その一家も、名声に憧れた有り触れた一家で……しかしその執着ぶりは、他と一線を画しておりましたわ」

 

 これまで数度だけ、ラモーヌさんや『おばあさま』がお会いしたとのことですが――

 

「……『繋がり』を前のめりに求め過ぎで、気味が悪かったとかなんとか」

「でも……そんな感じじゃなさそうでしたよ。先生の話を聞く限りでは、ですけど……」

「私も直接見たわけではありませんので、なんとも。ただそのお方……異様な一家にあって『普通』であったのなら、それが一家に『異常』と見られるのが『普通』ではなくて?」

 

 ……ちょっと言っている意味が分からなかった。それを察したのか、マックイーンさんはちょっと困ったような顔をして、

 

「……『普通な』方が『普通でない』場所に、そう長くいられるとも思いませんもの」

 

 言った――そのお方が。

 

「何らかの理由で、アリオンさんの地元に『逃げて』きたと言われても、私は驚きませんわ」

「逃げてきた……?」

「でも、それこそよくわかんなくねーか? なんてったって逃げてきたってんだよ?」

「さぁ、そこまでは。私も、推測でモノを言っているに過ぎませんから」

「……あり得るとしたら」

 

 私の疑問に、ゴールドシップさんが。

 続けてテイオーさんが割って入って――

 

「……虐待、とか?」

 

 出された『推測』に、誰もが黙り込む。

 ウマ娘が虐待――なんて話に、一瞬疑問が生じたけど、私は、その実例を知っている。

 フェアちゃんの関係者――ダイトウカンショーちゃん、だっけ。確か、あの子は……

 

「……なぁ」

 

 ――刹那。

 口を開いたのは、そのフェアちゃんだった。

 

 全員の注目が、一斉に彼女に向く。そんな反応は予想外だったのか、フェアちゃんはびくりと身体を震わせていた。

 

「あ、いや」

 

 彼女は、慌てて両手を振る。

 

「その、手掛かりになるかはわかんないですけど、えっと……」

「構わん。言ったろ、今は猫の手も借りたいとこだ。思いついたことはなんでも言え」

「……」

 

 トレーナーさんの促しに、フェアちゃんは視線を逸らす。何事かを躊躇っているようにも、考えているようにも見える、その素振りの後……

 

「……思い出したんです。『地下』にいた時のこと」

 

 答えていた。

 

「『職員』さんと話をする機会があって……その一家の名前が出たんです」

「……? 地下?」

「あー、今はいいだろ、そのことは。続けてくれ」

 

 なんだかややこしいことになりそうだったけど、トレーナーさんが間に入る。一度は話を切ったフェアちゃんは、それを受けて続ける。

 

「……それによると、その一家は、人目を忍んでこう……『ダーティ』なことをしてたらしくて」

「ダーティなこと?」

「……」

 

 促すのは理事長さんだ。フェアちゃんはそこでもう一度、決心するように深呼吸して、

 

「……どこかの優秀なウマ娘を養子にとって、その子との間に生まれた子供を育てる」

 

 言った。

 

「で、優秀な成績を収めたその子を、また別の優秀な子を持つ異性と結婚させ、子供を産ませて」

 

 言った。

 

「そしてまた、その子を育てたら、また別の優秀な子を……」

「……おい、ちょっと待て」

 

 言った。

 そして――それを遮ったのは、ゴールドシップさんだった。

 

「それって……つまり」

 

 そこまで丁寧に言われて――

 何も思い至らない私でもない。

 脳裏には――『地元』での、教頭先生とのやり取りが浮かんでいた。

 目の前に出された、私たちの大好きだったにんじんスティック――

 

『(有)斎藤オーガニックファームの『のびのび☆にんじんスティック』じゃないですか!!』

 

『『品種改良』と完全無農薬栽培でのびのび育てられた、それはもう超絶美味な――……』

 

 

 

「――ウマ娘の、

 品種改良……」

 

 

 

『…………』

 

 ずしり、と、空気が更に重くなる。

 それに気圧されたように、全員が言葉を失う中、理事長さんが、扇子を開き、口元を覆っていた。

 

「確かなのか?」

「わかりません。あたしもそんなの眉唾だって思って、その時は適当に聞き流してたんすけど……」

「もし事実だとすれば『ご法度』だ。『配合』を目的とした結婚など……もう何年も前に禁止されている」

「しかし……無法者には、そのようなことは関係がない……」

「……なるほどな」

 

 深刻な空気の中、納得の声を漏らしたのはトレーナーさんだ。

 

「なんとなく、話の全貌が見えてきたぞ」

「え、マジですか……?」

「あぁ、飽くまで仮説だけど……あー、そうだな」

 

 驚愕の声を零す私に、彼女は言った。

 

「少し頭の痛い話をするぞ。あの子の症状は、解離性同一性障害と見てまず間違いない。だがそもそも……なぜそんな精神疾患が生じるのか、まずはそこからだ。

 アールヴァクが暴走していた時に表出していた性格は、明らかに『庇護』の顕現だ。何もかもから守りたい、守らなくちゃいけない。その一心で、近付くもの全てを暴力で拒絶した。ナイフを所かまわず振り回すみたいにな。

 解離性同一性障害は、元を辿れば『防御反応』だ。その人の精神では耐えきれないような事象を目の当たりにした時、主人格を守るために別の人格を形成する。つまり、形成される人格の性質にも、相応の理由があることになる。なら――

 なら、こういう人格が産まれるのは、どういった経緯からか? バカウマ。答えてみろ。制限時間は3秒」

「え、へ!?」

「はい時間切れ」

 

 ……まさか振られるとは思ってなかった。いや、わかっていてもたぶん答えられなかったろう。3秒じゃ短すぎる。せめて30秒はくださいよ……

 

「何、難しい話じゃない」

 

 そんな私を傍目に、彼女は続けた。

 

「逆説的に考えるんだ。何かを守ろう、守りたい、と考える気持ちは……どういった事態から生じるだろうか?」

「……何かに」

 

 答えたのは、スズカさんだった。

 

「何かに……攻撃されたから……?」

 

 そして、それで……先のテイオーさんの推測が、現実味を帯びる。

 虐待――誰しもの脳裏に過ぎっているであろう、その可能性に。

 

「……、それらを踏まえて組み上げた、これは、あたしの『妄想』だ」

 

 トレーナーさんは言った。

 

「まぁ……可能性の一つとして、聞いてくれ」

 

 話す。

 可能性の話を。私たちの知らない、あの子の物語を――話す。……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あの子かね、『例の子』は」

 

 低く、尊大な声の向かう先に、その少女はいた。

 広い和風の一室にて。長めの芦毛を携えたその少女は、不安そうな面持ちで、周囲を見回している。

 

「えぇ。あれで『三代目』ですね」

 

 それを確認したように、また別の声が応じる。

 

「『彼女』の到来から……何年待ったのかも、もうわからんな。わしも歳だ。もうこれ以上は持つかもわからん……この代で、何としても成し遂げなくては」

「ご安心ください。今度のトレーナーの腕は確かです。何より俺の弟ですから。いざとなれば、力で従わせられる」

「期待しようじゃないか」

 

 尊大な男性――和装の男は。

 傍らにスーツ姿の男性を携えて、少女の元へ歩み寄る。

 

 彼女が、今にも泣きそうな目を向けると。

 和装の男性は、にこりと笑っていた。

 そう、表情こそ、笑っていたが――

 瞳の奥は、笑っていなかった。

 

「……やぁ。お気に召したかな。『新しい』『おうち』は」

「……お」

「ん? どうした?」

 

 それを感じ取ったのか。

 少女は、男の優しい言葉遣いにも関わらず、怯え切ったまま、言った。

 

「おとうさんは……どこ……? おかあさんは……?」

「……必ず会えるさ」

 

 するとそれに、男は答えた。

 

「きっと、いつかね……」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「――一体どうなっている!!」

 

 書斎にて、男は怒鳴り散らしていた。

 

「なんだこの成績は!! お前ともあろうものが、つきっきりで『トレーニング』してこの程度か!?」

「申し訳ありません。これでも手を尽くしてはいるのですが……」

「言い訳は聞き飽きた!! 次だ!! 次の監査で、必ず結果を出せ!! それで無理なら強度を高めよ!! このままでは『夢』など夢のまた夢だ!!」

「ですが。彼女の華奢な身体では、これ以上の強度は……」

「あぁ!?」

「……わかりました」

 

 罵倒された男性――

 短い黒髪に、眼鏡をかけた彼は、書斎から退室する。

 ため息を吐くと、その足元――

 傍に、芦毛が揺れていた。

 

「……はは。ごめん。聞いてたかい?」

「うぅん。だいじょうぶ……」

 

 眼鏡の男性は、彼女に微笑むと、手を差し出す。

 少女は、そっとその手を取っていた。

 

「おこられてた……?」

「……あはは。困っちゃうよね。僕らもこんなに頑張ってるのに。結果が出ないのは仕方がないじゃないか。ねぇ?」

「……ごめんなさい。わたしが、だめなせいで……」

「そんなことないよ。君は頑張ってる。とっても、とっても、頑張ってる……」

 

 肩を落とす少女の頭を、男は撫でた。

 

「大丈夫。きっと大丈夫だ」

 

 そして、安心させるように、言った。

 

「大丈夫。……大丈夫……」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「――ですから、ウマ娘の指導は、一律でどうにかなるものではないのです!」

 

 その日も、二人の男は激しく口論する。

 

「これまでの生活で、私は感じています。彼女はいわゆる『サヴァン』に近いものです。度重なる『配合』が、そういった『リスク』を彼女に負わせたのでしょう。ですからトレーニングも、相応の内容にするべきです! でなければあの子の才能は……!!」

「それで……なんだ。どうにもならなかったら責任が取れるか。私にまた何年も待てと言うのか!?」

「盛者必衰です親父殿!! 永遠に栄え続けられる一家などこの世にありません!! これは運命なのです! 神の見定めた我らの引き際――いえ、もうそのような地点など、とうに通り過ぎています!! 我々の我儘に、あんな小さな女の子を付き合わせるわけにはいきません!!」

「女の子? オンナノコ? はっ、共に生きる中で情を抱いたか。道理で今まで、にっちもさっちも行かずに燻っていたわけだな」

「親父殿……!」

「あれは道具だ」

「は……?」

「我らの栄誉の為の道具にすぎん。道具に情など持つでないわ!! そのような戯言を抜かす暇があるなら、さっさと次の計画でも立てろ!」

「親父殿!!」

「それが出来ないのなら……ここから、『出ていって』もらっても、構わんのだがな?」

「っ……」

 

 ……眼鏡の男性は、唇を噛み締める。

 呼吸を整え、踵を返したのは――

 

「……失礼します」

 

 彼の言葉を、受け入れたからではなかった。

 彼の言葉を――肯定したからだった。

 

「……アールヴァク」

 

 だから彼は、今日もまた、夜遅くまで眠れずにいる彼女に、声を掛ける。

 びくり、と震え、見つめる彼女に。

 彼は、胸を締め付けられる。

 

「……行くぞ」

 

 そんな彼女に、彼は呼び掛けた。

 

「……え……?」

「着いてこい。今から……お出かけだ」

「お、おでかけ……?」

「そうだ」

 

 出来る限り、優しく、柔らかく。

 

「……行こう、ここじゃないどこかへ。

 

 誰も、俺たちのことを知らない、どこかへ」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 さいしょ とれーなーさんが なにをいっているのか わからなかったです

 

 こわくて こわくて こわくて しょうがなくて

 また いやなところに こわいところに つれてかれるのかなと おもうと

 こわくて ずっと ずっと くるまのなかで ふるえていました

 

 ついたばしょは ちっちゃなおうちで ここが あたらしいおうちだよと あのひとは いってくれました

 そこは とてもしずかで きもちがよくて すごしているうちに

 だんだんと こころが かるくなっていくような きがしました

 

 すこしして がっこう というところに いくことになりました

 きっと おなじねんれいのこが いっしょのほうがいい と あのひとは いってくれましたが

 なにをいっているのか やっぱり よくわからなかったです

 

 がっこうには いろんなこがいて

 さいしょは こわくて どうすればいいかも わからなかったけど

 そこが みんなと べんきょう したり あそんだり するところだと わかると

 しぜんと そこにいくのが すきになっていました

 

 とくに ふぇあちゃん すれいちゃん ありおんちゃんとは とってもなかよしで

 まいにち おそくなるまで あそんでいたのを おぼえています

 こんなひが こんなたのしいことが いつまでもつづけばいい

 わたしはいつか そんなふうに おもうようになっていました

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「――アル」

 

 アシカガトレセン学園、卒業式の翌日――

 彼は、意を決して言っていた。

 

「帰ろう。……『おうち』へ、帰るんだ」

「え……」

 

 それが何を意味するのか、アールヴァクにもよく理解出来たらしい。

 彼女は、瞬時に顔面蒼白となったが。それを安心させるため、彼は彼女の頭を撫でていた。

 

「……大丈夫。親父殿も、その家族も、あれで一定の理解はしてくれる方たちだ」

 

 そして、言う。

 

「外への移住で、変わった君を見れば、きっと考えを改めてくれる。今までのように……厳しいトレーニングを積むことも、無くなる。きっと……君に寄り添った決定をしてくれる」

 

 彼女を元気づけるように、出来るだけ確信を持って、言う。

 

「だから……帰ろう。そこで、もう一度……やり直そう」

「……」

 

 アールヴァクは依然として、不安そうな顔を隠さなかったが。

 

「……ん」

 

 やがて、それを振り払うように、頷いていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 そうして もとのおうちに かえったあとの あるひのよる

 わたしは ろうかをあるいていました

 おといれにいきたかった というのもありましたが ちょっと おなかがすいたので

 なにか たべものはないかと しょくどうに むかうところでした

 

「――?」

 

 そのときでした

 なにかが われるようなおとがしたのは

 ちょうど そのでどころは しょくどうで

 むかってたところでもあったので わたしは ほんのこうきしんで

 そこを のぞきこみました ――

 

「  」

 

 その時に目の前に広がった光景を、ダイヤアールヴァクは今でも覚えている。

 目の前に立つ、和装の男性。その手には、ビール瓶と思しき瓶が握られており。

 その先端付近は、真っ赤に染まっている。

 

 彼の目の前には、一人の男。

 あの、見慣れた、眼鏡の男性が。

 

 倒れている。

 横たわっている。

 頭から血を流しながら、

 倒れ伏し、微動だにしない。

 

「        」

 

 ――わたしは ことばをうしない

 あとずさりました

 それにきづいた おやじどのは

 わたしのほうへ ふりかえると

 

「……ち、違う」

 

 と いいはじめました

 

「違う……違う! 私ではない!!」

 

 と いいました

 

「私のせいではない! こいつが、この男が、私に生意気を――!!」

「……、……」

 

 少女がその『事実』を受け止めるには、あまりにも小さ過ぎた。

 結果として、それを目の当たりにした彼女は、

 

「――!!」

 

 甲高い叫び声を上げていた。

 それに呼応して、どたどたと、多くの足音が近付いてくる。

 

「――!? お、お館様!? これは……!!」

「ちょ、ちょっとお父様!? どういうこと!? その人、し、死んで……!!」

「救急車!! 早く救急車を!!」

「待て!! 呼ぶな!! 呼んで大事になったら、大変なことに――!!」

「…………」

 

 ――なにこれ

 わからなかったです

 めのまえがゆれて しかいがふるえて

 こころのそこから なにかが わきあがるかんじがしました

 

 めのまえのひとたちは しんせきは

 かぞくは そのほかの かんけいのないおともだちは

 みんな ほしんと せきにんのがれに ごしゅうしんで

 かれの ようだいなんて どうでもいい みたいにみえました

 

「――、――!!」

 

 みにくい

 

「――!? ――、――!!」

 

 みにくい

 

「――、――……、――……!!」

 

 

 

 みにくい

 

 

 

 わたしは どうすればいいか わからなくなりました

 

 ただ ただ たちつくすなかで とっても とっても あついなにかが あたまのなかにまで あふれてきます

 

 どうして?

 どうして こんなことになってるの

 

 どうして?

 どうして あのひとは たおれているの

 

 このひとが やった

 このひとたちが やった

 あんなに いいひとだったのに あんなにやさしかったのに

 

 なんで?

 なんで?

 なんで こうならなくちゃ いけなかったの

 

 わからない

 わからない

 

 わからない わからない わからない

 わからない わからない わからない

 こわい わからない いたい あつい

 こわい こわい あつい こわい

 わからないいたこわいあついあついあついあついあつい

 

 あつい

 むねのここのとこが

 あつくて ぐるぐるして もやもやして いやなかんじで

 たまらない

 

「  」

 

 どうすればいいの

 もうあのひとはうごかない

 

「  しろ」

 

 どうすればいいの

 もうだれも わたしをまもってくれない

 

「  しろ  が」

 

 このさき これから わたしは どうすれば

 こんなひとたちから

 こんなひとたちと

 これから どうやって いきていけば

 

 どうやって じぶんを まもれば ――

 

「あんしんしろ」

 

 そのとき

 こえが きこえました

 

「なにもかんがえなくていい なにもきにしなくていい おまえをおかすやつはゆるさない おまえをきずつけるやつはゆるさない おまえにちかづくてきい あくい さつい ぜんぶ ぜんぶ ぶちこわしてやる」

 

 それは わたしのこえに よくにていたけれど

 

「あんしんしろ おれが」

 

 まったく べつのひとの ようでも ありました ……

 

「おれが

 マモってやル」

 

 そして

 いしきは ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きがつきました

 わたしは なぜか ゆかに すわりこんでいました

 どれくらいときがたったのかも わかりませんでした

 でも おなかがすいてるかんじもなかったので

 とりあえずねよう と てをゆかにつけました

 

 

 

 べちゃっ

 

 

 

 きみょうなかんしょくがして

 わたしは じぶんのてをみつめました

 そのては

 

 

 

 あかく

 そまっていました

 

 

 

「……え」

 

 そのときわたしは

 めのまえのじょうきょうを はじめて かくにんしました

 

「――……」

 

 ――そう。

 ダイヤアールヴァクの目の前には。

 

 身体のところどころを赤く染めた人々が。

 何人も、痛みに呻きながら、横たわっていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 サイレンの音が、遠くからやってくる。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 そのできごとが どんなふうになったのか いまでもよくわかりません

 ただ わたしは それから いろんないえを てんてんとしました

 

 さいしょは しんせきのおうちに あずけられたけど

 しにがみ とか あくま とかいわれて すぐに べつのところに ひきわたされました

 

 そこでは しばらく しずかにすごしていましたが

 なにか なにかがきっかけで 『あの子』がそとにでてきて また ひとをきずつけてしまって

 べつのばしょへ あずけられました

 

 そんなことの くりかえしでした いくつ いえをわたったのか わかりません

 さいしゅうてきに わたしは どこかのおうちの うすぐらい かんごく みたいなばしょにいれられて

 そこで せいかつ していました

 

「――ア、アルさん。お、お食事、です」

 

 わたしが あくまみたいに みえたのでしょう

 ごはんをもってくるひとも わたしに おびえてる みたいでした

 

 ほとんど そとにでることもなく ごらくといえば

 ときおり もってきてもらえる ほんと てれび だけ

 からだを うごかすのとは むえんのせいかつが つづきました

 

「……」

 

 あるひ

 てれびをみていると みたことのあるひとが うつっていました

 

『――、――!』

 

 それが なんのれえすなのかは わかりませんでしたが

 そこに たしかに うつっていました

 

『――! ――!!』

 

 それをみて

 

『――のは、背後から追い上げてきた新鋭――

 

 サファイアアリオン! 6番、サファイアアリオンだ! ――……』

 

「……」

 

 わたしは

 おもわず てれびに すがりついていました

 ありおんちゃんが

 とても とても ひろいひろばを はしっていました

 

 すごく すごく たのしそうで

 わたしは そのがめんを すっごくちかくからみて

 てで ふれて

 ひたいを つけていました

 

「…………」

 

 そして

 

「……、っ……」

 

 ないて いました

 

「~~~……」

 

 はしりたい

 はしりたいな って おもいました

 

 ふぇあちゃんと すれいちゃんと ありおんちゃんと

 また はしりたいって おもいました

 

 どうして こんなことに なってるんだろう

 どうして こうならなくちゃ いけなかったんだろう

 わたしは いったい なにをしてしまったのでしょうか

 わたしは いったい どうすればよかったのでしょうか

 

 なにもしていなかったです ただ いわれたことを ぜんりょくで せいいっぱい がんばっていた だけなのに

 

 

 

 なんで わたしは

 こんなところに いるのでしょうか

 

 

 

「っ、ぅ……ぁ……」

 

 こたえてくれるひとなんて いません

 それを ゆるしてもらえるとも おもいません

 だって わたしは しっていたからです もはや

『あの子』が いるいじょうは

 

 もう ふつうには なれないんだって

 もう だれかとは かかわれないんだって

 だって かかわってしまえば なにか きっかけがあれば

 

 また そのひとを

 こわしてしまうから

 

「……、……」

 

 わたしは

 

 ただ

 

 ただ

 

 なくしか

 

 できません でした ……

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 またべつのひ

 わたしは そとへとつれだされました

 

 うれしくもなく たのしくもなく ただ だれもきずつけたくなくて

 なにもきいていないふりを なにもきこえていないふりをしました

 

 わたしは くるまにのって どこかへとつれていかれます

 どれくらい はしったかはわかりませんが

 やがて くるまいすにしばられて

 そのばしょへと たどりつきました

 

「――さぁ、アールヴァク」

 

「ここが、君の新しいお家だよ……」

 

 そこは

 とっても とっても おおきな がっこうのよう でした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……トレーナーさんの、一連の『妄想』を聞いて。

 部屋は、再びの沈黙に包まれていた。

 

「……筋は通っているな」

 

 最初に声を上げていたのは、理事長さんだった。

 

「少し無理のある部分はあるが……納得は出来る」

「はは。見上げた『妄想力』だ」

「どーいたしまして」

 

 ネイチャさんの軽口に、トレーナーさんは肩を竦める。そのやり取りにも関わらず、空気が軽くなることは無かった。

 

「けど、結構重要な推察じゃない?」

 

 テイオーさんが言う。

 

「その一家周りのこと、もっと深く突き詰めれば、裏も取れるかも」

「そうだな。……よし、たづな」

「無論です」

 

 理事長さんは、たづなさんに呼びかけて動き出す。先行してたづなさんが退室するなかで、

 

「皆のもの」

 

 理事長さんは、振り返って言った。

 

「此度は集まってくれてありがとう。今日のところは、これで解散としよう。また何かわかったら連絡するが、その時は……」

「協力してくれ、ですよね。わかってますよ」

「……ありがとう」

 

 同意したテイオーさんに、満足そうに微笑んだ理事長さんは、フェアちゃんとスレイちゃんに目配せする。

 

「では、賓客の二人も来てくれ。送らせてもらう」

「え? い、いやいやいいっすよ、そんな――」

「お言葉に甘えます。既にスケジュールがだいぶずれているので」

「オメー……ちょっとは遠慮ってもんを知れよ……」

 

 ……いや。でも、今回の話し合いに付き合わせたのはこちらだ。徒歩で帰ってくれ、というのも薄情だろう。そこは、送らせてもらいたい。……送るのは私じゃないけど。

 

「……、わかりました、そうさせてもらいます」

 

 私の心の声が聞こえたみたいに、フェアちゃんはそれに同意した。

 

「じゃあなアリオン。またな」

「こちらでも、調べられるだけ調べておきます。お役に立てるかはわかりませんが」

「あ……うん。ありがと。よろしくね」

 

 二人、それぞれに告げながら、理事長さんと共に、部屋を後にする。こうして残されたのは、私たち七人になった。

 

「……お前も帰れ。明日は休みじゃないんだからな」

「あれ。トレーナーさん達は?」

「あたしらはもう少し話の整理をする。個人的に聞きたいこともあるだろ。特にテイオーがな」

 

 ……さっきの地下の話かな。テイオーさん……だけでなく、ゴールドシップさん、マックイーンさん、ネイチャさんも居残りそうな空気だ。ってことはスズカさんも……

 

「スズカ、きみも帰りな」

「え?」

 

 ……居残る気だったらしい。けれど、テイオーさんに言われて、頓狂に声を上げていた。

 

「ウマ娘の本分は、勉強とレースだよ。ボクらはまだいいけど……きみらはこれからなんだから。休める時にしっかり休まないと」

「おぉ、そうだぜ。ガキンチョは大人しく休んどけ。難しい話は、アタシらの領分だ」

「オメーらも十分ガキだけどな」

「……」

 

 スズカさんは、まだ何か反論しかけた。でも、分が悪いと感じたのだろう。間もなく口を閉じると、

 

「……わかったわ」

 

 観念したように立ち上がっていた。私もそれに着いて行く。

 

「じゃあ……あの。お疲れ様でした」

「あぁ、おつかれ」

 

 そして……二人、チーム室を後にする。

 もうすっかり完全下校時間を過ぎた校舎内は、電灯は灯っているけれど、人の気配は全くしない。まるでこの世界に、私たち二人だけになったみたいな錯覚。

 

「……」

「……」

 

 ……いい感じに例えたけど。

 正直、滅茶苦茶気まずかった。

 そうだ。流れで私たち、二人で帰ることになったけど……

 こうして二人、行動を共にすることばかりか。顔を合わせること自体、ほぼ初めてだった……

 

「ごめんね」

「へっ?」

 

 そんな私の気持ちを察したみたいに、スズカさんがぽつりと言った。

 

「話しづらいでしょ、私」

「い……いやいや、そんなこと」

「だから、せめて一人ずつ帰ろうって思ってたんだけど、上手くいかなかったわね……」

 

 あ、あぁ。そういう意図があったんだ、あれ。普通に負けず嫌いが出来てきたものとばかり。

 

「……うぅん。気にしないで。ほら、その~……私も、スズカさんと話せて良かったっていうか」

 

 取り繕うみたいに言うけれど、なんだか上手くいってない気がする。空気は重くなる一方だ……

 

「……、」

 

 変な小細工など不要だと思った。

 それよりも……私は彼女に、言わなくてはならないことがあった。

 

「……ありがとね。アルちゃんを止めようとしてくれて」

 

 だから、それを口にすると、スズカさんは、そんなことないわ、とまず否定していた。

 

「私は……ただ、逃げるしか出来なかったから」

 

 申し訳なさそうに、答えていた。

 

「それに私も、一歩間違えたら危なかった。そこをゴルシさんが……」

「……スズカさんは」

 

 そんな彼女に、私は問うた。逃げただけ、だなんて、簡単に言うけれど。

 

「怖く、なかったの?」

 

 そう。

 暴走状態、なんて異常を目の当たりにして。

 逃げるにしたって。……怖くなかったのか、と。

 

「怖かったわよ、そりゃ」

 

 すると彼女は、困ったように笑いながら答えた。

 

「でもそれこそ……『逃げ出したらダメ』って思ったから。傍にいてあげなくちゃいけないと思ったの。どんなかたちであれ……あの子の傍に」

「傍に……?」

「周りからはどうだったか、わからないけれど……あの子の、あの様子は……」

 

 私の目には、

 とても、哀れに見えたわ。

 

「受け止められる子が、受け止めてあげなくちゃ。取り返しのつかないことになる……って、思ったのよ」

 

 ……哀れ。

 トレーナーさんの『妄想』が、実のところどれくらい当たっているのかはわからない。けれどもし、彼女の妄想が、多少なり現実とリンクしているのであれば……

 あの子が、暴走しながらも、悲しげであったとしても、確かに、おかしいとも言い切れなかった。

 

 もしかしたら。

 暴れ回りながら。あの子は、助けを求めていたのだ、としても。

 

「それに、苦しいことばかりでもなかったのよ?」

 

 スズカさんの声が、そこで分かりやすく高揚した。

 

「私……もしかしたら、『逃げ』の才能があるかも、って思ってね」

「え……ま、まさか、その状況でそんなこと思ったの?」

「もちろん、終わってから分析してね。これから試すつもりだけど……あの状況。こう、ビビっときたっていうか」

「……す、ストイックだねぇ」

 

 いや、これをそんな一言で済ませていいんだろうか。脅威に追われている状態でも、自己分析を怠らないなんて。

 それも、私たちほどの、深い繫がりをまだ持っていないから、というところもあるんだろうか。

 

 サイレンススズカ――深窓の令嬢。

 最近、色々と思い悩んでると聞いたけれど、まさかこの事件が、苦境を脱するきっかけになったりして……

 

「……走ってみたいな、あの子と」

 

 スズカさんは言った。

 

「いつか……正式な舞台で。全力で……」

 

 噛み締めるように。

 憧れるように――言っていた。

 

「……」

 

 間もなく、校舎の外に出る。

 薄闇の中、月明かりに照らされた彼女の横顔は、どこか神聖にすら見えて。

 

「……出来るよ、きっと」

 

 私は、そう答えていた。

 

「うぅん。そうする。そうなるように……あの子を、きっと、『元に戻して』あげる。あの子のあんな姿……もう、見たくないもの」

「……そうね」

 

 それに、スズカさんも同意してくれる。

 一寸先も闇、手探りでやっていくしかない、真っ暗な問題の中。

 光明が見えたような気がした。少しだけ……そう。

 

 

 

 ほんの、少しだけ。

 

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