16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

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異次元の逃亡者(後編)

「――上手くいったんすかねぇ……」

 

 トレセン学園の職員室にて、ある職員が呟いた。

 それに、さぁな、と答えるのは、誰もが見慣れた小柄な体格、この学園の統括者。

 

「ここから先は、子供たち(彼女ら)の領分、大人(我々)は後片付けの時間だ。上手くいくことを、ここから願うだけだ」

「っすね」

 

 秋川の、諭すようなその考えに、呟いた職員も同意する。

 職員室の電話のコールは、もうほとんど落ち着いている。メディア上で対象確保の情報が報道されたからだろう。表面上は全ての作戦が成功したかのように見えるが――しかし彼らにとっては、それは次なる嵐の前の静けさでしかない。

 

「……とはいえ、その後片付けが大変なんだがな……!」

 

 それを最もよく理解している秋川は、唸りながら目頭を押さえていた。

 

「暴動に交通麻痺、無断走行、騒音……一体どこから手を着ければいいのやら……!」

「で、ですが、そう気を張り過ぎることもないでしょう」

 

 そんな秋川に、慈悲のように呼びかけたたづなは、既に疲労困憊な職員たちに目を向ける。

 

「――さ、皆さん。しばし休んでください。私たちの修羅場は、ここからですよ!」

「あいーっす」

「はぁ~、フル残コースかぁ……」

「あ、私コーヒー淹れますよ!」

「あたし紅茶でー」

 

 弛緩し始める空気に、秋川は歪めた表情を緩ませる。

 問題は山積みだが、それにいつまでも気を揉むこともない。

 たづなの言う通り、自分も少しリラックスしよう――と、肩の力を抜いた時、

 

「――?」

 

 彼女の携帯電話が、鳴動する。

 取り出し、画面を見た秋川は――

 目を見開いていた。

 

「……たづな、少し頼む」

「? はい」

 

 たづなに呼びかけ、一人、職員室から出る。

 消灯し、月明かりが照らすばかりの廊下を歩きながら――

 彼女は、『通話』に応答した。

 

「――はい、もしもし~」

『――、――……』

 

 能天気なその声に。

 電話の主――男は、まず苛立たしげに捲し立てる。

 

「ははっ、まぁそうかっかするな」

 

 しかし秋川は、特段焦るそぶりも見せず。それに応じていた。

 

「落ち着いて『話し合い』をしようじゃないか。この騒動の……いや

 

 ――過激派の、リーダーくん?」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 ダイヤアールヴァクたちを乗せた車が、その場所に到着する。

 最初に降りるのは運転手で、流れるように後部座席の扉を開けると、シンボリルドルフが。

 次いで助手席が開けられると、メイドとアールヴァクが車外に降りた。

 

「……」

 

 アールヴァクを抱え下ろしたメイドは、彼女に手を差し伸べる。小さなその手は、一度は怯えたようだったが、恐る恐る近付けると、やがてきゅっと握っていた。

 

「『ここ』に来るのも久々だな」

 

 一方のルドルフはと言うと、静々と電灯の照らす不完全な暗闇の中、薄く目を閉じ、かつての日々に思いを馳せる。生徒会としてかけ抜けた日々、アスリートとして走り抜けた時間。その全ては今でも、自分にとって、掛け替えのない宝物だ。

 

聚散十春(しゅうさんじっしゅん)*1……だが、色褪せないものも、またあるな」

「……」

 

 アールヴァクから、恐れは立ち消えない。今にも泣き出してしまいそうな風情だ――それもそのはず。

『それ』はルドルフ――ひいては、現代を生きる一般的な人々にとっては、すっかり見慣れているものだ。スケールに驚くことは合っても、招待の不明さに怯えることはない。

 しかし、アールヴァクにとっては、『それ』は初めて目にする類のもの――これが一体何なのか。これから自分は何を目にするのか。それらを憂い、怯えてしまうのは、当然のことと言えた。

 

「アルさん、大丈夫ですよ」

 

 そんな彼女を、優しく抱くように、メイドは声を掛けていた。

 

「ここに、あなたを害す人はいません。何も、怖がることはありませんよ」

「……」

 

 アールヴァクは、彼女のことを信用している。

 だがそれは、現実を信用することとは、必ずしもイコールにはならない。

 彼女の表情からは、依然として不安の色は消えない。繋いだ手に伝わる力が強くなるのを感じ――メイドはそれを否定することも、跳ね除けることもなく。同じように応えることで、答えとした。

 

「さ、行こう。『彼女』を待たせるわけにはいかない」

 

 それでひとまずは落ち着いた、と判断したルドルフは、二人に呼びかける。振られた視線が運転手を捉えると、彼は恭しく一礼していた。見送られながら、三人は歩き出す。

 入り口となる『門』までは、それほど時間は費やさなかった。薄闇の中、そこに人影が立っているのが分かる。

 

「やぁ、夜分遅くにすまないね」

「全くです」

 

 フランクに声を掛けるルドルフに、『彼女』は至極不愉快そうに応じる。――それは、ルドルフの顔見知り。

 競レースとは切っても切れぬ関係の一大組織――URA事務総長、の専属秘書を務めている女性だ。

 黒縁眼鏡の特徴的な、凛としたその顔つきも――声色と同じく、面倒臭そうに顰められている。

 

「明日も早いというのに……あなたは全く」

「まぁそう言うな。君と私の仲じゃないか」

「あなたでなかったら、怒鳴り返しているところです」

「それは良かった。ご近所に迷惑をかけるわけにもいかない」

「ああ言えばこう言う……」

 

 口から放たれた息は、嘆きか呆れか。どちらにせよ、そこで会話を切った女性は、ルドルフたちに背を向けると、『門』の重厚な錠前を弄り始める。

 アールヴァクは、メイドの背後に隠れながら、その様子を見守る。今やその両手は、彼女の手を離れているものの、メイドの服の裾を強く握り込んでいた。

 

「警戒しなくていい。彼女も私たちの味方だ」

 

 それを感じたのか、ルドルフは、背中越しに視線をやりながら言った。

 

「少しきついところはあるが、根は優しい。この前もこうして――」

「勘違いしないでください」

 

 飽くまで安心させたい――そんなルドルフの意図とは裏腹に、秘書はぴしゃりと言った。

 

「私は、『貴女の』味方です」

「……」

 

 言葉の真意を汲み取ったメイドは、思わず固唾を呑む。その間にも彼女の作業は続き、果たして、錠前が音を立てて外れた。

 扉が、金属音を立てながら開く。

 それを確認した一行は、秘書を先頭に、その『施設』の敷地へと入っていく。

 

 街灯の類のひとつも見当たらないものの、広がる闇は完全なものではない。それはひとえに、目前に鎮座する『建物』が、一部から発する光のためだ。

 相も変わらず得体の知れない建造物を前に、アールヴァクの不安は増していく。服を握り込む力も、比例して強くなっていく。

 ……その気持ちも、痛いほどわかる。だがメイドにはもはや、ただ歩いていくことしか出来なかった。

 大丈夫、怖くない――その事実を、現実として教えてあげるしかなかった。そしてそれが、きっと成功することを、彼女は確信していた。

 いや――確信しないといけないのだ。そう思っていた。

 

 それ以外に、何も知らない女の子に、恐れが要らないことをどう伝えるのか。

 それ以外に、何も知らない少女に、どうして何かを教えることが出来ようか。

 それを信じさせるために、自分は、自分たちは、堂々としていないといけない。――だからメイドは、前を向いて歩き続ける。

 歩きづらいが。せめてもの慈悲として、彼女が服を握り続けることは、許しながら。

 

 歩く。

 歩く。

 歩く――そしてやがて。

 

 アーチ状に口を開いた建物をくぐり、緩い坂道を上がっていく。

 それが続いたのはほんの一瞬と言えるほどで、上がり終えた時――それまで閉塞的だった視界が、咄嗟に開けていた。

 涼風がやや乱暴に吹き付け、アールヴァクの長い髪が、それと共に踊る。

 

「……」

 

 少女の無垢な瞳が、その光景をレンズのように映し出す。

 開放的な夜空と、青々と茂る広大な芝生。それらを照らす人工的な光に、客席。

『それ』にまともに参加したことのない彼女でも、それを何と呼ぶかはよく知っていた。

 

 

 

 それは。

『コース』、だった。

 

 

 

 府中市は日吉町に位置する、日本を代表する競レース場のひとつ。

 東京競レース場だった。

 

「……」

 

 気付けばアールヴァクは、メイドの服の裾から手を離していた。それまで抱いていた恐怖はどこへやら――

 一転して、誘われるように、その足がゆっくりと歩を刻む。

 が、程なくその歩みを、背の低い、横長の門扉が阻んでいた。

 その気になれば、アールヴァクでさえ飛び越えることの出来そうな門扉。

 

「飛び越えていいぞ」

 

 アールヴァクに、声が掛けられる。彼女の振り返った先では、母のように見守るルドルフの姿がある。

 

「『ラチ』も潜ってしまっていい。今日だけは特別だ」

「……」

 

 言葉の真意まで、アールヴァクは理解し切れなかったが、許可を得たという事実だけは、しっかりと受け取っていた。

 促されるまま、門扉を乗り越え、更にその先の、コースを隔てるラチをも潜り抜ける。

 そうして改めて踏み入った芝生は――足に、とてもよく馴染んだような気がした。

 

「…………」

 

 彼女は空を見上げ、目を閉じる。

 今この場には、言うまでもなく観客も、選手もいないが、テレビ越しに何度も見たあの光景が、それだけでこの場に再現されるかのようだ。

 

 熱狂する観衆。

 舞い上がる土埃。

 競い合う同族。

 

 目には見えなくとも。手には取れなくとも。耳には聞こえなくとも。

 それだけで、胸の高鳴る感覚がする。

 

「……」

 

 ――走りたい。

 目を開けた時、アールヴァクは、純粋にそう思った。

 

 だが今、ここには一人だ。

 競い合う相手も、解説する実況者も、声援を送る観客もいない。

 これから走ったところで。勝負なぞ、成立するはずもない。

 

 肩を落とすアールヴァクだったが。

 そこで何かに気付き、身体を震わせて、目を見開く。

 続く動きは、ゆっくりと、視線を動かすというもの。

 果たして、行き着く先は、自身の背後。

 そこに、橙に近い鹿毛が靡いていた。

 

 ――サイレンススズカが。

 そこに立っていた。

 

「……」

「……」

 

 儚げな瞳が、アールヴァクの姿を映す。

 追い付いたにも関わらず、彼女は、アールヴァクを捕える素振りを見せなかった。

 それどころか、無言で彼女を見つめるばかりだ。

 

 何かを待つように。

 何かを期待するように。

 しかしアールヴァクには、その意図を汲み取りかねてしまい、ただ瞳に映されるまま、釘付けになったように立ち尽くすしかない。

 

「……」

「……」

 

 だがスズカとて、いつまでもそうしているつもりはない。

 まるで悪戯のバレた子供のように硬直する彼女に、可笑しそうに微笑んでいた。

 

「……どうしたの?」

 

 そして、優しく問う。

 

「いいの? 逃げなくて」

 

 さもないと。

 捕まえてしまうぞ、と。

 

「……」

 

 アールヴァクは、その言葉の真意がわからなかった。

 ずっと追いかけていた彼女が、なぜこの絶好の機会に、自分を捕らえようとしないのか。

 何を待っているのか、何を望んでいるのか。考えてもわかりそうになかったが。

 彼女の言う通りであることは事実で。

 現状は、その提案に従うことが、最善でもあった。

 

「……っ」

 

 だから、彼女は走り出す。

 スズカに背を向け、コースの向こう側。左回りに。

 それをしばし見届けたスズカは、靴のヒールカーブに指を掛け、履き直す。

 爪先を地面に打ち付け、問題が無いことを確かめると。

 

「――っ!」

 

 自身もまた、その背を追って、走り出した。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「最後にここを走ったのは……ジャパンカップだったか。懐かしいな」

 

 ターフを走り出した二つの影を見つめながら、ルドルフは言う。

 

「まさかあの時は、こんなことが起きようとは思いもしなかったけれどね。はは。よくよく数奇な運命だな」

「アサッテの議論をしないでください。『彼女』のためとはいえ……営業の終わった競レース場を使うだなんて、非常識も甚だしいです。再整備のために、『残業』している方たちのことも、考えていただきたい」

「もちろん、考えているさ。私は心から感謝しているよ」

 

 怒り心頭な秘書を宥めるように、ルドルフは言う。ただ傍から見れば、その言動は逆効果のようにも思われた。秘書は、より不快そうに眉を顰め、目を閉じる。

 

「……私でなかったら、こんな風にいっていません」

()()()()()()()()()()。私は確信をもって依頼した。今のこの状況に、きみが何も感じていないわけが無いからね」

 

 そんな彼女に、ルドルフは続けた――そうだろう?

 

「『不自由』なままで終わってしまった、『彼女』を担当していた、きみが」

「……」

 

 秘書の脳裏に、あの真っ赤な衣装が過ぎる。

 とてつもない速さと、天性のカリスマ。

 余りに速過ぎて――『早過ぎて』。時代すらも置いてきぼりにした、『幻』――

 

「……やはり、あなたは嫌いです」

「どういたしまして」

 

 そんな会話を傍目に、メイドはターフを見守る。

 思いのままに走っているように見えるアールヴァクだが、まだそのフォームは硬いように見える。

 見えない何かに縛られているように、自由になり切れているようには見えない。

 

「……」

 

 ただそれでも、それでも、メイドは微笑んでいた。

 娘を見守るように、表情は綻んでいた。

 想いのままに、思うがままに走る彼女の姿は……

 

 とても。

 とても、楽しそうに見えた。

 

「……!」

 

 刹那――

 背後から、どたどたと足音が聞こえてくる。

 先のスズカによる、優雅なまでの静謐なものではない。それとは正反対な、複数人による、コミカルなまでの騒がしい靴音。

 

「……来たようだね」

 

 ルドルフは言い、そちらへと振り返っていた。

 それに釣られるように、メイドも、秘書も、目を向ける。

 

「わ――ホントに『皇帝』様だ!」

 

 現れたのは、ウマ娘の集団。

 中央校指定のジャージに身を包んだ彼女らは、つい先ほどまで、アールヴァクを捜索していた者たちだ。

 無論、この場に来たのは、偶然などではない。

 

「あー……こりゃ一体どういう状況だ?」

 

 到着早々、競レース界の『伝説』を前に、色めき立つ彼女らの先頭に立っているのは、長い芦毛。

 ゴールドシップは、ターフを眺めるなり、訝しげに言った。

 

「スズカがアールヴァクを追っかけてんのか? ……にしてはなんか遅くねーか」

「当然だ。『本気』で追いかけているようではないからね。まぁどちらかというと……じゃれ合っているというか」

「『暴走』のことを考えたら、そんなに悠長にしている暇はないと思うのですが……あっ、お久しぶりですわ」

「うん。久しいね」

 

 マックイーンも顔を出し、ルドルフと挨拶を交わす。呆然と佇む数名と、有名人を見てはしゃぐ残りのメンバー。目の前には把握し難い状況、とあって、さてこれからどうしたものか、とゴールドシップは考えを巡らすが、

 

「~~……」

「……? どうしたのターボちゃん」

 

 見るからにそわそわしているツインターボに、マチカネタンホイザが問いかけた。

 ターボはそれに特に何も返さなかったが、

 

「――あーもーダメだ! 我慢出来ないっ!」

 

 その疼きを解放するかのように叫ぶと、ターフに向かって走り出していた。

 

「ターボちゃん!?」

「うおおおおお! ターボも走るぞーっ!!」

「……こうなったターボは、もう止まりませんね」

 

 イクノディクタスの言葉通り、ターボは門扉を飛び越え、ラチを潜り、ドドドドド……とターフを走り始める。それを見たイクノディクタスは、マチカネタンホイザの背を軽く叩いた。

 

「さ。私たちも行きましょう!」

「へっ? あ――うん、行こう!」

 

 それに続き――彼女らも、ターフへと走り出し。

 

「……よくわかんないけど、走ればいいのね!」

 

 一人。

 

「オッケー、私も行くわ!」

 

 また一人、と。

 

「『皇帝』様にいいとこ見せるチャンス……!!」

 

 彼女らは走り出す。

 

「――しょうがないなぁ。ほら行こ、フェア姉!」

「ったく……本能には逆らえねー、ってか!」

 

 それに、セイウンスカイとルビーフェアが。

 

「ほらアンタも! ボーっとしてないで行くわよ!」

「引っ張らないでください。言われずとも行きます」

 

 メジロドーベルとスレイエメラレルドが。

 

「……」

 

 躊躇っていた、サファイアアリオンも。

 

「参りましょう、アリオンさん?」

 

 メジロブライトに促され。

 

「頭で考えるばかりが、正解ではありませんわ?」

「……、」

 

 ――そうだね、と。

 同意し。その『仮レース』に参加していた。

 

 ほどなく、集ったウマ娘たちはいなくなる。我武者羅なまでに走り出した彼女らを見て――ルドルフは、悠然と笑っていた。

 

「はははっ。みんな元気で何よりだな」

「あぁ……もう。また再整備が大変に……」

「そう言うな。こういう前のめりな情熱が、いつだって時代を拓いてきたんだからな……ん?」

 

 頭を抱える秘書に言った彼女だったが、ほどなくもうひとつの事実に気づく。

 それは、自分たちの傍に留まっている二人。それに参加しそうだというのに、実際には参加していない『彼女ら』のこと。

 

「きみたちは、行かなくていいのか?」

 

 ゴールドシップとマックイーンに呼びかけると――

 あー、と答えたのは、ゴールドシップだった。

 

「『現場』でも散々大役やって来たからなー。『おばちゃん』はここで見守らせてもらうぜ」

「えぇ。こうして、後輩たちが走る姿を見るのも、また一興ですわ」

 

 マックイーンも、彼女に続いて答え――

 すっかり騒々しくなったターフを、優しいまなざしを以て見つめて、言っていた。

 

「……いい()ですわね」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

『――アンタは一般人が危険に晒されることをわかっちゃいない』

 

 秋川は、男の声に耳を傾けていた。

 

『あの『事件』だって、アンタらが死力を尽くして『辛うじて』止めたっていうじゃねぇか。再発防止策もなけりゃ、処分も無しだってのか?』

「……つまり『彼女』が危険だから、もう二度と陽の目を見ないよう管理しろと?」

『悪い言い方をすればそうなるな』

「なるほどな」

 

 男の言い分に、彼女は表面的には理解を示す。だが、飽くまで表面的だ。深層として、それを受け入れるつもりなどない。

 

「自分たちにとっての危うい要因を摘み取り、自分たちは平穏を謳歌する訳か。まだどうにかなるかもしれない事案を、思考停止で蓋をして、そのものの権利など考えもしないのだな。で……なんだ。それで君たちは、この世界は平和だ、なんと素晴らしいのだろう! と後世にまで伝えるわけだな。……気は確かか?」

『そっくりそのまま返すぜ。そもそも、人間とウマ娘なんて、相容れない存在だ』

 

 そうだろう、と男は言う。

 

『根本的に『作り』が違う。『思想』が違う。あんな危ういものとの『馴れ合い』なんて、いつまで続くかもわからない。平穏や平和のために、出来るだけ早く対処するのは当然だろ』

 

 男は言う。

 

『何もわかってないのはアンタの方だ。日々、どれだけの人間が、怯えて過ごしていると思ってる!? あんなモノはな、元より人間と共にいちゃいけないんだ――徹底して管理して、生活するべきなんだ』

 

 男は、言う。

 

『興業に利用するなんて以ての外だ。そんなものは、彼女らの権利の侵害でもある! この世のために、未来のために、『自由』のために! あれらは管理されなくちゃならないんだ!』

「……」

 

 男は。

 言った。

 秋川は、それらの言い分を、黙って聞いていた。

 

 一連の話を、一連の主張を。受け取り、咀嚼し、吟味し、反芻し、思考し――

 

「……、」

 

 彼女がとった行動は、些か空気に見合っていないように思われた。

 彼女は――

 

「……はははっ」

 

 彼女は。

 笑っていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 走っている。

 少女たちは、走っている。

 青々と茂るターフの上を、いかにも楽しそうに、大人たちに見守られながら。

 一心に、走っている。……

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

『――何がおかしい!?』

 

 男は、声を荒げていた。

 

『お、お前、僕の意見を嘲笑う気か!? 人権侵害だぞ!』

「あぁ――あぁ、すまん。これでも真剣に聞いていたのだが。思わず笑ってしまったよ」

 

 反面、秋川は余裕そうに答えた。

 

「あまりにも――」

 

 あまりにも。

 浅薄で、と。

 

『は……?』

「きみの言い分も、わからないでもない」

 

 懸念も、不安も、心配も。

 抱いてもおかしくないタチのものだ。

 

「確かにウマ娘は、人間よりも遥かに『力が強い』。その気になれば、人類の叡智などものともせずに、侵略出来てしまうだろう。管理だなんて言っている我々が、管理される立場に成ったりしてな。あぁ――そういえば、そんなSF小説があったな。もしウマ娘が人類の立場だったら……だったか。懐かしい。文章が拙すぎて、読めたもんじゃなかったが」

『……何を言ってやがる』

「だが、ウマ娘には思考がある」

 

 彼女は言う。

 

「思考がある。思想がある。意志がある。己で考え、選択し、実行する度胸がある。きみが思っているほど、短絡的な生き物じゃないよ。彼女らは寛容で……そして、純粋なモノだ」

 

 彼女は言う。

 

「心配には及ばない。それは歴史が、何より証明しているだろう」

『なら――なら、そんな危険を放置していいっていうのか!?』

 

 彼女は――言って。

 それに、男は反論する。

 

『いつ暴走するかもわからない、人間に仇名すかもわからない、そんなもんと隣り合わせで過ごせっていうのか!?』

()()()()()()()()()()()()

 

 更にそれに、反論した秋川に――

 男は、黙るしかなかった。

 

「……生憎と我々は、恐怖に簡単には屈しない」

 

 彼女は続ける。

 

「生き物は本能に従うべきであること。あるがままに生きるべきであることを、よく知っているからだ」

 

 彼女は続ける。

 

「ダイヤアールヴァクは例外だったけれどな。彼女は心を守るために、壊れるしかなかった――だがそれも考えてみれば、『きみたちの浅はかな強欲の生み出した結果でしかない』

『……』

「……往生際の悪い奴だ」

 

 彼女は。

 続ける。

 

「いいか。我々とて……簡単にここまで来られたのではない。戦前から、長い長い歴史を地道に積み重ねてきた。迫害を乗り越えてきた。差別を踏み越えてきた。次から次へとやってくる問題を、正面から、逃げずに、屈さずに、解決してきた。

 そうしてようやく、今の平穏を築き上げることが出来たのだ。だというのに、『なんか危ない気がするからとりあえずぶち壊そう』だと? ――笑わせるなよ!!」

 

 彼女は――

 続ける――

 

「危機も、危険も、いつだって我々の傍にあった。こんな事件はな、()()()介入が無ければさっさと解決出来たことだ。今までだってあった――存在意義そのものの揺らぐような事件も、事故も! 乗り越えてきた。解決してきた。解決するさ。乗り越えるさ――これまでのように、同じように!!

 

 簡単なものなどではない! これまでどれだけの犠牲を払ってきたと思ってる。どれだけの人間の意志が介在していると思っている。競レースの歴史は――そういう先人たちの、知恵と工夫の創造物そのものだ。

 

 春山の『冷静さ』が、

 夏陽の『情熱』が、

 秋川の『慈悲深さ』が、

 冬天の『頭脳』が、

 

 いがみ合い、衝突しながら、それでも手を取り合い、栄々と紡ぎあげてきた、この競レースという歴史を――

 

 ――貴様のような、

 

 貴様のような、

 たかだか数年思い煩っただけのぽっと出の誇大妄想狂(クソ)なんぞに、

 簡単にひっくり返されてたまるかぁ!!」

『っ……』

「それでも我々と事を構えようというか。――よろしい。ならばよろしい!」

 

 彼女は言った。

 それならば――相手になってやる、と。

 

「だが、くれぐれも用心しろ」

 

 それはもはや、議論とか論戦とかではない。

 戦争だ。

 血で血を洗うような戦争。

 そしてこちらには――そういうものにさえ、飛び込む覚悟は出来ている、と。

 

「そのような争いは……多大な犠牲を払うことを心得ろ」

 

 きみは勘違いしている。

 何かを得るのに、何かを失わずにはいられない。

 何も引き換えにせずに、手に出来るものなど存在しない。

 手にするのなら、奪いとるのなら、相応の対価を払わなくては。

 

「気の遠くなるような時間を、気の遠くなるような力を、費やすものと心得ろ」

 

 自分たち(歴史)と戦うということは。

 つまりは、そういうことなのだ、と――

 

「……敢えて言おうか」

 

 だから。

 だから。

 彼女は――

 言った。

 

 

 

「――中央(我々)を、

   無礼(嘗め)るな」

 

 

 

 それを最後に。

 秋川は、乱暴に通話を切断した。

 大きく深呼吸をすると、上がり切った熱が下がっていくのを感じる。

 嗚呼。

 

 ちょっと思いのままに。

 色々言い過ぎたなー――と。

 

「……」

 

 まぁ。

 それもたまにはいいか、と思いながら。彼女はふと、窓の外に目をやる。

 

「……おぉ」

 

 思わず感嘆の声を上げた。

 そこでは、星々の光を抱くように、闇が広がっており。

 闇と溶け合うように、星々の光が輝いている。

 

「……走れ、皆の者」

 

 彼女は、言った。

 

「どこまでも、走ってしまえ」

 

 誰にともなく、しかし、確かに目の前にいる、誰かに語り掛けるように。

 

「安心せよ」

 

 ――言った。

 

 

「……この空の下にいる限り、

 君らの命は――『極北』(我が名)と共にある」

 

*1
仲間達と別れた後に、あっという間に過ぎ去ってしまった長い年月のこと。

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