「――上手くいったんすかねぇ……」
トレセン学園の職員室にて、ある職員が呟いた。
それに、さぁな、と答えるのは、誰もが見慣れた小柄な体格、この学園の統括者。
「ここから先は、
「っすね」
秋川の、諭すようなその考えに、呟いた職員も同意する。
職員室の電話のコールは、もうほとんど落ち着いている。メディア上で対象確保の情報が報道されたからだろう。表面上は全ての作戦が成功したかのように見えるが――しかし彼らにとっては、それは次なる嵐の前の静けさでしかない。
「……とはいえ、その後片付けが大変なんだがな……!」
それを最もよく理解している秋川は、唸りながら目頭を押さえていた。
「暴動に交通麻痺、無断走行、騒音……一体どこから手を着ければいいのやら……!」
「で、ですが、そう気を張り過ぎることもないでしょう」
そんな秋川に、慈悲のように呼びかけたたづなは、既に疲労困憊な職員たちに目を向ける。
「――さ、皆さん。しばし休んでください。私たちの修羅場は、ここからですよ!」
「あいーっす」
「はぁ~、フル残コースかぁ……」
「あ、私コーヒー淹れますよ!」
「あたし紅茶でー」
弛緩し始める空気に、秋川は歪めた表情を緩ませる。
問題は山積みだが、それにいつまでも気を揉むこともない。
たづなの言う通り、自分も少しリラックスしよう――と、肩の力を抜いた時、
「――?」
彼女の携帯電話が、鳴動する。
取り出し、画面を見た秋川は――
目を見開いていた。
「……たづな、少し頼む」
「? はい」
たづなに呼びかけ、一人、職員室から出る。
消灯し、月明かりが照らすばかりの廊下を歩きながら――
彼女は、『通話』に応答した。
「――はい、もしもし~」
『――、――……』
能天気なその声に。
電話の主――男は、まず苛立たしげに捲し立てる。
「ははっ、まぁそうかっかするな」
しかし秋川は、特段焦るそぶりも見せず。それに応じていた。
「落ち着いて『話し合い』をしようじゃないか。この騒動の……いや
――過激派の、リーダーくん?」
ダイヤアールヴァクたちを乗せた車が、その場所に到着する。
最初に降りるのは運転手で、流れるように後部座席の扉を開けると、シンボリルドルフが。
次いで助手席が開けられると、メイドとアールヴァクが車外に降りた。
「……」
アールヴァクを抱え下ろしたメイドは、彼女に手を差し伸べる。小さなその手は、一度は怯えたようだったが、恐る恐る近付けると、やがてきゅっと握っていた。
「『ここ』に来るのも久々だな」
一方のルドルフはと言うと、静々と電灯の照らす不完全な暗闇の中、薄く目を閉じ、かつての日々に思いを馳せる。生徒会としてかけ抜けた日々、アスリートとして走り抜けた時間。その全ては今でも、自分にとって、掛け替えのない宝物だ。
「
「……」
アールヴァクから、恐れは立ち消えない。今にも泣き出してしまいそうな風情だ――それもそのはず。
『それ』はルドルフ――ひいては、現代を生きる一般的な人々にとっては、すっかり見慣れているものだ。スケールに驚くことは合っても、招待の不明さに怯えることはない。
しかし、アールヴァクにとっては、『それ』は初めて目にする類のもの――これが一体何なのか。これから自分は何を目にするのか。それらを憂い、怯えてしまうのは、当然のことと言えた。
「アルさん、大丈夫ですよ」
そんな彼女を、優しく抱くように、メイドは声を掛けていた。
「ここに、あなたを害す人はいません。何も、怖がることはありませんよ」
「……」
アールヴァクは、彼女のことを信用している。
だがそれは、現実を信用することとは、必ずしもイコールにはならない。
彼女の表情からは、依然として不安の色は消えない。繋いだ手に伝わる力が強くなるのを感じ――メイドはそれを否定することも、跳ね除けることもなく。同じように応えることで、答えとした。
「さ、行こう。『彼女』を待たせるわけにはいかない」
それでひとまずは落ち着いた、と判断したルドルフは、二人に呼びかける。振られた視線が運転手を捉えると、彼は恭しく一礼していた。見送られながら、三人は歩き出す。
入り口となる『門』までは、それほど時間は費やさなかった。薄闇の中、そこに人影が立っているのが分かる。
「やぁ、夜分遅くにすまないね」
「全くです」
フランクに声を掛けるルドルフに、『彼女』は至極不愉快そうに応じる。――それは、ルドルフの顔見知り。
競レースとは切っても切れぬ関係の一大組織――URA事務総長、の専属秘書を務めている女性だ。
黒縁眼鏡の特徴的な、凛としたその顔つきも――声色と同じく、面倒臭そうに顰められている。
「明日も早いというのに……あなたは全く」
「まぁそう言うな。君と私の仲じゃないか」
「あなたでなかったら、怒鳴り返しているところです」
「それは良かった。ご近所に迷惑をかけるわけにもいかない」
「ああ言えばこう言う……」
口から放たれた息は、嘆きか呆れか。どちらにせよ、そこで会話を切った女性は、ルドルフたちに背を向けると、『門』の重厚な錠前を弄り始める。
アールヴァクは、メイドの背後に隠れながら、その様子を見守る。今やその両手は、彼女の手を離れているものの、メイドの服の裾を強く握り込んでいた。
「警戒しなくていい。彼女も私たちの味方だ」
それを感じたのか、ルドルフは、背中越しに視線をやりながら言った。
「少しきついところはあるが、根は優しい。この前もこうして――」
「勘違いしないでください」
飽くまで安心させたい――そんなルドルフの意図とは裏腹に、秘書はぴしゃりと言った。
「私は、『貴女の』味方です」
「……」
言葉の真意を汲み取ったメイドは、思わず固唾を呑む。その間にも彼女の作業は続き、果たして、錠前が音を立てて外れた。
扉が、金属音を立てながら開く。
それを確認した一行は、秘書を先頭に、その『施設』の敷地へと入っていく。
街灯の類のひとつも見当たらないものの、広がる闇は完全なものではない。それはひとえに、目前に鎮座する『建物』が、一部から発する光のためだ。
相も変わらず得体の知れない建造物を前に、アールヴァクの不安は増していく。服を握り込む力も、比例して強くなっていく。
……その気持ちも、痛いほどわかる。だがメイドにはもはや、ただ歩いていくことしか出来なかった。
大丈夫、怖くない――その事実を、現実として教えてあげるしかなかった。そしてそれが、きっと成功することを、彼女は確信していた。
いや――確信しないといけないのだ。そう思っていた。
それ以外に、何も知らない女の子に、恐れが要らないことをどう伝えるのか。
それ以外に、何も知らない少女に、どうして何かを教えることが出来ようか。
それを信じさせるために、自分は、自分たちは、堂々としていないといけない。――だからメイドは、前を向いて歩き続ける。
歩きづらいが。せめてもの慈悲として、彼女が服を握り続けることは、許しながら。
歩く。
歩く。
歩く――そしてやがて。
アーチ状に口を開いた建物をくぐり、緩い坂道を上がっていく。
それが続いたのはほんの一瞬と言えるほどで、上がり終えた時――それまで閉塞的だった視界が、咄嗟に開けていた。
涼風がやや乱暴に吹き付け、アールヴァクの長い髪が、それと共に踊る。
「……」
少女の無垢な瞳が、その光景をレンズのように映し出す。
開放的な夜空と、青々と茂る広大な芝生。それらを照らす人工的な光に、客席。
『それ』にまともに参加したことのない彼女でも、それを何と呼ぶかはよく知っていた。
それは。
『コース』、だった。
府中市は日吉町に位置する、日本を代表する競レース場のひとつ。
東京競レース場だった。
「……」
気付けばアールヴァクは、メイドの服の裾から手を離していた。それまで抱いていた恐怖はどこへやら――
一転して、誘われるように、その足がゆっくりと歩を刻む。
が、程なくその歩みを、背の低い、横長の門扉が阻んでいた。
その気になれば、アールヴァクでさえ飛び越えることの出来そうな門扉。
「飛び越えていいぞ」
アールヴァクに、声が掛けられる。彼女の振り返った先では、母のように見守るルドルフの姿がある。
「『ラチ』も潜ってしまっていい。今日だけは特別だ」
「……」
言葉の真意まで、アールヴァクは理解し切れなかったが、許可を得たという事実だけは、しっかりと受け取っていた。
促されるまま、門扉を乗り越え、更にその先の、コースを隔てるラチをも潜り抜ける。
そうして改めて踏み入った芝生は――足に、とてもよく馴染んだような気がした。
「…………」
彼女は空を見上げ、目を閉じる。
今この場には、言うまでもなく観客も、選手もいないが、テレビ越しに何度も見たあの光景が、それだけでこの場に再現されるかのようだ。
熱狂する観衆。
舞い上がる土埃。
競い合う同族。
目には見えなくとも。手には取れなくとも。耳には聞こえなくとも。
それだけで、胸の高鳴る感覚がする。
「……」
――走りたい。
目を開けた時、アールヴァクは、純粋にそう思った。
だが今、ここには一人だ。
競い合う相手も、解説する実況者も、声援を送る観客もいない。
これから走ったところで。勝負なぞ、成立するはずもない。
肩を落とすアールヴァクだったが。
そこで何かに気付き、身体を震わせて、目を見開く。
続く動きは、ゆっくりと、視線を動かすというもの。
果たして、行き着く先は、自身の背後。
そこに、橙に近い鹿毛が靡いていた。
――サイレンススズカが。
そこに立っていた。
「……」
「……」
儚げな瞳が、アールヴァクの姿を映す。
追い付いたにも関わらず、彼女は、アールヴァクを捕える素振りを見せなかった。
それどころか、無言で彼女を見つめるばかりだ。
何かを待つように。
何かを期待するように。
しかしアールヴァクには、その意図を汲み取りかねてしまい、ただ瞳に映されるまま、釘付けになったように立ち尽くすしかない。
「……」
「……」
だがスズカとて、いつまでもそうしているつもりはない。
まるで悪戯のバレた子供のように硬直する彼女に、可笑しそうに微笑んでいた。
「……どうしたの?」
そして、優しく問う。
「いいの? 逃げなくて」
さもないと。
捕まえてしまうぞ、と。
「……」
アールヴァクは、その言葉の真意がわからなかった。
ずっと追いかけていた彼女が、なぜこの絶好の機会に、自分を捕らえようとしないのか。
何を待っているのか、何を望んでいるのか。考えてもわかりそうになかったが。
彼女の言う通りであることは事実で。
現状は、その提案に従うことが、最善でもあった。
「……っ」
だから、彼女は走り出す。
スズカに背を向け、コースの向こう側。左回りに。
それをしばし見届けたスズカは、靴のヒールカーブに指を掛け、履き直す。
爪先を地面に打ち付け、問題が無いことを確かめると。
「――っ!」
自身もまた、その背を追って、走り出した。
「最後にここを走ったのは……ジャパンカップだったか。懐かしいな」
ターフを走り出した二つの影を見つめながら、ルドルフは言う。
「まさかあの時は、こんなことが起きようとは思いもしなかったけれどね。はは。よくよく数奇な運命だな」
「アサッテの議論をしないでください。『彼女』のためとはいえ……営業の終わった競レース場を使うだなんて、非常識も甚だしいです。再整備のために、『残業』している方たちのことも、考えていただきたい」
「もちろん、考えているさ。私は心から感謝しているよ」
怒り心頭な秘書を宥めるように、ルドルフは言う。ただ傍から見れば、その言動は逆効果のようにも思われた。秘書は、より不快そうに眉を顰め、目を閉じる。
「……私でなかったら、こんな風にいっていません」
「
そんな彼女に、ルドルフは続けた――そうだろう?
「『不自由』なままで終わってしまった、『彼女』を担当していた、きみが」
「……」
秘書の脳裏に、あの真っ赤な衣装が過ぎる。
とてつもない速さと、天性のカリスマ。
余りに速過ぎて――『早過ぎて』。時代すらも置いてきぼりにした、『幻』――
「……やはり、あなたは嫌いです」
「どういたしまして」
そんな会話を傍目に、メイドはターフを見守る。
思いのままに走っているように見えるアールヴァクだが、まだそのフォームは硬いように見える。
見えない何かに縛られているように、自由になり切れているようには見えない。
「……」
ただそれでも、それでも、メイドは微笑んでいた。
娘を見守るように、表情は綻んでいた。
想いのままに、思うがままに走る彼女の姿は……
とても。
とても、楽しそうに見えた。
「……!」
刹那――
背後から、どたどたと足音が聞こえてくる。
先のスズカによる、優雅なまでの静謐なものではない。それとは正反対な、複数人による、コミカルなまでの騒がしい靴音。
「……来たようだね」
ルドルフは言い、そちらへと振り返っていた。
それに釣られるように、メイドも、秘書も、目を向ける。
「わ――ホントに『皇帝』様だ!」
現れたのは、ウマ娘の集団。
中央校指定のジャージに身を包んだ彼女らは、つい先ほどまで、アールヴァクを捜索していた者たちだ。
無論、この場に来たのは、偶然などではない。
「あー……こりゃ一体どういう状況だ?」
到着早々、競レース界の『伝説』を前に、色めき立つ彼女らの先頭に立っているのは、長い芦毛。
ゴールドシップは、ターフを眺めるなり、訝しげに言った。
「スズカがアールヴァクを追っかけてんのか? ……にしてはなんか遅くねーか」
「当然だ。『本気』で追いかけているようではないからね。まぁどちらかというと……じゃれ合っているというか」
「『暴走』のことを考えたら、そんなに悠長にしている暇はないと思うのですが……あっ、お久しぶりですわ」
「うん。久しいね」
マックイーンも顔を出し、ルドルフと挨拶を交わす。呆然と佇む数名と、有名人を見てはしゃぐ残りのメンバー。目の前には把握し難い状況、とあって、さてこれからどうしたものか、とゴールドシップは考えを巡らすが、
「~~……」
「……? どうしたのターボちゃん」
見るからにそわそわしているツインターボに、マチカネタンホイザが問いかけた。
ターボはそれに特に何も返さなかったが、
「――あーもーダメだ! 我慢出来ないっ!」
その疼きを解放するかのように叫ぶと、ターフに向かって走り出していた。
「ターボちゃん!?」
「うおおおおお! ターボも走るぞーっ!!」
「……こうなったターボは、もう止まりませんね」
イクノディクタスの言葉通り、ターボは門扉を飛び越え、ラチを潜り、ドドドドド……とターフを走り始める。それを見たイクノディクタスは、マチカネタンホイザの背を軽く叩いた。
「さ。私たちも行きましょう!」
「へっ? あ――うん、行こう!」
それに続き――彼女らも、ターフへと走り出し。
「……よくわかんないけど、走ればいいのね!」
一人。
「オッケー、私も行くわ!」
また一人、と。
「『皇帝』様にいいとこ見せるチャンス……!!」
彼女らは走り出す。
「――しょうがないなぁ。ほら行こ、フェア姉!」
「ったく……本能には逆らえねー、ってか!」
それに、セイウンスカイとルビーフェアが。
「ほらアンタも! ボーっとしてないで行くわよ!」
「引っ張らないでください。言われずとも行きます」
メジロドーベルとスレイエメラレルドが。
「……」
躊躇っていた、サファイアアリオンも。
「参りましょう、アリオンさん?」
メジロブライトに促され。
「頭で考えるばかりが、正解ではありませんわ?」
「……、」
――そうだね、と。
同意し。その『仮レース』に参加していた。
ほどなく、集ったウマ娘たちはいなくなる。我武者羅なまでに走り出した彼女らを見て――ルドルフは、悠然と笑っていた。
「はははっ。みんな元気で何よりだな」
「あぁ……もう。また再整備が大変に……」
「そう言うな。こういう前のめりな情熱が、いつだって時代を拓いてきたんだからな……ん?」
頭を抱える秘書に言った彼女だったが、ほどなくもうひとつの事実に気づく。
それは、自分たちの傍に留まっている二人。それに参加しそうだというのに、実際には参加していない『彼女ら』のこと。
「きみたちは、行かなくていいのか?」
ゴールドシップとマックイーンに呼びかけると――
あー、と答えたのは、ゴールドシップだった。
「『現場』でも散々大役やって来たからなー。『おばちゃん』はここで見守らせてもらうぜ」
「えぇ。こうして、後輩たちが走る姿を見るのも、また一興ですわ」
マックイーンも、彼女に続いて答え――
すっかり騒々しくなったターフを、優しいまなざしを以て見つめて、言っていた。
「……いい
『――アンタは一般人が危険に晒されることをわかっちゃいない』
秋川は、男の声に耳を傾けていた。
『あの『事件』だって、アンタらが死力を尽くして『辛うじて』止めたっていうじゃねぇか。再発防止策もなけりゃ、処分も無しだってのか?』
「……つまり『彼女』が危険だから、もう二度と陽の目を見ないよう管理しろと?」
『悪い言い方をすればそうなるな』
「なるほどな」
男の言い分に、彼女は表面的には理解を示す。だが、飽くまで表面的だ。深層として、それを受け入れるつもりなどない。
「自分たちにとっての危うい要因を摘み取り、自分たちは平穏を謳歌する訳か。まだどうにかなるかもしれない事案を、思考停止で蓋をして、そのものの権利など考えもしないのだな。で……なんだ。それで君たちは、この世界は平和だ、なんと素晴らしいのだろう! と後世にまで伝えるわけだな。……気は確かか?」
『そっくりそのまま返すぜ。そもそも、人間とウマ娘なんて、相容れない存在だ』
そうだろう、と男は言う。
『根本的に『作り』が違う。『思想』が違う。あんな危ういものとの『馴れ合い』なんて、いつまで続くかもわからない。平穏や平和のために、出来るだけ早く対処するのは当然だろ』
男は言う。
『何もわかってないのはアンタの方だ。日々、どれだけの人間が、怯えて過ごしていると思ってる!? あんなモノはな、元より人間と共にいちゃいけないんだ――徹底して管理して、生活するべきなんだ』
男は、言う。
『興業に利用するなんて以ての外だ。そんなものは、彼女らの権利の侵害でもある! この世のために、未来のために、『自由』のために! あれらは管理されなくちゃならないんだ!』
「……」
男は。
言った。
秋川は、それらの言い分を、黙って聞いていた。
一連の話を、一連の主張を。受け取り、咀嚼し、吟味し、反芻し、思考し――
「……、」
彼女がとった行動は、些か空気に見合っていないように思われた。
彼女は――
「……はははっ」
彼女は。
笑っていた。
走っている。
少女たちは、走っている。
青々と茂るターフの上を、いかにも楽しそうに、大人たちに見守られながら。
一心に、走っている。……
『――何がおかしい!?』
男は、声を荒げていた。
『お、お前、僕の意見を嘲笑う気か!? 人権侵害だぞ!』
「あぁ――あぁ、すまん。これでも真剣に聞いていたのだが。思わず笑ってしまったよ」
反面、秋川は余裕そうに答えた。
「あまりにも――」
あまりにも。
浅薄で、と。
『は……?』
「きみの言い分も、わからないでもない」
懸念も、不安も、心配も。
抱いてもおかしくないタチのものだ。
「確かにウマ娘は、人間よりも遥かに『力が強い』。その気になれば、人類の叡智などものともせずに、侵略出来てしまうだろう。管理だなんて言っている我々が、管理される立場に成ったりしてな。あぁ――そういえば、そんなSF小説があったな。もしウマ娘が人類の立場だったら……だったか。懐かしい。文章が拙すぎて、読めたもんじゃなかったが」
『……何を言ってやがる』
「だが、ウマ娘には思考がある」
彼女は言う。
「思考がある。思想がある。意志がある。己で考え、選択し、実行する度胸がある。きみが思っているほど、短絡的な生き物じゃないよ。彼女らは寛容で……そして、純粋なモノだ」
彼女は言う。
「心配には及ばない。それは歴史が、何より証明しているだろう」
『なら――なら、そんな危険を放置していいっていうのか!?』
彼女は――言って。
それに、男は反論する。
『いつ暴走するかもわからない、人間に仇名すかもわからない、そんなもんと隣り合わせで過ごせっていうのか!?』
「
更にそれに、反論した秋川に――
男は、黙るしかなかった。
「……生憎と我々は、恐怖に簡単には屈しない」
彼女は続ける。
「生き物は本能に従うべきであること。あるがままに生きるべきであることを、よく知っているからだ」
彼女は続ける。
「ダイヤアールヴァクは例外だったけれどな。彼女は心を守るために、壊れるしかなかった――だがそれも考えてみれば、『きみたちの浅はかな強欲の生み出した結果でしかない』」
『……』
「……往生際の悪い奴だ」
彼女は。
続ける。
「いいか。我々とて……簡単にここまで来られたのではない。戦前から、長い長い歴史を地道に積み重ねてきた。迫害を乗り越えてきた。差別を踏み越えてきた。次から次へとやってくる問題を、正面から、逃げずに、屈さずに、解決してきた。
そうしてようやく、今の平穏を築き上げることが出来たのだ。だというのに、『なんか危ない気がするからとりあえずぶち壊そう』だと? ――笑わせるなよ!!」
彼女は――
続ける――
「危機も、危険も、いつだって我々の傍にあった。こんな事件はな、
簡単なものなどではない! これまでどれだけの犠牲を払ってきたと思ってる。どれだけの人間の意志が介在していると思っている。競レースの歴史は――そういう先人たちの、知恵と工夫の創造物そのものだ。
春山の『冷静さ』が、
夏陽の『情熱』が、
秋川の『慈悲深さ』が、
冬天の『頭脳』が、
いがみ合い、衝突しながら、それでも手を取り合い、栄々と紡ぎあげてきた、この競レースという歴史を――
――貴様のような、
貴様のような、
たかだか数年思い煩っただけのぽっと出の
簡単にひっくり返されてたまるかぁ!!」
『っ……』
「それでも我々と事を構えようというか。――よろしい。ならばよろしい!」
彼女は言った。
それならば――相手になってやる、と。
「だが、くれぐれも用心しろ」
それはもはや、議論とか論戦とかではない。
戦争だ。
血で血を洗うような戦争。
そしてこちらには――そういうものにさえ、飛び込む覚悟は出来ている、と。
「そのような争いは……多大な犠牲を払うことを心得ろ」
きみは勘違いしている。
何かを得るのに、何かを失わずにはいられない。
何も引き換えにせずに、手に出来るものなど存在しない。
手にするのなら、奪いとるのなら、相応の対価を払わなくては。
「気の遠くなるような時間を、気の遠くなるような力を、費やすものと心得ろ」
つまりは、そういうことなのだ、と――
「……敢えて言おうか」
だから。
だから。
彼女は――
言った。
「――
それを最後に。
秋川は、乱暴に通話を切断した。
大きく深呼吸をすると、上がり切った熱が下がっていくのを感じる。
嗚呼。
ちょっと思いのままに。
色々言い過ぎたなー――と。
「……」
まぁ。
それもたまにはいいか、と思いながら。彼女はふと、窓の外に目をやる。
「……おぉ」
思わず感嘆の声を上げた。
そこでは、星々の光を抱くように、闇が広がっており。
闇と溶け合うように、星々の光が輝いている。
「……走れ、皆の者」
彼女は、言った。
「どこまでも、走ってしまえ」
誰にともなく、しかし、確かに目の前にいる、誰かに語り掛けるように。
「安心せよ」
――言った。
「……この空の下にいる限り、
君らの命は――