16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

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異次元の逃亡者(前編)

 その一室の清掃を終えた彼女は、ふぅ、と息を吐き、額に滲んだ汗を拭っていた。

 家具の配置は正常、フローリングにも汚れや埃は見られない。誰がどう見ても完璧と評して間違いない綺麗さだが――一仕事終えた彼女の顔は、相反して曇っていた。

 かつてダイヤアールヴァクの世話役として、職務を全うしていたメイドは、先の『アールヴァクの関係者』との会話を再度思い起こす。

 あれからというもの、気持ちが落ち着くたびに、あの時の会話が思い出されて止まない。自身が、取り返しのつかない過ちを犯してしまったかのように。

 

 無論、完全に正しい受け答えが出来たという自信もない。なればこそ少女――サファイアアリオンを激昂させてしまったし、名も知らぬ担当トレーナーの失望を買ってしまいもした。

 ただ仕方がないじゃないか、と言い聞かせる自分がいるのもまた事実だった。

 

 何が出来たというのだろう。

 何をしてあげられたというのだろう。

 言うは簡単なのだ。あのような、少し触れてしまえば崩れ落ちてしまいそうな、弱々しい少女を前にして、どうすれば助け出してあげられたというのだろう。

 

 どうすれば、

 こんなことに、ならずに済んだのだろう。

 

 虚空に声無く投げかけられた問答に、答えはない。誰もこのような深刻なもしもの答えなど与えられはしないだろうし、だからといってそれに思考を割き続けるのは時間のムダだ。

 だから、せめて目の前のことを。……いつもなら小さな失敗続きの彼女が、珍しく完璧に仕事をこなせているのは、それが手伝っていることもあった。

 課せられた仕事をこなすくらいしか。

 彼女に、逃げ場はなかった。

 

「……、」

 

 ともかく――

 仕事は終わった。彼女は外に出て自車に乗り込むと、『報告』を済ませる。

 今後の予定を頭に巡らせながら、車のエンジンをかけ、いつも通りにラジオに耳を傾けた――

 

「……」

 

 その時。

 

「……え?」

 

 流れてきた音声に。

 彼女は、声を上げていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 正直、ちょっとテンションが上がっていた。

 

「――こちらチームブライト、配置に着きました!」

 

 携帯電話に開いたグループ通話に呼びかける声は、思っていた以上に上擦っていた。そわそわと周囲を見回す姿は、不審に見られたりしないだろうか。

 ……いや、多少なり不審に見られることだろう。私だったら、あからさまにそわそわしてる学生を見たら、少なくとも『なんだこいつ』と感じてしまう。

『ここ』が人通りの少ない場所であったことは幸いだろう。まぁそも、人通りの多いとこだったら、そんな振る舞いはしないだろうけど……

 

「元気いっぱいですわね~」

 

 そんな私に、優雅なまでにのんびりとした声が投げかけられていた。

 

「ですがまだ、配置に着いただけですわ~。作戦は始まっていないのですから、肩の力は、適度に抜きませんと~」

「……うん。でもなんか、居ても立っても居られなくてさ」

 

 頬を掻きながら、それに応じる。ブライトさんは、近くのベンチに座って、マイペースに微笑んでいた。

 

「お気持ちはわかりますわ~」

 

 それから、私の発言に、同意しながらも言う。

 

「ですが、そわそわしていても、結果は急いではくれませんの。」

 

 諭すように、落ち着けるように、ゆっくりと、柔らかく、言う。

 

「究極の修羅場は、これからですわ。そのために、体力は温存しておきませんと」

「……」

「果報は寝て待て、とも言いますわ~」

 

 ぽんぽん、と彼女はベンチの隣を示していた。私は、それに一瞬だけ思考して……従うことにした。

 きし、とベンチが軽い音を立てる。それを見てか、ブライトさんは微笑みを深めていた。

 

「素直でよろしいですわ~」

「ま……まぁね! ブライトさんの言うことにも、一理あるから……」

 

 照れ隠しみたいに言いながら、私は携帯電話を取り出して、その『サイト』を開く。まだ『それ』は始まっていないみたいだった。画面を見つめて――なんだか、今の状況に、現実離れした感覚を覚える。

 みんなが私に協力してくれたのは、これが初めてじゃない。なんだかんだ、私の我儘に毎回付き合ってくれてきた……それが今回は、この規模。

 一人で走り出した時は、どうすればいいかわからなかった。何から手を着ければいいのか、わからなかった。でもこれなら。これだけ大きな計画なら……

 ――きっと見つけ出せる。不思議な確信が、胸の中に合った。

 

 感謝しかない。みんなには。全てが終ったら、方々に頭下げて回ろう……なんてやったら、またネイチャさんは怒るかな。

 でも、それくらいしたいくらいだった。本当にこの事実だけで――心強かった。

 ただのそれだけで。

 私には、実際、十分すぎるほどだった。

 

「……」

 

 ……『あの子』も。

 ここにいてくれたら、良かったのにな。

 ボブカットの鹿毛が脳裏に揺れる。もうずいぶんろくに聞いていない、明るい声を想起すると、自然と、胸を締め付けられる気持ちがした。

 

 ……ここまで、姿を見せないのなら。

 もう、あの『約束』も、果たせないのかな――なんて。

 思ってしまう。

 

 ……時間が流れる。

 目の前を自転車が通り過ぎ、遠くに時を告げる町内チャイムが聞こえた。

 

「……あ」

「?」

 

 その時、私は声を漏らした。

 隣のブライトさんが、それに反応して目を向ける。私はそれを感じて、彼女に携帯電話の画面を示した。

 そして、言った。

 

「始まったみたい」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「――う~、緊張するなぁ、さすがに……」

 

 エントランスに用意された即席の『演台』を前にして、トウカイテイオーは声を震わせていた。

 

「こんなに大勢の前でお話なんていつぶりだろ……」

「会長就任演説の時じゃない? ってことは二、三年くらい前か。いやー、あの時のテイオーも、ガチガチで可愛かったなぁ」

「やめて掘り起こすの……思い出したらサブイボが……」

 

 ネイチャに揶揄われ、身体を浅く抱くテイオー。ネイチャはそれを見て、悪戯っぽく笑った。

 

「……あの時とは、状況は、まるっきり違うけどね」

 

 そして、そう続ける。その言葉に、テイオーの眼差しは神妙になった。

 

「上手くいくと思う?」

「いくさ。少なくとも、ボクらはそう信じなくちゃ」

 

 実際のところ、計画が上手くいくかどうかなどわからない。神のみぞ知る、というところだ。ならばせめて、自分たちがするべきことは、未来を悲観することではなく、最善を尽くすことである。

 上手くいくように。どうにかなるように。やれるだけのことを、やることである。

 

「……こんなクソみたいな運命、受け入れてたまるかよ」

「……」

 

 空に唾を吐くように言った彼女に、ネイチャの笑みは、不敵なものに変わった。

 

「お供しますよ、カイチョーさん」

 

 それから、言う。

 

「それが、副会長の務めだからね」

「……」

 

 ――あの時のテイオーはガチガチだった。

 ネイチャはそう言うが、一方のテイオーの、彼女への印象もそう遠くなかった。こちらこそ、であった。

 君の方こそ――最初はガチガチだったよ、と。

 

「……頼りにしてるよ」

 

 お互い、そうして、確かな成長を感じながら。

 

「トウカイテイオーさん!」

 

 声を聞く。それは、学園関係者ではなく、地方放送局の関係者の男性だった。彼は、テイオーにマイクを手渡しながら、

 

「準備が出来ました、お願いします!」

「はい!」

 

 ――来た。テイオーは、ネイチャに目配せする。お互いに頷き合うと――二人は、演台の方へと向かっていく。

 

 一歩一歩。それがいつもよりも重く感じられる。

 学園の歴史の重み。競レースの過去の重み。そして――ウマ娘の、未来の重み。

 それを感じて、踏みしめながら、演台へと上っていく。

 

 心の中には、過去の出来事が巡る。ここ最近のことばかりではない。自身の苦く、辛い経験。暗いトンネルの中のような時間、そこに差した光明。自分を助けてくれたもの、手を差し伸べてくれたもの――

 それらに、導かれたこと。

 

 その全てを連想し、胸に抱いて。いよいよ、演台に上り切り、目の前の光景を見下ろす。

 そこには、詰めかけた報道陣と、彼女に向けられたカメラ。現場サポートに回っている数人の生徒と、教師。

 撮影許可は下りているようで、既にフラッシュと共に、カメラのシャッターがしきりに切られている。

 

「……、」

 

 テイオーは浮つかない。

 胸に手を当て、薄く目を閉じ、深呼吸を数度繰り返す。大丈夫、大丈夫――そう言い聞かせると、緊張も、恐怖も、不思議と遠のいていくのを感じた。

 

 ――大丈夫。

 自分を取り巻くすべてが、経験してきた過去が。そう、彼女に、優しく語り掛けているようだった。

 

「――それでは、現場にカメラ変わりまーす!」

 

 声が上がる。

 

「3、2、――」

 

 カウントダウンは、そこで途切れる。

 目を閉じていたテイオーは、心の中で、1、と最後のカウントを行い。

 目を開けた。

 心なしか、そうして改めて見た目の前の光景は、先ほどよりも違うように感じられた。

 

 全てが鮮明に。あらゆるものが鮮烈に。

 自分に、関心を向けていることを、肌で理解する。

 締めに、もうひとつ深呼吸。そうしてもう一度、自分が『平気である』ことを自覚したテイオーは、

 

「――、」

 

 彼らに向かって。

 

「皆さん、」

 

 静かに。

 

「こんばんは、ボク――私は……」

 

 話し始めた。

 

「日本トレーニングセンター学園中央校、第二代生徒会長、トウカイテイオーです」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 ネイチャは聞く。間近で、テイオーが話す言葉を。

 

「本日は、皆さまにお伝えしたいことがあり、こうしてお時間をいただくこととなりました」

 

 そうはいっても、声は若干緊張しているように聞こえる。ただ、手助けが必要と思ったかというと、そういうわけでもなかった。

 緊張しながらも、地に足付いているというか。

 任せられる、不思議な安心感があった。

 

「昨今、学園で起きた、とあるウマ娘の『暴走事件』をきっかけに、競レース廃止論が過熱していることは把握しています」

 

 彼女は言う。言葉を、ひとつひとつ確認するように。

 

「それがために、過激なデモ活動が起きていることも、よく知っています」

 

 意志を、ひとつひとつ、表明するように。

 

「……痛ましい暴行事件が、起きてしまったことも」

 

 過ちを。

 ひとつひとつ、噛み締めるように。

 

「皆さま、」

 

 彼女は、再度呼びかける。

 そこに、先までの緊張は、既になかった。

 

「我々、日本トレーニングセンター学園、中央校生徒、並びに教諭一同は」

 

 それを振り払って。押しのけて。突き放して。

 地方、ひいては全国に向けて――

 

「そのような主張に対して、厳重に、――……」

 

 言った。

 

「――、厳重に、抗議いたします!!」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 メジロブライトは観る。サファイアアリオンと共に、携帯電話の画面に映された、トウカイテイオーの姿を。

 

『確かに、廃止派の主張の通り、競レースは、多少なり違法性や危険性を孕んだものかもしれません』

 

 そこに、普段の無邪気な温厚さも、かつての哀れな暗さもない。

 

『ですが、『先日起きた事件』のように、何者かを明確に傷つけたことが、一度でもあったでしょうか!』

 

 目に見えない敵を見るように。そこにいないはずの誰かに訴えるように。

 微塵の躊躇いも戸惑いも無く、言葉を続ける。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 セイウンスカイは観る。ルビーフェアと共に、家電量販店の前にて。ショーウィンドウに設置されたテレビ画面上の、生徒会長の姿を。

 

『競レースを通じて生じるあらゆる利益、あらゆる取引は、法律上で明確に許諾されているものです。不当に特定人物から詐取した事実も、況してや不幸に追い込んだ過去もありません』

 

 思い返すのは生徒会長就任演説時の姿だ。あの時の彼女はガチガチで、言葉も一部しどろもどろだった。

 

『そして今後も、そのようなスタンスが崩れることはありませんし、あってはなりません。レースを通じて、あらゆるものを幸福にすること――その信条に、今も嘘偽りはございません!』

 

 今やそこに、淀みはない。怯えず、恐れず、逃げず、力強く、想いを紡いでいく。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 メジロドーベルは観る。スレイエメラルドと共に、府中駅北口、高架歩道デッキ上にて。駅舎に設置された巨大ビジョン上に移された、『不屈の帝王』の姿を。

 

『我々はレースを通じて、様々な経験を重ねてきました』

 

 周囲を行き交う人々も、思わず足を止めて見つめている。その姿は、誰もの記憶の、どの彼女とも異なっていた。

 

『それは時に争いであり、時に諍いでした』

 

 ――助けは必要ないと、差し伸べられた手を拒んだ。

 

『時に嘲りであり、時に侮りでした』

 

 ――知りもしない領域を知ろうともせず、自分の考えを押し付けていた。

 

『時に思い込みであり、時に、独り善がりでした』

 

 ――自分は一人だと。自分だけで乗り越えなければならないと、思いこんでいた。

 

『――ですが』

 

 ――だが。

 違っていた。

 

『それは時に、

『繋がり』でした』

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 全ての者が、観ていた。

 携帯電話で。

 

『それは友情でした、』

 

 テレビ画面で。

 

『それは歓喜でした、』

 

 あるいはラジオで。

 

『それは達成感でした、』

 

 あるいは動画配信で。

 

『それは感動でした、』

 

 そして、そして――

 その、全てのもので。

 

『――それは、

 勝利でした』

 

 彼女の雄姿を、見届けていた。

 

『名誉でした。栄誉でした。そしてそれを源流として繋がる――ありとあらゆる、『勇気』でした』

「……」

 

 ――『彼女』もまた、観る。

 高級な一室で、椅子に座り、鮮明なテレビ画面を。

 

『理想でした。未来でした。何よりも輝かしい――夢でした』

 

 続ける。

 テイオーは、続ける。

 

『――審判を下すのは皆さまだと思います』

 

 誰か一人の思いだけであってはならない。

 何かひとつの願望だけであってはならない。

 

『ですが我々は……少なくとも我々は。誤解を恐れずに言うならば。レースを通じて与えてきたもの、主張してきたもの、見せてきたものが、多少なりにでも、誰かの人生に影響を与えなかったとは断言しません』

 

 心を動かすのを見た。

 人が動くのを見た。

 夢が生じる瞬間を、見た。

 

『暴力になど屈しない。恐怖になど屈しない。我々は、正当に、真っ直ぐに!! そのような非人道的な訴えと戦います! ――そう、』

 

 だから。

 だから――と。

 学園敷地内――

 

「……、」

 

 トウカイテイオーは、言葉を切り。

 背後へと振り返る。

 正確には、更にその先。

 三階部分の廊下にて待機している、『仲間』の方へと――視線を飛ばし。

 

「――よし」

 

 それを受け取った彼女――

 ゴールドシップは。

 少し離れた反対側に待機するもう一人、メジロマックイーンの方を見る。

 薄闇の中、彼女と目が合い、頷き合った二人は――

 

『――せー、のっ!!』

 

 それを、思い切り『外へ放った』。

 

「……」

 

 テイオーは、微笑む。

 そうして、トレセン学園の壁――

 派手に垂れ下がった、『二枚』の『垂れ幕』を見て――

 前へと、向き直った。

 

 それは、マークだった。

 URA、そしてトレセン学園の――

 誰もが一度は目にする、シンボルマーク――

 

「――そう」

 

 それらを背後に――

 

「URA社章、並びにトレーニングセンター学園中央校校章の元に!!」

 

 彼女は、

 

「この場を借りて、改めて、宣言いたします」

 

 言った。

 

「――日本競レースは、

 存続すべきであると!!」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

『……』

 

 府中駅は――

 静寂に包まれていた。

 足を止めて見入っていた人々の間には、世間話のひとつも交わされない。

 周辺で抗議活動を繰り広げていた『反対派』の人々も……

 押し黙り、画面を見つめるばかりである。

 

「……、」

 

 そのさなかで――

 

「――、」

 

 誰かが、傍の誰か――知り合いと思しき人物へ言った。

 その通りじゃないのか、と。

 

「――、――……」

 

 レースを通じて、誰かを傷つけたわけじゃない。

 それによって、誰かが不幸になったわけでもない。

 

「――、――……!」

 

 緩い同意の輪は、瞬く間に広がっていき――

 

『――!!』

 

 やがては、集った民衆を包む熱気となった。

 

 存続、

 存続、

 存続――!!

 

 テイオーの演説に同調し、人々が声を張り上げる。

 そうなると――居所に困窮するのが、反対派の者たちだった。

 

「……」

 

 それまでどっちつかずだったはずの通行人たちは、今や自分たちとは正反対の意志を持ってしまった。

 かといって、誰かが彼らを排除しようと動いたわけではない。

 それでも、言外に存在を否定されているような感覚に陥り、彼らは思わず後ずさる。

 

「……!」

 

 その時――

 メンバーの一人の携帯電話が震える。

 彼がそれを手に取り、耳に当て、着信に応じると。

 

「……は?」

 

 告げられた言葉に、頓狂な声を漏らす。

 ただ、反論する余地は与えられなかったのだろう。間もなく携帯電話を離すと、困惑の眼差しで画面を見つめる。

 

「……ど、どうしたんすか」

「ちっ……おい、『リーダー』からのお達しだ」

 

 どこか苦虫を噛み潰したような表情で――

 男は、他のメンバーに伝えた。

 

「――『応援』を呼べ」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 街中の様子は、テイオーには把握出来ていない。

 それでも、パラパラと拍手を上げる生徒やマスコミに、確かな手ごたえを感じたのだろう。

 隣に立つネイチャと頷き合う。

 しかし、演説はこれで終わりではない。

 前へ向き直ると、彼女は改めて息を吸う。

 

「……その上で」

 

 そして、言った。

 

「その上で、皆様に、お願いがあります。

 現在、ある生徒の行方がわかっていません。えと……画面に映って、いますよね? そう、ちょうど私と変わらないくらいの背格好の、綺麗で長い芦毛のウマ娘です。

 

 ……そう。皆様も『よくご存じ』の、例の『事件』を起こした『生徒』です。

 ですが安心してください! 彼女に危害を加えなければ、何かされる心配はございません! ですので皆様、もし、彼女の姿を見かけたら――

 今画面に映されている番号まで、情報提供をお願いします!

 

 どんな些細なものでも構いません! この広大な場所から、一人の少女を見つけ出すには、私たちの力だけでは限界があります。

 彼女を見つけ出すために。あの子を救うために。私たちの……仲間を……助けるために……

 

 ……お願いします」

 

 お願いします。

 

「――皆様の力を、

 貸してください!!」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

『繰り返しお伝えします!』

 

『彼女』は、それを見ていた。

 

『姿は画面に映された通りのもの、名はダイヤアールヴァクと言います!』

 

 小ぢんまりとした、個人経営の家電店――

 その店頭に並べられたテレビ画面にて、自身の名が、姿が、映されている様を。

 

『下手に刺激すれば、以前の『事件』の繰り返しになる恐れがあります。決して近づかず! 番号に情報提供を――……』

 

 そこで、自身と同じ種族のものが。

 必死に、決死に、呼び掛けている様子を。

 

「……」

 

 思わず思考停止する。

 釘付けになったように、その場から動くことが出来ない。

 画面越しでも伝わる熱意と、自分の中の冷静な部分とに乖離があるからでもあった。

 

 なぜ?

 どうして?

 なんのために?

 

 行き場のない疑問がぐるぐると巡り――

 

「――ね、ねぇ、あれ……!」

 

 ただ、そんな彼女が、思考を整理する時間を、現実は与えてはくれない。

 

「もしかして……!」

「あ、あぁ、間違いねぇ!」

「――……」

 

 思考の隙間に割って入ってきたやり取りの正体に――彼女は気付いていた。

 視線の先――男女の二人組が。

 驚愕の目で、少女――アールヴァクを見つめており。

 

 手に持った携帯電話が、

 耳に当てられた――

 

「――ッ!!」

 

 ――次の瞬間。

 アールヴァクは、その場から、一目散に逃走していた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 それまで静謐を保っていたトレセン学園の職員室は、一瞬にして電話のコール音で満たされていた。

 

「――きたきたきたぁーっ!」

 

 ある男性職員が、それを前にし、高揚した様子で叫ぶ。その勢いのまま、彼は自身の席の固定電話を手に取ろうとするが――

 

「――皆さん!」

 

 それを、凛とした女声が止めていた。

 一斉に向けられた職員たちの注目の果てには、彼らのすっかり見慣れた、緑色の衣装。

 

「……どうか落ち着いて」

 

 駿川たづなは、彼らを諭すように言っていた。

 

「必要なのは、行方に繋がりそうな情報だけです。明らかに無関係、悪戯と思われるモノは、即刻切ってもらって構いません」

 

 いいですね――

 

「全ての責任は、『私たち』が負います!」

 

 無論――その『私たち』とは、必ずしも職員のことを指すわけではない。彼女の隣に立つもう一人――

 秋川やよいが力強く頷き、それを確認した職員たちは、勇気づけられたように笑う。

 

 誰もが、困難を前に、しかし全く怖気付いていない様子――

 

「……、」

 

 それを認めたたづなは、一息を入れ――

 

「それでは、皆さん」

 

 彼らに、呼び掛けていた。

 

「――よろしくお願いします!」

 

 刹那――

 職員たちが、電話への対応を始める。

 その異様にも見える、普段ではまずお目にかかれない光景に、たづなは秋川と目を合わせ、どこか満足そうに頷き合っていた。

 

『――悪巧み?』

 

 さなかで――

 秋川が思い出すのは、つい数時間前のことだ。

 

『そう、ダイヤアールヴァクを見つけ出して、ついでに競レース反対の今の流れを変えられる、壮大な悪巧みです!』

 

 理事長室にかけ込んできたテイオーは、時間がない、とばかりに、一気にそれを説明した。……

 

『まず、学園に報道陣を片っ端から集めます。ローカルでも全国でも、テレビでもラジオでも、何でも構いません。ともかく、どこかしら報道してくれる関係者を、誰でも! そしてその人たちの前で……ボクが、演説を打ちます!』

 

『住民のみんなに直接呼びかけるんです! レースは悪いものじゃない、みんなを確かに幸せにして、熱狂させてきたものなんだってこと! そうしてみんなの心を掴んだうえで、アールヴァクの捜索に協力してもらうよう頼むんです。具体的には……』

 

『――テレビを通して、あの子の情報を伝えます。そして、どんな些細なものでもいいから、その行方に関する情報を学園に提供してくれるようお願いするんです!』

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「――おし、行くぞ!」

「はいはーい、仰せのままに!」

 

 スカイとフェアは動く。携帯電話から受け取った『指示』の下。

 ダイヤアールヴァクの姿を求めて、周囲を捜索し始める。……

 

『もちろん、それによって提供される情報は玉石混交だと思います。でも、明らかな悪戯とかじゃなければ構いません。その情報を元に、街に散らばった私たちが、あの子の行方を捜します!』

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 もちろんその時、秋川は反論した。学園の職員は優秀だが、数には限りがある。処理できるタスクにも限度がある、と。

 情報を受け取ったとはいえ、それを誰が、どうまとめて、どうやって伝えるのか――

 

『……大丈夫です』

 

 するとテイオーは、にやり、と嫌らしく笑っていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 メジロ家――

 普段は大広間として使われているその場所もまた、今や統率された喧騒の中にあった。

 

「チームブライトは南西方面へ。チームターボは北東方面へ」

 

 集結した人員たちは、次々と伝えられる『連絡』を元に――

『現場』へと『指示』を中継していく。

 

「チームドーベルは府中駅ね? 了解。……えぇ、そっちのチームは西側の情報源へ派遣なさい」

 

 メジロラモーヌは――その場において、統括者として。

 

「……こっちの方。情報がまだ届いていないわ。空撮部隊は何をしているの」

 

 情報を受け取り、整理し、適切に部下へと指示を割り振っていく。……

 

『――既にメジロ家に協力を取り付けました。急ピッチで現場の準備をしてくれるそうです。彼らの協力の下で、生徒たちに行動を指示します』

『……なるほど。数には数を、ということか』

『人海戦術ですね……』

 

 単純、かつ効果的な方法。しかし実行するには、どうしても他人の『悪意』を処理する必要があった。

 動こうにもそれらを捌けなければ――と秋川は考えていたが、テイオーの提案を聞いて考え至る。なるほど、確かにそれならば。

 有益な情報だけでなく、無益な情報もまとめて捌くことが出来るなら。

 それだけ助かる話もないだろう――が、同時に懸念もあった。

 

『……しかし、大丈夫なのか?』

 

 秋川は、それを口にする。

 

『それは君が、住民の心を掴むことが大前提だ。言うは簡単だが……人の、それも大人数の心を掴むのは、容易なことではないぞ』

 

 それが出来る自信が、君にあるのか――?

 問われて、テイオーは、困ったような表情を浮かべる。

 自信満々から程遠い、とは言わないが、不安げな表情。

 

『……自信があると言ったら、嘘になりますけど』

 

 それでも、彼女は答えた。

 

『でも、ボクらの頑張る姿を、ちゃんと見てくれるヒトがいるのは事実だし……それに感謝しなくちゃいけない、と思っているのも事実です』

 

『一人じゃ何も出来なかった。独りじゃ、こんなところまで来られなかった。一人だったら、独りだったら……今頃どうなってたんだろう。考えるのも恐ろしいです』

 

『心を掴めるかどうかなんてわからない。それでもボクは、みんなにその想いを伝えたい』

 

『それが、ボクからみんなに出来る――精一杯の恩返しだと思うから』

 

『……だから、』

 

『だから、お願いします、理事長』

 

『ボクらの悪巧み(バカ)に、どうか、協力してください……!』

『……』

 

 秋川は、一連の主張を聞いて、数秒の無言。

 果たして、口端が緩む。

 脳裏に、かつての、入学間もない彼女の姿が浮かんでいた。

 

『いいだろう』

 

 それと、目の前の彼女の姿を重ねながら、秋川は、言っていた。

 

『その悪巧み(アイデア)――乗ってやる!』

 

 果たして、そうして――

 学園全体を巻き込む、壮大な計画が、実行に移されたのだった。

 

 一人の少女のために。

 たった一人の、ウマ娘のために――

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 ……こうして指示が飛ばされてきたところを見ると、おおむね私たちの思惑通りに事は運んでくれているということだろう。

 聞いた当初、本当にそんなにうまいこと行くのか、という疑念があったけれど、少なくとも、テイオーさんの情熱は伝わってくれたみたいだ。

 

 ただ、言うなればここまでは、単なる下準備。

 本番はここからなのだ。

 

「……物欲センサー(マーフィーの法則)ですわ」

 

 傍のブライトさんが、言う。私が目を向けると、彼女は複雑そうに笑っていた。

 

「『探し物は、探していない時にこそ見つかる』……ですわ」

「……探し始めると、見つからなくなる」

「それでも、特徴的な見た目ではありますから。『普通の』探し物よりかは、マシでしょうけど……」

 

 そこにどんな力が働いているかはわからない。

 実際は意志なんてない、ただ結果があるだけなんだろう、とも思う。

 どちらにせよ――今の私たちに出来ることは、ただ目的の通り、指示された通りに探し続けることだけだ。

 とにかくそこを――薄暗く、人通りも多いとは言えない住宅街を、右往左往しつつ捜索する。

 グループ通話でも、『異常なし』とか、『目標見つかりません』とかいう報告ばかりだ。その行方を掴むための手掛かりすら見つからない。

 まるで――まるで、アルちゃんを見つけるための行動の全てが、振り出しに戻ったみたいだった。

 

「……っ」

 

 それでも。

 それでも、諦めず、探し続ける。

 きっとどこかに、必ず、手の届く範囲に。あの子がいる。いてくれている、待ってくれている、ということを信じて……

 

 ……その中で。

 不意に思い出すのは、過去の記憶だ。

 あぁ――そういえば、昔にも。

 これに、似たようなことがあった。……

 

 

 

 

 

『せんせー! みつかりませーん!』

 

 そう、あの暑い夏の日。

 いつものごとく失踪したアルちゃんを、アシセン総出で探し回ったのだ。

 

『もー、あの子ったら。今度はどこに行ったのかしら……』

『そこまで遠くに行ってないはずなんですけどねぇ……』

 

 でもその日は、なかなかアルちゃんの行方が掴めず、誰もの間に、一抹の不安が漂い始めていた。

 

『とにかく探しましょう。それじゃみんな! 今度はあっちに行きますよ!』

『はーい!』

 

 先生の呼びかけに、私も元気よく答えて。

 その瞬間、視界に入ったのは一羽の蝶。

 青色の鮮やかなそれを、ふと目で追った時――

 

『……あ』

 

 彼女は。

 現れていたのだ――

 

 

 

 

 

「……!」

 

 ――騒がしい靴音が、その場に飛び込んでいた。

 何かが、それと共に路地に出てくる。

 それは膝に手を突くと、苦しそうに息を整え始めた。……

 

 

 

 

 

『……アルちゃん!』

 

 あの時――現れた彼女は、私の呼びかけに、何ともなしにこちらを向いていた。

 そのボーっとした瞳で、私を捉えると。

 

『……ありおんちゃん』

 

 また何ともなしに言うから……私は、呆れて言うのである。

 

『もー! みつけたよ! どこ行ってたのー!』

 

 そう。

 そう、言うのである。

 

 

 

 

 

 ……その時も。

 今も。

 彼女の姿は、何ら変わらない。

 

 少し背が低くて。

 綺麗で、

 長い、

 芦色の髪――……

 

 

 

「……アルちゃん?」

 

 

 

 私は。

 その影に、呼び掛けていた。

 影は、動きを止めると、ゆっくりとこちらに振り向く。

 恐れに歪んだ、その瞳に――私の姿が、映り込んだ気がした。

 

 

 

 ……ダイヤアールヴァクが。

 目の前に、姿を、現していた。

 

 

 

「――、」

 

 私は。

 数年ぶりに見たみたいな、その姿に向けて、かけ出そうとした。

 ……その次の瞬間。

 

「――ッ!!」

 

 彼女は――

 私たちとは反対の方向へ向けて、走り出していた!

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 走り出したアリオンに、もはや止まれだなんて言えない。

 メジロブライトは、彼女の後を追いながら、携帯電話のグループ通話に呼びかける。

 

「――こちらチームブライト!」

 

 一目散に逃げる芦毛を、確かに視界に捉えつつ――

 

「対象を見つけましたわ! 新田川緑道近くの住宅街から北東に追跡中! 応援よろしくお願いします!!」

 

 そしてその連絡を――統括者であるメジロラモーヌも捉えていた。

 

「……」

 

 広間に急ごしらえで設置したスクリーン、そこに映し出された地図を見る。

 新田川緑道から北東――その先にある施設を認める。

 

「――総員聞きなさい!」

 

 その上で、現場に出される新たな指示。

 

「対象は連絡地点から北東方面に逃走中。追い立てれば府中駅に辿り着くはずよ。近辺のチームは追跡に参加、離れているチームは府中駅周辺を目指して動きなさい!」

 

 それを受け取ったオペレーターたちが、各チームにそれを伝達する。

 

「……いい? これが最初で最後のチャンスよ。総員、全力を挙げて追跡なさい!」

 

 しかし、と彼女は言葉を切った。

 

「……でも、くれぐれも気を付けて」

 

 一転して、その声色は母のように。

 府中駅――伝え聞いたその場所の現状を脳裏に思い描きながら。少女たちの無事を祈るように――

 

 言った。

 

「今、府中駅は――

 

 大変なことになってる」

 

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