16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

44 / 51
最高峰の夢

 夢を見ていた。

 

 ずっと、夢を見ていた。

 

「アリオンくん?」

 

 暖かな春の陽気の下。

『ご神木』の前に立っていると、校長先生は、そう話し掛けてきていた。

 

「何してるのかね? こんなところで」

「うん。あのね、えっと……『約束』してたの!」

「約束?」

 

 振り返って答えると、校長先生は不思議そうに首を傾げていた。

 

「うん! ご神木って、ずーっと前からあるんでしょ。だから、これからもずーっとあるだろうから、約束してたんだ!

 

 私、

 絶対、

 すっごいウマ娘になってみせます、

 

 って!」

「それはいいねぇ」

 

 それは遠い日の記憶。

 無邪気に口にした約束。

 色褪せた写真のような記録。

 蜃気楼のような幻覚。

 

 それは思い出。

 過ぎ去った、思い出。

 

「……うん。先生! 私、絶対になるからね! 期待しててね!」

「うむ。期待しているよ。それじゃ、今からいっぱい、いっぱいお勉強しなきゃな!」

「……それとこれとはお話が別です!」

「別じゃあない! さ、教室戻るぞ!」

 

 遥か昔の夢。

 今やもう――

 

 

 

 目の前にある、夢。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……聞こえる。

 遠くから、声が聞こえる。

 何度も耳にしてきた声。

 何度もこの身に浴びてきた音。

 

「……」

 

 道を歩いていくたびに、その音は近くなっていく。

 音が近くなるにつれて、鼓動も早くなっていく。

 

 歩きながら、私は、掌を見つめる。

 武者震いを。

 思い出を。

 ……想いを。

 そこに確かめて。

 

 強く――握った。

 

「――っ」

 

 大丈夫。

 怖がっていない。

 怯えてもいない。

 躊躇いもない。

 

 もう。

 もう。

 あとは、行くだけ。

 

 だから――

 だから。足を速める。

 だから、私は。

 眼前に広がる。

 光の中へと、

 かけ出す――

 

 

 

『――!!』

 

 

 

 ……会場は。

 中山競レース場は。

 相も変わらず、とんでもない分厚さの歓声が響いていて。

 

 ただでさえ昂っている心が。

 更に、昂っていく。

 目の前には、幾人もの、ウマ娘が立っていて。

 

 その中には――

 確かに見知った。

 見慣れた。

 見果てた姿も――ある。

 

「……」

 

 来た。

 遂に、来た。

 遂に、遂に、ここまで来た。

 ここまで、来たんだ……

 

 私の、

 私たちの、

 夢の、舞台に……!!

 

「――、」

 

 と、

 いう思いのまま、叫びそうになって、踏み止まる。

 いやいや、さすがにまだ早い、私。まだ出走どころか、ゲートインも済んでないのに。

 まるで勝ったかのような感情出すのはまずいって。

 

「……ステーイ、ステーイ」

 

 自分で自分を落ち着かせるため、呟く。そして改めて……

 

 改めて、周囲を見回す。

 

 見間違えるはずはない。頬を抓っても……ちゃんと痛い。うん。大丈夫。夢でもない。

 とうとう来た。ここまで来たんだ。ここまで、来られたんだ……!!

 中山競レース場――有マ記念大会に……!!

 

 色々あった。

 本当に、色々、あったけど。

 もうここまで来たら……あとはやるだけ。あとは、走るだけ。

 

 この大会で――

 1着を、もぎ取るだけ――!

 

「――おーおー、随分浮ついてんじゃねーか」

 

 そんな私に声を掛けてくるのは、ボーイッシュな声。

 ラフでアウトローな感じの服装の、赤髪。

 

「慌てるなよ、まだ始まってすらいねーんだから」

「……ご忠告どうも」

 

 心配してるのかしてないのかよくわからない言葉に返すと、彼女もまた楽しそうに笑う。フェアちゃんは――いい感じに、リラックスしてそうだった。

 

「しかしホント、実際に立つととんでもねーな」

 

 彼女は観客席を見回して、言う。

 

「『あの時』のレースなんか目じゃねーよ」

「……そりゃね。あのテイオーさんが、まさかもう一度走るなんて、みんな思ってなかったんだから」

 

 しかし、今回の注目株は、それだけじゃない。

 新進気鋭のウマ娘、場数を踏んだ古参も入り乱れる、結構な混沌だ。

 

「……荒れるよ。今回のレースは」

「荒れる、じゃなくて」

 

 するとそれに、フェアちゃんは返した。

 

()()()んだろ?」

「……」

 

 私がそれに、自覚できる程度には悪い笑みを返した時。

 

「……レースの直前まで悪巧みですか?」

 

 割り込んでくるのは、凛とした声。

 

「呑気なものですね」

「のんきー」

 

 それと、可愛らしい声。

 

「やだなもう。そんな小細工、今更するわけないでしょ」

 

 白が基調の、スーツのような服装に。

 亜麻色の、だぼだぼのコートみたいな服。

 スレイちゃんにアルちゃんも、そこに姿を現していた。

 

「ここまで来たら、もう走るだけだもの。変な小細工はむしろ邪魔じゃない?」

「どうでしょうね。あなたはよくよく、悪知恵が働きますから」

「ありおんちゃん、わるいこー」

「人聞き悪いなーもー」

 

 そこで三人、沈黙。そうか? とばかりに目を合わせている。いや……まぁ。

 うん。確かに、みんなを引き入れる時は、あの手この手を使ったけどさ……

 

「買い被っちゃ困るよ。『悪役』なんて名ばかりなんだから」

「ま、そういうことにしといてやるよ」

「それが作戦かもしれませんからね」

「ゆだんたいてき!」

 

 そうして四人。出走前とは思えないほど、藹々と話した時。私はひとつ、あることに気が付いた。

 

「……あれ。アルちゃん」

 

 それは、アルちゃんの耳。そこに、見覚えがあるけれど……見覚えのないモノが着いていたのだ。

 

「『それ』って……」

「……あ。うん。これは……」

「ちょっとちょっと~」

 

 彼女が答えかけた時。もう一つ、別の声が飛んできていた。

 

「オトモダチだからって、いちゃいちゃされちゃ困るよ~?」

 

 目を向けると、そこには。四人のウマ娘。

 

「セイちゃんたちも混ぜてくれないと~」

 

 スカイさんに。

 

「ま、調子良さそうで何よりよ」

 

 ドーベルさん。

 

「ですわね~。本調子でなくては、やりがいがありませんから~」

 

 ブライトさんに。

 

「でもでも、ターボも今日はぜっこーちょーだぞ! 負けないからな!」

 

 ターボさん。

 

 どれも、私のよく知った――

 お世話になった、『同級生』たち。

 けれど、そこに『あの姿』はない。

 もし出走していれば、この上ない脅威となっていたであろう橙色――

 ――異次元、とまで称された。

 逃亡者の姿は……

 

「……」

 

 ――あぁ、そっか。

 アルちゃんの着けている、それは。

『緑色の、耳カバー』は。

 もしかして……『そういうこと』、なんだろうか。

 

「こらこら~、そんなブルーになりなさるな~」

 

 思い至った私の表情が、あまりに暗かったからだろうか。

 スカイさんは、私の脇腹を肘で小突いてくる。

 

「何せ世紀の一戦! なんだからね~。気合い入れていかないと~」

「……いやいや。別に落ち込んでなんかいないよ」

「うぅん。でも気持ちはわかるわよ。……スズカさんにも、ここにいてほしかったよね」

「仕方がありませんわ。それこそ、どうにもなりませんから……」

 

 なんだかんだで、話したことで、その場全員の気持ちがちょっと下向く。それを知ってか知らずか。

 

「――おし!! 今日はみんな、全力でがんばるぞ!」

 

 ターボさんが、元気よく叫んでいた。

 

「スズカのぶんまで、がんばって走ろう!」

「……だね」

 

 ――そうだね。

 起こってしまったことを思っても、しょうがない。今ここにいる私たちなのだから――これから起こることに、向き合わなくちゃ。

 

「負けないからね、みんな!」

「は、言うまでもねーよ」

「望むところです」

「ん。負けない!」

「わかっていますよ~」

「トーゼンよ」

「お手柔らかに、お願いしますわ~」

 

 各々、今回のレースへの意気込みを新たにする中。

 

『――!!』

 

 会場を包み込んでいた歓声が大きくなる。

 弾かれたように、バ道へと目を向けると。

 そこから、二つの人影が現れる――

 

「……はは。お出ましだ」

 

 スカイさんが、軽口みたいに言う中。

 私は、一番にそこに歩み寄る。

 

 考えてみれば。

 私の、学園での始まりは、『そこ』にもあったように思う。

 

 それは人によれば、呪いというのもかもしれない。

 あるいは、鎖なんて言うのかもしれない。

 それでも、それが私の夢の一部を支えてくれていたことは確かだった。

 

 胸が高鳴る。

 夢にまで見た光景。

 とうとう目の前にして――叫ぶのを通り越して、飛び上がってしまいそうだった。

 

 ナイスネイチャ。

 トウカイテイオー。

 二人が――本バ場に、入場していた。

 

「……」

 

 ネイチャさんは、何も言わない。気を使ってくれているのか、単に声を掛けることが無いのか。ただ、お陰様で、視線は、テイオーさんの方へと集中させられた。

 

「……」

 

 彼女もまた、何も言わない。

 向けた視線に、返すことで応えるだけ。

 その視線を通して、色んな思い出が伝わったように思う。

 

 決闘レースに始まり。

 食堂での会話。

 模擬レースに。

 演説――

 

 お世話になった。

 本当に、頼りにした。

 でも今は。

 とうとう、これからは。

 共に、一番を奪い合う、ライバル同士――

 

「……テイオーさん」

 

 私は。

 彼女に、言った。

 

「……来ましたよ、約束通り」

 

 ここまで。

 とうとう。

 ようやく。

 ここまで――

 

「うん」

 

 彼女は。

 私に、言った。

 

「待ってたよ」

 

 そして。

 歩き出す。

 

「やり合おう、今日は」

 

 存分に。

 気が済むまで――

 

「……」

 

 脇を通り抜けたテイオーさんを見送り。

 一歩前に出るのは、ネイチャさん。

 

「……色々あったね。今日までさ」

 

 彼女は、観客席を見回す。

 見回すけれど、そこに見ているのは、集った観客だけではなさそうに見える。

 

「ぶつかり合ったし、いがみ合ったし。手を取り合ったし、支え合った」

 

 でも、今日は。

 もう、ここまで来たからには。関係ない。

 

「……躊躇も遠慮も必要ない」

 

 もう。

 お互いに。

 心行くまで――

 

「――、」

 

 彼女は。

 私を、威圧的に見下ろしながら。

 言った。

 

「一番かけてやり合おうぜ。……クソ『悪役』(ヒール)

「……」

 

 私は。

 それに、怖気付かない。

 一歩も引かず。

 その目を見つめて。

 

「……上等ですよ」

 

 返した。

 

「クソ『脇役』(モブ)先輩」

「……」

 

 彼女は笑みを深めて。

 テイオーさんと同じように、脇を通り抜ける。

 私はしばしその背中を見送って……

 

 同じように。

 歩き出そうとした。

 

 

 

 ……その時。

 一陣の風が吹き抜ける。

 

 

 

「――……」

 

 それに導かれるみたいに。

 背後へと、目を向けた。

 そこには――これまで、何度も目にした。

 でも、ある時を境に、めっきり関わらなくなってしまった、姿がある。

 

「……お久しぶりですね」

 

 彼女は、歩み寄ってくる。

 まるで、何ら変わらないことのように。

 柔らかく、愛らしく、笑いながら。

 

「こうしてまた会えたこと……嬉しく思います」

 

 私は。

 それに、答えられない。

 答えられないまま――見つめるしかなかった。

 彼女を。

 

 

 

 ――『黒桜の舞姫』。

 サクラチヨノオー……

 

 

 

 ……結局、今、この瞬間に至るまで、彼女とは関わり合いにならなかった。

 お互い、壁で隔てられたみたいに、話すこともなかった。

 だというのに、彼女は何ともなしに、こうして話しかけてきている。

 まるで何事もなかったかのように。

 まるで、何事もなく、関わっていたかのように――

 

「……どうしました?」

 

 押し黙っていることを不審に思われたんだろう。

 小首を傾げる……チヨちゃん。

 私は、なんでもない、と首を横に振った。

 彼女は、そうですか、と特に追及もしない。

 

「想像以上の盛り上がりですね」

 

 ネイチャさんがそうしたみたいに、観客席を見回すチヨちゃん。

 一頻り確認して、その視線が私の顔に戻ってくる。

 

「……悔いのない勝負にしましょうね」

「……うん。もちろん」

 

 返事をすると、彼女は歩き出す。

 私の傍にまで、その姿が近付いて――

 

「――、」

 

 その口が。

 小さく息を吸ったのが分かった。

 

「――覚悟してくださいね」

 

 私にしか聞こえないくらいの声量で。

 彼女は言った。

 

「あなたにだけは……絶対、勝つ」

「……」

 

 目を向けても、既に彼女は通り過ぎた後だった。

 その背中が、私の元から遠ざかっていく。

 それをしばし見つめてから――

 

「……、」

 

 私も、独り言ちるように答えていた。

 

「……望むとこだよ」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 さて、少し時は遡り――

 

『さぁ年末の中山で争われる夢のグランプリ、有マ記念! あなたの夢、私の夢は叶うのか!』

 

 アリオンたちの故郷では、教頭の家に、親戚知り合い友人諸々一同が、集まっていた。

 

「斎藤さん!! ほら早く早く!!」

「あぁーもう、わかってるって!!」

 

 お世辞にも広いとは言えない居間に集まった彼らの目は、目の前。

 この日のために導入した大型テレビ、そこに映る、中山競技場に向けられている。

 各々、ハチマキやらメガホンやらタオルやら何やら、応援するための物品を持ち寄り。

 その時を、緊張した面持ちで待ち続ける。

 

 一方同じく、中山競レース場から、遠く。

 ヒスイグループ本社ビル、社長室付近では。

 

「――あ! みんな! また社長が抜け出そうとしてる!!」

 

 秘書の女性が、大声で呼びかけていた。

 

『おおおおおぉぉぉ――!!』

 

 するとどこに隠れていたか、大勢のスーツ姿の社員が現れ――

 廊下の途中、ぎくり、と身体を震わせた壮年の男性――スレイの父を、やや乱暴に取り押さえていた。

 

「社長室に連行しなさい!! パスワードをもう一度替えますよ!!」

「嫌だぁー!! 行きたい行きたい行きたいぃー!! 実の娘の晴れ舞台に立ち会えない親なんて、親失格だぁー!!

「わからないことを言わない!! この日のために、社長室に3()2()K()()ハイエンド大画面モニターを取り付けたんでしょう!! ほら!! さっさと仕事に戻る!!」

「うわぁー!! ちくしょー!! 小林君めぇー!! こんなタイミングで面倒な商談持ってきおってー!! 末代まで恨んでやるー!!」

 

 だだっ子のように叫ぶ社長が連行されていくのを見ながら、秘書は腕時計を確認する。時計の針は、出走までもう間もなくであることを示していた。

 

 そして――現地、観客席。

 

「フェア姉ーっ!!」

 

 ターフの様子を見守るガゲキホーセンは、大きく手を振りながら呼びかける。

 彼女自身、その声が届くと思って呼びかけたわけではない。

 だがフェアの目が彼女らの方に向けられ、更には手を振り返したことで、届いたという事実を認識する。

 それだけで飛び上がりそうになるセンの傍ら、感慨深そうな目をしているのは、ダイトウカンショーだ。

 

「……すげぇよな。本当にこんなところまで来ちまった」

「いやいや、あの時ショーも、あんたなら出来るって言ってたじゃん。信じてなかったの?」

「信じてたよ。信じてたさ。でも……やっぱり無理なんだろうなって思ってたんだよ。少しくらいは……」

 

 彼女の目は、憧憬に揺れている。かつては陰ひなたで、かつては闇の世界で。煌々と光る灯りのように走っていた、『紅い閃光』。

 それが今、この、光に晒された大舞台に立っている。その現実に、感動して止まなかった。

 

「……本当にすげーよ、あの人は」

「でもでも、私たちもがんばってる! みんな凄い!」

「そうだね。リョホーの言う通りだ」

 

 彼女だけが凄いのではない。変わったのは、成長したのは、自分たちも同じ。

 中央には入れなかったけど、それぞれの地方で、それぞれなりに頑張っている。久々に顔を合わせて、見てくれという意味でも、その成長ぶりに驚いた。

 凄いのは――みんな、同じだ。

 

「……きみもそう思うでしょ、エンゲツ」

 

 センの声は、難しそうに黙っているエンゲツへと向けられる。それを受けても、彼女の顔のもやもやは晴れず、何事かを心配しているがごとくだ。

 彼女も彼女で、フェアの行く末を案じているのか。そう思ったセンは、

 

「……大丈夫だよ、きっとフェア姉なら、やってくれるさ!」

 

 根拠が無くとも、そう言うが。

 

「いや……そうじゃなくてさ」

 

 エンゲツの不安、というよりも不満は、そこではなく。

 

「あ? だったらなんだってんだよ」

 

 ショーの追及に――

 

「――っ」

 

 耐えられない、とばかりに、彼女は頭を抱えた。

 

「あぁぁぁっ! もぉ!! やっぱりむずむずするーっ!!」

 

 彼女の不満は――

 フェアの行く末でも、センの心配でも、リョホーの能天気さでもない。

 

「なんであんたそんなに変わっちゃったのよ! 見た目も、喋り方も! 違和感あり過ぎなのよ!!」

 

 ――ショーの変わりよう、だった。

 それもそのはず。ダイトウカンショーは、数年前――まだフェアの元で世話になっていたころは、ツインテールにマスク、片言の喋り方と、特徴がマシマシだった。

 が、今目の前にしている彼女は――そんな姿はどこへやら。

 髪は流しており。マスクも外している。口端に付いた、刃物によるものと思しき痛々しい傷跡も気にせず。

 話し方は、ごくごく普通の少女のそれ。

 

「……なんだよもう。あたしが変わったのがそんなに変かよ……」

 

 おまけに――一人称まで変わっている始末だった。

 彼女は、エンゲツの不満に、少し残念そうだった。しゅんとしてしまった彼女に、批判の目を向けるのはセンとリョホー。

 

「……その言い方は無いよエンゲツ」

「うん。さすがにちょっとひどい……」

「え、えぇ……いや、べ、別に、他意があったわけじゃなくてさ……」

 

 一転して自身の言動を反省したエンゲツは、気まずそうに視線を泳がせる。本気で言っていたところはあったものの――

 それが嫌というわけではない。ただ違和感なだけ。それだけだった。

 

「その、なんていうか……張り合いがなくなるっていうか……」

 

 自分が置き去りにしている気がして。

 自分だけが、子供のままなような気がして。

 少し――

 寂しいような気がして。

 

「成長するってのはそういうことだろ」

 

 そんな彼女を諭すように、ショーは言う。

 

「悲しむことでも、寂しがることでもねー。ありのままを受け入れりゃいいだろ」

「そう……なんだけどさ」

 

 簡単にそう出来たら、どれだけいいことか。

 そこまで考えて、やはり自分は子供のままだ、ということを自覚してしまい、なおのこと自己嫌悪に陥るエンゲツ。

 ただ――ショーもショーで、それを非難したいわけではなく。

 

「……でもまぁ、お前はそのままでいてくれていいんだぜ」

 

 優しい声色で、言った。

 

「お前のそういうとこ、好きだから」

「っ……」

 

 その言葉に。

 エンゲツは、顔を真っ赤にし――

 

「――ああぁぁぁッ!! やっぱダメッ!! お願い!! お願いだから元のショーに戻ってぇー!!」

「無茶苦茶言うなよ……」

「あはは……ま、元気ならそれでいっか」

「仲良きことは何とやらだね~!」

 

 そんな風に騒ぐ四人の、遥か後方。

 観客席の最後方に、『彼女』の姿はあった。

 

「……」

 

 トウチュウエイ。

 かつてルビーフェアと壮絶に競り合った彼女もまた、広大なターフを見下ろしている。

 フェアはそれに気づいた様子はないが、トウもまたそれで構わないと思う。

 お前が、どんな結果を見せるのか。

 夢を追い続けた果てに――何を見つけるのか。

 それを。

 

「……見せてもらうぞ」

 

 誰にともなく、そう呟き。

 レースの開始を、一人静かに、待ち続ける。

 そしてその、反対側。

 

「……」

 

 アールヴァクの世話役だったメイドは、開いたロケットペンダントに収められた、小さな写真に落としていた視線を、ペンダントを閉じつつ、前方へと戻す。

 ターフ上。芦毛が楽しげに踊っていることを認めると、母のように柔らかな笑みを浮かべた。

 それと同時――顔を振ったのは、明らかにこちらへと近づいてくる、無機質な音が聞こえたからだ。

 

「……あ」

 

 人影は、計四つ。まず一番に目に入った顔に、彼女は会釈する。それは刈り上げた髪型の特徴的な男性――チームスピカのチーフトレーナー、西崎。

 

「いよいよだな」

「えぇ……今日のこの日を、どれだけ待ち望んだことか」

「ははは、街中を走り回ってたのが懐かしいな」

 

 チームメイト、今やOGとなった、ゴールドシップ。

 

「えぇ。もう、彼女を貶める人もいませんわね」

 

 同じく、メジロマックイーン。

 そして――もう一人。

 

「……スズカさん」

 

 西崎の手元――

 彼の押す、車椅子。

 そこに座った、一人の少女。

 

「……」

 

 それまで、顔を俯かせていたサイレンススズカは。

 メイドと目を合わせると、精一杯の笑顔を浮かべる。

 だがそれが、胸の悲しみを、辛さを、悔しさを、必死に押し殺した結果だということを、見るからに痛感してしまい――

 胸の絞めつけられた感覚がし、気の利いた言葉の一つもかけられなくなる。

 

 どんな言葉を紡いだところで。

 それらは、何の意味もなさないような気がしてならなくて。

 

「……っ」

 

 縋るように。

 彼女は、ターフの方へと目を向けた。

 願うように。ぎゅっと、胸の辺りに、手を握って。

 

「……見届けましょう」

 

 決意したように、スズカに言う。

 

「あの子の、雄姿を」

 

 にも関わらず、スズカは――

 依然として、暗さを拭い切れていない表情で、浅く、頷くだけだった。

 

 ――ファンファーレが響く中、選手たちが、ゲートへと向かっていく。

 それを、集った観客たちが見守る。

 

「テイオーの、前人未到の二連覇か、他の子の下克上か。……どうなるか、予想もつかないね」

「その変化に揉まれなければいいけれど……」

 

 シンボリルドルフと、チームリギルのトレーナー、東条ハナが。

 

「ぐやじぃ~~っ!! マチタンも走りたかったぁ~!!」

「体調不良では仕方がありませんよ。その分、精一杯応援しましょう」*1

「……、」

 

 マチカネタンホイザと、イクノディクタスと、南坂が。

 

「……」

「……」

 

 どこかそわそわしているライスシャワーと。

 サファイアアリオンの、トレーナーが。

 

 ――そして。

 

「……」

 

 アリオンの、父親が。

 

「……!」

 

 今すぐにでもかけ出してしまいそうになるのを、必死に抑えながら歩いていたアリオンは、その姿を認めていた。

 彼は、腕を組み、いかにも満足そうな表情で、彼女を見つめている。

 不安も。心配も。憂いも無く。あとは、思い切りやってきなさい――無言で、そう語っているように見える。

 

「……、」

 

 その彼に。

 アリオンは、サムズアップすることで、応えていた。

 それをしかと目にした父も――また、老健な口端を、柔らかく綻ばせる。

 

 

 

 ウマ娘たちが、ゲートに収まっていく。

 さしたる混乱もなく、状況は進んでいく。

 

 自身もゲートに入り、サファイアアリオンは、ひとつ、深呼吸をした。

 

 目を閉じると――過去の出来事が、走馬灯のように蘇る。

 

 

 

 苦難。

 

 

 

 苦悩。

 

 

 

 懊悩。

 

 

 

 困難。

 

 

 

 思わず、周囲を見回していた。

 

 ゲートに入ったライバルたちは、皆、既に前方を見据えている。

 自分のように、きょろきょろしている者などいない。

 だからアリオンもまた、自虐的に笑いながら、前へと目を向けた。

 

 ――静寂が訪れる。

 それは、出走準備(ゲートイン)が終わった証拠だ。

 

 感じ慣れたはずのその感覚も、今はひときわ、特別なもののように思える――

 

「……位置について」

 

 始まる。

 

「よーい……」

 

 始まる。

 

「……、」

 

 始まる――

 

 その緊張と、胸の高鳴りが。

 最高潮に達した、時だった。

 

 

 

「――どん」

 

 

 

 重厚な音。

 静寂が破られた音。

 それを合図に、少女たちは、一斉に走り出す。

 

 

 未来のために。

 目標のために。

 夢のために。

 ――勝利のために。

 

 その戦いの――火蓋を切っていた。

 

*1
94年度の有馬記念大会は、マチカネタンホイザは、蕁麻疹の発症のために出走を取り消しています。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。