16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

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想いを背負って(後編)

「ん? どうしたの?」

 

 テイオーの声が、鈴を鳴らすように響く。

 

「そわそわしちゃって」

「いや……なんか、まだ信じられなくてさ」

 

 文字通りそわそわと落ち着きがなかったナイスネイチャは、その逃げ場とするように問いかけに答える。

 

「アタシなんかが、副会長なんて……」

 

 高級感あふれる一室――

 生徒会室は、自分には似つかわしくない気がしてならない。

 装飾品は使用人の風格を追うと聞いたことがあるが、部屋も同じなのかもしれない、と彼女は思った。

 

 この、綺羅びやかな部屋が。荘厳な一室が。

 なんだか、精一杯に見栄を張っているように見えてしまう。

 

「何言ってるのさ。キミは自己評価低すぎなんだよー」

 

 そんな彼女に、テイオーは――

 二代目生徒会長という名誉を受け継いだ、トウカイテイオーは答えた。

 

「冷静で、大人びてて、達観してて……」

 

 そういう冷静な視点こそが。

 こういう組織には必要なのだ。

 

「……予感がするんだよ。ボクはたぶん、何か、大きく間違える。きっと」

「そんなこと……」

「そんなこと、あるんだよ。実際さ……不安で仕方がないんだ。ボクで本当にいいのか。ボクなんかに、本当に務まるのか……」

 

 その言葉を聞いて、テイオーの姿に、自分自身の姿が重なったのを感じる。不安、心配――恐怖。壇上であれだけ誇らしげにしていた彼女が、今や、とてもちっぽけに見える。

 

「……だからさ、ネイチャ」

 

 彼女は言う。

 だから、もしも。

 

「もしも、ボクがこれから、何か、間違えるようなことがあったら……その時は」

 

 その時は。

 

「思い切り、ボクを、……ぶん殴ってほしい」

「ぶ――ぶん殴る……!?」

「あはは。まぁ、ものの例えだけどね。ボクの目を……どんな手を使ってもいい。覚まさせてほしい」

 

 軽快に笑うが、テイオーの目は、依然として翳っている。

 本当に、そんな心苦しい未来を見つめているかのように、憂いを帯びていた。

 

「……キミならそれが出来る。いや、キミにしか出来ない。ボクは、そう信じてる」

「……大げさな。アタシは……」

「お願い」

 

 なおも謙遜を続けるネイチャの目を、テイオーは真っ直ぐに見つめる。それに晒されては、さしものネイチャも、言葉に詰まるしかなかった。

 同じように、それを前にしては。

 冷徹に切り捨てることも、また――

 

「……、」

 

 元より――

 指名され、受け入れた時点で。それを拒むつもりはないということだった。

 観念したネイチャは、一つ小さく息を吐く。

 

「……しょーがないね。そう言われたら」

 

 そして、テイオーの元へと歩み寄ると。

 拳を、彼女に差し出していた。

 

「お供しますよ、カイチョーさん」

「……うん」

 

 それを見たテイオーもまた、拳を差し出し。

 

「よろしくね」

 

 お互いのその表面を――

 軽く、打ち付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しくじったかもしれない、とネイチャは、レース開始早々感じていた。

 スタートは決して悪くなかった。ゲートに変に阻まれたわけでも、出遅れたわけでもなかった。ただ全体の走り出しが、それと同じ、それよりも綺麗なものだった。

 結果として、相対的に自分は出遅れたような形となり、後方のバ群に囚われそうになる。本当ならもっと先団に入り込みたかったが、こうなっては後の祭りだ。変に固執すれば、体力を浪費してしまう。

 仕方がない、と中団に狙いを定め――結果として、後団の先頭付近に陣取ることになった。

 興奮しかけた頭を落ち着かせ、集団の分析に務める。速めのペースに大きく置いていかれることなく、トウカイテイオーは安定した走りを見せていた。

 

 彼女もまた上々な滑り出しで、見事に先団に入っている。集団のペースに合わせながら、前へと出られる瞬間を見定めている様子だ。

 その背中を、その王座を、どうすればぶんどることが出来るか――ただ、今がその時でないことは確かだ。

 

 落ち着け、大丈夫。

 彼女は自分にそう言い聞かせる。

 まだ勝負は始まったばかり。焦るべき時じゃない。ペースを乱されないよう、置いてきぼりを喰らわないよう、努めて冷静に展開を分析する。

 

 3コーナーを回り、4コーナーへ。

 ただ、あまりにも分析に力を入れすぎていたせいか。

 

「っ……!!」

 

 やや膨らみ気味に、コーナーを回ってしまった。結果として、ホームストレッチに差し掛かった時には、下から2番目にまで順位が落ちてしまった。

 一時の油断で、すぐに足元を掬われてしまう。やっぱしくじったか――などと思う、彼女の前。

 トウカイテイオーは、未だに先団に食らいついていた。

 

「……、……」

 

 ――あぁ、やっぱすごいわ。

 ネイチャは、そう感じる。

 

 彼女は、自分と住む次元が違う。ずっと、事あるごとに感じてきていた。

 初めて会った時も。

 廊下で偶然、行き合った時も。

 ……生徒会役員として、指名された時も。

 格の違い、住む世界の違いを、感じずにはいられなかった。

 

 だからこそネイチャは激昂したのだ。あの時――テイオーが、自分はダメだ、などと自暴自棄に陥った時。

 きっと、自分の力がなくとも立ち直れる。そう信じていたのに。

 

 結局自分の手を借りなくちゃ。

 立ち直れなかったんだから。

 

 そうだ、立ち直ってくれなくては困るのだ。

 生徒を引っ張る、サイキョーのトウカイテイオーでなくては困るのだ。

 覇気を失い、迫力をも忘れた彼女を、抜き去ったところで、価値など無い。

 王座は、王座たるからこそ、簒奪するに足るのだ。

 そして今日の彼女は――その王座に相応しい、素晴らしい走りを見せていた。

 

「――!」

 

 ホームストレッチの半ばを過ぎたあたり――

 それまで先団に入っていたはずのテイオーが、少し速度を落としていた。

 中団に紛れ込み――

 遠くにあったはずの姿が、間近に迫る。

 

「――どーしたの、帝王サマ!?」

 

 そんな彼女に、ネイチャは声を張り上げた。

 

「ご休憩ですか!?」

「ははっ――そんなとこ!!」

 

 答えに、内心少し安心するネイチャ。彼女の脳裏をよぎっていたのは、例の『模擬レース』の時のテイオーだった。

 あの時彼女は、後方で力尽きて棄権、という結果に終わってしまったが――

 今回は、そんな心配は杞憂らしい。

 

「でも休んでばっかじゃ――」

 

 ならば――と。

 ネイチャは、息を入れた。

 

「抜いちまいますよっ!」

 

 レースは1コーナー――

 彼女は大胆な作戦を取った。

 やや膨らみ気味に走り、一気に先んじてしまおうという話だ。

 上手くいけば、今より遥かに有利な状況を作れる。

 

「――っ、」

 

 が。

 かの『帝王』が、そんな悠長な作戦を許すはずもない。

 

「奇遇だね、」

 

 それに合わせたように――速度を上げる。

 

「ボクも、同じこと考えてたっ!」

「っ……!!」

 

 とはいうものの、テイオーは既に内側に陣取っている。

 そうなれば、体力の浪費なくコーナーを曲がれるのは、テイオーの方だ。

 舌打ちは、激しい風切り音と、蹄鉄の音で掻き消される。

 やっぱそう簡単にはいかないか、と思いながらも、自身の作戦は曲げない。

 

 行く。

 行くしかない、と彼女は走る。

 させない。

 させない、とテイオーもそこに競り合っていく。

 1コーナーを抜け――

 2コーナー。

 更には、向こう正面に至るまで――

 二人は、激しい競り合いを見せた。

 

「――、」

「……、」

 

 ――はは。

 ネイチャは、内心で笑う。

 いや、もしかしたら、表情でも笑っていたかもしれない、と感じる。

 

 楽しいな。

 楽しいな、と、単純に思う。

 

 雲の上の存在、次元の違うウマ娘。

 ずっとそう感じていた彼女と、こうして競り合っている事実が、ネイチャにはたまらなく楽しく、尊かった。

 自分の努力、自分の時間、それら全てが、それだけで価値あるものだったと、肯定された気分になった。

 ただ、それは飽くまで、気分になっただけ。

 まだ、事実として認識するには程遠い。

 結果として、確かに手に取るまでは、実感までには至らない。

 

 もっと前へ。

 更に先へ。

 絶対に、勝利を――そう考えて、何とか前へ出ようとするが。

 

「……っ」

 

 開いていく。

 徐々に、テイオーとの距離が開いていく。

 その間を埋めるように、他のウマ娘も介入し、程なく再び、抜き去るのが難しい状況となってしまった。

 レースはもうすぐ3コーナー。

 そこを抜ければ4コーナー、そしてあっという間に最終直線だ。

 もたもたしている暇はない。

 躊躇している余裕もない。

 ここで前へと出られないのなら――もう残った選択肢は。

 

 3、4コーナー。

 そこしか、ない――!

 

「――ふぅっ、」

 

 狙いを定める。

 気持ちを集中させる。

 深呼吸をし、頭を落ち着かせた。

 

 ……そうだ。

 まだ、レースは終わっていない。

 最後まで、勝負はわからない。

 焦らず、冷静に、仕掛け時を見極めろ。

 そうすれば、きっと。

 

『帝王』の喉元に、

 届く――!

 

 そう信じて、ネイチャは一旦力を抜く。

 勝負の時に備えて、力を温存することにする。

 

 そして――そんな風に。

 冷徹なまでに冷静に、勝利を狙う彼女の――後方。

 

 

 その少女もまた。

 鋭い眼光を以て。

 虎視眈々と。

 その時を狙っていた。

 

 

「……、……」

 

 ――マチカネタンホイザ。

 中央の――『眠れる才女』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――それでは、自己紹介からお願いします」

「あー、はい」

 

 そのチームの一室で、三人分の視線を一心に受けたナイスネイチャは、照れ隠しのように後頭部を掻きながら、口を開いていた。

 

「ナイスネイチャですー。 まぁそのー、なんというか。一応アドバイザーってかたちではありますけど、そのー、まぁ、あんまりこの場には相応しくないかもなー……みたいな気持ちもあったりなかったりで。そのーまぁ、えっとー……」

 

 片手間に、お願いしますね。

 へらへらと笑いながら言ったネイチャに、ツインターボ、イクノディクタスに混じり、拍手をするマチカネタンホイザ。

 他の二人の印象は、見てくれからは見て取れなかったが――

 

 ――なんだこいつ。

 

 それが、マチカネタンホイザの最初の印象だった。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 ストイック。

 周囲からの、マチカネタンホイザへの大概の評価は、それだった。

 ふわふわ、おっとりしているように見えるが、実際は片時も自身の研鑽を怠らない。

 自前のトレーニング用のメモ帳を同級生に覗かれた時には、軽く戦慄されたほどだった。

 

 ただ、マチカネタンホイザ本人は、それそのものをストイックだとは思っていないし、鼻にかけるようなこともしていない。

 特別なこととも思っていない。思うはずもない。

 勝負に直向きに向き合うものとして、それらは当然、果たすべき務めだと考えているからだ。

 

 かといって、誰かを貶めることもしていない。

 人には人の向き合い方がある――ずっとそう思ってやってきた。

 そんな彼女でありながら。

 初めて苛立ちを覚えた相手――それが、他ならぬナイスネイチャだった。

 

 彼女は――言うなれば変わっていた。

 自分がこれまでに会った、どのウマ娘とも違っていた。

 実力そのものは、自分とはさして変わらないものの。

 何かこう、人を惹きつけて止まない魅力がある。

 

 にも関わらず――彼女はそれを頑なに認めない。

 自分はそれに相応しくない――などと雑に自虐し、評価を遠ざける。

 その言動が。

 マチカネタンホイザには、たまらなく腹立たしく感じられたのだ。

 

 何言ってんだこいつは?

 何言ってんだコイツは。

 

 謙遜ならまだしも、称賛に、自虐や自嘲で返すなんて、相手への冒涜だろう。

 褒めてくれた相手への。

 競ってくれた相手への。

 称賛には勝利を。

 勝利には感謝を。

 以て応える。それが双方への最大の敬意じゃないか――

 

 故に、気に入らなかった。

 故に、腹立たしかった。

 表向きでは気丈に振舞いながらも。内心では強い情熱を抱いていた。

 自分は違う。

 自分はその先へ行く。

 こんな奴なんかに負けない、と。

 ずっと、そう心に決めて戦ってきた――

 ――『あの時』までは。

 

 有マ記念――

 彼女にとっての、菊花賞に続く、二番目の大舞台。

 結果は3着に終わったものの――それを見届けたマチカネタンホイザは、直感的に感じていた。

 

 ――あぁ、きっとこの人は。

『持っている』ウマ娘なのだ、と。

 

 競レースは『血統勝負』(ブラッドレース)

 方々でよく言われることだ。

『運』(血統)に恵まれないものは、簡単には勝ち上がれない世界。

 自分は持っていない方なのかもな、と考えながらも、それだけに努力を重ねてきた彼女だったが。

 あの歓声を聞いた時。あの持ち上がりを目撃した時。

 

 ――きっと、ナイスネイチャは大物になる。

 

 それを、直感で感じた。

 

 自虐しながらも。自嘲しながらも。

 打ちのめされても。成績に恵まれなくとも。

 結局諦めず、挫けず、折れず、直向きに戦い続ける。

 その姿から――自分との距離を感じた。

 

 私は。

 この人にはなれない。

 

 この人には。

 追い付けない。

 

 きっと、いくら努力しても。いくら頑張っても。

 追い越すことなんて、出来ない――

 

「……なんかブルーじゃない?」

「へ」

 

 ある日の食堂で。

 そんな心中を見抜いたように、ネイチャは言っていた。

 

「嫌なことでもあった? ネイチャさんで良かったら、相談乗るよ?」

「い……いやぁ、あはは。実は最近、お金が足りなくてですねぇ……」

 

 マチカネタンホイザは、咄嗟にこそ体のいい言い訳を口にするも、刹那、耐え切れなくなってしまう。

 

「……ごめん。ちょっと行くね」

「え?」

 

 二、三言葉を交わすと、逃げ出すように――いや、正しく、その場から逃げ出していた。

 すれ違う同級生たちにばれないように、顔を俯かせながら。

 

「……っ」

 

 彼女は、涙を流す。

 

「――うっ……うぅ~っ……」

 

 悔しい。

 悔しい。

 こんなに頑張ってるのに。こんなにも努力しているのに。

 結局全部は、カミサマの決めた、『血統』なんでいう運命(クソ)なんぞに、容易く打ち破られる。

 

 わかってた。

 本当はわかってたんだ。自分なんかじゃ務まらないってことくらい。

 血の滲むような努力は、その自信の無さの裏返しでもあったのだ。

 

 ――悔しい。

 

 メモ帳が、山のように積み重なっていく。

 

 ――悔しい。

 

 映像を観過ぎて、ものもらいを発症した。

 

 ――悔しい、悔しい、悔しい――!

 

 勝つ。

 絶対に勝つ。

 負けない。

 負けてなるものか。

 なおも燃え上がる情熱は、ありとあらゆるを燃やし尽くさんばかりだった。

 

 その背中に。

 きっと、絶対に、追い付く、と――

 

「――、」

 

 3コーナー。

 彼女は息を入れ直す。

 今すぐにでも食らいつきたくなる衝動を。

 冷静に、冷徹に、飼い慣らす――

 

 ――競レースは刹那のスポーツ。

 もたもたしていれば、すぐに勝負は決する。

 ごく短時間の中で、最善を選び続けなければならない、狂気的な時間は――

 間もなく終盤戦へ。

 

「――ッ!」

 

 トウカイテイオーが、速度を上げ始める。

 順位を捲ることの出来る、ほぼ最後のチャンス。

 中団の先頭付近で息を潜めていた彼女が、先団との距離を詰める。

 それを目撃したナイスネイチャの頭に、閃きが迸った。

 

 ――どうする。

 

 スローモーションの世界の中で、声なき自分の問いかけが走る。

 

 ――行くのか、ここで。

 

 確かに競争は最終盤、仕掛けなければ意味がない。

 

 ――でも、位置取りはあまりよくない。外目を回ることになる。

 ――下手すれば、下位まで真っ逆さまに――

 

 迷いと、惑いと、躊躇いと――

 無数の感情が、思考が、刹那の間に行き交い鬩ぎ合う。

 どうする。

 どうするんだ、自分。

 追い詰めるように、試すように。口々に叫ぶその言葉に対して――

 ネイチャは、行動で応えた。

 

「――ッ!!」

 

 行く。

 行くしかない。

 ここで速度を上げたということは、これがテイオーの全力(ラストスパート)のはず。

 そこを追い抜ければ――!!

 

「――!」

 

 そしてそれを、テイオーも感じる。

 追い縋る彼女に――悪戯っぽい笑み。

 

「ははっ――」

 

 挑発するように、彼女は言った。

 

「ホンットにボクが大好きなんだから、キミは!」

「そのとーり!!」

 

 ――あぁそうだよ。

 

 彼女は思う。

 

 ――その通りだよ。

 

 彼女は、考える。

 

 アタシはアンタが大好きだ。

 

 大好きだから、支えたくなった。

 大好きだから、怒鳴り散らかした。

 大好きだから、尊敬してるから――

 

 勝ちたいって。

 思ったんだ。

 

 アタシをこんなにしたのはアンタなんだ。責任取ってくれなきゃ困る。

 そうでなくちゃ、()()()()()()

 納得しなきゃ、受け入れなくちゃ。

 次の段階にまで、至れない――!

 

 頭がおかしい、とみんな言うだろう。

 イカれてる、ってみんな笑うだろう。

 おかしくたっていい。イカれてたっていい。

 この姿は。その背中は。

 

 アタシが乗り越えなくちゃいけない、

 (目標)なんだ――!!

 

「――あ、」

 

 行く。

 だから、行く。

 

「あ、あ、あ、あ、あ――」

 

 全力を賭して。全霊を賭けて――

 

「ああぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 追い縋る、追い縋る――

 夢にまで見たその白い衣装を、そうして、とうとう追い越し――

 

 

 

「――ごめんね、ネイチャ」

 

 

 

 ――かけた。

 その時だった。

 

「キミの努力は知ってる。その情熱も知ってる。ボクを追い越すために。ボクに勝つために。ずっと頑張り続けてきたことも知ってる」

 

 テイオーは言う。

 彼女は語る。

 追い付きかけた彼女に、無情なまでに言葉を投げかけて。

 

「――でも、足りない」

 

 その瞳が。

 鋭く、彼女を突き刺した。

 

「まだ――足りない」

 

 瞬間。

 トウカイテイオーは、更に、加速していた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 油断したわけじゃない。

 慢心した覚えもない。

 それでも、目の前で起きた出来事を、ネイチャはすぐには理解出来なかった。

 

 ――は……?

 

 それが『全力』だと思っていた。とうとう追い抜けると考えていた。

 だがそんな彼女を裏切って、テイオーは更なる加速を見せていた。

 まだまだ彼女は――

『底』を見せてはいなかった。

 

 ――は……!?

 

 ぞくり、と悪寒が走り抜ける。

 みるみる開いていく距離を感じながら、ネイチャはその事実をようやく認識した。

 嘘だろ、と。

 冗談でしょ、と――

 

 

 

 ――まだ、

 

 ――まだ、上がんのかよ――!?

 

 

 

 糞、と毒づいた彼女は、しかしともかくも、このまま減速するわけにもいかない。

 加速するその背中に追いつこうと、自身もあらん限りの力で応じようとする。

 

 が――距離は縮まらない。

 それどころか、ますます開いていくばかりだ。

 

「……、……!!」

 

 ――ちくしょう。

 ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう――!!

 

 レースは3コーナーを終え、4コーナーへ。

 必死に足を動かすも、間に別の選手に割り込まれ、後続にまで追い付かれ始める始末だ。

 レースはラストスパート、誰もが全速を出す。

 

 ――届かないのか。

 追いつけないのか。

 結局、最後まで、彼女には突き放されたままなのか。

 もうこの距離を、埋めることなんて出来ないのか。

 

 でもどうすればいい?

 あと、何をすればいい。

 頑張ってきた。努力してきた。やれることを何もかもやってきたはずだ。

 コンディションは万全、バ場の状態も良好。勝負にはうってつけの条件だった! あと、あと何を、あと、何を、どうすればいいっていうんだ!

 

 なんで。

 なんで。

 なんで、追い付けないんだ――!!

 

「――くそ」

 

 嫌だ。

 

「くそ、くそ、クソッ――!!」

 

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 

 追い付けないなんて嫌だ。最後まで負けたままなんて嫌だ。負けたくない、もう負けたくない!!

 

 これで終わりだなんて、

 そんなの、絶対に、嫌だ――!!

 

「クッソォォォォォッ!!」

 

 とにかく加速する。

 とにかく全力を出す。

 一歩でも前へ。半歩でも先へ。その一心で、最終直線。彼女もまた、死に物狂いのスパートをかけた――

 

 

 

「――ここだ」

 

 

 

 ――その。

 刹那だった。

 

 最終盤、後続も中団も入り乱れる混沌の最中、その内側――

 特徴的な帽子が走る。

 

 ――マチカネタンホイザが。

 内ラチから、猛烈に追い上げてきていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 ――!?

 

 それを、ナイスネイチャはしかと目撃していた。

 それまで後続で息を潜めていたマチカネタンホイザが、力を解き放ったかのように加速する。

 大外と内側――数人のウマ娘を挟み、視線が交錯する。

 あのほんわかとした柔らかな目はどこへやら。

 喰わんばかりの鋭い目が、彼女を突き刺していた。

 

 ――コイツ……!!

 

 先とはまた別の焦燥が、ネイチャの感情に割り込む。

 その視線を受けたことで、彼女の中に予感が浮かび上がり、そしてそれは即座に確信へと変わった。

 コイツ――

 

 ――アタシしか、

 ――見てないッ……!!

 

 しまった。

 しくじった。

 テイオーに固執するばかり、有効なコースを警戒し切れていなかった。

 こちらが全力を出したのを――こちらも見切られた。

 その姿が。普段の様子からは想像もつかない姿が。

 ネイチャの喉元にまで迫る――

 

「――ごめんねネイチャ」

 

 マチカネタンホイザは言う。

 

「真剣勝負に、水を差したくはないけどッ――」

 

 もはや、あとは走るだけだ、とばかりに。ゴール板を見定めて。

 

「――私だって、」

 

 私だって。

 

「負けに来た、わけじゃないッ――!!」

「ッ……!!」

 

 ――行かせるものか。

 させるものか。ネイチャは文字通りの全力疾走。

 マチカネタンホイザもまた、全速力。

 結果として二人は、間に割り込んだウマ娘をも追い抜き、先へと躍り出る。

 だがそこは先頭ではない。

 彼女らと2、3バ身は離れた先で――トウカイテイオーは、2位のウマ娘と競り合っている。

 

「――、――……!!」

 

 もう、ゴール板はすぐそこ。

 ネイチャの中には、冷静な予感が去来していた。

 

 届かない。

 ここからじゃもう、追い付けない。

 わかってる、分かり切ってる。それを乱暴に肯定しながらも、まだ身体は諦めを知らない。

 走れ、走るんだ。

 戦え、戦うんだ。

 あの背中に、あの姿に。

 アタシは、きっと、絶対に――!!

 

「ッ、」

 

 行け。

 

「ッ――」

 

 行け。

 

「ッ――!!」

 

 行け――!!

 ――と。

 夢中で、霧中に、走り続けた――……

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 ナイスネイチャは、白い空間にいた。

 あれ、と彼女は意識を取り戻す。

 そこは病室――ではない。自分は立っているし、周囲に調度品の類もない。

 そうでない部分との境界も明らかでない、全面が、気が狂いそうなほどに、真っ白な空間――

 

 ――……

 

 どうしたのだろうか。

 自分は、さっきまで、レースを走っていて――と、いやに落ち着いて考えた先。

 

 目の前に。

 見覚えのある姿があった。

 

 ――……テイオー?

 

 声なき声が言葉を紡ぐ。

 背中を向けていた彼女が、それに反応して振り返る。

 相対した彼女は、にこりと笑うと。

 ネイチャ、と彼女の名を呼んだ。

 

 ――ありがとね。

 

 そして、言うのだ。

 

 ――キミのお陰で、ボクはここまで来られた。

 ――キミがいたから、ボクは、今までやってこれた。

 ――あの時……ボクがくじけそうになったあの時。怒鳴ってくれてありがとうね。

 ――やっぱり、キミを副会長にして正解だった。他の子じゃ、あぁはいかなかったろうしね……

 

 ――な、

 

 何言ってんの、とネイチャは言う。

 まるで全てが終わったように。まるで全てが決したように。

 彼女は言うけれど。

 

 まだ終わってない。まだ決してない。

 アタシはまだ、何一つ、納得もしてないのに――

 

 ――いいよ。

 

 そんな彼女の言葉を遮り。

 テイオーは、言う。

 

 ――もう、いいんだよ。

 

 どこか、寂しげに。

 どこか、慈しむように。

 

 ――もう、ボクの背中を、追わなくて、いいんだ。

 

 ……言うのである。

 

 ――……今ならわかるな。カイチョーの気持ち。追われる側って、こんな気分だったんだね。

 ――ごめんね。ネイチャ。傍に置いたばっかりに、ボクという鎖で、がんじがらめにしちゃって。

 ――でも、もう、これで、終わり。全部、全部、おしまい。キミは自由になって、ようやく、別の場所へ行ける。

 ――大丈夫。ここまで着いてこられたキミなら、きっと、どこへだって行けるよ。

 ――だから。

 ――……だから。

 

 だから。

 

 ――またね、ネイチャ。

 ――ボクは、一足先に行くよ。

 ――この世界の、もう一歩、先へ。……

 

 言い切って。

 テイオーは、背を向ける。

 ネイチャの返事も待たずに、走り出したその背中に――

 

 ――……

 

 ネイチャは。

 手を、伸ばしていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

『――!!』

 

 砲声のような歓声が会場を満たし、人々が歓喜に打ち震える。

 ある者は抱き合い。ある者は笑い合い。ある者は、飛び跳ね、そして拍手をした。

 

『トウカイテイオー、奇跡の復活!!』

 

 祝福の海の中で、テイオーは立ち止まる。

 息を整えながら、震える手を見て、握り締める。

 

『一年ぶりのレースを!! 制しましたッ!! トウカイテイオー……!!』

「……」

 

 レースの結果を。意地の行き着いた先を。身体で、肌で、理解し、受け止め――

 

「――ッ!!」

 

 握り締めた拳を、高く掲げる。

 それに呼応したように、会場を満たす歓声は、もう一回り大きくなった。

 手を下したテイオーは、観客席を見渡し――

 一息を吐く。

 

 人々が、喜んでいる。

 誰もが、自分の名を呼んでいる。

 圧勝、とまではいかなかったが、それでも、十全の結果だと彼女は感じた。

 

 それらを一心に受け止めた――

 ……これが。

 自分の夢の、終着点だと。

 

「……」

 

 振り返る。

 そこには、膝に手を突き、息を整えている姿がある。

 見慣れた、自分の相棒。何よりも信頼出来る、仲間。

 

「……ネイチャ」

 

 その姿に、テイオーは声を掛ける。

 

「……、」

 

 多くは語らない。

 ゴールの直前。何かが通じ合った気がした。

 誰も知らない世界の中で。

 彼女らは短く語らい、感情を告げた。

 

 全て語った。

 全部託した。

 もう、それ以上は不要だ――彼女は、そう考えた。

 

「……本当に」

 

 だから、改めて紡ぐ言葉も、短かった。

 

「本当に……ありがとうね」

 

 キミがいたから、ここまで来られたのだ。

 全部、全部、キミのお陰だ。

 だから。

 だから――と。

 飽くまでテイオーは、彼女のことを思って、そう言ったが。

 

「……」

 

 当のネイチャはというと。

 膝に手を突いたまま、顔を上げる。

 しかしその瞳は。

 

 未だ。

 熱が燃え滾っており。

 

「……?」

 

 それに、まず疑問を抱いたテイオーは、小首を傾げる。

 

「ネイチャ……?」

 

 名を呼んだ彼女に。

 ネイチャは、いかにも悔しげに、歯軋りをした。

 

「――けんな」

 

 そして、言い。

 それをテイオーが訊き返す――よりも、早く。

 

「――ふざけんなッ!!」

 

 ネイチャは。

 テイオーの胸ぐらに、掴みかかっていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 ざわ、と、周囲の歓声が、どよめきに変わる。

 何、どうしたの。

 喧嘩? ――予想だにしない事態に、人々が不穏にざわめく。

 それを間近で観ていたマチカネタンホイザも、思わず目を丸くしていた。

 ネイチャ――? と、声を掛けそうになる。

 

「勝手だッ……アンタは勝手だッ!!」

 

 だが、叶わなかった。

 ネイチャが、周囲のどよめきにも関わらず、怒鳴り始めたために。

 

「終わったとか追わなくていいとか、アタシの感情を勝手に決めつけんなッ!!」

 

 彼女は続ける。

 

「アタシだって、アンタがいたからここまで来られた。アンタのお陰で、こんなところまで走ってこられた! こんなアタシでも、夢ってもんに執着出来るようになったんだよッ!! アンタのお陰で、アンタがいてくれた、お陰でッ!! なのにアンタが、その、アンタがッ……!!」

 

 噛み締めるように。

 食い殺さんばかりに――

 言った。

 

 

 

「――アタシの夢をッ!!

 勝手に終わらせんなッ!!」

 

 

 

 まだ自分は。

 何も出来ていないと。

 何一つ。

 成せていない、と――

 

「……辞めるなんて言うなよ」

 

 彼女は言う。

 

「ここで終わり、だなんて言うなよ」

 

 まだ走れるのなら。

 まだ、やれると、言うのなら――

 

「――勝手に終わらせといて、逃げるだなんて、言うなよ……!!」

「……」

 

 ――テイオーは、周囲に視線をやる。

 今やざわめきすらも収まり、奇妙な静寂が辺りを包んでいる。

 誰もが、自分たちを見守っている。奇異の目で、あるいは不安げな目で。

 選手も、観客も――

 

 あの。

『編入生』も。

 

「……、」

 

 もちろん。

 そんな『自分勝手』な願いを、受け入れる筋合いはなかった。

 彼女が納得していなかろうが、満足していなかろうが、そんなことは、自分の進退には、関係が無かった。

 応えなくていい――そう思ったし。そうするべきだとも思った。

 ――でも。

 

 ――自分であれば?

 本心に問いかければ。

 そして――そして、あの偉大な『先輩』であれば。

 果たしてどうするか――そう考えた時。

 

「……、……」

 

 湧き上がってきた答えは。

 ひとつだった。

 

「テイオー……」

「……離してよ」

「テイオー、」

「離してってば」

「テイオー!!」

「離せ」

「……っ」

 

 ネイチャは、乱暴にテイオーの胸ぐらから手を離す。服を軽く叩き、乱れを整えたテイオーは、未だ激しく肩を上下させているネイチャを見て――

 

 くすり、と。

 笑っていた。

 

「……ワガママだなぁ、キミは」

 

 そして、呆れたように言う。

 

「『おばちゃん』はもう、さっさと隠居しようって思ってたのに」

 

 今日のレース。

 否。

 これまでのレース。今までの出来事。それら全てに、思いを馳せながら――

 

「……そんなこと言われたら」

 

 答えた。

 

 

 

「――また、

 走りたくなっちゃうじゃん」

 

 

「――!!」

 

 目を見開いたネイチャは、テイオーに再び詰め寄ろうとする。

 

「じゃあ……!!」

「でも、わかってるよね?」

 

 そんな彼女を。

 制するように、テイオーは両腕を広げる。

 

「来年ともなれば、色んな子たちが出てくる。『ターフの道化師』。『女王の後継者』。『スローペースの申し子』――そして、『あの子たち』」

 

 きっと楽しくなるよ。

 

「そう、きっと、とっても、とっても楽しいことになる。今までにない――アツいレースになる。

 ボクを着け狙う奴なんて、キミだけじゃ収まらない。ははっ、もしかしたら、みんなに狙われちゃうかもねー……」

 

 ただ――そう言うも。

 彼女の目は、怯えていなかった。

 

 妖艶なまでに。

 その瞳を。

 光らせて――

 

「――かかってきな」

 

 言った。

 

 

 

「みんなまとめて、

 相手してあげる!」

 

 

 

 そしてそれは――

 事実上の、『続行宣言』に、他ならなかった。

 

『――!!』

 

 会場が、再びの歓喜に包まれる。

 それに余裕そうに手を振ってから、彼女は、ネイチャに視線を向け直した。

 その顔は。

 嬉しそうにも、泣き出しそうにも見える。

 

「……っても、ホントにこれが最後だからね」

 

 釘を刺すように、テイオーは言った。

 

「せいぜい悔いが無いように、努力することだよ」

「……望むとこだよ」

 

 それに、ネイチャも応じる。

 

「その玉座――今度こそ、奪いとってやる!」

「……」

 

 未だ闘志冷めやらぬその言葉に――

 テイオーは、どこか安心したように、再び笑い。

 

「期待してる」

 

 そう言うと、背を向けて。ようやく、ウィニングサークルの方へと歩き始めた。

 

 それを見届けるネイチャに――

 

「――っ!?」

 

 背中から、衝撃。

 叩かれた、という事実を認識した彼女は、勢いよく振り返る。

 そこには……あの、見飽きるほどに見慣れた帽子。

 

「マチタン……」

「もぉ~!! 見直したぜよっ、ネイチャセンパイッ!!」

「だからって叩かなくても……」

「むむ~? 胸ぐら掴んだ人に言われたくないですねぇ~?」

 

 いやまぁ、確かにそうだけど、とネイチャは先の行動を反省する。気が立っていたとはいえ――

 さすがに軽率に過ぎたか、と、思わず頬を掻く。

 

「――よしっ、マチタンも、もっかい頑張るよっ!!」

 

 そんな彼女に、マチカネタンホイザは大きくガッツポーズをする。

 

「マチタンこそ、今度こそ! ネイチャを追い越してやるんだから!!」

「……、」

 

 それに目を丸くして――ネイチャは。

 また、にやりと笑いながら。

 

「ジョートーだよ」

 

 そう、返事をしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回で引退する、と目されていたテイオーさんは、まさかの現役続行を宣言――

 誰もが予想し得なかった展開に、世間はしばしその話題で持ち切りとなった。

 一時は波乱が巻き起こると思われた有マ記念は。

 そうして、何から何まで想定外なまま……

 盛況のうちに、幕を閉じた。……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、

 時は過ぎ。

 

 

 

 

 

 季節は、

 

 

 

 巡る――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

「……ん」

 

 控室で最終確認をしていると、控えめなノックの音が聞こえてきた。

 

「はい」

「入るぞ」

 

 答えると、もう見飽きるほどに見知ったトレーナーさんが、中へと入ってくる。彼女は私の姿を一瞥すると、満足そうに頷いていた。

 

「おめかしは済んだか?」

「ちょうど」

「調子は?」

「……」

 

 それに私は、掌に拳を打ち付けて、答える。

 

「――絶好調!」

「結構」

 

 それを聞いたトレーナーさんは、満足そうに――

 

「それじゃ、始めるぞ」

 

 私に、言った。

 

 

 

「お前の目指した夢――

 

 ――最後の、『作戦会議』(ミーティング)だ」

 

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